2024年8月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3179では
兼好法師の『徒然草』第一三七段から、次の言葉が取り上げられています。
すべて、月、花をば、さのみ目にて見る
ものかは。
「月や花を見るのは目でとは限らない」ということのようです。
その場に行って、月や花を直接に見て、風情を楽しむ。勿論それが花見、月見の基本ですが、果たして
それだけが月や花を味わうことでしょうか?兼好法師はそのように疑問を投げかけています。
本当に十分に花や月を愛でるには、例えば古今の月や花を読んだ歌を知り、書画を観て、それらを巡る
素養を身につけてから鑑賞する方が、ずっと味わいが増しますし、奥行きが広がります。
また、ただ月や花そのものを見るだけではなく、その場の風情、雰囲気を含めて眺め、更には、月見、
花見の宴を終始距離を置いて「よそながら見る」ことを、月や花を見ることの極意と捉えているよう
です。
現代は、何事も効率と合理性を重視して、例えば現場に行き、月、花を美しく切り取った決定的なショ
ットの画像をものして、SNSにアップし、たくさん「いいね」をもらえたら、それで花見、月見も完結
というような風潮がありますが、兼好法師の主張は、私たちにものを愛でることの本質を、示してくれ
るようにも感じられます。
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