2015年7月29日水曜日

漱石「それから」の中の、結婚話を契機に、初めて自分の将来に向き合う代助

2015年7月29日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第八十三回)に、見合い話を断ろうと実家に赴いた代助が、見合いの
推進派の兄嫁と交わす次の会話が記されています。

 「すると梅子は忽ち、
 「何ですって」と切り込むようにいった。代助の眼が、その調子に驚いて、
ふと自分の方に視線を移した時、
 「だから、貴方が奥さんを御貰いなすったら、始終宅にばかりいて、たんと
可愛がって御上げなさいな」といった。代助は始めて相手が梅子であって、
自分が平生の代助でなかった事を自覚した。それでなるべく不断の調子を
出そうと力めた。」

折しもの結婚話を契機に、代助は自分が三千代を愛していることに気が
付きます。しかし彼女は、かつての親友平岡の妻です。でも平岡は今や、
彼女に相応しい夫ではない。では、どうすべきか?代助は、思い悩みます。

この見合いに乗って、悩みから逃げることも考えますが、彼はその点
生真面目で、自らの意志に背く結婚がこの問題の解決にはならないと、
思い至ります。

折々適当な理由を付けて、これまでの人生をやり過ごして来た代助に
とって、今回の問題では初めて、自分自身と真剣に向き合うことを求め
られたのでしょう。

この場面での代助と兄嫁の会話は、その事実を示しているのだと、感じ
ました。

2015年7月27日月曜日

高野秀行著「恋するソマリア」を読んで

前回大きな反響を呼んだ謎の紛争地域、”アフリカの角”ソマリア潜入記第二弾
です。

すっかりソマリアに魅せられた冒険家高野秀行が、再び危険この上ない
その地域に赴きます。彼がこの地に惹きつけられるのは、ソマリ社会の
一筋縄ではいかない複雑さと多様性、彼を特別な客人として迎えてくれる
現地の人との濃厚な人間関係によると感じます。

今回高野が志すのは、現地と日本のつながりを模索することもありますが、
ソマリ人をその日常生活にまで踏み込み、より深く知るということ。彼は
そのためには「言語」「料理」「音楽」を理解することが必要と考え、まず
日本滞在の数少ないソマリ人兄妹から言語のトレーニングを受けた後、
ソマリランドでは早速、ソマリ世界で高名な詩人兼ミュージシャンに会いに
行きます。

その詩人との会話を通して、ソマリ音楽の原形が相聞の恋歌であることを知り、
次には現地の新婚家庭に初めて客人として招かれ、家人の心づくしの歓待を
受けて、一見荒っぽく、ぶっきらぼうなソマリ人の繊細で心優しい内面を知る
のです。

彼はイスラム教国では難しい一般家庭に入り込み、家庭料理を習うことにも
挑戦をして、ソマリ人が日常に食べる料理を知り、家庭内の女性の素朴さ、
純真さを知ります。

また私が感銘を受けた逸話は、父の仇に対して復讐をする代わりに、その娘を
嫁に迎えることによって周囲を納得させ、和解を成し遂げた長老の話で、ソマリの
かつての遊牧生活に基づく強固な氏族社会にあって、争いを解決するための
私憤を超えた知恵というものに、利己心に振り回され勝ちな現代社会に生きる
私たちが、考えさせられることがあると感じました。

とはいえ、南部ソマリアが戦乱の地であるというのは紛れも無い現実で、著者も
実際の戦闘に巻き込まれて、戦争の過酷を直に体験するのですが、いずれにせよ
目まぐるしく変化し、身の危険も付きまとうソマリ世界にあって、人びとが民族の
誇りを保持し、危機にあってもポジティブに、自分の問題は自身で解決しようとする
知恵とバイタリティーに、平和な世界に生きる私たちは、自己を振り返って学ぶべき
ところがあるのではないかと、感じました。

2015年7月23日木曜日

ヒオウギの花が咲きました。

祇園祭の時期となり、床の間に活けておいた、恒例のヒオウギの花が開き
ました。

ヒオウギは、かつて貴人が使用した檜扇に、葉の形状が似ていることより
命名されたというアヤメ科の植物で、悪霊退散のために用いられたこと
から、元来疫病を払うことを目的とする祇園祭に、欠かせない存在となった
といいます。

床に活けると、青々とした扇を開いたような葉の形が面白く、また梅雨明け
前の京都独特の蒸し暑さの最中に、その一角だけ、清涼な気分を添えて
くれます。

花は、葉の深い緑と鮮やかなコントラストをなす、赤い斑点を散りばめた
美しい黄味を帯びた朱色で、一輪の花はせっかく咲いても一日でしぼんで
しまいますが、それだけにようやくほころんだ花を発見した時、何かはっと
するようなときめきを感じます。

今年の祇園祭は天候に恵まれず、前祭りの山鉾巡行当日は、折しも四国、
中国地方を襲った台風の影響で、あいにくの激しい雨に見舞われましたが、
幸い、当初懸念された巡行中止という最悪の事態は免れました。

また後祭りの宵山も、不安定な天候が続き、午前中には強い雨足の時間も
ありましたが、明日の巡行は青天のもと、無事行われることを願っています。

2015年7月20日月曜日

細田守監督作品「時をかける少女」を観て

細田守監督の新作アニメーション映画「バケモノの子」の劇場公開記念
として、2006年作品「時をかける少女」のテレビ地上波放映があったので、
良い機会と思って観てみました。

「時をかける少女」というと、私にはやはり、大分記憶は薄れていますが、
1983年の大林宣彦監督、原田知世主演の映画のイメージがあって、
ミステリアスで感傷的な雰囲気と、主演女優の清新ではあるがはかなく、
頼りなげな、運命を受け入れざるを得ない、諦念を秘めた受け身な印象が
ありました。

さて今回のアニメーション映画は、前述の作品とは多分に雰囲気を異に
しています。主人公の紺野真琴は屈託のない現代的な女子高校生、
大学進学のための進路決定を控える難しい時期にも拘わらず、無自覚に
日々を過ごしているように見えます。また異性の友人に対しても、まだ
男女の別を意識しない呑気さで、学校生活を送っています。

さてその少女が、タイムリープ(時の瞬間遡行)の能力を得たらどうなる
のか?実際彼女は、自分のささやかな満足や、都合の悪いことを誤魔化す
ために、この能力をやたらと使用します。しかし彼女は、20年前の「時を
かける少女」であった叔母、芳山和子のアドバイスによって、自分にとっての
その能力の意味をもう一度考えます。

結局真琴にとって、タイムリープとは何だったのか?それは彼女が日常の
自分の行動を注意深く振り返り、周りの人の思いをくみ取り、自分の
本心を素直に表現するためのトレーニングであったような気がします。

この映画を見終えて、一人の少女の成長物語として、さわやかな感動を
得ました。

2015年7月18日土曜日

漱石「それから」の中の、取り戻した指輪を代助に見せる三千代

2015年7月17日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第七十五回)に、質屋から受け出した代助のプレゼントの指輪を三千代が
彼に見せる、次の記述があります。

 「「結構な身分ですね」と冷かした。三千代は自分の荒涼な胸の中を代助に
訴える様子もなかった。黙って、次の間へ立って行った。用箪笥の環を
響かして、赤い天鵞絨で張った小さい箱を持って出て来た。代助の前へ
坐って、それを開けた。中には昔し代助の遣った指環がちゃんと這入って
いた。三千代は、ただ
 「いいでしょう、ね」と代助に謝罪するようにいって、すぐまた立って次の間へ
行った。そうして、世の中を憚るように、記念の指環をそこそこに用箪笥に
しまって元の座に戻った。」

代助はどんな心持で、目の前の光景を見たのでしょうか?三千代の窮状を
慮って彼が彼女に渡した金は、彼女の夫には内緒のまま、質入れした代助の
指輪を受け出すために使われたのです。

彼は微かな満足を覚えながらも、平岡に対して後ろめたさを感じたのでは
ないでしょうか?しかし同時に、そもそも三千代をこんなみじめな行為に
及ばせる、ふがいない夫への憤りがある。

いずれにしても代助と三千代は、指輪と金を巡って、平岡に対する秘密を
抱えることになりました。

2015年7月15日水曜日

三浦しおん著「舟を編む」を読んで

私たちにとって一見親近感もあるが、実は縁遠い存在の辞書編纂の現場を
追体験出来る小説です。また、一冊の辞書が完成するまでの長い時間の
間に、各々の辞書編集部員が職能的にも個人的にも、成長する姿を描く
教養小説でもあります。 2012年度の本屋大賞受賞作です。

私にとっても辞書は、日常生活に欠かせない存在です。しかし何か書物と
いう認識はなくて、自分の拙い頭脳の不足分を補ってくれる便利な道具と
いう位置づけです。

さて、小型、中型の辞書でお目当ての言葉を引くと、必要最低限の意味が
簡潔に記され、その辞書の容量に合わせて、用例も過不足なく記載されて
いる印象です。その一見無機的で素っ気ない部分が、逆に親近感を与えて
くれるとも言えるでしょう。従って私には辞書の編集作業というものは、失礼
ながらただ慣例に従って機械的に進められる、あまり知的労力を要しない
営為というイメージがありました。

しかし本書を読むと、用例採集カードを作って日夜生きものであることばの
動向をチェックし、その辞書が出版される時点での、容量が許す限りの
最適の膨大なことば、語意、用例を統一感のある計算し尽くされた文章、
レイアウトで記載し、誤植がないようにぎりぎりまで校正を繰り返す、
辞書編集部員の過酷ともいえる知的労働の作業の様子が見えて来ます。

また辞書を編むという行為が、国家機関によってではなく、私企業である
出版社の編集部員によって行われることが、言論の自由にとっていかに
大切なことかということも感じられて来るのです。つまり優れた辞書は、
辞書編集部員の熱意とプライドによって初めて、生まれることを知るのです。

もう一点、本書における辞書作りを通しての編集部員の成長という部分では、
営業部員としてくすぶっていた馬締が、辞書作りの適性を見出されて自信を
深め、辞書編集の意義に無自覚であった西岡が、他の部署への移動が
決定して辞書作りの素晴らしさに目覚め、ファッション誌編集部のきらびやかな
部署から、地味な辞書のそれへと移動させられた岸辺が、周りの情熱に感化
されて辞書作りの喜びに気づくというように、人は人生において、自身の
存在意義を見出すことによって輝くということを、分かりやすく示してくれます。

現代社会において、生きることへの困難に直面しがちな私たちに対して、
勇気を与えてくれる好著です。





2015年7月13日月曜日

すももを頂きました。

河内木綿の産地問屋のご主人が、手土産にお家の庭で取れたすももの
実を一袋持って来てくださいました。

今年は一時に実がなったそうで、うかうかしていたらカラスや野鳥に
食べ散らかされるので、大急ぎで木に登って実を収穫したということで、
あわや滑り落ちそうになってすりむきましたと、右腕を見せながら
笑っておられました。

今年は天候不順で、梅の受粉の時期に気温が低くて、雨も多く、ミツバチが
余り活動出来なかったらしく、梅の名所の北野天満宮などでも、梅干しにして
参詣者に授与するための梅の実の収穫が少なかったそうで、神社には
頭の痛い問題だと報道されていました。

そういえば、我が家の庭の梅の木も、花は例年通り咲いてくれたのですが、
一向に実が生らないといぶかっていましたが、どうやら天神さんと同じく
ミツバチの働きに預かることが出来なかったためのようです。

すももを持って来て下さったご主人のところも、例年実るサクランボはだめ
だったけれども、すももは良く実が出来たということで、私たちもお相伴に
預かることとなったのです。

黒く熟して来たものから順番に食べて下さいということで、冷蔵庫に保存して
良く熟れた実から取り出し、皮も抵抗なくつるっとむけるので、一気に口に
ほお張ると、程よい酸味を伴う爽やかな甘味が口中に広がりました。

梅雨時のうっとうしさを一時忘れさせてくれる、最適の果物と感じました。

2015年7月10日金曜日

漱石「それから」における、午餐の席での佐川の令嬢の顔貌

2015年7月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第七十回)に、実家で席を設えられてフィアンセ候補の佐川の令嬢と昼食を
共にすることになった代助が、彼女の顔を観察する次の記述があります。

「代助は五味台を中に、少し斜に反れた位地から令嬢の顔を眺める事に
なった。代助はその頬の肉と色が、著じるしく後の窓から射す光線の影響を
受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作ったように思った。その代り耳に接した方は、
明らかに薄紅であった。殊に小さい耳が、日の光を透しているかの如く
デリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有して
いた。この二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、むしろ
丸い方であった。」

代助は明らかに、一目見て佐川の令嬢を好ましく感じたように見受けられ
ます。そうでなければこのように仔細に観察しないでしょうし、おまけに
その表現には、彼女の顔の造作に魅入られている様子も感じさせます。

西洋絵画鑑賞の影響をうかがわせる、柔らかい外光によって浮かび上がる
令嬢の顔の輪郭、形の好い鼻、耳の描写、きめ細かく美しい皮膚の感触、
それに対して印象的な大きな鳶色の瞳がアクセントを添える。

何とも詩的な表現です。代助がこれまで結婚を考えなかった理由としては、
他人の妻とはいえ、恐らく三千代という存在が大きく影響していたでしょう。
しかし佐川の令嬢を目の前にして、彼は自分の結婚ということに対して、
改めて対峙しなければならなくなって行くのではないでしょうか。

2015年7月8日水曜日

龍池町つくり委員会 18

7月7日に、第36回龍池町つくり委員会が開催されました。

7月2日に開催した映画「オロ」上映会について、運営を担って頂いた
京都外国語大学南ゼミの学生代表の方より結果報告があり、参加者は24名、
募金は約43000円が集まったということで、依然チラシの配布数の割には集まりが
悪かったというきらいはありますが、講演、映画自体は有意義であったという
意見も多く聞かれ、一定の成果を収める事が出来たと考えられます。

以前に杉林真樹子さんより提案があった、学区内の子供たちによって、地域に
ちなむカルタを制作する企画「京都上ル下ル廻ルカルタ」が正式に京都市の
助成を受けることになり、いよいよ実際の活動を始めることになりました。

杉林さんより計画と手順の説明があり、それに対して谷口先生、連合会長、
各委員より実現のためのアドバイスが行われました。直近では、地域の子供が
集まる夏休みのラジオ体操の時に、説明とデモンストレーションを行ってみる
こと、また昨年好評で今年も実施することになった、京都外大の学生さんとの
共同企画「ぶらり龍池スタンプラリー」とうまくジョイントして、スムーズに行程を
進めて行けるるようにすること、などです。計画が予定通り実現することを、
協力しながら見守って行きたいと思います。

龍池学区と自治連合会活動の案内冊子、「わたしたちの町 たついけ」がいよいよ
刷り上り、7月8日より全戸に行き渡ることを目標に配布します。

2015年7月6日月曜日

漱石「それから」の中の、贈った指輪をはめていない三千代を見る代助

2015年7月6日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第六十七回)に、三千代が自分の窮状を示すために、代助に彼が平岡との
結婚に際して送った指輪さえ質草にしたことをにおわせるふうに、黙って
何もはめていない指を見せる、次の記述があります。

 「「貴方には、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に
持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に
広げて見せた。その指には代助の贈った指環も、他の指環も穿めて
いなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の
意味がよく分った。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。
 「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」といった。代助は憐れな心持がした。」

代助にとっては、切ない瞬間です。これまでの文脈から推察すると、彼が指輪を
贈ったこと自体に、特別な意味が込められているでしょう。指輪のような、相手が
肌身離さず着用する可能性のあるものを贈るということは、その相手に贈り主の
ことを忘れないでほしいという意味が潜められていると、思われるからです。

また三千代にとってもその指輪は、代助との交情を思い起こし、彼との記憶を
つなぎとめる大切な品に違いありません。いや私には、少し意地の悪い見方
ですが、彼女が自分の窮状を打開するために、例の指輪のことをわざと彼に
ちらつかせて、相手の気を引こうとしているようにも感じられます。

いずれにせよ、代助は三千代の置かれた状態を憐れに感じ、物語は新たな
局面へと向かって行くのでしょう。

2015年7月5日日曜日

中沢新一著「日本文学の大地」を読んで

中沢新一の著作には、たとえどのような対象を扱うにしても、読者の期待を
裏切らない雄大な構想力とビジョンがあります。この本で彼は、日本の
古典文学に立ち向かっています。

中沢は本書の「まえがき」で、我が国の近代以前の文学生成の背景として、
自然と文化が密接に結びついていたことを挙げています。明治以降、
近代化の名の下での西洋文化の導入によって自然と文化は分離され、また
記述文においても口語が用いられることになって、私たちにとって古典文学は
次第に敷居の高いものとなって来ました。

しかし我が国固有の思想の源流は古典文学にあり、現代社会に生きる我々が
もう一度足下を見つめ直すことの必要性が増している今日、古典に親しむ
ことは意義深いことであるでしょう。その意味においても本書は、平易では
ないが私たちの興味を絶妙にそそってくれるものとして、格好の古典文学の
手引書となっていると感じさせます。

この本を読んで私が一番心惹かれたのは「万葉集」の章で、万葉集が編纂
された時代は、日本語の表記法が確立された時期で、従来から初々しい
文字を用いて、ありのままの心からほとばしる言葉を筆記した趣があると
感じて来ました。

本書の中で中沢は「ことだま」という言葉を例に取って、万葉集の歌の言葉は、
直截的に霊的な力を帯びていると記します。また歌としてのリズム(定式)を
用いることによって「ことだま」の霊力を流動化させ、人の世界を豊かにする
ことが歌を作る目的であったとも記します。この呪術的な力が、今を生きる
私たちにも伝わって、理由の説明はつかなくとも、万葉集の独特の魅力を
感受させるのかもしれません。さらに、日本の詩歌が本来持つ霊的な力が、
平安時代以降洗練化されて行くにしても、この文芸が宮廷文化の中心であり
続けた理由ではなかったかと、感じさせられました。

このように、一つ一つの言葉に霊力が宿っていた時代から一環して、我々
日本人の心象には自然と文化が深く結びつきながら存在して来たのです。私が
古典を読む時、理解力はおぼつかないながらも、何とはなしに親近感を
感じるのは、根底に流れるこの思想によるところが大きいのではないかと、
思われます。本書に記された中沢の指摘を踏まえて、また古典文学を読んで
みたくなりました。

2015年7月3日金曜日

映画「オロ」ネパール震災支援チャリティー上映会に参加して

7月2日(木)京都国際マンガミュージアム会議室において、京都国際マンガ
ミュージアム、同志社大学ソーシャル・ウエルネス研究センター、京都外国語
大学南ゼミのご協力のもと、龍池自治連合会主催で岩佐寿弥監督作品映画
「オロ」のチャリティー上映会が開催されました。私も町つくり委員会の一員
として参加させていただきました。

主催者挨拶の後、お父さんがネパール人で、ハチミツ販売を通して現地の
環境保全活動に取り組んでおられる米川安寿さんより、震災後のネパールの
状況についてスライドも使った報告があり、いよいよ「オロ」の上映が始まり
ました。

この映画は、6歳の時一人チベットからインドに逃れた少年オロの日常を
通して、チベットが直面する深刻な問題を提示し、また彼が岩佐監督と一緒に、
ネパールに暮らす彼と同じ境遇のチベット避難民の集落を訪れることによって、
同胞の温かさに触れ、自覚を深め、人間的に成長して行く姿を描く作品です。

一見淡々とした描写の中に、監督のチベット問題への深い思い入れが伝わって
来たのですが、本日のチャリティー上映会の主旨に沿って、ネパールという
観点からこの映画を観ると、中国、インドという二つの大国に挟まれた決して
豊かではない小国ネパールの、難民をも受け入れる懐の深さが見えて来ます。

それは多民族共存の宗教的寛容さに発するものであり、またヒマラヤ山脈と
いう自然の要害が、外部勢力の干渉を拒絶することにもよるのだと推察され
ます。

大自然の厳しさと裏腹の風光明媚、エベレストに連なる峰々の美しさ、荘厳さ、
一度は訪れてみたくなるその魅力は言うまでもなく、私たち日本人に引き付けて
ネパールを考えてみると、大国に自然条件によって隔てられながら隣接する
小国、宗教的寛容、独特の伝統文化を有するなど、共通点も多いように感じ
られます。そのような国に私たちがもっと関心を持つこと。その必要性をこの
映画を観て感じました。

2015年7月1日水曜日

漱石「それから」における、代助のフィアンセ候補との邂逅

2015年6月30日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第六十三回)に、兄嫁に誘われて芝居に出かけた代助が、実はそれが父や
兄が彼に強く勧めている、見合い相手との出会いを演出するための口実で
あった事を知る、次の文章があります。

 「すると幕の切れ目に、兄が入り口まで帰って来て、代助ちょっと来いと
いいながら、代助をその金縁の男の席へ連れて行って、愚弟だと紹介した。
それから代助には、これが神戸の高木さんだといって引合した。金縁の
紳士は、若い女を顧みて、私の姪ですといった。女はしとやかに御辞儀を
した。その時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添えた。代助は女の名を聞いた
とき、旨く掛けられたと腹の中で思った。が何事も知らぬものの如く装って、
好加減に話していた。すると嫂がちょっと自分の方を振り向いた。」

本日の回には、まるで一話の短編小説を読むような、構成の妙を感じ
ました。芝居にお供した代助が、その演目を観るのは二回目のために
無聊をかこち、一緒に行った兄の娘縫子との無邪気な会話から、観劇の
肝に思いを巡らし、周りの観客を観察しているうちに、この場が兄たちに
よって仕組まれた、自分を嫁候補の娘と引合すためのものであったことを
知る。

読んでいる私も、代助と一緒に一杯食わされた思いがして、そのはっとする
感触が何かときめきを伴う、心地よさを連れて来てくれました。これも漱石の
優れた作話術の賜物なのでしょう。