2014年9月29日月曜日

第二回龍池茶話会in大原学舎

9月23日に第二回龍池茶話会in大原学舎が開催されました。

当日は大原郊外学舎に集合。薪の斧を使った細断から始め、
参加した子供たちに薪くべを手伝ってもらって、コッヘルでご飯を
炊きました。

炊き上がった白米を、子供たちに素手で握ってもらっておにぎりを作り、
あらかじめ用意した豚汁を副菜に、楽しく昼食をとりました。

午後は子供たちは、大原の外れの音無の滝までハイキング。残った
大人は、地元の自治会長佐竹様より、大原の歴史、散策ガイド、
地域の抱える問題等のお話を伺いました。

大原地区は朝市の活況、地元在住のハーブ研究家ベニシアさんの
活躍などにより知名度も上がり、農産品の販売も順調に推移している
ということですが、反面一帯が市街化調整区域のために新たな家も
建てられず、これからの人口減少が懸念されているようです。

また、シカによる獣害が深刻で、周囲を囲う大規模な金網の柵を
巡らせたということですが、そのメンテナンスも大変なようです。

ところ変われば、それぞれの地域の成功した試み、また切実な課題も
あり、私たち龍池町つくり委員会のメンバーにとっても、有意義な
お話でした。

今回の茶話会の問題点としては、広報誌の発行等告知活動を
充実させたにも関わらず、新住民の方の参加がなかったことで、
これからも地道な取り組みが必要と、改めて感じました。

2014年9月26日金曜日

漱石「こころ」の再連載が終わって

2014年9月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(110)で、この小説は終わりました。

「こころ」をこういう形で再読して、新たな感興も生まれ、また前回よりも
深く味わうことが出来たと感じました。

その要因として、一つはあらかたの筋を知り、それをなぞることが出来た
事、もう一つは、前回は文庫本で一気に読み通したものが、今回は
新聞連載という形で一回づつを丁寧に味わうことが出来た事を、
上げられると思います。

今回再読して新たに感じ、気づいたことは、先生のKや御嬢さん、
奥さんとの接し方は、肝心なことを伝える言葉の欠如という点で、今日の
意思疎通が重視される社会の慣行にあっては欠点が際立ち、事実、
先生のこの沈黙が重大な悲劇を生みだしたのですが、先生がお嬢さん
との結婚後も、一方的に周りの人間を不幸にする独りよがりで、だめな
人間かというと、それは違うのではないかと思いました。

つまり先生は、自分の中に人間の原罪としての利己心を見出し、愛する
妻の純真を自己犠牲をもって守ろうとしたのではないか、と感じたのです。

自らの罪を認識し、贖罪の意識を貫き通すことは、並の意志では不可能
でしょう。それほど芯の通った人間であるという意味で、先生は私たちの
良心を常に鼓舞してくれる存在であると感じました。

2014年9月24日水曜日

漱石「こころ」の中の、先生の普遍的なものとしての罪の意識について

2014年9月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(108)に、次の記述があります。

「私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私を
Kの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。
そうしてその感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。私はその感じの
ために、知らない路傍の人から鞭たれたいとまで思った事もあります。」

先生が終生Kの死について、妻に対して沈黙を守ったのは、普遍化された
罪の意識の自覚によるということが、ここで明らかになります。

最初は、自尊心や羞恥心、また保身のために語らなっかのが、ついには
人間が生きていく上で避けることの出来ない、罪というものを正面から
見据え、自らを罰するためにあえて語らないという心境に至った
のでしょう。

もしそうならば、先生がKの秘密を守り通した理由も、私なりに少しは
理解することが出来るような気がします。

先生は自分一人が罪を引き受けることが、Kの心を慰謝し、妻の母と
妻の心の平安を守ることになると考えたのでしょう。

ここに、先生の自己犠牲を伴う優しさが見えて来ます。

2014年9月22日月曜日

漱石「こころ」における、先生の孤独

2014年9月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(107)に、先生が自らの孤独について語る次の記述が
あります。

「私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する
気にはなれませんでした。」

「理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うと
益悲しかったのです。私は寂寞でした。何処からも切り離されて
世の中にたった一人住んでいるような気のした事も能くありました。」

事情を説明する手段はあるのに、先生は恥ずかしさとプライドに
邪魔されて、妻にKの自殺の経緯を語ることが出来ません。

そのために、愛する妻に理解されないと感じる先生の孤独は、どんどん
深まっていきます。

なんという矛盾、理不尽、悲しい事態でしょう!ついには、厭世的な
気分にもなって行きます。

では、そこまで自らの立場を貶めながらも、先生をして最後まで語ることを
思いとどまらせた原動力は、一体何だったのでしょうか?

そこがなかなか解らない。その思いは今も続いています。

2014年9月19日金曜日

漱石「こころ」における、先生が妻にKの死の真相を語らなっかった理由

2014年9月19日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(106)に、先生が妻にKの死の背景を語らなっかった
理由について、自身の思いを語る次の記述があります。

「私は一層思い切って、有りのままを妻に打ち明けようとした事が何度も
あります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て
私を抑え付けるのです。」

「私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明け
なかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、
私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。」

先生が妻に事の真相を語ったなら、先生とその妻の家庭は、随分違った
ものとなったでしょう。二人の絆は強いものになったに違いありません。
事実先生も、もし語ったら妻は理解してくれるに違いないと考えて
いました。

ではなぜ話さなかったのか?その理由として先生は、妻の記憶を
汚したくなかったと言います。でも本当にそうでしょうか?私には
それは建前でしかないように思われます。

確かに先生は、自身を高潔に保とうとする強い意志を持っています。
その価値観からすると、先生のもの言いは筋が通っています。

でも私には、先生が自分の威厳を失うことを恐れて、語らなかった
のだと見えます。なぜなら、妻をいたわるそぶりをみせながら、実は
妻の思いにまったく頓着していないからです。

それとも、これは自分がたとえ悪者になっても意思を押し通す、明治の
男のやせ我慢!そう考えると、明治と現代、彼我の時代の違いを
感じずにいられません。

2014年9月17日水曜日

漱石「こころ」における、先生の罪の意識と贖罪観

2014年9月17日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(104)に、Kの遺体をとにかく安置し終えた先生の心の働き
について、次の記述があります。

「事件が起こってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時漸やく
悲しい気分に誘われる事が出来たのです。私の胸はその悲しさのために、
どの位寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の
心に、一滴の潤いを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。」

「私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ったところで、どの位の功徳に
なるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の
前に跪まずいて月々私の懺悔を新たにしたかったのです。」

悲しさによって心がくつろぐという感覚が、最初解りませんでした。

先生はそれほどまでに罪の意識にさいなまれ、身を締め付けられて
いたのでしょう。さらには、わが身を守ろうとする本能的な危機感もあった
と思われます。

しかしそのようなこころの状態の中で、親友Kの死に対して悲しみを感じる
ことが出来たということは、自分の人間的な心情の発露にわずかな救いを
見出したということでしょうか?

それでは、あまりにも悲しすぎます。先生が自らに課したKの墓参も、
贖罪のための苦行のように思えてきました。

2014年9月15日月曜日

秋の味覚、秋刀魚の炭火焼きに挑戦しました。

新鮮な生の秋刀魚が手に入り、徳島から今年収穫したスダチも
いただいたので、せっかくなので炭火焼に初挑戦しました。

軽便なコンロと備長炭を買って来て、まず火を熾します。

ところが、着火剤を使ってもなかなか炭に燃え移りません。
時間も限られているので、金属製の火熾し器を利用しました。

炭を火熾し器に入れてガス火にかけると、間もなく炭の表面が
赤く熾って来て、その炭をコンロに移します。

小さいコンロなので、秋刀魚に火がまんべんなく行き渡るように、
一匹づつ交互に並べて焼き始めました。

コンロの中は炭がだんだん赤く熾るだけで炎が上がるでもなく、
熱が充満して来て、秋刀魚の火に当たっている表面が、本当に
ゆっくりと色づいてきました。

突然、魚から出た脂が炭に落ちて、ジュウという音と共に白い
煙が上がり、香ばしいにおいが漂って来て、しばらくそのまま火に
かけてから、同様に反対の面も焼いて出来上がりです。

その間約三十分、待ちに待った秋刀魚の炭火焼きに大根おろしを
乗せ、スダチを搾りかけ、しょう油をたらして食べると、熱々の
脂ののった秋刀魚の身のホクホクした味わいと、大根おろしの
苦味、スダチの酸味と香り、しょう油のコクが一体となって、
得も言われぬおいしさを楽しむことが出来ました。

2014年9月13日土曜日

漱石「こころ」における、Kの死について

2014年9月12日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(102)に、Kの死に直面した先生の衝撃と心の揺れが
記されています。

「私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは
土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。
私は今でもその光景を思い出すと慄然とします。」

「その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時の
それとほぼ同じでした。私の眼は彼の部屋の中を一目見るや否や、
あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。」

私は、前回この小説を読んだ時にはまったく思い浮かばなかったのですが、
学卒後就職して間もなくのある出来事を思い出しました。

新入社員研修を終えてとある地方の支店に配属された時、少し遅れて
もう一人の新人がその支店にやってきました。

小さい支店で新入社員は私と二人だけ、上司は私たちを競わせて、
一人前の販売員にしようとしました。

数か月後、私がとにもかくにも見習い販売員として数件の得意先を
任された時、もう一方の新人の彼は、まだ自信がないと言って一人で
職務を行うことを躊躇していました。そうして間もなく、突然彼は自殺して
しまったのです。

青天の霹靂でした。その時の驚愕は今でも鮮やかに思い出します。原因が
わからないだけに、私の存在が彼の死の引き金になったのではないかと、
ずいぶん悩みました。後に私がその会社を辞める遠因の一つにもなった
くらいです。

身近な若い人の自裁はそれほど衝撃的で、ましてや親友Kに対して
後ろめたいところのある先生の罪の意識は、いかばかりでしょう。

2014年9月12日金曜日

漱石「こころ」における、先生の結婚申し込み

2014年9月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(99)で、ついに先生が御嬢さんとの結婚を奥さんに
申し込み、奥さんは次のように答えています。

「宜ござんす、差し上げましょう」

「差し上げるなんて威張った口の利ける境遇ではありません。どうぞ
貰って下さい。御存じの通り父親のない憐れな子です。」

「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子を遣るはずが
ありませんから」

実にあっけなく、はたして御嬢さんも先生のことを好きかどうかという、
先生の疑念が晴れました。

これほど持って回った手続きを取らなくてもよかったら、Kとの間の
悲劇も生まれなっかたことでしょう。ここが前回読んだ時、もっとも
じれったく感じたところです。

しかし、明治という時代の男女の関係、先生の若さ、誇り高さ、内気さに
思いを巡らせると、決して不自然ではないように、今は思います。

このように考えるとこの小説が、ずいぶん時代がかったものに感じられ
なくもありませんが、人の心の弱さ、もろさ、あるいは一見立派に見える
人の信条、思想というものも、個人レベルに還元すると、いとも簡単に
ゆがめられ、くつがえるものであるということを明確に示す点においては、
現代にも十分に通じる普遍性を有していると、私は思いました。

2014年9月9日火曜日

中秋の名月の瓦屋根に照り映える光が美しくて、

中秋の名月の夜、なにげなくベランダに出てみると、こうこうと輝く
月の光が目の前に広がる離れの屋根瓦を美しく照らして、思わず
カメラを取ってきてシャッターを押しました。

私の技量も、カメラの性能もいい加減なものなので、うまく
捉えられているかははなはだ疑問ですが、これがその写真です。

久々に晴れ渡った夜空に、透き通った輝きを放つ名月そのものも
素晴らしかったのですが、その美しさは織り込み済みとして、
屋根瓦と月の光の取り合わせは私にとって予想外で、思わず
はっとさせられたのです。

夜の闇に静まる鈍色の屋根瓦が、仄かに銀色をおびる月の光に
照らされて、その幾重にも繰り返される輪郭を浮かび上がらせる
有様は、えもいわれぬ趣があります。

月は欧米ではしばしば、狂気をはらむ尋常ならざるものと見なされ
ますが、日本では中秋の名月に代表されるように、その風流を
めでる対象として広く親しまれているように感じられます。

彼我の自然に対する感受性の違いでしょうか?そんなことも
ふと、思い浮かびました。

2014年9月7日日曜日

丸谷才一著「女ざかり」を読んで

新聞社の新任女性論説委員を主人公に、贈答という言葉をキーワードと
して、マスコミ、政界そして広く日本文化の何であるかをあぶり出そうと
する、構想豊かで野心的な小説です。

本書の論旨は、我が国の社会関係が、いにしえより神と人間、男女の
交わりに至るまで、贈答によって成り立っているということでしょう。

主人公弓子の人事抗戦を通して、この国の社会システムの中に
あまねく浸透する、贈答行為の有り様が明らかになって行くのですが、
その様々な形のやり取りの中で、特に感銘を受けたのは、若き日の
現首相が、同棲相手の弓子の伯母に人を介して渡した手切れ金を、
受け取った後のこの女性の感じ方で、渡した相手の気持ちを察して、
迷惑ながらも受け取って寛容に事を納めなければならないという
心の静め方には、古くからの日本の美徳の一端が感じられました。

本書が上梓されてから20年以上が経過し、確かに贈答の習慣は
急激にすたれましたが、私たちはそれに代わる人間関係のより所を、
まだ十分に見出していないように思われます。

そこに社会全般における、人の絆の希薄化の要因の一つもある
のではないか?

女性を主人公にしながら男目線の小説ではありますが、深刻さを
増す少子高齢化問題も含めて、今日の私たちの社会を予見する
ようなところもある、優れた小説です。

2014年9月5日金曜日

龍池町つくり委員会 8

9月2日に、第26回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

9月23日(秋分の日)開催の、第二回龍池茶話会in大原学舎の詳細が
決定しました。

参加費 1000円、 参加対象 龍池学区または近隣学区の学童、
住民です。

午前10時30分大原郊外学舎集合、災害に備えた「炊き出し体験」
ということで、参加者に鍋と薪の火を使って実際に握り飯を作って
もらいます。副菜として豚汁を用意するということです。子供たちには、
貴重な体験です。

その後大人は、大原自治会長佐竹様より大原のお話を伺い、
学童には、音無しの滝までの里山ハイキングを準備しています。

午後3時解散予定です。

龍池町つくり委員会が発行する広報紙「たついけ・まちつくり1」が
いよいよ刷り上って、配布されました。

この広報紙がくまなく学区民に行き渡って、掲載されている
第二回龍池茶話会in大原への反響が大きいことが期待されます。

2014年9月4日木曜日

漱石「こころ」における、Kの覚悟

朝日新聞2014年9月4日付け朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(96)の中で、先生がKの様子を次のように語っています。

「すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも
答えない先に「覚悟、-覚悟ならない事もない」と付け加えました。
彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。」

Kは自らの思想上の問題として、御嬢さんへの恋情を断ち切るために、
死をも覚悟したのでしょう。しかし一方、先生と御嬢さんの関係に
ついては、まったく気づいていないように思われます。

他方先生は今や、なりふり構わず現実にうといKをそそのかして、
御嬢さんへの恋を諦めさせようとしています。

Kとの友情を尊重し、自身の高潔を必死に保とうとしていた先生は、
御嬢さんに対する自分の恋心が彼によって脅かされるに至り、
ついわれを忘れて保身に走り始めたたのです。

先生にも、自らの行為が卑劣であるという認識はあります。
しかし人は往々にして、精神的に追い詰められた時、利己心に
身を任る誘惑に流されやすいものなのでしょう。

Kにしても、自身の信条だけが至上の価値で、彼の心の中には、
お嬢さんの思いや、先生の気持ちなど入り込む余地はありません。

人間とはかくも、やるせないものかと思わされます。

2014年9月3日水曜日

漱石「こころ」における、先生の恋の臨戦態勢について

2014年9月3日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(95)に、以下の記述があります。

「私は丁度他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。
私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを
五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです。罪のないKは
穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当な位に無用心
でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を
受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺める事が出来たも同じ
でした。」

今や先生の心は、Kの御嬢さんへの思いをはっきりと悟って、
そうはさせじと臨戦態勢に入りました。

これまでKに対して疑念を抱きながらも、彼への友情と彼という
人格への敬意から無理に信じようとしてこなかった、Kが自分の
恋敵であるという事実に対して、開き直って覚悟を決めたのです。

しかしこういう戦いにおいては、あの意志堅牢なKもいたって無力で、
一日の長のある先生が、彼をもてあそぶような様相を呈して来ます。

結局、先生が御嬢さんへの自分の恋情を、Kに打ち明けなかったことが、
裏目に出てしまいました。

でも不器用な若い男同士の間では、女性をめぐり往々に起こりうること、
今はそのように思います。