2016年11月30日水曜日

京都国立近代美術館「HELLO ポール・スミス展」を観て

若者に人気のイギリスのファッションデザイナー、ポール・スミスの人とブランドの
軌跡を紹介する展覧会です。ヨーロッパ各地を巡回後の展観です。

私は日頃自分の服装にも無頓着で、従ってファッションの流行にもあまり興味が
ある方ではありません。しかし時々美術館で催されるデザイナーの展覧会に行く
のは、そのデザイナーのファッション創造のエスプリに触れたいと思うからです。

特に今回のポール・スミスについては、私たちが長年絹の広幅の白生地の販売に
携わって来て、かつての一点物のオリジナル洋服を作るために、顧客の要望で
個人の染色家が生地の購入を目的に度々来店されたという時代も遥か過去の
ものとなり、経験上も人々の洋服に対する価値観が大きく転換したことを痛感させ
られる上に、また仄聞する今日の若者のファッション行動を見ていても、ファスト
ファッションと呼ばれる、流行を取り入れた大量生産の廉価な洋服が巷にあふれる
状況の中で、比較的購入し易い価格設定とは聞きますが、なぜ彼のブランドの
ファッションが世界的に若者に広く支持されるのかを、知りたいと思ったからです。

さて会場に入ってまず印象的なのは、ポール・スミスが1970年に故郷の
ノッティンガムにオープンしたわずか3メートル四方のセレクトショップの再現展示と、
ホテルのベッドルームで初めて開いた展示会の再現ブースです。

自身はファッションの正規教育を受けておらず、後に妻となるファッションに詳しい
女性の助力の下、彼が情熱を内に秘めて試行錯誤しながらブランドを立ち上げて
行く様子が想像されます。

次に目を引いたのは、彼のオフィスとスタジオの再現展示で、文字通り色々な
ものが無造作に重ね、並べられた空間、オフィスでは、大量の洋服の型紙が一見
脈絡なく天井からつり下げられている。このカオスのような空間が、彼の思考回路
を示しているのでしょう。混沌から秩序立ったものを作り出す道筋を、垣間見た気が
します。

ポール・スミスのファッションの魅力を形作る、伝統をベースにしながら機知に富む
色の使用や、ポップな感覚の導入は、彼の写真趣味によって培われたようです。
彼は日常の中に夥しく存在する興味を感じさせるものにカメラを向け、ファッションを
創作するためのインスピレーションを得ています。そのイメージを展観する映像作品
もありますが、その目くるめく万華鏡のような映像の移り行きに、彼の留まることを
知らない創造のエネルギーを幻視した思いがしました。

他に彼が自分の生活空間に飾る、プロ、素人を問わぬ気に入りの多量の絵画、
写真、そして実際のファッション作品など、ポール・スミスが育て上げて来たものを
知るための、見どころにあふれた展覧会でした。

2016年11月28日月曜日

鷲田清一「折々のことば」590を読んで

2016年11月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」590では
書店の立ち上げ、本売り場のプロデュースなどに携わる北田博充の
「これからの本屋」から、次のことばが取り上げられています。

 空想は現実の反対側にあるのではなく、空想の延長線上に現実がある。

一般の人々の本離れ、それに伴う本屋さんの受難が言われて久しくなって
来ました。新古書店の進出、携帯電話など電子通信機器の普及による
情報伝達手段や娯楽の変化、あるいは電子書籍の一般化など目新しい
情報コンテンツの発達。出版を巡る急激な環境変化は、それに携わる
人々に厳しい試練を与えているようです。

他方、和装業界に携わる私たちも、着物離れという日本人の風俗の変化、
伝統的な儀礼や儀式の急速な衰退に苦しめられています。

ただ単に取り扱っている商品が売れればいいと考えている訳ではないので、
出版人の自負ほど高尚ではないにしても、伝統によって醸成されて来た
日本人の美風に深く根ざしている私たちが扱う商品が、人びとにあまり
価値のあるものと見なされなくなることには、寂しさを覚えます。

自分たちの生活の糧のためだけではなく、日本の文化を守りたい、受け継ぎ、
残して行きたい、という思いは少なからず持っているつもりでいます。

ではどうすればいいのか?その答えが見つからないのが、不甲斐ない
現実ですが、上記のことばは、私を鼓舞してくれると、感じました。

2016年11月26日土曜日

漱石「吾輩は猫である」における、哲学者の講釈

2016年11月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載146では
苦沙弥邸を訪ねた旧友の哲学者先生が、彼の最近煩わされている問題に
答えて、西洋と日本の文明の違いについて講釈する、次の記述があります。

「西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす
人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求める
のじゃない。西洋と大に違う所は、根本的に周囲の境遇は動かすべからざる
ものという一大仮定の下に発達しているのだ。・・・」

普遍的で重く、現代にも通ずる問題です。漱石が明治の当時にこのような論を
展開していた事実に、彼の透徹した見識を改めて感じさせられます。

東洋的な価値観の下に育まれて来た日本の文明に、突然西洋的なものの
考え方が侵食して来て、日本人はずいぶん戸惑ったのでしょう。

根本的には上記のように、現状に満足する精神状態を養うことを至高の価値と
する考え方の中に、突然変化や成長を最善の価値とする考え方が入って来た
ということでしょう。

爾来日本人は、この二つの異なる価値観の間に引き裂かれているように、感じ
られます。そして現代に至って、西洋的なものの考え方がだんだん優勢になって
来て、しかし心の底に残っている伝統的な価値観はなかなか拭い去ることが
出来ず、我々は疎外感に苦しんでいる。これがさしずめ今日の精神状況の
図式のように思われます。

漱石は既に、明治の時代にこの苦悩を味わっていたのでしょう。

2016年11月23日水曜日

秋の鴨川を散歩して来ました。

先日久々に鴨川の河原を散歩して来ました。日頃歩く機会が少ないので、健康の
ために週に一度は自宅近辺を散歩するように心掛けているのですが、町中を
歩くうちに自然とよく鴨川に足が向かいます。

ところがここ一月以上も、他の用事を兼ねて歩いていたので、鴨川に足を運ぶ機会が
なかなか訪れませんでした。

前回この河原を散歩した時にはまだ川床が開かれていて、丁度夕方だったので、
みそそぎ川に張り出した川床を見上げると、色とりどりの服装で食事をする客たちで
賑わい、お酌をする舞妓さんなども見受けられて、ともされた灯りとともに、さざめく
ような華やいだ雰囲気がありました。

今回はもう川床のシーズンも終わって、その頃と比べると西側の川沿いが何か
寂しげではありますが、それに代わって東側の堤の木々が鮮やかに色づき、
秋らしい清澄な風情を醸し出していました。

冬枯れの一見わびし気ではあるが、変わらぬ川の流れがそこにあることを示して
くれる存在感、そして寒さが峠を越し、桜が一斉に川を彩る早春の頃、鴨川は
季節季節の美しい表情を見せてくれます。

私自身子供の頃には、河原に設えられた小さな広場でボールと戯れ、
みそそぎ川や鴨川でザリガニや魚を取って遊びました。

そのような記憶の掛け替えのなさも、自然とこの川に私の足を向けさせるのでしょう。
とにかく町の真中にこんな魅力的なスペースがあることを、改めて有難く感じます。

2016年11月21日月曜日

鷲田清一「折々のことば」581を読んで

2016年11月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」581では
江戸期の名僧良寛の次の辞世の一句が取り上げられています。

 うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

折しも紅葉の盛りのこの時期に、一枚の葉が散り落ちる様子を、まるで
スローモーションで見ているような、趣のある句です。

春の桜、秋の紅葉は、季節に係わる日本の風景の美の代表的なものだけれど、
鷲田の解説にもあるように、桜がパッと咲いて一斉に散り、すがすがしさや潔さ
というこの国の美に対する一つの価値観を、象徴すると見なされるのに対して、
紅葉はもっと複雑な美を、私たちに提供してくれるように感じられます。

秋が訪れ山々や林、街路や川沿いの並木などが徐々に色づき、常緑樹との
対比や色づきの時間差によるグラデーションが、あたかも絵画のキャンパスに
様々な色を散らしたかのような美しさを演出し、徐々に色あせ静かに散って行く。
残されるのは裸木のわびしさです。

葉の散る様子も、桜の花びらの一斉に散る華麗さに対して、一葉づつ生気を
失い、枯れ染めて名残り惜しそうに枝を離れる様子が、生の黄昏といった
雰囲気を感じさせます。

しかもまさに枝を離れた一枚の葉が、頼りなげに色をまだ残す表、くすんだ裏を
交互に見せながら、風に吹かれて落ちて行く有り様は、人生のはかなさを
現わしているようにも見えます。

しかしこの句を改めてかみしめてみると、良寛が人生の最終盤に至って、自身の
美点も欠点も包み隠さず白日に晒して、死を迎えるという覚悟を表明した句で
あるように思われて来て、更に深い感慨を覚えました。

2016年11月18日金曜日

田山花袋著「蒲団・一兵卒」岩波文庫を読んで

「蒲団」は、余りにも有名な明治期自然主義文学の傑作といわれる小説です。
私自身その名は折に触れて、色々な文学史上の言説の中で目にして来ました。
例えば、つい先日読んだ鶴見俊輔と関川夏央の対談本「日本人は何を捨てて
きたのか」の中でも、著者花袋の生真面目さという観点から、その名が挙がって
いました。

そんなこんなで、私は長年の間に妄想を膨らませ、「蒲団」はつつましやかな
明治時代の家庭を扱った家族小説と、勝手に決め込んでいました。ところが
いざ読んでみると、妻子ある作家がうら若き美貌の女弟子に抱くよこしまな
恋情を赤裸々に描く小説で、まず衝撃を受けました。百見は一読に如かず、
といったところでしょうか?

さて実際に「蒲団」を読み終えて、さすがに脱稿後百年以上を隔てても、強い
熱量で読者を惹きつけて止まない名作だと感じました。しかし創作当時と著しく
社会通念や価値観が異なる現代社会に生きる読者が、この小説の魅力に
ついて改めて考える時、作品が出来上がったその時代における価値と、現在
にも通じる言わば普遍的な価値とでもいうようなものを並行して考えることも、
意味があるように感じられます。

従ってそのような観点から論を進めて行くと、作品発表当時のセンセーションは、
私にはあくまで推測の域を出ませんが、西洋的なものの考え方や、倫理観が
流入して来てもまだ、江戸時代の儒教的な倫理観が色濃く残っていたこの
時代に、一家の家長である著者の分身としての主人公が、小説家という社会的
地位もあるにも拘わらず、自身の痴情を赤裸に描く。しかも当の女弟子やその
父親、自らの妻には外面君子のような態度を装いながら、その実内面的には
自分勝手な欲情に翻弄される様子を微に入り細を穿って描写する。この小説
執筆への向き合い方や覚悟は並大抵のものではなく、それ故我が国の文学の
既成概念を揺るがすほど、革新的であったのでしょう。

他方、明治期のような貞操を巡る性道徳や倫理観は随分希薄になり、個人の
自由が尊重される現代社会においても、他者を傷つけない道徳律や
プライバシーの保護という観点からかえって、外面的な品行の正しさが求め
られる社会環境にあって、人間というものが往々に利己的な感情に揺り動か
され、思い悩む頼りない存在であることを、繕うことなく明らかにしている点に
おいて、深く人の心を掘り下げた優れた小説であると感じました。

2016年11月16日水曜日

鷲田清一「折々のことば」578を読んで

2016年11月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」578には
画家、絵本作家いせひでこの絵本「ルリユールおじさん」から、次のことばが
取り上げられています。

 名をのこさなくてもいい。 「ぼうず、いい手をもて」

手仕事というものは、本来無名の工人による地道な作業によって担われて
いたのでしょう。

つまり、最初誰もが自らの必要のためにものを作り、その中で巧みな人が
他の人からも依頼されてその品を専門に作るようになり、工人、職人となった
に違いありません。

そう考えると、もの作りやその製作品の本来の姿というものが、見えて来る
ような気がします。

白生地屋という私自身の仕事に引き付けて考えると、友禅や絞りなどの技法で
染色された呉服など、従来は、それぞれどの職人が携わったかは明らかでは
ないけれど、自ずからその担い手が素晴らしい美的感性や技巧の持ち主で
あると分かる、優れた品物が多くありました。

しかし今日では、無名の品物に優れたものはほとんど見かけなくなり、
作家作品と名打つものでも、本当に良い品物と感銘を受けるものが少なくなり
ました。

もちろん、生活習慣や経済環境の急速な変化や、それに伴う手仕事に対する
評価や価値の変転という、已むおえない現実があります。

でも私は、やはりものを作る人には根本のところでは、名より実という気概が
なければならないのではないかと、考えます。

2016年11月14日月曜日

鶴見俊輔、関川夏央「日本人は何を捨ててきたのか」を読んで

戦後の代表的な知識人の一人鶴見俊輔から、関川が思想のエッセンスを引き出す
対談集です。

私は、鶴見というと「思想の科学研究会」「ベ平連」「九条の会」の結成、参画によって、
常に大衆に寄り添う思想家というイメージを持って来ましたが、彼の考え方の
バックグラウンドや思想それ自体については、全くと言っていいほど知りませんでした。
それで入門書として比較的理解し易いかと思い、本書を手に取りました。

まず目に止まるのは、彼の特異な生い立ちと青少年期です。彼は政治家、著述家
鶴見祐輔の長男で、母方の祖父は後藤新平、姉は後に社会学者として著名な
鶴見和子というエリート家庭に生まれますが、小学校時代から素行不良が目立ち、
府立高等学校を退学処分になり、父の計らいでアメリカ留学、日米開戦により
ハーバード大学卒業後、自らの選択で帰国します。この不良性というものが、彼の
ものの考え方の根底にあるといいます。つまり、一番を目指すというエリート意識に
対する反感です。

彼によると、明治期の日本国家は近代化を急ぐあまり「樽の船」を作った。その中で
教育を行った結果、枠の中で一番を目指すエリートを多く生み、当然の帰結として
自由な精神を持つ個人はいなくなった。また第二次大戦の敗北もこのシステムを
根本から変えるには至らず、今日の閉塞状況を生んでいる。つまりその状況を打破
するためには、我々一人一人が社会を取り巻く問題を自分自身の直面する課題と
捕え、自力で解決する方法を考える姿勢こそが大切である、と言うのでしょう。

鶴見自身が係わった上述の研究会、住民運動などは、正にこの考え方をベースに
して成り立っていると感得出来ます。

では日本人が明治以降に失った大切な能力は何かというと、彼は「受け身」の知力
とも言います。これは一見主体性と矛盾するようにも感じられますが、柔道でいう
受け身の強さというか、人の影響を受けて自分を変えて行く能力で、受動的では
あるがそれゆえの強さを生み出す力です。

考えてみれば明治以降の日本は、軍事力であり、経済力であり、常に勝利や発展を
追い求めて来たのでしょう。今日の閉塞感はその帰結でもあります。鶴見の思想の
要点は、権力にこびない反骨心と打たれ強い柔軟さ、自由さにあると、改めて感じ
ました。

2016年11月12日土曜日

第四十一回「ちおん舎・新・染屋町寄席」に行って

11月11日に、「染屋町寄席」に行って来ました。

寄席で落語を聴くのは初めてで、何かうきうきした気分で会場に向かいました。
会場のちおん舎は、龍池学区内にある法衣商千吉当主旧宅で、演じられる
座敷棟は1915年建築ということで、格調のある落ち着いた雰囲気の座敷が
90人強の観客で埋まっていました。

今回のこの寄席は、席亭桂ちょうば、ゲスト桂塩鯛という布陣で、2人が桂ざこば
門下の兄弟弟子という間柄から、最初の演目両人の対談では、破天荒なざこばの
行状披露で盛り上がりました。

落語家は師匠が人気者だと話題に事欠かず、得するものだと感じました。

演目名は知らないのですが、塩鯛の泥棒を扱ったネタでは、本人は風邪で体調が
悪かったようですが、さすがの表現力に噺を堪能しました。特に扇子、ジェスチャー、
口で表現する擬音を駆使して、そろばんをはじく様子を再現する芸は、その巧みさに
感心させられました。

こじんまりとした寄席で演者の仕草を間近に見ることが出来、また観客も、京都の
この辺りということで、技巧の巧みさに敏感な人が多く、観客の反応も場を盛り上げ
ました。

とりはちょうばの「代書」で、この演目はテレビで数回見たことがあり、演者による
演じ方の違いも興味深かったのですが、ちょうばの「代書」は初演ということで、
熱演でよく笑わせてもらいましたが、登場人物の人物造形など、まだ改善の余地は
ありそうです。

最後にお楽しみ抽選会があり、私事ながら日本酒が当たって、気分良く、満足して
家路に着きました。

2016年11月9日水曜日

秋の「京都非公開文化財特別公開」でハリストス正教会に行って来ました。

恒例の秋の「非公開文化財特別公開」で、京都ハリストス正教会の大聖堂を見学
して来ました。

この教会は私の住む中京区にあり、外見は見慣れた建造物なのですが、初めて
中に入って聖堂内を目にすると、その端正で華麗な姿に思わず息を飲みました。

いつも通りかかる、特徴的ではあっても身近な建物の中に、このような素晴らしい
文化財がひっそりと存在することに、住み慣れていながら見過ごしている、この
都市の奥深さを感じました。

聖堂内正面の大小30面のイコンを壁のように装飾的に配置して飾った、イコノスタス
(聖障)はロシアから移送されたもので、ロシア本国にもあまり残っていない貴重な
文物だそうですが、その際損傷した部分は、日本人初のイコン画家山下りんによって
修復されたということです。また山下自身が描いた、余白の多い抒情的で端麗な
イコンも、聖堂内に展示されていました。

初めて実見するこの聖堂のイコンは、係員に尋ねると金属板の上に描かれていると
いうことで、それ故か一見平板に見えながら重厚な存在感と輝きを放ち、独特の
聖性を帯びた魅力を発散しています。長い時間説明を聴きながら見入っていました。

また木造の外装の白塗りのシンプルな佇まいと、内部のイコノスタスの優美、壮麗さ
のコントラストが、一歩入ると神聖な異世界に誘われるような、実生活ではなかなか
体験することのない白日夢のような感覚をもたらし、しばしその陶酔感に包まれ
ました。

2016年11月6日日曜日

鷲田清一「折々のことば」566を読んで

2016年11月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」566には
音楽プロデューサーでベーシストの亀田誠治のツイッターから、次のことばが
取り上げられています。

 雲があると、月の表情が優しく見えるよね。みんなお互いを生かしあっているん
 だね。

執筆者はこのことばを、品位と謙譲が消えてなくなりそうな時代への憂え、と解釈
しているようで、その受け止め方にも共感しましたが、私はついつい日本的な美
というものに興味が向かうので、以下のようなことを感じました。

日本的な美の感性を示す例えとして、朧月夜の美しさということが言われます。

煌々と照る満月も見事だけれど、霞んだようにおぼろげに光る月も、趣があって
美しい。

ということは、月と雲が互いを生かし合って美を造り上げている、とも言えるで
しょう。

また日本的な美意識では、隠れたもの、少しだけ姿を覗かせているものに
美しさを見出すという感性もあります。

これはさしずめ、目には見えないもの、全体像を確認出来ないものに、想像を
巡らせ、美を感じ取るということでしょうか?

いずれにしても私たちは、理性的で明確に屹立する美よりも、相対的で影響
し合うものの中に見出される美を、好んで来たのだと感じさせられます。

2016年11月4日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、逆上がインスピレーションとなる理由

2016年10月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載131では、
吾輩が苦沙弥先生の逆上癖を、詩人の創作のためのインスピレーションに敷衍
して論ずる、次の記述があります。

「その中で尤も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は
汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れら
は手を拱いて飯を食うより外に何らの能もない凡人になってしまう。」

インスピレーションを逆上の一種と見なす発想は、現代的な感覚からは随分
ユニークです。私たちにとってインスピレーションの響きは、冷静で、研ぎ澄ま
された鋭利なもの、逆上とは相反するイメージなのではないでしょうか?

しかし考えてみれば、創作者におけるインスピレーションは、本人が思考を
重ねた末に、突然天啓のように降りて来るもの、といった側面も確かにあります。
その脳の活発な活動状態を長時間維持するためには、脳内を巡る血流を
最大限に保つ、ここで言う逆上が必要なのかもしれません。

漱石自身も逆上し易い人、また作品を執筆している時には終始不機嫌で、我が
身をすり減らしていたということですから、逆上しながら全身全霊で小説を書く
というのは、正に自身の実感であったのでしょう。

そういう意味ではこの描写には、漱石の作品創作の秘密の一端が記されている
ようにも、感じられます。

2016年11月2日水曜日

龍池町つくり委員会 34

11月1日に、第52回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、10月30日に実施した防災マップ企画の結果報告と総括が、京都外大の
小林美香さんにより行われました。

スタンプラリーとして始まったこの企画も3回目で、内容としては充実して来たと
感じられるのに、結果として少数の参加者しか集められなかったということは、
防災というテーマが子供の興味を引かなかったこと、および実施当日が周辺の
他のいくつかの行事とかぶっていたことも影響したと考えられますが、当初から
今回の企画は子供と一緒に大人が参加することを想定していたので、親世代の
防災意識の低さも要因であるという話も出て、この点では学区の防災訓練の
参加者の、近年の少なさともつながります。

次に谷口先生の紹介による、立命館大学大学院の大野丈さんより、「「する」
スポーツを文化に」というテーマでプレゼンテーションがあり、龍池学区で
その趣旨に沿ったスポーツイベントを開催出来ないかという提案がありました。

それに対して委員会のメンバーからは、マンガミュージアムのグラウンドでは
既に様々のスポーツイベントが実施されているが、大野さんがこの学区の
実情をもっと詳しく調べ、その上でなされる提案であれば、改めて検討しても
よいという、前向きな意見が出ました。

次回企画、新春の「キモノで茶話会」については、来春も開催することを前提に
話し合いましたが、今回は一度学区内の自治活動に従事している人々を、まず
身内を固めるという意味で、新春の挨拶がてら招待してはどうか、という案も
出ました。

いよいよ11月13日に今年度の総合防災訓練が実施されます。今回は雨天の
場合も想定して、マンガミュージアムのAVホールも確保し、また災害救命用の
アルファ化米を地域の社会福祉協議会の方々の協力で作り、参加者への
配布も行う予定です。この訓練を主催する自主防災会の会長をさせて頂いて
いる私としては、出来るだけ多くの方の参加を切に願っています。