2015年10月30日金曜日

店の玄関のたたきに長火鉢を出しました。

ここのところ急に寒くなって来たので、思い切って店に長火鉢を出して
みました。私の記憶をたどると、およそ30年ぶりぐらいでしょうか。

最近家でも炭の効用を見直して、魚や肉を焼く時に時々使っているので、
店にも出してみたらお客さまにも喜んでいただけるのではないかと、考え
たのです。

思い起こすと、かつては冬になると長火鉢が毎年用意されて、あの頃は
今ほど暖房器具も整っていないで、店内の空気もひんやりとした中に、
いかにも寒そうな様子の訪問客が店先の引き戸を開けて入ってこられて、
いすに座って長火鉢に手をかざしながら、商売や世間話が弾むという
光景がよく見られたように記憶します。火鉢に五徳を据え付けてやかんで
湯を沸かしたり、炭から直接タバコに火を着ける仕草も思い出されます。

さて店に火鉢を置いてみると、まず気付いたのは燃える炭が発する香り
でした。懐かしいような何とも言えない、ほのかではあるがこうばしい
芳香が鼻をくすぐります。これはすっかり忘れていたことの、嬉しい再発見
でした。

またまだ真冬ではないので、他の暖房器具は使っていない中で炭火を
いれると、店の空気がじんわりと温まりました。この暖かさも、ガス、電気の
暖房とは違って、皮膚が昔から覚えているような郷愁を誘う温もりと、感じ
られました。

来店されたお客さまにも好評なので、しばらく続けたいと思います。

2015年10月28日水曜日

祇園甲部歌舞練場内八坂倶楽部「フェルメール光の王国展」を観て

フェルメールの残した作品全37点を、リ・クリエイト ー「フェルメール・センター
・デルフト」より提供を受けた画像素材を最新技術によりフェルメールが
描いた当時の色彩を求め、原寸大で鮮やかに再創造ー 作品で一堂に
展観する試みの展覧会です。

まず特筆すべきは、会場が祇園甲部の芸舞妓が毎年都おどりを披露する
ことでおなじみの、歌舞練場内八坂倶楽部ということで、純和風で日本庭園を
有する会場に、17世紀オランダの画家の絵画が一斉に並ぶということです。

しかし会場に入ってみると、木造畳敷きの室内に、展示の工夫もさることながら、
西洋絵画が違和感なくしっくりと溶け込んで、美術館で観るのとは異なる
落ち着きと華やぎを醸し出すようです。

17世紀オランダが交易によって栄え、フェルメールと同時期に活躍した
レンブラントも、版画に日本製の和紙を使用したということなども考え合わせる
と、フェルメール作品が和風の部屋に飾られるということも、絵画鑑賞に
世界史的な背景を加味するという意味でも、面白い試みと感じられました。

本展を監修した生物学者福岡伸一は、フェルメール好きで知られ、この
展覧会と同タイトルの本も上梓していますが、私がその本を読んで大いに心を
啓発されたのは、絵画を科学的な視点で観ることの魅力についてでした。

とりわけ17世紀のオランダが、市民階級の台頭と市井の人々の科学的なもの
への興味の芽生えによって、近代科学への助走期に位置し、絵画と科学的
好奇心が強い結びつきを持っていた時代である故に、観る者を惹きつけて
やまない、しかし謎の多いフェルメールの絵画の秘密を、解き明かすための
説得力のある説明の必須の条件として、科学的な視点が必要だったといえる
でしょう。

このような前提のもとに、本展ではフェルメールが科学的な探求心を持って、
世界の有りのままの情景を一瞬間において捉えようとした画家という解釈に
立って、構成されています。

この解釈にとって重要な要素は、フェルメールの絵画における光の取り扱い方
ということで、その点リ・クリエイト作品は、もちろん実物の存在感からは多分に
劣りますが、制作当時の状態を再現された、経年の曇りを払拭した色彩は、彼が
光の粒子を精巧に表現する手段を獲得して行く過程を、端的に示してくれます。

特に画面上に施された一点の濁りない光の表現が、あたかも魔法でもかけた
かのように画面全体を光り輝かせる様子は、フェルメールの天賦の才を余す
ところなく示しているように感じられました。

2015年10月26日月曜日

兵庫県立美術館「船越桂 私のスフィンクス展」を観て

船越桂は、私の最も好きな現代彫刻家です。しかし今まで、版画作品には
親しんで来ましたが、木彫作品はあまり目にする機会がありませんでした。
それで今回兵庫県立美術館で、彫刻作品中心の彼の展覧会が開催される
とあって、大きな期待を持って会場に赴いたのです。

ちなみにこの美術館を訪れるのも、私にとっては初めての体験で、海沿いの
ロケーションを活かした、広々としてモダンな堂々とした佇まい。屋外に設置
された、コンクリート製の重厚な螺旋階段が印象的です。展示室もゆったり
としたスペースで、船越の静謐で洗練された彫刻作品の展観にうってつけ
でした。


さて彼の作品のファンであるとはいえ、まとまった数の木彫作品を、しかも
至近距離からじっくりと観るのは初めてということで、悦びも含め様々な
感慨が心に浮かびました。

まず作品の質感、佇まいの気配が、私に働きかけたものについて。船越の
彫刻は、美術雑誌、図録などに掲載された写真で見ていると、一般に
都会的で洒脱、無機的な雰囲気が強調されます。しかしその作品を直に
観てみると、その土台となる楠の肌触りが俄然浮かび上がって来ます。

初期の作品では、温もりを内に秘めた、硬質な外貌のアンバランスの中の
均衡が、何とも言えず魅力的でした。さらに彼の代名詞となった大理石の
玉眼、この遠くを見つめる澄み切った美しい目は、現実と非現実の間を
観遥かしているようです。これも実際に作品に接しなければ、味わえない
美質です。

次に彼の創作活動の進展について。本展では、1980~1990年代初めの
第一期、1990~2000年代初めの第二期、2000~現在の第三期に分けて
展観していますが、彼の創作の深化が手に取るように分かります。

初期の一体の人物像として完結していた作品が、次第に一個の人体内に
収まり切らなくなって異形へと変貌を遂げ、遂には人間の殻を脱ぎ去って
直接宇宙と交歓する宗教的存在となる。

船越の非凡さは、明治の近代化以降、西洋美術の圧倒的な影響力を払拭
出来なかった我が国の彫刻界にあって、その桎梏を易々とすり抜けた
ところにあると、改めて感じさせられました。

2015年10月23日金曜日

漱石「門」における、御米に遺産の顛末の報告をする宗助

2015年10月21日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第二十回)に、小六の学資に充てる目的で、亡き叔父に預けてあった
父の遺産の行方を尋ねるために、叔母の下を訪ねた宗助が、最早それが
一文も残っていないことを告げられた事の顛末を、帰宅後御米に報告する、
次の記述があります。

「 「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、
  「そうね」というだけであった。
  「 ・・・・・      」
  「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐいったので、
 宗助は苦笑してやめた。
  「つまりは己があの時東京へ出られなかったからの事さ」
  「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったん
 ですもの」
 夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇の下から覗いて見て、
 明日の天気を語り合って蚊帳に這入った。」

現代社会の金銭感覚や損得勘定から考えると、随分呑気な話です。
今の物言いからすると、叔母に体よく丸め込まれたことになるでしょう。

ただ、当時の人びとの目上の親族に対する心情や、宗助と御米の夫婦に
なってからの人生の来し方を鑑みて、このような結果も已むおえないと
いう諦念が、二人を納得させているのでしょう。

しかし、このような承服しがたい災難に直面しても、じっと寄り添う彼らの
姿が、何かいじらしくも見えます。


2015年10月21日水曜日

鷲田清一「折々のことば」198を読んで

2015年10月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」198に
ヴィクトール・E・フランクルの次のことばが取り上げられています。

 すなわち最もよき人々は帰ってこなかった

精神科医フランクルが、ナチスの強制収容所で過ごした日々を、思索的に
綴った名著「夜と霧」(霜山徳爾訳)より引いた言葉です。

私も若き日にこの本を読んで、極限の体験の中でもなお、冷静かつ
理知的な思考法を持って、生きる希望を失わない著者の姿に随分と
励まされ、勇気を与えられたものでした。

さて、前述のことばから私が思い浮かべたのは、生きるか死ぬかの
切羽詰まった状況の中で、人はどうしようもなく、本性をあらわにする
ものであり、また心の中の利己心が頭をもたげるものである、という
ことです。

さらには、強制収容所が看守が囚人を奴隷化し、死を決定するという
ような、人が人を絶対的に支配する場所であるならば、囚人の中に
支配者にすり寄る者が生まれ、より弱い立場の同僚を容赦なく犠牲にする
者が生まれるということでしょう。

人間とはかくも悲しき者。フランクルはそのような現実を冷静に見つめながら、
命を絶たれた人々の尊厳にも思いをいたすことを忘れません。人間という
存在そのものに寄り添う姿勢に、改めて敬意を抱きました。

他方、シベリア抑留から帰還した石原吉郎の「最もよき私自身も帰っては
こなかった」の言葉は、さらに自分自身の心の罪をも見つめて、粛然とさせ
られます。

2015年10月19日月曜日

「京都国際映画祭2015」アート部門を観て

今開催されている、「京都国際映画祭2015」のアート部門を観て来ました。
これは、映画祭の映画上映と並行して実施されている美術イベントで、
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」の、美術に造詣が深いおかけんたが、
企画したということです。

まず市役所前広場で、オランダの芸術家テオ・ヤンセンが制作した、風を
動力として駆動する「ストランド・ビースト(砂浜の生命体)」の
パフォーマンスを見学しました。

女子プロ野球選手たちが扮する風の送り手が、大団扇で送る風を体内の
ペットボトルにため込んで、沢山のきゃしゃな足を持つこのビーストが
ぎこちなく、しかしある意味颯爽と、広場の数メートルを無事歩き切りました。

風というものの力、それに対して人間の造形物の思うにまかせぬ頼りなさ、
健気さ、じっさいに砂浜で自走する姿を想像しながら、思わず宮崎駿監督の
映画「天空の城ラピュタ」のロボットたちを空想しました。

次に新京極の誓願寺へ。ここでは「又吉直樹x<文学>の世界」が開催
されていて、特に会場一番奥のお寺の仏間とおぼしき部屋に、又吉作品
「火花」の表紙を飾った西川美穂の絵画「イマスカ」が、額装されない
キャンパスの状態で照明を落とした空間に浮かび上がり、部屋の天井の
片隅には、はかない花火がまたたく映像が映写されて、この小説に通底する
独特の雰囲気の中に観る者を誘う展示が、強く印象に残りました。

最後に元立誠小学校で現代美術作家河地貢士の「うまい棒」を観ました。
この作品は教室中央に二万五千本の金色の包装素材に包まれた菓子
「うまい棒」を積み上げ、壁面の黒板にチョークで名前を書けば一本もらえる
というもので、積み上げられた「うまい棒」のきらめき、背後に書き込まれた
黒板の文字のち密さが、古い教室に何とも言えぬ彩りを添える作品です。
ここでの私は、自身の出身校ということもあって、失われたものを思い起こす
ようなノスタルジーを感じました。

2015年10月15日木曜日

同窓生の通夜に参列して

友人から突然メールが届き、しばらく会っていなかった元同級生の一人が
亡くなったということで、交流のあった数人で申し合わせて、お通夜に
行くことになりました。

開会の15分ぐらい前に現地に着くと、そのホールの中でも恐らく最も大きい
式場に座席が整然と設えてありましたが、すでに半分以上の席が参列者に
よって占められていました。

亡くなった友人は、女子高の社会科教師を長年勤めていて、同時に
その学校の名門と言われるバスケットボール部の顧問も、続けて来たと
いうことです。

そのような経緯もあって、参列者には学校関係者、女子高の卒業生と
推察される各年代の女性たち、制服を着た現役の女子高生が多く見受け
られました。

お焼香が始まり、係員の誘導で着席の参列者が次々と正面の焼香台に
向かいますが、式場内の全員が焼香を済ませても、場外に待機していて
焼香に向かう参列者の列がなかなか絶えず、結局1時間余り続きました。

列席していた多くの女性たちの沈痛な表情、まだ幼さの残る女子高生
たちのしかつめらしい立ち居振る舞いを間近で見ていると、教育者と
いうものの影響力の大きさを強く印象付けられました。

自分の人生を改めて振り返って、果たして私はたとえ少しでも、人に希望や
喜びを与えることが出来たのだろうかと、思わず考えてしまいました。

自身の年齢も還暦に近づき、ともすればそんな感慨を抱く時分となったの
かもしれません。

2015年10月12日月曜日

京都高島屋グランドホール「第62回日本伝統工芸展京都展」を観て

本展に出品されている工芸家の方より招待券を頂き、伝統工芸展を
久しぶりに観て来ました。以前は入場料が無料でしたが近年有料となり、
かえって盛況ということです。

仕事に関係の深い染織を中心に作品を観て行くと、東日本大震災から
まだ日も浅い時期に見た時には、作家の方々も、この大きな災厄を
創作活動の中でどう受け止めるべきか、戸惑っておられるところが
あったのだろうと推測されるほどに、あえて華美さを控えめにしたり、
目立たないように技巧を凝らしたりというような、作為的な部分が目に
付くきらいがありました。

しかし今回観てみると、多くの出品作で作家自身が、工芸における
創作行為とは何かということを、自問自答しながら作品を丹念に作り
上げているような、伝統工芸らしい落ち着きが戻って来たように感じ
られて、好ましい心持でじっくりと鑑賞することが出来ました。

染織に話を戻すと、友禅染の作品群は多色の華やかな色使いや、
大胆なあるいは、シックで洗練された意匠などで、随分と目を楽しま
せてくれますが、現代的な価値観を意識してか、伝統的な意匠を
用いたものがほとんど見当たらないのが、寂しく感じられます。現代の
社会に伝統意匠を適合させることの難しさは、十分理解出来ますが、
敢えてそういう困難な道に挑戦する作家が現れてくれたらと、私は
思います。

染織のパートに刺繍作品が2点しかないのも、一般の人々の習い事と
しての刺繍の広がりを思うと、物足りなく感じます。ただ、各地の
織物技術、染色技法など、そのままにしておけば失われるかもしれない
伝統工芸品を、このような多くの鑑賞者が目にする場で、展示する
ことの意義も、本展を観て改めて感じさせられました。



2015年10月9日金曜日

漱石「門」における、宗助と御米の諦観について

2015年10月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第十四回)に、宗助と御米の家庭生活を支配する、諦めの念や、何かを
耐え忍ぶような感情をうかがわせる、次の夫婦の会話の記述があります。

「 「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と
思い切って投げ出してしまう。細君は漸く気が付いて口を噤んでしまう。
そうして二人が黙って向き合っていると、何時の間にか、自分たちは
自分たちの拵えた過去という暗い大きな窖の中に落ちている。
 彼らは自業自得で、彼らの未来を塗抹した。だから歩いている先の方
には、花やかな色彩を認める事が出来ないものと諦めて、ただ二人手を
携えて行く気になった。」

「門」が「それから」の続編的な性格を持った小説と知らない読者にとっては、
のっけから謎に満ちた物語の運びと思うでしょう。他方、あらかじめ了解の
ある私にとっては、宗助の感情に「こころ」の先生との類似性を感じます。

「こころ」から、「それから」、「門」と読み進めて行くと、漱石作品には
過去の過ちから来る罪の意識を重荷として担い続けながら、じっと耐え忍ぶ
主人公が描かれます。

また信頼を寄せる年長者の親族に裏切られるのも、「こころ」、「門」に共通
しています。

漱石の実生活の仔細を私は知りませんが、彼には頼るべき人に裏切られた
という思いがあり、人間不信の感情を常に抱きながら、その上に自らの心の
どうしようもない弱さとも向き合い、それでいて究極的には他者に対して
誠実であり続けようとする、焦げ付くような魂の葛藤があったように感じられ
ます。

2015年10月7日水曜日

龍池町つくり委員会 21

10月6日に、第39回龍池町つくり委員会が開催されました。

今回も、京都外大プロジェクトから始まりました。能戸さんの卒論企画は、
前回の委員会での討論も参考にして、まず学区内の町家の内庭などに残る
自然(緑の資産)を、聞き取り調査によって明らかにすることになり、
あらかじめピックアップしたお宅を彼女が訪ねる方法で、進められることに
なりました。

スタンプラリーは11月15日(日)開催。同時に当日、自治連合会会議室で
町つくり委員会の活動報告のパネル展示も行い、ラリーに参加する子供の
父兄にも当委員会をもっと知ってもらえるように、働きかけることになりました。

カルタプロジェクトも、ラリーの時の子供たちの訪問先、活動の様子を
写真に収め、その場面に相応しい言葉書きも考えて、それらをベースにして、
12月ごろ再び子供たちに集まってもらってカルタを作るというプランが、
杉林さんより示されました。

11月8日(日)に京都国際マンガミュージアムを会場として、恒例の龍池学区
総合防災訓練が実施されますが、町つくり委員会としては、防災訓練に
隣近所の助け合いを促進するような訓練項目を取り入れられないかという
ことで、学区の自主防災会の訓練準備会議の時にお願いしたところ、今年の
訓練ではその提案も考慮して、防災器具の使用訓練の時、町内単位で
実際に救助行動の体験をしてもらうなど、力を合わせることの大切さを
再認識してもらう一助となる訓練方法が、取り入れられることになりました。

2015年10月4日日曜日

京都市美術館「マグリット展」を観て

20世紀を代表するマジック・リアリズムの画家、ルネ・マグリットの大規模な
回顧展です。

約130点で、その不思議な世界を堪能しましたが、正直観終った後、かなりの
疲労感を覚えました。作品は一見明快で曇りなく、その実描かれた内容は
謎に包まれています。直感やイメージで作品の雰囲気を楽しめばいいと心に
言い聞かせながら、ついつい無意識に画中の謎、不条理に込められた
画家の意図を考えてしまって、疲れるのでしょう。それこそ、マグリットの
思うつぼに違いありません。

私は、シュルレアリスムの理念についても詳しくないので、以下、本展を観て
感じたことを、率直に記してみたいと思います。

まず、彼の絵の中の個々の対象が、大変精巧にリアリティーを持って描かれて
いることについて。彼の絵画のように、現実にはあり得ない事柄、光景を描く
場合、その中に配置された個々の対象がリアリティーのあるものでなければ、
その絵はちぐはぐで、破たんしたものになってしまいます。

ところで彼は、画家として自立する以前には、商業デザインを手掛けていたと
いうことなので、その影響も多分にあると思われますが、彼の絵には観る者に
対して、非日常の光景を納得させる訴求力があります。

つまりマグリットの超現実的な絵画は、この画家の個々の事物に対する鋭い
観察眼と、天性の対象把握力、その表現を可能にする画家としての技量に
よって成り立っているということです。

次に、マグリットが画中に表現する謎、不思議は、おそらくどのような方法論に
よっているのかということについて。私なりに少なくとも、その一つの謎を解く
ヒントは、画中画の風景画が周りの風景と溶け合っている作品にありました。

現実の世界では、このようなシチュエーションの絵画の背後には、それによって
隠されている違う光景が広がっているはずであり、前景を切り取り、背後を
白日に晒す、あるいは、切り取ったものをまったく別の画面にはめ込むことに
よって、現実の時間軸をずらしたり、実在しながらも肉眼では見えないものを
眼前に現すことで、人間の感覚、認識がいかにあいまいで、不確かなもので
あるかを、明らかにしようとしたのではないか?

とにかく、自らの認識を超えたところに、彼の絵画の魅力の秘密があると、
私には感じられました。

2015年10月1日木曜日

漱石「門」の中の、伊藤博文暗殺事件に対する宗助の感想

2015年9月30日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第八回)に、五、六日前新聞が報じた伊藤公暗殺事件の感想を、宗助が
御米と小六に語る次の記述があります。

「 御米は、
  「そう。でも厭ねえ。殺されちゃ」といった。
  「己見たような腰弁は殺されちゃ厭だが、伊藤さん見たような人は、
哈爾賓へ行って殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を
利いた。
  「あら、何故」
  「何故って伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。
ただ死んで御覧、こうは行かないよ」
  「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したよう
だった・・・ 」

この会話には、現代との時代の隔たりを感じます。何故なら、今の社会に
生きる我々なら、国際舞台で渡り合う政治家の突然の悲報を、多分
このように受け止めることはないと、思うからです。

今日と比較してこの時代は、封建社会の終わりからまだ日が浅く、
アジアを取り巻く社会情勢も混沌として、誰か偉人の犠牲の上に日本が
発展して行くという意識が広く共有されていたのだと思います。

私の想像するところ、恐らく第二次大戦への道を歩む過程においても、
このような意識はまだあまねく日本人に浸透し、世論を沸き立たせる要因
にもなったのだろうと、感じます。

敗戦後の長い平和の中で、このような論理への違和感は、持ち続け
なければならないと、この文章を読んで改めて思いました。