2017年11月30日木曜日

「本谷有希子の間違う日々 何事もない光景の異様」を読んで

2017年11月27日付け朝日新聞朝刊、「本谷有希子の間違う日々」では「何事もない
光景の異様」と題して、筆者が乗った電車の車両で確かに異臭が感じられるのに、
乗り合わせた他の客は周りを気にして、誰も何食わぬ顔をしている光景の異様さ
について、記しています。

この光景を想像する時、直ぐに地下鉄に有毒ガスが撒かれた事件が思い浮かんで、
慄然とさせられます。もしその異臭が毒性のあるものであれば、その後悲惨な事態が
現出することになってしまいます。

やはり私たちが、匿名性の高い現代社会の中で、自分の身を守るためには、周囲の
状況に対する自身の感覚に敏感にならなければならない、のでしょう。

同時に車両内のこの光景は、極めて日本的とも感じられます。私たちはともすれば、
例えば自分の乗っているその車両の内部を、乗り合わせた他の客も含めて一つの
私的共有空間と把握し、空間内のお互いが相手の思いを忖度し、牽制し合って、
うかつに一人だけ行動を起こせない、あるいは自分だけ目立ちたくないという考えに、
囚われがちなのではないでしょうか?

これは村社会的な環境の中で長く生活して来た、私たちの陥りがちな心情の弊害と
思われます。

しかし一方現代の私たちの社会が、個人主義的で他者に対して無関心、自分本位な
考え方に流されやすい風潮にあるのですから、そろそろ昔ながらの心情に囚われる
のは、最早時代にそぐわないのでは、とも感じられます。

その齟齬に筆者は、ぞーっとするものを感じたのではないでしょうか?

2017年11月28日火曜日

帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を読んで

私が本書を手に取ったのは、「ネガティブ・ケイパビリティ」という初めて聞く言葉に
惹かれたからです。この言葉は、”容易に答えの出ない事態に耐える能力”という
ことを表すそうです。

私たちの日常は、簡単には答えの出ない事態に満ちています。それゆえ、このような
事態に如何に対処するかが、生きて行く上での永遠の課題であるとも思われます。

その方法をハウツー本的に伝授してくれる書物。著者が精神科医で作家ということも
あって、私は最初、そんな手軽な気持ちで本書のページを開きました。

しかし読み始めると、その安易な期待は叶うものではないと、直ぐに気付かされ
ました。

考えてみれば、人生永遠の課題の的を射た答えが、一冊の本によって直ちに示され
るなど、そんなに虫のいいことが有るはずがありません。

これこそが本書の著者が、ネガティブ・ケイパビリティを獲得することの難しさの理由
として、一般的に人の脳が安易に答えを求める性質があることを示した事実の、
端的な証左なのかも知れません。

そういう訳で本書は、著者が精神科医として日々の臨床の中から導き出した、
精神医療の現場のみならず、文学や芸術、教育、政治においても、ネガティブ・ケイパ
ビリティの能力が広く求められることを、信念を持って示す本です。

ではこの能力は、具体的にはどのようなものであるかを、本書の記述から引いてみる
と、対象に対して常に共感を持ちながら、直ぐに答えや理由を求めず、不確実さや
不思議さ、懐疑の状態に耐えられる能力、ということになります。

この能力を有すると、対象に対して先入観のない謙虚な姿勢で向き合うことが出来、
また持久力を持って取り組むことによって、気付きや閃き、さらには創造性を生み出す
ことが出来るといいます。

しかし前述のように、この能力は一朝一夕に獲得出来るものではありません。では
どうすればいいか?

本書に記された、その能力を有する人の事例から推し量ると、合理性や功利性から
離れた純粋な教養としての文学や、芸術を味わうすべを身に着け、人との交わりの
中で他者に対する共感力を高めること、であると感じられました。

何事につけても、その対極にあるポジティブ・ケイパビリティの価値観が尊ばれる
この時代、それ故にネガティブ・ケイパビリティの重要性を敢えて主張する著者の
情熱に、共感を覚えました。

2017年11月26日日曜日

何必館・京都現代美術館「近藤高広展ー手の思想ー」を観て

器に限らず現代美術作品も制作し、幅広く活動する陶芸家の展覧会です。

近藤の作品は、現代美術の展覧会で数点を観たことがあって、興味を覚えました。
祖父は染付の人間国宝近藤悠三で、実は私が店に入ってすぐの頃、白生地を
注文頂いて、お宅を訪れたことがあります。

もう30年以上前のことですが、お宅は門から奥まったところにあって、入り口まで
一羽のアヒルが迎えに出て、通路をお尻を振りながら先導して案内してくれたことが、
今でも鮮明に思い出されます。そのお孫さんの作品に惹かれることも、何かの縁かと
感じました。

さて展覧会場に入ると、「Reduction」という坐像の陶芸作品のシリーズが出迎えて
くれます。おそらく同一の形に、素材を変えるなどして造形された人型の座像が、
釉薬や焼成方法も変えて制作されていますが、それぞれの作品の表情がまったく
違っていて、驚かされました。陶芸では同じフォルムでも、制作方法を変えることに
よって、これほど作品が醸す雰囲気が一変するものなのかと、改めて感じさせられ
ました。

私は個人的には、その中でも釉薬を用いず素焼きされた、白の地肌に焦げ色が
表情を作る坐像が、人間の普遍的な業を一身に体現しているようで、印象に残り
ました。

今回の展覧会のメインの白磁大壺は、私には技術上のことが分からないので、
その個々の地肌の微妙な表情と、形の微かな歪みが醸す存在感ぐらいしか感じ
取れませんでしたが、焼成で自然に裂け目が出来た大壺をそのまま作品とした
「創」という作品に、強い感銘を受けました。

その作品は、もはや壺としての役割は果たさないけれど、この裂け目が創り出す
造形の美しさ!それは現代美術作品として、傷のない壺より完成されている
ように思われました。発想の転換の妙。現代美術も手掛ける近藤の面目躍如と、
感じました。

オブジェ、茶碗では、私が最初に興味を持った銀滴彩を用いた作品が、やはり
魅力的でした。

2017年11月24日金曜日

梯久美子著「狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ」を読んで

随分以前に読んだ「死の棘」、読んでいる間終始重い気分に囚われながら、夫婦の
絆とは何かという普遍的な問いに、一つの示唆を与えてくれる作品として、深く心に
残っています。

その記憶に触発されて本書を手に取った訳ですが、何分記憶が薄れているところも
あるので、手探りで「死の棘」を思い起こしながら、この本の記述を追うことになり
ました。

本書では「死の棘」で描かれた世界の前提として、第二次大戦下の加計呂麻島での
ミホとトシオの運命的な出会いから、その背景を含め丁寧に語られていますが、この
部分で私の印象に残ったのは、ミホを始め島の住民は、大日本帝国海軍の特攻艇
隊長であるトシオに島を守る英雄の姿を見ているが、現実は日本軍にとってこの島
は本土を守るための捨て石であり、隊長である彼も米軍進攻の最終局面では、
島民に自決を促すことを求められており、このミホとトシオの互いを見る目のギャップ
が、二人の戦後の夫婦生活に濃い影を落としていることです。

こういうこの夫婦の、極限下の馴れ初めを巡る深く掘り下げた視点を導入すると、
「死の棘」という夫婦の絆を描く小説が、一気に現在にも通じる日本の本土と南島の
歴史的軋轢、支配被支配の関係性を浮かび上がらせることになります。本書に
よって、「死の棘」をより奥行き深く読む視点を与えられた気がしました。

また小説「死の棘」で描かれるミホとトシオの修羅の発端となる、彼の不倫の事実を
記した日記の記述を彼女が見て狂乱する場面の考察では、ミホが夫の不実に
すでに感づいていながら、改めて文字として目にすることによって、あたかも堰を
切るように精神の均衡が崩れた理由の説明に、彼女もまた夫と同じく小説家としての
資質を有していたこと、さらにはトシオが、行き詰まった自らの創作活動を打開する
ために、あえて妻に自身の不倫を記した日記を見せて、彼女の反応を小説の題材に
しようとした可能性に触れた部分に、このお互いに鋭敏な文学的資質を抱える夫婦の
哀しい性、またこの稀代の名作「死の棘」が、文字通り二人が身を削って共作した
小説であることを実感して、再び深い余韻に浸されました。

文学の創造とはかくも過酷なものであり、また優れた評伝とは、主人公の体温や
息づかいまで伝えるものであることを、感じさせてくれる好著です。

2017年11月21日火曜日

ジャファル・パナヒ監督映画「人生タクシー」を観て

あのアッパス・キアロスタミの愛弟子で、現代イランを代表する映画監督ジャファル・
パナヒの「人生タクシー」を観ました。2015年ベルリン国際映画祭の金熊賞、
国際映画批評家連盟賞の同時受賞作です。

この映画のすごいところは、パナヒ監督が反体制的な創作活動によって、当局から
2010年より20年間の映画監督禁止令を受けながら、なおかつ当地に留まり撮影した
映画であるということです。

今回の作品ではパナヒはこの命令を逆手に取って、自らテヘランの街のタクシー
運転手に扮して、車載カメラの映し出す乗り合わせた客の生態を通して、厳しい
情報統制下のたくましい庶民の姿を活写します。

まず驚くべきは、このような状況でも、体制側の監視の目をぎりぎりのところで
かいくぐって映画を撮ろうとする、監督の並々ならぬ情熱、撮影手法の巧みさで、
過去の歴史の中で幾多の表現者が弾圧される報道を目にして来た私たちは、
この勇気と知恵を併せ持つ監督に拍手を送らざるを得ません。

また同時にこの秀逸な企てが、世界中の今なお困難な境遇に置かれた人々に
励みを与えることを、信じたくなるのです。

このような制限の下に制作されたこの映画は、その性格上フィクションと
ノンフィクションのあわいを描き出すような、巧妙な演出がなされています。

冒頭パナヒのタクシーに乗り合わせた女性教師と、たくましそうな男とのイランの
死刑問題を巡る激論。その生々しい議論は、現場に立ち会うような臨場感を醸し
出しますが、この男が降り際に自分の仕事が強盗であると告白すると、にわかに
虚構に接する思いが増して来ます。

ただ単に、カメラが捉える現実をモニターしているのか?それとも巧みな演出に
よって、観客が現実と錯覚しているのか?本当のところは無論、明らかにされ
ませんが、映像表現におけるフィクションとノンフィクションの境界の曖昧さに
ついて、改めて考えさせられました。

余談になりますが、私たちには馴染みの薄い乗り合いタクシーの魅力にも
気づかされました。

さて数々の乗客が登場して、運転手との意味深長なやり取りが繰り返される中で、
監督の小学生の姪役に扮するおませな女の子が、車窓から自分の映画を撮ろう
という名目で貧しい男の子にカメラを向けていた時、彼が拾った金を持ち主に
返そうとしないのは、自分の撮影の想定に合わないと憤慨するシーン。

パナヒ監督が、いかなる状況でも自分本位の思い込みで映画を撮っては
いけないと、メッセージを発しているように思われて、極限下の彼の誠実さに、
清々しさを感じました。

2017年11月19日日曜日

「後藤正文の朝からロック 頭にも効く?「白湯健康法」」を読んで

2017年11月15日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では
「頭にも効く?「白湯健康法」」と題して、人が往々に陥り易い、人生の中で成長と
老化を分化する考え方に疑問を呈しています。

「白湯健康法」の効能はともかく、私たちがともすれば、人生の場面場面で、成長と
老化を別個の価値基準で考え勝ちであるという主張には、はっとさせられました。

若い時分には、自分の心身に成長の余地があるなどとはとても思えなくて、現状が
変わらないことへの苛立ち、焦燥感に常に苦しめられて、急き立てられるように
日々が過ぎて行ったものですが、私自身60歳を越したこの時点で、成長と老化の
分化というと、無論老化に重きが置かれます。

肉体的にも人生はこれから下り坂、要は如何に老化を遅らせて余命を息災に
過ごせるか?健康についての関心事は、どうしてもそちらに傾きます。

勿論それは重要なことで、健康な状態を長続きさせることは、以降の人生を
有意義なものとする確率を高めます。

しかし他方健康ということだけに絶対的な価値観を置くと、老化は目の敵になり、
自身の心身にその兆候を見つけることは、悲嘆につながります。

さらには、今現在はある程度の健康を維持していても、これからの人生を老化の
一途と規定すると、先に見えて来るのは絶望だけということにも、なりかねません。

でもこれから待ち受ける人生の道のりで、肉体は衰えて行っても、経験や知識が
蓄積されることによって、私たちの思考や感受性は、まだまだ成長して行く余地が
あると考えたら、どうでしょうか?

人生にはまだまだ希望があり、楽しみがある。楽観的かもしれないけれど、そう
考えて日々を過ごせたらと、改めて思いました。

2017年11月17日金曜日

浅田次郎著「帰郷」を読んで

あの戦争に翻弄された人々の生を静かに見詰める、第四十三回大佛次郎賞受賞の
短編小説集です。

第二次世界大戦の終結から70年以上の時が経過し、戦争を体験していない人が
大半を占めるようになり、その体験の風化が言われて久しい今日、戦後生まれの
著者があえて戦争を語ることの意味は大きいと思います。

なぜなら、負の記憶として埋もれて行こうとするものを、戦後の非戦の価値観に
則って、新たに掘り起こすことになるからです。

今全編を読み終えて深い余韻を伴って感じるのは、あの戦争がその時代を生きた
庶民にとって日常の体験であり、実際に従軍した人々のみならず、銃後を守った
人々、その直接の影響を被った次世代の人々に至るまで、心に哀しみという強い
刻印を残したことです。

しかしそれほどに人の運命をもてあそぶ悲惨な出来事であっても、悲しいかな
私たちは、直接の影響関係が薄れるに従って、忘却の彼方へと追いやってしまう。
その点からも、あの戦争に心身を傷つけられた人々の想いを、自身に引き付けて
追体験出来る本書の意味は大きいと感じます。

「歸鄕」は、庄屋の長男がようやく戦地から引き揚げてみると、戦死と思い込んだ
周囲の画策で、すでに彼の妻と弟が再婚して家を引き継いでいるために自宅に
帰るに帰れず、、茫然とする中で街娼と結ばれ、生きる希望を見出す物語です。

「鉄の沈黙」は、ニューギニアの激戦地である砲兵が上陸から、敵軍の激しい攻撃
により命を散らせるまでの、束の間の時間を描く物語です。

「夜の遊園地」は、父を戦争で失い、遊園地でアルバイトをしながら大学に通う
苦学生の青年が、母の再婚を心から受け入れるまでの物語です。

「不寝番」は、集合訓練の不寝番に立つ、明日射撃競技会に出る自衛隊員が、
時空を超えて戦争中の不寝番の兵士と出合い、射撃の極意を伝授される物語
です。

「金鶏のもとに」は、心を深く傷つけて復員した兵士が、戦後の困窮の中を生きて
行くために、自らの意志で片腕を切断して傷痍軍人となり、物乞いで生計を立てる
物語です。

「無言歌」は、海底に沈み、航行不能の潜水艦の中で、二人の若い海軍中尉が
酸素が尽きるまでまどろみ、夢を語り合う物語です。

2017年11月15日水曜日

鷲田清一「折々のことば」928を読んで

2017年11月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」928では
自ら設計した郊外のニュータウン近くで、自然に寄り添う暮らしを続けた建築家
津端修一と妻との共著『ききがたり ときをためる暮らし』から、次のことばが
取り上げられています。

 僕はね、何でもまず百回を目標にしています。ときをためる暮らしの目標
 ですね。

津端夫妻の丁寧な生活を描いた映画『人生フルーツ』は、残念ながらまだ観て
いないけれど、百回繰り返すという言葉は、心に響きました。

私たちは往々に、日常の繰り返しを新鮮味のないものや停滞と考えて軽視し
がちですが、その部分にこそ人生の滋味があるのではないか?最近はそんな
ことも感じます。

なるほど人生の中のトピックや特別な出来事は、後から振り返った時強く印象に
残りますし、その人の人生の岐路にもなることがありますが、そのような非日常の
ことが特殊な機能を発揮するのは、淡々と過ぎて行く日常があればこそと、思う
ことがあるのです。

考えてみれば、私たちの生活の大部分が日常の繰り返し、私ならば朝起きて、
仕事をして、夜眠りに就く。更に仕事の内訳を見ても、お客さまと応対して、注文
をお受けし、ご要望にお応えすべく商品を準備してお納めする。しかしその日常
の繰り返しが、実感をともなって私という人間を少しづつ成長させ、私たちの店の
信用を生み出して行くのではないか?

上記のことばを読んで、日々の何気ない暮らしの大切さについて、改めて考え
ました。

2017年11月12日日曜日

「本谷有希子の間違う日々 本当の自分知ってすっきり」を読んで

2017年11月6日付け朝日新聞朝刊、「本谷有希子の間違う日々」では
「本当の自分知ってすっきり」と題して、筆者が先日ある本で、「本当の自分とは
幼い頃、友達グループのなかで選びとった役割=キャラである」という文章を
読んで、自分の幼少期を回想しながら、本当の自分を知ることの効用を語って
います。

このコラムを読んで、私もうなずかされるところがありました。

私の幼い頃の性格は、内気でなかなか自分の思いや感情を、人に伝えることが
出来なかったけれど、自意識は強く、内心はそれらを何とか人に伝えたいという
思いがあり、鬱屈した日々を過ごしていたと、記憶します。

社会に出るようになってからは、当然仕事の上からも、自らの意志を表明すべき
ことは、しなければならない立場になり、自分自身の見識や立場も固まって来た
ことから、主張すべきことはある程度の自信を持って、主張できるようになったと
自負しています。

しかし振り返ると内気な頃の私は、自己主張は苦手でしたが、その代わりに、
相手を良く観察して、その思いや意志をくみ取りたいと考えていたと、思います。

こちらの考え方を一方的に表明するばかりではなく、相手の立場にも立って、互い
が納得出来る地点を見つけることが出来れば、それこそが建設的な意思表示に
なるのでしょう。

現在の私は幼い頃の自分の延長線上にある。そのことを肝に銘じたいと思い
ました。

2017年11月10日金曜日

ダニエル・トンプソン監督映画「セザンヌと過ごした時間」を観て

私はこの映画を観るまで、セザンヌとゾラが竹馬の友であることを知りませんでした。

幼少の頃には裕福な家庭で育ったセザンヌが、異国から移り住んだ貧しい家庭の子
ゾラを助けることになりますが、成長し二人が画家、小説家という芸術の違うジャンル
を志すようになるにつれて、両者の立場は逆転します。

ゾラは苦労しながらも早くに頭角を現し、対するセザンヌは本人の非社交的で、妥協を
許さぬ性格も災いして、なかなか世に認められません。ゾラはセザンヌの才能を信じ、
経済的にも援助を惜しみませんが、そのことがセザンヌをより一層卑屈にさせ、ゾラが
画家を取り上げたある小説を執筆したことが契機となって、二人は決定的に決裂する
ことになります。

才能があっても、芸術家はいつ世に認められるかは分かりませんし、それどころか、
生前には全く評価されないかも知れません。二人の友情は、当初はこのそれぞれに
過酷な職業を生業に選んだお互いの人生を励まし、癒しをもたらすものでしたが、
二人が社会的に成功する時期がずれるという運命のいたずらが、二人の絆を修復
不可能なものにしてしまうのです。

ただしこの映画は、結果としての二人の関係の悲劇を描きながら、彼らの芸術は、
この友情が有ればこそ熟成して行ったに違いないことを雄弁に語り、その意味で
後世二人の芸術に触れて、それぞれの素晴らしい成果を十分に味わうことの出来る
私たちは、彼らの苦渋に満ちた友情に感謝しなければならないということを、示して
いるのではないかと、私は感じました。

この映画のストーリーの中で、もう一点私の気に掛かったことは、かつてはセザンヌの
恋人でありモデルでもあった女性を、ゾラがセザンヌの許しを得て妻に迎えたという
箇所で、セザンヌは生涯ゾラの妻を愛し続け、結果として結婚しなかったのではないか、
と想像させるところです。この入り組んだ事情は、二人の関係をより陰影の濃いものに
したのではないでしょうか?

2017年11月8日水曜日

龍池町つくり委員会 46

11月7日に、第64回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、京都外国語大学との新しい提携プログラム”薬祭りの復活”の最初の
取り組みとして、11月2日の薬祭り当日に、京都外大の南先生と学生さんたちが、
木屋町の一之船入から二条城まで、二条通を徒歩で一往復して実施した調査の
所感、また基礎知識として薬祭りの歴史等資料にあたり調べた結果について、、
南ゼミの学生の小川さんと栗山さんより報告がありました。

学生さんたちからは、二条通が薬種問屋と深いつながりがあり、この通りに軒を
連ねる薬屋仲間の寄り合いから、薬の祭神薬祖神を祀る神社が生まれ、薬祭り
に発展したことなど、起源、歴史、変遷について語られました。

他方南先生からは、今回実際に薬祭りの地域を歩いて実感された、二条通に
薬種問屋が少ししか存在しなくなった現状、さびれた祭りの状況などについて
の感想が述べられました。

また先生の求めに応じて、生まれた時からこの地域に暮らす委員会のメンバー
から、自分たちが子供の頃の祭りの盛況の様子などが、語られました。

中谷委員長より学生さんたちに、薬祭りの歴史について詳しく記した資料の提供
があり、それを読みより深い知識を得て、新たな取り組みの参考にしてもらう
ことが期待されます。

南先生が、このプログラムを歴史の掘り起こしにとどまらず、祭りを通じた地域の
活性化につなげたいという趣旨を述べられて、今回の報告は終わりました。

このプログラムがこれからどのように広がって行くのか、見守って行きたいと思い
ます。

2017年11月5日日曜日

「福岡伸一の動的平衡 「よく気がつきますか?」」を読んで

2017年10月26日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「よく気がつきますか?」と題して、子供の頃『ドリトル先生航海記』の一説に触発
されて、科学者を目指す者にとって、注意深い自然観察が何より大切であると
学んだことについて、記しています。

私も他でもない子供の時分、ドリトル先生シリーズが大好きで、ほとんど全巻読んだ
ことを覚えています。でも福岡のような高尚な問題意識もなく、漫然と読書をしていた
当時の私は、動物と会話出来るドリトル先生の姿にファンタジーとしての好ましさを
感じながらも、ただ空想の世界に遊んでいただけでした。

さてドリトル先生から福岡が感じ取った、注意深い自然観察という姿勢は、何も
科学者にとってだけ有用なものではなくて、私たちのような門外漢にとっても、効用
のあることだと思います。

例えば、庭や野外に佇んでいる時でも、ただぼんやりと辺りを眺めているだけでは
なく、ちょっと注意深く観察すると、草木の葉が季節によって様相を変えていたり、
花が咲き、実を付けていることに気づいたり、鳥や虫を思わぬところに発見したり、
空の雲の様子の刻々とした変化に見とれたりすることがあります。このようなことは、
一見私たちには何の利益ももたらさないように思われますが、でもこれらのことに
心を慰められ、くさくさしていた気分を変えることが出来るなら、それは十分に値打ち
のあることでしょう。

さらには私たちの日常の仕事や生活の場においても、人とコミュニケーションを
図ろうとする時などには、人間観察ということがかなり重要な意味を持つと、経験上
感じます。表情や話しぶり、所作などをじっくりと観察することは、相手が何を考え、
何を伝えたいのか、どんなことを望み、どうしてほしいのかを知るためには、欠くこと
が出来ないでしょう。

そういう観察の場合でも、福岡の説と同じように、観察者には動きを止めるような
冷静さ、注意深さが必要なのでしょう。

2017年11月2日木曜日

大丸ミュージアム京都「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を観て

水木しげるといえばすぐに「ゲゲゲの鬼太郎」が思い浮かぶ、日本の妖怪漫画家の
代表的な存在ですが、漫画のみならずその波乱の人生は、「のんのんばあとオレ」
などの自伝的エッセイや布枝夫人の著書を原作とする、NHKの連続テレビ小説
「ゲゲゲの女房」などで広く知られています。

そして私は彼の漫画作品に親しむばかりではなく、彼の生き方にも、その作品から
滲み出る思想と、ぶれぬ一貫した精神のようなものがあるのを感じ、常々好ましく
思って来ました。それゆえ本展にも、水木の創作活動の原点を知りたいと思い、
会場に足を運びました。

第一章境港の天才少年画家では、学校の図画以外の成績は芳しくない腕白少年、
同時に色々なものに対して好奇心旺盛で蒐集癖があり、近所の「のんのんばあ」
から妖怪の話などを聴いて目に見えない世界に興味を持つ、というところは
自伝エッセイ通りですが、その頃彼が描いた絵を実際に観ると、なるほど年齢に
そぐわぬ力強さと上手さで、おまけに大正時代の地方の少年の絵にしてはモダン
で、大層研究熱心と感じられました。彼には漫画の描き手としての確かな素養が
あったのです。

第二章地獄と天国を見た水木二等兵では、この時の片腕を失う過酷な戦争体験
や、戦場で生死の境を彷徨する兵士の姿とは対照的な、現地の人々の穏やかな
日常を同時に垣間見たことが、以降の彼の生き方を決定づけたことを、戦争漫画
や絵画作品を通して示しています。ここで特徴的なのは、彼が漫画において極力
戦闘体験を美化せぬ姿勢を保ち、また戦争の悲惨さを描き出すにしても、過度に
感情的にならず客観性を保持しようとしていることで、そこに水木の漫画家として
の矜持を見る思いがします。

第三章貧乏神との闘いでは、ようやく復員しても絵描きとしての生活の目途は
立たず、紙芝居作家、貸本漫画家と職を移しながら糊口をしのぐ時期を現します。
この頃の作品にはきわ物呼ばわりを恐れぬ一途さがあり、次章福の神来たる!!
の大ヒット期と合わせて、彼の人生観を揺るぎないものにすることになったので
しょう。その後の水木が50歳を過ぎた頃から意識して仕事の量を減らし、好きな
妖怪研究に没頭したこと、家族との時間を大切にしたことは、彼の人生観の
確かさ、正しさを示しているのでしょう。

彼が長年に渡り蒐集した妖怪像、精霊像のコレクションが一面に並べられた
スペースは壮観で、水木が晩年まで幸福な表現者であったことを示しています。
しかしそこに至るまでの彼の切磋琢磨は、並大抵のものではなかったであろうと、
改めて感じました。