2018年9月30日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1239を読んで

2018年9月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1239では
漫画家宮原るりのコミック『僕らはみんな河合荘』⑪から、次のことばが取り上げ
られています。

  「大人になっても〇をつけてもらいたい時が
  あるの」

ちなみに、〇はマルと読むそうです。「残念な」若者たちの下宿「河合荘」を出て、
田舎に戻り父親の会社に入った元下宿人が、河合荘に遊びに来てぐちを言い
つつ、父親をねぎらう言葉を発した時に、管理人が返したことばです。

確かに私たちもねぎらったり、ほめてもらいたい時がある。それどころか、自分の
存在や働きを誰かに承認してもらいたいために、我々は日々頑張っているのでは
ないか、と思われる節もあります。

分かりやすいように仕事という側面から考えてみると、勿論、自分自身の達成感を
求めて、仕事に精を出すという部分もあるでしょう。何か無からものを作り出す仕事
であれば、なおさらそうかもしれません。

でもたとえそのような仕事であっても、作り出したものが独りよがりであれば、それ
は結局社会の中で生かされないことになってしまうでしょう。

ことに我々の商売のような、仕入れ先や職人とお客さまをつなぐ仕事であれば、
納めた品物を介してお客さまに満足を与え、仕入れ先とはきれいな取引をして、
職人には気持ちよく仕事をしてもらうことが、大切なこととなります。

そうであればさしずめ、それぞれの相手に笑顔を向けられたり、感謝の言葉を
掛けていただくことが、私たちにとっての〇でしょうか?それもじっくりとした人間
関係を築いた上での、心からのものであれば言うことはありません。

2018年9月28日金曜日

京都国立博物館「池大雅 天衣無縫の旅の画家」を観て

江戸時代中期に京都で活躍した画家では、伊藤若冲、円山応挙の作品には展覧会
などでよく親しんで来ましたが、池大雅はその名はよく知るものの、まとまった作品を
目にすることがありませんでした。そのため今回の85年ぶりの大規模回顧展には、
期待を持って会場に足を運びました。

先に記したように、私は池大雅の絵画というものに対する漠然としたイメージさえ
持っていなかったので、全体を通して観て大変新鮮でしたが、大まかな印象として、
山、岩の表現に代表されるように形が柔らかく、伸びやかであること、水墨描写が
主で彩色はあくまで控えめ、何ものにも囚われない流動的な気分を醸し出すこと、
が目につきました。

最近人気の若冲に比べて一見インパクトが少なく、訴求力が乏しいように感じられ
ますが、じっくり観ると自身が画中に佇み、登場人物と一緒に風景を愛で、交友を
楽しむ感興が湧いて来て、当時の絵画の王道はこれではないかと思われて来ます。
それほどに、私たちが積み重ねて来た文化の源流の一地点に立ち返らせてくれる
ような趣きを持つ作品でした。

ではなぜこのような感興が催されるのか考えてみると、大雅が中国の書、絵画に
造詣の深い教養人、いわゆる文人であり、体制の思惑を離れて彼ら文人によって
営まれた文化こそが、当時の一つの主流だったからではないかと思われて来ます。

実際に今展の出品作を観ていると、彼はまず書家として頭角を現し、絵画は中国
伝来の手本を通して研鑽を積みます。彼の画にはしばしば讃と呼ばれるその画を
讃える、あるいは注釈する詩文が添えられていますが、彼の画に親しい文人が讃を
寄せ、仲間の画に彼が讃を返すことによって彼らは交友を重ね、互いに影響し、
知識や技量を高め合っていたと思われます。

私が本展を観てもう一点興味深かったのは、大雅の画に讃を添えた人物や書簡の
宛名などに、当代一流の知識人、文化人の名を見つけたことで、文人の親しい交流
が彷彿とされ、和やかな気分に浸ることが出来ました。

晩年の大雅は画境を一段と深めて行きますが、その主要な要因として、彼が生涯
に渡り旅を重ねたことを忘れることは出来ないでしょう。事実、旅先の風景を描いた
優れた作品を多く残しています。

後期の代表作の稀有壮大さ、悠久の時の現出は、旅によって培われたものと切り
離して考えることは出来ないでしょう。

2018年9月26日水曜日

荻野慎階著「古生物学者、妖怪を掘る」を読んで

古生物学者と妖怪という、一見ミスマッチな取り合わせが面白く感じられて、本書を
手に取りました。

科学的な手法で物の怪や妖怪の正体を探るとでも言うのでしょう。でも、著者の
実際の探求の道筋や結論は説得力があり、多くの点で納得させられる思いが
しました。

怪異や妖怪の正体の多くが、自然現象や古代の生物の化石など、昔の人々に
とって人知の及ばない不可解なものとみなされた現象や物体のことで、そのように
受け止めることで、人々は恐ろしいなりに心の均衡を得ていたのかも知れません。

しかしそのもの自体の正体が分からないなりに人々の観察眼は鋭く、後々の
科学的思考法の萌芽を見る思いがします。昔の人もなかなか侮るなかれ、と感じ
ました。

著者の推論の中で私にとって特に興味深かったのは、古代のゾウの頭部の化石
が一つ目の入道とみなされただろうことと、クジラ、イルカなどの海棲動物の骨格
化石が一本足の妖怪とみなされたのではないか、という部分でした。

目の前に現実にあるものが正体不明で、雲をつかむような存在である時に人は、
一体そこから何を想像するのか、私たちがUFOや宇宙人を思い描くのにも通じる、
人間の空想力に思いが及びました。

さて古生物学者が化石を復元する時にも、このような想像力がものを言うことを
知って、科学というものの根源には夢を見る力が大きく働いていることに、改めて
気づかされる思いがしました。

2018年9月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1234を読んで

2018年9月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1234では
文明と接触をもたないアマゾンの先住民「イゾラド」の記録を制作して来たNHK
ディレクター・国分拓の近著『ノモレ』から、先住民の次のことばが取り上げられて
います。

  私は、今とずっと後のことだけを考えてい
  る。だから、明日の約束はできないが、百年
  後の約束ならできる

百年後の約束なんて、私たちには最も不可能な、途方もない約束のように思われ
ます。出来るのはせいぜい、息災で生きていられそうな年月までの約束でしょう。

でも我々の先祖を含め、神仏の功徳を切実に信じていた頃の人々は、後世を頼む
という意味でも、百年後の世界を思い描いていたのかもしれません。

ですが現代の生活状況に則して考えるなら、百年後の約束が出来るということは、
本当に凄いことだと思います。何故ならこの長い年月を見通せるだけの、確固と
した信念と自負を持っているということですから。

私たちは往々に、霞を通したような状態でしか予想の付かない、近い将来のことを
悲観的に考えて不安になったり、気分的に落ち込んだりします。あるいは社会の
移り変わりの激しさを達観して、肯定的な未来を想像することを断念してしまって
いるのかも知れません。

社会システムにしても個人の思いでも、人と人の善意の絆によって受け継がれ、
百年後が思い描ける環境が整うなら、それが今日のような社会でも我々が未来を
信じて生きていける唯一の方策ではないかと、このことばを読んで感じました。

2018年9月21日金曜日

「福岡伸一の動的平衡 「過剰さは効率を凌駕する」」を読んで

2018年9月20日付け朝日新聞朝刊「福岡伸一の動的平衡」では、「過剰さは効率を
凌駕する」と題して、生命現象が〝想定外〟の事態に対していかに対処しているか
ということについて、語っています。

まず免疫システムにおいては、病原細菌、新奇なウイルス、化学物質などの侵入に
対処するため、DNAのランダムな組み換えと積極的な変化によって、百万通り以上
の抗体を準備し、この中のどれかが役に立てばいいという態勢を取っているといい
ます。

またヒトの脳は生まれた後、神経細胞同士がさかんに連合して積極的にシナプス
結合を形成し、過剰なネットワークを作って環境からの入力を待ち構え、よく使われ
たシナプスは残り、使われなかったシナプスは消え、10歳ごろまでにそのシナプス
は半減するということです。

途方もない年月の激しい環境変化に耐え、一見効率が最優先であるかのように思
われる生命現象が、贅沢ともいえる過剰な準備を前提にこのようなシステムを作り
上げていることに、驚かされます。

しかし考えてみれば自然界においても、生命の多様性の上に良好な環境が作られ
ていて、その一つのピースが欠けると環境破壊が進むということも、よく知られて
いる事実です。潤沢に準備して想定外に備えることによって得られる柔軟性は、
生命現象持続の重要なキーワードなのでしょう。

ヒトの脳の幼年期における必要以上のシナプスの準備も、より複雑な環境に順応
出来る能力を醸成するためであることは明らかですし、無駄に見えるものが実は
無駄ではない、ということなのでしょう。

我々現代人は、経済活動などにおいて効率化が至上の価値のようについつい考え
勝ちですが、当の私たちの体内の生命を持続するシステムが、ある意味過剰さを
信奉しているという現実を知って、少し考え方を改めるべきなのかもしれません。

2018年9月19日水曜日

国立国際美術館「プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画」を観て

プーシキン美術館が所蔵する、17世紀から20世紀のフランスの風景画65点を展観
する展覧会です。

まずフランス近代風景画と限定してこれだけ充実した展覧会が企画出来る、プーシ
キン美術館のコレクションの質の高さに、改めて驚かされます。

さて風景画というジャンルが、宗教画や肖像画などに比べてかなり遅れて確立された
という影響もあって、17世紀から20世紀までを年代順に括って観て行くと、風景画の
変遷や発展がよく見えるように感じられました。

つまり17世紀の風景画は、かつて風景というものが他の主題の背景に過ぎなかった
名残を残すように、同じ風景画にしても神話の場面や人々の生活、廃墟などを描き
込むことによって、物語性を伴うように表現されているように感じられます。

しかし時代を下るにつれて風景そのものの美しさや抒情が、画家をキャンパスに向か
わせる動機となって行くように思われます。更には近代化の進展が、都市風景を描く
風景画を生み出し、都市郊外を愛でる絵画を生み出して行きます。そして20世紀の
風景画の多くは、画家本人のフィルターを介した独自の作品になって行くように感じ
られました。

各時代に魅力的な風景画が沢山ありましたが、今回とくに私の印象に残ったのは、
20世紀の風景画からアンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」でした。

この独特の絵画は、画家が植物園の情景などから想を得て、想像力だけで熱帯の
ジャングルを描き上げたといいます。そのためか現代のイラストや絵本の世界に
通じるような、一見鮮やかな原色を使った動きの少ない平面的な描写でありながら、
神話的世界のような重厚感、奥行きがあり、一度見ると脳裏に焼き付く作品です。

2018年9月17日月曜日

末木文美士著 ミネルヴァ日本評伝選「親鸞」を読んで

私は浄土真宗の門徒ではありませんが、宗教家としての親鸞には興味があります。
なぜなら彼は、キリスト教におけるプロテスタンティズムの立役者マルティン・ルター
に比肩されることもある日本仏教の改革者と目され、更に彼の創始した浄土真宗
は、現代日本の仏教界で最多の信者を擁するまでに発展を遂げているからです。

また彼の既存仏教改革の意志が体制側の反発を買い、師に当たる法然共々一時
流罪に賦されるなどその起伏に富む生涯が、私の彼の思想への関心を掻き立てる
のかもしれません。

さて本書は、冒頭に記されているように、評伝を著すにあたり親鸞本人の生涯の
記録や著作が少なく、反面親族や後継者の著述が多く残されていることから来る
解釈上の偏りや、また彼を巡る近代以降の言説の合理的な価値観に則した理解
の弊を避けるために、彼の生きた中世という時代に寄り添い、文献は本人との
距離や立場を考慮しながら、出来るだけ客観的な解釈を試みる方法が取られて
います。

それゆえ原典の記述や仏教用語が多用され、古文や仏教の知識が乏しい私には
かなり難解でした。どこまで理解出来たかははなはだ心もとないのですが、以下に
感想を記してみたいと思います。

まず最初に印象に残ったのは、中世の人間にとって夢というものが、生きて行く上で
大きな意味を持っていたということです。親鸞が法然の門下に入るきっかけとなる
六角堂の夢告は、私は従来宗派の開祖に相応しい象徴的な出来事と感じて来まし
たが、中世の人の人生における夢の比重に照らせば、彼自身の将来を確定する
必然的な出来事と納得させられる思いがしました。

私たちが合理的なものの考え方を獲得することによって失った、人間の元来持って
いた無意識の世界との親和性に、しばし思いを馳せました。

仏教の革新ということについても、彼の求めたのは既存仏教の断絶ではなく、新たな
価値を付け加えることであったと思われます。しかし彼の教義が継承される上で、
それぞれの後継者の思惑により、あるいは教団を維持するための時代による要請
が付け加えられて、更には彼の思想を援用する人間の都合の良い解釈が賦与され
て、現代における親鸞のイメージが形作られていると感じられました。

本書を読んで、宗教思想というものが人間の生の長い蓄積の中で変容を遂げるもの
であることを、強く感じさせられました。

2018年9月14日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1225を読んで

2018年9月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1225では
17世紀フランスの哲学者パスカルの『パンセ』から、次のことばが取り上げられて
います。

  わずかのことがわれわれを悲しませるので、
  わずかのことがわれわれを慰める。

確かに私たちの心は、常に揺り動かされています。

例えば、あることを決断したとしても、それが確信のないことであれば、その後
果たしてその選択で良かったのか、と往々に不安が頭をもたげて来ますし、そう
いう場合に得てして決断が揺らぎ、決定を覆して後々後悔することにもなります。

また、私たちの心は絶えず満ち足りた思いや不満、うれしさや悲しさの中に揺れ
動いていて、一点にとどまることがないように思われます。

美味しいものを食べるとか、素晴らしい音楽を聴き、心を動かされるような絵画に
巡り合うなどという、何も特別な体験がなくとも、ちょっとした人の親切や優しい
言葉に触れ心を和ませられ、可憐な花や可愛い小動物の仕草に思わず笑みを
漏らしたり、一瞬のうちに幸福な気分になることがあります。

逆に、心無い言葉を掛けられたり、自分の言動が人を傷つけたのではないか
と感じられたり、何かの拍子に孤立感に囚われると、急に心が沈み、落ち込んで
しまうこともあります。

そのように揺れ動く心をなるべく平静に保つには、出来ることなら少しだけ満ち
足りた思いを持続させられるようにするには、その秘訣はなかなか難しいことでは
ありますが、何事をもポジティブに捉えるように心掛けることではないか、と最近
考えるようになって来ました。

2018年9月12日水曜日

龍池町つくり委員会 55

9月11日に、第73回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、本来当委員会の定期会合は、第一火曜日に開催されることになっています
が、9月の第一火曜4日はご存知のように、台風21号の接近が予想され、京都国際
マンガミュージアムもあらかじめ休館が決定したので、今月の委員会は第二火曜日
の11日に開催される運びとなりました。

この事態は当委員会発足後初めての異例のことで、今年の7、8、9月が近年にない
異常気象であったことが、改めて感じ取れます。地球温暖化に伴って、これからは
夏季にこのような気象状況が続くことも予想され、私たちも認識を新たにしなければ、
と感じさせられました。

中谷委員長の開会挨拶の後、今回は私からまず、学区内の大恩寺町で進めようと
しているプロジェクトの説明と報告を行いました。これは、明治時代初期に当町内に
居住していた、京都を代表する本屋の一つである風月庄左衛門の残した資料が、
京都府立京都学・歴彩館に保管されていて、その中の庄左衛門の日記を現代語に
翻訳して、読解可能にしようという試みです。

今月28日に、町内の有志が歴彩館を訪れ専門家と面会して、具体的な進め方を
話し合い、目途が立てば金銭の問題もあるので、町内住民の承認を得て、実際に
プロジェクトを始める予定であるということです。各委員からも推移を見守りたいと
いう、温かい意見が出ました。

続いて、マンガミュージアムで開催した今年の夏まつりの結果報告に移り、1700名
近くの参加者があり盛況でしたが、あらかじめ食券を販売していた売店での食べ物
の提供がスムーズに行われず、結果的に待ち時間が長かったり、欲しい食べ物が
手に入らない事態が起こった、ということでした。これを教訓として、来年に向けては
新たな方策を考えなければならない、ということになりました。

最初にも述べたように今夏は異常気象で、当学区の災害避難場所でもあるマンガ
ミュージアム内に、避難所開設準備をしなければならない事態も起こりました。この
ような事態は今後も繰り返されることが懸念され、防災という観点からも、人員、
装備も含め、再検討が求められていることを、委員会メンバーで確認しました。

2018年9月9日日曜日

「福岡伸一の動的平衡 「人間が描く”絵空事„」」を読んで

2018年9月6日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「人間が描く”絵空事„」と題して、ルーブル美術館にあるジェリコーの有名な競馬の
絵が、正確さという点では実際の馬の動きの写真のコマ撮り画像と異なっているの
にも関わらず、それ以上に躍動感があるということから説き起こして、機械は延長を
欠いた一点としての現在しか捉えられないが、人間の知性は現在を点ではなく、
未来と過去を同時に含んだ空間として考えることができる、ということについて語って
います。

私は筆者のフェルメールの絵画の解説によって、画家が科学の黎明期にカメラの
前身であるカメラ・オブスクラを使って、自然をより遠近感を伴い鮮明に捉えようと
したということに興味を持ったので、今回の話である意味対照的な、機械の目を超える
人間の目のリアリティーに、改めて感銘を受けました。

最近はAIの発達が目覚ましく、近い将来多くの人間の仕事がAIに取って代わられる
のではないかという危惧が、かまびすしく語られていますが、上記の話は、人間の能力
の再確認にもつながると感じました。

私も含め人間というものは、地球という常に一点にとどまらぬ自転運動を続ける惑星の
上で生活し、自らの肉体もたゆまぬ新陳代謝を繰り返す生命現象によって維持されて
いるにも関わらず、いやそれゆえにか、いつも生存条件の安定や、物事を静止した
状態で認識することを嗜好する存在であるだけに、今日の身の丈を超える急激な科学
技術の発達には、強い危機感や戸惑い抱いているように感じます。

人間が本来持っている想像力を信じて、科学技術に振り回されない生活ビジョンを
再認識すべき時期に、差し掛かっているのかもしれません。

2018年9月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1216を読んで

2018年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1216では
『死とはなにか』(F・シュワップ編、原章二訳)から、フランスの哲学者ヴラジミール・
ジャンケレヴィッチの次のことばが取り上げられています。

  死は生に意味を与える無意味なのです。

私は常々、哲学者とは回りくどい物言いをするものだ、と思って来ました。でも確かに
そういう思考法の方がより考えが深まり、普遍性に近づくことになるのでしょう。この
ことばも、正にそんな言葉です。

ガンジーの残した有名な言葉に、ー明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかの
ように学べ。ーというのがあります。人は限られた命であると感じる時、往々に一瞬の
生を燃焼しようと考えるものでしょうし、永遠の時があるのなら、思う存分に学ぼうと
達観するものなのかもしれません。

例えば死後の世界など存在せず、死によってもたらされるのが底なしの虚無であって
も、生きているうちに死を意識することは、その人の人生を意義のあるものにするに
違いありません。そういう点でも死は、我々にとって意味のあるものなのでしょう。

昨今は医療技術の発達や人間関係の希薄化によって、私たちにとってますます死が
見えにくいものになり、それを意識することが難しくなって来ているように思われます。
それは同時にまた命というものの尊さへの想像力をも、奪っているように感じられます。

生きることの実感を得られないということは、せっかくの有限の人生を生きて行く上で、
不幸なことだと思います。私自身もおぼつかないながらも、少しでも死や生について
考える時間を持てれば、と思っています。

2018年9月5日水曜日

京都高島屋7階グランドホール「写真家沢田教一展ーその視線の先に」を観て

私たち及びそれより年上の世代は、ベトナム戦争というと、緊張と不安の入り混じった
形相で、川に身を浸しながら必死で避難する2組のベトナム人の母子を活写した、
カメラマン沢田教一のピュリッツァー賞受賞作「安全への逃避」を、記憶の一つとして
思い浮かべるに違いありません。

しかしその写真は鮮明に焼き付いていながら、沢田の人となりや、まとまった作品は
観たことがなかったので、本展に足を運びました。

まず本展は、彼が写真家を志す過程からを家族提供の記録写真や遺品、そして勿論
彼の写真作品によって辿って行きますが、沢田が写真に係わる人生を実質上スタート
させ、また良き理解者である伴侶を得た場所が、在日米軍の三沢基地の写真店で
あったことに、彼のその後の人生を決定づける運命的なものを感じました。

沢田は裕福な生い立ちではありませんでしたが、写真店に勤務しながらふるさと青森
の原風景や、基地関係者としての特権により米軍施設や軍人家族の写真を撮ること
によって、カメラマンとしての腕を磨いて行きます。

特に厳しい自然環境の中に生を営む青森の漁民や、その家族を優しい眼差しで写し
取った作品には、彼が写真に取り組むスタンスの原点のようなものが感じられて、彼
の作品世界への理解が深まった思いがしました。

東京に出てUPI通信に勤めることになった沢田は、次第にベトナム戦争の戦場撮影
へとのめり込んで行きますが、彼が戦場で有利なポジションで写真を撮影することが
出来たのは、三沢基地時代からのつてで米国系の通信社に勤務していたからという
指摘もあります。

しかし本展で彼の戦闘場面の写真を観ていると、米軍の側から撮影しながらも客観的
なスタンスを保ち、戦争の本質を公平な視点で写し取ろうとする姿勢が感じられます。

このような立場からの写真撮影が許されたのは、当時の米国に戦争を遂行しながらも、
まだ報道に対する公正さや自由が保持されていたからかもしれません。

更に沢田の写真には敵味方の別なく、人間というものへの優しい視点、とりわけ戦争
の一番の犠牲者である名もなき庶民の女性子供への、いとおしさを伴う眼差しがあり
ます。これらの特性ゆえになお、戦争の悲惨さ、愚かしさが鮮やかに浮かび上がるの
です。

最後に戦場を仕事場とした彼の目覚ましい活躍は、彼の妻サタの理解と献身なしには
到底成し得なかったと感じられます。彼の早すぎる死後も彼女の貢献によって、この
ような充実した展覧会が開催されたことを、有難く感じました。

2018年9月3日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1212を読んで

2018年8月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1212では
哲学者・武道家内田樹のツイッターより、次のことばが取り上げられています。

  「存在しないもの」は文化の違いを超えて、
  誰にとっても存在しないので、それがもたら
  す欠落感や悔恨や恐怖や不安は共有できる。

さすがに、我々の日常の思考から一段掘り下げた地点から発せられる、説得力に
富む深い考察だと感じます。

人が生きて行く上で、「本当に大切なものは目に見えない」というけれど、私たちは
そういうものに得てして日頃は無頓着で、でもそれを失ったときに初めて、その大切
さに気づくのに違いありません。

生み出すことは前向きの思考で、喪失は振り返りの思考。とかく前を向くことばかり
求められる今日この頃ですが、このことばは顧みることも大切であると、教えてくれ
ているように感じます。

さて私たち日本人は、「存在しないもの」だけではなく、「存在するもの」、例えば
日常に愛用する道具などにも、使い込む内に心が生じると考えて来たように思い
ます。

そのような感じ方が、道具や日用品を体の一部のようにとらえ、その存在に感謝し、
なお大切に使うという思考を育んで来たのだと感じます。

西洋的な合理主義が浸透して、そんな感覚もだいぶ失われて来ましたが、それこそ
がかつての私たちの美徳の一つであったと、思われてなりません。