2017年12月30日土曜日

高野秀行著「謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>」を読んで

納豆というとあの粘り気といい、独特の臭いといい、日本独自の食品と思って来ま
した。だからアジアの諸国でも食べられていることが、まず衝撃でした。

しかし高野秀行は、十数年前ミャンマーの辺境の村で出会った納豆と思しきものを
切っ掛けとして、持ち前の好奇心と行動力で、各地の納豆を辿って行きます。
本書では、彼の飽くなき冒険心が歯切れ良い語り口も相まって、読者を納豆の
ルーツを探る壮大な旅へと誘います。

タイ、ミャンマー、ブータン、ネパール、そして中国南部と、各国の納豆事情を調べる
旅のルポを通してまず感じたのは、それらの地域でのこの食品の食べ方が、現在の
私たち日本人の食べ方とは随分違っていることです。

つまりこれらの地域の人々は概ね納豆を調味料として使用し、出来立てを食べる
こともありますが、発酵させた大豆に香辛料を加えてすりつぶし、薄くのばして乾燥
させるなど保存性に留意し、それを他の食材と混ぜて料理を作るなり、水分で戻して
納豆汁を作るという食べ方をします。従って彼の地の納豆にも特有の臭いはあります
が、粘り気はあまりないようです。

それに対して私たち日本人は、関東では納豆にたれと辛子を合わせ、関西では生卵
と醬油を合わせるというような地方による違いはあるにしても、概ねそのまま一品と
して食べるか、ご飯にのせて食べます。それ故臭いはともかく、粘り気のある方が
納豆として好まれます。

このように現在における納豆の食べ方は、アジア、日本で違いはありますが、著者ら
が日本の納豆の歴史を調べてみると、我が国の納豆の発祥地と思しき東北地方では
今なお納豆汁を食べる習慣が残り、当初は両地域の食べ方にあまり違いはなかった
ものの、日本での食べ方に変化が起こったようです。

こうしてアジアと日本の納豆が単一ではないにしても、同時発生的な起源を持つ
だろうことが次第に明らかになって来ましたが、そのような前提の下で次に気づかさ
れるのは、アジア、日本の納豆食の残る地域が、歴史的に見て中国を中心とする
東アジア文化圏の辺境地に位置するということです。

つまり東アジアで隆盛を誇る漢民族は、過去は不明ですが長きに渡り納豆を食べる
習慣がなく、彼らから押しやられた、あるいは影響力の及びにくい辺境、島嶼の人々
に納豆食が残ったと推察されるのです。

身近にある何気ない食品から、このような冒険譚を生み出し、食文化の奥の深さを
明らかにした著者の手練はたいしたもので、同時に私も、実際にアジアの辺境地を
旅したような遥かな気分を、味わうことが出来ました。

2017年12月27日水曜日

鷲田清一「折々のことば」971を読んで

2017年12月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」971では
サンタクロースは本当にいるのかという少女の質問に、ニューヨーク・サン紙の
記者が社説で答えた『サンタクロースっているのでしょうか?』から、次のことばが
取り上げられています。

 サンタクロースがいなければ・・・・・・人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえる
 もの、手でさわるもの・・・・・・だけになってしまうでしょう。

クリスマスイブに相応しい「折々のことば」です。もっとも私たちの国では一時、
クリスマスやサンタクロースが信仰とはまったく別の、商業主義的な空騒ぎに利用
されていましたが・・・。

でも我々のようなキリスト教の信仰がない者でも、クリスマスにサンタのプレゼントを
もらって目を輝かせている子供を見るのは楽しいことですし、幼い子供がサンタの
存在を信じていることを、好ましいと感じるのではないでしょうか?

人間は大人になるほどに、目に見えるものしか信じなくなる。目に見えないものは
絵空事と見なして、現実を生きるための役には立たないと考える。これは実用的な
学問が尊重されて、教養や文芸が軽視される風潮にも通じると思います。

しかし本来人間は目に見えないものから様々なものを汲み取り、細やかな情操を
養って来たのではないか?現実的なものの見方や功利主義的な考え方は、主に
市場経済の発展に伴って、後からついて来たもののようにも感じられます。

大人になってもせめてたまには、童心に帰って空想の世界に遊びたいなんて、
見果てぬ夢でしょうか?

2017年12月25日月曜日

京都文化博物館「至宝をうつすー文化財写真とコロタイプ複製のあゆみー」を観て

本展は京都の美術印刷の老舗便利堂の創業130周年を記念した、同社の制作物
などのまとまった展示を通して、一般の鑑賞者にも分かりやすくその仕事の内容を
紹介しようとする展覧会です。

私は以前当文化博物館で、表面が尾形光琳筆「風神雷神図」、裏面が酒井抱一筆
「夏秋草図」の元の姿を忠実に復元した、同社制作のコロタイプ複製の屏風を観て、
その精巧さに感銘を受けたので、本展を観ることにしました。

とはいってもこの展覧会を観るに当たって、当初は複製品と印刷物の展示ということ
で、美術展に行くよりは多少軽い気持ちで会場に向かいましたが、実際に観てみると
期待以上に充実した内容で、複製品制作の重要性についても新たな知識を得ること
が出来ました。

まず展示の冒頭では、現在の精密な写真複製が生まれる以前には、どのような形で
古文書などが伝えられて来たかとということを分かりやすく示す例として、「日本書紀」
や「源氏物語」の筆写作品から起こしたコロタイプ複製が展示されています。

それぞれに本来の原本は恐らく最早現存しておらず、筆写による模写作品が残って
いる故に、その姿を我々が認識することが出来るということです。従って、模写作品は
失われた古文書、文化財を知るために大変重要であり、しかし他方筆写した人物の
原本解釈や主観による改変がなされていないかにも、留意する必要があるということ
です。

さて便利堂は撮影した写真から元の姿を忠実に再現するコロタイプ複製の技術を
開発し、その技術が現代の文化財複製に活用されているといいます。展示されて
いる法隆寺金堂壁画や高松塚古墳壁画の複製品の臨場感には驚かされると共に、
それぞれの元の作品が消失や劣化により本来の姿を失っているという事情もあって、
古文化財の鑑賞のためにも、研究のためにも、大変貴重であると実感しました。

これらの複製制作の技術が高度な職人技であることも含め、美術の分野における
複製技術の重要性にも、私たちはもっと目を向けなければならないと、本展を観て
改めて感じました。

2017年12月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」968を読んで

2017年12月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」968では
作家司馬遼太郎の対談集から、対談相手の法制史家石井紫郎の次のことばが
取り上げられています。

 自分が普遍的なもののなかにいるという意識がないのがいまの状況だと思い
 ます。

このことばが語られたのは司馬の生前のことなので、20年以上前のことだと推察
しますが、現在は益々この傾向が強まっていると感じます。

人間は自身の人生の中で生老病死の決定に対して制約が多くあれば、それに
寄り添いながら生きて行かなければならないという意味から、社会や他者との
つながりという関係において、謙虚になるのだと思います。

現代の私たちの暮らす社会では個人の権利や自由が尊重され、一見かなりの
自由度で何事でも自分の意志で選択、決定することが許され、また医学の進歩
や栄養摂取条件の向上によって、以前には考えられなかったほどの高齢まで
健康と寿命を保つことが出来るなど、生きることに対する自在感が高まっている
のではないでしょうか?

人は高慢になればなるほど自己中心的に考え、社会とのつながりや、他者との
関係をおろそかにしがちになるのでしょう。この場合私たちが育まなければ
ならないのは、公共心や謙虚さを伴う倫理観だと、私は考えます。上記のことば
の中の”普遍的なもののなかにいるという意識”とは、そのことを現しているのだと
理解しました。

私の仕事柄からも一言付け加えさせて頂くと、儀式というものもそういう心証を
育む役割を果たすと思います。結婚式、葬儀、贈答、年中行事など、しきたりに
そって行うことは、勿論それが過剰になり過ぎてはいけませんが、人との関係を
つなぎ、自分自身の生き方に指針を与えてくれると考えるのですが、古臭いで
しょうか?

2017年12月20日水曜日

「後藤正文の朝からロック いつかこの落ち葉のように」を読んで

2017年12月6日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「いつかこの
落ち葉のように」と題して、筆者が歳を重ねるほどに紅葉の魅力に気づくようになった
ことにかけて、老いの効用について語っています。

確かに、春の桜の一斉の開花や花弁が風に舞う情景には、美しさとはかなさが微妙な
ニュアンスを伴って同居するような趣きがありますが、春の時期のこの樹木に私たちが
抱くイメージは、圧倒的に若さだと思います。

それに対して秋の紅葉の時期のこの木の装いは、同じく美しいとはいっても、ずっと
控えめで落ち着いていて、それでいて重厚な感じを受けます。

春が相対的に生命活動が活発になる夏へと向かう萌えいずる季節で、それに対して
秋は多くの生命が休息する冬へと向かうその兆しを示す季節ということも、秋に抱く
私たちのイメージが老いというものに結び付く切っ掛けとなっているのでしょう。

私自身は昔から、春の浮き立つような華やぎや生命感の横溢は、自分の性格から
して晴れがまし過ぎて、他方しみじみと落ち着いた気分に浸れる秋が性に合っている
と感じて来ました。

若い頃にはそんな自分の性分に、周囲から取り残されるような一抹の寂しさを感じる
こともありましたが、人生も終盤を迎えつつある最近では、秋が休息前の平穏や
下降線をイメージさせるだけでなく、次代につながるような繁栄や再生を準備する
ために気づきを与えてくれる季節と感じられて、益々秋に対する親和感が強まって
来ました。

本日の筆者のこの文章を読んで、そんな思いを再確認した次第です。

2017年12月17日日曜日

清野恵里子著「咲き定まりて 市川雷蔵を旅する」を読んで

着物の取り合わせを巡る著作が多く、雑誌のエッセイなどでも活躍され、何より
私たちの店にとっては、誂え染め帯揚を通して一般のお客さまとつながる契機を
与えて下さった、清野恵里子さんの待望の新刊が出ました。

数年前に本書の構想を伺った時には、常日頃清野さんといえば着物、古美術、
工藝への造詣の深さが思い浮かんだので、清野さんと市川雷蔵がすぐに結び付き
ませんでしたが、それ故清野さんがあの往年の映画スターの魅力をいかに描き
出されるのか、急に興味が膨らんで来ました。

さて私自身は、市川雷蔵というとすぐに眠狂四郎の円月殺法が思い浮かびますが、
残念ながら彼の映画を実際には観たことがありません。従って本書について
あれこれ語ることは適当ではないかも知れませんが、しかし未だ雷蔵映画を体験
していない人間が本書を通して初めて彼を知り、そこから感じ取った彼の俳優と
しての人となりと、当時の映画界を巡る時代背景を語ることも多少の意味があるか
と考え直して、以下の文章を綴ることにしました。

まず先に記した通り、私は市川雷蔵といえば眠狂四郎というように、従来彼の演じる
役柄に強烈な個性をイメージしていたので、彼が往時のスターに相応しい一貫した
キャラクターを演じ通した役者だろうと、思い込んで来ました。

ところが本書で、日本映画黄金期の大映の看板スターであった雷蔵は、観客の渇望
に答えるべく現在では想像もつかぬほどに量産された映画に出演し続けなければ
ならず、プログラムピクチャーと呼ばれる作品を中心に、15年間ほどの俳優生活で
何と150本以上の映画に出演したことを知りました。

しかも時代物、現代物を問わず研究熱心で工夫を凝らし、それぞれの役柄に没入し、
多くの作品で観客の脳裏に焼き付く個性的なキャラクターを演じ別けたのです。
本書の場景が眼前に広がるような記述と、豊富な場面写真から雷蔵の数々の
代表作を思い浮かべて、彼の役者としての天分に納得させられる思いがしました。

彼は肝臓がんのため37歳で急逝する直前まで、急激に斜陽化し始めた映画興行に
対する危機感から、自ら劇団を立ち上げ、映画界、新劇界を横断した新しい演劇の
上演を模索します。返す返すも、彼の早すぎる死が惜しまれます。

本書は、カバーの雷蔵のポートレート、見返しの早水御舟の「墨牡丹」が印象的で、
映画本編からキャプチャーした豊富な写真がページを彩る、贅沢な作りです。この本
を読んで今度こそ、雷蔵映画を一度観てみたいと思いました。

2017年12月16日土曜日

板尾創路監督映画「火花」を観て

この映画はお笑い芸人の世界を描き大きな反響を呼んだ、又吉直樹の芥川賞受賞
小説が原作で、私がその作品を読んで強い感銘を受けた上に、しかも監督が芸人
でもある板尾創路ということで、期待感を持って映画館に向かいました。

映画のストーリーはほぼ原作に忠実で、この作品の成功の秘訣は一重に、漫才に
並々ならぬ情熱を持って打ち込みながら、不幸にして笑いの感覚が世間とずれて
いる神谷と、その神谷に心酔し、自らも理想の漫才表現を求めて苦闘する徳永
という二人の売れない芸人で、師弟関係にある主人公役の俳優たちの演技力と、
それを引き出す演出に限られると思っていましたが、特に徳永役の菅田将暉は
秀逸であると感じました。

漫才を知り尽くした板尾監督の面目躍如と感じさせられたのは、原作でも一つの
見せ場である公園で太鼓を演奏する男と二人が遭遇する場面。太鼓のリズムに
合わせて掛け声を上げながら神谷が躍り出し、つられて徳永も踊ると、空はにわか
に描き曇り、雷鳴が響き、雨が降り出します。

このシーンは、漫才の間や掛け合いの極意を示してくれているようで、私はこの場面
に監督がこの映画で訴えかけたかった事柄が、凝縮されているように感じました。

少し予想外かも知れませんが、このシーンを観て私はすぐに、宮崎駿監督作品
「となりのトトロ」の中の、夜中に庭で植物の発芽を促すために五月やトトロたちが
祈りながら躍る場面を連想しました。いずれも新しいものが生まれる瞬間を象徴して
いるのでしょう。映画「火花」の中でも語られていますが、漫才にしても映画にしても、
その連綿と続く歴史の一つのピースとして、現在の営みがあるということを暗示して
いるのかも知れません。

この映画は、笑いの深いところを探究する少しマニアックなところがありますが、私は
十分に楽しめたと感じました。

2017年12月14日木曜日

鷲田清一「折々のことば」953を読んで

2017年12月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」953では
探検家、ノンフィクション作家の角谷唯介の『探検家の憂鬱』から、次のことばが
取り上げられています。

 冒険の現場というのは概ね退屈で、冒険に行くだけでは面白い文章が書けない
 ことが多い

私は自分では生涯体験できないような、秘境、危険地帯に果敢に足を踏み入れる
冒険家のノンフィクション作品を読むのが好きで、角谷の『空白の五マイル チベット、
世界最大のツアンポー峡谷に挑む』も読んで、胸躍らされたものです。

その件の冒険家が上記のようなことばを語るなんて、正直意外でした。

でも考えてみれば、冒険の現場でも映画や小説のように次々と特別な出来事が
起こる訳ではなく、徒歩、登攀というような地道な肉体的苦行の末に、幸運に恵ま
れれば目的地にたどり着く、或いは踏破することが出来る、ということなのでしょう。

では冒険家が素晴らしいノンフィクション作品をものにするためには、読者を惹き
つけるに足る、どのような目新しい発想で、話題性のある冒険を敢行することが
出来るか、またその冒険で自身が実際に経験した事柄を、自らの豊富な体験に
裏打ちされた知識や、鋭敏な感性をもって、いかに読者の心を打つようように表現
することが出来るか、ということが大切なのでしょう。

さて上記のことばについて、鷲田清一がコメントしているように、私たちの日常も
特別な事件は滅多に起こらず、ただ淡々と経過して行くだけです。でもその日々の
営みの中に、小さな喜びや感動を見出すことが出来れば、どれ程人生が満ち足りる
か・・・。私がこのブログを続けているのも、そんな想いがあるからなのでしょう。

2017年12月12日火曜日

京都国立近代美術館「泉/Fountain 1917-2017」を観て

今年がマルセル・デュシャンの《泉》誕生100年ということで、京都国立近代美術館では
所蔵するこの作品を一年間展示し、併せて現代美術家によるデュシャン解読の作例を
加えながら、現代美術のエポックとも言える《泉》について考える、レクチャーシリーズ
が開催されています。

この興味深い企画を新聞で知り、足を運びました。現在はシリーズのCase4として、
ウェールズ出身のペサン・ヒューズの、デュシャンを巡る思考過程をマインドマップと
して提示するプロジェクトが、併せて開催されていました。

A4用紙に記された、夥しいデュシャンの言葉や作品についての調査メモ、ドローイング
は、外国語の苦手な私には正直ほとんど解読不能でしたが、ただ眺めていても、
デュシャンの生み出した当時先鋭的な作品たちが、西洋美術の歴史的な流れに裏打ち
された思考から生まれたものであることは、理解できました。いやそれ故にこそ、革新的
であったのでしょう。

さてこの企画の展示スペースのメインに据えられた《泉》は、黒い展示台の上に
どっかりと鎮座しています。しげしげと観ると、一昔前の武骨な白い男性便器が、管を
外されて仰向けに置かれ、丸裸で投げ出されているようにも見えます。

つまり便器としての機能は全く奪い取られて、おまけに美術品の役割を担わされている
のは、この便器にとっては至極迷惑のようにも感じられます。

この寄る辺なさ、きまり悪さが、美術という高尚なものへのアンチテーゼであるばかりで
なく、他方この便器が生来有する機能を追求したデザイン性を、その一点において優美な
ものとして評価するなら、十分に鑑賞に耐える作品という見方も出来るのではないでしょう
か?

改めて実物を観て、二律背反的なものとしての謎は、ますます深まりました。

2017年12月10日日曜日

美術館「えき」KYOTO 「これぞ暁斎!世界が認めたその画力」を観て

幕末から明治にかけて活躍した絵師、河鍋暁斎の本格的な展覧会です。

暁斎の作品は幾度か美術雑誌で見たことがありますが、何か戯画、きわ物を描く画家
というイメージを持って来ました。本展では、作品を網羅的に紹介するということで、
その画業の全容を知ることが出来たらと考えて、会場に足を運びました。

まず本展出品作は全てイギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏のコレクションで、
その充実した内容から江戸期の浮世絵など日本絵画が、明治以降国内よりまず
海外で評価されたという事実の流れを汲み、暁斎の作品も真っ先に外国人を魅了した
ことが、見て取れます。

これは江戸から明治に移る社会の動乱や、西洋的な価値観の一気の流入による
人々の美意識の混乱に与るところが大きいと思われますが、海外で見出され国内で
再評価されるという図式は、国際交流が活発になった時代の新たな美的価値観の
創出として、大変面白く感じられました。

本展を一通り観てまず暁斎の画業の多様さ、次から次へと作品を生み出す
バイタリティーに驚かされます。肉筆画、版画、絵日記というに止まらず、日本絵画
から水墨画、大判錦絵から版本まで、画題も神仏、妖怪、人物、動物、歴史物、春画と
多岐に渡り、その表現方法も正統な絵画から洒脱な水墨表現、戯画的なものまで、
全てが暁斎の絵画であり、特異な魅力を放っているのです。

その魅力の秘密を私なりに読み解いてみると、まず種々の技法による表現を可能に
する技量の確かさが挙げられます。暁斎は7歳で浮世絵師の歌川国芳に入門した後
狩野派の絵師にも学び、弱冠19歳で修業を終えたといいます。早熟の天才であり、
人並み以上の研鑽も積んだのでしょう。

また生きた時代の激動に決して流されることはありませんが、その変化に対して敏感
であったことも見逃せないと思います。なぜならその変化の速度を超越するエネルギー
で、絵画制作に没頭したと推察されるからです。

さらには、暁斎の滑稽な作品には前面に出て来るユーモアと諧謔が、その魅力として
挙げられます。そういう種類の作品は一見して楽しいですが、しかし正統な作品に
おいても、そのような要素は隠し味になっていると感じられるのです。

今回観た作品の中で私は個人的には、124「幽霊図」と「百鬼夜行図屏風」が印象に
残りました。                          7月15日記

2017年12月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」950を読んで

2017年12月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」950では
ボートレース場の観客の次のことばが取り上げられています。

 スタートする位置がまちまちなのがいいとこ

残念なだら、ボートレースを見に行ったことはないけれど、このレースでは、
スタート位置が選手によってまちまちというところがいいですね!

というのは、一般的に色々なレースのスタート位置は、選手の公平な条件を期して
一直線状であったり、短距離走などでは、各選手の走る距離がまったく同じになる
ようにスタート位置をずらすという形で、厳密に設定されているからです。

ところがボートレースでは、おそらくボートが高出力のエンジンで駆動されることや、
水上を周回して競うレースの走行距離が長いこともあって、スタート位置の厳密性
が余り重要ではないのでしょう。それよりも、選手が如何に自分の得意な形で
スタートを切るかということが、最優先されるのだと想像します。

でもそれだからこそ、各選手が思い思いに知恵を絞って、自分と艇が力を発揮
できる最善の位置からスタートし、技術を尽くして最初にゴールすることを目指す
というレース形体には、ロマンがあるように感じます。

公平さの意味が横並びではなく、本人の技量にゆだねられていること。しかも、
一旦スタートを切ってしまえば、個人の操縦技術を駆使して存分に力を発揮出来る
条件が準備されていること。

スポーツはよく人生に例えられるけれど、この競技などは、さしずめ味のある人生
と言えるでしょうか?一度実際にボートレースを観戦したくなりました。

2017年12月6日水曜日

龍池町つくり委員会 47

12月5日に、第68回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、最近学区内で問題になっている、宿泊施設の建設を巡る町内会とのトラブル
の状況について、中谷委員長より報告がありました。

蛸薬師町で、町内に旧来から所在している会社を家主とする、民泊の建設計画が
持ち上がり、町内への事前の説明が不十分な上に、家主は事業者に任せて
関与を回避しようとしているということで、町内会、事業者、家主の間で三者協定書
を作成することになった、ということです。

柿本町のホテル建設の問題では、当初の計画のホテルは、町内会への説明が
不十分なままほぼ完成しましたが、同一の事業者で新たに同町内にホテルの別館
を建設する計画が持ち上がり、また町内住民への十分な説明もなく建設が進め
られそうな状況になり、町内会から事業者に対して、説明会を開くように要望書を
出すことになりました。

京都外国語大学のプログラムについては、学生の小川さんより、企画作成の下準備
段階として、メンバーで薬祭り、二条通や二条城の歴史を調べ、基本的な知識を
蓄積しているところであるという、報告がありました。

恒例の平成30年度の「新春きものde茶話会」の概要については、担当の張田委員
より説明があり、日時は1月28日(日)午前10時~12時、場所はマンガミュージアム・
龍池自治連会議室及び和室と決定しました。

<お楽しみ>企画は、例年通りの催しを実施し、その内京のお正月談義では、「洛中
の年中行事と通過儀礼」というテーマで、中谷委員長がお話をすることになりました。

これは、お千度や地蔵盆、物故者追悼式など、この地域の町内や古くから続く企業
に残る宗教的な行事を通して、最近希薄になった神仏や先祖を敬う心の大切さに
ついて、再考してみようというもので、委員長は当日までに話の内容を練るということ
です。

次回「町つくり委員会委員会」は、来年1月16日(火)に開催することになりました。

2017年12月4日月曜日

ヴォイスギャラリー 現代美術二等兵活動25周年「駄美術の山」を観て

京都芸大彫刻専攻卒業の二人組現代美術ユニット、現代美術二等兵の展覧会を
観に行きました。

今まで、このユニットの存在を知らなかったのですが、新聞のギャラリー情報を見て、
ユニット名のネーミングの面白さに興味を覚え、行ってみることにしました。

このギャラリーに行くのも初めてで、街中の狭い通りに面した民家が立て込んだ中に、
こじんまりと佇む古い家です。訪れたのが夕暮れ時だったので、引き戸にはめ込まれ
た硝子越しに、照明に煌々と浮かび上がる内部は窺えましたが、ちょっとドキドキし
ながら足を踏み入れました。

中に入ると、小さな棚があちこちに設えられて作品が置かれ、床に並べられたもの、
吊り下げられたもの、ボードに並べられたもの等々、ギャラリー内部が所狭しと作品
で埋まっています。

何か昔の当てもの屋を覗くような懐かしい気分になり、小さな作品が多いこともあって、
思わず身を乗り出して一つ一つの作品を観て回りました。

途中で気づきましたが、一部非売品はあっても、ほとんどの作品の販売価格を記載
したリストがあり、気に入った美術作品を気軽に手に入れて、自分のものとして
楽しめるようです。

さて肝心の作品ですが、暖簾状のものや、小さな置物、ぬいぐるみ、クッション、
写真、オブジェ等々、余り高尚ではではない一見安っぽいもの。しかしじっくりと
観ると、既存の芸術作品のパロディーであったり、クスッと笑えるユーモラスなもので
あったり、可愛かったり、恐ろしかったり、少し哲学的であったり、観る者の感覚に
訴えかける、ちょっとした何かをひそめた作品が散見されました。

現代の私たちにとって、美術とはどのような役割を果たすのか?またどのような
付き合い方が出来るのか?そんなことを考えさせてくれる展示会でした。

2017年12月3日日曜日

鷲田清一「折々のことば」948を読んで

2017年11月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」948では
先鋭的な映画を撮る映画監督園子温の『けもの道を笑って歩け』から、次のことばが
取り上げられています。

 「自分」と仲良くするためには、まず自分がカッコ悪い、情けないと思っていることは、
 人目のあるなしに関わらず絶対にしないこと。

すごくカッコいい言葉ですね。ちょっと憧れてしまいます。

まず第一は、どういうことをしたらカッコ悪いか、どんな行為が情けないか、に気づく
ことから、始めなければならないでしょう。

というのは、自分の人生を振り返ってみて、あの時にやったことはカッコ悪かったと
気づくのは、随分後になってからということが、ままあったと思うからです。もっとも、
勢いに任せてやってしまった直後に後悔したことも、そういえばありましたっけ!

とにかく、失敗を重ねたり、他人の行為から学んだり、色々なところから知識を得たり
して、何がカッコ悪く、情けないかを体得すべきでしょう。

次には、そのようなカッコ悪いことは、例え人に見られていないところでもしないという、
信念を持たなければならない、ということですが、これはまた、なかなか並大抵のこと
ではないでしょう。

人間は意志が弱いもので、自分に都合が悪いことは、往々にこれぐらいはいいか、
あるいは欲望に流されて、少しは許されるだろうなどと、自らの行為を正当化する
からです。

つまりこの言葉の意味は、自身の人生に責任と矜持を持て、ということなのでしょう。

2017年11月30日木曜日

「本谷有希子の間違う日々 何事もない光景の異様」を読んで

2017年11月27日付け朝日新聞朝刊、「本谷有希子の間違う日々」では「何事もない
光景の異様」と題して、筆者が乗った電車の車両で確かに異臭が感じられるのに、
乗り合わせた他の客は周りを気にして、誰も何食わぬ顔をしている光景の異様さ
について、記しています。

この光景を想像する時、直ぐに地下鉄に有毒ガスが撒かれた事件が思い浮かんで、
慄然とさせられます。もしその異臭が毒性のあるものであれば、その後悲惨な事態が
現出することになってしまいます。

やはり私たちが、匿名性の高い現代社会の中で、自分の身を守るためには、周囲の
状況に対する自身の感覚に敏感にならなければならない、のでしょう。

同時に車両内のこの光景は、極めて日本的とも感じられます。私たちはともすれば、
例えば自分の乗っているその車両の内部を、乗り合わせた他の客も含めて一つの
私的共有空間と把握し、空間内のお互いが相手の思いを忖度し、牽制し合って、
うかつに一人だけ行動を起こせない、あるいは自分だけ目立ちたくないという考えに、
囚われがちなのではないでしょうか?

これは村社会的な環境の中で長く生活して来た、私たちの陥りがちな心情の弊害と
思われます。

しかし一方現代の私たちの社会が、個人主義的で他者に対して無関心、自分本位な
考え方に流されやすい風潮にあるのですから、そろそろ昔ながらの心情に囚われる
のは、最早時代にそぐわないのでは、とも感じられます。

その齟齬に筆者は、ぞーっとするものを感じたのではないでしょうか?

2017年11月28日火曜日

帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を読んで

私が本書を手に取ったのは、「ネガティブ・ケイパビリティ」という初めて聞く言葉に
惹かれたからです。この言葉は、”容易に答えの出ない事態に耐える能力”という
ことを表すそうです。

私たちの日常は、簡単には答えの出ない事態に満ちています。それゆえ、このような
事態に如何に対処するかが、生きて行く上での永遠の課題であるとも思われます。

その方法をハウツー本的に伝授してくれる書物。著者が精神科医で作家ということも
あって、私は最初、そんな手軽な気持ちで本書のページを開きました。

しかし読み始めると、その安易な期待は叶うものではないと、直ぐに気付かされ
ました。

考えてみれば、人生永遠の課題の的を射た答えが、一冊の本によって直ちに示され
るなど、そんなに虫のいいことが有るはずがありません。

これこそが本書の著者が、ネガティブ・ケイパビリティを獲得することの難しさの理由
として、一般的に人の脳が安易に答えを求める性質があることを示した事実の、
端的な証左なのかも知れません。

そういう訳で本書は、著者が精神科医として日々の臨床の中から導き出した、
精神医療の現場のみならず、文学や芸術、教育、政治においても、ネガティブ・ケイパ
ビリティの能力が広く求められることを、信念を持って示す本です。

ではこの能力は、具体的にはどのようなものであるかを、本書の記述から引いてみる
と、対象に対して常に共感を持ちながら、直ぐに答えや理由を求めず、不確実さや
不思議さ、懐疑の状態に耐えられる能力、ということになります。

この能力を有すると、対象に対して先入観のない謙虚な姿勢で向き合うことが出来、
また持久力を持って取り組むことによって、気付きや閃き、さらには創造性を生み出す
ことが出来るといいます。

しかし前述のように、この能力は一朝一夕に獲得出来るものではありません。では
どうすればいいか?

本書に記された、その能力を有する人の事例から推し量ると、合理性や功利性から
離れた純粋な教養としての文学や、芸術を味わうすべを身に着け、人との交わりの
中で他者に対する共感力を高めること、であると感じられました。

何事につけても、その対極にあるポジティブ・ケイパビリティの価値観が尊ばれる
この時代、それ故にネガティブ・ケイパビリティの重要性を敢えて主張する著者の
情熱に、共感を覚えました。

2017年11月26日日曜日

何必館・京都現代美術館「近藤高広展ー手の思想ー」を観て

器に限らず現代美術作品も制作し、幅広く活動する陶芸家の展覧会です。

近藤の作品は、現代美術の展覧会で数点を観たことがあって、興味を覚えました。
祖父は染付の人間国宝近藤悠三で、実は私が店に入ってすぐの頃、白生地を
注文頂いて、お宅を訪れたことがあります。

もう30年以上前のことですが、お宅は門から奥まったところにあって、入り口まで
一羽のアヒルが迎えに出て、通路をお尻を振りながら先導して案内してくれたことが、
今でも鮮明に思い出されます。そのお孫さんの作品に惹かれることも、何かの縁かと
感じました。

さて展覧会場に入ると、「Reduction」という坐像の陶芸作品のシリーズが出迎えて
くれます。おそらく同一の形に、素材を変えるなどして造形された人型の座像が、
釉薬や焼成方法も変えて制作されていますが、それぞれの作品の表情がまったく
違っていて、驚かされました。陶芸では同じフォルムでも、制作方法を変えることに
よって、これほど作品が醸す雰囲気が一変するものなのかと、改めて感じさせられ
ました。

私は個人的には、その中でも釉薬を用いず素焼きされた、白の地肌に焦げ色が
表情を作る坐像が、人間の普遍的な業を一身に体現しているようで、印象に残り
ました。

今回の展覧会のメインの白磁大壺は、私には技術上のことが分からないので、
その個々の地肌の微妙な表情と、形の微かな歪みが醸す存在感ぐらいしか感じ
取れませんでしたが、焼成で自然に裂け目が出来た大壺をそのまま作品とした
「創」という作品に、強い感銘を受けました。

その作品は、もはや壺としての役割は果たさないけれど、この裂け目が創り出す
造形の美しさ!それは現代美術作品として、傷のない壺より完成されている
ように思われました。発想の転換の妙。現代美術も手掛ける近藤の面目躍如と、
感じました。

オブジェ、茶碗では、私が最初に興味を持った銀滴彩を用いた作品が、やはり
魅力的でした。

2017年11月24日金曜日

梯久美子著「狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ」を読んで

随分以前に読んだ「死の棘」、読んでいる間終始重い気分に囚われながら、夫婦の
絆とは何かという普遍的な問いに、一つの示唆を与えてくれる作品として、深く心に
残っています。

その記憶に触発されて本書を手に取った訳ですが、何分記憶が薄れているところも
あるので、手探りで「死の棘」を思い起こしながら、この本の記述を追うことになり
ました。

本書では「死の棘」で描かれた世界の前提として、第二次大戦下の加計呂麻島での
ミホとトシオの運命的な出会いから、その背景を含め丁寧に語られていますが、この
部分で私の印象に残ったのは、ミホを始め島の住民は、大日本帝国海軍の特攻艇
隊長であるトシオに島を守る英雄の姿を見ているが、現実は日本軍にとってこの島
は本土を守るための捨て石であり、隊長である彼も米軍進攻の最終局面では、
島民に自決を促すことを求められており、このミホとトシオの互いを見る目のギャップ
が、二人の戦後の夫婦生活に濃い影を落としていることです。

こういうこの夫婦の、極限下の馴れ初めを巡る深く掘り下げた視点を導入すると、
「死の棘」という夫婦の絆を描く小説が、一気に現在にも通じる日本の本土と南島の
歴史的軋轢、支配被支配の関係性を浮かび上がらせることになります。本書に
よって、「死の棘」をより奥行き深く読む視点を与えられた気がしました。

また小説「死の棘」で描かれるミホとトシオの修羅の発端となる、彼の不倫の事実を
記した日記の記述を彼女が見て狂乱する場面の考察では、ミホが夫の不実に
すでに感づいていながら、改めて文字として目にすることによって、あたかも堰を
切るように精神の均衡が崩れた理由の説明に、彼女もまた夫と同じく小説家としての
資質を有していたこと、さらにはトシオが、行き詰まった自らの創作活動を打開する
ために、あえて妻に自身の不倫を記した日記を見せて、彼女の反応を小説の題材に
しようとした可能性に触れた部分に、このお互いに鋭敏な文学的資質を抱える夫婦の
哀しい性、またこの稀代の名作「死の棘」が、文字通り二人が身を削って共作した
小説であることを実感して、再び深い余韻に浸されました。

文学の創造とはかくも過酷なものであり、また優れた評伝とは、主人公の体温や
息づかいまで伝えるものであることを、感じさせてくれる好著です。

2017年11月21日火曜日

ジャファル・パナヒ監督映画「人生タクシー」を観て

あのアッパス・キアロスタミの愛弟子で、現代イランを代表する映画監督ジャファル・
パナヒの「人生タクシー」を観ました。2015年ベルリン国際映画祭の金熊賞、
国際映画批評家連盟賞の同時受賞作です。

この映画のすごいところは、パナヒ監督が反体制的な創作活動によって、当局から
2010年より20年間の映画監督禁止令を受けながら、なおかつ当地に留まり撮影した
映画であるということです。

今回の作品ではパナヒはこの命令を逆手に取って、自らテヘランの街のタクシー
運転手に扮して、車載カメラの映し出す乗り合わせた客の生態を通して、厳しい
情報統制下のたくましい庶民の姿を活写します。

まず驚くべきは、このような状況でも、体制側の監視の目をぎりぎりのところで
かいくぐって映画を撮ろうとする、監督の並々ならぬ情熱、撮影手法の巧みさで、
過去の歴史の中で幾多の表現者が弾圧される報道を目にして来た私たちは、
この勇気と知恵を併せ持つ監督に拍手を送らざるを得ません。

また同時にこの秀逸な企てが、世界中の今なお困難な境遇に置かれた人々に
励みを与えることを、信じたくなるのです。

このような制限の下に制作されたこの映画は、その性格上フィクションと
ノンフィクションのあわいを描き出すような、巧妙な演出がなされています。

冒頭パナヒのタクシーに乗り合わせた女性教師と、たくましそうな男とのイランの
死刑問題を巡る激論。その生々しい議論は、現場に立ち会うような臨場感を醸し
出しますが、この男が降り際に自分の仕事が強盗であると告白すると、にわかに
虚構に接する思いが増して来ます。

ただ単に、カメラが捉える現実をモニターしているのか?それとも巧みな演出に
よって、観客が現実と錯覚しているのか?本当のところは無論、明らかにされ
ませんが、映像表現におけるフィクションとノンフィクションの境界の曖昧さに
ついて、改めて考えさせられました。

余談になりますが、私たちには馴染みの薄い乗り合いタクシーの魅力にも
気づかされました。

さて数々の乗客が登場して、運転手との意味深長なやり取りが繰り返される中で、
監督の小学生の姪役に扮するおませな女の子が、車窓から自分の映画を撮ろう
という名目で貧しい男の子にカメラを向けていた時、彼が拾った金を持ち主に
返そうとしないのは、自分の撮影の想定に合わないと憤慨するシーン。

パナヒ監督が、いかなる状況でも自分本位の思い込みで映画を撮っては
いけないと、メッセージを発しているように思われて、極限下の彼の誠実さに、
清々しさを感じました。

2017年11月19日日曜日

「後藤正文の朝からロック 頭にも効く?「白湯健康法」」を読んで

2017年11月15日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では
「頭にも効く?「白湯健康法」」と題して、人が往々に陥り易い、人生の中で成長と
老化を分化する考え方に疑問を呈しています。

「白湯健康法」の効能はともかく、私たちがともすれば、人生の場面場面で、成長と
老化を別個の価値基準で考え勝ちであるという主張には、はっとさせられました。

若い時分には、自分の心身に成長の余地があるなどとはとても思えなくて、現状が
変わらないことへの苛立ち、焦燥感に常に苦しめられて、急き立てられるように
日々が過ぎて行ったものですが、私自身60歳を越したこの時点で、成長と老化の
分化というと、無論老化に重きが置かれます。

肉体的にも人生はこれから下り坂、要は如何に老化を遅らせて余命を息災に
過ごせるか?健康についての関心事は、どうしてもそちらに傾きます。

勿論それは重要なことで、健康な状態を長続きさせることは、以降の人生を
有意義なものとする確率を高めます。

しかし他方健康ということだけに絶対的な価値観を置くと、老化は目の敵になり、
自身の心身にその兆候を見つけることは、悲嘆につながります。

さらには、今現在はある程度の健康を維持していても、これからの人生を老化の
一途と規定すると、先に見えて来るのは絶望だけということにも、なりかねません。

でもこれから待ち受ける人生の道のりで、肉体は衰えて行っても、経験や知識が
蓄積されることによって、私たちの思考や感受性は、まだまだ成長して行く余地が
あると考えたら、どうでしょうか?

人生にはまだまだ希望があり、楽しみがある。楽観的かもしれないけれど、そう
考えて日々を過ごせたらと、改めて思いました。

2017年11月17日金曜日

浅田次郎著「帰郷」を読んで

あの戦争に翻弄された人々の生を静かに見詰める、第四十三回大佛次郎賞受賞の
短編小説集です。

第二次世界大戦の終結から70年以上の時が経過し、戦争を体験していない人が
大半を占めるようになり、その体験の風化が言われて久しい今日、戦後生まれの
著者があえて戦争を語ることの意味は大きいと思います。

なぜなら、負の記憶として埋もれて行こうとするものを、戦後の非戦の価値観に
則って、新たに掘り起こすことになるからです。

今全編を読み終えて深い余韻を伴って感じるのは、あの戦争がその時代を生きた
庶民にとって日常の体験であり、実際に従軍した人々のみならず、銃後を守った
人々、その直接の影響を被った次世代の人々に至るまで、心に哀しみという強い
刻印を残したことです。

しかしそれほどに人の運命をもてあそぶ悲惨な出来事であっても、悲しいかな
私たちは、直接の影響関係が薄れるに従って、忘却の彼方へと追いやってしまう。
その点からも、あの戦争に心身を傷つけられた人々の想いを、自身に引き付けて
追体験出来る本書の意味は大きいと感じます。

「歸鄕」は、庄屋の長男がようやく戦地から引き揚げてみると、戦死と思い込んだ
周囲の画策で、すでに彼の妻と弟が再婚して家を引き継いでいるために自宅に
帰るに帰れず、、茫然とする中で街娼と結ばれ、生きる希望を見出す物語です。

「鉄の沈黙」は、ニューギニアの激戦地である砲兵が上陸から、敵軍の激しい攻撃
により命を散らせるまでの、束の間の時間を描く物語です。

「夜の遊園地」は、父を戦争で失い、遊園地でアルバイトをしながら大学に通う
苦学生の青年が、母の再婚を心から受け入れるまでの物語です。

「不寝番」は、集合訓練の不寝番に立つ、明日射撃競技会に出る自衛隊員が、
時空を超えて戦争中の不寝番の兵士と出合い、射撃の極意を伝授される物語
です。

「金鶏のもとに」は、心を深く傷つけて復員した兵士が、戦後の困窮の中を生きて
行くために、自らの意志で片腕を切断して傷痍軍人となり、物乞いで生計を立てる
物語です。

「無言歌」は、海底に沈み、航行不能の潜水艦の中で、二人の若い海軍中尉が
酸素が尽きるまでまどろみ、夢を語り合う物語です。

2017年11月15日水曜日

鷲田清一「折々のことば」928を読んで

2017年11月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」928では
自ら設計した郊外のニュータウン近くで、自然に寄り添う暮らしを続けた建築家
津端修一と妻との共著『ききがたり ときをためる暮らし』から、次のことばが
取り上げられています。

 僕はね、何でもまず百回を目標にしています。ときをためる暮らしの目標
 ですね。

津端夫妻の丁寧な生活を描いた映画『人生フルーツ』は、残念ながらまだ観て
いないけれど、百回繰り返すという言葉は、心に響きました。

私たちは往々に、日常の繰り返しを新鮮味のないものや停滞と考えて軽視し
がちですが、その部分にこそ人生の滋味があるのではないか?最近はそんな
ことも感じます。

なるほど人生の中のトピックや特別な出来事は、後から振り返った時強く印象に
残りますし、その人の人生の岐路にもなることがありますが、そのような非日常の
ことが特殊な機能を発揮するのは、淡々と過ぎて行く日常があればこそと、思う
ことがあるのです。

考えてみれば、私たちの生活の大部分が日常の繰り返し、私ならば朝起きて、
仕事をして、夜眠りに就く。更に仕事の内訳を見ても、お客さまと応対して、注文
をお受けし、ご要望にお応えすべく商品を準備してお納めする。しかしその日常
の繰り返しが、実感をともなって私という人間を少しづつ成長させ、私たちの店の
信用を生み出して行くのではないか?

上記のことばを読んで、日々の何気ない暮らしの大切さについて、改めて考え
ました。

2017年11月12日日曜日

「本谷有希子の間違う日々 本当の自分知ってすっきり」を読んで

2017年11月6日付け朝日新聞朝刊、「本谷有希子の間違う日々」では
「本当の自分知ってすっきり」と題して、筆者が先日ある本で、「本当の自分とは
幼い頃、友達グループのなかで選びとった役割=キャラである」という文章を
読んで、自分の幼少期を回想しながら、本当の自分を知ることの効用を語って
います。

このコラムを読んで、私もうなずかされるところがありました。

私の幼い頃の性格は、内気でなかなか自分の思いや感情を、人に伝えることが
出来なかったけれど、自意識は強く、内心はそれらを何とか人に伝えたいという
思いがあり、鬱屈した日々を過ごしていたと、記憶します。

社会に出るようになってからは、当然仕事の上からも、自らの意志を表明すべき
ことは、しなければならない立場になり、自分自身の見識や立場も固まって来た
ことから、主張すべきことはある程度の自信を持って、主張できるようになったと
自負しています。

しかし振り返ると内気な頃の私は、自己主張は苦手でしたが、その代わりに、
相手を良く観察して、その思いや意志をくみ取りたいと考えていたと、思います。

こちらの考え方を一方的に表明するばかりではなく、相手の立場にも立って、互い
が納得出来る地点を見つけることが出来れば、それこそが建設的な意思表示に
なるのでしょう。

現在の私は幼い頃の自分の延長線上にある。そのことを肝に銘じたいと思い
ました。

2017年11月10日金曜日

ダニエル・トンプソン監督映画「セザンヌと過ごした時間」を観て

私はこの映画を観るまで、セザンヌとゾラが竹馬の友であることを知りませんでした。

幼少の頃には裕福な家庭で育ったセザンヌが、異国から移り住んだ貧しい家庭の子
ゾラを助けることになりますが、成長し二人が画家、小説家という芸術の違うジャンル
を志すようになるにつれて、両者の立場は逆転します。

ゾラは苦労しながらも早くに頭角を現し、対するセザンヌは本人の非社交的で、妥協を
許さぬ性格も災いして、なかなか世に認められません。ゾラはセザンヌの才能を信じ、
経済的にも援助を惜しみませんが、そのことがセザンヌをより一層卑屈にさせ、ゾラが
画家を取り上げたある小説を執筆したことが契機となって、二人は決定的に決裂する
ことになります。

才能があっても、芸術家はいつ世に認められるかは分かりませんし、それどころか、
生前には全く評価されないかも知れません。二人の友情は、当初はこのそれぞれに
過酷な職業を生業に選んだお互いの人生を励まし、癒しをもたらすものでしたが、
二人が社会的に成功する時期がずれるという運命のいたずらが、二人の絆を修復
不可能なものにしてしまうのです。

ただしこの映画は、結果としての二人の関係の悲劇を描きながら、彼らの芸術は、
この友情が有ればこそ熟成して行ったに違いないことを雄弁に語り、その意味で
後世二人の芸術に触れて、それぞれの素晴らしい成果を十分に味わうことの出来る
私たちは、彼らの苦渋に満ちた友情に感謝しなければならないということを、示して
いるのではないかと、私は感じました。

この映画のストーリーの中で、もう一点私の気に掛かったことは、かつてはセザンヌの
恋人でありモデルでもあった女性を、ゾラがセザンヌの許しを得て妻に迎えたという
箇所で、セザンヌは生涯ゾラの妻を愛し続け、結果として結婚しなかったのではないか、
と想像させるところです。この入り組んだ事情は、二人の関係をより陰影の濃いものに
したのではないでしょうか?

2017年11月8日水曜日

龍池町つくり委員会 46

11月7日に、第64回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、京都外国語大学との新しい提携プログラム”薬祭りの復活”の最初の
取り組みとして、11月2日の薬祭り当日に、京都外大の南先生と学生さんたちが、
木屋町の一之船入から二条城まで、二条通を徒歩で一往復して実施した調査の
所感、また基礎知識として薬祭りの歴史等資料にあたり調べた結果について、、
南ゼミの学生の小川さんと栗山さんより報告がありました。

学生さんたちからは、二条通が薬種問屋と深いつながりがあり、この通りに軒を
連ねる薬屋仲間の寄り合いから、薬の祭神薬祖神を祀る神社が生まれ、薬祭り
に発展したことなど、起源、歴史、変遷について語られました。

他方南先生からは、今回実際に薬祭りの地域を歩いて実感された、二条通に
薬種問屋が少ししか存在しなくなった現状、さびれた祭りの状況などについて
の感想が述べられました。

また先生の求めに応じて、生まれた時からこの地域に暮らす委員会のメンバー
から、自分たちが子供の頃の祭りの盛況の様子などが、語られました。

中谷委員長より学生さんたちに、薬祭りの歴史について詳しく記した資料の提供
があり、それを読みより深い知識を得て、新たな取り組みの参考にしてもらう
ことが期待されます。

南先生が、このプログラムを歴史の掘り起こしにとどまらず、祭りを通じた地域の
活性化につなげたいという趣旨を述べられて、今回の報告は終わりました。

このプログラムがこれからどのように広がって行くのか、見守って行きたいと思い
ます。

2017年11月5日日曜日

「福岡伸一の動的平衡 「よく気がつきますか?」」を読んで

2017年10月26日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「よく気がつきますか?」と題して、子供の頃『ドリトル先生航海記』の一説に触発
されて、科学者を目指す者にとって、注意深い自然観察が何より大切であると
学んだことについて、記しています。

私も他でもない子供の時分、ドリトル先生シリーズが大好きで、ほとんど全巻読んだ
ことを覚えています。でも福岡のような高尚な問題意識もなく、漫然と読書をしていた
当時の私は、動物と会話出来るドリトル先生の姿にファンタジーとしての好ましさを
感じながらも、ただ空想の世界に遊んでいただけでした。

さてドリトル先生から福岡が感じ取った、注意深い自然観察という姿勢は、何も
科学者にとってだけ有用なものではなくて、私たちのような門外漢にとっても、効用
のあることだと思います。

例えば、庭や野外に佇んでいる時でも、ただぼんやりと辺りを眺めているだけでは
なく、ちょっと注意深く観察すると、草木の葉が季節によって様相を変えていたり、
花が咲き、実を付けていることに気づいたり、鳥や虫を思わぬところに発見したり、
空の雲の様子の刻々とした変化に見とれたりすることがあります。このようなことは、
一見私たちには何の利益ももたらさないように思われますが、でもこれらのことに
心を慰められ、くさくさしていた気分を変えることが出来るなら、それは十分に値打ち
のあることでしょう。

さらには私たちの日常の仕事や生活の場においても、人とコミュニケーションを
図ろうとする時などには、人間観察ということがかなり重要な意味を持つと、経験上
感じます。表情や話しぶり、所作などをじっくりと観察することは、相手が何を考え、
何を伝えたいのか、どんなことを望み、どうしてほしいのかを知るためには、欠くこと
が出来ないでしょう。

そういう観察の場合でも、福岡の説と同じように、観察者には動きを止めるような
冷静さ、注意深さが必要なのでしょう。

2017年11月2日木曜日

大丸ミュージアム京都「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を観て

水木しげるといえばすぐに「ゲゲゲの鬼太郎」が思い浮かぶ、日本の妖怪漫画家の
代表的な存在ですが、漫画のみならずその波乱の人生は、「のんのんばあとオレ」
などの自伝的エッセイや布枝夫人の著書を原作とする、NHKの連続テレビ小説
「ゲゲゲの女房」などで広く知られています。

そして私は彼の漫画作品に親しむばかりではなく、彼の生き方にも、その作品から
滲み出る思想と、ぶれぬ一貫した精神のようなものがあるのを感じ、常々好ましく
思って来ました。それゆえ本展にも、水木の創作活動の原点を知りたいと思い、
会場に足を運びました。

第一章境港の天才少年画家では、学校の図画以外の成績は芳しくない腕白少年、
同時に色々なものに対して好奇心旺盛で蒐集癖があり、近所の「のんのんばあ」
から妖怪の話などを聴いて目に見えない世界に興味を持つ、というところは
自伝エッセイ通りですが、その頃彼が描いた絵を実際に観ると、なるほど年齢に
そぐわぬ力強さと上手さで、おまけに大正時代の地方の少年の絵にしてはモダン
で、大層研究熱心と感じられました。彼には漫画の描き手としての確かな素養が
あったのです。

第二章地獄と天国を見た水木二等兵では、この時の片腕を失う過酷な戦争体験
や、戦場で生死の境を彷徨する兵士の姿とは対照的な、現地の人々の穏やかな
日常を同時に垣間見たことが、以降の彼の生き方を決定づけたことを、戦争漫画
や絵画作品を通して示しています。ここで特徴的なのは、彼が漫画において極力
戦闘体験を美化せぬ姿勢を保ち、また戦争の悲惨さを描き出すにしても、過度に
感情的にならず客観性を保持しようとしていることで、そこに水木の漫画家として
の矜持を見る思いがします。

第三章貧乏神との闘いでは、ようやく復員しても絵描きとしての生活の目途は
立たず、紙芝居作家、貸本漫画家と職を移しながら糊口をしのぐ時期を現します。
この頃の作品にはきわ物呼ばわりを恐れぬ一途さがあり、次章福の神来たる!!
の大ヒット期と合わせて、彼の人生観を揺るぎないものにすることになったので
しょう。その後の水木が50歳を過ぎた頃から意識して仕事の量を減らし、好きな
妖怪研究に没頭したこと、家族との時間を大切にしたことは、彼の人生観の
確かさ、正しさを示しているのでしょう。

彼が長年に渡り蒐集した妖怪像、精霊像のコレクションが一面に並べられた
スペースは壮観で、水木が晩年まで幸福な表現者であったことを示しています。
しかしそこに至るまでの彼の切磋琢磨は、並大抵のものではなかったであろうと、
改めて感じました。

2017年10月31日火曜日

「後藤正文の朝からロック 育み、次世代に手渡す大切さ」を読んで

2017年10月25日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「育み、
次世代に手渡す大切さ」と題して、筆者が専門家から聴いた、伝統野菜や固有種
と呼ばれる野菜の種と、消費者や外食産業のニーズに合わせて異品種を交雑した、
「F1」と呼ばれる雑種の野菜の種との違いについて書いていて、興味を覚えました。

つまり固有種の野菜とは、地域で受け継がれ、形質も固定された品種なので、種を
自家採取して栽培することが出来、それに対して味や形、収穫時期がそろえられ、
年に何度も栽培が可能な「F1」の場合は、一代きりの栽培にしか適さず、種はその
都度業者や農協から購入しなければならない、ということです。

私は常々、食品スーパーなどの野菜、果物売り場で、形のそろった、カラフルな
野菜や果物が、形よく大量に盛って、飾り立てるように並べられているのを見て、
この国の経済的な豊かさの象徴のように、感じることがありました。

しかし一方、自然農法で農業を営む親戚や、趣味で野菜を栽培している友人など
から、採れたての野菜や果物を頂いた時、それを食べた瞬間に、普段購入する品
とは違う温もり、滋味を感じることがあります。

経済的効率や、外見上の見栄えだけではなく、その本来の良さが大切に受け継が
れて来た品の価値を見抜き、それを選ぶことが出来る確かな目を持つこと、また
そのように守られて来た品を購入することによって、次世代へとつなげる橋渡しを
すること、何も野菜に限ったことではないと、改めて感じました。

2017年10月29日日曜日

鷲田清一「折々のことば」911を読んで

2017年10月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」911では
京漬物の老舗「西利」の副会長平井達雄の、次のことばが取り上げられています。

 「もったいない」が「手間がかかっている」という価値に変わるんです。

「おこうこのぜいたく煮」は、通常そのままで食べる漬物の沢庵が残って干からびた
時に、煮干しと一緒に煮て食べる総菜ですが、沢庵本来の味に煮干しのだしがよく
染んで、ご飯のともとして味わい深いおかずです。

同様の一手間をかけたおかずに、小魚などを油で揚げて、たまねぎと唐辛子を
加えた合わせ酢に漬け込んだ料理、「南蛮漬け」がありますが、いずれも本来の
食べ方からは二重の手間をかけることによって、更に味わいを高める発想でしょう。

特に「おこうのぜいたく煮」は、残り物に手間をかけて美味しく食べる、もったいない
の精神と、生活の知恵が融合した優れた総菜と言えるでしょう。

ところで私は、今回の「折々のことば」を読んで、二つのかっこ付きのことばを逆転
させた、「手間がかかっている」から「もったいない」と分かる、というフレーズを思い
浮かべました。

その意味は、人の手間がかかっている工芸品などを日用品として使用するように
すると、私たちの心の中にももったいないという意識が生まれて来るのではないか、
ということです。

例えば私たちは、日常の品を使い捨てという感覚で粗末に扱い勝ちですが、それが
手間のかかった品であったら、もう少し大切にするだろう、ということです。

勿論何もかもそんな品で揃えたら、経済的にも大きな負担ですし、現代の感覚では
不合理な点も多々あるでしょう。

でも、限られた地球という環境の中の資源の枯渇が言われる今日、何か一品でも
「もったいない」という感覚を思い起こさせてくれる日用品を手元に置いて使用する
ことは、意味があるのではないでしょうか?

2017年10月25日水曜日

森本あんり著「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」を読んで

「反知性主義」というと私たちは、最近の軽佻浮薄な世相や、ヘイトスピーチに代表
される偏狭なナショナリズムを、すぐに思い浮かべます。しかし、アメリカで言われる
「反知性主義」がこれとは少し趣きを異にし、しかもこの国の社会、政治の特性を
語る上で不可欠のものであることは、薄々感じていました。それゆえ、それが如何
なるものかを知りたいと思い、本書を手に取りました。

まず本書を読んで強く印象に残ったのは、アメリカという国の社会基盤には、今なお
キリスト教的価値観が深く根付いていることです。もっとも、ピューリタンによって
建国されたこの国の歴史を考えれば、それは至極当然のことですが、アメリカの
経済、文化に強い影響を受けているとはいえ、宗教的伝統が違う私たち日本人には、
その点がなかなか見え難く感じます。

しかし、世界第一位の経済力、軍事力を誇り、民主主義と自由主義、経済的、科学的
合理主義を信奉するこの国にあって、根強い反共産主義や反イスラム主義が見られ、
今なお進化論を否定する議論が存在するという事実は、キリスト教の影響を考慮
すれば納得がゆきます。

同様の理由からアメリカの政治もまた、キリスト教に強く影響されて発展して来たと
言います。まずアメリカの知性を象徴するハーバード大学は、ピューリタンの神学校と
して設立されました。それゆえこの国の「知性主義」は、この系譜を引くのです。

しかし建国の過程で、実権を握るピューリタンの主流派教会に対して、平等主義を
唱える信仰復興運動によって力を得た、反主流の福音主義派のキリスト教徒と、
建国の父祖となる信教の自由を求める世俗政治家が手を結び、政教分離国家が
出来上がったと言います。

つまりこの信仰復興運動に「反知性主義」の原点があるのです。以降、信仰復興運動
は「熱病」にも似て、幾度にも渡って勃興し、この国の厳格なエリート主義としての
「知性主義」に対抗して、社会的弱者の平等を求めて行きます。

このように見て行くと、アメリカの政治が獲得した民主主義や自由主義が、キリスト
教的な考え方によって勝ち取られたものであることが、分かります。

この宗教の伝統を持たない私たちの国が、アメリカ型の経済制度の移入には成功
しても、与えられた民主主義や自由主義がなかなか根付きにくいことが、納得出来
ます。

また、この度のアメリカ大統領選挙での、大方の予想を覆したポピュリストと目される
トランプ大統領の誕生は、この国の疲弊の露呈と同時に、歪んだ「反知性主義」の
現れかも知れないと、感じました。

2017年10月23日月曜日

鷲田清一「折々のことば」910を読んで

2017年10月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」910では
我が道を行く独自の雰囲気がカッコ良かった、歌手ムッシュかまやつの自伝
『ムッシュ!』から、次のことばが取り上げられています。

 自分のデッドラインさえ超えていれば、デカイ顔をしていられるのだ。

何の変哲もない私の場合は、自分の価値観を持てばと、言い換えたいと思います。

若い頃には、自分が一体何者であるかが分からなくて、卑屈になったり、かえって
生意気になったり、また他人に自分がどのように見えているのかを意識し過ぎて、
殻に閉じこもったりしたものでした。

更には、何かに寄りかかりたくて、タバコなどの嗜好品に依存したり、友人との
人間関係に過剰な親密さを求めたり、映画や小説の主人公に自分を重ねて、その
人物のような人間になろうとしたり、今振り返ってみると若気の至りと言うしか
ありません。

でもその当時は、自分の人生がどうしようもなく窮屈で、この世を居心地悪く感じて
いました。

ところが何時の頃からか、人からどう思われるかよりも、結局自分が信じるように
生きるしか無いんじゃないかと、開き直って考えることが出来るようになって、
気持ちが随分楽になったような気がします。

でも自分が信じるように生きるには、その根拠となる価値観を持たなければなら
ないはず。かくして日々の生活の中で、自身がまだまだ色々な面で至らない存在で
あることを、痛感する毎日です。

2017年10月21日土曜日

鷲田清一「折々のことば」907を読んで

2017年10月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」907では
カント哲学の研究者で、鷲田清一の恩師にあたる森口美都男の次のことばが
取り上げられています。

 それなしで人が生きていけないものについて考えるのが、哲学です。

そして、小手先では答えの出ないものについて考えるのが、ということばも、付け加え
たいところですが、私自身は何も哲学とは、なんて大上段に構えるのではなく、”本質を
求めて考える”こととは、と言いたいところです。

私たちの人生は、日々選択の繰り返しなので、あるいは我々凡人は、暇さえあれば
将来に対する不安、対人関係や我欲にまつわる悩み事に煩わされているので、
意識せずとも、絶えず何かについて考えていると言えるでしょう。

でも、ここで言うところの”物事の本質について考える”という思考方法は、それなりの
意識と習慣を持たなければ、なかなか難しいと思います。

ではこのような思考方法には、一体どんな効用があるかというと、私自身の思うところ
簡単には答えの出ないことについて、腹を据えてじっくりと考える習慣が付き、物事を
冷静かつ客観的に考えることが出来ることだと思います。更には、簡単に答えの出ない
問題があることを認識することによって、いや、世の中には、一朝一夕に答えの出ない
問題の方が遥かに多いことを知ることによって、人生に対して謙虚になれるということ
ではないでしょうか。

なかなか難しいことですが、煩悩の多い私も時には、日常の些末な事柄を離れて、こう
いう思考に没頭したいと、常々思っています。

2017年10月19日木曜日

リービ英雄著「模範郷」を読んで

米国に出自を持ちながら、母語でない日本語で小説を書く作家。

私は日本に生まれ、しかも人生の大半の時間を生まれ育った土地を離れずに生きて
来た人間として、また学生時代には外国語としての英語を学んだにも係わらず、
大部分は忘れ去り、グローバル化や情報化社会の進展の中で、時として自身が母語
だけに縛られているような感覚に囚われる人間として、リービ英雄のような作家に対し
ては、自分には縁遠い存在という認識しか持っていませんでした。

たまたま読売文学賞受賞の本作を手に取る機会を得て、父親の外交官という仕事柄
彼が日本を含めアジア各国に移り住みながら成長を遂げ、”ヒデオ”という名前が父の
友人に因む本名であることを知り、さらに日本占領下の台湾が彼の「故郷」として、
アイデンティティ形成の掛け替えのない、意味を持つことを知るにつけ、この作家が
自らの存在の意味を模索する中で、日本語で小説を書かざるを得なかった必然を、
私自身の想像力の範囲内で、理解することが出来たような気がしました。

また彼のような越境者の文学が、私のような限られた地域だけで生活している者に
とっても、日々グローバルな情報に身を晒されている現実において、さらには社会の
変化の速度が増して、世代間の価値観のギャップが著しい世相において、他者との
コミュニケーションの構築を手探りする上で、貴重な示唆を含むのではないかと、感じ
させられました。

さて4編の短編小説からなる本書の中で、私は表題作「模範郷」よりも「ゴーイング・
ネイティブ」という作品に強い感銘を受けました。

この作品はネイティブに転じるという意味を持つ英語の言い回しGOING NATIVEを
契機として、”人種上は西洋人でありながら文化上はアジア人として生き、文学を
書いた”ノーベル文学賞受賞者パール・バックについて思いを巡らせる短編で、彼女が
キリスト教の宣教師の娘として幼少期より中国で暮らし、中国人の感性や文化的伝統
を体得した初めての西洋人として、文学を表したことの越境文学者としての価値を
再評価しながら、同時に彼女の作品が中国で評価されなかった背景として、彼女が
その作品を中国語ではなく英語で発表したことに原因の一つを求め、そのことによって
著者リービ英雄自身がこれからも日本語で文学を書き続ける覚悟を再認識している
ように感じられます。

作者の文学に取り組む切実さが、滲み出る好著です。

2017年10月17日火曜日

カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞に寄せて

イギリスの作家カズオ・イシグロの本年度ノーベル文学賞受賞が決定しましたが、
私は彼の作品をこれまでに読んで、その小説の魅力にすっかり引き込まれて来た
者として、その受賞をことのほか嬉しく思いました。

彼の作品では「日の名残り」が一番好きで、第二次世界大戦前夜イギリスの政治を
リードした貴族政治家の栄光と挫折を、その執事として長年仕えた主人公が回想
する苦い郷愁に満たされた物語に、イギリス的な伝統に則った実直さ、そしてもしか
すると、作者の身中に流れる日本人的な心情が、主人公の抱く主人に対する忠誠心
に共感を持って、丁寧にストーリーを紡ぎ出させて行く様子に、愛おしさと好ましさを
感じるからです。

私は常々、自分が感銘を受けた文学作品などを、些細なことでも自身の人生と
重ねて感じ取る性癖があるので、今回は「日の名残り」の元執事の回想から、
私たちの営む白生地店の来し方についても、思いを巡らさずにはいられません
でした。

バブル崩壊後、阪神淡路大震災を経て、人々の呉服離れが急激に加速し、これから
どのようにして商売を続けて行くかと立ち止まっていた時に、折しも着物に造詣の
深い文筆家清野恵理子様より、帯揚の誂え染めの御依頼を受け、清野様の
ご尽力でその経緯が婦人雑誌等に紹介されることによって、私たちの店に誂え
染めの帯揚げという新たな商品部門が生まれました。

正に人生も、商売も人との出会い、「日の名残り」の主人公のようなほろ苦い回顧
とは限らず、時として自らの来し方を振り返ってみることは、色々な意味で自分の
人生の意味を再確認することだと、改めて感じました。

2017年10月15日日曜日

石川九楊著「<花>の構造ー日本文化の基層ー」を読んで

書家であり優れた評論家でもある石川の著述は、書をベースにした独自の視点からの
文化論に興味を感じて、時々手にして来ました。

本書も<花>という艶やかな文字を、彼がどのように調理するのかという点に引き付け
られて、ページを開きました。石川は書家という立場から、言葉が文化を形作ることを
説得力のある語り口で語ります。

本書第1章「話し言葉、書き言葉、そしてネット言葉」は、<花>そのものへの言及の
前段階として記されたものではありますが、私にとって大変興味深く感じました。

つまり書き言葉は、書くという行為を通して内省を促す度合いが強い言葉であり、
話し言葉は、話し相手の反応を観察、推し量りながら、絶えず柔軟に変化させつつ操る
言葉である。

それに対してネット言葉は、書き言葉の内省もなく、話し言葉のように相手の反応を
忖度することもなく、一方的に発信される傾向の強い言葉である。

今日のネット上の誹謗中傷、過度の個人攻撃、炎上などは、その特性によるところが
大きい、というものです。

私もブログをネット上に発信している一人として、自省の思いを強くしてこの文章を読み
ました。

さて石川は彼の持論である、日本語は中国から移入された漢字語と、日本古来の言葉を
ベースにしたひらがな語によって複合的に構成されていると説き起こします。

この言語の中で、漢字語は政治、宗教、哲学、思想を表現し、ひらがな語は、風情、情緒
などの感覚的なものを表現します。<花>という言葉も、中国語の「華」から転化した
「花」に、ひらがな語の「はな」の読みが当てられて、定着していったと言います。

その過程において「花」の言葉には、植物の花の意味合いだけではなく、季節の移ろいや
男女の性愛の意味が込められて行きます。

本書ではその具体例として、万葉仮名で記された「万葉集」や、かな文字で記された
「古今和歌集」の写真図録が掲載されて、説得力があります。

日本語がこのように入り組んだ言語構造を持ち、またそれゆえ日本文化が複雑な独自の
形で発達を遂げて来たこと。

またひらがな語に由来する感覚的なものが、今日までも流行歌に取り込まれて、人々の
感情の琴線を震わせていること。

更には、現代における合理主義の浸透や情報化社会の発達が、我々日本人の心情を
ひらがな語的な深い内省を伴わない感覚重視の傾向へと傾かせ、底の浅い世相を生み
出していること。

<花>という一字の探求から、このような結論を導き出す、著者の手わざは鮮やかです。

2017年10月11日水曜日

出入りの大工さんの廃業を聞いて

先日出入りの大工さんが突然、廃業の挨拶にこられました。

事情を聞くとご本人は独身の上、介護の必要な高齢のお母さんと二人暮らしで、過日も
仕事に出ている時にお母さんが突然体調を崩されて、対処に困ったということで、
自身も60歳を過ぎ、大工仕事も年々減少しているので、このあたりで辞めて弟家族の
近くに引っ越し、助けを借りて介護をしながらアルバイトでもして、暮らそうと思っていると
いうことでした。

決断するために大工道具も手放しすっきりしたと、寂しそうに笑っておられました。

考えてみると、この大工さんとは先々代のおじいさんの代からの付き合いで、私たちの
店の古い町家のメンテナンスを一手に引き受けてもらって来ました。具体的には、家屋の
自然災害によって傷んだ箇所の修理、年月の経過によって老朽化した部分の補修、
風呂、台所、トイレの改修、それに伴う上下水道、電気工事の請負など、この大工さんは
関連の業者に対しても顔が広かったので、何でも安心して頼むことが出来ました。

そのような事情から寂しさを禁じえないと共に、これからどうすればよいかと不安も残り
ますが、知り合いの同業者を紹介していただけるということで、いざとなったらお願い
しようと思っています。

建築の業界も、個人的に仕事を請け負う零細な工務店が、仕事を続けることがだんだん
難しくなって、生き残るのはある程度以上の規模を持つ業者に集約されて行くのでしょう
が、長年の個人的な付き合いでこちらの事情を知り尽くし、些細な事も気軽にお願い
出来るこの大工さんのような方がいなくなることは、私たちにとっても大きな喪失であると
感じずにはいられません。

2017年10月9日月曜日

京都高島屋7階グランドホール「加山又造展 生命の煌めき」を観て

版画作品でも秀作を残した日本画家加山又造は、私にとって気になる存在でした
が、日本画の作品は創画会展等で数回目にしただけでした。京都高島屋でまとまった
作品を集めた展覧会が開かれるということで、足を運びました。

まず興味深かったのは初期の作品で、動物、鳥を題材に、未来派、シュールレアリスム、
キュビスムなど、西洋の美術思潮を大胆に取り入れて、独創的な日本画を制作して
いることです。

勿論日本の若い画家が、西洋の美術運動の影響を受けることはまま見られることで、
決して特別なことではありませんが、加山の場合それが単なる模倣ではなく、血肉と
なって彼の以降の絵画の中に消化されていると感じさせるのが、とても斬新でした。

その後彼の作品は琳派、水墨画などの影響を受けて、日本の伝統的な絵画様式を
見直す方向に回帰して行きますが、その根本には若い頃に培った西洋の前衛的な
美術を通した対象の捉え方があると、感じました。

その彼の傾向が顕著に現れる例として、私は日本画にしては硬質で、鋭い独特の
線が挙げられると思います。これは分かりやすい例では裸婦に見られるもので、また
冬の木立の表現などにも用いられ、彼の絵画の魅力を決定づけるほどに、重要な
ものだと感じさせます。

つまり、従来の日本画のたおやかな線ではなく、シーレやビュッフェに見られるような
対象を切り取るような鋭い線とでも言いましょうか、そのような線を用いることによって、
加山は自身の日本画の中に、現代的な洗練と洒脱を生起させることに成功したと、
感じました。

もう一つ印象に残ったのは、私の仕事にも通じる着物の作品で、彼の父親は京都の
着物の図案家であったということで、彼も着物に強い思い入れを持っていて、自ら
実際に制作したということです。

その着物の作品は、生地に直接波や鶴、牡丹の花などが素描で描かれていて、
私などにはかえってその並外れた筆力が、ダイレクトに伝わって来るように感じ
られました。このモダンな装いを持つ日本画家も、伝統工芸の血を確かに受け継いで
いるのです。

2017年10月6日金曜日

二宮善宏著「「快傑ハリマオ」を追いかけて」を読んで

「ハリマオ」というと、50年以上も前の私がまだ年端も行かぬ子供の頃に放映された
テレビ番組なのに、その主題歌のメロディーと歌詞を今もおぼろげながら思い浮か
べることが出来る、まるで原風景のように心に残るドラマです。この本を書店で目に
した時、表紙カバーの主人公の写真にも強く惹きつけられて、思わず手に取りました。

本書が刊行され話題になっているのも、一つはテレビ放送が開始されて早や60年
以上の年月が経過し、またITという新たな情報通信、映像媒体が急速に普及して、
テレビというもののルーツと存在意義について改めて検証しようという機運が、
広がって来ているためかも知れません。

事実昨年にはNHKで、草創期のテレビ放送と深い係わりがある、黒柳徹子を主人公
にした良質なテレビドラマが放映されて、大きな反響を呼びました。これからも初期の
テレビ放送を振り返る、様々な企画が続くのでしょう。

さて「ハリマオ」放映時に私自身がまだ幼かったので、その印象はうっすらとした輪郭
しか残っていません。しかしこの本を読み進めて行くと、まだ娯楽としての劇場映画が
全盛の時代に、テレビ草創期のテレビ制作者やスタッフが、限られた予算と時間に
縛られながら、懸命に番組を作り上げようとした熱気が伝わって来ます。

敗戦後の窮乏から高度経済成長期へと突き進む、我が国の経済状況の変遷と轍を
同じくして、テレビという新しい映像媒体を育て上げようとする、使命感に燃えた
制作会社社長の陣頭指揮の下、まだ家族的な雰囲気の残る制作現場で、スタッフが
それぞれの立場で、情熱的に番組作りに励んだ姿が見えて来ます。

また「ハリマオ」の主題歌の歌い手として、当時売れっ子の三橋美智也を起用した
ことも、私のかすかな記憶からも明らかなように、ヒットを決定づけました。制作者には
先見の明もあったのでしょう。

主演の勝木敏之については、以降早く芸能界を退いたこともあって、コスチュームの
出で立ちしか思い出せません。一つの大ヒットの後、人知れず姿を消すというスターの
淋しい末路の一つの形かも知れません。

このドラマの主人公ハリマオのモデルは実在の人物で、日本からマレーに渡り、
盗賊団の首領、日本の諜報機関の協力者として活動したと言います。戦時中
軍国美談の英雄として祭り上げられた後、戦後には再びジャワ独立運動に身を捧げた
勇者として、ドラマの中で活躍するのです。

このドラマの設定、ストーリーも、敗戦後の庶民の中にくすぶる憤懣や、やるせなさを
解消する意味において、視聴者の喝采を浴びたのでしょう。

2017年10月4日水曜日

龍池町つくり委員会 45

10月3日に、第63回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回はまず中谷委員長より、学区内のホテル等の建設工事に関する報告がなされ
ました。

工事を巡り建築関係者と町内住民とのトラブルが発生している柿本町では、工事に
よって直接影響を受ける、現場に隣接する住民の要望書を町会長主導で、建築主、
設計事務所などに提出し、それに基づいて近く説明会が開催されることになりました。

役行者町の旧小松屋さんのホテル建設予定地に関しては、9月29日に解体工事
についての説明会があり、事業主はNTT、施工者は大林組ということです。ただ
近辺で他のホテル建設工事も予定されており、工事車両の錯綜が心配されます。

これらの建設問題は、これからの町内の安全や住環境にも深くかかわる問題なので、
町内住民が良く話し合った上、当事者間のコミニケーションを取って解決を図るべき
であり、そのようにすることが将来の町内の活性化につながり、また町内だけでは
解決出来ない問題は、自治連合会を通じて全地域住民で分かち合うという方針が
確認されました。

京都外国語大学との提携プロジェクトについては、南先生より当初の大原学舎を
巡る写真展示企画を一旦白紙に戻し、薬祭りにちなみ二条通の歴史と現状を学生と
一緒に調査研究することを経て、新たな企画を立案するということになりました。

公益財団法人龍池教育財団主催、龍池自治連合会共催で、11月3日に学区住民に
もっと大原学舎に対する認知度を高め、親しんでもらうことを目的に、「大原草刈り
プロジェクト」が開催されます。この企画は当日現地で午前中には草刈り等の環境
整備活動を行い、昼からはバーベキューで親睦を深めるというもので、当委員会の
寺村副委員長が主体となって計画されました。

新春恒例の「きもの茶話会」は、1月21日あるいは28日に開催を予定することになり
ました。

2017年10月2日月曜日

鷲田清一「折々のことば」886を読んで

2017年9月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」886では
”言い習わし”から次のことばが取り上げられています。

 腑に落ちない

身体と心が深い部分でつながっていることに、私が実感を伴って気づいたのは最近
のことです。

若い頃には思念や感情の方が先走って、身体というものは煩わしく思い通りに
ならないもの、かえって足かせとなるもののように感じられることが、ままありました。

例えば私は運動があまり得意ではなかったので、スポーツをする時には思うように
いかず、自分の身体をもどかしく感じていましたし、容姿にも劣等感を持つ部分が
あったと記憶しています。

また若さに任せて、仲間と騒ぎながら飲食する時にはついつい暴飲、暴食して、翌朝
の苦しさに後悔したり、何かに熱中してむやみに夜更かししてしまい、日中にぼおっと
して無気力な状態に陥ったことなどが思い出されます。そんな時には、自分の身体を
持てあましていたと思い当たります。

しかし、次第に歳を重ね最早若くはなくなって、身体の無理がきかなくなり、不摂生が
健康診断の数値や体形に現れるようになると、さすがに自分の健康が気になるように
なりました。更には父や身近な人の死が、身体や健康について取り上げた本に興味
を持たせることにも、なりました。

そうするうちに、健康について考えることは、自分の身体に問いかけることであり、
身体と心は密接につながっていると気付いたのだと思います。

上記のことばの示すもやもやした身体感覚が、特定の心の働きを見事にいい当てて
いることも、今なら納得することが出来ます。

2017年9月29日金曜日

そやま まい作「漫画 特攻 最後のインタビュー」を読んで

京都精華大学出身で京都国際マンガミュージアムとも縁が深く、私たち
町つくり委員会の企画「たついけカルタ」の作画も担当して頂いている、漫画家
そやままいさんの初の単行本化作品「漫画 特攻 最後のインタビュー」を読みました。

漫画を手に取るのは本当に久しぶりで、若い頃に心を躍らせながらページを繰った
ことなどが思い出されましたが、この本は題材も第二次世界大戦中の特攻隊員の
回想ということで、襟を正して読み始めました。

読み進める内に、当時特攻に従事した若い人々の真摯な心情が、決して特異なもの
ではなく、我々にも通じる等身大の思いとしてジワリと胸にしみて来て、この若者
たちに共感を覚えずにはおられませんでした。

あの戦争から長い月日が流れ、最早この国でも体験していない人が大多数を占める
ようになった現在、かく言う私も実際の戦争を知らない人間ですが、戦争の悲惨さや
理不尽さはなお、報道や書籍、映画、ドラマなどによって訴えられ続けてはいますが、
それらの語られ方は客観的に過ぎてよそ事のように感じられたり、遠い昔を回顧する
ような真実味の乏しさが感じられることも、少なからず見受けられるように思います。

この本は漫画本という手に取りやすさ、読みやすさという利点を持ちながら、極限状態
での人の生き様を描くという深い内容を有し、またその描かれ方も劇的な描写や
エモーショナルな表現を極力排して、淡々とした、余白の多い語りに徹することによって、
かえって主人公の心の動きを説得力を持って、読者に直に訴えかけることに成功して
いると、感じました。

描かれた特攻隊員と同年輩の若者たちにも、是非読んでほしい本です。

2017年9月27日水曜日

鷲田清一「折々のことば」881を読んで

2017年9月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」881では
真宗大谷派東本願寺の親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマである、次のことばが
取り上げられています。

 今、いのちがあなたを生きている

宗派の教理との兼ね合いは私には分かりませんが、そのことを離れても、深い意味を
持つことばだと思います。

私たちはとかく頭でっかちになって、ともすれば、自分の身体というものは自身の
所有物で、どのように扱おうと勝手であると、考え勝ちです。そしてそのような気持ちが
例えば自殺を考える時など、頭をもたげて来るのではないでしょうか?

しかしそれがもし誰かからの預かりものであると認識するなら、自ずから身体に対する
考え方も違ってくるはずです。

科学的知見にしても、身体はDNAの乗り物であり、自己という意識はそこから派生する
ものに過ぎないと推定するなら、身体は預かりものという考え方と見事に一致します。

生・老・病・死の四苦にしても、肉体的苦痛は別として、自分の身体が幸運な授かりもの
と感じられたら、随分慰められ、和らぐものもあるような気がします。

どこで伝聞したのかは忘れましたが、人類と類人猿の感じ方の違いとして、例えば
類人猿は、身体に障がいの残る深手を負っても、それ以降の生活にもたらされる不利を
嘆かない。つまり自らの運命を呪わず、将来を悲観しないということです。

単にそういう能力が欠如しているということかも知れませんが、厳しい野性の生活を
生き抜くためには、そのような能力は邪魔になるので発達しなかったのかも知れません。

このことばを読んで、そんなことを考えました。

2017年9月25日月曜日

二条城会場「アジア廻廊現代美術展」を観て

先日、「アジア廻廊現代美術展」京都芸術センター会場に行ったのに続いて、
二条城会場を訪れました。

こちらは二条城という文化的価値を持ち、幾つもの伝統的な庭園と建築物を有する、
広々とした会場を用いた現代美術の展観です。

まず目についたのは、チェ・ジョンファの大型バルーンの作品≪フルーツの木≫、
このいっぱいに様々なフルーツが生る木を模したバルーンが、普段は公開されて
いない二の丸御殿台所前の砂利敷きの地面に据え付けられ、ゆらゆらと揺れ
ながら佇みます。伝統的な空間の中でポップなオブジェが一見浮き上がるようで
いて、妙に馴染んで、独特の静かで非現実な空間を生み出しています。

次に台所内部に入り、数点の作品が展示されている中でまず視線を捉えたのは、
草間彌生の≪無限の網のうちに消滅するミロのビーナス≫、黒地に黄色で
網目模様を施したミロのビーナスの背景にも、同じ網目模様のパネルが設置されて
いて、草間にしては落ち着いた配色のビーナス像がパネルの中に溶け込むように
感じられたり、両者が呼応して明滅するように見えたり、引き込まれるような不思議な
感覚を味わわせてくれる作品でした。

度肝を抜かれたのは、キムスージャの作品≪遭遇ー鏡の女≫が全室に設置された
室内に入った時、床一面が鏡張りになっていて古色を帯びた天井板を映し込み、
それが深い奈落のように感じられて、その鏡面の上に足を踏み入れた途端、自分が
何処に立っているのか、あるいは深みに落ち込んでいくのか、まったく分からなく
なって、身体がぐらぐら揺れるような感覚に囚われました。屏風のように並べられた
連なる鏡も屈折した私自身や、周りの情景を映し出して、さらに感覚を混乱させます。
身体感覚を通して、自分とはなにかを問いかけられるような作品でした。

最後に二条城本丸の内堀の水面にガラスのオブジェが浮かぶ三嶋りつ恵の≪光は
いつでもそこにある≫という作品、この作品は文句なく風景と響き合って美しく、
オブジェを設置することによって場の魅力を引き立てるという、私にとっての現代美術
を観る上での新しい感覚を味わわせてくれました。

一風変わった、味わいのある美術展でした。

2017年9月22日金曜日

9月19日付け「天声人語」を読んで

2017年9月19日付け朝日新聞朝刊の「天声人語」では、先ごろ日本遺伝学会が
「優性」「劣性」という言葉遣いをやめ、「顕性」「潜性」と改めると発表したことを
取り上げて、「翻訳語」について考察しています。私もこのコラムを読んで心に
響くところがあり、以下に記してみます。

日頃私たちは、その言葉が「翻訳語」であるかどうかということを、あまり意識
せずに使っていますが、改めて考えると、近代以降に西洋より導入された概念、
ものの名前は大部分が翻訳された言葉であり、その影響には計り知れないもの
があります。

しかしまた、当初のその言葉の元来の意味は、なるほど翻訳というフィルターを
通過することによって変容を遂げることになるのでしょうが、その言葉が持ち込ま
れてからの時間経過が、新たな意味合いを付け加える、あるいは本来の意味を
よみがえらせることもあると、感じます。

例えばこのコラムで例示されている「農薬」という言葉も、最初は悪い印象を払拭
するために採用されたのかも知れませんが、私たちは「農薬」による健康被害や、
環境汚染を実際に体験することによって、「農薬」という名前の物質そのものが
危険な薬剤という認識を深めて行ったと思います。それは「公害」という言葉も、
然りです。

コラムの筆者も、本来「翻訳語」とはこれほど繊細で、その含意も微妙に変遷する
可能性のあるものなのに、最近の安易なアルファベット表記のカタカナへの移し
替えで事足れりとする「翻訳言葉」は、意味を曖昧にしないかと懸念していますが、
それ以前に現代のわれわれの社会を広く覆う、物事を深く考えない軽薄な風潮の
現れではないかと、改めて感じさせられました。

2017年9月20日水曜日

前店主の七回忌法要を終えて

先日、前店主(父)の七回忌の法要を菩提寺で執り行いました。

当日は、台風が刻一刻と迫って来るあいにくの天気で、接近時間によっては中止を
余儀なくされる可能性もあり、滋賀県から参加予定の親戚の方は、帰路の困難も
予想されるので、法事だけに出席して、後の食事の席は辞退するという連絡が
あったほどで、名古屋から参加してくれる妹夫婦も、帰りの新幹線が荒天による
運転休止になることも覚悟して、場合によっては私の家に泊まるつもりで、来てくれ
ました。

法要が始まる午前11時には、幸い台風の進行速度が予想より遅いこともあって、
空は全体に不穏な雲に覆われていましたが、雨も降らず、風も吹かず、本堂での
法要後、墓地のお墓の前での墓回向も無事に済ますことが出来ました。

私たちのところでは、年忌法要ではまず、主催する者が戒名を記した短冊を付した
供養の品を寺と参加者分用意し、また参加者の有志も同様に供養の品物を準備
して、寺に法要のお礼と一緒に渡すと共に、参加者にも持って帰ってもらうことに
なります。

また、参加者にあらかじめ募って、木に墨で戒名と供養する人の氏名を記した
大塔婆を寺に準備してもらい、墓回向の時に墓の背後に立てて供養をします。

法要、墓回向と雨風にも遇わず無事終了して、予め予約していた老舗の京料理店
に向かいました。かつて訪れた時の接客に好感を持ったので、今回の法事の後の
食事の席の会場に選んだのですが、秋らしい設えで、掛け軸も法事に因んだ墨書
が床の間に掛けられた部屋で、親族一同父を偲びながら、ゆったりとした時を
過ごしました。この時点でもまだ、雨風はたいしたことはなく、幸い妹たちも当日に
名古屋に帰ってもらうことが出来ました。

父の年忌法要は、親戚にもわざわざそのために集まってもらうので、準備の時点で
間違いや行き届かぬところが無いように気を使い、また当日は天候も含め滞りなく
進行するように随分気をもみましたが、終わってみると、私が父と同じ立場で仕事に
従事し、このような行事も執り行っていることもあって、折に触れて父の気持ちや
振舞いを思い返していたことに改めて気づかされる、よい機会となりました。

2017年9月18日月曜日

鷲田清一「折々のことば」875を読んで

2017年9月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」875では
社会学者岸政彦の「断片的なものの社会学」から、次のことばが取り上げられて
います。

 不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置く
 ということが、一緒になっています。

このことばは言い得て妙、私たちが得てして陥る、人と接する時の距離の取り方の
齟齬を、的確に表わしていると感じました。

というのは我々は往々に、尊重すべき相手に過剰に気を使って、その人の機嫌を
損ねないように、あるいは余計なわずらわしさを感じさせないように、あえて
他人行儀に振舞ったり、無関心を装ったりすることがあると感じます。

これは相手の気持ちを推し量って、不快感を与えるぐらいならそっとしておくのが
良いと判断しがちな、日本人のメンタリティーに起因すると思われますが、結果
尊重すべき相手との意思の疎通が十分に図れないという、本末転倒の事態に陥る
ことになります。

そしてそのような傾向の積み重なったものが、ひいては政治不信や人々の心に
巣くう疎外感にもつながっていると感じます。

ではどうすればいいのか?勿論簡単な解決策はないけれど、私たち一人一人が、
真に相手を尊重するためには、その人と直に触れ、相手を知ることから始め
なければならないということを、実感として認識することが必要であると、感じます。

2017年9月15日金曜日

京都国立近代美術館「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」を観て

絹谷の絵画といえば、飛びぬけてカラフルであくまでも陽性、エネルギーが横溢する
ようなイメージがまず、思い浮かびます。ところがこの大規模な回顧展を観て、その
イメージはある意味一面的であることに気づかされました。

このような気づきは、画家の画業を通覧する回顧によって初めて得ることが出来る、
楽しみの一つなのでしょう。

まず、イタリア留学前の東京藝術大学在学時代の作品を展示する第1章 蒼の時代、
表題通り蒼を基調とした絵画が並べられていますが、彼の代名詞のような作品とは
まったく違う、孤独、不安、懐疑に彩られたクールな画面で意表を突かれます。

彼は、古都奈良の由緒ある旅館の子として生まれるも、両親が離婚したこともあって、
人生に満たされないもの、疑問を持ち続けていたといいます。その偽らざる感情の
表出が、これらの作品を生み出したのでしょうが、ここで忘れてはならないことは、
これらの初期の絵画が絹谷の作品に対して我々が抱くイメージとは随分違っても、
それらは別の基準で私たちの心に響く優れた絵画であり、画家の非凡さを余すこと
なく示していることです。

また一度初期のこれらの作品を観てしまうと、以降の明るい色彩のエネルギッシュな
絵画の見え方も変わって来て、彼のあくまで陽性で力強い表現は、アフレスコという
技法上の制約もあるに違いないのですが、初期の負の思念を乗り越えようとする
ためのものであることが見えて来ます。その意味において、彼は終始一貫して自身の
心に忠実に絵を描く画家であると感じられました。

さらにイタリア留学がいかにして、彼の絵画にこのような劇的な変化をもたらしたのか
ということについても、もっと知りたくなりました。

次に第3章 安井賞における絹谷の同賞受賞作と安井曾太郎本人の作品との比較が、
時代による具象表現の変化を具体的に示していて、興味深く感じました。

明治時代にヨーロッパに留学した安井は、まだ日本に西洋絵画が受け入れられて
日が浅いこともあって、ヨーロッパの絵画技法をいかにして日本的な感性に馴染ま
せるかということに、腐心していたように感じられます。

他方絹谷は、我が国に西洋絵画が一つのジャンルとして定着した昭和後期に同じく
留学して、最早具象表現も単なる具象では飽き足りなくなっている時代の要請も
あって、日本的な感性とも融合したまったく独創的な作品を生み出しています。

絹谷個人の画業の回顧だけではなく、明治以降の日本の西洋絵画の歴史にも思いを
馳せることの出来る、優れた展観でした。

2017年9月13日水曜日

鷲田清一「折々のことば」872を読んで

2017年9月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」872では
フランス文学者鹿島茂の「子供より古書が大事と思いたい」から、パリの古書店の
客対応について述べる、次のことばが取り上げられています。

 愛想のないのを悪意のしるしと取ってしまうのは誤りである。

店の客対応の良し悪しも、業種によって違うと思います。例えばラーメン店は
テキパキとして、客さばきが迅速であるのが好ましく感じられますし、デパートでは
店員につきまとわれるのは煩わしいけれど、こちらが商品について尋ねたい時
には、すぐ近くにいて迅速で、丁寧に対応してもらえるのが有難く思います。

でも確かに相対的には、店の人間があまりに無愛想で不親切であるのは、客に
不愉快な思いをさせますし、逆に愛想や調子が良すぎるのも、何を考えている
のか分からず、不信感を抱かせます。

私たちの店では、取り扱っている品物が白生地という素材商品で、その上に加工を
施してから用いられるのが普通なので、そのままの状態では見えにくい品質に
ついて、丁寧に説明することを心掛けています。従ってお客さまに安心を与え、
納得して頂けるような、ゆっくりと時間をかけた落ち着いた対応が相応しいと感じて、
実践しています。

ところで自分の仕事を離れて、日本では一般的に、まだ店と客の関係において、
客側に買ってやっているという意識が強く、店側もそれを過剰に意識しなければ
いけない雰囲気がある、と感じられることがよくあります。

上記の鹿島のことばには、そんな日仏の比較が含まれているのでしょう。私たちの
国でも、売り手と買い手は対等の人間という意識が醸成出来れば、もっと風通し
が良くなるのかもしれません。

2017年9月11日月曜日

「福岡伸一の動的平衡 京都で見たクマゼミの羽化」を読んで

2017年9月7日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「京都で見たクマゼミの羽化」と題して、子供の頃、東京でクマゼミに出会うことは
なかったが、関西旅行の際、はじめて見たこの大型のセミに魅了された、と記して
います。

私の子供の頃には、京都の街中にも確かにクマゼミが生息していましたが、
アブラゼミやニーニーゼミが多く生息し、クマゼミは限られた木に見られるだけ
でした。

だから子供の時によく昆虫採集に行った近所の空き地でも、アブラゼミやニーニー
ゼミは簡単に捕れましたが、クマゼミはその空き地の奥まったはずれの一本の木に
だけ集まっていて、囲いの柵に上って腕をいっぱいに伸ばし、捕虫網でどうにか
一匹捕れた時には、何か大した事をやってのけたような達成感を味わったものです。

最近は地球温暖化の影響か、クマゼミがどんどん増えて来て、私の家の坪庭でも
普通に見かけます。今まで当たり前のように感じて、子供の頃の感慨を思い出す
こともありませんでしたが、この文章を読んで記憶がふとよみがえりました。

そういえばかつては自宅の近所に、寺院跡の空き地もあって、そちらでは玉虫を
捕まえたこともあり、また小学生仲間で秘密基地を作って遊んだこともありました。

それらのささやかな子供の冒険心を満足させてくれた空き地も、今は全てマンション
や駐車場に代わり、跡形もありません。今回の「福岡伸一の動的平衡」を読んで、
ほのかに切ない気分がよみがえって来ました。

2017年9月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」863を読んで

2017年9月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」863では
ファッションデザイナー三宅一生の「三宅一生 未来のデザインを語る」から、次の
ことばが取り上げられています。

 ぼくにとってデザインがおもしろいのは、すぐに受けいれられるのではない、という
 ことがあります。

かつてこの日本を代表するファッションデザイナーの回顧展を、京都国立近代美術館
で観ましたが、至ってシンプルでありながら、斬新な発想の転換があり、そこから
無限の広がりが生まれて来そうな予感に、わくわくさせられるようなデザインが次々と
登場して、白昼夢のような感覚に囚われました。

そのデザイナーがこのように語ると、ズシリとした説得力があります。

一方私の携わる和装業界には、伝統的な衣裳としての着物というものが、最早忘れ
去られつつある服飾文化といったイメージが、蔓延しつつあります。

それはとりもなおさず、多くの人々にとって、和装というものが現代の社会生活には
馴染まず、成人式や卒業式といった特別な場面を除いて、普段は受け入れ難いと
感じられているということでしょう。

でも他方、文化の欧米化が進展して、生活の利便性が向上するにつれて、その反動
として伝統的な文化や生活様式を見直したいと感じる人々も、確かに少なからず存在
します。

もし和装を愛でる土壌が全く失われたのではないなら、また受け入れられる可能性も
有るということです。私たちは自分たちの仕事を通して根気よく、和装の良さを伝えて
行かなければならない。逆説的かもしれませんが、上記の三宅一生のことばに、そんな
励ましを受け取る思いがしました。

2017年9月6日水曜日

龍池町つくり委員会 44

2017年9月5日に、第63回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、京都外国語大学の南先生や学生さんたちが参加されなかったので、
各委員を中心に主に龍池学区内の問題について、話し合いました。

まず、最近京都の観光客の急激な増加による宿泊施設の不足に伴って、我が
学区内でも数件のホテルの建設工事が行われていますが、学区民と建設業者の
間で工事を巡るトラブルが少なからず発生しています。

例えば、最初はマンションを建設するという触れ込みで、途中から突然ホテルを
建設するということに変更されたりと、業者から地域住民への説明が不十分で
あったり、誠実さに欠けることも、しばしば見受けられます。

建設地点の町内会と業者の折衝だけでは進展しない案件については、中谷委員長
を中心に町つくり委員も参加して業者と交渉し、その結果を次回理事会で報告して
広く意見を聴くと共に、これから同じような事例が起こった場合の参考にするという
ことになりました。

次に町内によっては、昔から居住する住民が町内会の運営を独占的に取り行って、
新しく入って来た住民がなかなか意見を言いにくいという問題も起こっているよう
です。

この問題については、当委員会から次期理事会で各町会長に対して、若い住民の
町会運営への参加を促すよう提案するということになりました。

また町内の中に掲示板が設置されていない町内については、設置して頂くように
重ねてお願いすることになりました。

最後に寺村副委員長より、災害に備える食料品などの物資の備蓄の仕方について、
ローリングストック法という考え方の説明がありました。これは食料品など消費期限
のある物資を備蓄する場合、「購入ー備蓄ー消費ー購入ー備蓄」というサイクルを
うまく使いまわして、循環的に備蓄量を確保するというもので、具体的には備蓄品の
一部を少しづつ消費しながら、その消費分を買い足して備蓄量を一定に保つという
ものです。

災害発生時には、自治連合会が準備している備蓄物資だけでは、全く地域住民
全員の必要分を賄うことは出来ず、各自が自主的に用意する備蓄品の重要性が
増しますが、学区の自主防災会に所属する私としても、学区民に備蓄を促すために
この方法は有効性が高いと、感じました。

2017年9月3日日曜日

鷲田清一「折々のことば」862を読んで

2017年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」862では
喜劇役者古川緑波の「ロッパ随筆 苦笑風呂」から、次のことばが取り上げられて
います。

 暑さというものを、勘定に入れて下さい。

戦後、浅草でお盆興行「お化け道中」を打ち、客の好評を博するも、批評家から
「客に媚び」たと酷評され、切り返したことばだということです。

私の想像するに恐らく、戦争前夜、戦中の体制批判や娯楽が不謹慎と捉えられた
時代を引きずった批評家の言に、緑波が本来喜劇とは如何なるものかを示した
ことばなのでしょう。

私は表現という行為においては、元来堅苦しさと真摯さは違うものだと感じます。

堅苦しさは真面目ではあるけれども、往々に広がりや伸びやかさに欠け、ともすると
体制や権力に従順になって、独善的になる。喜劇においては尚更、致命的な欠陥
でしょう。

それに対して表現における真摯さとは、良識を持った表現という当事者としての
責任を果たしながらも、受け手に満足を与えることを最上の価値として取り組むこと
ではないか?

この場合観客は、その作品に魅力があれば自然と集まって来るのであり、上述の
喜劇では、恐らく戦中の閉塞感からのガス抜きという役割をも果たすことになった
のでしょう。

2017年9月1日金曜日

高橋和巳著「悲の器」河出文庫を読んで

読者が本書に興味を持つことが出来るかどうかは、ひとえに我が国の最高権威の
官立大学の教授で法学部長、刑法学の重鎮である主人公正木典膳の心情に共感
出来るものがあるかどうかに、掛かっているでしょう。

彼がもしその肩書が当然のようにもたらす輝かしき晩年を迎えて行くなら、私も
きっと、この長大な物語をあえて読み進めたいとは思わなかったはずです。

しかし一見非の打ちどころなく見えた彼のキャリアが、女性問題の醜聞でものの
見事に瓦解する時、私たちは彼の悲哀の中に、人間が存在する限り免れることが
出来ない、生きることの宿命的な業苦や罪科を感受するのです。

では一体、彼の何がいけなかったのでしょう?彼は自らの学問の専門分野に
おいては極めて有能で勤勉な人間で、学術的に輝かしい成果を上げると同時に、
第二次世界大戦前夜、戦中の厳しい思想統制を潜り抜けた中で、戦後の社会の
在り方についていかなる場合も、法律の本来持つ精神を遵守するという意味に
おいて良心的な人物です。

また大学、法曹界の中でキャリアを積んで行くことについても、大学で学問の
自由が守られない前述の戦前、戦中期には、検察官に転じて難を逃れ、戦後また
大学に復帰して法学部長に上り詰めるというように、極めて機を見るに敏な世渡り
にたけた人間です。

しかし若かりし時同じ教授の下で研鑽した同僚で、戦時思想統制の渦中に過激
思想に走り獄死した富田と、獄中転向して戦後保守与党寄りの教育委員長として
日教組、学生と敵対の上自殺した荻野に対して、自身の身の処し方から来る後ろ
めたさを忘れることが出来ず、その裏返しとして自分の地位の名誉に固執する傲岸
さが、彼の権威の失墜の引き金を引くことになります。

他方彼は、現代の感覚からすればかなり女性蔑視の考え方の持ち主で、女性に
対して自らの経済力で庇護し、付き従わせるものという先入観があります。また付け
加えれば、作中の女性たちはその立場を甘受する傾向にあります。しかし家政婦の
米山みきにとって、その寛容の限度を超えた時に、彼の破滅は始まるのです・・・。

この小説は壮大なスケールで、敗戦後の急激な価値転換の中での知識人の苦悩を
描き、多少の瑕疵や不自然さは見られますが、圧倒的な筆力でぐいぐい読者を引っ
張って行きます。

さらに現代の社会情勢と比較しても、安保関連法案を巡る解釈改憲の問題、テロ等
準備罪の新設についての議論などの法政分野のみならず、富田の獄中での狂気が
オーム真理教の教祖の成れの果ての姿を想起させるなど、執筆後50年を経過しても
社会や人の思惑や行状はあまり変わり映えしないものであることを、示してくれます。

先見の明も含む、問題作です。

2017年8月30日水曜日

京都芸術センター会場「アジア回廊現代美術展」を観て

日本、中国、韓国の選定された都市が、文化の力で東アジアの相互理解を促進し、
開催都市の更なる発展を目指し、1年を通じて文化芸術の交流を行う事業、「東アジア
文化都市」の2017年の選定都市となった京都の、「アジア回廊現代美術展」京都芸術
センター会場に行って来ました。

旧明倫小学校の校舎、校庭を利用した会場には、多彩なアーチストの様々な作品が
展示され、開放感のある祝祭的な雰囲気を醸し出していますが、特に私の印象に
残った展示について、以下に記して見たいと思います。

まず、オ・インファンの「Reciprocal  Viewing System-2015」という展示。この作品は
校舎の二つの部屋を用いて、監視カメラの画像に死角が存在することを浮かび上がら
せようとする試みで、室内に設置された監視カメラに写り込まない壁面を、濃いピンク
に塗り分けることによって、その存在を視覚化します。その室内に入った鑑賞者は、
壁面の濃いピンク色の部分と、監視カメラの自らが映り込んだ映像を見比べることに
よって、この死角の存在を強く意識させられることになります。

現代の人と人の絆が希薄になった社会、そしてその帰結として公共、私的を問わず、
人の行き来がある空間において監視化が進む社会を象徴する監視カメラにも、
死角が存在することを明らかにする展示は、現代社会に蔓延する疎外感を示し、また、
合理性と完璧さを標榜するかに見えるこの社会にも盲点、あるいはブラックボックスが
口を広げ、一つ間違えると深淵に落ち込むような危機感に、私たちが常に苛まれて
いるのではないかということを、問いかけて来ます。私はこの展示に、軽い衝撃を受け
ました。

他にも、ルー・ヤンの「Lu Yang Gong Tau Kite」と題した、自らの顔をカリカチュアした
大凧が空になびく様子を映像化した作品の、一種名状しがたい悠久感や滑稽さ、
頼りなさ、今村源の会場4階の和室を利用した、何気ない日常の佇まいの中に突然
現れる違和感、落ち着けない感情を呼び覚ます展示に、心がときめかされました。

また、校庭を用いた日独伊の若手建築家による、「建築Symposion」と題する仮設展示
では、それぞれの建造物のユニークさもさることながら、校舎から校庭の上に張り渡さ
れた多数の透明なロープが風に揺れることによって発する音に導かれて、思わず空
を見上げた時のその空の美しさが、印象に残りました。

2017年8月27日日曜日

国立国際美術館「クラーナハ展 500年後の誘惑」を観て

クラーナハというと私がまず思い出すのは、若い頃にウィーンの美術史美術館で
観た、暗い背景の中から浮かび上がる独特のプロポーションで、特異で艶めかしい
ポーズを取る女性の裸体画でした。一度観ると決して忘れられない、強い印象が残る
からでしょう。

他方彼が500年前、宗教改革の時代に活躍した画家であったということは、今展で
初めて知りました。そういえばこの展覧会にも出展されているマルティン・ルターの
肖像画は、何かの図版で目にしたことがあります。

実際に観ると、同時期の裸体画など他の主題の作品と同じような描法で描かれて
いるように見えながら、この肖像画には内から滲み出てく来るような厳粛さが表現され
ているように感じられます。クラーナハの絵画がまとう特異さと、それを支える技量の
確かさを、改めて見る思いがしました。

またこの画家は、本展の目玉ともいえる「ホロフェルネスの首を持つユディト」に代表
されるように、誘惑する女性を描いた絵を多く残しています。彼の裸体画が誘うような
独特の魅力を放つのも、彼のそのような嗜好に起因しているのでしょう。

説明書きを読むと、彼の誘惑というテーマには審美的に魅了するという要素と、誘惑
されることを戒めるという道徳的な要素の相反する二面性があり、それは彼の生きた
時代の要請によって規定される部分が大きいに違いありませんが、画家自身が
重層的で複雑な精神構造を持っていただろうことが、想像されます。

クラーナハの人生を年表から辿ると、彼は神聖ローマ帝国のザクセン選帝侯に宮廷
画家として仕え、宗教改革の嵐が吹き荒れる中、主君に習いルターに理解を示し、
また一人の画家として大成するだけではなく、大規模な工房を構えて作品を量産し、
後にはそれを子に譲って繁栄を継続させる。また同時に政治家、実業家としても
手腕を振るったのです。この彼の一筋縄ではいかない複雑な人間性が、その作品
全体に神秘的な影を宿しているようにも感じられました。

クラーナハとデューラーは、ドイツ・ルネサンスを代表する画家と言われます。本展
では両者の版画作品が、比較出来るように並べて展示されています。こと版画に関し
ては、相対的にデューラーの完成度に一日の長があるように感じられますが、二人が
活躍した華やかな時代が彷彿とされます。

また、クラーナハに影響を受けたピカソやデュシャンの作品も展示されていて、
ヨーロッパの美術の連綿と続く流れを感じさせられました。
                                  (2017年2月18日記)

2017年8月24日木曜日

鷲田清一「折々のことば」852を読んで

2017年8月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」852では
第二次世界大戦後の東西分断の中で、再統一のために尽力した当時のドイツ大統領
リヒャルト・V・ヴァイツゼッカーの演説集「言葉の力」から、次のことばが取り上げられて
います。

 「悪」を名指しにすること・・・・・ではなく、われわれをつなぎ合わせる代わりに引き離し、
 ぶつけ合う「弱さ」が問題なのです。

ナチスの狂気の時代を経ての敗戦後、壊滅的な打撃を受け、東西冷戦という複雑な
国際情勢の最前線となって分断されたドイツを、再び統合するために力を尽くした
優れた政治家で、傑出した演説の名手ヴァイツゼッカーの生き方には、かねてより
興味を持ち、彼の自伝も読みました。

というのは、私たちの日本も第二次大戦ではドイツと同じ枢軸国側に組し、アジアに
おいて多くの周辺国に甚大な被害をもたらしながら、戦後処理という外交分野でまだ、
被害を受けた国々に満足な理解を得る解決を見出していないと、感じるからです。

そのような状況の中で、政治家の果たすべき役割は何か?それがヴァイツゼッカーの
業績から私が幾ばくかでもヒントを得たいと、思ったことでした。

上記のことばで彼は、人の「悪」をあげつらうのではなく、一人一人の「弱さ」をこそ克服
すべきであると、語り掛けています。

あの戦争の歴史を語る多くの記録や書物を読んでみても、行為や結果の悲惨さは言う
までもなく、なぜそのような状況に陥ったかという部分の検証を辿ると、とてもそのような
重大な結果をもたらすとは思われない小さなほころびが、最終的には取り返しのつか
ない事態に至る姿が、しばしば見えて来ます。

恐らく「悪」というものが最初からあるのではなく、私たちはそれを呼び込むこととなる
「弱さ」に打ち勝つ勇気を持つべきであると、彼は語りたかったのでしょう。

2017年8月22日火曜日

「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」中公文庫を読んで

私は元来、第二次世界大戦を軍事戦略論的に見る視点には、あまり興味を感じません
でした。なぜなら、多くの死者と数限りない悲嘆を生み出したあの戦争を、一種ゲーム
感覚の覚めた視線で分析する論に、何か表層をなぞるだけのような感触を持つから
です。

しかしこの論考の、軍事戦略的な視点を用いながら、真摯に日本軍の敗北の本質を
明らかにしようとする姿勢に動かされ、敢えて本書を手に取りました。

日本軍の敗北の原因を考える時、まず第一には圧倒的な国力の差のある米国に対し
てなぜ戦いを選択したのかということが、大前提としてあると思います。しかし本書が
一章で失敗の事例研究として取り上げている6つの戦いの時系列に沿った展開を見て
行くと、彼我の兵器、軍事装備の性能及び物量の大差は已むおえないとしても、個々の
戦闘の局面で一度劣勢に立たされた時、日本軍は作戦上非合理な選択を繰り返し、
大敗に至っていることが分かります。

二章ではこれらの事例に共通する日本軍の失敗の原因を、米軍と比較しながら、
戦略上と組織上の問題点に別けて分析しています。つまり米軍は明確な戦略目的を
持ち、長期的な戦いを視野に入れ、陸海空軍を融合した総合的で柔軟性に富む作戦
計画を有するのに対して、日本軍は戦略目的が不明確で、短期決戦を志向し、陸海軍
の協調は不十分で、場当たり的で硬直した作戦計画しか持ち合わせません。

また兵器、装備においても米軍が技術を標準化して、一定以上の性能のものの量産化
に成功しているのに対して、日本軍は大艦巨砲主義に代表されるような一点豪華主義
に陥っています。

また両組織を比較してみても、米軍が階級制度を柔軟に運用し、その前提として教育を
充実させ、人事考課を合理的に行っているのに対して、日本軍は年功序列の硬直した
階級制度で、幹部候補の教育も机上のものが中心で、人間関係に左右される
温情主義的な人事評価が行われていたといいます。

そして三章ではなぜ日本軍がこのような弊害に陥ったかが探究されていますが、総合
すると日本軍は近代的官僚制組織と集団主義を混合させた不完全な組織であり、その
上に日清、日露戦争の戦勝体験が拍車を掛けて、自己革新を怠る組織になってしまった
ということになります。

この論の結論を読むと、単に軍隊の組織論の枠を超えて、日本という国が明治以降の
西洋的価値の導入による急速な近代化の中で、なお封建的な思想を色濃く残す、
いびつな発展を遂げて来たこと。また更に敗戦後においても、理念や制度の形を受け
入れることには巧みでも、本質を理解し、深い部分からそれを運用することが苦手な、
日本人の気質が見えて来る気がします。

2017年8月19日土曜日

松山大耕「現代のことば 「孤独死」は本当にいけないことか」を読んで

2017年8月17日付け京都新聞夕刊の「現代のことば」では、妙心寺退蔵院副住職の
松山大耕氏が、「「孤独死」は本当にいけないことか」と題して、人の臨終について論じ
ています。私には父母の介護経験を踏まえて、何かと考えさせられるところがあり
ました。

まず「孤独死といわれて亡くなった人のほうが病院で亡くなる人よりも穏やかな死に顔
をされていることが多い。」というある医師の証言から、「生物の一番自然な死に方は
餓死」であり、「単独で死を迎える人はそういう亡くなり方をされる場合が多い」という
結論が導き出されますが、私の父は糖尿病に起因する脳梗塞から嚥下障害を起こし、
最早自力で食べられなくなってからも最後まで、食欲を訴えて亡くなりました。

無論現代の医学の進歩がなかったら、父の命はその状態になる以前に失われていた
のであり、脳梗塞を発症した後症状が一時快方に向かい帰宅した時、少しは食べたい
ものを食べることが出来たことが良い思い出であったと、死の前に父が告白したことが、
看病していた私たち家族の慰めでしたが、私自身その経験から日常の食の節制と
体調管理を改めて肝に銘じたものでした。このことからも、医療に余り依存しない、
自然に食欲が減退して行くような死の迎え方が理想だと、感じて来ました。これは
上述の話にも通じると思います。

「生老病死」の「四苦」の中で、現代社会では「死」より「老い」の苦しみの比重が高まって
いるという指摘も、過度な延命治療や認知症の問題が盛んに取り沙汰される現状を見て
いると、大いに頷けます。

私の母も老いに伴う心臓の疾患と、最近では認知機能の低下も見られ、入退院を繰り
返していますが、私の仕事がある程度時間の融通が利く自営業ということもあって、
入院している時は出来るだけ頻繁に見舞いに訪れ、自宅にいる時には時間の許す限り
話しかけ、寄り添うようにしています。高齢の人が孤独感を感じることは、色々な意味で
症状を進行させると思うからです。きれいごとだけではなく葛藤もありますが、せめて
ある程度以上の満足をもって、家族一人一人が人生を全う出来ればというのが、私の
望みです。

2017年8月16日水曜日

赤瀬川原平著「芸術原論」を読んで

赤瀬川原平の芸術活動というとすぐに思い浮かぶのは、ハイレッド・センターの
ハプニング、梱包芸術、千円札模写、トマソン、路上観察などの一見人を食った
ユーモラスな作品や活動です。しかし本書を読むと、それらの仕事が、彼の深い
芸術的思索の上に成り立っていることが、分かります。

まず彼は観察したものから、鋭い洞察力でその本質を見抜く能力を持った人です。
私が本書でそれを感じさせられたのは、鳥や魚の群れの動きに、一つの有機的な
結合体の活動に近いものを感受したと、記す下りです。

つまり、個々の鳥、魚は単独の個体でありながら、それらが一度群れとなって行動
する時、まるでそれぞれが目に見えぬ意思を伝達し合う糸でつながれているかの
ように、一糸乱れぬ動きを示すことから、自然界の中で個々には非力な小動物たち
が、群れという大きな生命体を構成して生活する様に、生命活動の本質を見出して
いる部分です。

そのような深い洞察力を持って、彼は自らの活動領域である芸術というものを突き
詰め、実践して行きます。

彼の理論によると、芸術家による作品の美への到達が、芸術の概念と一致した
幸福な時期は印象派の時代に最高潮に達し、前衛美術家M・デュシャンの登場に
よって最早、芸術作品に普遍的な価値は見出せなくなったといいます。

それ故赤瀬川は、自らの芸術活動において、一回限りのパフォーマンスや偶然に
目にしたものの中に、芸術性を発見する実験精神に満ちた試みと実践を行うことに
なります。

彼のもう一つの優れた能力は、自らが思考し感じたことを説得力のある分かりやすい
言葉で人に伝える能力で、トマソン、路上観察の活動では、観察し思索する力と、この
書き伝える力が一体となって、彼の考えるところの芸術性を生み出しているといえます。

私の芸術に対する考え方は、美がそれに触れる人の心を動かす力を今だ信じると
いう意味において、彼の美に対して余りにもストイックで、科学的合理性を追求する
考え方とは必ずしも一致しませんが、経済的論理や商業主義的価値観の浸透と共に、
芸術という概念がどんどん曖昧になって来ている今日、彼の提起した鋭い問いかけは、
我々が現代における芸術、美術の在り方を、改めてじっくりと考える起点になると、感じ
られました。

そして芸術の前衛を休みなく走り続け、その活動を分かりやすく、親しみやすい言葉で
発信し続けた、この特異な芸術家の喪失を、再び寂しく感じました。

2017年8月14日月曜日

鷲田清一「折々のことば」842を読んで

2017年8月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」842では
茶道研究家筒井紘一の「利休聞き書き(南方録 覚書)」より、客と亭主は茶会に
どのような心持ちで臨めばよいかと問われた時、利休が答えたという次のことばが
取り上げられています。

 かなふはよし、かないたがるはあしゝ

茶道のことはまったく知らないので、よくご存知の方には一笑に付される暴論かも
しれませんが、私はこのことばに人と人が招き招かれ、一つの場に集った時の
それぞれの心の持ち方として、深い意味があるように感じました。

つまり私の心に響いたのは、”相手の心に叶おうとするのはへつらいにほかなら
ない”という部分です。

私は何でも自分のフィールドに引き付けて考えるので、私たちの三浦清商店に
あるお客さまが目的を持って訪れられた場合を想定すると、我々は何時でも、
可能な限りお客さまの要望にお応えしようと待ち受けていますし、対してそのお客
さまはこの店で自分の思い描く白生地を購入、あるいは誂え染めの品物を注文
しようと、考えておられることになります。

さてその場面での双方の心持ちを推量すると、我々は自分たちのお勧めする生地、
それを染め上げた場合の出来上がりに、品質、それに見合う価格共に一定水準
以上の自信を持って先方にお勧めしているはずですし、一方お客さまは商品を
直に見て、私たちの説明を注意深く聴いて、納得の上で購入、注文されることに
なるはずです。

もしこのような場面で、互いが相手に何らかの迎合や妥協をしてしまったら、幸い
ことがうまく運べばいいのですが、結果として何かの理由でお客さまに満足を与え
られなかった場合、双方に悔いを残すことになります。

我々はお客さまの要望に誠心誠意応えようと心掛けながらも、いたずらにへつらう
ことはかえって、お客さまを失望させることになりかねないと、肝に銘じるべきでは
ないでしょうか。

2017年8月11日金曜日

鷲田清一「折々のことば」837を読んで

2017年8月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」837では
哲学者加藤尚武の「環境倫理学のすすめ」から、次のことばが取り上げられています。

 いかなる世代も未来世代の生存可能性を一方的に制約する権限をもたない。

地球温暖化の問題は、今日では未来の深刻な環境破壊が様々に予測され、私たちも
一応危機感を感じてはいるけれど、差し迫った危険を実感出来ないだけに、目先の
経済的恩恵や生活の便利さ、快適さをついつい優先して、なかなか現状を変えられない
というのが、今直面している現実でしょう。

未来の世代への想像力をもっと働かせることが出来たら、我々の取り組みも随分変わる
に違いありません。

また我が国が直面している財政赤字の問題、国家の債務が過剰に膨らんでいる問題も、
我々一人一人が、未来の世代の引き受けなければならない重い債務に、思いを致す
ことが出来れば、目先の自分たちの利益を犠牲にして、先の世代の負担を軽減する
財政政策にも、もっと理解が広がるかもしれません。

他方私の携わる和装業界について考えるならば、この国の生活習慣の急速な変化など
による着物離れという状況の中で、織屋から呉服店に至るまで、この仕事に携わる人が
著しく減少して、最早存続が危ぶまれる事態に陥り、着物文化を未来に伝えられない
可能性も生まれて来ています。

ここ数年秋に修学旅行で京都に来られる、伝統文化に興味を持つ埼玉大学附属中学の
生徒さんが、私たちの三浦清商店を見学に訪れて下さいますが、先日訪問に先立つ
質問書が届き、その中に伝統工芸を守るために自分たちの出来ることは何かという、
真摯な質問を見つけて、私自身この仕事に携わる者として励まされました。

未来へこの文化をつなぐためにも、微力ながらもうひと頑張りしたいと思います。

2017年8月7日月曜日

星野博美著「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」を読んで

若桑みどりの労作「クアトロ・ラガッツィ」をよんでいるので、我が国の約400年前頃の
キリスト教の流布、天正遣欧使節の顛末、キリシタン弾圧という歴史の流れについて
は、ある程度知識を持っているつもりでいます。

さて、その上で本書を読むことにしたのは、この時代の宣教師やキリシタンの様子を
より具体的に知りたいと思ったからです。その意味において、著者が歴史の痕跡を
求めて現地に赴き、文献や資料を渉猟しながら在りし日の彼らに思いを馳せる本書
は、十分に私の期待に応えてくれたと感じました。

まず著者がリュートを習い始めることから、この時代の手触りを探り始めるところが
好ましく感じます。なぜなら、音楽は人間の原初的な表現手段の一つで、その時代の
空気を映す鏡であると、感じられるからです。リュートを通して著者はすんなりと、
あの時代を生きた人々の心に同化して行ったのでしょう。

しかし、このように呼吸を整えた上での著者のキリシタン巡礼は、迫害という厳然たる
現実もあって痕跡が如何にも乏しく、当初彼女を戸惑わせますが、持ち前の行動力
による丹念な探索と、空白部分には想像力を補うことによって、次第に当時の宣教師
や日本人信者の思いを浮かび上がらせて行きます。

予めの歴史的推移は、前述の書で既に知っているので、私が本書から掬い取ること
が出来たのは、弾圧に直面する人々の思いで、またそれに付随して、当時のカトリック
の信仰とは如何なるものであったかということも、漠然とではありますが、知ることが
出来たと感じました。

私にとってとりわけ興味深かったのは、宣教師と信徒、弾圧者とキリシタンの関係で、
まず宣教師は、自分が信仰に導き入れた信者の告解をいつでも聴くという形で、その
信者に責任を持たなければならなかったといいます。それ故宣教師は、国外追放の
命令が出ても自らの信者のために国内に潜伏し、あるいは一旦出国しても再び舞い
戻って、殉教を遂げることになるのです。

またキリシタンには、殉教することが最高の名誉であるという絶対的な価値観があり、
殉教を積極的に受け入れようとするところがあるようです。従って弾圧者が、見せしめ
のためや棄教を促すために、より残酷で、苦しみが続く処刑方法を取り入れても、
かえってそうすることがキリシタンの殉教志望者を増加させることになったそうです。

最近で言えば、イスラム原理主義者の自爆テロが示すように、信仰のために自ら命を
犠牲にするという考え方は、私などには到底理解を超えるものですが、宗教を巡る
時代を超越した普遍的な人間の感情を見る思いがして、しばし考えさせられました。

2017年8月4日金曜日

鷲田清一「折々のことば」830を読んで

2017年8月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」830では
資生堂のPR誌「花椿」のアートディレクターを長年務めたグラフィックデザイナー
中條正義の、雑誌「ブルータス」7月1日号紙上での、次のことばが取り上げられて
います。

 どこか生煮えだったり、あんまり完璧にしすぎないって主義があるもんですから。

私の場合完璧にしようとしても、到底出来ない相談だ、という部分はあるんです
けれども・・・。

でも往々にして、完璧すぎは面白くなかったり、余裕がないように感じられることが
ままあると、感じます。

私の仕事に引き付けて考えると、例えば誂え染めの色ははっきりとしすぎた色よりも
少しくすんだり、微妙なニュアンスがある方が、実際に着用される時に身に添いやすい
ように感じられますし、着物、帯、帯揚、帯締めのコーディネートにしても、余りにも
スキのない取り合わせよりも、少し緩めたところがある方が、傍から見て余裕のある
着こなしのように感じます。

思いますに、どうしても完璧が求められることは別にして、多くの状態、場合において、
完璧ではない瑕疵、隙間の部分に可能性や広がりが生まれるような気がします。
これがいわゆる”遊びの部分”というものでしょうか。

しかし現代社会では、我々はあらゆる場面において完璧さを求められるようになり、
その結果どんどん追い詰められて来ているように感じます。

その原因はいろいろ考えられますけれど、さしあたり最たるものは工業化社会、
情報化社会の到来のように私は思います。

伝統的なもの、手工芸的なものに親しむことによって、このギスギスした社会環境に
よって疲弊した心をしばし癒すことが出来たら・・・。私の希望的観測です。

2017年8月2日水曜日

龍池町つくり委員会 43

8月1日に、第61回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

本日は、7月16日に実施した「たついけ浴衣まつり」の結果報告を中心に、議論が
進められました。

あいにくの雨模様だったにも係わらず、前年同様1200名ぐらいの参加者があったと
いうことで、そこそこの賑わいであったと感じられました。

ただ雨天の場合の今後に向けての反省点として、せっかくのAVホールでの演奏を
マンガミュージアム館内や、グラウンドで聴くことが出来ず、その結果それらの場所で
盛り上がりを欠いたこと、もし演奏音を流すことが出来れば、祇園祭宵山という
シチュエーションからも、もっと多くの参加者を集めることが出来、またグッズ等の
販売も促進出来たのではないかという意見が出ました。

さらに、雨の場合でもグラウンドに大きなテントを張って、野外演奏が出来ないかと
いう意見もありましたが、ミュージアムの設備の問題、テント設営の人員の問題なども
あり、これからの検討課題となりました。

続いて鷹山復興を、龍池学区の町つくり活動に生かすという意味で、学区内の
御池通り以北に祇園祭の山鉾がなく、祭り期間に祇園囃子が奏でられる機会もない
ので、鷹山の巡行復活の折に、各山鉾が宵山に行う、山鉾町から四条寺町の御旅所
までの屋台を用いたお囃子の出張演奏、日和神楽の通り道に、御池以北の学区内を
使用してもらうという案についても、検討がなされました。

鷹山の復興活動にも関わる森委員から、それを実現するためには、少なくとも
鷹山巡行に先立つ唐櫃巡行が実施される予定の再来年までに、学区内各町で
日和神楽を受け入れる意見をまとめ、例えば各家の軒先に祇園祭の提灯を吊るなど
気分を醸成することが大切であるという説明があり、当委員会としては、実現に向けて
学区内に働きかけてみよう、ということになりました。

2017年7月28日金曜日

細見美術館「驚きの明治工藝」を観て

我が国の明治期以降の近代美術については、洋画、日本画の展覧会は折に触れて
催され、現代でも人気のある絵画も多く存在します。しかし工芸については、今まで
あまり紹介されることがなく、従って私も、あまり注目することがありませんでした。
その明治期の工芸品の秀作を展観する展覧会が開催されるということで、足を運び
ました。

まず驚かされたのは、本展の展示品が全て、台湾の宋培安という一人のコレクターに
よって蒐集されたものであるということで、明治期の我が国の工芸品が輸出を主眼に
制作されたことの証左でもありますが、江戸期の日本絵画をまとまった形で蒐集した
外国人コレクター同様に、異国の地に我が国の美術品をこよなく愛する人々が存在
することを、嬉しく思いました。

さて本展の第1章写実の追求ーまるで本物のようにーの最初に展示されているのは、
自在置物という作品たちで、これは鉄、銀などの金属を加工して動物、昆虫などを
制作し、一見本物と見まがうような外見を有し、しかも部品の組み合わせ方などに
工夫を凝らし、様々なポーズを取ることが可能なように作り出された置物です。

質感は金属でありながら、あまりにも本物そっくりなので驚かされますが、例えば蛇の
置物は、とぐろを巻き、鎌首を持ち上げる姿態や、体をくねらせ今まさに前進しようと
しているポーズを取ることが出来ます。本展では会期中に展示替えならぬポーズ替え
を行って、この様子を分かりやすく示すといいます。

また自在置物のもう一つの特徴は、実在の生き物だけではなく、龍、鯱の架空の
生き物も制作されていることで、これらの作品は精巧であるだけに、ロマンやユーモア
を感じさせてくれます。

自在置物を制作するための高度な技術が、江戸期以前の甲冑制作などの技術の
蓄積によって培われたことは、この明治期の工芸品が伝統の継承の上に生み出された
ことを示し、またそれ以前の工芸品の制作者にはあまり写実の意識がなかったという
事実は、自在置物が明治以降に西洋から流入して来た価値観に強く影響を受けている
ことを示しているでしょう。これらの工芸品は、我が国の明治期に生まれるべくして
生まれた作品だと、感じました。

他に写実と繊細さを兼ね備えた木彫作品。また第2章技巧を凝らすーどこまでやるの、
ここまでやるかーでは、陶芸、七宝、金工、漆芸などに微に入り細を穿つ技が認められ、
さらに天鵞絨友禅では、伝統技法に西洋的な美意識を融合させようとする工夫を、感じ
ました。

私の工芸観をある意味で転換させる、驚きの連続でした。
                                      (2016年12月11日記)

2017年7月26日水曜日

鷲田清一「折々のことば」819を読んで

2017年7月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」819では
フランスの美学者ミケル・デュフレンヌの「眼と耳」から、次のことばが取り上げられて
います。

 耳と眼はいずれも・・・・・流儀は異なっているにしても、距離をおいた触覚の器官で
 ある。

このことばを読んで、私は何か腑に落ちるようなものを感じました。

というのは、ただ漫然とものを見たり、音を聞いたりする場合にはそんな感覚は生じ
ないけれど、例えば心を集中させて音楽を聴いていたり、絵画に見入っている時など
には、聴くということ、観るということが、直に対象に触れているように感じられる
ことがあるからです。

しかし悲しいかな我に返ると、その対象との間には厳然たる距離が存在して、こんな
に肌に触るように、手で輪郭をなぞるように分かったつもりでいたのに、その対象が
急に遠ざかるようなもどかしさに囚われることがあります。

この微妙な感覚を、上記のことばは端的に表現しているのではないでしょうか?

私たちの周囲を取り巻く大気は目には見えず、手に触れる感触もないので、我々は
往々に他の人に対しても、ものに対しても、孤立して、あるいは独立して地球上に
存在しているように感じるけれども、大気圏外から遠望してみれば、地球という惑星の
表面で大気のヴェールに包まれて寄り添うように存在している・・・。

そのような生存環境の中で、大気の間を自在に行き交う音や光を媒介として、私たちは
他者とつながり、ものを認識して日々を過ごしているのではないか?そして時として、
感動したり、美しいものを目にして忘我の境地に至った折に、私と対象を隔てる距離は
在って無いように感じられるのかもしれません。

この科学的な、しかし詩的なことばを読んで、そんなことを夢想しました。

2017年7月24日月曜日

「福岡伸一の動的平衡 外来種一番迷惑なのは・・・」を読んで

2017年7月20日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「外来種一番迷惑なのは・・・」と題して、最近の特に外来種のムシを巡るマスコミの
過熱報道について、福岡伸一らしい科学的知見に裏打ちされた、ウイットに富んだ
コメントを記しています。

確かに市井の人々にとって、ムシというもの自体が往々に不気味で、しかも今までこの国に
存在しなかった新手の毒ムシが現れるとつい身構えてしまい、その上マスコミが騒ぎ立てる
となると、私たちもさらに不安が増幅されるということになるのでしょう。

考えてみれば、近代以降国際的な人の交流が飛躍的に盛んになって、動物からムシ、植物
まで、色々な生物が外来種として我が国に進出し、野生化しています。

思い当たるだけでも、ヌートリア、アライグマ、アカミミガメ(ミドリガメ)、ウシガエル、
ブラックバス、セイタカアワダチソウなど・・・。そう言えばどの種も、固有の生態系を損なう
生物として、大なり小なり忌避されているように感じられます。

なるほど外来種は、天敵もいない状態で突然進出して来て、もしこの国の環境に適応する
ならば必然、飛躍的に数を増やすことになり、旧来生息する生き物を圧迫して、その結果
生態系を歪めることになるのでしょう。

そして、外来生物を持ち込んで生態系を改変する原因を作るのは、大抵の場合他でもない、
我々地球の生態系の頂点に君臨する人間ということになります。これについても福岡が
警句を発する通りです。

でも一方、交通の発達によって地球がこれだけ狭くなれば、不可抗力によって外来種の
侵入を防げないという場合も生じるとも、考えられます。ある程度の部分は、必然的な
環境の変化なのかもしれません。

しかし我々が注意すべきは、人間の目先の欲望や目的の達成のために、人為的に
生態系を歪めるような外来種の持ち込みは止めなければいけない、ということでしょう。
この点については、環境教育も重要であると思います。

2017年7月21日金曜日

二宮敦人著「最後の秘境 東京藝大」を読んで

一般にはあまり知られていない、東京藝大とはどんな所で、そこで学ぶ学生は如何なる
人々であるかを紹介する本です。

私は白生地の販売に携わっており、常日頃から芸大、美大の染織系の学部、学科の
先生、学生さんとは身近に接しているので、相対的にこれらの人々が決して特別な存在
ではなく、自らの創作、与えられた課題に真摯に取り組む、しかし普段の顔は一般と何ら
変わらない人々という印象を持っています。

とは言え、東京藝大は我が国唯一の国立芸術大学で、その歴史的経緯からも美術教育
の権威と見なされているので、一体それがどんな所か好奇心に突き動かされて、本書を
手に取りました。

まず興味深かったのは、同じ藝大でも美校と音校で学内の雰囲気も、先生、学生の気質
も、まったく性格を異にするということで、言うまでもなく、それぞれ美術と音楽を学ぶ訳
ですが、考えてみれば、芸術と一括りにするには両者は余りにも表現方法が違い、また
各々の存在の意味においても、自ずから学び、習熟するための方法が異なってくるので
しょう。

つまり美術分野においては、学生は創作のための基礎は先生に学ぶにしても、その次の
段階では新しい発想や、独自の表現方法の確立が求められるのであり、それだけに校風
として自由さに価値が置かれることになります。

それに対して音楽分野では、学生時代には楽器の演奏技術の習熟が大前提で、教員と
生徒との関係はより徒弟的となり、自由より規律が重んじられることになるのでしょう。

このある意味カラーの異なる両者が一つの大学として統合されているところが、面白く
感じられました。

本書は大部分が美校、音校の学生へのインタビューで構成されていますが、それらの声
を聴いて感じるのは、彼らが芸術を学ぶことを志し、藝大に進学した動機はそれぞれ
異なるにしても、彼らは意識するしないに関わらずものを作り、音楽で表現することを通し
て、自らが何者であるかを深く探究したいと、強く望んでいるということです。

音楽や美術が、人類の進化の過程の比較的初期に獲得された表現手段であるなら、
芸術系の大学に進む学生は、もしかしたら自らの心の声に耳を傾ける傾向の強い人々
かもしれない、そんなことを感じさせられました。

東京藝大では「藝祭」などの催しを通して、ある種気風の違う美校と音校の学生の交流を
促進する、取り組みも行われているといいます。芸術的創造の可能性を広げるという
意味で、この大学ならではの有意義な企画と感じました。

2017年7月19日水曜日

鷲田清一「折々のことば」817を読んで

2017年7月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」817では
政治思想史家尾原宏之の「娯楽番組を創った男」から、次のことばが取り上げられて
います。

 大衆が見たがるものを提供しているのは、大衆自身である。

戦後、NHKで伝説的人気を博することになる娯楽番組を立ち上げた、丸山鐵雄
(政治学者丸山眞男の兄)の奮闘を評する中のことばだそうです。

大衆の総体としての行動は、一見危なっかしいようでいて、実は絶妙にバランスの
とれたものであることが、往々に見受けられるように感じます。

選挙における行動然り、世論調査然り、一躍脚光を浴びるものや人の人気の移り
変わり然り。

いずれも、事前には予測が不可能なように思われても、結果としてはバランス感覚に
優れた選択が行われたり、時宜にかなった妥当な数値が出たり、後々振り返ると
その一時の人気が時流に相応しいものであったと、思い当たったりすることがよくあり
ます。

これらの現象を見ていると、大衆というものは無意識の集合としての英知を備えた
ものとさえ、思われてきます。勿論、扇動された大衆の暴走ということは歴史的に
繰り返されて来て、私たち一人一人は、そのような状況に陥った時にこそ冷静な
判断が出来る自己を磨かなければならないのだと、感じます。でも、日常における
大衆の思考の手堅さは、もっと尊重されていいと、私は思います。

決して際物や刹那的ではなく、多くの人々に末永く愛される品物を提供し続けること、
私たちの店が目指すべき指針です。

2017年7月17日月曜日

「2017たついけ浴衣まつり」に参加して

7月16日の祇園祭前祭の宵山に、「2017たついけ浴衣まつり」が開催されました。

私たち町つくり委員はスタッフとして、午後4時に会場の京都国際マンガミュージアム
龍池自治連合会会議室に集合しましたが、午後3時ぐらいから降り始めたあいにくの
雨が止みそうで止まず、晴天の場合の屋外のグラウンド、あるいは雨天の場合の
AVホール、どちらを主会場として催しを実施するか、難しい判断を迫られました。

結局、開催時間の午後6時にはまだ完全には止まないだろうという判断で、主な催しは
AVホール、御所南小学校の児童の鷹山グッズ、ちまきの販売、役行者山の護摩木の
受付、似顔絵コーナーは館内フロアー、体育振興会のかき氷コーナーのみグラウンド
という形でスタートすることになりました。

出鼻をくじかれた開始となりましたが、かき氷コーナーは雨の中でもかなりの行列が
出来、AVホールでは太鼓の勇壮な響きを先鞭として、ミュージアムで人気のヤッサン
一座の紙芝居へと進むと、ホール内で飲食屋台も設けられていることもあり、多くの
家族連れが集まりました。TAIKO-LABの和太鼓演奏に続いて行われた、祇園篠笛
倶楽部の実演では、私も初めて聞く、小粋で華やぎがありながら、上品な音色を楽しむ
ことが出来、八坂神社が周辺の花街とも深くつながることを、思い起こさせてくれました。

鷹山グッズ、ちまきの販売コーナーは、グラウンドから屋内に変更されたこともあり、
来店客が少ないのではないかと心配されましたが、児童たちのちまき売りの独特の
掛け声の懸命の唱和や、京都外国語大学の学生たちのバックアップの甲斐もあって、
関係者を中心にそこそこの数を販売することが出来ました。御池中学校の生徒有志も、
館内の清掃に協力してくれました。

午後7時30分ごろにはようやく雨も上がり、鷹山のお囃子の一般体験と演奏は、
グラウンドで実施することが出来ました。宵闇に包まれ始めた祇園祭宵山の夕べ、
お囃子が響き渡って、祭り気分がいやが上にも盛り上がりました。

晴天には恵まれず、やや消化不良の感は否めませんが、とにかく無事に終了出来た
ことが何よりであったと思います。

2017年7月14日金曜日

京都国立近代美術館「技を極める ヴァンクリーフ&アーベル ハイジュエリーと日本の工芸」を観て

フランスを代表するハイジュエリーメゾンのヴァンクリーフ&アーベルのジュエリー作品と、
日本の優れた工芸作品を比較展示し、それぞれの「技」の粋を浮かび上がらせようとする
展覧会です。私は特別に宝飾品に興味がある訳ではありませんが、「技」を見せるという
趣旨に惹かれて、会場を訪れました。

第1セクションでは、横長の広い展示室の中央ほぼ一杯を占める、長いガラス製の展示
ケースに、「バンクリーフ&アーベルの歴史」と題して、メゾン創設期から各時代の
代表的なジュエリー作品が時系列に沿って並べられて、正に壮観です!

上質の宝石、貴金属がふんだんに使われ、洗練されたデザインと技巧の粋を凝らせて、
作品をいかに美しく魅力的なものにするかに、職人の全神経が集中されていると感じさせ
ます。

年代順に展示ケースを覗き込みながら進む鑑賞者の足が、ため息と共につい滞り勝ちに
なって、私の訪れた休日の午前中には、待ち時間が30分ほどになっていました。展覧会場
でこんなに熱気に満ちた雰囲気にお目にかかるのは初めてで、これこそが美術作品とは
また違う、宝飾品の魔力なのかも知れません。

第2セクションでは、「技を極める」と題して、ヴァンクリーフ&アーベルの中期までの
ジュエリー作品と、それに呼応する日本の主に明治、大正期の工芸作品が、比較し易い
ように並列的に展示されています。

光り輝く宝飾作品と、一見地味なものも多い日本の工芸作品の比較は、工芸作品に分が
悪いようにも思われますが、そこはさすが超絶技巧と西洋でもてはやされた作品の系譜
に連なるものだけあって、まず七宝や陶芸の作品は宝飾と遜色ない光輝を放ち、金工、
漆芸、牙彫、刺繍はじっと見ると、繊細な技の粋を凝縮させた表現に感銘を受けます。

素材の宿命から、輝きの持続という部分では劣るところもありますが、それぞれの
影響関係と共に、洋の東西、優れた工芸品に優劣のつけ難さを感じました。

第3セクションでは、「文化の融合と未来」と題して、現在に至るヴァンクリーフ&アーベル
のジュエリー作品と、日本の重要無形文化財保持者などの一線で活躍する作家の現代
工芸作品をセンス良く配列して、展示しています。

これらの作品を観ると、ジュエリーの現代的洗練は言うに及ばず、日本の工芸はより
ファッション性、作家性を重視する方向に進んでいるように感じられます。

ヴァンクリーフ&アーベルがメゾンのブランド力を優先して、技を継承しながらも、職人の
無名性を維持しているのに対して、用途や文化的背景、顧客層の相違からか、東西の
工芸が違う方向に進んでいることは、興味深く思います。

美しく魅力的な宝飾品を沢山観て、幸福感に浸ると共に、工芸における職人性についても
考えさせられる、展覧会でした。



2017年7月12日水曜日

湊かなえ著「リバース」講談社文庫を読んで

本作が原作の藤原竜也主演の連続ドラマを初回から見て、すっかり気に入ってしまった
ので、原作も読んでみることにしました。

湊かなえは、作品が映画化されて大ヒットするなどの人気作家で、一度読んでみたいと
思って来ましたが、何か身近に感じ過ぎて機会を逃して来ました。ドラマと比較して読む
という格好の口実が出来て、心置きなく手にした次第です。

ドラマと原作との違いから述べると、ドラマは長丁場を移り気な視聴者に飽きられること
なく乗り切るために、原作にはないキーとなる登場人物を作り出し、あるいは主人公の
友人たちの現在の日常生活の描写にふくらみを持たせるために、関係する人物を付け
加えるなど、原作より物語の舞台を広げ、その結果時事的な関心にもつながる社会性を
帯びた作品となっています。

また原作の終わり以降のストーリーもいくらか描き出して、主人公の以後の人生の輪郭を
よりはっきりとさせています。ドラマはドラマで良く出来ていて、十分に満足しました。

それに対して原作は、主人公の心をより深く掘り下げる物語になっています。私も少年期
から青年期には、自意識は強いのに自分に自信が持てず、劣等感に苛まれ鬱屈した
人生を送っていたので、主人公の深瀬に共感できるところがありました。

彼は大学を出て、可もなく不可もない社会人生活を送っていますが、自分にはもったい
ない恋人を得たことを切っ掛けとして、大学時代に唯一の親友と信じる広沢を、ある
忌まわしい事故で失った記憶を呼び覚まされることになります。

この時点で重要なのは、ゼミ仲間の旅行で広沢が多少酒を飲んでいたにも係わらず、
悪天候の中車を運転する羽目に陥り、あげく事故で命を落とす直接の原因を作ったのは
自分ではないという深瀬の確信で、ゼミ仲間全員で示し合わせて事故の原因を隠している
という後ろめてさはあっても、それ故「深瀬和久は人殺しだ」という告発文を目の前にして、
その送り主を特定するために、広沢がどのような人間で、亡くなるまでにどんな人生を
歩んだかを、彼が調べることになります。

深瀬にとって広沢の生い立ち、交友関係、どんなものの考え方をしていたかを調べる
ことは、自らの内面や生き方を省みることになり、その結果彼は、これからの人生に自信を
持って立ち向かう根拠を見出せそうになります・・・・。

物語は二転三転、ミステリーらしいスリリングな展開に読者はドキッとさせられますが、度肝
を抜かれても違和感のないストーリーは作者の才気を感じさせ、対照的に深瀬のしっかりと
した心理描写は、読者の共感を呼びます。

また湊かなえの作品を読みたくなりました。

2017年7月9日日曜日

鷲田清一「折々のことば」805を読んで

2017年7月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」805では
作家森まゆみの「子規の音」から、正岡子規の母の次のことばが取り上げられています。

 のぼさん、のぼさん・・・・・・サア、もう一遍痛いというてお見

のぼさんは言わずと知れた、子規の幼名から生まれた愛称です。彼は「病牀六尺」では
脊椎カリエスという死の病に侵されながら、常に冷静で、客観的な視点を失わない見事な
随想を残していますが、実際の闘病生活は激痛を伴う過酷なものであったといいます。

その闘病生活を支えた母親の献身、苦悩はいかばかりのものであったでしょうか?

しかしこの母親は、やっと苦痛から解放された息子にこう語り掛けます。この言葉には、
子規が病を患ってからの母の悲しみも、憤りも、諦念も、全てを飲み込む万感の思いが
詰まっているのでしょう。

立場はまったく逆ですが、私も心臓に欠陥を持つ高齢の母が、先般その副次的な影響で
腸の病に倒れ、一時は死を覚悟しながら少しづつ持ち直し、そうかと思うとまた心臓の
具合が悪くなって体調が低下するといった先の見えない状況を経て、ようやく老健施設
からの帰宅の目途が立った状態で振り返ってみると、子規の母親の気持ちが幾分分かる
ような気がします。

というのは、母が苦痛に顔をゆがめ、あるいは息苦しく血の気の引いた顔色をしている
時には、一刻も早く楽にしてあげたいと心から感じ、しかし一時落ち着くと、やはりどの
ような状態でも少しでも長く自分の傍らにいて欲しいと願います。そのような両極端の範囲
の内でも、母の病状の些細な変化によって、私の心は千々に揺れ動いたのです。

もしかすると人を介護、あるいは看護するということは、される側のみならずする側にとって
も、心が救われることなのかも知れません。

2017年7月7日金曜日

ラグビー現イングランド代表監督エディ・ジョーンズの提言を読んで

2017年7月1日付け朝日新聞夕刊には、前回のラグビーワールドカップで日本代表を
率いて旋風を巻き起こし、現在はイングランド代表監督として2年後のワールドカップ
で優勝を目指すエディ・ジョーンズ氏が、ラグビーの指導者として培った勝負に対する
ポリシーを、読者に提言する記事が記載されています。一読して、単にスポーツの勝敗
に限らない、私たちの人生にも通じる話として、感銘を受けました。

まず彼は、敗北を味わった時に大切なのは、目標を再び明確にし、パニックにならない
ことである、次に何をすべきかに集中することである、と語ります。私たちは何か失敗を
犯した時、人生がうまくいかない時、まず気落ちしてしまって、そこからどんどん状況を
悪い方向に考えて、その結果負のスパイラルに陥り、なかなか立ち直れないことがあり
ます。

しかし彼の言うように、結果を悔やんだり、自分では対処できないことを悩んでも、少しも
状況を改善することは出来ません。それならば、反省は必要としても気分をさっと切り替
え、自分の力で出来ることから取り組む、それが最善の方策でしょう。つまりその結果に
対して自力で改善出来るポイントを見出すことがこの場合の創造性であり、それを迷わず
遂行するポジティブさが求められるのでしょう。言うは易く行うは難しとしても、積極的で
上手な気分転換が必要であるという点は、私自身がこれから生きて行く上でも、有益な
ヒントをもらったと感じました。

次に今年の6カ国対抗戦でのイタリアが、過去の戦績からもまったく歯が立たない、彼の
率いるイングランドに対して取った、勝利を放棄して大敗を阻止しようとするように見える
戦術に対しての彼の苦言は、スポーツにおけるどんなに不利な状況でもあきらめず、
最善を尽くす必要性を情熱的に語っています。この信念が、前回のワールドカップでの
あの日本の活躍を支えたのでしょう。我々の人生でも逆境にさらされた時、自身を鼓舞
するための指針となると感じました。

2017年7月5日水曜日

龍池町つくり委員会 42

7月4日に、第60回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

冒頭中谷委員長より、御所南小学校の学区集会で「たついけカルタ」にちなみ、蛸薬師
町の紹介を行った等の報告があり、本日のメインの間近に迫った「たついけ浴衣祭り」の
タイムスケジュール、役割分担について森委員より説明がありました。

7月16日当日のプログラム(予定)は、18:00 和太鼓の音を皮切りに、中谷委員長の
主催者挨拶でオープニング、マンガミュージアム似顔絵担当者の似顔絵コーナーは
18:00~20:30、ヤッサン一座の紙芝居は18:00~18:30、和太鼓演奏は18:40~19:15、
鷹山のお囃子が19:30~20:30、出店は18:00~20:30、鷹山グッズ販売、ミュージアム
による飲食屋台コーナー、龍池体育振興会による、浴衣来場者及び中学生以下の子供
へのかき氷の無料提供が用意され、20:30に龍池自治連合会の挨拶をもって閉会します。

スタッフは16:40に集合、17:00よりグラウンドのテント設営、テーブル、椅子の準備など
を行います。続いて、手伝いに来てくれる御所南小学校の児童、御池中学校の生徒の
フォロー、その他人員整理、誘導、警備なども担当します。20:30終了後、後片付けを
して、21:00解散予定です。この日私もスタッフの名札を頂いて、開幕の気分が高まって
来ました。

なお荒天は中止で、小雨、もしくは途中降雨の場合はAVホールで実施します。

京都外大の秋の企画は、まだ詳細は決まっていませんが、南先生より大まかな説明が
あり、学区民に郊外学舎の存在をもっと知ってもらうために、山科、大原での在りし日の
活動を記録した写真を集めて、コメント、メッセージを付けて展示する催しを行うこと。
さらに薬祭りにちなみ、二条通を学生が歩き、取材して、出来れば将来的には高瀬川から
二条通、二条城周辺の当時の政庁とつながる歴史を掘り起こしたい、という構想を語られ
ました。

7月24日から29日まで朝7:20から行う恒例のラジオ体操では、29日に杉林さんがカルタ
取りを実施されるということです。

2017年7月2日日曜日

鷲田清一「折々のことば」793を読んで

2017年6月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」793では
刃物店主・研究家土田昇の「職人の近代」から、次のことばが取り上げられています。

 上手な職人が使用した道具というものは美しく残るものです。

私の日々の悉皆業務で接する職人さんたちは、大抵自らで工夫した道具を使用し、
あるいは既存の道具でも大切に使っています。

それは言うまでもなく、道具がその職人が技術を発揮するための欠かせない手段
であり、自身の身体の一部とでも言ってもいいものだからでしょう。

具体的に述べると、染色補正の職人は、自らで工夫をした補正剤や刷毛などの用具
を使い、生地に付着した汚れや染みの具合に応じてそれらを使い分けて、欠点を
直します。いろいろな症状に対応して、依頼者の要望に答えるのが、腕の良い職人
ということになります。

引き染の職人は、自分が使用する染料を吟味し、染め刷毛も用いる色別、形や
大きさなど各種を揃えて染色を行います。また生地をピンと伸ばして染料を引きやすく
するために、生地裏に幾本も渡す伸子も色別に使い分け、また使用した後には、
次回使用する時に生地に染料が付着しないように洗います。気温や湿度によって
微妙に変わる発色などを考慮しながら、依頼者の求める色にむらなく染め上げるのが
腕の良い職人です。

まだまだ例を挙げると切りがありませんが、腕の良い職人は自らの仕事にプライドを
持ち、それに応じて道具を大切にしています。そのような職人仕事が何時までも失われ
ないことを、私は心から願っています。

2017年6月30日金曜日

井上靖著「おろしや国酔夢譚」文春文庫を読んで

1782(天明2)年、伊勢を出航した船頭大黒屋光太夫率いる神昌丸が、暴風に翻弄され
北方アリューシャン列島の小島に漂着、10年の歳月を要して広大で過酷な気候を有する
シベリアを越え、当時のロシア帝国を往還して、全乗員17名中僅か2名が故国に帰還する
までを描く冒険譚です。

全編大陸の雄大な自然を背景としたエキゾチシズムに溢れ、異国に突然投げ入れられた
主人公たちの望郷の念に彩られた、独特の魅力を発散する小説です。

この小説を読み始めて私がまず感銘を受けたのは、8ヶ月にも及ぶ漂流の後、ようやく
小島に錨を降ろし上陸したのも束の間、夜半の北方の荒波で船体が砕け、最早この船で
故郷に帰る望みが絶えた時、最初深い絶望の淵に沈みながら、光太夫が気分を取り直し、
運を天に任せようと乗組員を鼓舞する場面。人間は如何なる困難に直面しても、気の
持ち方次第でそれを克服出来る可能性が生まれるということ。また優れたリーダーは、
不安に落とし入れられた人々を一致団結させて障害に立ち向かう力を生み出すもので
あるということを感得させられて、私自身これから現実の世界を生きて行く上での勇気を
与えられたと感じました。

その時点よりこの漂流民たちは、サバイバルと同時に鎖国した日本という狭い島国の
住民意識から、自立した人間としての精神を獲得する旅を生きることになります。

自然はあくまで侵しがたく、気候はこの上なく厳しく、見るものはずべて驚きに満ちて
います。ロシア人たちは、経済的利益を得るためにこのような厳寒の地にも果敢に進出し、
異国との交易を求めます。光太夫たちが、彼らが交流を希望する国出身の漂流民という
こともありますが、ロシア人たちはこの人たちを温かく迎え、光太夫らの訴えに誠実に耳を
傾けます。またロシアが当時の日本より遥かに科学技術に優れ、文明も発達していた
ことを、彼らは目の当たりにします。

しかし光太夫たちの生きる目的はあくまで、故郷に帰ることです。様々な事情でたった2人
となった彼らが日本に帰り着いた時、そこに待ち受けていたのは閉鎖的で事なかれ主義、
暗愚に満たされた故国でした・・・。

本作が執筆されてから約50年、最近は江戸時代の私たちの国の有り様が再評価されて
いますが、国際社会との交流の中で今なお存在する閉鎖性は、この時代の我が国の
政策と深く結びついているかも知れません。現代の日本と世界との関わり方についても
考えさせられる、名作です。

2017年6月27日火曜日

「福岡伸一の動的平衡 「記憶にない」ことこそ記憶」を読んで

2017年6月22日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では「「記憶にない」
ことこそ記憶」」と題して、「記憶にない」とはどういうことかを生物学的に考察して
います。

まず私たち科学に疎い人間は、記憶というとつい脳の内部に蓄積された形ある
情報のように感じてしまい勝ちですが、記憶とはそのような物質ではなく、脳細胞と
脳細胞をシナプスで連結した回路に電気が通るたびに「生成」される、形状をなさない
ものだそうです。

そう考えると、腑に落ちる部分があります。いわく、どうして私たちの記憶はまだら状に
失われるのか?どうして思い込みによる手前勝手な記憶違いが生じるのか?記憶と
いうものが、脳細胞と脳細胞を結ぶ頼りない信号に過ぎないからに違いありません。

その事実を踏まえて、「記憶にない」ことの考察が筆者らしく卓抜です。つまり「記憶に
ない」ことは、前後の記憶があってこそ認識出来る。記憶にないことが即ち記憶で、
”欠落は、欠落を取り囲む周縁があって初めて欠落とわかる。”と喝破しています。

加齢とともに記憶力が随分と頼りなくなった私自身を振り返ってみると、かつてはよく
ご来店頂いたのに少し間が開いて、久しぶりにお目にかかったお客さまのお顔は
はっきりと覚えているのにお名前がなかなか出て来なくて、お尋ねするのも気が引け
てばつが悪い思いをすることが、しばしばあります。

この現象なども、もっとも自分の不甲斐なさを取り繕おうとしているのでは決してありま
せんが、私の場合画像の記憶は鮮明で長持ちし、名前という文字の記憶はそれに
比べて失われ易いということではないでしょうか?

いずれにしても、「記憶にない」という持って回った言い方にうさん臭さがつきまとう
のは、十分ゆえ有ることであると、筆者の生物学的考察は雄弁に物語っているよう
です。

2017年6月25日日曜日

鷲田清一「折々のことば」791を読んで

2017年6月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」791では
民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」から、次のことばが取り上げられています。

 何も彼も知りぬいていて何にも知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろの
 ひずみをため直すのに重要な意味を持っていた。

かつて宮本常一が丹念に聞き取りをした、私たちの国の村落共同体で大切にされて
来た、皆が力を合わせて生きて行くための生活の知恵には、一読して深い共感を
持ったものでした。中でも、共同体における老人の力は、欠くべからざるものであった
と、記憶しています。

今日社会の移り変わりの速度は甚だしく、科学技術の進歩も急激であるために、
一定以上の年齢を重ねると、最新のテクノロジーについて行くことが大変になります。
それ故老人の蓄積された知識より、彼らが現代社会に対して感じている戸惑いの方が
クローズアップされて、社会に対する知恵という部分においても、老人の力が軽視
される傾向にあるのではないでしょうか。

しかし他方、インターネットなどの情報通信手段で得られる知識は、膨大で広範では
あっても、表面をなぞるような浅薄なものである場合が多く、実生活に有効な形で
役立つとは言い切れないことが往々にあります。

経験に裏打ちされた老人の意見には、こういう時代だからこそもっと耳を傾けるべき
ではないか?もちろん旧弊なものや、時代にそぐわないものは、受け取る側が慎重に
選り分けなければならないけれど、この激動の社会を長く生き抜いて来た人々に
蓄積された知恵に、私たちはもっと真摯に向き合うべきではないかと、このことばを
読んで改めて感じました。

2017年6月24日土曜日

国立国際美術館「ライアン・ガンダー この翼は飛ぶためのものではない」を観て

ライアン・ガンダーの名前は今回初めて知りましたが、国際的に活躍する注目の
現代美術家ということで、是非観ておきたいと思い、大阪の展覧会場に足を運び
ました。

さて主会場に入り作品を一通り観て回ったところ、個別には印象に残った作品も
ありましたが、何か全体としてどう消化したら良いのか分からないような、漠然とした
雲をつかむような気分に陥り、途方に暮れてしまいました。

それで、新聞の展覧会評にもアドバイスされていたように、上階で同時開催されて
いる、「ガンダーによる所蔵作品展ーかつてない素晴らしい物語」の方に、鑑賞を
中断して向かいました。

この展覧会は、国立国際美術館の所蔵作品を、この美術家が自ら配置を決めて
展示した興味深い展観で、お馴染みの館蔵作品が2点づつのペアーで並べられて
いました。

その組み合わせが絶妙で、私は特に、イサム・ノグチの「黒い太陽」という彫刻作品
と吉原治良の「無題」という絵画作品の並置に、日本人のDNAとでもいうような
共通の感性を感受し、ジョセフ・コーネルの「カシオペア#1」という小箱に天体が閉じ
込められたような精巧なオブジェとアンゼルム・キーファーの星空を現す荒削りな
絵画に、宇宙の神秘を感じるなど、見慣れた作品がガンダーのインスピレーションに
よって新たな息吹を与えられていることを、目撃しました。

この2つのものの比較から新しい感覚を呼び覚ます彼の方法論を頭に置いて、もう
一度主会場の作品を観ると、まずそれぞれの緩やかに区切られた展示室に設置
された作品たちが有機的につながっており、更には全体としても漠然とした結合性を
示し、鑑賞者はあたかも脳内世界を彷徨うような感覚にとらわれることに気づき
ました。今まで味わったことのない、不思議な美術体験でした。

個別の作品では、「イマジニアリング」、「何でも最後のつもりでやりなさいーシャー
ロット」、「何でも最後のつもりでやりなさいーマヤ」の、映像と写真、冊子状のものを
配置した抒情的で繊細な表現、くりぬかれた壁面から覗き込む、広々とした白い空間
一面に夥しい黒い弓矢が突き刺さったような、静寂かつ胸騒ぎを起こさせる情景展示
が、印象に残りました。


2017年6月20日火曜日

「福岡伸一の動的平衡 家を持つ自由持たない自由」を読んで

2017年6月15日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では、「家を持つ自由
持たない自由」と題して、ナメクジとカタツムリが自然界に共存している現実に例えて、
持ち家が得か、賃貸が得かという、住まいを巡る我々の永遠の懸案に、筆者らしい
ウイットに富んだヒントを提供してくれています。

まず驚かされたのは、進化の順序は、殻を持つカタツムリが先で、殻を持たない
ナメクジが後ということ!つまりカタツムリの一部が殻を捨てて、ナメクジになったと
いうことです。

すなわち、カタツムリが殻を作り維持するためには、大量のカルシウムの摂取と
エネルギーが必要であり、それに対して殻を脱ぎ去れば身軽で、隙間に潜り、難を
のがれることも出来るという訳だそうです。これはまるで、現代流行りの断捨離、
省力化と言ってもいいのではないでしょうか?

でも嬉しいのは、カタツムリがみんなナメクジになった訳ではないということ。そう、
殻を持ってるやつも、持ってないやつも、それぞれが自然界に適応して生き続けて
いるということです。

それぞれが共存して生きていられる自然界の懐の深さ。あるいは、色々な生物が
共に生息する種の多様性こそが、自然の豊かさなのでしょう。

人間界でも、様々な人種、宗教、思想、年齢、職業、生き方、価値観の人々が、共に
互いを尊重し合って暮らすことが出来る社会が、健全な社会であるということと、同じ
ことなのでしょう。

それにしても我が家の庭でも、ナメクジは相変わらずよく目にしてうんざりしますが、
昔はいたカタツムリはまったく見かけなくなりました。少し寂しい気がします。

2017年6月18日日曜日

「後藤正文の朝からロック 「日本すごい」どころか・・・」を読んで

2017年6月14日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「「日本すごい」
どころか・・・」と題して、筆者が三味線を初めて手にして戸惑う様子が記されています。

現代の日本では音楽と言ったら洋楽が中心で、たとえミュージッシャンといえども、
三味線のような邦楽器に馴染がない人がいるのも無理はないことでしょう。それこそ
一般の人々には、ますます縁遠いものに違いありません。

同様に和服も、普通の人の感覚では、随分に馴染の薄いものになってしまいました。

しかし衣食住は文化の根底をなすもので、和服は長い年月私たちの服装であった
ので、この国の文化と和装は切り離せないつながりを持って来ました。

私のような京都暮らしの人間の身近な例として、住まいという点から見ても、畳敷きの
日本家屋は、和服で暮らすのに適するように作られていますし、日本庭園は、和装の
歩幅で歩きやすいように飛び石が配置されています。

もっと文化的な側面から見ると、儀式的な部分では今なお和服で執り行われる行事が
多く存在しますし、伝統芸能や芸道の世界では、和装が前提であることは、言うまでも
ありません。

文学においても、江戸時代以前は言うに及ばず、先日まで新聞連載された一連の
漱石の作品でも、着物の種類や着こなしで登場人物のキャラクターを生き生きと描写
する場面が、しばしば見受けられました。

ここしばらくの間に、日本人の生活習慣は随分変化しましたが、まだまだ私たちの心の
中には、和服の文化が息づいているはずです。一般の人々がもう一度その良さを
見直していただくお手伝いをすることが、我々に残された役割の一つではあります。

2017年6月16日金曜日

国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展を観て

イタリア・ルネサンス期の絵画というと、まずフィレンツェのそれを思い浮かべます。
しかし同じ頃ヴェネツィアでも、豊かな芸術上の達成がなされたといいます。日伊
国交樹立150周年を記念して、アカデミア美術館所蔵の名品による、ヴェネツィア・
ルネッサンスの絵画展が開かれるということで、大阪まで足を運びました。

会場でまず私を迎えてくれたのは、ヴェネツィア・ルネッサンスの祖といわれる
ベッリーニの「聖母子(赤い智天使の聖母)」、初期のフィレンツェ・ルネッサンスの
絵画が全般に色彩豊かで、生の喜びに満たされている印象を与えると同時に、
いくらかまだ初々しく硬い感じを受けるのに対して、この作品では画面上部の雲に
乗っかっている赤い天使たちが、表現として洗練される以前の直接性を示しながら、
全体として色彩の対比が素晴らしく、聖母子の表情、ポーズも聖性を帯びてなお
現実の人間らしく生き生きとして、時代を超越した高い完成度を感じさせます。

この一作品を観るだけで、ヴェネツィアとフィレンツェのルネッサンス絵画の特徴の
相違を、端的に理解することが出来るように感じました。

ヴェネツィア・ルネッサンスを代表する画家ティツィアーノが活躍する時代になると、
この地の絵画はより躍動感に満ちた、大胆かつ劇的な表現、詩情豊かで感覚に
直接訴えかける傾向を強め、本展の目玉である4mを超える大作ティツィアーノ
「受胎告知」は、天上には神の啓示を示す光り輝く白いハトの周囲を天使たちが
寿ぐように乱舞し、地上ではマリアがガブリエルから神の子の宿りを告げられる
その瞬間を、力感溢れる強い筆致で劇的に描き出しています。まるで観る者を
圧倒するような迫力ある表現です。

後期のティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノになると、一つの画面でより多くの
ことを語ろうとして説明的な要素が詰め込まれ、その結果煩雑な印象を与える
作品が多いように感じられます。私は盛期の作品にシンプルさという意味でも
魅力を感じました。

ここまで作品を観て来ると、歴史上西洋の芸術表現というものが、キリスト教に深い
部分で規定されて来たものであることが、改めて見えてきます。ルネッサンスという
人間精神の復興が叫ばれた時代でさえ、表現の対象の中心はキリスト教に題材を
得たものであったのです。

そう考えると私たち東洋人がこれらの宗教画を観て、西洋人と同じ種類の感銘を
受けるのかは分かりません。しかし西洋の人々が、このような精神的な土壌の上に
今を生きていることを理解することは、意味があるでしょう。また彼我の違いを超えて、
同じく美しいものに感動出来るという気持ちを共有することにも、意味があるに違い
ありません。

これがすなわち、美術を通じた国際交流ということなのでしょう。

                                     (2016年11月23日記)

2017年6月14日水曜日

鷲田清一「折々のことば」778を読んで

2017年6月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」778では
フリーの編集者姜尚美の「何度でも食べたい。あんこの本」から、大阪の和菓子屋
「河藤」の先代店主の次のことばが取り上げられています。

 小さいからってこんな手間かかってるもんになんでこんな安い値段つけなあかん
 ねん!

そう言えば三浦清商店の初代店主の私の祖父が、店の奥から、店先で値切る玄人の
お客さんに応対している若い店員に、「値切らはるんやったら、帰ってもらい!」と叫んで
いたのを、思い出しました。今となっては、隔世の感がありますが・・・

値打ちのあるものを適正な価格で販売する。値切られたらすぐに安くするようでは、
店の信用に係わる。そんな思いがあったのでしょうが、今日では、そんな風にしつこく
値切るお客さんも無くなりました。商慣習の変化とも言えるでしょう。

でもその頃の商売人というものは、大抵の場合商品の値打ちを知っていて、それに
見合う値段を推し量りながら、同じ値切るにしても価格を提案していたと思います。
もしそうでなければ、商売上で売り手に相手にされないし、良い品物を適正な価格で
入手することが出来ない訳ですから。

話は飛んで、最近の和装業界では販売不振で商品がだぶつき、その上金融品も出回り、
品質に相応しい適正な価格が分かりにくかったり、あるいは小売り段階では、今なお、
私たちが考える商品の価値をはるかに超える高額で、販売がなされるようなことがある
ことも、耳にします。

私たちの店では、一般消費者の方に向けては、あくまで誂え染めという一点生産ですが、
品質に納得の頂けるものを適正な価格で提供するというポリシーを、これからも守って
行きたいと考えています。

2017年6月12日月曜日

「後藤正文の朝からロック 沈黙の深み」を読んで

2017年6月7日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「沈黙の深み」と
題して、音楽における休符の重要性、言葉における言わないこと、書かないこと、黙って
いることの大切さについて語られていて、心に残りました。

音楽の休符の役割については、私は門外漢で想像もつかないけれど、人と対話する
ときの沈黙や、文章を書くときの書かれざるものの重要さは、それなりに分かる気が
します。

まず接客が重要な部分をなす私の仕事では、勿論基本は取扱い商品についてお客さま
の希望を真摯に聞き、ご要望にそう商品の情報を出来るだけ正しくお伝えして、満足の
ゆく選択をして頂くことですが、その話を進めて行く過程で、言葉のやり取りの間に、
お客さまが商品を見比べ決断をされるまでの時間、あるいは逆にどの商品を選べばいい
かアドバイスを求められたときに、お客さまの抱いておられるイメージも考慮に入れながら、
満足のいく選択を促す助言を加えるための適度な間など、ちょっとした沈黙が重要な
意味を持つことがあると、実感します。

あるいは仕事に限らず会話の中で、相手にあることを伝えようとするとき、一気呵成に
説明するよりは、相手の反応を見ながら説明する方が、内容がずっとよく伝わりますし、
会話の中の間が、互いの感情の交感を醸成することもあります。

対話における言葉のやり取りの間は言わずもがな、文章における行間の効果は、さらに
重要な意味を持つでしょう。私も説明的な文章ではなく、ものを書いて自分の思いを人に
伝えようとするとき、実際に書き込む言葉によって思いを伝えることの困難をしばしば
実感します。そしてごくまれに思いが伝わる文章を書くことが出来たと感じるのは、自分が
書いた直接の言葉ではなく、決まって行間からその思いが立ち上って来るときなのです。

大切なことは目には見えないのだ、という言葉をふと思い出しました。

2017年6月10日土曜日

鷲田清一「折々のことば」776を読んで

2017年6月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」776では
ある死生観を信じ、安んじて死を迎えられるとはどういうことか、ということに
ついて、倫理学者大町公の著書「生きられた死生観」から、次のことばが取り
上げられています。

 暗闇に、かすかな光を見る、いや、見えるような気がする。

自然の事象や、煩わしい人間関係から切り離され、万事において生きることの
刹那に、合理的な目的を必要とするようになった私たちは、必然死という現実の
生活の突然の遮断から切り離されて、その日その日を過ごすこととなりました。

それ故私も、例えばテレビのニュースや新聞記事で人の死に触れても、何か
よそ事で、かろうじて親しい人の葬儀の場で変わり果てた故人の姿を眼前にし、
遺族の悲しみに接した時に、死ということにしばし思いを巡らせるにしても、
なかなか自分自身の死の瞬間がどのようなものであろうか、ということについて
まで思いが及ぶことはありません。

だから実際の自らの死に直面した時、私がどのように感じ、どのように振舞う
のかは、想像だに出来ません。

古来死に行く人の心の準備を助け、此岸へとスムーズに誘うために、宗教という
ものが存在したのだと思いますが、最早私自身は、全面的にそれに身をゆだねる
には、無垢で素朴な心を失い、雑念に支配されていると感じます。

ただ死ぬことによって全てが無になるのではなく、地球という生態系全体で考えた
時、肉体から分解された分子が何らかのかたちで次代の物質を形作ることを
信じて、死の瞬間に虚無と絶望から脱することが出来たらと、密かに念じるのみ
です。

2017年6月7日水曜日

龍池町つくり委員会 41

6月6日に、第59回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、日頃ご協力頂いている京都外国語大学南ゼミが、当委員会とどのような
関わりを持って活動をしているかということを記録するという目的で、外大側から
映像収録のカメラが入り、それに伴い、オブザーバーとして外大の学生さんにも多数
参加して頂きました。委員会での討議内容も盛り沢山だったので、かいつまんで報告
いたします。

今年度の当委員会とジョイントした、外大のイベント企画の提案が南先生からあり、
テーマは「龍池 大原 いま むかし」写真展ということで、この秋に龍池学区、大原
地区の日々の暮らしなど馴染のあるものを中心とした昔の写真を集め、京都国際
マンガミュージアム(旧龍池小学校)、大原学舎のそれぞれの場所で、同一の写真展を
開くというものです。

ターゲットとしてはお年寄りを対象に、それぞれに展示された写真を観て回ってもらう
ことによって、建物にまつわる思い出を引き出し、また展示期間中に龍池、大原の今に
ついて考えるイベントを開催することを通して、人々の交流を図るというものです。

実際の開催には、龍池地域から大原までの足の便の問題、昔の写真を集めるに際し
てのお年寄りとのコミュニケーションの取り方の問題など、色々障害もありますが、
具体的には、これからの検討課題ということになりました。

浴衣祭りについては、告知ポスターも完成して、森さんより開催に向けた説明があり、
屋台、似顔絵コーナーはマンガミュージアム、かき氷コーナーは体育振興会、売店は
少年補導委員会、テント設営は体育振興会と消防団が担当、ちまき売りは御所南
小学校、環境整備は御池中学の生徒さんに、またその他の手伝いを京都外大の学生
さんにお願いすることになりました。委員会メンバーも含むスタッフは午後5時集合と
いうことです。

次に、学区内で子供服店「キュート」を経営する本城さんより、自身が係わる「子供と
行こう!祇園まつり2017」という活動についての説明と協力要請がありました。

この活動は、母親と小さな子どもが祇園祭をもっと気軽に楽しめるように、祭りの地域に
授乳や着替えが出来る子供ステーションやトイレを設け、それらの利用を促すとめに
マップやウエッブの情報ページを作成するというもので、祇園祭に欠けていた子供連れ
への配慮に新たに目を向けるという意味で、若い人の発想に我々も大いに学ぶところが
あると、感じさせられました。

2017年6月4日日曜日

藤原辰史著「ナチスのキッチン「食べること」の環境史」を読んで

第1回(2013年度)河合隼雄学芸賞受賞作です。

私は家政学や栄養学、建築学に明るくないので、正直本書をどこまで理解出来たか、
分かりません。しかし読んでいて、大きな刺激を受けたのは確かです。以下そんな
素人の読者の感想を記してみたいと思います。

まず私にとっては、近現代史をこのような方法で読み解くことが出来るのかということが、
新鮮な驚きでした。なぜなら従来の経験からは、特に近現代史は国際関係や政治、
表立った社会の動きから、大きな流れに沿って捉えるものと、理解していたからです。

しかし本書は、キッチンという元来家庭内の私的な空間にひっそりと存在して来た
場所の、歴史的変遷を主題に据えることによって、これほど鮮やかにドイツにおける
近現代史を浮かび上がらせてみせたのです。私にとってこの読書は、一つの価値の
転換を促す体験でした。

さてこの本を読んで、身近に引き付けたところからまず感じたことは、今日私たちの
家庭でも日常のありふれた存在となり、現代的な生活の象徴となっているシステム
キッチンが、第一次世界大戦後のヴァイマル時代のドイツで、女性の自立のための
家事労働軽減を目的に誕生した事実から一目瞭然の、同じ全体主義という政治体制の
下、第二次世界大戦を枢軸国として戦った、日独両国の科学的近代国家としての
成熟度の差異です。

戦前戦中の我が国は、対外的には強力な軍備を有するアジア一の強国という地位を
築いていましたが、その反面国民一人一人の次元ではまだ多くの場合、生活や思想
心情において古い価値観を引き摺り、科学的思考や女性の地位向上という考え方は、
広く一般に認められるものではなかったと、思われます。

その当時においてドイツでは、家事というものを家政学や栄養学、建築学を駆使して
科学的に分析し、産業化も含め労働の合理化、省力化が追求されていたのです。

また外部から見れば、強制収容所の狂気に目を奪われ勝ちのナチズムも、キッチンと
いう視点から見ると、健康志向とエコロジーや合理性の追求という新たな相貌を現し、
これらの考え方はナチスの思想と深く結びついていることも、私にとっては大きな驚き
でした。

しかしこの現実は、ヴァイマルに始まる先進的で民主的な政治体制が、全体主義の
悪夢に変質する過程を示すものであり、我が国のような政治的に未成熟であった国が、
全体主義に押し流されるのとはまた違う、政治的な複雑さの帰結でもあります。

歴史理解の一筋縄ではいかぬところを、示してくれる好著です。

2017年6月2日金曜日

我が家の坪庭で巡り合った、生き物たち

昨夜、雷を伴った激しい雨が降り始め、坪庭に面した通路を急ぎ足で歩いていた
ところ、壁ぎわに小さな昆虫がへばりついていました。

ゴキブリに違いないと思い、近づいて目を凝らすと、何と小さな黒いクワガタムシ
でした!京都御苑から飛んできたのか?あるいは誰かがペットとして飼っていた
虫が逃げ出して来たのか?どこから来たのかは分かりませんが、こんな街中の
小さな庭で思わぬ生き物に遭遇して、何か楽しい気分になって、そのクワガタを
注意深く摘み上げて、雨の直接降りかからない庭の葉陰の枝につかまらせて
やりました。

思い返してみると長い年月のうちに、こんな都会の片隅の小さな庭でも、私は
色々な生き物と巡り合って来ました。まず昆虫では、ダンゴムシは春先から活発に
這いまわっていますし、時にはアリが大量に発生して閉口します。モンシロチョウ、
モンキチョウ、アゲハチョウ、アオスジアゲハ、クロアゲハは、時折ふわふわと
舞い込んで来て、目を楽しませてくれます。夏のセミの鳴き声はうるさいぐらいで、
暑さを増幅させるようです。秋には一時、美しい虫の鳴き声が耳をすませば聞こえて
来ます。

ある年の正月には、車の往来も少なく街が静かなためでしょうか。一羽のシラサギ
が、悠然と私の家の大屋根に佇んでいました。庭の椿が咲き始めるとどこで情報を
仕入れるのか、つがいの可愛いメジロが鳴き交わしながらせわしなく枝を飛び移り、
花の蜜を吸っています。梅の花が咲いた時も彼らは必ずやって来ます。他にも
シジュウカラや、何とウグイスにお目にかかったこともあります。ヒヨドリも千両の
実を食べに来て、庭の奥まった植木に巣を作ったこともありました。

庭に母の田舎の伯母さんからいただいたアマガエルを放して、雨の前の鳴き声を
楽しんだり、台風の後の庭先に、突然長い体を横たえてキョトンとした表情で舌を
動かすアオダイショウを発見して、肝を冷やしたこともありました。そう言えば大雨
の後、店の三和土にカメがのこのこと入って来て、これは縁起がいいのかと、虫の
いい期待を抱いたこともあります。

長い年月には色々な出会いがあったのだと、改めて思い出しました。

2017年5月31日水曜日

鷲田清一「折々のことば」766を読んで

2017年5月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」766では
旋盤工でもあった作家小関智弘の「どっこい大田の工匠たち」から、次のことばが
取り上げられています。

 野に雑草という名の草がないように、工場には雑用という名の仕事はない

このことばを読んで、私は手前味噌ながら、すぐに私たちの小規模な自営業の仕事を
思い浮かべました。

私も白生地の販売は勿論ですが、生地の仕入、検品、切売するための検尺及び墨うち、
お染を承った場合には、色選び、各職人さんの所へ生地を持って回る悉皆などを自分で
行います。さらに請求書の発行など、経理上の顧客管理も担当しています。

また店と住居が京町家で隣接しているので、日々の店の神棚や先祖の仏壇のお守、
休日には坪庭の植木の手入れや日頃行き届かない部分の掃除、またお盆、正月など
季節の節目にはその設えなどを、家族の助けを借りて行います。

考えてみれば直接商売に結び付かないものも含めて、次から次へと色々な仕事があって、
きっちりとやろうと思えばきりがないように感じますが、適当に折り合いを付けて日常を
過ごしています。

店の商売においても、多岐に渉る部分を自分で担当している訳ですが、そのお蔭で
仕事の全体像を把握出来、また私の手助けをしてくれる従業員の働きも、直に目にする
ことが出来るので、皆の力で店を切り盛りしていることが実感できます。

家に係わる諸事も、煩雑といえばその通りですが、例年日々変わらず繰り返している
ことが、生きているということだと感じられます。

いずれにせよ決して合理的で、効率的な生き方ではありませんが、日々無事に過ごして
いることが、有難く感じられる人生ではあると、思っています。


2017年5月29日月曜日

大阪・阪急百貨店うめだ本店「ぬぬぬパナパナのぬぬ展2017」を観て

阪急百貨店本店9Fアートステージで開催されている、「ぬぬぬパナパナのぬぬ展」
を観て来ました。

この展示会は、お客さまでもある浦令子さんが、布の作り手とそれを愛用する人を
つなぐ場として、前身の企画からは13年、今のネーミングになってからも6度目を迎える
催しで、従来は大阪と東京で開催されて来ましたが、今回は浦さんの体調の関係も
あって、大阪展だけが開かれることになったそうです。

ユニークなネーミングの由来は、八重山諸島の方言で、ぬぬは布、パナパナは端々と
いう意味で、布を媒介にして両端に位置する作る人、用いる人が交歓する空間を
プロデュースする意図が込められているそうです。

以前から浦さんよりお誘いを受けていながら、自営業を営む身の忙しさもあってついつい
行きそびれていましたが、今回で一応休止されるということで、思い切って会場を訪れ
ました。

ところが驚いたことに、何と浦さんがつい先日お亡くなりになったということを知り、会場
に置かれた、在りし日の飾らぬ浦さんの遺影を前に、思わず呆然としました。

初めて目にする展示品は、着物、帯、ストールなど全て作り手が天然素材で手間ひま
かけて作り上げた品物で、布の風合いや色つや、手触りから、一目で上質な手工芸品と
分かります。

そのような品を実際に所有することが出来ればと、思わずため息が漏れますが、制作の
手間や原料費を考えると決して高価過ぎることはないにしても、品質にこだわらなければ
廉価の品が豊富に存在する現代の時代に、それをあえて購入してもらうにはハードルが
高いと感じられます。

浦さんは作り手と愛用者をつなぐことによって、本当に良い品物を納得の上で購入出来る
環境を作ろうと考えられたのでしょう。そのような試みがこれからも続けられることを願い
つつ、浦さんのご冥福をお祈りします。

2017年5月26日金曜日

京都国立近代美術館「メアリー・カサット展」を観て

印象派の女性画家というと、すぐにベルト・モリゾの名は思い浮かびますが、正直
メアリー・カサットという画家については、まったく知りませんでした。それで本展が
開催されると知った時、好奇心に動かされて、是非会場に足を運びたい思ったの
です。

全体を観終えてまず感じたのは、今まで数々の印象派展を鑑賞して来たので、
恐らくカサットの作品にも一度ならずお目にかかっているはずなのに、私の心の
中で印象派という固定観念の中に完全に埋没して忘却してしまっていた、この
ような確乎とした画業を達成した女性画家がいたことを改めて知った驚きでした。

印象派というとモネ、ルノアールが真っ先に想起され、この二人の絵画世界を
イメージするだけで、大体事足りるように思い勝ちですが、その派に属するとされた
個々の画家の画業の軌跡をじっくりと辿ることによって、逆に印象派と括られた
画家たちの活動を、美術史的な大局から見ることにもつながると感じました。

カサットが印象派の絵画運動に加わるのは、ドガとの出会いがきっかけということ
ですが、まだ女性の職業画家が少なかった時代、自身の志を遂げるため、弱冠
20歳そこそこでアメリカから遠い異国の地パリに赴き、当時画壇で支配的な絵画に
飽き足りず、新しい美術運動に身を投じたという姿は、その一見華やかで、穏やか
そうな彼女の絵画の芯に、絵画への並々ならぬ情熱、女性らしい柔軟な強さが
秘められていることを感じさせます。

代表作の一つ「桟敷席にて」では、上品で典雅に見えて、凛とした女性の容姿が
美しく描き出されています。

またカサットの絵画の魅力を語る上で欠かせないものとして、母子や子供たちの
姿を描いた作品が挙げられます。これらの主題を描いた画家は他にも多く存在
しますが、彼女の絵には女性ならではの母子間の親密さの卓越した仕草の表現や、
子供たちへの母性的なやさしさの眼差しが感じられて、観る者に思わずそばに
寄り添いたくなるような懐かしさを感じさせます。

特に「眠たい子どもを沐浴させる母親」では、母子の衣裳を白に統一した明るい
画面に、膝の上の眠たげな子供を濡らした布でやさしくぬぐってやろうとする
母親の夏の午後の一時を、いかにも印象派風の幸福感に満たされた気分の中に
描き出して、味わい深い作品となっています。