2023年7月27日木曜日

「鷲田清一折々のことば」2716を読んで

2023年4月28日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2716では 漫画家・細川貂々の絵本『こころって何だろう』から、次のことばが取り上げられています。    いろいろな人に会うごとに こころが動いて    いろんなきもちがうまれてくる 心は誰かとかかわるときに動く。色々なことを思ううち、「自分にしかわからないヒミツ」が 生まれる、とこの漫画家は言います。 そう、例え沢山本を読んでも、映画やドラマを観ても、自分一人で感じ、考えることは、たかが 知れています。やはり、誰か他の人との関りの中で心は揺り動かされて、想いや気持ちが生まれ て来るのでしょう。 人との関りは、それだけ大切なのですね。だけど、このコロナ禍では、その関りが失われてし まった。電話、手紙、SNS、間接的な交流手段はあるけれど、でもそれはお互いが顔を突き合わ せた交流とは全然違います。例えばリモートでは実際に接していても、何か薄皮越しに接する ような、歯がゆさが残る、というふうに。 でもようやく、コロナによる制限が緩和されて、私たちが人と接する機会が格段に増えました。 今ほど人と直接に接することの貴重さが、実感を持って感じられる時はないでしょう。 この機会を大切に考えて、人と接する時間を出来るだけ増やすようにしていきたいと思います。

2023年7月14日金曜日

北杜夫著「輝ける碧き空の下で 第二部」を読んで

暑気ブラジル移民の群像を描く、長編小説の第二部にして完結編です。本書あとがきで著者も語って いますが、当初は三部作の予定が、第二次大戦後の展開を描くと物語が入り組んで複雑になるために、 終戦後間もなくで締めくくられています。 第二部ではまず、ブラジル北部アマゾン川流域への入植状況について、筆が進められています。ここ で印象に残るのはジュート栽培の成功までの道程を描くストーリーで、植民のための正規教育を受け た、国士館の高等拓殖学校の生徒たちに交じって入植した、家族移民の一人尾山良太が、度重なる ジュート栽培の失敗のために生徒たちもやる気を失う中で、自ら植え付けた数多の株の中から、当地 での栽培に適したジュートを数株発見し、それが日本人移民によるジュート栽培の隆盛につながると いうくだりです。一つのことを信じて精魂を込める、愚直な努力の素晴らしさを感じさせられました。 またそれに比べればサイドストーリーとも言えますが、拓殖学校生の一人木内喜一郎が色恋に対して ナイーブであるために、当時の日本人の価値観からは絶対に忌避すべき、現地土着民の娘を妻に迎え ることになる顛末を描くくだりで、ブラジルの広大な大地の中での、異邦人である日本人の寄る辺な さ、それに対する現地人のバイタリティーの落差が、如実に見られて面白く感じました。 さて本書第二部で最も興味深かいのは、第二次大戦勃発から戦中戦後における日本人移民の状況です。 ブラジルは国土が広大で、また多民族国家であるために、大戦初期には、敵方の国民である日本人 移民に対する差別意識や迫害も、米国への移民に比べて少ないと感じられます。しかし戦争が進むと 都会では、日本語の使用禁止や強制立ち退き、わずかな敵対行為の嫌疑での収監と、締め付けが強化 されます。 長年築き上げた財産、信用が一瞬のうちに灰燼に帰するという意味で、戦争のむなしさ、在留外国人 の立場の弱さを感じました。更に注目すべきは、戦争終結後、なお日本の戦勝を信じる勝ち組と、 敗戦を悟る負け組が生まれ、勝ち組が負け組を殺害する事件が起こったことです。 母国から遠く離れ、情報が極端に少ない閉じられたコミュニティーの中では、このような妄執がはび こり、暴挙が行われるのでしょう。またどさくさに紛れた詐欺行為も多く発生して路頭に迷う者も 多く生まれたといいます。人間のどうしようもない性を思うと共に、今日のコロナ禍での、オレオレ 詐欺の増加との共通点も感じられました。

2023年7月5日水曜日

北杜夫著「輝ける碧き空の下で 第一部」を読んで

日本の初期ブラジル移民の姿を体系的に綴る、長編小説の第一部です。 まず読み始めて、懐かしい文章のリズムに心地よさを覚えました。私は高校生の頃に、北杜夫の 作品を愛読していました。それから40年以上経っての同じ著者の小説への回帰であり、しかも 本作は、私が馴染んだ頃以降に著された作品ですが、、やはり彼ならではの文章のリズムがある と感じられ、一種満ち足りた思いに包まれました。 さて本書は、国内での貧しい生活を脱して、新天地ブラジルで一旗揚げようと勇躍やって来た大 多数の移民と、彼らの指導的立場にある移民会社の現場責任者、通訳などの人々が、現地での 自立と日本人の地位向上を目指して、多くの犠牲を払いながらも、身を粉にして奮闘する姿を 描いています。 それぞれの登場人物の、波乱万丈の生き方のエピソードには事欠きませんが、まず彼らの思考や 行動の総体から感じたことについて記してみたいと思います。というのは、彼らがブラジルに 渡った明治時代後期の日本人のものの考え方や行為は、現代を生きる私たちの源流をなすと思わ れ、また異国への移民という特殊な環境が、その特性を際立たせていると感じられるからです。 そのように考えて彼らの行状を見ると、まず彼らは日本人であるというプライドが大変高く、 これは無論自分が海外に身を置いているという条件によるところも大きいですが、心の拠り所と して天皇を崇敬し、また日露戦争で欧米列強の一角に勝利した自負心が、大きいと推察されます。 このプライドの高さは、彼らを勤勉にし、生真面目さや逆境への反発心を生み出していると思わ れます。その反面、彼らの多くは一旦見限ると、契約が残っていても無断で耕地を抜け出して 漂泊者になり、懸命に働いて一定の金が出来ると、過酷な労働の反動として、女や酒や賭博に 蕩尽してしまいます。 これらの思慮を欠く行為は、生活の安定しない人間の普遍的な行動とも考えられますが、日本人 のプライドの高さがそれを助長しているようにも思われます。 最後に、本書第一部での私の最も心に残ったエピソードは、通訳としてブラジルに渡った平野 運平が、一刻も早く移民たちに自作耕地を持たせるために平野植民地を開くも、予備知識の不足 から同植民地でのマラリア蔓延に苦しみ、折しもバッタによる食害、冷害による深刻な資金難を 埋め合わせるため金策に奔走する中で、スペイン風邪で命を落とすエピソードで、彼は間違いも 犯しますが、指導的立場にある人間としての矜持と使命感には、感動させられました。