2014年4月29日火曜日

ユイスマンス著「さかしま」 澁澤龍彦訳を読んで

斜陽のフランス貴族の末裔、デ・ゼッサントが時代と社会に絶望して、
自らの趣味、趣向の限りを尽くしたパリ郊外の家に隠棲し、体験する
思索の日々をつづった小説です。

まず、作者の博識に舌を巻きます。それに伴う訳注の膨大なこと!
翻訳も、澁澤なればの仕事と思わせます。

主人公の思考も、審美眼も極端に偏っていますが、終始一貫している
だけに滑稽ではあるが、妙に説得力があります。

すなわち、近代ヨーロッパの急速な資本主義の発達に伴う、
新興ブルジョア階級の台頭によって、失われていく旧来のキリスト教的
価値観を、変質した形ではあっても守ろうとしたのがデ・ゼッサントであり、
この小説はかたくなな彼が時流に押し流されて、ついには、敗北する姿を
描くものでもあるのでしょう。

皮肉にも本作が、以降に象徴主義文学や世紀末美術を語る上で、
欠くことの出来ないものとなったのは、主人公の隠遁生活の顛末を通して、
デカダンスというものが本来持つ、滅び行く一瞬に光彩を放つという性質を、
的確に描き出している所以ではないでしょうか。

いずれにせよ、この小説の長大な叙述から浮かび上がる、西洋の学芸の
輝かしき歴史は、私のような、東洋の島国の一読者にも、彼我の文化の
違いをいやが上にも突きつけてきます。

2014年4月25日金曜日

私たちの現代社会をおおう緩慢な死について

父を看取り、老齢の母と暮らし、また周りの高齢の方のお話を聞いて
いると、最近、高齢化と死について考える機会が増えました。

高齢者からよく、「ここまで、生きるとは思わなかった。」という言葉を
聞きます。

今の高齢の方は、幼少時には結核に代表される死の病、あるいは
戦争による死というように、若年でも死というものが身近にあり、
生きるということに対して、現在壮年以下の私たちとは、違う価値観を
有しておられるように思います。

ところが、自分の思い描いていた人生計画以上に長生きしてしまって、
体の次第に衰えていく老後をどのように過ごそうか、戸惑っておられる
ように感じられるのです。

翻って私たちも、高齢者の困惑を目の当たりにして、近い将来、自分が
当事者とならざるを得ない、答えのない高齢化問題に不安を抱いて
います。

かつては、”メメントモリ”という言葉に代表されるように、死に対する
不安が第一の人生の苦だったでしょう。でも今日では、生き続ける
不安というものも、人生の切実な問題なのではないでしょうか。

では、この不安をどのように和らげたらいいのか?社会保障の問題、
個々の人生への処し方、心の持ち方等、様々な対策、対処法は
あるのでしょうが、根本的な解決方法は到底、思い浮かびません。

きっと、一生かかって考え続けるのでしょう。

2014年4月23日水曜日

京都高島屋グランドホール「円谷英二 特撮の軌跡展」を観て

我が国の映画、テレビに特撮作品というジャンルを築き上げた
「特撮の神様」、円谷英二の特撮技術の紹介を中心とする
展覧会です。

私自身も映画「ゴジラシリーズ」の迫力、恐ろしさに心震わせ、
テレビ「ウルトラQ」、「ウルトラマンシリーズ」の神秘的な
超現実の世界、怪獣退治のストーリーに胸躍らせた世代なので、
何か懐かしいものに再会するような思いで、足を運びました。

円谷が次々に開発していった特撮技術の展示を見て行くと、
まず最初に何を撮るかという目的があり、それを実現するために
方法を考案していったという事実が明らかになります。

彼は常人の思いつかない発想で、観る者をあっと言わせる、
あるいは、それが違和感のないものと感じさせる、トリックを
矢継ぎ早に創作していきましたが、まず観客に見てもらいたい
シーン、訴えたい思想があり、それを実現するために、人並み
外れた情熱を有していたことを見逃してはならないでしょう。

さらに、円谷の特撮作品の魅力を語る上で欠かせないものとして、
キャラクターの素晴らしさがあげられます。

日本文化の伝統である、森羅万象すべてに魂が宿るというものの
考え方、マンガのルーツとも言われる、鳥獣戯画に代表される
絵画の継承、妖怪、幽霊の図像化など、長く蓄積されてきたものが、
折しも近代科学の発達とともに、円谷という偉才のもとに一気に
花開いたと考えるのも、あながち間違ってはいないと思われます。

2014年4月21日月曜日

朝日新聞の夏目漱石「こころ」再連載に寄せて

4月20日より、朝日新聞紙上で、漱石の「こころ」連載開始100年を
記念して、再連載が始まりました。

実は私は5年ほど前に、「こころ」を一度読んでいます。それで今回、
もう一回読んでみるものかどうか思案しました。

それというのも前回読了した時、先生とKの関係に、現代の価値観とは
相容れないような、古臭く、じれったいものを感じたからです。

どうして先生はKに自分の思いを伝えられなかったのか?Kの死後、
なぜに終生、彼に対する罪の意識に苛まれ続けたのか?
読み終えた後も、以上の疑問がまるで澱のように、私の心に残りました。

しかし、あえてもう一度読み直してみようと思ったのは、再連載に合わせて
掲載された、大江健三郎氏による、「時代の精神」というキーワードのもとに
語られた言葉を、読んでみたことにもよります。

そこで語られた言葉から私が汲み取ったのは、その小説が連載された
時点に立ち返って、読み直してみるということです。

果たしてそんなことが可能かはわかりませんが、うまくいけば、私にとっての
「こころ」の新しい解釈が生まれるかもしれません。

さらにこのように考える私を励ましてくれるのは、今回は新聞小説という形で
再読することになるという事実です。読み方が変われば、印象も変わる
に違いありません。なんだか楽しみになってきました。

2014年4月17日木曜日

小林敏明著「廣松渉ー近代の超克」を読んで

正直、難解でした。おまけに私は、廣松がマルクス主義の論客で、
思想家であったことも、この本を読むまで知りませんでした。
したがって、この感想は読書ノートの域を出ません。

さて、本書の中で「近代」を定義する部分は、私にも明解な答えを
提示してくれるものとして理解出来ました。

曰く、「近代」とはまず、貨幣経済に支配された産業資本主義の
発達であり、これを支えるための国民国家の成立であり、それを
推進するための機械的合理主義の確立である、ということです。

その中で個人の主観が培養され、利潤の追求が至上の価値と
なり、個々の人間の間に疎外感が生まれる。

では、その「近代」を超克するためには、どのようにすれば
よいのか?

廣松は、第二次大戦中の思想哲学上の超克論を代表する、
京都学派の批判から、自らのマルクス主義に立脚した超克論を
展開する方法を選びます。

つまり京都学派は、西洋思想を超えた日本独自の東洋的思想の
確立を志向し、結果としてそれが戦争協力と見做され、他方廣松は
それを反面教師として、マルクス主義に希望を求めたのです。

私は本書から、廣松の解を読み取れませんでしたが、ソ連の崩壊、
現代の資本主義がマルクス経済学から多大な影響を受けている
という歴史的事実から、まだ明解な答えを見出せない、「近代の超克」
という来たるべき社会を、夢想するしかないのかもしれません。

2014年4月15日火曜日

京都文化博物館「光の賛歌 印象派展」を観て

ルノアール「ブージウ‘ァルのダンス」が目を引きますが、シスレー、
ピサロ、モネの水辺の風景画が中心の印象派展です。

「ブージウ‘ァルのダンス」は、さすがルノアールです。人生の
歓喜の時の一瞬を捉え、卓越したデッサン力、天性の色彩感覚で、
濃密な愛の賛歌を歌い上げます。その一点があるだけで、周辺の
空間まで、薄紅色の靄がかかっているかのように感じられます。

NHKの生命科学番組ではないですが、この作品は正に、
オキシトシンの生成を誘発する絵画と感じられました。

印象派の水辺の風景画は、常に流動する光のきらめきを描き、
その瞬間の時を写し取っているにもかかわらず、画面全体から
受ける印象は、落ち着いています。

今回、同じような構図の絵画が多く並べられた中で、改めて
気付いたのは、空のスペースが大きく取られていることによって、
画面全体の泰然とした秩序が構築されていることです。

印象派の絵画が、観る人に心地よさを感じさせる理由は、ここにも
あるのでしょう。

シスレー、ピサロ、モネの三人の画家の中で、モネの作品が一番、
その制作時期によって様相を大きく変えます。それぞれの時代の
作品の素晴らしさに、画家としての器の大きさを感じました。

2014年4月13日日曜日

名残りの桜

4月12日、植物園に隣接する賀茂川沿いの桜を観に行きました。

京都の町中の桜は、大半が盛りを過ぎているのですが、ここの
桜は枝垂れで、今が見ごろです。

市中の桜の見納め、言わば名残りの桜見物といったところです。

ほのかな赤みを帯びた桜で、枝垂れている様子が優しくたおやか、
今年も美しく咲きそろっていました。

この桜を見ると数年前、関東にお住いのお世話になった知人の方
親子が、この時期私のところをお尋ねになって、やはりちょうど
ここの桜が見ごろで、ご案内したことを思い出します。

お二人ともたいそう喜んでいただのですが、その数か月後、その日
訪ねて来られた娘さんがご結婚され、それを見届けるように、更に
数か月後、この日ご一緒のお父様が亡くなったということを、
その後知ったのでした。

桜は年々相変わらずに咲きながら、そこに私たちの特別な思い出が
重なって、私たちそれぞれの、このみやびやかな花に対する
イメージが、出来上がって行くのかもしれません。


2014年4月10日木曜日

仕事のこと 2

昨日お話ししたことに関連して、朝日新聞朝刊4月9日付け、京都面の
「四季つれづれ」大野洋太郎さんの言葉が、私の琴線に触れました。

以下に引用すると、「「職人技は盗んで覚えろ」。よく聞くセリフです。
しかし未熟な者に技は盗めません。飽きるほどの同じ作業の繰り返しの
末に、いつの間にか身に付くのが技、その上に謙虚さが伴って、初めて
他人の技を盗めます。」「単純な作業の繰り返しに耐え仕事がひと通り
こなせるようになった時、初心の謙虚さを忘れずにいられるか。それは
仕事が本当に好きかどうかにかかっています。器用さは二の次です。」

私たちの属する伝統産業には、マニュアルなどなく、経験の蓄積で
職能を磨いて行きます。私も、父の後について、見よう見まねで商売を
覚えて来ました。

ましてや、熟練の技術が必須の職人は、その技術を磨くために、長い
下積み期間を必要とします。しかし、昨今の和装業界は、せっかくの
その技がどんどん失われて行く事態に直面しています。

現代社会を生きるお客さまが、必要と感じられるお品物を提供する
ことによって、この職人技を少しでも残していくことができたら・・・

私たち、この店に携わる者一同の、切なる願いです。

2014年4月9日水曜日

仕事のこと

4月始めから、3月末で会社を閉めた仕入先と、6月いっぱいで
仕事をやめるという、永年お世話になった染屋さんのことで、
頭を悩ませていました。

どちらも、私たちの店にっとては掛け替えのない存在で、それに
代わるところが果たして見つかるのか、当初は、見当も付かな
かったのです。

和装業界は、永年の不況と後継者不足、それに伴う従事者の
高齢化で、深刻な様相を呈しています。

今回、私たちの店でも、その懸念が一挙に噴き出したという
ところです。

幸い、従来の他の仕入先と新規のところを当たることで、
当該商品の仕入に目処が立ったことと、さらには、
お客さまの要望に叶う誂え染めを、請け負っていただけると
感じさせる染屋さんが見つかったので、一応胸をなでおろ
しました。

その染屋さんのご主人には、まだまだ元気を出して、仕事に
精進しなければならないという、前向きな言葉もいただいて、
かえってこちらが、励まされた具合です。

私たちの店も、周りの方々に支えられながら、お客さまに
満足いただけるお品物を提供出来るように、これからも
努力していこうと、決意を新たにした次第です。

2014年4月8日火曜日

森敦著「月山・鳥海山」を読んで

月山は、昭和49年、第70回芥川賞受賞作。まるで、白昼夢を見て
いるような不思議な小説です。

ただし、その雰囲気を醸し出すのに、霊場月山の麓の雪に
閉ざされた集落という場所は、決定的な役割を果たしています。

次に、この人界と神の領域の中間に位置するような場所においても、
細々とではあれ、人間の生活が営まれていることが示されます。
そこをふらっと訪れ、荒れ寺に身を置いた主人公は、いやが上にも、
その地の人びとと交わることになります。

庫裏の階上、寒さしのぎの古い祈禱書の和紙を再利用した
蚊帳の中に寝むる主人公は、まるでこの地の歴史、風土に丸ごと
包まれながら、その非日常の空間の生活を静かに観察している
ようです。

取り留めもなく綴ってきましたが、読み終わってこの小説はやはり、
人間とはいかなるものかを、映し出していると思います。

月山の霊的な帳の下、即身成仏の因習も残る、厳しい気候風土の
中で、自然に寄り添うように生きる人び。、しかし時として、下界から
持ち込まれた欲望や狂騒によって、身を持ち崩すものが現れ、その
後遺症を引きずりながらも、何事もなかったように続く日常。

人間という存在の業を、静かに語りかけているように感じられるのです。

2014年4月3日木曜日

龍池町つくり委員会 3

4月1日、第21回龍池町つくり委員会が開催されました。

今回はまず、あらかじめ提出されていた事業活動案について、検討を
おこないました。結果、広報活動の充実、既存のイベントとの兼合いを
考慮した、主に子育て世代をターゲットとした、茶話会などの事業の
推進が再確認されました。

討論の過程で、各町内における町内会規約の整備と、規約作成の
促進を優先すべきとの意見も出て、各委員の考え方の温度差も
垣間見えました。

本来は、新旧住民、世代間のコミュニケーションを密にしてから、幅広い
意見を入れて規約を策定すべきなのでしょうが、現状は地域環境の
急激な変化のために、コミュニケーションの醸成も、規約の作成の促進も
待ったなしの課題となっています。

つまり、両方を並行して進めなければならず、なかなか難しい問題です。

2014年4月2日水曜日

映画「ペコロスの母に会いに行く」を観て

長崎在住の漫画家 岡野雄一の認知症の老母介護を題材とした、
ユーモア溢れるエッセイ漫画の映画化作品です。

私自身も80歳を越える母と同居し、老人介護は他人事ではない
切実な問題です。

バツイチの主人公雄一は、認知症の兆候が出始めた母を抱えながら、
会社に勤めつつ、漫画を描き、音楽活動に勤しむと、多忙な日々を
送っていますが、母の症状が進み、ケアマネジャーの勧めに従って、
彼女を介護施設に入れる決意をします。

母の施設入所までは、彼女の認知症を疎ましく思っていた雄一ですが、
施設で介護職員、他の入居者やその家族と知り合い、何より、母と
少し距離を置いて接することが出来るようになって、次第に、認知症も
悪いことばかりではないと、感じるようになります。

認知症を患った人は、未来に向かって生きるより、過去をもう一度
生き直すことを選択しているのかもしれません。しかし、それは一概に
退行とは言えないのではないでしょうか?

人は時の流れの中で、否応なく現実に押し流されながら、気がかりや
悔恨を残しつつ生きて行く。

生きることに忙しいうちは、それらの諸事を頭の片隅に押しやって、
すっかり忘れていますが、認知症を患って、脳が最早、未来について
考えることを放棄した時、過去の懸念や痛恨事が一挙に頭をもたげて
来るのでしょう。

それら諸々を、もう一度記憶の中に辿り直し、自分なりの納得を得た時、
その人の心は安らぎに満たされるのではないでしょうか。

介護は決して、きれいごとではありません。しかし、介護される人の心に
少しでも寄り添うことが出来た時、この絶望的に見える状況に、かすかな
光明はさすのかもしれません。

この作品は、そんなことを私たちに、気付かせてくれます。