2017年4月28日金曜日

金時鐘著「朝鮮と日本に生きるー済州島から猪飼野へー」を読んで

著名な在日朝鮮人の詩人、金時鐘による自らの波乱の人生を綴る回想記です。
2015年度の大佛次郎賞受賞作です。

まず私は隣国でありながら、朝鮮の現代史をほとんど知らなかったので、本書によって
突きつけられた過酷な現実に、ただただ驚きを禁じ得ませんでした。

金少年が受けた皇民化教育は、如何なるものであったのか?このことなども私の学んだ
歴史教育では、我が国が朝鮮を植民地支配し、第二次世界大戦の敗戦後ようやく独立を
遂げたというような至って簡潔な記述に終始し、以降の私の無関心も相まって、当時
植民地支配されていた朝鮮の人々の実際の生活や心情には、思いも及びませんでした。

しかし金少年の心に、母語喪失にもつながりかねない深い傷を残した、植民地状態から
解放されても、朝鮮半島には次なる試練が待ち受けます。

金日成が次第に共産主義に基づく支配を確立していく北朝鮮に対して、南朝鮮では
アメリカが共産化を阻止するため、日本支配の下で権勢を揮った旧軍事勢力と結託し、
南北統一国家建設を目指す共産、民主両勢力を弾圧し、特にこれらの反米反体制勢力
が力を持ち、金青年の住む済州島では、4万人以上の犠牲者が出る「四・三事件」が
引き起こされます。そして反体制派として活動していた金青年にも身の危険が差し迫り、
彼は命からがら日本に脱出するのです。

その後の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国という南北分断国家の樹立と、それに
続く朝鮮戦争の勃発は、歴史教科書にも記載された事柄です。

本書を読んで私は、敗戦後アメリカの寛大な援助政策と、朝鮮戦争の特需が復興の助け
となった日本と、独立後も南北分断によって同じ民族間でいがみ合い、殺し合わなければ
ならなかった朝鮮の、歴史的、地理的条件の違いから来る圧倒的な落差を思いました。

また今なお日朝間、日韓間にくすぶる諸問題に対しては、現に植民地支配を行った
我が国は、少なくともそれぞれの国が歩んで来た歴史的現実を踏まえて、誠実に対処し
なければならないと感じました。

本書は、我々日本人が金時鐘の激動の生涯を通して、生きた朝鮮の現代史に触れること
によって、両者の真の理解の可能性を開く好著であると、私には感じられました。

2017年4月26日水曜日

「京都国際写真祭2017」ヤン・カレン展を観て

今回は、京都生活工藝館無名舎が会場のヤン・カレン展を観て来ました。

この会場も私の家にほど近い代表的な京町家の一つで、祇園祭山鉾連合会前理事長
吉田孝次郎氏の生家で、文化庁の登録有形文化財に指定されています。私もこの建物
の前はしょっちゅう通りますが、実際に訪れるのは初めてで、丁度良い機会が出来たと、
有難く感じました。

中に入ってみると、京町家らしい落ち着いた風格のある佇まい、計算された配置による
坪庭と建物の調和も美しく、特に窓や軒先から射し込む柔らかな光が、なんとも言えぬ
風情を醸し出していました。

さてヤン・カレン展ですが、今展ではこの写真家が京都に滞在して、伝統工芸の各職人
に、フェルメールも用いたといわれ、現在のカメラの原型をなす映像の投影装置、カメラ・
オブスクラの制作を依頼する中で、彼らの仕事に密着して、職人の道具、技、それに
まつわるものなどを写真に写し取ることによって、自然と密着した彼らの営みを明らかに
するとともに、日本、ひいては東洋的な生活観、美意識を浮かび上がらせようと試みて
います。

これらの被写体が写し込まれた作品は、モノクロの表面の底に、深い祈りや精神性の
輝きが自ずと滲み出て、決して激しくは主張しないけれども、穏やかで、温もりのある
存在感を醸し出しています。手仕事というものの原形を観る思いがしました。

また実際に制作されたカメラ・オブスクラが、坪庭の風景を投影するように配置されている
ことも含め、この展示会場の住宅とヤンの写真作品の相性も素晴らしく、建物と作品が
見事な相乗効果を生み出している展覧会であると、感じました。

2017年4月23日日曜日

鷲田清一「折々のことば」730を読んで

2017年4月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」730では
手記集「阪神・淡路大震災 私たちの20年目」より、被災者の一人山中隆太の
手記から、次のことばが取り上げられています。

 続けるという行為は、得てして新しいことに取り組むよりもエネルギーのいること
 なのかも知れない。

あの大震災から20年後に、あえてその悲惨な体験を風化させないために、手記を
再開した人の覚悟とはまた趣きが違うけれど、私はこの言葉から、今の時代に
私たちのような店を続けて行くことの難しさを、まず連想しました。

日本人の生活に関わる文化、習慣の変化によって、和装離れが言われ始めて
すでに長い時が経過しました。勿論我々の伝統文化に対する愛着には、まだまだ
捨てがたいものがあるでしょう。しかし、衣食住の生活様式が現代的という名の
下にほとんど洋風化してしまった、現在の私たちの生活においては、和服を着用
するためには、相当の時間的な煩わしさや、経済的な負担が付きまといます。

それでは、業界は人々に和服を着続けてもらうために、相応の努力をして来たのか、
と言われれば返す言葉もありませんが、抗えぬ時の流れもあったのだとは思います。

いずれにしても、言い訳をするという以前に、私たちは出来る限り店を続けることに
よって、和装や絹製品への愛着という日本の伝統文化を守る一助となりたいと、強く
願っています。

しかし現実は益々厳しく、需要の減退に伴って、産地の織屋、加工を担う職人が
どんどん減少して行き、従来からの白生地を手に入れることや、加工品を作り出す
ことが難しくなって来ています。

そのような状況の中で、多少とも継続的に需要がある可能性がある生地は、こちらで
在庫を抱えるリスクを冒して生産してもらったり、今まで頼りにしていた織屋や職人が
廃業すると、色々なつてを辿って新たな先を探したり、本当に、継続して行くためには
従来以上のエネルギーが必要だと、痛感しているこの頃です。

2017年4月21日金曜日

蓮實重彦著「伯爵夫人」新潮社を読んで

受賞会見が話題になった、昨年度の三島由紀夫賞受賞作です。

著者は元東大総長で、評論類には時々親しんでいるので、さて本書を開いてみると、
官能小説と見紛う扇情的な小説が現れて、正直面食らいました。

しかしそこは百戦錬磨のつわもの、一見ポルノを思わせる刺激的な表現で読者を
弄びながら、計算ずくの仕掛けがあちこちに仕組まれた上に、幅広い教養に裏打ち
された装飾性たっぷりの表現で、読む者を幻惑あるいは夢見心地にさせ、読後は
何か夜霧の中に一人置き去りにされたような頼りなさが残ります。

それは蓮實が、どうしてこのような小説を書いたのだろうという思いにつながり、
自然に著者が本書で何を描きたかったのかという方向に、私の関心は流れて行き
ました。

この小説は、大学受験を間近に控えた華族の子息二朗を主人公に、日米開戦の
当日の夢ともうつつともつかぬ一日を描きますが、描写されているのは、ほとんどが
性的な事象と戦争です。全編の大部分が二朗の夢とも解釈出来るので、戦時色の
濃い時代の上層階級の二十歳前後の子弟の無意識の関心事、妄想とも取れます。

それにしても、好色な祖父の系譜を引き継ぐ、一見取り澄ました深窓の華族家庭、
それを取り巻くセクシーで魅力的な女たち、迷宮のようなホテル、近づく戦争の足音と、
舞台設定は魅惑に満ち、まるでセピア色の古い映画を観ているようです。

さらには、高貴さと猥褻さをない交ぜにして、ノスタルジーを搔き立てる手段として、
「見えているはずもない白っぽい空が奥行きもなく広がっているのが、首筋越しに
見えているような気が・・・」「勃起」「熟れたまんこ」「ぷへー」「ばふりばふり」の語句、
語彙、擬音語が繰り返し用いられています。

しかしこの夢の中の絢爛とした頽廃の世界が魅力的であればあるほど、私には
小説全体が敗戦の帰結の暗喩であるように感じられました。

安保関連法案の解釈改憲が現実のものとなり、憲法九条の改正が取り沙汰される
昨今、本書で著者が読者に想起させようとしたものは、自ずと明らかでしょう。

またこの小説のような、性的な表現の自由を駆使した創作が可能である社会を、
本書が全面的に肯定しようとしていることも、紛れも無い事実でしょう。

2017年4月18日火曜日

鷲田清一「折々のことば」727を読んで

2017年4月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」727では
作家村上龍の小説「ラブ&ポップ」から、次のことばが取り上げられています。

 理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解できないことがあった
 時に、事態はうまくいかなくなる

私たち日本人は、対話や議論の場で、往々にこういう弊に陥るのではないで
しょうか?

お互いが話せば分かり合えると思っているから、話が通じなかったり、議論が
かみ合わない時に、相手に非があると考えて気分を害したり、けんか腰になって
しまうことが、まま見受けられます。

これは私たちが、その場の話し相手のことを、どうしても狭い島国の同じような
環境に暮らす、同じような考え方の仲間内と考えがちで、相手がこちらの考え方を
理解出来ないなどとは、とても思い及ばないからに違いありません。

同様のことは、場の雰囲気を察するというような場面でも見受けられることで、
例えば相手がどのように考え、どのように振舞うかをあらかじめ推測して、その
場に相応しい対処が出来ることを、人の優れた能力として評価することがよく
有ります。

しかしこれは逆を返せば、そのような場で相手の考えを察することが出来ない
人物は、白眼視されたり、仲間はずれにされるということが起こるということも、
示しているのです。

ことは程度の問題でもありますが、いずれにしても私たちには、他者は個人として
独立した考え方を持つ存在であり、それぞれが違うものの見方を持っているのが
当たり前だという前提に立って、相手に対するように心掛けることが必要でしょう。

2017年4月17日月曜日

「京都国際写真祭2017」メイプルソープ展とムニョス展を観て

いよいよ、「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2017」が始まりました。今年は
私たちの店でも公式ポスターを掲示して、このイベントを盛り上げようとしています。

さて私は早速手始めに、室町筋の帯地製造卸誉田屋源兵衛が会場になっている
ロバートメイプルソープ展と、イサベル・ムニョス展に向かいました。この建物は、
呉服問屋が軒を連ねる室町通り面しているので、私はしょっちゅう前を通るのですが、
中に入るのは初めてで、内部も堂々とした凝った作りで、なかなか趣きがありました。

まず入ってすぐの竹院の間で、メイプルソープ展を観ました。彼は余りにも有名な
アメリカの写真家。今展は国際的建築家ピーターマリーノのプライベートコレクション
からの展示ということで、この写真家から芸術的インスピレーションを得たという
建築家の審美眼を通した切り口に、期待が高まります。

さて展示作品は、建築家の好みということもあって、構成として洗練されたスキのない
ものが選りすぐられいるように感じましたが、花を写した作品も、人間の肉体の一部を
切り取った作品も、モノクロでありながらカラー作品以上の色彩感に富み、計算され
尽くした構図や光線の処理の仕方によって、部分を写し取りながら、それ自体で
完璧な造形物を眼前に提示しているようで、写真と言うには余りにも、鮮烈な印象を
受けました。

次に奥の建物黒蔵のムニョス展の会場へ向かいます。この建物は黒い壁面に一面を
覆われた塔を持つ、大変ユニークな形状の造りで、塔の中を上階に上がるためには、
狭い螺旋状の木製の階段を足元に注意しながら登らなければならず、ちょっとした
冒険気分が味わえます。その作りが展示作品の野性味ともマッチして、面白い効果を
表わしていました。

ムニョスはスペインを代表する女性写真家で、本展では一階展示場に霊長類の
家族の肖像を写した作品、二階や三階には、踊りやパフォーマンスで宗教的恍惚に
浸る人間の姿を写し取った作品が、展示されています。私が感銘を受けたのは
霊長類の肖像で、人間ほどの感情の発露方法は持ち合わせていないけれど、内から
自然と溢れ出て来る心の純粋さ、それでいてそこはかとなく漂うもの悲しさに、かえって
人間が文明化に伴って合わせ持つことになってしまった、深い罪業というものの存在を、
感じずにはいられませんでした。

2017年4月14日金曜日

呉座勇一著「応仁の乱」を読んで

一見地味な題材を扱うこの本が、なぜこんなに良く売れているのか不思議に感じ
ます。

考えてみれば、”応仁の乱より後が今日に通じる話”という言い方も京都には
有るくらいで、私なども、「応仁の乱」という言葉は知っていますが、実際にそれが
どんな歴史上の事件であったのかは漠として分からないので、きっとこの本を購入
する人々には、それが一体どのようなものであったかを知りたいという、私と同じ
ような知識欲が有るからに違いないでしょう。

さて本書を読み進めて行くと、応仁の乱が大名畠山氏の跡目争いを巡り、
既存勢力側の有力大名細川勝元を中心とする東軍と、新興勢力側の有力大名
山名宗全を中心とする西軍に分かれて戦い、長い戦乱の末、とりあえず東軍の
勝利に帰したということが見えて来ますが、その過程はかなり入り組んでいて、
一方の味方が他方に寝返り、果ては将軍家の跡目争いにまで発展して、おまけに
勝者敗者のはっきりとした立場上の優劣が付かぬ形で終結するという、はなはだ
中途半端な戦です。

これではなるほど、生半可では実態を把握出来ないことが理解されます。

本書では、争いの中心の都から適度な距離を置き、しかし戦乱の波及や荘園
経営上の影響などから、切実な利害関係を有する奈良興福寺の僧経覚と尋尊の
日記「経覚私要鈔」と「大乗院寺社雑事記」を中心の史料として、この複雑な
成り行きを読み解いています。その結果読者も、ある程度の臨場感を持って経過を
追うことが出来るように感じられました。

それにも係わらず、応仁の乱の終結時点では、何か消化不良の感を免れ得なかった
のですが、ことがこの本の終盤の明和の政変に至り、一気に複雑に絡んだ因果の
糸が解きほぐされるようなカタルシスを感じました。

これは応仁の乱の終結から十数年の時を経て、微妙な状態に棚上げされていた
ものが時の重みに耐えかねて、雪崩落ちたような事件で、歴史というものが時として
人の感情の集合体によって動かされるものであることを、改めて感じさせられました。

この本を読むと戦争や紛争は、たとえ当事者の一人一人は争いが早期に終結する
ことを望んでいるとしても、いったん実際の戦いが始まってしまうと、様々な要因が
絡んで、往々にして容易に終わらせることが出来ない性質を有するものであることが
見えて来ます。この真理は、今日においても不変であるでしょう。

2017年4月12日水曜日

「福岡伸一の動的平衡 言語が脳に刻みこむ論理」を読んで

2017年4月6日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では、言語の役割は
コミュニケーションの道具というだけではなく、人間がものを考えるための道具でも
あり、それゆえ言語は概念を作り、人間の脳にその言語固有の神経回路を生み
出すということで、例として英語のrightとprivilegeの意味の、ネイティブスピーカー
にとっての感覚的な違いについて記されいます。

福岡の現地での経験によると、rightはもともと人間に備わった権利で、privilegeは
本人の努力によって得られるもの、だそうです。

この文章を読んで、私たちの国と彼の地での、権利という概念の捉え方の違いに
ついて、何か腑に落ちるものを感じ、納得させられた気がしました。

というのは、私たちの暮らすこの国の社会では、往々にして権利というものが自分に
都合がいいように拡大して解釈され、その結果として周囲への迷惑を省みず、自分の
主張を押し通そうとするあまり、公共のマナーに反することがまま見受けられるように、
感じるからです。

その原因として、私たち多くの日本人が権利というものの本来の意味を、未だに正確
には認識していないで、権利の行使には義務や責任が伴うことを、理解していない
ためだと、推察されます。

これは家庭内の子供の教育においても同様で、大人が権利の意味を知らなければ、
子供にも教え込むことが出来ず、結果、個人主義的な価値観の浸透と共に、権利の
履き違えはますます助長されることになります。

西洋から導入された権利という概念について、私たちが今だrightとprivilegeの言語的
ニュアンスの違いを正しく認識していないということは、その事実を端的に示している
のではないでしょうか?

2017年4月9日日曜日

京都高島屋7階グランドホール「日本美術と高島屋」を観て

大阪にある高島屋史料館所蔵の美術作品を通して、近代以降における高島屋と
芸術家との交流を紹介する展覧会です。

まず会場に入る時に入場料を支払う必要がなく、作品目録が丁寧に手渡しで配られた
ので、この百貨店が大切に育んで来たものを広く顧客に紹介するという、良い意味での
私的なイベントの雰囲気が感じられました。

展覧会の説明書きを読むと、明治時代に海外との交流の中で生起した、日本美術の
一大ブームの需要に応えるために、高島屋が工芸品の輸出に乗り出して、この百貨店と
芸術家との深い関係が生まれたそうです。それ以降、着物を制作するための下絵を
若手の日本画家に依頼したり、店内の美術ギャラリーで若手、ベテランを問わぬ画家の
個展を開催したり、あるいは大家の大規模な回顧展に会場を提供したりと、パトロンをも
兼ねる形で芸術家との関係は更に強くなって行ったといいます。

さて展示される作品を順に観て行くと、日本を代表するようなそうそうたる画家の、美術館
で観るのとは少し趣きが違う、良質ではあるが何か肩ひじ張らぬ絵画が並び、それぞれの
画家の作品の新たな魅力に接するようにも、感じられます。

また画家の原画と、それに基づき制作された手描き友禅、刺繍の工芸作品が並べて展示
されているコーナーでは、その当時の日本の工芸技術の緻密さ素晴らしさが、遺憾なく
明示されて、驚きと共に、強い感銘を受けます。我が国の近代美術史という観点からも
有意義な展観であると、感じました。

更にこの展覧会の最後に、特別展示として、高島屋当主飯田家とトヨタ自動車創業家
豊田家の大正11年の婚礼に因み、両家から高島屋史料館に寄贈された美術品や呉服、
また本展に寄せて特別出品された豊田家所蔵の婚礼衣装が展示されていて、これらの
中では特に呉服、衣装類の友禅、絞り、刺繍の技巧が今日では到底再現不可能なほど
素晴らしく、最盛期の呉服に携わる職人の手仕事の確かさに触れて、往時を偲ぶと共に、
何か寂しささえ感じさせられました。

2017年4月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」711を読んで

2017年3月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」711には
作家吉田篤弘の物語集「という、はなし」から、次のことばが取り上げられています。

 そのとき、自然と孤独なふりをできるのが灯台のいいところ

そう言えばものを考える時には、知らず知らずのうちに周囲の環境から自分を
切り離して、思いの中に没入しているのでしょう。

でも私の場合、その思考する行為自体が有意義なものであるかどうかは、そこに
至るプロセスに随分左右されるように感じます。

例えば具体的には、私にとって仕事中の時間でも、休日であっても、閑であるという
時には、大抵ろくな考えが浮かびません。後ろ向きであったり、将来を儚んだり、
はたまた不安が募ったり、まあ今の置かれた現実が厳しいからと言えばそれまで
ですが、そういう時に去来する考えは、後から振り返ると全く意味のないものが
ほとんどです。

ところが逆に、何かをきっかけとして思いに耽る時、それは前向きな新しいアイデアに
つながったり、気分を変えてくれるような爽やかさをもたらしたり、あるいは感動を
味わわせてくれたり、後から得した気持ちになれる考える行為となることが、多々ある
ように感じます。

ですから私は、出来るだけ自分を閑な状態にしないように、仕事中は勿論、休日でも
予定を詰めて、”無駄な考え休むに似たり”にならないよう、心掛けています。

私の性格が持って生まれた貧乏性ということかもしれませんし、今日の上記の
ことばに習えば、灯台にたどり着く行き方の問題かもしれません。

2017年4月5日水曜日

龍池町つくり委員会 39

4月4日に、第57回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず中谷委員長より、前回からの課題であった「歌声喫茶ユニオン」ついての説明が
もう一度あり、この件については自治連合会、老人会、町つくり委員会が後援すると
いうことで、学区内各町に次回の告知ポスターと回覧チラシを配布することになりました。

次に新年度ということで、平成28年度の当委員会の活動報告、決算報告があり、続いて
寺村副委員長より、平成29年度のメインテーマとしては「和」を掲げようという提起があり
ました。

ここで言う「和」とは、平和、和文化、人々が手をつなぐという意味で、今年度はこれを
テーマに活動を進めて行くことになりました。また連合会全体を有機的に活性化させて
行くということも、長年の懸案として合わせて取り組んで行こうということになりました。

今年度の行事計画については、自治連の三役会から、前年祇園祭の時に開催した「鷹山
ゆかた祭り」と、例年8月に実施する「夏まつり」を合同で開催してはという意見があり、
それについて検討がなされました。

前年の「ゆかた祭り」は予想以上に好評で多くの人が集まり、また京都人にとって特別な
思い入れがある祇園祭を中心に据えて、地域の活性化を図るとという催しには、単に
二つの行事を一緒にして省力化を目指す以上の意味があるということで、当委員会と
しては、次回の理事会で、今年度も前年通りに「鷹山ゆかた祭り」を開催しようという
提案を行うことに、決定しました。

京都外国語大学の南先生からは、まだ具体的には決定していないが本年は、従来の
スタンプラリーとは趣を変えて、また「和」という当委員会のメインテーマにも沿うよう、
高齢者を対象にした催しを考えたいというお話があり、さらに大学で揃いのゆかたを
制作して、学生と共に着用して委員会の行事に参加したいという、更に積極的に我々の
活動にコミットメントして頂ける、前向きな抱負が語られました。

2017年4月2日日曜日

NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」最終週を観て

NHKの連続テレビ小説「べっぴんさん」が終了しました。

神戸の子供服メーカー「ファミリア」の創業者がモデルで、脚本家渡辺千穂のオリジナル
作品ということですが、私には女性的視点からの柔らかく、丁寧な物語の運びが心地よく、
物語が終わった時には、言い知れぬ余韻が残りました。

巷では、最終盤にドラマの起伏が乏しく、冗漫な印象があったという意見もあったよう
ですが、私は、最終週の新たな展開はなくとも、それまでの出来事を振り返り、登場人物
一人一人の心に問いかけるような物語の終わり方に、終始一貫した脚本家の想いを感じ
取りました。

私自身の白生地屋という仕事に引き付けて考えますと、阪神淡路大震災以前、かつて
神戸では染色教室が盛んで、多くの教室の先生が生徒さんの教材用の白生地を買いに、
私たちの店を訪れて下さいました。

「べっぴんさん」のストーリーからも明らかなように、神戸は関西の中でも海外に門戸を
開いたハイカラな港町で、我が国の中でも、西洋の服飾文化に通じる手作りの気風の
土壌が育まれやすかったのだと推察されます。

また他方、京都の和文化というものに対して、神戸の人々はある種憧れを抱いていて、
それは我々京都人が神戸の西洋的なハイカラさに憧れを抱くのと同様ですが、彼の地で
手仕事としての染色が盛んだったのだと今は思います。

ところが、長い不況や、甚大な被害をもたらした自然災害を経て、昨今の高度に情報化
された社会では、決して効率的ではない手仕事というものが、次第に人々から顧みられなく
なって来ているように感じられます。また同時に、近頃のこの社会の殺伐とした気分は、
その現象と無縁ではないように、私には思われるのです。

「べっぴんさん」において作者は、手作りの品が生み出す温もりと、その心を伝えて行く
ことの大切さを、まさにその想いを視聴者に伝えるために相応しい丁寧な方法を用いて、
描こうとしたのではないか!今はそう感じます。