2016年12月30日金曜日

京都市美術館「ダリ展」を観て

私は今まで、シュルレアリスムの絵画を敢えてあまり積極的に観ようとしなかった
傾向があります。というのは、目で見たものを描くのではなく、頭の中で作り上げた
ものを描くというその姿勢に、何か嘘っぽさのようなものを感じていたからだと思い
ます。

ところが現代のグローバルで情報化された社会にあっては、何が現実で、何が
虚構であるかの境界線も曖昧になり、私たちが今日を生きているという実感も
なかなかつかみにくくなって来ていると、最近とみに感じるようになりました。

するとシュルレアリスムに対する私の受け止め方も変化して来て、もしかしたら
時代や社会に対して鋭い感性を持つ画家の脳のフィルターを通した絵画にこそ、
今日的な現実が色濃く反映されているのではないかと、思うようになって来たの
です。

ダリはシュルレアリスムを代表する画家の一人です。その名を聞くとまず、あの
風変わりな髭を思い浮かべ、私も彼のイメージの戦略にまんまとからめ取られて
いたのですが、今回この大規模な回顧展を観て、奇想という際物的な枠を超えて、
彼は紛れもなく世界の一つの現実を映し取ることに成功した画家であったと、感じ
ました。

まず、ダリが自身の画風を確立する以前の若描きの作品を観ても、それは
印象派風であったり、キュビスム的であったりするのですが、どこかに彼特有の
夢想的な気分、哲学的で硬質な雰囲気を宿す絵が多く見受けられます。すでに
彼の資質は抑えきれないものとして、顔を覗かせているのでしょう。

シュルレアリスム的な世界に居場所を見つけてからも、彼の芸術は止まることなく
変化、拡散の運動を繰り広げます。それは自らの思想を世界により広く知らしめる
ためでもあり、時代の要請に答えるためでもあったように思われます。

特に広島、長崎への原爆投下の後に生まれた作品群は、科学技術が人間の
思惑を超えて拡大し、逆に我々の思考や行動を規定する時代の到来を、予見的に
明示しているように感じられます。

ダリの芸術の魅力は、彼の過去から未来までも一望の下に見透かすような夢を
見る能力と、それを造形化する確かな描写力、一見冷徹のようでわれ関せず
というポーズを取りながら、にじみ出て来る詩情や人間への愛を、覆い隠すことの
出来ないところにあると、感じました。

2016年12月28日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、苦沙弥の人間世界の狂気についての思索

2016年12月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載166には
吾輩が、主人の人間界に蔓延する狂気についての思索を読心術で読んで、
その内容を代弁する次の記述があります。

「気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が
出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を
濫用して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だといわれて
いる例は少なくない。何が何だか分からなくなった。」

一見取り留めもない考察のようでいて、その実は深いことを語っているように
感じました。

人間というものは、平時には相対的に一応分別もあり、健全な社会生活を営んで
いるように見えるけれど、社会情勢の激変など、周りの環境が著しく変わった時、
あるいは何か特殊な価値観が人々に共有され、その価値観が多くの人を突き
動かすようになった時など、通常には考えられない集団的な狂気に駆り立て
られるようになることがあるのは、歴史が証明する事実です。

そのような情動や狂気は、どうして引き起こされるのか?やはり一人一人の心の
中に狂気の種が潜んでいるのではないか?そんなことを考えさせられます。

あるいは突然カリスマ的な指導者が生まれて、その人の思想がある種の狂気を
はらんでいる時、通常は分別のあるはずの多くの人々が次第にその思想に
感化されて、最終的には思いもよらない行動に及ぶということがあるということも、
私たちは既に知っています。

勿論、社会の大きな動きに対しては、私たち市井の人間の一人がどうあがいても、
どうしようもないことも多いけれど、少なくとも苦沙弥先生や吾輩のように、この
社会というものを、やや離れたところから冷静に見る視点を持つことが必要では
ないか?そんなことも考えさせられました。

2016年12月26日月曜日

福富レンコンを調理してみました。

九州のお客様より、福富レンコンを沢山頂戴しました。このレンコンは、佐賀県
有明海の干潟の重粘土質で育生する、この県を代表する特産品の一つだそうで、
ホクホク、モチモチした食感が特徴ということです。

外観も泥が付いたままで幾節かがつながっていて、こちらの八百屋やスーパーで
売られているような、一節づつにカットしてあらかじめ泥を落としたものと比較すると、
取れたてで新鮮な雰囲気や、野趣があるように感じられます。

私は日頃は料理はしませんが、せっかくなので何か作ってみようと思っていた
ところ、丁度朝日新聞朝刊の「西川和尚のらくらく精進料理」に、”おろしレンコンの
ショウガ焼き”という料理が紹介されていたので、挑戦することにしました。

まず泥の付いたレンコンを良く洗い、おおざっぱに皮をむき、高齢の母親も食べる
ので、レシピより少なめの4分の1を取り置き、残りをおろし金ですり下しました。
日頃はダイコンぐらいしかすり下ろさないので、それに比べて繊維質が強く、硬さ
も粘り気もあるので、かなり骨が折れました。

次に残りのレンコンを細かく刻み、続いて生シイタケ、ニンジン、ネギも同様に刻み
ます。すり下ろしたレンコンにこれらと片栗粉を加え、良くかき混ぜて適当な大きさに
分けて丸めます。その具材をゴマ油を熱したフライパンの上に乗せ、厚さ1cmぐらい
になるまでギューと押さえつけて、お好み焼きのような形状にして焼きます。最初は
強火にして、それから弱火にしてじっくりと焼く方が焦げ付かないようです。

薄口しょうゆ、ショウガ、みりん、出だしで調味料を作って、焼き上がってきた具材に
万遍なくかけて味を含ませ、器に盛りました。

味は家族にも幸い好評で、私自身も口に含むと、すり下ろしたレンコンのホクホクした
感じと、刻んだそれの絶妙の歯ごたえ、また他の具材から引き出されたじわりとした
旨みが相まって、いかにもレンコンを食べたという満足を味わうことが出来ました。

2016年12月22日木曜日

漱石「吾輩は猫である」における、刑事とのやり取りで明らかになる苦沙弥の頑迷

2016年12月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載164には
泥棒を連れた刑事への苦沙弥のとんちんかんな対応を批判する迷亭に対して、
あくまで自説を抗弁する先生に、とうとう迷亭が匙を投げる様子を記する、次の
文章があります。

「迷亭も是において到底済度すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず
黙ってしまった。主人は久しぶりで迷亭を凹ましたと思って大得意である。」

やれやれ、救いがたい滑稽さを露呈する苦沙弥先生です。でもどんなに強情でも
憎めないところが、彼の人徳のなせるわざだと言えるでしょう。

私の実人生に照らし合わせてみると、世の中というものは、例え正しいと信じた
ことでも強引に押し通すと、得てして相手との関係に齟齬を来すものであると
感じます。この苦沙弥の行状についても、ただ笑い飛ばすだけではなく、自らの
戒めとすべきかもしれません。

この小説では、苦沙弥が頑固で融通うが利かないけれども、単純で正直者で
あるのに対して、親友の迷亭がいい加減で嘘つきであるにもかかわらず、
物事を客観的に見ることが出来る柔軟さを持ち合わせているというように、
二人の性格が対照的に戯画化されています。そのために互いの言動やものの
考え方が、より強調されて読者に伝わるのではないでしょうか?

いずれにしても二人のキャラクターは、それぞれ違う形で作者のそれを反映する
ものでしょうから、漱石は自分の性格を分離して描くことによって、自身で楽しんで
いるのかもしれません。

2016年12月20日火曜日

大野裕之著「チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦」を読んで

本書を読んで、チャップリンその人、映画「独裁者」、その当時の世界情勢について、
良くも悪くも先入観を見事に裏切られました。しかしそれは大変有意義なことで、
読書の醍醐味は全く新しい知識を得ることと、従来の価値観を覆される事実を
示されることであると、改めて気付かされました。

まずチャップリンについては、私も彼の数々の名作映画をスクリーンで観て、劇場
一体となった笑い、悲しみ、深い感動に包まれた経験を持つ人間の一人なので、
彼の映画俳優、監督及び総合映像作家としての才能は、十分承知しているつもりで
いました。

しかし彼の映画のイメージを構成している、独特の扮装、滑稽な仕草、演技の
即興的な性格から、私は彼に対して、直感に頼り、深く内省することのない、時流に
巧みに乗る術にたけた天才肌の芸人という人物像を、描き上げていました。また
多くの女性と浮名を流したという風聞も、彼への軟派なイメージを助長していたの
です。

しかし本書を読むと、彼が極貧の幼少期を経て映画界で才能を開花させて行く
過程で、曇りない社会批評精神を獲得し、反差別意識を醸成して、自身の映画に
その思想を反映させて行こうとした様子が、見て取れます。彼が映画制作において、
時の政治体制や世論の干渉に妥協しない硬骨漢であったことが、第一の驚き
でした。

「独裁者」の制作に当たっても、チャップリンはドイツで全体主義的な思想の下、
権力を掌握しつつあるヒトラーと自身の容姿が似ていることをヒントにして、
ファシズムを批判する映画を企図します。社会情勢に起因する数多くの困難を乗り
越えて、彼の映画作りに対する強いこだわりと完璧主義によって、脚本は幾度と
なく書き直され、カットの撮り直しも繰り返され後、ナチスがヨーロッパを蹂躙する
中で、ようやく完成を見ます。作品の素晴らしさから想像も出来ない制作の苦労談が
第二の驚きでした。

最も大きかった第三の驚きは、「独裁者」を取り巻く当時のアメリカの社会情況で、
ドイツでこの映画の制作が非難されたのは私の理解の範疇ですが、アメリカに
おいても制作準備の段階では、反共、ユダヤ人への偏見という意識や、経済的な
つながりという観点から親ヒトラーの気分がみなぎり、制作を妨害しようとする政治的
干渉や、一般人からの批判が寄せられた、といいます。この反共への意志は、
「独裁者」の興行的成功、対独戦勝利後もこの国の底流を形成し続けて、後の
チャップリン国外追放へとつながって行きます。

第二次世界大戦の敗戦後の東西冷戦期に、アメリカの庇護の下にあると感じながら
日本に暮らして来た私には、想像だに出来なかった当時のアメリカの国内情勢の
一つの事実を知り、文字通り蒙を開かれる思いがしました。

2016年12月18日日曜日

細見美術館「伊藤若冲ー京に生きた画家ー」展を観て

若冲の生誕300年を記念して、この美術館所蔵のコレクション、他にゆかりの寺院の
所蔵作品などを展示する、展覧会です。

若冲というと代表作「動植綵絵」がすぐに思い浮かびますが、本展展示の作品も
数は多くはありませんが秀作揃いで、彼の世界をじっくりと味わうことが出来ました。

まず本展では少ない彩色画から、「雪中雄鶏図」は彼が画家として活動を始めた
初期の作品で、まだ奔放で自在な気風は発揮されていませんが、造形力の確かさ
と緻密な描写、鶏の鶏冠の鮮やかな赤と尾羽の黒、草木に積もる雪の白さの
コントラストが美しく、また残雪の形状の面白さも画面に躍動感を与え、確かに非凡な
ものを感じさせます。

「糸瓜群虫図」は限定された色使いの中で、昆虫の写実的な描写や葉の虫食い跡の
表現などに、まるで虫眼鏡で覗き込んだような緻密で科学的な視点を感じさせますが、
私はこの絵から洋の東西を遠く隔てた、フェルメールの絵画との類似性を見る思いが
しました。

さらに関連展示の書状から、かの文人画家富岡鉄斎が、この絵を高く評価していた
事実を知ることが出来て、時を隔てた天才画家の才能の呼応を間近に感じる思いが
しました。

さて本展には若冲の水墨画が多く展示されていますが、モノトーンと言っても彼の
水墨表現は墨の濃淡、様々な筆遣いや技法を駆使して実に多彩で、観る者を
飽きさせません。

特に今回の展示の説明書きで知った”筋目がき(すじめがき)という技法は、紙に筆を
置いた時の墨のにじみを考慮して、適度な間隔を開けて墨を入れることによって、
にじみとにじみの間に境界を作る高度な技法で、彼は自身発明したこの技法を使って、
花弁の重なりによるふくらみや、鶏の羽の密集した部分のふくらみを、見事に表現して
います。

若冲の水墨画で面白いのは、若い頃の作品より晩年の作品の方が造形も筆遣いも
大胆で自由奔放になり、滑稽味も出て来るところで、彼が老年に至って、全ての
わだかまりを捨てた解放の境地に遊んでいる様を感じさせます。このようなところも、
彼の絵に人気がある秘密の一つでしょう。

他に禅画風の作品や戯画様の作品など、彼が京の町に生きた人物として、寺院や
周囲の人々とのつながりを感じさせる作品もありました。若冲が時を超えて身近な
存在に感じられる展覧会でした。

2016年12月16日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭の伯父さんの近代科学評

2016年12月13日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載158には
東大の理科で寒月が球を磨くのを見た迷亭の伯父さんが、寒月の行為に
かこつけて近代科学を批判する、次の記述があります。

「「凡て今の世の学問は皆形而下の学でちょっと結構なようだが、いざとなると
すこしも役には立ちませんな。・・・」

件の迷亭の伯父さんは、かなり大時代的な人物ですが、それにしても、現代に
おける学問の評価とは隔世の感があります。何故なら近年は文系の学問を
相対的に低く見たり、理系でもすぐに利益に直結しない基礎的な学問が学生に
人気がないなどの、傾向が現れているのですから。

現代社会が価値を置くのは、精神修養ではなく、実際的な利益ということでしょう。
勿論その当時と比べて社会が動乱の時代から遠ざかり、表面的には人々が
平和の継続を疑わない時代であることも、少なからず影響しているに違いありま
せん。

いずれにしても、漱石の作品を読んで明治時代のものの考え方の傾向に触れる
ことは、現代に生きる私たちにとって、時に当時の価値観に照射される今の世の
有り様を再認識することにつながるように感じます。このことも、100年後に漱石を
読むことの楽しみの一つでしょう。

また寒月が玉を磨く記述から私が連想したのは、西洋において科学がまだ魔法や
錬金術から独立する以前の黎明期の姿でした。基礎的な学問に没頭する彼の
様子は、純粋な科学の本来の魅力を、示してくれているように感じました。

2016年12月14日水曜日

鷲田清一「折々のことば」603を読んで

2016年12月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」603では
名手O・ヘンリーの短編小説「賢者の贈りもの」から、次のことばが取り上げられて
います。

  「あたし、髪が伸びるの速いから」

ずいぶん懐かしいことばを、目にした心地がしました。O・ヘンリーの短編は、
教科書で「最後の一葉」を読んで子供心に感銘を受け、前記の作品も含む短編集
を手に取ったのでした。

後に作者の生涯の概略を知り、決して平たんではなかったその人生の中で、
これらの珠玉の作品が磨かれたのではないかと、想像を巡らせたことも思い出され
ます。

若い時に読書で得た感銘は、一生大切なものとして残るのでしょう。

またこの作品は、本来贈り物とはこのようなものであるべきだと、感じさせます。
つまり、相手が何をプレゼントされたら一番喜ぶかを真剣に考えて、自分に出来る
精一杯の品物を贈る。互いがそのように考えて贈った結果が、たとえそれぞれの
相手への思いやりゆえに行き違いになったとしても、二人の心が十分に通い合って
いることが今更ながら確認されて、幸せな気分になれる・・・。

日常の中でものを贈る場合、私たちは忙しさにかまけて、また義務感から、時として
相手への気持ちをおろそかにして、手軽で、軽便な方法で品物を送るということが
起こりますが、真心を込めてプレゼントをするということの本来の意味を、この
作品は示してくれていると感じさせます。

クリスマスが近づくこの時期に相応しいことばだと、思いました。

2016年12月12日月曜日

ギャラリーマロニエ「祈りー京都精華大学テキスタイルコース18人展」を観て

ギャラリーマロニエで開催された「祈り」展を観てきました。この展覧会は、
京都精華大学芸術学部素材表現学科テキスタイルコースで鳥羽美花先生に
指導を受けた卒業生、在学生18人による型染の技法を用いた作品による
展覧会です。

出品者のうち、私たちの白生地を使用していただいている方も多く、また今回
その一人の学生さんからも熱心に誘って頂いたので、当日は楽しみにして
会場に向かいました。

まず型染と言っても多彩な形態の作品があり、その点も興味深く一点一点を
観て回りました。染色パネル、筒状のオブジェ、屏風、着物、布地を垂らした
展示物など。

さらには型染の表現方法も、伝統的ないわゆる型染らしい作品から、同じ
技法を使用しながらも一見型染とは思えないものまで、その多様さは同時に、
今回のテーマの「祈り」をいかに解釈して、それぞれの作者なりに表現を限定
された技法で実現しようという、若さ、気概のようなものが感じられて、好感を
持ちました。

このような若い表現者たちの作品を観ることは、染色に係わる人々を取り巻く
環境が大変厳しい状況の中で、意気消沈しがちな私たちに逆に勇気を与えて
くれると、一通り観終って感じました。

それぞれ力作ぞろいですが、私が特に感銘を受けたのは、この展覧会のチラシ
にも取り上げられている卒業生の賀門利誓さんの作品で、一点を除き厳密には
型染ではなく、小さく切った透明感のある生地を画面に幾重にも細かく、緻密に
貼りり重ねることによって、写真からイメージを得た図像を浮かび上がらせる
という作品です。

生地の光彩を放つ美しさ、何重にも重ねることによって生み出される時の堆積
のような感覚、記憶がポエジーに変わる瞬間を描き出しているようで、生地の
使い方という点でも、新鮮な驚きを覚えました。

2016年12月9日金曜日

鷲田清一「折々のことば」598を読んで

2016年12月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」598では
漫才師、作家の又吉直樹のエッセー集「東京百景」から、次のことばが取り上げ
られています。

 色々あった一日の帰り道に、近所のコンビニに立ち寄り、店内に流れていた曲が
 エンディング曲のように聴こえたりする。

日々のコンビニとのかかわりの中で、そうかこんな思いを抱く人もあるのかと、何か
今まで経験したことのない感覚に出合ったような、感慨を覚えました。そういえば、
私も読みたいと思いながらまだ機会を逃している、芥川賞受賞作の「コンビニ人間」
という小説もありましたっけ!

コンビニに対するこの感覚が新鮮に感じられたのは、私の暮らす古い街では、
酒屋、八百屋、菓子屋、たばこ屋、本屋といった、小さな小売りの個人商店が
どんどん姿を消して、代わりにあちこちで見かけるようになったのがコンビニで、私は
個人商店の店の主人とお客の顔の見える関係が好きで、それに対してコンビニは
対応がマニュアル通りで、扱う商品もある種画一的、よそよそしく冷たい感じを常々
抱いて来たからです。

しかし上記のことばに照らして考えてみると、コンビニが街の一部になって久しく、
私自身も始終利用していますし、夜遅くまで開いていて助かることもあります。また
若い人にとっては、コンビニに抱くイメージも随分違うものなのでしょう。また一人
暮らしのお年寄りにとっても、生活していく上で必要なものに違いありません。

やはり私の抱く感覚も、時代に合わせてある程度修正して行かければならない
のかもしれません。そういう視点に立ってみると、私たちの三浦清商店はさしずめ
古臭く、店の人間に尋ねないと商品は出てこないですし、商品に価格も表示させて
いない、ということになるでしょうか。

若いお客さまの新しいものの感じ方にも配慮しながら、守るべき伝統は大切にして、
これからも店を営んで行きたいと思います。

2016年12月7日水曜日

龍池町つくり委員会 35

12月6日に、第53回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

本日の主要議題は、平成29年1月29日(日)に開催予定の「新春きものde茶話会」
の詳細案の報告と検討で、予め制作された原案のチラシをもとに、担当の張田さん
より説明がありました。

催しの内容はほぼ前年通り、一、この地域のお正月の伝統的な習慣、風俗に
ついて古老のお話を聞く、二、京料理の料亭堺萬さんによる白味噌仕立ての
お雑煮の振る舞い、三、ちおん舎ご夫婦によるお茶のお点前、四、たついけカルタ
でカルタ遊び、また着物をお持ちでない方にはレンタル着物を用意、一人で着物を
着られない方にはスタッフが着付け指導をさせて頂く、というものです。

このうち一、では、昨年あった要望を考慮して、話の内容についてあらかじめ要点を
記したメモを作り配布することによって、参加される方々に説明がより分かりやすく
するよう配慮するということになりました。

また開始時間は午前10時を予定していますが、着物の着付けを希望する人は
午前9時30分に集合してもらって、開会後スムーズな進行が出来るようにしようと
いうことになりました。

告知チラシは全戸配布で、出来るだけ多くの区民に認知していただけるように
心掛け、さらに今回は各理事(町会長を含む)をご招待して、自治連合会の新年会
の意味合いも持たせようということになりました。

前回からの改善点も合わせて、地域の方々がより多く参加されることを、希望して
います。

2016年12月4日日曜日

本谷有希子著 小説集「異類婚姻譚」を読んで

第154回芥川賞受賞の表題作を含む作品集です。本谷有希子の小説を読むのは
初めてですが、何故か表題作の作品名に惹かれて手に取りました。

まず冒頭の「異類婚姻譚」を読んで、他の3作品を読みました。全作を通読して、
日常における他者との関係の不思議さ、コミュニケーションのままなれなさを、
象徴的、寓意的に描く作家と感じました。

他の3作品では、表題作と同じ夫婦関係を描くという点でも、最後の「藁の夫」に
興味を持ちました。全身藁で出来上がっていて、その内部に夥しい小さな楽器が
詰め込まれている夫は何を意味するのか?人の恋情というものが内実を超越した
イメージによって支えられているということか?あるいは、小さな楽器は夫の
爽やかさを具象化させたもので、妻は彼のその部分に恋心を抱いたということか?
よくは分かりませんが、人が人に恋する心情のエッセンスを、温もりを保ちながらも
表面的に掬い取ったような趣があります。

さて表題作は、一緒に暮らすだけでは飽き足らず、心までも一つに溶け合って
しまいたいと欲望する夫に翻弄される妻の物語です。私も時折、容姿だけでは
なく、しゃべり方までよく似た夫婦にお目にかかることがあります。二人はきっと
仕合せなのだろうと思いつつ、第三者的立場から見るとやや刺激に欠けるのでは
ないかと想像したりもします。

また世間一般の夫婦が同じ屋根の下に暮らし、経済活動を共にし、家庭生活を
維持することを共通の目的にしているとしても、それぞれが心の中で考え、感じて
いることは、必ずしも同一ではないということも一つの事実でしょう。

考えてみれば、見ず知らずの男女が偶然に出会い、DNAを残すという生命の
法則によって惹かれ合い、文化的慣習から家庭を持っても、個人ととしての自我が
意識されるようになった社会では、夫婦という関係を長く維持するためには、
互いの相手に対する心の持ちようが重要な要件になって来るのでしょう。

つまり本作の夫の欲望は、夫婦関係においても妻に他者を感ぜざるを得ない
現代人の孤独の裏返しであり、それ故社会的疎外感からの逃避先として、妻との
心身共の融合を切望しているということではないでしょうか?

そのように考えると本作は、一見SF的で無機的な近未来の男女の恋情を描いて
いるように見せながら、従来最も親密な人間関係の一つと考えられて来た、
夫婦間の精神的絆にも忍び込み始めた絶対的な孤独を、造形化することに成功
しているのではないかと感じられて、うすら寒い思いがしました。

2016年12月2日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、鏡を覗く主人への吾輩の感慨

2016年11月30日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載151では
鏡で自分の顔をとっかえひっかえ覗き込む苦沙弥の様子を見て、吾輩が展開する
人間論、人生論の中に、次の記述があります。

「鏡は己惚の醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念を
以てこれに対する時はこれほど愚物を煽動する道具はない。・・・しかし自分に愛想
の尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。・・・」

この考え方は、漱石の美学でしょうか?確かにうぬぼれが自惚れを増長する姿は
醜悪この上ないものであり、出来ればそんな人にはお近づきになりたくないと、
誰しも思うでしょう。

しかしそれに対して、自身の欠点、醜さを十分に自覚して日々を生きることは貴い
ことであると、漱石は述べています。己の分を悟るということは、禅の教えにも
通じているのでしょうか?

確かに世の中には、自分にやたらと自信を持っている人も少なからず存在し、
そういう人に限って発言力や周囲への影響力も大きいので、何かと目立ちやすい
ものです。しかしその人物の自信が裏付けのないものであったなら、得てして
周りに迷惑を及ぼす存在となります。

他方、決して自分の考えを声高に主張はしないけれど、自分自身についても、
そして周囲のことも、物事の本質をよく理解していて、この人が控えめに口に
する発言は、重みがあり、周りにも十分に役に立つということがあります。

漱石はそういうことを言いたかったのではないかと、私自身の願望も含めて考え
ました。

2016年11月30日水曜日

京都国立近代美術館「HELLO ポール・スミス展」を観て

若者に人気のイギリスのファッションデザイナー、ポール・スミスの人とブランドの
軌跡を紹介する展覧会です。ヨーロッパ各地を巡回後の展観です。

私は日頃自分の服装にも無頓着で、従ってファッションの流行にもあまり興味が
ある方ではありません。しかし時々美術館で催されるデザイナーの展覧会に行く
のは、そのデザイナーのファッション創造のエスプリに触れたいと思うからです。

特に今回のポール・スミスについては、私たちが長年絹の広幅の白生地の販売に
携わって来て、かつての一点物のオリジナル洋服を作るために、顧客の要望で
個人の染色家が生地の購入を目的に度々来店されたという時代も遥か過去の
ものとなり、経験上も人々の洋服に対する価値観が大きく転換したことを痛感させ
られる上に、また仄聞する今日の若者のファッション行動を見ていても、ファスト
ファッションと呼ばれる、流行を取り入れた大量生産の廉価な洋服が巷にあふれる
状況の中で、比較的購入し易い価格設定とは聞きますが、なぜ彼のブランドの
ファッションが世界的に若者に広く支持されるのかを、知りたいと思ったからです。

さて会場に入ってまず印象的なのは、ポール・スミスが1970年に故郷の
ノッティンガムにオープンしたわずか3メートル四方のセレクトショップの再現展示と、
ホテルのベッドルームで初めて開いた展示会の再現ブースです。

自身はファッションの正規教育を受けておらず、後に妻となるファッションに詳しい
女性の助力の下、彼が情熱を内に秘めて試行錯誤しながらブランドを立ち上げて
行く様子が想像されます。

次に目を引いたのは、彼のオフィスとスタジオの再現展示で、文字通り色々な
ものが無造作に重ね、並べられた空間、オフィスでは、大量の洋服の型紙が一見
脈絡なく天井からつり下げられている。このカオスのような空間が、彼の思考回路
を示しているのでしょう。混沌から秩序立ったものを作り出す道筋を、垣間見た気が
します。

ポール・スミスのファッションの魅力を形作る、伝統をベースにしながら機知に富む
色の使用や、ポップな感覚の導入は、彼の写真趣味によって培われたようです。
彼は日常の中に夥しく存在する興味を感じさせるものにカメラを向け、ファッションを
創作するためのインスピレーションを得ています。そのイメージを展観する映像作品
もありますが、その目くるめく万華鏡のような映像の移り行きに、彼の留まることを
知らない創造のエネルギーを幻視した思いがしました。

他に彼が自分の生活空間に飾る、プロ、素人を問わぬ気に入りの多量の絵画、
写真、そして実際のファッション作品など、ポール・スミスが育て上げて来たものを
知るための、見どころにあふれた展覧会でした。

2016年11月28日月曜日

鷲田清一「折々のことば」590を読んで

2016年11月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」590では
書店の立ち上げ、本売り場のプロデュースなどに携わる北田博充の
「これからの本屋」から、次のことばが取り上げられています。

 空想は現実の反対側にあるのではなく、空想の延長線上に現実がある。

一般の人々の本離れ、それに伴う本屋さんの受難が言われて久しくなって
来ました。新古書店の進出、携帯電話など電子通信機器の普及による
情報伝達手段や娯楽の変化、あるいは電子書籍の一般化など目新しい
情報コンテンツの発達。出版を巡る急激な環境変化は、それに携わる
人々に厳しい試練を与えているようです。

他方、和装業界に携わる私たちも、着物離れという日本人の風俗の変化、
伝統的な儀礼や儀式の急速な衰退に苦しめられています。

ただ単に取り扱っている商品が売れればいいと考えている訳ではないので、
出版人の自負ほど高尚ではないにしても、伝統によって醸成されて来た
日本人の美風に深く根ざしている私たちが扱う商品が、人びとにあまり
価値のあるものと見なされなくなることには、寂しさを覚えます。

自分たちの生活の糧のためだけではなく、日本の文化を守りたい、受け継ぎ、
残して行きたい、という思いは少なからず持っているつもりでいます。

ではどうすればいいのか?その答えが見つからないのが、不甲斐ない
現実ですが、上記のことばは、私を鼓舞してくれると、感じました。

2016年11月26日土曜日

漱石「吾輩は猫である」における、哲学者の講釈

2016年11月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載146では
苦沙弥邸を訪ねた旧友の哲学者先生が、彼の最近煩わされている問題に
答えて、西洋と日本の文明の違いについて講釈する、次の記述があります。

「西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす
人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求める
のじゃない。西洋と大に違う所は、根本的に周囲の境遇は動かすべからざる
ものという一大仮定の下に発達しているのだ。・・・」

普遍的で重く、現代にも通ずる問題です。漱石が明治の当時にこのような論を
展開していた事実に、彼の透徹した見識を改めて感じさせられます。

東洋的な価値観の下に育まれて来た日本の文明に、突然西洋的なものの
考え方が侵食して来て、日本人はずいぶん戸惑ったのでしょう。

根本的には上記のように、現状に満足する精神状態を養うことを至高の価値と
する考え方の中に、突然変化や成長を最善の価値とする考え方が入って来た
ということでしょう。

爾来日本人は、この二つの異なる価値観の間に引き裂かれているように、感じ
られます。そして現代に至って、西洋的なものの考え方がだんだん優勢になって
来て、しかし心の底に残っている伝統的な価値観はなかなか拭い去ることが
出来ず、我々は疎外感に苦しんでいる。これがさしずめ今日の精神状況の
図式のように思われます。

漱石は既に、明治の時代にこの苦悩を味わっていたのでしょう。

2016年11月23日水曜日

秋の鴨川を散歩して来ました。

先日久々に鴨川の河原を散歩して来ました。日頃歩く機会が少ないので、健康の
ために週に一度は自宅近辺を散歩するように心掛けているのですが、町中を
歩くうちに自然とよく鴨川に足が向かいます。

ところがここ一月以上も、他の用事を兼ねて歩いていたので、鴨川に足を運ぶ機会が
なかなか訪れませんでした。

前回この河原を散歩した時にはまだ川床が開かれていて、丁度夕方だったので、
みそそぎ川に張り出した川床を見上げると、色とりどりの服装で食事をする客たちで
賑わい、お酌をする舞妓さんなども見受けられて、ともされた灯りとともに、さざめく
ような華やいだ雰囲気がありました。

今回はもう川床のシーズンも終わって、その頃と比べると西側の川沿いが何か
寂しげではありますが、それに代わって東側の堤の木々が鮮やかに色づき、
秋らしい清澄な風情を醸し出していました。

冬枯れの一見わびし気ではあるが、変わらぬ川の流れがそこにあることを示して
くれる存在感、そして寒さが峠を越し、桜が一斉に川を彩る早春の頃、鴨川は
季節季節の美しい表情を見せてくれます。

私自身子供の頃には、河原に設えられた小さな広場でボールと戯れ、
みそそぎ川や鴨川でザリガニや魚を取って遊びました。

そのような記憶の掛け替えのなさも、自然とこの川に私の足を向けさせるのでしょう。
とにかく町の真中にこんな魅力的なスペースがあることを、改めて有難く感じます。

2016年11月21日月曜日

鷲田清一「折々のことば」581を読んで

2016年11月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」581では
江戸期の名僧良寛の次の辞世の一句が取り上げられています。

 うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

折しも紅葉の盛りのこの時期に、一枚の葉が散り落ちる様子を、まるで
スローモーションで見ているような、趣のある句です。

春の桜、秋の紅葉は、季節に係わる日本の風景の美の代表的なものだけれど、
鷲田の解説にもあるように、桜がパッと咲いて一斉に散り、すがすがしさや潔さ
というこの国の美に対する一つの価値観を、象徴すると見なされるのに対して、
紅葉はもっと複雑な美を、私たちに提供してくれるように感じられます。

秋が訪れ山々や林、街路や川沿いの並木などが徐々に色づき、常緑樹との
対比や色づきの時間差によるグラデーションが、あたかも絵画のキャンパスに
様々な色を散らしたかのような美しさを演出し、徐々に色あせ静かに散って行く。
残されるのは裸木のわびしさです。

葉の散る様子も、桜の花びらの一斉に散る華麗さに対して、一葉づつ生気を
失い、枯れ染めて名残り惜しそうに枝を離れる様子が、生の黄昏といった
雰囲気を感じさせます。

しかもまさに枝を離れた一枚の葉が、頼りなげに色をまだ残す表、くすんだ裏を
交互に見せながら、風に吹かれて落ちて行く有り様は、人生のはかなさを
現わしているようにも見えます。

しかしこの句を改めてかみしめてみると、良寛が人生の最終盤に至って、自身の
美点も欠点も包み隠さず白日に晒して、死を迎えるという覚悟を表明した句で
あるように思われて来て、更に深い感慨を覚えました。

2016年11月18日金曜日

田山花袋著「蒲団・一兵卒」岩波文庫を読んで

「蒲団」は、余りにも有名な明治期自然主義文学の傑作といわれる小説です。
私自身その名は折に触れて、色々な文学史上の言説の中で目にして来ました。
例えば、つい先日読んだ鶴見俊輔と関川夏央の対談本「日本人は何を捨てて
きたのか」の中でも、著者花袋の生真面目さという観点から、その名が挙がって
いました。

そんなこんなで、私は長年の間に妄想を膨らませ、「蒲団」はつつましやかな
明治時代の家庭を扱った家族小説と、勝手に決め込んでいました。ところが
いざ読んでみると、妻子ある作家がうら若き美貌の女弟子に抱くよこしまな
恋情を赤裸々に描く小説で、まず衝撃を受けました。百見は一読に如かず、
といったところでしょうか?

さて実際に「蒲団」を読み終えて、さすがに脱稿後百年以上を隔てても、強い
熱量で読者を惹きつけて止まない名作だと感じました。しかし創作当時と著しく
社会通念や価値観が異なる現代社会に生きる読者が、この小説の魅力に
ついて改めて考える時、作品が出来上がったその時代における価値と、現在
にも通じる言わば普遍的な価値とでもいうようなものを並行して考えることも、
意味があるように感じられます。

従ってそのような観点から論を進めて行くと、作品発表当時のセンセーションは、
私にはあくまで推測の域を出ませんが、西洋的なものの考え方や、倫理観が
流入して来てもまだ、江戸時代の儒教的な倫理観が色濃く残っていたこの
時代に、一家の家長である著者の分身としての主人公が、小説家という社会的
地位もあるにも拘わらず、自身の痴情を赤裸に描く。しかも当の女弟子やその
父親、自らの妻には外面君子のような態度を装いながら、その実内面的には
自分勝手な欲情に翻弄される様子を微に入り細を穿って描写する。この小説
執筆への向き合い方や覚悟は並大抵のものではなく、それ故我が国の文学の
既成概念を揺るがすほど、革新的であったのでしょう。

他方、明治期のような貞操を巡る性道徳や倫理観は随分希薄になり、個人の
自由が尊重される現代社会においても、他者を傷つけない道徳律や
プライバシーの保護という観点からかえって、外面的な品行の正しさが求め
られる社会環境にあって、人間というものが往々に利己的な感情に揺り動か
され、思い悩む頼りない存在であることを、繕うことなく明らかにしている点に
おいて、深く人の心を掘り下げた優れた小説であると感じました。

2016年11月16日水曜日

鷲田清一「折々のことば」578を読んで

2016年11月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」578には
画家、絵本作家いせひでこの絵本「ルリユールおじさん」から、次のことばが
取り上げられています。

 名をのこさなくてもいい。 「ぼうず、いい手をもて」

手仕事というものは、本来無名の工人による地道な作業によって担われて
いたのでしょう。

つまり、最初誰もが自らの必要のためにものを作り、その中で巧みな人が
他の人からも依頼されてその品を専門に作るようになり、工人、職人となった
に違いありません。

そう考えると、もの作りやその製作品の本来の姿というものが、見えて来る
ような気がします。

白生地屋という私自身の仕事に引き付けて考えると、友禅や絞りなどの技法で
染色された呉服など、従来は、それぞれどの職人が携わったかは明らかでは
ないけれど、自ずからその担い手が素晴らしい美的感性や技巧の持ち主で
あると分かる、優れた品物が多くありました。

しかし今日では、無名の品物に優れたものはほとんど見かけなくなり、
作家作品と名打つものでも、本当に良い品物と感銘を受けるものが少なくなり
ました。

もちろん、生活習慣や経済環境の急速な変化や、それに伴う手仕事に対する
評価や価値の変転という、已むおえない現実があります。

でも私は、やはりものを作る人には根本のところでは、名より実という気概が
なければならないのではないかと、考えます。

2016年11月14日月曜日

鶴見俊輔、関川夏央「日本人は何を捨ててきたのか」を読んで

戦後の代表的な知識人の一人鶴見俊輔から、関川が思想のエッセンスを引き出す
対談集です。

私は、鶴見というと「思想の科学研究会」「ベ平連」「九条の会」の結成、参画によって、
常に大衆に寄り添う思想家というイメージを持って来ましたが、彼の考え方の
バックグラウンドや思想それ自体については、全くと言っていいほど知りませんでした。
それで入門書として比較的理解し易いかと思い、本書を手に取りました。

まず目に止まるのは、彼の特異な生い立ちと青少年期です。彼は政治家、著述家
鶴見祐輔の長男で、母方の祖父は後藤新平、姉は後に社会学者として著名な
鶴見和子というエリート家庭に生まれますが、小学校時代から素行不良が目立ち、
府立高等学校を退学処分になり、父の計らいでアメリカ留学、日米開戦により
ハーバード大学卒業後、自らの選択で帰国します。この不良性というものが、彼の
ものの考え方の根底にあるといいます。つまり、一番を目指すというエリート意識に
対する反感です。

彼によると、明治期の日本国家は近代化を急ぐあまり「樽の船」を作った。その中で
教育を行った結果、枠の中で一番を目指すエリートを多く生み、当然の帰結として
自由な精神を持つ個人はいなくなった。また第二次大戦の敗北もこのシステムを
根本から変えるには至らず、今日の閉塞状況を生んでいる。つまりその状況を打破
するためには、我々一人一人が社会を取り巻く問題を自分自身の直面する課題と
捕え、自力で解決する方法を考える姿勢こそが大切である、と言うのでしょう。

鶴見自身が係わった上述の研究会、住民運動などは、正にこの考え方をベースに
して成り立っていると感得出来ます。

では日本人が明治以降に失った大切な能力は何かというと、彼は「受け身」の知力
とも言います。これは一見主体性と矛盾するようにも感じられますが、柔道でいう
受け身の強さというか、人の影響を受けて自分を変えて行く能力で、受動的では
あるがそれゆえの強さを生み出す力です。

考えてみれば明治以降の日本は、軍事力であり、経済力であり、常に勝利や発展を
追い求めて来たのでしょう。今日の閉塞感はその帰結でもあります。鶴見の思想の
要点は、権力にこびない反骨心と打たれ強い柔軟さ、自由さにあると、改めて感じ
ました。

2016年11月12日土曜日

第四十一回「ちおん舎・新・染屋町寄席」に行って

11月11日に、「染屋町寄席」に行って来ました。

寄席で落語を聴くのは初めてで、何かうきうきした気分で会場に向かいました。
会場のちおん舎は、龍池学区内にある法衣商千吉当主旧宅で、演じられる
座敷棟は1915年建築ということで、格調のある落ち着いた雰囲気の座敷が
90人強の観客で埋まっていました。

今回のこの寄席は、席亭桂ちょうば、ゲスト桂塩鯛という布陣で、2人が桂ざこば
門下の兄弟弟子という間柄から、最初の演目両人の対談では、破天荒なざこばの
行状披露で盛り上がりました。

落語家は師匠が人気者だと話題に事欠かず、得するものだと感じました。

演目名は知らないのですが、塩鯛の泥棒を扱ったネタでは、本人は風邪で体調が
悪かったようですが、さすがの表現力に噺を堪能しました。特に扇子、ジェスチャー、
口で表現する擬音を駆使して、そろばんをはじく様子を再現する芸は、その巧みさに
感心させられました。

こじんまりとした寄席で演者の仕草を間近に見ることが出来、また観客も、京都の
この辺りということで、技巧の巧みさに敏感な人が多く、観客の反応も場を盛り上げ
ました。

とりはちょうばの「代書」で、この演目はテレビで数回見たことがあり、演者による
演じ方の違いも興味深かったのですが、ちょうばの「代書」は初演ということで、
熱演でよく笑わせてもらいましたが、登場人物の人物造形など、まだ改善の余地は
ありそうです。

最後にお楽しみ抽選会があり、私事ながら日本酒が当たって、気分良く、満足して
家路に着きました。

2016年11月9日水曜日

秋の「京都非公開文化財特別公開」でハリストス正教会に行って来ました。

恒例の秋の「非公開文化財特別公開」で、京都ハリストス正教会の大聖堂を見学
して来ました。

この教会は私の住む中京区にあり、外見は見慣れた建造物なのですが、初めて
中に入って聖堂内を目にすると、その端正で華麗な姿に思わず息を飲みました。

いつも通りかかる、特徴的ではあっても身近な建物の中に、このような素晴らしい
文化財がひっそりと存在することに、住み慣れていながら見過ごしている、この
都市の奥深さを感じました。

聖堂内正面の大小30面のイコンを壁のように装飾的に配置して飾った、イコノスタス
(聖障)はロシアから移送されたもので、ロシア本国にもあまり残っていない貴重な
文物だそうですが、その際損傷した部分は、日本人初のイコン画家山下りんによって
修復されたということです。また山下自身が描いた、余白の多い抒情的で端麗な
イコンも、聖堂内に展示されていました。

初めて実見するこの聖堂のイコンは、係員に尋ねると金属板の上に描かれていると
いうことで、それ故か一見平板に見えながら重厚な存在感と輝きを放ち、独特の
聖性を帯びた魅力を発散しています。長い時間説明を聴きながら見入っていました。

また木造の外装の白塗りのシンプルな佇まいと、内部のイコノスタスの優美、壮麗さ
のコントラストが、一歩入ると神聖な異世界に誘われるような、実生活ではなかなか
体験することのない白日夢のような感覚をもたらし、しばしその陶酔感に包まれ
ました。

2016年11月6日日曜日

鷲田清一「折々のことば」566を読んで

2016年11月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」566には
音楽プロデューサーでベーシストの亀田誠治のツイッターから、次のことばが
取り上げられています。

 雲があると、月の表情が優しく見えるよね。みんなお互いを生かしあっているん
 だね。

執筆者はこのことばを、品位と謙譲が消えてなくなりそうな時代への憂え、と解釈
しているようで、その受け止め方にも共感しましたが、私はついつい日本的な美
というものに興味が向かうので、以下のようなことを感じました。

日本的な美の感性を示す例えとして、朧月夜の美しさということが言われます。

煌々と照る満月も見事だけれど、霞んだようにおぼろげに光る月も、趣があって
美しい。

ということは、月と雲が互いを生かし合って美を造り上げている、とも言えるで
しょう。

また日本的な美意識では、隠れたもの、少しだけ姿を覗かせているものに
美しさを見出すという感性もあります。

これはさしずめ、目には見えないもの、全体像を確認出来ないものに、想像を
巡らせ、美を感じ取るということでしょうか?

いずれにしても私たちは、理性的で明確に屹立する美よりも、相対的で影響
し合うものの中に見出される美を、好んで来たのだと感じさせられます。

2016年11月4日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、逆上がインスピレーションとなる理由

2016年10月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載131では、
吾輩が苦沙弥先生の逆上癖を、詩人の創作のためのインスピレーションに敷衍
して論ずる、次の記述があります。

「その中で尤も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は
汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れら
は手を拱いて飯を食うより外に何らの能もない凡人になってしまう。」

インスピレーションを逆上の一種と見なす発想は、現代的な感覚からは随分
ユニークです。私たちにとってインスピレーションの響きは、冷静で、研ぎ澄ま
された鋭利なもの、逆上とは相反するイメージなのではないでしょうか?

しかし考えてみれば、創作者におけるインスピレーションは、本人が思考を
重ねた末に、突然天啓のように降りて来るもの、といった側面も確かにあります。
その脳の活発な活動状態を長時間維持するためには、脳内を巡る血流を
最大限に保つ、ここで言う逆上が必要なのかもしれません。

漱石自身も逆上し易い人、また作品を執筆している時には終始不機嫌で、我が
身をすり減らしていたということですから、逆上しながら全身全霊で小説を書く
というのは、正に自身の実感であったのでしょう。

そういう意味ではこの描写には、漱石の作品創作の秘密の一端が記されている
ようにも、感じられます。

2016年11月2日水曜日

龍池町つくり委員会 34

11月1日に、第52回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、10月30日に実施した防災マップ企画の結果報告と総括が、京都外大の
小林美香さんにより行われました。

スタンプラリーとして始まったこの企画も3回目で、内容としては充実して来たと
感じられるのに、結果として少数の参加者しか集められなかったということは、
防災というテーマが子供の興味を引かなかったこと、および実施当日が周辺の
他のいくつかの行事とかぶっていたことも影響したと考えられますが、当初から
今回の企画は子供と一緒に大人が参加することを想定していたので、親世代の
防災意識の低さも要因であるという話も出て、この点では学区の防災訓練の
参加者の、近年の少なさともつながります。

次に谷口先生の紹介による、立命館大学大学院の大野丈さんより、「「する」
スポーツを文化に」というテーマでプレゼンテーションがあり、龍池学区で
その趣旨に沿ったスポーツイベントを開催出来ないかという提案がありました。

それに対して委員会のメンバーからは、マンガミュージアムのグラウンドでは
既に様々のスポーツイベントが実施されているが、大野さんがこの学区の
実情をもっと詳しく調べ、その上でなされる提案であれば、改めて検討しても
よいという、前向きな意見が出ました。

次回企画、新春の「キモノで茶話会」については、来春も開催することを前提に
話し合いましたが、今回は一度学区内の自治活動に従事している人々を、まず
身内を固めるという意味で、新春の挨拶がてら招待してはどうか、という案も
出ました。

いよいよ11月13日に今年度の総合防災訓練が実施されます。今回は雨天の
場合も想定して、マンガミュージアムのAVホールも確保し、また災害救命用の
アルファ化米を地域の社会福祉協議会の方々の協力で作り、参加者への
配布も行う予定です。この訓練を主催する自主防災会の会長をさせて頂いて
いる私としては、出来るだけ多くの方の参加を切に願っています。

2016年10月30日日曜日

ぼくわたしの防災マップづくりinたついけ開催

10月30日に恒例のスタンプラリー企画として、龍池町つくり委員会主催、
京都外国語大学南ゼミ協力の「ぼくわたしの防災マップづくりinたついけ」が
開催されました。

当日は、集合場所の京都国際マンガミュージアム会議室に、近年の災害現場を
写した写真のパネル展示を行い、同時に市民防災センターより借り受けた
DVDを流して、参加者に災害への認識を新たにしてもらうと共に、子どもの
参加者には、南ゼミの小林さんより、身近に起こる可能性がある災害の分かり
やすい説明が実施されました。また、町つくり委員会の活動を紹介するパネル
展示も行いました。

その後参加者は二班に分かれて、実際に学区内に設置された消火器や防火
バケツ、マンションの火災消火用の送水栓、AEDなどの防災設備、また災害が
起こった時危険性がある場所等を見て回り、予め準備した用紙に記入して、
マンガミュージアムの会場に戻りました。

ミュージアム会議室では、子供たちが学生さんと一緒に、調べて来た事項を
模造紙に描き込んで、防災マップを作り、発表しました。参加した子供たちは
生き生きとして、楽しそうにマップを制作していました。

最後に、学生さんに予め作ってもらった、災害救助用のアルファ化米の五目
御飯とお菓子の詰め合わせを手見上げに、解散しました。

残念ながら参加者が思いのほか少なく、テーマの設定の仕方や訴求方法など、
今後に向けて多くの課題が残りました。

2016年10月28日金曜日

宮下奈都著「羊と鋼の森」を読んで

ピアノの音に魅せられ、調律師を目指す青年の成長物語です。2016年本屋大賞
受賞作です。

全編を通して詩的で穏やかな空気が流れ、読む者はまるで白日夢の中を彷徨う
ような気分を味わうことが出来る小説です。

今回気づきましたが、音楽の魅力を純粋に伝えようとする言語表現は、往々に
詩的で静謐な雰囲気を湛えるものになるように感じます。音楽は心臓の鼓動音
にも通じる、人間にとって根源的な芸術の表現手段であると、言われます。

しかしその作品は、目に見える形で現出されるものではないだけに、文章という
他のジャンルの表現手法を用いてその魅力を表そうとする時、どうしても
デリケートに取り扱うことが必要になるのでしょう。あるいは逆に、このような
デリケートさの中にこそ音楽の魅力があることを、本書のような優れた小説は知ら
しめてくれるのかもしれません。

さて本作は、音楽とピアノという楽器の奥深さを伝えるだけではなく、調律師を志す
外村青年の内面の成長の物語でもあります。

北海道の山間で育った感性が豊かで繊細な彼は、自らが通う高校にピアノの調律
に来た板鳥が作り出した音に、自身がこよなく愛する森の匂いと共通するものを
感じ、調律の道に進むことを決意します。本州の専門学校を卒業後北海道に
戻った彼は、板鳥の勤務する楽器店に就職し、調律師として独り立ちすることを
目指すことになりますが・・・。

彼の同僚の三人の先輩調律師の内、板鳥はプロの高名なピアニストに指名されて
コンサートホールのピアノの調律も手掛ける、言わば彼の目指す理想の音を紡ぎ
出す調律師、他方彼が見習いとして付く柳ともう一人の秋野は、それぞれのやり方
で、いかに個々の一般客に満足を与えるかを求めて日常業務をこなしています。

調律という仕事が、単にピアノからその楽器が出しうる最高の音を引き出すだけ
ではなく、ピアノと弾き手の仲立ちとして、両者の最良の関係を作り出すための
ものであることが分かります。

外村は見習いとして、柳の顧客のピアノ好きの和音、由仁という双子の高校生と
出会い、曲折を経て和音がピアニストを目指す決意を固めた時、彼女のピアノを
彼女の音楽の魅力を最高に引き出すように自分で調律したいと思います。

仕事に対して人並み以上に誠実で真摯であるために、自分の調律に自信が持て
なかった彼が、心から彼女のために自らの持てる技術を尽くすと決めた瞬間、彼
自身が調律師として成長したことが感じられて、好感を持ちました。

2016年10月26日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、人が人をからかうことの論理

2016年10月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載128には
吾輩が、落雲館の学生が苦沙弥先生をからかうのを見て、人間のからかいの論理を
解説する、次の記述があります。

「人間は自己を恃むものである。否恃みがたい場合でも恃みたいものである。それ
だから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だという事を、人に対して実地に
応用して見ないと気が済まない。」

鋭い人間観察です。確かにこの頃はもうそんな気持ちは起こりませんが、振り返って
みると、私もまだ青二才の時には、相手をからかってみたい誘惑に駆られることは、
確かにありました。

その時の心理を思い起こすと、相手が自分より何かの部分で劣ると感じ、その人に
対して優位な立場を築く、または保とうと考えた時、あるいは何人かの人が集う場で
自分が注目を集めようと思った場合、などが思い浮かびます。

いずれにせよ今から考えると冷や汗ものですが、度を越さない範囲でからかい、
からかわれながら陽気にワイワイやるのも、多くの若者の習性であるようにも思い
ます。

さてこの場合、頑固で融通の利かない苦沙弥先生が、いたずら盛りの腕白坊主たちに
からかわれるの図は、先生にとっては耐えがたく腹立たしいことであっても、吾輩や
我々読者などが傍から見ていると、思わずニヤッとさせられます。

漱石自身に苦沙弥先生に通じる気質があったようなので、この場面では彼は、自分で
自分を笑っているとも言えるのではないでしょうか?

2016年10月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」555を読んで

2016年10月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」555には
「長い道」に収録された対談から、料理家辰巳芳子の次のことばが取り上げ
られています。

 母は「お金がない」って言わなかったんです。いろんな内職をしたんだけれど、
 苦しいから内職をするというふうには言わなかった。

人と人のコミュニケーションにおいて、意志を明確にしてはっきりと伝えなければ
ならないこともあるけれど、あまりに身も蓋もないという風に、あからさまには
伝えない方がいいこともある。

辰巳氏の御母堂は、このようなシチュエーションにおいて、「お金がない」と
自分の子供に言わない方がいいと、判断されていたのでしょう。

成長して母の思いを知った時、その子は母の芯の強さ、子どもに対する深い
愛情を改めて知ったことでしょう。

他方、最近とみに盛んになった電子メール、SNSといった通信、交流手段は、
感情を排したはっきりとした意思表示、意見の伝達には適するけれど、微妙な
ニュアンスや、言葉の裏に隠された思いを伝えるには適さないと思われます。

また今日の社会環境、そしてこのような通信、交流方法が日常化していることも
影響していると感じられますが、人と人のコミュニケーションにおいて、言わず
もがなに伝えるという文化が失われて来ているように感じます。

もしこのようなコミュニケーションをもう一度復活することが出来たなら、人と人の
関係がもっと豊かになると思うのですが・・・

2016年10月21日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、銭湯で裸体を見ての吾輩の結論

2016年10月18日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載123では
銭湯での人間の生態を観察していた猫の吾輩が、突然ぬうっと姿を現した
髭ずらの巨漢の男を眼前にして、圧倒されながら家に帰る途中考えた結論を
述べる、次の記述があります。

「羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等になろうと力める赤裸々の中には、
また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかに
なったって得られるものではない。」

銭湯内の裸の男たちの一挙手一投足を、西洋的な価値観から冷ややかに批評
していた吾輩も、突然現れた髭もじゃの大男には肝をつぶされたようです。

しかし裸の付き合いというか、銭湯内で勝手気ままに振舞う男たちも、この巨漢
には一目置いてしまう。野性に帰っても、いやそれだからこそ、体格の
でかい者が他を圧倒する。所詮こんなちっぽけな空間においても、皆が同等の
権利を有するなどということはあり得ない、ということでしょうか?

ここで漱石は、普段は文明人としていっかど澄ましかえり、体面を取り繕う我々
日本人も、一旦衣を脱げばただの猿、平等なんて崇高な理念は絵空事に
過ぎないと、自分自身も含めて茶化して、笑い飛ばしているように感じました。

2016年10月19日水曜日

「テゾメヤ蓄音機night」第1回に参加して

10月16日に、京都の天然色工房手染メ屋店主、青木さん主催のクレデンザ
蓄音機でSPレコードを聴く集いに行って来ました。

クレデンザは90年余り前にビクター社によって製造された、知る人ぞ知る伝説の
蓄音機で、この方面の知識に乏しい私は、蓄音機と聞くとターンテーブルの上に
ラッパの様なホーンが取り付けられた単純な機器を想像してしまいましたが、
実際に目の前にするこの蓄音機は小さな家具ぐらいの大きさがあり、上部の蓋を
開けてターンテーブルにレコードを乗せる本格的な造りで、まず驚かされました。

青木さんの所有品ですが、普段京都市役所前付近の月読(つくよみ)というバーに
預けられていて、当日もそのバーでこの催しが開かれました。

蓄音機の操作方法については、一回レコードを掛ける度に一々ぜんまいを巻き、
そのレコードに相応しい針の太さを吟味しながら、前に使用したレコード針を捨てて
新しい針に交換することなど、あるいは青木さんがわざわざ分解して構造を説明して
下さった時には、その手工業品らしい精巧な造りに、すっかり感心させられました。

さて当夜は、この蓄音機でフラメンコのSPレコードを聴こうということで、青木さんの
スペイン在住のお父さまに来ていただいて、レコードを聴きながら解説をして頂き
ました。

お父さまによると、フラメンコというと日本ではまずその情熱的なダンスを思い
浮かべますが、実は本来は唄が中心で、唄をベースにして、踊り、ギター演奏が
成り立っているということで、遠いこの国でフラメンコが支持されている理由として、
まずおもむろに安木節のレコードが掛けられました。

すると、恐らく歌唱法は違うのでしょうが、安木節と以降に流れるフラメンコの唄
には長く培われた伝統的な民族の情念を体現するという意味で、驚くほどの
共通点がありました。この導入からすっかりフラメンコに引き込まれて、満ち足りた
時間を過ごすことが出来ました。

その至福の音楽体験を助けてくれたのは、他でもないクレデンザという蓄音機で、
電気を介さず肉声が直接に発する空気の震えが直に伝わって来て、目を閉じると
まるで目の前で伝説のフラメンコ歌手が歌っているような、錯覚を覚えました。

青木さんのお蔭で、すっかりフラメンコファンになってしまいました。

2016年10月17日月曜日

京都高島屋グランドホール「第63回日本伝統工芸展京都展」を観て

恒例の伝統工芸展京都展を今年も観て来ました。何時ものように私が興味を
持つ染織部門について、感想を記したいと思います。

一口に染織と言っても、大きく分けて織物と染の作品、またそれぞれの中にも
技法の違いによって多様な表現方法があります。

織物は経糸と緯糸を織り上げるという技法上の制約が大きく、表現の自由度が
限られますが、その点使用する糸の色だしに工夫を凝らしたり、色と色の
組み合わせ、柄の織り出し方に作者が苦心を重ねている様子が、作品に見受け
られます。

他方染の作品は、基本的に白地の生地に柄を染め上げるので、手描き友禅、
型染、絞り染の別で自由度の違いはありますが、織物に比べて表現の幅は
かなり広がります。作者は与えられた自由さの中で、個性を発揮することも求め
られます。

そのような前提で今展を観て行くと、織物の作品には海老瀬順子の文部科学
大臣賞受賞作、穀織着物「海に聞く」に代表されるように、技法上の制約の中で
工夫を重ね、感性を磨いて、現代性をも有する完成されたものが多く見受け
られるように感じました。

ところが染色の作品では、特に友禅で柄や色に同じような手法を使った、
似通った表現のものが目立つように感じました。勿論時代の好みというものは
確かに有り、作品がそれを求める人々の要望に添う必要がある以上、傾向が
似通ることはある程度は已むおえないかも知れません。しかし友禅は表現の
自由度が高いだけに、もっと多様な個性が出てもいいと感じました。

伝統を守りながら、同時に現代性、独創性を追求することの難しさを、まざまざと
見る思いもしました。

2016年10月14日金曜日

鷲田清一「折々のことば」545を読んで

2016年10月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」では
山崎ナオコーラの小説「この世は二人組ではできあがらない」から、次のことばが
取り上げられています。

 誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいる
 だけで嬉しくなってしまうのが、愛なのではないか。

その小説の中で、作者が語ろうとした意味とは違うかもしれないけれど、この
ことばから私が感じたことを記してみたいと思います。

愛とは何だろう?ここでは人と人との一対一の愛情に絞ってみると、相手に必要と
されていないなんて、辛いことです。でもその人がそこにいるだけで嬉しくなると
いうのは、随分満ち足りて、幸せなことです。

思うに私は、愛の始まりの感情がこのようなものであれば、理想的だと感じます。
何故なら、最初の出会いの時は相手の必要性など分からないから。

生物学的に考察すれば、一対一で異性を求めるというのは遺伝子を残すための
功利的な欲望です。それも無論愛ではありますが、直情的で刹那的な愛であると
感じさせます。

それに対して、お互いがそこにいるだけで幸福を感じたり、嬉しくなるのは、もっと
高尚な感情であると思うのです。

少しでもそういう気持ちを感じる機会や時間が多くあれば、私たちの心はもっと
満たされて来るのではないか?このことばから、そんなことを夢想しました。

2016年10月12日水曜日

水木しげる著「のんのんばあとオレ」ちくま文庫を読んで

先般亡くなった妖怪マンガの第一人者、水木しげるの幼年から少年時代の回想記
です。

実は、私は水木の「墓場の鬼太郎」が週刊少年マガジンに連載された第一回の、
体が溶ける病で死んだ鬼太郎の父親の、全身包帯に覆われ、朽ちかけたむくろの
顔の部分から、息子の行く末を案じて眼球が滴り落ちて、目玉おやじになる場面の
不吉さ、異様さを鮮明に記憶しています。

当時、サンデー、マガジンなど少年マンガ雑誌を幾つも愛読していたので、数々の
連載マンガを目にしましたが、鬼太郎の印象は一種独特で、鮮烈でした。

武良少年(後の水木しげる)は宍道湖、中海にほど近い鳥取県境港で生を受け、
水路を隔てた向かいは神の国として古くからの伝承や、民話も多い島根県で、
自然への恐れや、信仰が多く残る環境で育ったといいます。

彼の幼少期には、「のんのんばあ」という神仏に仕えるおばあさんが世話係として
付き添い、彼に様々の妖怪の話を聞かせたそうです。

この体験が彼の異世界や、妖怪への興味の原点となり、長じて妖怪マンガを描く
ことにつながって行きますが、幼時に培った感性をすくすくと伸ばして行った
ところに、彼の飛び切りの純粋さ、率直さを感じます。

他方、いかにも男の子らしい力への信仰と、枠にはめられることを嫌う性格は、
彼をガキ大将へと押し上げますが、子分を従えることの苦労も身に染みます。

この親分肌の正義感、優しさも、彼のマンガの悪を懲らしめる場面などに、反映
されているようにも感じられました。

また彼は少年期より、自家製の絵本や、物語作りに励んだのみならず、貝や昆虫、
動物の骨、さらには各種様々の新聞の題字部分の蒐集など、気に入ったものを
集めるのに、並外れた集中力と情熱を傾けたといいます。

この蒐集癖も、彼が様々の妖怪を描き続けて行くための前提をなす、
妖怪コレクションの基盤となっているように思われました。

全編を通して少々のはったりも含めて、いかにも子供らしく率直で生き生きとした
自身の生活が語られています。

今日では失われてしまった、彼の貴重な幼少時体験や生活環境にノスタルジーを
感じつつ、いつの時代にも困難や苦しみを伴う実人生において、自らの意志を
貫徹した彼の心意気の原点を、見る思いがしました。

2016年10月10日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の服飾考

2016年10月6日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載117では
銭湯に闖入した吾輩が、西洋的な裸体論、服飾論を展開する、次の記述が
あります。

「人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間と
して着物をつけないのは象の鼻なきが如く、学校の生徒なきが如く、兵隊の勇気
なきが如く全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間と
しては通用しない。獣類である。・・・」

さて、初めて日本人の通う銭湯というものを見た吾輩は、その珍奇さに驚愕
します。しかしそこで彼が考え、思い巡らすのが、西洋的な価値観に則った
服装論であるところが、滑稽です。この猫の主人が苦沙弥先生だけあって、
流石にハイカラです。

文明化が進んだ西洋の価値観においては、紳士淑女は洋服を着て裸体を包み
隠すという厳然としたルールが出来上がったのでしょう。勿論ヨーロッパでも
次第に文明の中心となって行く北方では、防寒のために服を着るということが
生きて行く上での必要条件でもあったでしょう。

他方彼の地では、芸術においては裸体の描写、造形も、美しさを表現するもの
として、許容され、更には尊重されて来ました。

漱石は、その価値観が文明開化と共に我が国にどっと一時に入って来て、
人びとがともすれば慣れ親しんで来た習慣やものの考え方を棚に上げて、
闇雲にそれになびくことを、猫の言葉を通して茶化しているのではないで
しょうか?

2016年10月7日金曜日

京都高島屋グランドホール「特別展 星野道夫の旅」を観て

写真家星野道夫が取材中に熊に襲われ、不慮の死を遂げてから20年が経過
したことをきっかけとして、企画された特別展を観て来ました。

星野は写真のみならず文章も素晴らしく印象的で、私もエッセーを数冊読み
ましたが、本展でも写真に本人の文章を合わせて展示して、観る者が彼の
世界に包まれる手助けをしてくれています。

久々に観る彼の写真は美しいことは言うまでもなく、今回は特に彼の死という
現実も超えて、もっと根源的な意味での懐かしさを強く感じました。

それは何故かと考えてみると、星野自身が彼が被写体とした極北の自然に
同化し、その一部となった上で、かの大地で悠久の時を経て営まれている
現象を写真に写し取っているからであろうと、思い至りました。

本展にもその手紙が冒頭に展示されていますが、彼がアラスカを知る契機と
して、学生時代にこの地の一地域を写した写真集に魅了され、そこで生活
したいと村長に手紙をしたため、許されて滞在したことが、彼の以降の
写真家としての人生を決定したといいます。

つまり星野は、アラスカの地と運命的な出会いをした訳ですが、本展で彼の
写真を改めて観て、彼がこの地に魅了されたのは、そこには厳しい気象条件
故に原風景としての自然が色濃く残されているからに違いないと、感じさせ
られたのです。

そのように考えて行くと、彼の写真のテーマが自然現象や動物の姿の詩的
ではあってもリアルな描写から始まって、次第にアラスカに暮らす人々や
そこに生まれた神話に題材を得る、よりヒューマンなものやスピリチュアルな
ものに深まり、広がっていったことも、当然の帰結であると感じました。

彼の写真は、アラスカの広大な自然を背景としながら、人間の本来あるべき
心の在り方をも、提示してくれているのではないでしょうか?

2016年10月5日水曜日

龍池町つくり委員会 33

10月4日に、第51回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、10月30日(日)に開催予定の「たついけスタンプラリー」について、担当の
京都外国語大学の学生小林美香さんから、より具体的な内容の説明がなされ、
それを巡って話し合いました。

今年のスタンプラリーは、「ぼく わたしの 防災マップづくり」と命名され、学区内を
親子で巡って地域防災マップを作成することにより、龍池学区に関する防災情報を
共有し、重ねてこの催しを地域交流の場にするというもので、新たに次のことが
提案されました。

当日参加者が集合後、消防署より提供を受ける、子供向けの防災について分かり
やすく説明するDVDの画像を流して、参加者に防災についての理解を深めて
もらう。

同じく会場に、地震、火事、台風の被害を写真で展示する、ミニ展示コーナーを
設け、身の回りの被害、危険への意識を高めてもらう。

その上で、皆で災害とは何かについて一緒に話し合い、いよいよマップ作りに
出かけます。

防災マップづくりでは、町歩きの範囲を今回は学区内の御池通りより北に絞り、
参加者を3~5人の班に分け、消火栓、AEDの設置場所、子ども110番の家なども
確認してもらい、危険性のありそうな場所も探します。

この催しの広報活動としては、学区内各町へのチラシ回覧とポスター掲示、また、
開催が迫っている区民運動会でチラシを配布することに、決定しました。

スタンプラリー当日が、参加者でにぎわうことを期待しています。

2016年10月2日日曜日

鷲田清一「折々のことば」533を読んで

2016年9月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」533では
作家堀江敏幸の小説「河岸忘日抄」から、次のことばが取り上げられています。

 ほんとうの寛容さはつねに戦闘状態にあるはずで、寛容にする側もされる
 側も、どちらもぞんぶんに傷つく。

私たちは他の人の話に、往々に「それわかる」とか「わかった」とか、肯定的な
相づちを入れたり、返事を返したりしがちです。

でもそれは相手に対して話の腰を折らないためや、とりあえず分かったつもり
になるような、皮相で受け流す返答の場合が多いように感じます。

でもそれが真剣な話であったり、物事であったなら、私たちは安易に「わかる」と
言うべきではないし、ましてや「わかった」こととしてやり過ごせるものではないと、
このことばは伝えてくれているように感じます。

「わかる」ということは、相手の立場に立って受け入れること、相手を全身全霊で
肯定することでなければならないのでしょう。

そう考えると私たちは常日頃、いろいろなことを生半可に理解したつもりでいる
ことが、随分多いように思います。

分かりやすい例を挙げてみると、たとえばメディアの感情に訴えかけて来る
演出に対して、私たちはすぐ理解したつもりになって、押し流され易いように
感じます。

最近言われる、障がい者の”感動ポルノ”なんて身も蓋もない言葉も、そのことに
深く関係しているように感じました。

2016年9月30日金曜日

本田靖春著「誘拐」ちくま文庫を読んで

「吉展ちゃん誘拐事件」は、私の子供の頃の記憶の中にも、一つの暗い陰として
残っています。もっとも当時は、私自身が誘拐の対象となる可能性のある少年と
して、世間に対して大きな不安と警戒心を抱いたというのが、その心情の全てで
あったと思われるのですが・・・。

さてこの時から50年以上の歳月が過ぎ、本書で改めて事件の全容を概観して
みると、単なる善悪を超えた深い悲しみが私の心に迫って来るのを感じます。

犯人の小原保は東北の寒村に生を受け、厳しい自然条件の中、子沢山の
貧困家庭で育つうちに、栄養、衛生の行き届かない生活環境から、足に障がいを
残す状態で成長します。

生きるために時計の修理技術を身に付け都会に出ますが、遊びを覚え自堕落な
生活に陥って行きます。借金まみれの彼が愛人を得て、起死回生を狙って企てた
のがこの事件だったのです。

本書の執筆された当時、小原はすでに処刑されてこの世にはなく、著者は関係者
へのインタビュー、残された記録から丹念にこの事件を掘り起こして行きますが、
書中に浮かぶ小原は、障がいを抱えながら社会の底辺を生きるしたたかな男、
肉親や愛する相手には、時として細やかな愛情を示す優しい男、誘拐犯人の
冷酷さ、卑劣さ、事件への嫌疑で刑事から執拗な尋問を受けながらなお、口を
割らない強情さなど、様々な顔を見せます。

しかし誘拐でまとまった金を手にして後の有頂天から、一気に彼の生活が崩れて
行く有り様、また自供後の素直な服役態度や、短歌を作りながら静かに刑の
執行を待つ姿勢にこそ、彼の本来持つ美質が現れているように感じられました。

東京オリンピックを翌年に控え、高度成長期の喧騒に沸く日本社会の中に、なお
生まれながらの貧困にどうしようもなく縛り付けられる人々が、少なからず存在
したということ。一人の人間が、生まれた環境によって生活向上の可能性を
極端に狭められ、性格をゆがめられる理不尽を思いました。

小原は決して特別に凶悪な人間ではなく、私たちの誰もが、置かれた生活条件や
環境によっては、彼になり替わる恐れがある。あるいは、被害者の吉展ちゃんや
この子の親族の立場に置かれる危険性がある。

バブルの崩壊、リーマンショックを経て、私たちの社会で再び貧富の格差の拡大が
言われるようになった今日においても、本書は多くの国民にとって社会的幸福とは
何かを考えさせてくれる問題提起の書となりうると、感じました。

2016年9月28日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の運動考とイグノーベル賞

2016年9月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載110には
最近人間世界で流行っている運動を巡って、人間の価値観の転換を吾輩が
考察する、次の記述があります。

「天の橋立を股倉から覗いて見るとまた格別な趣が出る。セクスピヤも千古万古
セクスピヤではつまらない。偶には股倉から[ハムレット]を見て、君こりゃ駄目だよ
位にいう者がないと、文界も進歩しないだろう。」

折しも今年のイグノーベル賞に、天の橋立の股覗きを科学的に考察した日本人の
二人の学者が選出されました。

天の橋立は、京都府北部丹後地方の宮津湾と内海を全長約3.6kmの長さに渡り
隔てる細長い砂州で、道状の一帯には自生している松並木が続き、独特の景観を
示して観光名所として有名です。

また股覗きといってこの景色を一望出来る高所に後ろ向きに立ち、自身の両足の
間から逆さまに覗き見ると、風景が反転して天上にまるで橋が架かっているように
見えます。

今回のイグノーベル賞受賞の研究によると、人間はこのように逆さまに景色を
眺望する場合、常日頃そのようなものの見方に慣れていないので、視界が狭まり、
対象が平板に見える傾向がある、ということです。このような人間の目の特性も、
股覗きの趣向を高めているのでしょう。

話は少し飛躍しますが、漱石は一つのものの考え方に凝り固まることや、皆が
一つのものの見方に傾倒することを、ことのほか嫌っていたのではないでしょうか?
そんな彼の性向が、この文章から垣間見られるような気がします。

2016年9月25日日曜日

鷲田清一「折々のことば」527を読んで

2016年9月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」527では
ある戯れ言葉から、次のことばが取り上げられています。

 たかが服、されど服

私は仕事柄最低限の清潔感は保つようにしていますが、もともとものぐさ者で、
服装にはあまり頓着しない方です。

しかし儀式に出るために礼装をする時や、晴れがましい場に行かなければ
ならないので着替えをする時などには、その服装をすることによって身が
引きしまったり、これから立つ場への心の準備が出来ることがあります。

また参加した催しが予想に反して改まったもので、自分が着て行った服装が
場にそぐわないと感じられた時、何か臆するような、不安な心持になって、
その催しを十分に楽しめなかったり、いつもより消極的な言動しか出来ない
こともありました。

それほど服装というものは、日頃は気付かないけれども、場面によっては
私にとっても、心のありように一定の影響を与えるものだと感じます。

あるいは有名、無名の人も含めて、その人のファッション、着こなしが、その
人物の人と成りや、魅力をうまく引き出していて、思わず感心することも
あります。

更には、時折美術館で開催される有名なファッションデザイナーの回顧展を
観ると、彼らの時代を切り開いた先進性や独創性に、ファッションの奥深さを
感じさせられることもあります。

身体の一部のようでいて、それをまとう者に有形、無形の影響を及ぼすもの、
和装も含め衣装とはそういうものなのでしょう。

2016年9月23日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、皆に大和魂を揶揄する短文を披露する苦沙弥

2016年9月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載108には、
我らが苦沙弥先生が大和魂に関する斬新な短文を何時もの面々に披露する
様子を記する、次の文章があります。

「「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く
魂である。魂であるから常にふらふらしている」
 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、
誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

本居宣長に大和心を読んだ歌があることからも、大和魂という言葉が江戸時代
から存在していただろうことは薄々知っていましたが、漱石の時代に大和魂の
概念がもてはやされたことは、正直知りませんでした。

しかし折しも歴史を紐解けば、日露戦争の勝利が、日本人の愛国心や自尊心を
高揚させ、帝国主義的な国の政策も相まって、日本的なものの考え方の独自性や
優位性がことさら強調され、軍備を増強し、他国の排除、拡張主義的な方針が
推し進められて行く過程で、大和魂の精神主義が大きく寄与したことを知ると、
漱石のこの文章の先見性が見えて来ます。

さらに歴史を辿ると、第二次世界大戦での破局へとこの国を導いて行ったものの
中に、この頃芽生えた日本人を特別視する大和魂が確かに存在したことは、
間違いないでしょう。

漱石はそこまで、日本の将来を見据えていたのでしょうか?

2016年9月21日水曜日

庵野秀明総監督映画「シン・ゴジラ」を観て

今話題の映画「シン・ゴジラ」を観て来ました。私はエヴァンゲリオンは観ていない
ので、庵野監督と言っても宮崎駿作品「風立ちぬ」の主人公の声優のイメージしか
思い浮かびません。それ故以下、幼い時、あるいは若い頃に、胸をときめかせて
観たゴジラ映画との比較を念頭に、この文章を進めて行きたいと思います。

「シン・ゴジラ」を観てまず感じたのは、この映画が甚大な災害に直面した時の
対応を主題に据えた映画である、ということです。その点が従来のゴジラ映画とは
根本的に違います。

今までのゴジラ映画は、私の観て来た限り、時代や社会的背景は時々に変わって
も、ゴジラという怪獣の猛威になすすべもない人間を描いて来たと思います。

つまり人類の造りだした核兵器に対する、汚された自然の怒りの象徴として生み
出されたゴジラが、絶対的な力を用いて人間にその罪を思い知らせるというのが、
基本的なモチーフだと感じて来ました。

従ってゴジラはいかに強大で無敵ではあっても、自然に由来するものとしての
生き物的な感情、たとえば怒りや怨念を体現する生身の怪獣であったと思います。

ところが「シン・ゴジラ」では、ゴジラは最早生き物を超越してしまった、例えば
ロボットに近い究極の活動する物体となってしまったと、感じられました。

それ故ゴジラの来襲はこの映画では、思いがけぬ自然災害の勃発と同義になって
いるのだと、思います。

でもこの映画のすごいところは、ゴジラの怪獣映画としての約束事をことごとく守り
ながら、あくまでフィクションの枠内とはいえ、それが前述のような自然災害時の
人間の取るべき対応を示して、私たちの未来への希望の方向性まで描き出して
いることです。

そのために庵野監督は、現在の日本の政治状況や国際情勢を皮肉も込めながら
赤裸々に描き、セットや小道具は細部まであくまで精巧に作り上げることによって、
物語のリアリズムを担保しています。

確かにこの時代、今の日本の現実に相応しい、怪獣映画の一つの新しい形を
提示してくれる映画と、感じました。

2016年9月19日月曜日

中村真一郎著「蠣崎波響の生涯」を読んで

大著「蠣崎波響の生涯」をようやく読み終えました。興味があって購入してから
ついつい読むのを後回しにして年月が経ち、国立民族学博物館で原本とされる
「夷酋列像」が展示されるのを契機としてついに本書を開き、実物を鑑賞した後
読了するという、大変印象に残る読書体験でした。

波響は北辺の特異な藩の家老という政治の要職を務めながら、絵画、詩歌に
優れた仕事を残した傑出した人物ですが、残された作品以外には余り個人的な
記録がなく、その生涯は後世に辿るには、はなはだ心もとないものであったと
いいます。

それゆえ著者中村真一郎は波響の残した作品の分析と、周囲の比較的記録の
残る人物の彼との係わりの痕跡を丹念に跡付けることによって、そしてそれでも
なお埋まらない部分は小説家としての豊かな想像力を働かせて、次第に彼の
生涯の全体像を浮かび上がらせて行きます。

従って本書から立ち現われる蠣崎波響像は、何か薄い皮膜の背後に存在する
ようである意味幻めいていますが、その生きた時代と呼応して、彼の生涯の
在り方は確かなものとして描き出されていると、感じられました。

さて本書を読み終えて、やはり彼の生涯を象徴するものは「夷酋列像」であると、
改めて感じました。この列像図が彼の画歴の比較的初期の作品で、それ以降の
画技の上達は素人の私には分かりません。事実、民博での展観では以降の
作品も展示されていましたが、一番感銘を受けたのはこの図像でした。

その絵画的な魅力についてはすでに展覧会の感想で記しましたが、これを描き
上げた時の波響の心境に思いを馳せると、新たに立ち上がって来るものがある
ように感じられます。

それが何か考えてみると、彼が異国の侵入や幕府の干渉を視野に入れて、傾く
藩政を担わなければならない現役の政治家でありつつ、当代一流の教養を
有する芸術家であったということから生まれる心の緊張の具現化が、この図像に
言い表しようのない切迫感を生み出しているのではないか、ということです。

結局彼は、時代や社会情勢に翻弄される数奇な運命に生きることを定められ
ながら、一級の人物との驚くほどに豊かな交友関係を楽しみ、芸術上の達成を
生み出しました。

本書があぶり出す彼の生涯を現代の視点から改めて振り返ってみると、現代に
生きる私たちは、自分の人生はすべて自分で決められるという錯覚に陥りやすい
ですが、結局人は予め大枠を定められた運命に添って生きるしかなく、その中で
いかに自分らしく生きられるかということが人生の充実感を生み出すのでは
ないか、という感慨に至りました。

2016年9月16日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月と迷亭の女性の地位向上の品定め

2016年9月15日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載104には、
寒月と迷亭が当節の女性の地位向上について意見を交わす中で、迷亭が
語る次の記述があります。

「仰せの通り方今の女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮まで
出来ていて、何でも男子に負けない所が敬服の至りだ。僕の近所の女学校の
生徒などと来たらえらいものだぜ。筒袖を穿いて鉄棒へぶら下がるから
感心だ。・・・」

一体この当時の女性の地位は、どんなものだったのでしょうか?江戸期以前の
封建時代には、男尊女卑の気風が強く、女性の地位は相対的に低かったと
想像されますが、明治に入り西洋的な考え方が一気に流れ込んで来ても、
恐らく延々と続いて来た価値観はおいそれと変わらなかったでしょう。

その証拠に、大正、昭和初期の世代の一般のものの考え方の中にも、女性を
一段下に見る価値観があったと、思い出されます。

しかし明治時代であっても、漱石の周囲のような知識人の間では、女性に
一目置く開明的な気分があったのかもしれません。その証に、この小説の
中でも苦沙弥先生の細君は、結構主人に言いたいことを言う設定で、その
やり取りが独特のいい味を出しています。

それにしても、現代の男女の平等、雇用の機会均等が言われる時代でも、
女性の非正規雇用が多く見られ、また母子家庭の貧困が深刻な問題となって
いるように、真の女性の地位向上はなかなか実現しないようです。

2016年9月14日水曜日

鷲田清一「折々のことば」514を読んで

2016年9月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」514では
夏目漱石の「草枕」から次のことばが取り上げられています。

 涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは
 泣くことのできる男だという嬉しさだけの自分になる。

凡人としては、一度でいいからそのような境地に至ってみたいものですが、ただ
詩歌にしても、小説にしても、創作しているその時には、ある意味そんな境地に
入り込むようにも感じられます。

つまり、創作の契機となる心の高ぶり、震えに揺り動かされながら、何とか
それを形にしようと、ある部分では冷静に、そして客観的に頭の中から文字を
しぼり出す。

文章を書いている時は私でも、頭のどこかの部分には、じっと自分自身を覗き
込むような冷徹な視線を感じながら、そのほかの脳の部分は書くことに
無我夢中になって、高揚感に満たされていることがあります。

その瞬間が、文章を書くことの喜びとも感じますが、ただし、凡人の悲しさ、
出来上がった当の作物を目の前にして、なかなか漱石のように満足や嬉しさの
境地には、至ることは出来ません。

しかし書いている瞬間の充実感があるので、また凝りもせず筆を執るのでしょう。

2016年9月12日月曜日

京都市美術館「三浦景生の染 白寿の軌跡」を観て

昨年九十九歳で亡くなった、京都染色界の重鎮三浦景生先生の回顧展です。

長年当店の白山紬を御愛用頂き、日展などでは先生の作品を観て来ましたが、
このような形でまとまった数の作品を観るのは初めてのことで、期待を持って
会場に向かいました。

まず冒頭に「菜根譚」など後期の代表的な作品が展示されていて、ほの黒い
背景から浮かび上がる軽妙かつ幽玄な根菜類が、独特の生命の根源や、
宇宙的な広がりを現出します。まさに先生の真骨頂の世界だと感じました。

それらの作品は白山紬に染色されているのですが、以降の展示室に並べ
られているもっと早い時期の作品が、題材や表現法に応じて綿や麻などの
異質の生地が素材として使用されていることから推し量っても、先生がご自身の
後期の作品世界に白山紬が相応しいと感じ、実際に用いて頂いたことが、誠に
手前みそですが、うれしく感じられました。こういう部分が、染色素材としての
白生地を扱う、私たちにとっての喜びでもあります。

60年~70年代の、面と色彩で画面を構成した抽象的な作品は、今回初めて
観ました。それらの作品も色彩が鮮やかで、表現が力強く、雄大で、この時代の
熱気のようなものを感じさせますが、題材や表現法は違えど先生が目指された
ものは、後期の作品にも通じると、感じました。

これも初めて観たのですが、晩年に力を入れられた陶芸の作品は、内より
にじみ出るかわいらしさ、飄逸味、ユーモアが何とも言えなず素晴らしく、
先生が楽しみながら創り、なおかつ独自の芸術性を生み出されていることに、
芸術家としての非凡さを再認識しました。

全体を観終えて、先生の創作者としての人生は満ち足りて、幸福なもので
あったろうと、感じさせられました。

2016年9月9日金曜日

鷲田清一「折々のことば」507を読んで

2016年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」507では
詩人、思想家吉本隆明の「どこに思想の根拠をおくか」から、次のことばが
取り上げられています。

 「何のために」人間は生きるかという問い・・・・・を拒否することが<生きる>
 ということの現実性だというだけです。

私たちは、「何のために」生きているのかとついつい自分に問いがちですが、
考えてみれば「何のために」なんて簡単に答えられるものではありません。

第一、生まれて来る時点からして、目的があって生まれて来たのではなく、
たまたまそこに生を得たのであり、社会環境や周囲は生まれたその子供に
何かを期待しているかもしれないけれど、それは到底本人の知ったことでは
ないからです。

ということは、「何のために」生きているかという問いはあくまであと付けの
問いであり、人間という地球上の生き物がその一生をまっとうするための
理由づけに過ぎないと、思うのです。

しかし人間は社会的動物であり、また内省的存在であることから、周囲の
状況や、自分の立場を鑑み、ついつい「何のために」と考えてしまうのでしょう。

かくいう私も、よくそんなことを考えて落ち込んでしまうのですが、上述のような
吉本のキッパリとした否定のことばは、こんな私たちに勇気を与えてくれると、
感じます。

私自身も長きに渡って、彼の著作のそんなことばによって随分励まされて
来たと、このことばを読んで改めて思い返しました。

2016年9月7日水曜日

龍池町つくり委員会 32

9月6日に、第50回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、10月30日(日)9:30~12:30で開催が決まった、恒例の京都外大企画の
スタンプラリーの概要説明が担当の小林さんよりありました。

今回は、「ぼく わたしの 防災マップづくり in たついけ」ということで、対象は
龍池学区またはその周辺に居住する親子、目的はこの催しを地域交流の場とし、
まち歩きとマップ作りを通して、学区に関する防災情報を共有するというものです。

またここでいう地域防災マップとは、京都市が作成したハザードマップなどとは
違って、あくまで住民目線から見た防災マップということで、特に子供たちが実際に
まちを歩いて防災に役に立つもの、災害時に危険な場所等を見つけて地図に
書き込むことによって、地域のことをもっと知り、結果として親しみを持ってもらう
ことを目指すものです。

具体的な活動内容は、集合後約30分災害とは何か、災害時にはどんなことが
起こるかを説明し、まちの一つの通りに一班というかたちで班分けして白紙の
地図を渡し、子供たちがまち歩きをして災害時に役立つもの、危険個所を
見つけてみんなに報告し、地図に記す。最後に戻って全班の結果を大きな一つの
地図にまとめ、発表するというものです。

これに対して各委員からは、この企画を成功させるためには、実際にまち歩きを
する前の子供たちへの説明が大切で、分かりやすくするための工夫が必要で
あること、また一回で存分な成果が上がることを期待しないで、気長く取り組む
べきことが提案されました。

杉林さんのカルタ企画では、9月18~19日に開催される第2回「ゼストみんなの
文化祭」で、龍池学区の地図と共に制作したカルタの展示を行い、関係者を
紹介するなど、活動発表を実施する旨の報告がありました。その場でも
スタンプラリーの広報も行う予定です。

2016年9月4日日曜日

池田浩士(文)高谷光雄(絵)「戦争に負けないための二十章」を読んで

絵と文で構成されながら、単なる絵本ではなく、戦争について私たちの日常の
視点から深く考えさせる、ユニークな本です。

まず染色家高谷光雄さんは、長年京都精華大学の教授を勤められ、独特の
シュールレアリスティックな表現で、私も個展を拝見するのを楽しみにして
来ましたが、この本ではその画風が文章と絶妙にマッチして、まるで水を得た
魚のように躍動しているのが、心地よく感じられました。

他方池田浩士氏の文章は今回初めて目にするので、比較のしようもありま
せんが、意識的にかみ砕いた文章で難しい問題を分かりやすく記し、それで
いて読む者に思索を深めさせる語り口が、読後も少なからぬ余韻を残します。

この本の最大の魅力は、喚起力のある絵と文章に導かれながら、抽象論や
非現実的で楽観的な議論、あるいは議論さえ憚られ意識的に遠ざける態度に
陥りがちな戦争を巡る問題を、一つ一つ順を追いながら考えるヒントを与えて
くれることです。

そのため最初各章の表題を通覧すると、これはもしかしたら戦争を賛美する
本ではないかと、目を疑いました。しかしその構成、言い回しが著者の巧みな
戦術で、反語的な問いかけが読者の注意をいやが上にも喚起して、それに
対する自身の答えを懸命に探させ、その上で問いかけの後に添えられた文献が
読者の思考にヒントを与える仕組みになっています。

最後に添付された「戦争に負けないために読みたい二十冊」に選ばれた本を
読むと、さらに戦争に対する思考は深まるでしょう。

すでに読んでいる本もありますが、追ってその中の何冊かを新たに、読んで
みたくなりました。

2016年9月1日木曜日

鷲田清一「折々のことば」504を読んで

2016年8月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」504では、
京都・錦市場の漬物屋店主で著述家バッキー井上のコラム紙「昨日も今日も
お漬物」から次のことばが取り上げられています。

 どんどん安くなっていく新品ばかりを買い続けていくとどうなる。全部サラに
 買い換えたら残された私はどうなる。

例えば家電や自動車などの工業製品に代表されるけれども、私たちは新しい
ものがいいものだという感覚に毒されていないか?

また現在我々が暮らす日本のような、経済が成熟化して長期のデフレ傾向が
続き、その上に市場のグローバル化で、海外から安い品物が容易に入って
来る社会では、新しく買い換えると割安に買えるという現象も起こります。

それでは、どんどん新品に買い換える方が得なのか?でも何か虚しさが残り
ます。

その代表的なものが、手仕事による工芸品や文具。使い込めば使い込むほど
味や個性が出て、身や手になじみ愛着が増します。また、持ち物や身にまとう
ものによって、その人の人となりが現わされることもあります。

便利さや合理性だけではなく、ものそのものが持つ本来の価値を大事にする
暮らし。そちらの方が精神的にも、もっと豊かな生き方なのではないか?

このことばを読んで、そんなことを考えました。

2016年8月30日火曜日

漱石「吾輩は猫である」における、吾輩の人間評

2016年8月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載92には、
余りの暑さにうんざりとした吾輩が、不平にかまけて辛辣な人間評を展開する、
次のような記述があります。

「これで見ると人間はよほど猫より閑なもので退屈のあまりかようないたずらを
考案して楽しんでいるものと察せられる。・・・・気楽になりたければ吾輩のように
夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。」

いやはや、一言居士の吾輩にかかったら、我々人間もたまったものではありま
せん。立場が変われば評価も変わる。そういうことでしょう。

しかし猫の言い分にも、色々もっともな点があるように感じられます。

確かに人間も本来はもっと自然に近い生き方をしていて、文明化して行くに
つれて、衣食住に気を遣う余裕が出来、それが高じるとはた目にも、贅沢と
みなされる生活を送るようになったのです。

現代人の生活などは、漱石の時代と比較しても、随分と贅沢で、無駄が多いに
違いありません。

生活が豊かになると、今度は忍耐力が乏しくなり、どんどんわがままになって
行くものでしょう。そして種々の雑念や煩悩も新たに生じて来ます。

猫の吾輩は、人間も夏に毛皮を着て涼しい顔を出来るぐらい、自分を鍛え
なければ到底精神的安息は得られないと、私たちに警告してくれているので
しょう。

2016年8月26日金曜日

鷲田清一「折々のことば」499を読んで

2016年8月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」499には
京都の老舗の旅館の女将の次のことばが取り上げられています。

 礼は、頭を下げるときでなく顔を上げるときこそ丁寧に。

このことばは無論、何かの団体が不祥事を起こした時に、その責任者が謝罪
するに当たり、腰から上の上半身を一体何十度の角度に傾けて、頭を下げ
なければならないかという類の、マニュアル的言葉ではありません。

大切なことは、こちらがへりくだるということよりも、いかに相手をおもんばかるか
ということでしょう。なぜなら先方のことを思いやるなら、自然に顔を上げる仕草が
丁重になると、思うからです。

私も常々、お客さまの来店時のご挨拶は、当店にわざわざ足を運んで頂いたと
いう感謝の気持ちを持って、頭を下げるように心がけています。そうすると、
お客さまは土間に立っておられ、こちらは畳の上に座しているので、おのずから
畳に両手をついてお迎えをすることになります。それが自然なご挨拶だと、日々
感じています。

またお客さまが用事を済ませて帰られる時には、どのタイミングで、どんな表情、
仕草でご挨拶するかを、大切なことと考えています。その時、今回のご来店で
商品、接客に満足いただけたかどうかということを、相手さまの答礼の様子から
斟酌して、これからの参考にさせて頂くことは、言うまでもありません。

2016年8月24日水曜日

承天閣美術館「いのち賛歌 森田りえ子展」を観て

森田りえ子は美術雑誌などで作品を見て、最近気になる日本画家ですが、
公募展、団体展への出品がないので、なかなか実際の作品を観る機会が
ありませんでした。それで今回、金閣寺方丈杉戸絵奉納10周年記念として、
相国寺承天閣美術館で展覧会が開かれることを知り、早速出掛けました。

実際に作品を観てみると、彼女の絵画の主題の一つの柱である花鳥画では、
伝統的な題材を正統に扱いながらなぜか洗練されてモダンであり、それでいて
内から溢れる熱情がオーラを放つように感じられました。

それはどういう訳かと作品を観ながら考え続けましたが、現代を生きる日本画家
として西洋的な造形法にも目配りが行き届いているのは勿論、結局静の中に
動を閉じ込めることに成功しているからではないかと、思いました。

この展覧会では作品の要所要所に画家自身による解説が添えられていますが、
それらを読み進めて行くと、彼女が対象の花木をどのようにして作品に結晶化
させて行くかということが、次第に見えて来ます。

つまりこの画家は対象のデッサンを繰り返すうちに、ついには対象と同化した
ような恍惚とした境地に至り、その境地を具現化したものとして作品は完成する
ようなのです。

例えば蓮を描いた絵では、彼女は終日蓮池に留まりデッサンを続けるうちに、
夢幻の境地に遊び、作品のイメージが出来上がったといいます。

あるいは、これも彼女の代表的な題材である糸菊では、細くくねる花弁の躍動感、
繊細さを表現するために、従来の日本画の制作方法とは違って、花弁の糸状の
部分は画布に直接フリーハンドで描きいれるといいます。

このような抑えがたい情熱を画面に定着させる制作姿勢は、おのずから日本画の
静謐な佇まいの中にも、ほとばしるパッションをにじみ出させることになると感じる
のです。

森田の作品のもう一方の重要な主題である人物画においても、彼女が描くのは
女性に限られますが、それらの女性はきらびやかな衣装をまとい、あるいは
豊満な裸体で画面に佇みますが、その表情も、所作も、一瞬の時に凝固した
ように静かです。しかしそれにもかかわらず彼女たちからは、にじみ出るような
気品、官能が放出されています。

同時に展示されているこの画家の裸婦デッサンを観ましたが、そのデッサンは
洋画家のものと見紛うほど写実的でしかも挑発的であり、画家のひそめたる
情熱を見る思いがしました。

久々に抑制の中の美ということについて、考えさせられました。

2016年8月22日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、いざ鼠を捕ろうとする吾輩のつぶやき

2016年8月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載89には、
鼠を捕ろうと決意した吾輩が、さて実際に捕る段になって頼りないことを独白する、
次の記述があります。

「心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が
付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の
論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。吾輩も
安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極める。」

やれやれとりわけ注意深く、慎重なはずの猫族の吾輩が、まるで我々楽天的な
人間のような物言いをしています。

しかしこういう呑気な気の持ち方は、危機管理や防災対策という点において、
私たちにとっても由々しき問題です。

地震やそのほかの災害、戦渦に巻き込まれる危険なども、何時なんどき我々を
襲い、訪れるかもしれないけれども、私たちは目の前の安心を得たいがために
つい、なおざりにしたり、目をつむり勝ちです。

例えばより身近な防災という観点から見れば、今年4月の熊本地震からも明らか
なように、日本列島どこでも何時大きな地震が発生するか分からない状況の中で、
私たちはついつい自分たちのところは大丈夫だろうと、備えを怠りやすいように
感じられます。

所々の危険を認識して、それなりの心の準備や問題意識を持つことは、なかなか
簡単ではありませんが、反面教師として吾輩から学びたいものです。

最も、日露戦争の戦果華々しく勇ましい時代に、漱石がこんなに呑気な吾輩を
小説に描いたという事実は、私にとっては微笑ましくもあります。

2016年8月21日日曜日

鷲田清一「折々のことば」493を読んで

2016年8月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」493では
文化人類学者クリフォード・ギアツの「解釈人類学と反=反相対主義」から
次のことばが取り上げられています。

 他の人々の生を私たちは私たち自身が磨いたレンズで見るし、彼らは
 私たちの生を彼らのレンズで見る

例えば日本美術を西洋人が観る時、彼らは私たちがそれを観て感じるように
ではなく、彼らの文化背景やそれによって培われた美意識を基にして、
向き合うことになるでしょう。

そして今まで目にしたことのない毛色の違う美術に、彼らの尺度から新たな
美を見出し、それを賞賛するということも生じるのではないでしょうか?

他方日本美術に慣れ親しんで来た私たちは、その美を当たり前のものと
決め込んでしまって、ともすれば海外から盛んに入って来る新奇な美術に
目を奪われ、既存の美術の存在価値を忘れ去ってしまうということも、起こる
かもしれません。

かくして西洋で再発見された日本美術の素晴らしさが、逆に私たちを覚醒
させて、その美に改めて気づかされるという現象も、実際に起こっている
ようです。

さしずめ琳派や伊藤若冲のブームなどには、そういう要素もあるのでは
ないでしょうか?上記のことばを読んで、そんなことを考えました。

2016年8月19日金曜日

鷲田清一「折々のことば」492を読んで

2016年8月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」492では
俳人佐藤鬼房の句集「瀬頭」から、次のことばが取り上げられています。

  やませ来るいたちのやうにしなやかに

「やませ」は、夏季に東北地方を襲う湿った冷風で、かつて凶作や飢饉をもたらし、
人々を苦しめたそうです。

東北地方は厳しい気候風土の中で、明治期以降も生活苦に苛まれる人々や、
やむをえず故郷を捨て、新天地に活路を求める人々が多く存在したといいます。

宮沢賢治や寺山修司の文学は、それら東北の貧困や窮状を背景に持っていると
言えるでしょう。

他方第二次大戦後の高度経済成長や、科学技術のめざましい発達は、東北の
農漁村の経済水準を随分向上させ、そのような悲惨さは過去のものとなった
かのように感じさせます。

しかしこの度の東日本大震災による福島原発の事故で明らかになったように、
関東地方に電気を供給するための原発がどうして東北地方に集中しているのか
ということや、この震災で甚大な被害を受けた太平洋側の沿岸部の人口構成が
極端な高齢化に陥っているという事実は、表面的な印象とは違って、問題が
単純ではないことを示しているようにも思われます。

今回取り上げられたような優れた文学作品は、たとえ限られた短い字数では
あっても、私たちを沈思黙考に誘ってくれるように感じられます。

2016年8月17日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、多々良が苦沙弥に語る実業家の利益

2016年8月17日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載86には、
苦沙弥先生のもとを訪れた元書生の多々良が、実業家の利得について得意げに
語る、次の記述があります。

「「それだから実業家に限るというんです。先生も法科でも遣って会社か銀行へ
でも出なされば、今頃は月に三、四百円の収入はありますのに、惜しい事で
御座んしたな。・・・・・」」

ここでいう実業家とは、今でいう会社員のようです。この当時の大学卒業者の
社会的地位は、私には実感として分かりかねますが、文科を出ようが、法科、
工科を卒業しようが、かなりのステータスがあったようにこの文章から察せられ
ます。

今日では毎年の大学卒業者は相当な数に上り、就職の難しさも例年話題に
なることなので、我が国全体の教育水準の上昇にも、単純ではない問題点が
あることは、確かでしょう。更には、近年は貧富の格差の拡大による教育機会の
不均等が懸念されるように、問題はますます複雑になって来ているように感じ
られます。

さて同じ大学卒業者でも、片や英文科を出て教師になった苦沙弥先生と、一方
法科を出て実業家になりたての多々良とでは、給金に雲泥の差がある。

これも漱石の実感でしょう。しかし「吾輩は猫である」のこれまでの展開を見て
来ると、彼には安月給の教師としての自負があり、実入りがよい実業家を軽蔑
している。彼はこの小説で、憂さを晴らしているようにも見えます。

2016年8月14日日曜日

京都市美術館「光紡ぐ肌のルノワール展」を観て

春のこの時期、京都市美術館で好一対の美術展が開催されています。モネ展と
ルノワール展です。周知のように2人は印象派の代表的な画家として、我が国でも
人気があります。

私はもち論両方観るつもりで、しかし一日で観るのは少々きついと考えて、まず
モネ展、それから日を隔てた休日にルノワール展を訪れました。

本展はルノワール特有の透き通った女性の肌、健康的な唇と頬の輝きに焦点を
当てた、60点ほどの作品で構成される展覧会で、モネ展と比較するとこじんまり
していますが、彼の絵画の特色がよく示された、好ましい展観となっています。

今回の両展を比べると、同じ印象派の旗手の共通点と違いが見えて来るように
感じます。おおざっぱに分けると、光への共通の関心と興味を持つ絵の対象の
違い、と言えましょうか。

絵画の対象の違いは、モネが終生風景画に打ち込み、ルノワールが一貫して
女性像を描き続けたことからも明らかです。両展を観ても、モネが晩年には
自ら好みの庭園を造り上げてその情景を描くという、風景画への徹底した
こだわりと、対してルノワールの繰り返される飽くなき女性美の探求に、各々
画家の情熱と執念を看取らされます。

共通点について見てみると、光り輝く対象の表現に興味を持った二人が、特に
初期の印象派展の頃には、文字通り描く対象は違えど、光に満たされた画面を
現出させる喜びに打ち震えるように、競って華麗な色彩に溢れた絵画を描き、
それから次第に、光によって演出される対象の量感や光の移ろい、揺らぎに
関心が移って行ったことが了解出来ます。

さてこのルノワール展の出品作で、私は同じ人物像でも作品に二つの傾向が
あることに気づきました。一つは、一人の子供、女性の愛らしさ、美しさを描く絵、
もう一つは、複数の人物を配して、場の雰囲気の好ましさを描く絵画です。

私には特に今展では、後者の場の雰囲気を描く作品に、印象に残るものが
多くありました。殊に日本初公開の「昼食後」は、若い女性の夢見るような
佇まいと、煙草に火を点けようとする男性の満ち足りた様子が、いかにも
輝かしく幸福な雰囲気を演出しています。観る者の心も思わず浮き立たせる、
好感の持てる作品でした。             
                                      4月10日記

2016年8月11日木曜日

国立民族学博物館「特別展 夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人物世界」を観て

「夷酋列像」については、1989年に中村真一郎の名著「蠣崎波響の生涯」が
刊行された時から興味を持っていました。しかしすぐに購入しながら、600頁
以上の大著で長らく手に取るのを躊躇していたところ、この度国立民族学
博物館で、フランス、ブザンソン美術考古博物館所蔵の原本とされる
「夷酋列像」の里帰り展観が行われることを知り、改めてこの本を開くと共に、
早速展覧会に行ってみることにしました。

万博記念公園にある国立民族学博物館へ行くのは実は初めてで、公園東口
駐車場から博物館へと歩く道すがら、折しも満開の桜に背後を抱かれるように
した太陽の塔が望まれて、異界で花見をするような独特の華やいだ雰囲気を
味わいました。

さてお目当ての「夷酋列像」は、序文2面と人物11図の計13面が、なだらかな
凹壁面に並べて展示されて、少し離れた地点からは全体を一望に出来、
近づけば1点づつをゆっくりと観ることが出来るように配置されています。

1図づつを観て行くと、私たちが先入観として持っているこの時代の人物画、
肖像画とは何か違う特異な趣きがあります。それはいかなるものかと考えて
みると、一人一人の人物が豪華な衣装を身にまといながら、現実離れした
異様さ、凄味を発散させていることに気づきます。

当時の人々がこの図像を目にしたら、まるで異世界を覗き見るようなときめき、
恐れの感情を抱いたのではないか?

この列像は周知のように、江戸時代の幕藩体制で最北の蝦夷地を治める
松前藩の後に家老となる藩士、蠣崎波響が、藩がアイヌ人の反乱を鎮圧した
時に、藩側に協力して功績のあったアイヌ族の有力者たちを顕彰し、藩の
治世の安泰を中央に知らしめるために、藩主の命により描いたもので、その
特殊な事情が図像の描き方にも現れているのでしょう。

また当時の日本人の目が、遅ればせながら異国へと開かれ始め、遥か北方の
蝦夷の地への興味も生まれて来た故に、この列像が天覧に供されたのを
皮切りに、物珍しいものが伝播するように数々の模写が作られ、広く知られる
こととなったのでしょう。その意味において、藩主の意図は見事に達せられた
のです。

さらに本図像では、当初の目的にそうように描かれた各人物がアイヌ文化を
際立たせるために、きらびやかな伝来の衣装をまとい、特徴的な装飾品を
身に着け、道具を携帯しています。その関連展示も含めこれらの文物は、
北方の地の大陸との盛んな交流や、アイヌ文化の独特の成熟を示し、本展を
民族学博物館で開かれるに相応しい、美術品の展示だけではなくその
文化背景をも明らかにする、奥行きのある魅力的な展観としていると感じ
ました。

2016年8月9日火曜日

漱石「吾輩は猫である」における、全能の神の技に対する吾輩の感慨

2016年8月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載79には、
人間が当然とあがめる神の創造の技に、吾輩が猫なりの注釈を試みる、次の
記述があります。

「従って神が彼ら人間を区別の出来ぬよう、悉皆焼印の御かめの如く作り得た
ならば益々神の全能を表明し得るもので、同時に今日の如く勝手次第な顔を
天日に曝らさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその
無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。」

今日の個性が何より重視される社会の価値観から考えると、あっと驚く解釈です。
なぜと言って、工業製品のように寸分たがわぬ製品を作ることを、人間の顔の
造作にも求めているのですから。これは多様性の全否定とも言えるでしょう。

しかし他方、意表を突く視点という意味では、漱石の慧眼を見る思いもします。
確かに物事というのは、見方によっては180度評価が変わるということです。

また均質なものを作ることの難しさということも、日用品がまだ手工業によって
製作されていた漱石の時代にあっては、一定の説得力があったのかも
しれません。

しかし私たちがこの記述から学ぶべきは、一つの価値を盲信するするのでは
なく、様々な視点を確保するために、心の余裕と広い教養を積むべきである、
ということではないでしょうか。

少なくとも漱石にはそれがあり、またそうありたいと考えていたのでしょう。

2016年8月7日日曜日

鷲田清一「折々のことば」479を読んで

2016年8月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」479では、
「コムデギャルソン」の布地職人松下弘へのインタビューから、次のことばが
取り上げられています。

 一番困っている産地にこそ、いままでにはないなにかが眠っているはず
 なんです。

最早他人事としては聞いていられません。京都丹後地方の呉服用の
絹反物の生産量は最盛期の二十分の一、先日も父の代より取引していた
絹広幅の織屋が廃業しました。

この産地でも絹糸の改良や希少な品種の使用など、色々な模索は行われて
います。また呉服や服地用だけではなく、用途の拡大や、例えば白生地を
肌触りのよい手ぬぐいとして用いるなどの素材としての活用の試みも、
なされています。

しかしいかんともし難いスピードで、絹離れは進んでいるように実感されます。

私たちの店でも、この現状を少しでも変えられないものかと、日夜思考して
います。ただ別誂えの帯揚げが多くの方に支持されていることや、
つまみ細工用として4匁羽二重の白生地を求められるお客さまが多数
おられることは、手軽なものであれば絹製品を購入したいと考え、あるいは
その光沢や手触りに魅力を感じている方が確実に存在することを、示して
いるといえるでしょう。

この兆候をよりどころに、私たちも逆境からの反発力を発揮したいものです。

2016年8月5日金曜日

京都芸術センター「感覚のあそび場ー岩崎貴宏x久門剛史」を観て

京都芸術センターで上記の展覧会を観て来ました。

同センターも私たちの龍池学区の京都国際マンガミュージアムと同じく、
旧番組小学校の明倫小学校跡地を利用した施設です。

歴史の降り積もった小学校の落ち着いた外観や、時が止まったかのような
重厚な内装のたたずまいが、先鋭的な芸術の発表の場として、いたずらに
刺激的ではない良い雰囲気を醸し出していると、感じました。

さて今展のテーマは、「鑑賞者の感覚を研ぎ澄ますインスタレーション」と
いうことで、岩崎の作品では<アウト・オブ・ディスオーダー(コラプス)>の
綿棒やモップなどの清掃用具を使って、極小のアイテムを構成して独特の
壮大な白い風景を眼前に現出している作品が、印象に残りました。

まるで宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の中の、腐海に沈もうとしている
場所の光景のように、ありふれた微小な日用品を使って、この世ならぬ
世界が広がる様に、一面白色に覆われているので冷え冷えとするような、
また遥かな未来風景を眺めるような、独特の感覚を味わうことが出来ました。

久門作品では<Quantize #6>の和室空間を使ったインスタレーション、
日常に見慣れた和室に仕掛けられた光の明滅や障子の枠の微妙な傾きに
注意を集中していると、心地よい水音の中に突然発せられる不気味な異音が、
心を驚かせます。私たちが常日頃忘れがちな五感というものを、改めて
思い出させてくれました。

また<aftaer that>では、時計の針と鏡に覆われたミラーボールがほの明るい
壁面に特有の影を乱反射させ、永遠の時間の流れを体感するような、
あるいは宇宙空間をあてどなく浮遊するような、この世ならぬ感覚を味わい
ました。

猛暑の現実を一時忘れさせてくれる、心が軽やかになる展観でした。

2016年8月3日水曜日

龍池町つくり委員会 31

8月2日に、第49回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、「たついけ浴衣まつり」の結果報告では、当初200名~500名の来場を
想定していたところ、結果として延べ1200名の入場者があり、予想以上の
盛況であったということでした。他にも会場で提供されたかき氷は、約600食が
出て、絵描きのやすの似顔絵コーナーも午後5時~8時で、120~130名の
申し込みがあったということです。

やはり開催日時が祇園祭の先祭りの宵々山と重なり、開催場所も祭りの
歩行者天国と隣接するという地の利、鷹山のお囃子の音響効果、また
会場周囲に提灯をぶら下げて祭りの気分を盛り上げたことも奏功し、さらに
参加者もスタッフも浴衣で集うという解放的雰囲気が、この催しの成功を
もたらしてくれたのだと、私自身も参加して実感しました。

恒例の行事として続けていけたらということで、委員の意見が一致しました。

夏休み恒例の地域のラジオ体操の時間には、杉林さんのカルタ取りが実演
され、今後読み上げの声を機器を使って大きくする方がよいとの意見も
出ましたが、参加した子供たちは楽しんでいたようです。また9月18日~
19日にゼスト御池で開催される「みんなの文化祭」で、このカルタの展示を行う
ということです。

京都外大企画のスタンプラリーは、10月30日に実施されることに決定しました。

2016年7月31日日曜日

鷲田清一「折々のことば」473を読んで

2016年7がつ30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」473では、
奄美群島・沖永良部島の唄から引いた、次のことばが取り上げられています。

 ひちゅはきもぐくる はぎしがたいらぬ かいこむしみより わたやにしき

文化人類学者の今福龍太によると、「人はこころである。外見は重要では
ない。蚕の幼虫を見てごらん。外見は醜いが、はらわたのなかに美しい
絹糸を生み出すすべてが詰まっている」という意味だそうです。

この言葉を読んで私はすぐに、「ぼろは着てても心のにしき・・・」という演歌の
歌詞を思い浮かべました。

心が美しいということは人格の本質に係わることで、私自身もそうでありたと
思いますが、白生地屋の店主としては、絹糸が心の美しさにたとえらている
ことに、感慨深いものを感じました。

というのは最近とみに、洋装にしても、和装にしても、一般の人々の絹離れが
進んでいるように感じるからです。

シルクというものは確かにデリケートで、取扱いに気遣いが必要な部分があり、
効率を優先する現代の生活にあっては、日用使いの品としてそぐわない面も
あるでしょう。

しかしその美しさ、肌触りの心地よさは、長い年月を通して日本人に愛され、
ずっと憧れられて来ました。その伝統としての絹への憧憬が、何らかの形で
残ってくれたらと、切に思います。

2016年7月28日木曜日

漱石「吾輩は猫である」における、ついに学問の価値の問題に至った迷亭の結婚反対論

2016年7月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載74には、
金田の意を汲んで苦沙弥先生宅を訪れた旧友鈴木に、ついに迷亭が学問の
値打ちという尺度を持ち出して、寒月と金田の令嬢との結婚に反対する論を
展開する、次の記述があります。

「しかし智識その物に至ってはどうである。もし智識に対する報酬として何物をか
与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識
以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがない。」

金田夫人の大きな鼻を持ち出して結婚反対論を唱えていた迷亭が、ついに
自身の本音を明らかにしたと、言えるでしょう。

ギリシャにおけるオリンピックの発祥から説き起こして、彼は学識の価値の
至高性を論じます。寒月のような学問に殉ずべき人間が、金にものを言わせる
金田のような成金の娘と結婚すべきではない、という論法です。

この迷亭の考え方は、とりもなおさず漱石の本心をも表しているでしょう。
漱石は学問に真摯に取り組むことの価値を強く信じていたでしょうし、博士号の
拒否事件が示すように、国や一部の権力機構が学問を権威付けることに
よって、学問の純粋さに歪みが生ずることを、懸念していたからです。

この漱石の内に秘めた潔癖さは、苦沙弥先生の不器用だが正義感や優しさ
も持ち合わせる好人物というキャラクターにも、反映されていると感じます。

2016年7月26日火曜日

細田守監督「バケモノの子」を観て

観たいと思っていた「バケモノの子」がテレビで放映されたので、早速観てみ
ました。

この作品は、バケモノと人間の子供の心の交流が物語の中心にすえられて
いて、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の影響なども、随所に見受けられ
ました。

でも私にとって面白かったのは、師匠であるバケモノ熊徹と、その弟子である
人間の子九太(蓮)の関係のユニークさで、粗暴な熊徹が弟子との交感に
よって、武道の技術や精神力を高められ、九太は師匠を教師、時によっては
反面教師として修行を積むことによって、たくましく成長します。

この二人の関係性は、ある意味現代のあるべき父子の姿の一つのようにも、
感じられました。

さて熊徹がこれほど横暴で自堕落なバケモノであるのに、どうして宗師は
彼が自らの後継候補の有力な一人と考えているのか。彼がただ単に強い
から?

これもこの作品を観ていて、私の気になった部分です。

熊徹に自分では表現することが出来ないけれども、強いだけではない
バケモノとしての器量があった。それは強くなる過程で磨かれたものなのか?

熊徹が九太に武術を教えている時、自分の思いをうまく伝えられなくて、
もどかしげに心に剣を持てと言う場面、最後には自らが神の剣となって
九太の心に宿り、この弟子が邪悪なものに立ち向かうための力を与える
場面、剣は人の心の強さや意志を暗示しているようで、熊徹に対する私の
疑問が解けたように感じました。

2016年7月22日金曜日

京都市美術館「モネ展」を観て

マルモッタン・モネ美術館の所蔵品によるモネ展です。同美術館は、医師として
個人的な親交があり、初期からのコレクターとして知られるド・ベリオの
コレクションと、モネの息子ミシェルより遺贈された画家のプライベートコレクション
によってなる、充実したモネ作品の収蔵で有名で、本展もそれらの中から選ば
れた作品によって構成されています。従って従来のモネ展より、会場全体に
親密な空気が流れ、モネの作品と画家自身の新たな一面を見せてくれるように
感じられます。

まず冒頭<家族の肖像>のコーナーでは、同じ印象派の画家として親交の
深かった、ルノワールによるモネとモネ夫人の肖像画が並び、次に画家自身に
よる子息のポートレートが続きます。私の記憶する限りでは彼の肖像画を観る
のはこれが初めてで、特にこれという特色があるわけではありませんが、愛する
息子に対する熱を帯びた眼差しが伝わって来ます。

<若き日のモネ>のカリカチュア作品を観るのも最初で、画家が十代の時に
そのような絵を描いていたとはついぞ知りませんでしたが、風刺画とはいえ
どこか上品で、確かなデッサン力も感じられるので、先達としてブータンが彼に
本格的な絵を描くよう勧めたことが、うなずける気がします。

<収集家としてのモネ>では、彼が手元に置き愛蔵した他の芸術家の作品、
影響を受けた画家、親交のあった美術家、気になる後進の作品が並んで
いますが、それらは概して水彩画、小さな彫刻作品、版画などの小品で、彼が
自室でこれらをめでる様子が想像出来る気がします。

<ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作>では、残念ながら私が訪れた
日にはもう、印象派の代名詞ともなった「印象・日の出」は展示されていません
でしたが、それに代わる「テュイルリー公園」は素晴らしい作品で、光の移ろい
というような色彩効果を中心に描く画家という印象のあるモネの、より写実的で
オーソドックスな風景画においても、優れた画家であるという一面を見せられる
思いがしました。

<睡蓮と花><最晩年の作品>に展示されるのは、晩年のモネが手塩に掛けて
作り上げたジヴェルニーの日本庭園で創作に没頭して産み出した作品群で、彼の
制作活動がより個人的親密さを増した時代の絵画です。気に入りの題材を、
後期の彼の興味の対象である光の移ろい、揺らめきを追い求めながら、飽くこと
なく描き続けた作品たちで、その絵画に賭ける情熱、それによって与えられる
至福の時間、しかしいかなる天才にも終焉の時が訪れるという厳然たる事実が
示されているようで、最後には粛然とした気分に囚われました。


2016年7月20日水曜日

鷲田清一「折々のことば」463を読んで

2016年7月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」463では、
先日亡くなった大阪の古書店の名物店主、坂本健一の次のことばが取り上げ
られています。

 どん底には明日があり 頂上には下りしかない

勇気を与えてくれる言葉です。どん底とは言えないにしても、かなり落ち込んで
いる時、悪い時もあれば必ずいい時もあると思えることは、随分心を奮い立た
せてくれますし、気持ちを前向きにもしてくれます。

頂上なんて経験もないけれど、何か思いもよらないチャンスが訪れそうな時が
あって、もしこの望みがかなったら、その先が恐ろしいんじゃないかと、ドキドキ
させられたこともありました。

悪い時も良い時も、この言葉が示してくれるように、絶望せず、調子に乗らず
という心の持ち方を保つことが出来れば、と感じます。

また同じくものを販売する職業に携わっている人間いう観点から考えると、
坂本のように終戦直後のものが欠乏した時代、本当に人々が必要とする本を
様々な困難に直面しながら提供し続けた商売人としての心意気を、ものが
有り余る時代に人々が必要とするものを提供する術を模索する私にとっても、
もう一度上記の言葉と共に、かみしめてみる意味があると、改めて思いました。

2016年7月18日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、自分の座るべき座蒲団に鎮座する、吾輩をもて余す鈴木

2016年7月15日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載67には、
金田の意を体して苦沙弥のもとを訪れた旧友鈴木藤十郎が、自分のために
用意されたはずの座蒲団に、こともあろうに一匹の猫が悠然とうずくまっている
のを目の当たりにして、戸惑っている様子を記する、次の文章があります。

「堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬという事はあろうはずがないのに、
なぜ早く吾輩を処分して自分の不平を洩らさないかというと、これは全く
鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自重心の故であると察せ
らるる。」

これは見ものの光景です。金田の威光を借り、英国仕込みの背広と金鎖で
身をやつした鈴木が、自分の落ち着くべき座蒲団に、みすぼらしい猫が
悠然と座っているのを眼前にして、追い払うのもこけんにかかわり、されども
この厚かましい猫がしゃくに触って、苦虫を噛み潰した表情で脇に控えている。

とかく底の浅い人物ほど、自分より上の立場の人間には腰をかがめ、下の者
には相手がへりくだることを求めるものでしょう。ましてや、自分が今相対して
いるのが、猫のぶんざいであったなら・・・。

漱石の成金やその取り巻きたちへのきつい風刺が、小気味よく響く文章です。

一方吾輩は、当の鈴木の滑稽な有り様を楽しむように、これ見よがしに件の
座蒲団を占領し続ける。やれやれ苦沙弥先生まで、彼のご立派な肩書きの
名刺を、厠という臭い所に忘れて来たようです。さすがの鈴木の面目も、地に
落ちたものです。

2016年7月16日土曜日

たついけ浴衣まつり開催

7月15日に、京都国際マンガミュージアムで「たついけ浴衣まつり」が開催
されました。

私は店の閉店後午後5時30分ごろ会場に到着しましたが、和太鼓演奏が
すでに始まっていて、沢山の入場者でにぎわっていました。

和太鼓は「祭りっこ」という若い女性のグループが演奏していて、若々しい
掛け声と小気味いいバチさばきで、盛大な喝采を受けていました。

マンガミュージアム恒例のヤッサン一座の紙芝居口演の後、いよいよ
本日第一回目の「鷹山」のお囃子披露が始まりました。

目の前の実演は力強く、迫力があり、臨場感がひしひしと伝わって来ました。
またお囃子披露が回を重ねるごとに、同じお囃子と言っても様々な曲、
奏法があり、曲ごとの情趣があることも、実感しました。

子供たちのお囃子の体験コーナーでは、参加したそれぞれの子供が
真剣な表情で取り組み、祇園祭というものをより身近に感じられるように
なったのではないかと、感じました。

絵描きのやすの似顔絵コーナーも好評で、描いてもらうために並ぶ人の
列が、開催時間中途絶えることがありませんでした。飲食屋台も盛況で、
やきとりなどは最初に準備された分が売り切れて、急いで追加が用意
されたそうです。

京都外大の学生さんたちに手伝ってもらった、鷹山授与品、グッズの
販売コーナーを覗くと、可愛い「犬まもり」「鷹まもり」があったので、思わず
購入しました。

「たついけ浴衣まつり」は多くの参加者を得て成功裏に閉幕し、学区の
初夏の恒例行事として定着しないものかと、感じさせられました。

2016年7月13日水曜日

吉村昭著「天に遊ぶ」を読んで

原稿用紙十枚以下の非常に短い短編小説を編んだ短編集です。吉村昭というと
優れた記録文学、歴史文学の長編で知られていて、私も一度読んでみたいと
思っているのですが、彼の小説の入門書としてはこの短編集が最適という記事を
新聞で見て、まず読んでみることにしました。

上述のようにそれぞれの一編はごく短いものですが、言葉にしにくい人の心理の
微妙なあやが掬い取られていて、彼の小説家としての技量のほどを彷彿とさせ
ます。

各々の作品が読む者の心をかすかに波立たせる余韻を残しますが、私は男女の
性の営みを扱った作品に、とりわけ強い感銘を受けました。

「鶴」は、小説家の桜本が若い頃に参加していた同人雑誌のかつての仲間で、
以降も小説家として芽が出ず、所詮は同人雑誌作家で終わった岸川の五十代
での死を知らされて、しばらく交流もなかったのに義理を感じて通夜に赴くが、
その席で初めて会った、噂には聞いていた、随分以前から岸川が妻子を捨てて
同棲していた二十五歳年上の女性の美しさに驚かされ、その上彼の死因が
腹上死であったことを知って、大きく動揺する話です。

桜本は以前、すでに同棲していた岸川がその女性に遠慮して、彼女との関係を
小説の題材に出来ないことを小説家として甘いと考えていました。つまり、岸川が
小説に向き合う姿勢が不十分なために、自分のように小説家として独り立ち
出来なかったと考えていたのです。しかし当の女性を目の当たりにして、彼の
価値観は反転します。

岸川には小説を書くことよりも、彼女との暮らしを守ることの方がずっと大切だった
のではないか?人生を何に賭けるかということ、はたまた男女の情愛の深淵を
感じさせてくれる作品です。さらには、小説家としての吉村昭自身の価値観をも
はぐらかすような、面白味もあります。

「紅葉」は、重度の肺結核に冒され肋骨切除の手術を受けた、旧制高校生の
野尻君が、山中のひなびた温泉宿に長期逗留する間のある日、襖を隔てた
隣室に泊まった男女が夜に悲愴な声を上げて交わる気配を聞き、翌日その男が
女を巡る痴情の縺れから殺人を犯したとして連行されるのを、目撃する話です。

結核によって若くして死を身近なものとした野尻君が、人を殺し、明日にも
引き裂かれる運命の男女の刹那的な性交を心に受け止めて、何を感じたか?
まるで映画の一場面のように、情景が思い浮かぶ作品です。

本書を読んで吉村が、人間の心理の深層に並々ならぬ興味を持つ作家である
ことを、知らされました。

2016年7月10日日曜日

鷲田清一「折々のことば」454を読んで

2016年7月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」454では、
民藝運動の主導者柳宗悦による、次のことばが取り上げられています。

 不完全を厭う美しさよりも、不完全をも容れる美しさの方が深い。

これは私の思うに、東洋的な美意識でしょう。例えば古い美術品の修復に
しても、西洋では描かれた、あるいは制作された当時の姿そのままに、復元
するという方針のもとに修復がなされる傾向があり、我が国では経年に
よって生じた古色を残しながら、修復する傾向があるように感じます。

更に具体的には陶器の修復に際して、割れた部分に金物をかませて
元の形に戻し、その割れ目の跡、金物を含む姿がその器の味や趣であると
考える美感が、我々の中には存在します。これなどは不完全さをさらに
積極的に評価する審美眼の現れでしょう。

また西洋では従来、庭園の造作において完璧な左右対称の美を指向し、
対して日本庭園では地形の起伏を利用したり、部分部分の美しさの
集合体としての全体を思い描いて、作庭されたように感じます。

つまり西洋の価値観では、自然を超克した美が求められ、日本ではより
自然に則した美が求められて来た、ということでしょう。

私たちが日常に用いる物にしても、今日の工業化社会では手作りの品物を
多く所有し、用いることは難しいにしても、手作りの品に工業製品にはない
温もりを感じさせられるのは、従来より培われて来たこのような美意識の
発露と言えるのではないでしょうか。

2016年7月8日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭の論旨をずらせた寒月と金田の令嬢の結婚反対論

2016年7月5日朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載59には、
迷亭が金田夫人の鼻の巨大さを根拠として、寒月と金田の令嬢の結婚に
反対する論理を展開する、次の記述があります。

「「それ故にこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によりますと、今の中御断念に
なった方が安全かと思われます、これには当家の御主人は無論の事、そこに
寐ておらるる猫又殿にも御異存はなかろうと存じます」」

いやはや、これは傑作です!迷亭はこの珍理論に対して、苦沙弥先生だけ
では飽きたらず、こともあろうに吾輩の賛同まで得ようとしています。

しかし金田夫人の権力や財力を鼻に掛けた傲慢さ、押し付けがましさへの
非難を、その顔に不釣り合いな鼻の存在感にすり替えて、手厳しくやり込める
というのは、諧謔の常套手段とでも言いましょうか、読者はニヤニヤしながら、
同時に胸のすく思いもします。

ちっぽけな猫の吾輩が自らの矜持を失わず人間どもの愚行を笑い、またその
人間の中の一介の教師たる、苦沙弥や珍友迷亭など恵まれない知識人は、
世間で幅を利かす成金の生態を茶化す。

また勿論、吾輩も、その主人一党も、自分たちが平気でやっていることは
傍から見れば十分に滑稽で、罪がない。こんな入れ子状態の話の展開が、
読む者を惹きつけてやまないのだと、感じさせられます。

2016年7月6日水曜日

龍池町つくり委員会 30

7月5日に、第48回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

いよいよ7月15日の、祇園祭鷹山復興支援の「たついけ浴衣まつり」が
近づいて来ました。学区内に催しを告知するカラーポスターも貼り出され、
御所南小学校ともえぎ幼稚園の子供たちに配布してもらうための、チラシも
準備出来ました。

今日は町つくり委員でこの催し担当の森さんより、最終のスケジュール説明、
手伝って頂く京都外大の学生さんたちと、町つくり委員各人の参加時間の
調整と役割分担について、話し合われました。私も店の営業日なので、
営業時間終了後、午後5時30分ごろから手伝う予定でいます。

なお晴天の場合は、京都国際マンガミュージアム・グラウンドで催しを行い、
雨天の時は、AVホールで開催されます。どれだけの反響があるか、楽しみ
です。

京都外大との共同企画スタンプラリーについては、本年は前回の当委員会で
提案された、「たついけ減災マップ作り」を中心に引き続き検討されることに
なって、学区の自主防災会で以前に作成した、災害時の各町の
避難集合場所や、防災をテーマにした学区内の通りの探索などが、ラリーの
キーワードとして挙げられています。

7月25日の恒例のラジオ体操初日には、今年も杉林さん提案のカルタ取りを
行うことになりました。

2016年7月3日日曜日

鷲田清一「折々のことば」446を読んで

2016年7月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」446では、
俳優岸部一徳の次のことばが取り上げられています。

 「あの俳優、知らないうちに見かけなくなったなあ」と言われるような
 消え方をしたい。

存在感のある俳優の、役者としての美学といったところかも知れません。

この言葉を私自身に引き付けて考えると、私も今年とうとう還暦を迎える
ので、店のこれからということに、思いを巡らせました。

業界の厳しい環境や、決まった後継者がいないという現状からも、店を
末永く存続させて行ける保証はなにもありませんが、もし続けることが
可能ならば、そういえばあの頃はあんな店主がいたと、何かの拍子に
思い返してもらえる程度に、静かに退場出来るのが理想だと感じます。

でももちろん現実には、まだまだ老け込む歳ではなく、お客さまの
ご要望に答えられる間は、現役として全力で頑張りたいと思っていますが、
あくまで店としての信用を優先的に考えたいという意味で、こんな想いが
去来したのだと感じます。

いずれにしても、そんなことを考えてしまう年齢になったということでしょう。

2016年7月1日金曜日

白井聡著「永続敗戦論」を読んで

我が国戦後政治体制の実相を抉り出す、気鋭の社会思想、政治学者の論稿
です。

第二次世界大戦の敗戦後、占領期の延長としての日米安全保障条約に基づく
米軍の国内駐留が今なお続く状態を、軍事面の敗北の継続と捉え、その反動
として内心では敗戦を受け入れず、周辺のアジア諸国に対する戦争責任を
面従腹背の姿勢で曖昧に処理しようとしているように感じさせる、日本の政治、
外交政策を形作る深層心理を明らかにします。

白井の論理は実は殊更目新しいものではなく、すでに加藤典洋らによって、
我が国を巡る戦後処理が当時のソ連の影響力の拡大を懸念する米国主導で、
軍部のみに責任を限定する不完全な形で遂行され、その結果国民全体に
敗戦の自覚が乏しいまま、戦前と地続きの天皇制が維持され、非戦を誓う
平和憲法を有しながら米国の軍事力に庇護される”ねじれ”た戦後体制が形成
された、と論じられて来ました。

しかしこの矛盾は、多くの国民が経済的繁栄を謳歌した高度成長期には顕在化
せず、今日まで一般にはあまり注視されることもなかったとも言えます。

ところがバブルの崩壊を経て、長期の経済低迷が続き、最早我々が更なる
豊かさの増大を実感出来なくなり、かつ、貧困が大きな社会問題となり始めた
今日、他方中国、韓国の国力の向上に伴って、我が国との間の歴史、領土を
巡る見解の相違が新たな外交問題として表面化し、沖縄では米軍基地の
県内移転の決定が県民の厳しい抵抗を受け、更に先般の東日本大震災では
安全と信じられていた原発が未曾有の被害をもたらした中で、国や社会の
指導的立場にある人々の責任感の欠如が顕在化し、そのそもそもの根幹を
なす戦後政治体制の矛盾が明らかになって来ました。著者はその現実を我々に
容赦なく突きつけたと言えるでしょう。

私自身は彼の論を読んで、国民の平和憲法受容の経緯や、経済発展に向けた
努力、これまでの豊かな経済力を用いての平和で友好的な外交姿勢を、そこまで
一方的に断罪すべきではないと考えますが、国際情勢や社会環境の急激な変化
に伴って、為政者が内政、外交の両面において国民本位の責任ある主体的な
立場で、政策決定や運営を行うべき要請は今まで以上に高まって来ていると、
ひしひしと感じます。

そのような政治体制を生み出すための指針は、本書には記されていませんが、
結局は国民一人一人がこの国のこれからのあるべき姿について考え、選挙
などの政治行動によって自らの意志を積極的に表明することに尽きるという、
当たり前のことに思い至ります。

2016年6月29日水曜日

永田守弘著「日本の官能小説」を読んで

この本を手に取ったのは、青年時代の記憶に残る感覚を跡付けてみたいという
誘惑によるところが大きかったと、読み終えて感じます。

というのは、私が本書が取り上げるような官能小説を、青年雑誌で読んだのは
今は遥かな青春時代で、その当時に感じた心のざわめきや、微かな後ろめたさ
から想起して、あれから30年以上が経過したこの小説分野の履歴が、性表現の
規制に抗う反体制的姿勢や、日陰を歩む存在としての淫靡さをどのように深化
させて来たかということに、強く心を惹かれたからです。

しかし実際に本書を開いてみると、私のこのような期待はある意味裏切られて、
この本が描こうとしているのは、官能小説における時代の変遷にともなう、
性行為の嗜好及び、描き方の技巧の変化ということでした。

そういう訳で少し期待外れだったのですが、これも本書で初めて知ったごとく、
文芸作品がその猥褻性のために当局の摘発を受けたのは、1978年の富島健夫
「初夜の海」が最後で、考えてみればそれ以降の官能小説は、性表現方法に
おいてフリーハンドを獲得したのですから、反体制や淫靡性の衣をまとう必要も
なくなったわけです。全く私のこの小説分野に対する無知からの妄想が、この本
への興味をかき立てた訳で、私の独り相撲といったところでした。

しかし本書のページを繰り、それぞれの時代の官能小説の文章の引用を読み
比べて行くと、私自身は、まだ性表現への規制が厳しかった時代の描写に、へっ、
こんな文章が猥褻なのと驚かされるものも見受けられましたが、何か核心を
ぼかしながら想像を膨らませるような文章に性の奥行きを感じ、思わずときめいて
しまう場面もありました。

結局、私は最早いにしえの時代の人間である、とも言えるのかもしれませんが・・・

2016年6月26日日曜日

鷲田清一「折々のことば」439を読んで

2016年6月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」439では、
経営者で作家の平川克美の「言葉が鍛えられる場所」から、次のことばが
取り上げられています。

 ひとは自分が思っているほど、自分のために生きているわけではない

この言葉を読んだとたん、正直私は戸惑いました。なぜなら私は、恥ずかし
くて決して口には出しませんが、内心、家や家族や店のために生きるべき
だと考え、常日頃それを実践しているつもりでいるからです。

でもよくよく考えてみると、それは都合のいい口実で、そのお題目を隠れみの
にして、自分の思い通りに振舞っていないでしょうか?

あるいはその大前提を守るために、自分自身に何かと犠牲を強いていたり、
やりたいことに積極的に取り組めないと、被害妄想的心情に陥っていないで
しょうか?

人は自分のために生きているわけではないと、認識しているはずの自分の
自己欺瞞!逆説的な言葉に触れて、かえって日頃の自分の思いについて
もう一度振り返らされた気分です。

それは私が、知らず知らずに陥ってしまっているおごりへの、気づきでも
なければならないでしょう。

 

2016年6月24日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭による金田夫人との法螺の価値比べ

2016年6月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載52には、
苦沙弥先生の細君が、迷亭が金田夫人に発した法螺話に感心したのに対して、
彼が自分の法螺と夫人の法螺を比較して自らを弁護する、次の記述があります。

「「しかし奥さん、僕の法螺は単なる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂胆が
あって、曰く付きの嘘ですぜ。たちが悪いです。猿智慧から割り出した術数と、
天来の滑稽趣味と混同されちゃ、コメジーの神様も活眼の士なきを嘆ぜざるを
得ざる訳に立ち至りますからな」主人は俯目になって「どうかな」という。妻君は
笑いながら「同じ事ですわ」という。」

こじつけもはなはだしく、思わず微苦笑してしまいます。金田夫人の他人の都合も
頓着しないで、手段を択ばず、何が何でも自らの目的を果たそうとする傲慢さ、
そのための狡知を迷亭は彼女の下品な法螺と断じ、自身の教養を悪用した、罪の
ない他者を困惑させ、振り回す嘘を、高尚な法螺とうそぶいているのです。

苦沙弥や細君が言うように、どっちもどっちとも思われますが、私のような読者と
いう第三者の立場から見ると、時の権勢を笠に着た成金の夫人を迷亭が茶化す
姿は、何か胸がすく思いがします。

これはこれで、彼がわざわざコメディーの神様まで持ち出して自己弁護する意味も、
あるのではないでしょうか?

2016年6月22日水曜日

鷲田清一「折々のことば」435を読んで

2016年6月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」435では、
仏文学者多田道太郎の「しぐさの日本文化」から、次のことばが取り上げられて
います。

 はっきりいえば、私たちは他人の「涙」に泣くのではなく、他人の抑制に泣く
 のである

考えてみれば、言い得て妙のことばでしょう。私たちは、例えば肉親とか、自分に
縁や関わりの深い人々の涙には、ストレートに共感して一緒に泣きたくなるかも
知れませんが、交流もない人や、第三者の涙に共鳴するためには、一定の条件が
必要なように感じられます。

その条件の有力なものが、「他人の抑制に泣く」ということではないでしょうか?

例を挙げると、ニュース映像やドラマの中で、自分を支配しそうになる悲しみに
必死で涙をこらえている人が、思わず一筋の涙を頬につたわせた時、観ている
私たちもジンと来て、ついついもらい泣きしそうになることがあります。

反対に、突然激しく泣きじゃくる人に出くわし、その場の状況からある程度、
その人がなぜ感情をあらわにしているのか推測出来ても、私たちがその行為に
共感を覚えなければ、その仕草が奇異に映ったり、時には滑稽に思えたりする
こともあります。

悲しみの抑制という感情の処し方は、私たちもいやというほど経験していること
なので、例え縁もゆかりもない人に対しても、その場面を目撃してしまったら、
こちらの涙腺も思わず緩むのかも知れません。

2016年6月19日日曜日

滋賀県立近代美術館「ビアズリーと日本」展を観て

ビアズリーというとすぐに、オスカー・ワイルド「サロメ」の退廃的なモノトーンの
挿画が思い浮かびますが、私には実際それ以上の知見はなく、そのイラストの
発散する怪しげな雰囲気から、漠然としたイメージを形作っているに過ぎません
でした。それゆえ本展の開催を知って、少しでも彼の実像を知ることが出来たら
と、会場に足を運びました。

事実、勝手に思い描くイメージとは恐ろしいもので、ビアズリーはてっきり怪異な
風貌をまとった人物であると思っていましたが、本展冒頭に展示された肖像写真
は、神経質そうではありますが端正な印象を写し出しています。知識が乏しい
にも係わらず、闇雲にイメージを膨らませることの危うさを、図らずも実感した気が
しました。

さてモノトーンの彼の原画は、実際に観ると繊細、緻密で、白黒の微妙な階調も
限りなく美しく、まるで宝石箱の中のような趣があります。その上、限定された枠の
中に納まる構図にはあっと驚く大胆さがあり、描き出された図像には諧謔、ウィット
がほの見えます。

彼の斬新で美しい挿絵で装飾された書物が出版された時、例えば「サロメ」で
あれば、内容のセンセーショナルさも相まって、大きな熱狂をもって読書界に迎え
入れられたに違いないことが、見て取れます。このような感慨を抱かせることこそ、
直に美術作品としての原画、あるいは出版当時を彷彿とさせる原版本を観ること
の醍醐味でしょう。

ところで、これらの展示品はビアズリーの天才を余すところなく示してくれますが、
19世紀末のイギリスで彗星のごとく現れ活躍した彼が、時代の影響を否応なく
受けていることも伝えてくれます。

彼の作品は、構図や草木を用いた装飾の扱い方において、当時ヨーロッパ美術界
を席巻したジャポニズムの影響を色濃く受け、その日本趣味の吸収は、確実に
作品の光輝を増しています。またこの時代の出版技術の飛躍的な向上が、彼が
絶大な名声を得る土台を作り上げたのです。

ビアズリーのイラストの魅力は、日本的な美意識を内包していることもあったので
しょう、いち早く我が国にも伝わり、盛んに紹介されると共に、挿絵画家を中心に
近代の日本美術界に大きな影響を与えました。

本展の掉尾では、彼の影響を受けた我が国の創作家たちの版画、デザイン作品が
多く展観されています。観ている内に私も、かつて目にしたことのあるこれらの作品
を通して、知らず知らずの間にヨーロッパの美術のエッセンスの洗礼を受けていた
のかと、気付かされます。

本展は、近代の日英の文化が互いに影響を及ぼし合いながら、広がり、育まれて
いった好例を示す、展覧会です。

2016年6月17日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月の聞き合わせに来た、金田夫人の質問の変遷

2016年6月17日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載49には、
自分の娘を寒月に嫁がせるべきかどうか探るために、彼と親しい苦沙弥
先生宅を突然訪れた金田夫人と、苦沙弥、迷亭の滑稽なやり取りの内、
夫人の曲がりなりにも高尚な質問が、次第に下世話になって行く様子を
活写する、次の記述があります。

「「寒月さんも理学士だそうですが、全体どんな事を専門にしているので御座い
ます」

 「御話は違いますがーこの御正月に椎茸を食べて前歯を二枚折ったそうじゃ
御座いませんか」

 「何か御宅に手紙かなんぞ当人の書いたものでも御座いますならちょっと
拝見したいもんで御座いますが」」

それにしても厚かましい夫人です。相手の都合も考えないで突然やって来て、
ずけずけとフィアンセ候補の人となりを確かめにかかる。当時の所謂成金を
冷笑的に描いたキャラクターでしょうか?

しかし、苦沙弥、迷亭も負けてはいない。相手の無学を逆手にとって、夫人の
気炎を見事に殺いでみせます。

すると質問は次第に下世話な方に流されて、迷亭の独壇場の滑稽話に落ちて
行きます。

2016年6月15日水曜日

鷲田清一「折々のことば」428を読んで

2016年6月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」428では、
NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」から、新人タイピストとしてやっと会社に
就職することが出来た主人公常子が、男性上司からも、先輩女子社員からも
まともに相手にしてもらえなくて、自ら買って出た残務をうつうつとこなしている
時に、老年の給仕さんから1個のキャラメルを手渡され、言われた次のことばが
取り上げられています。

  がんばる人にご褒美

このシーンを私もテレビで見て、何かほっとさせられました。

自分が果たしてこの会社でやっていけるのだろうかと、孤立無援で、絶望感に
囚われている時に、その会社を長く底辺から支える給仕さんからこんな風に
励まされたら、例え常子でなくても救われるでしょう。

戦前の会社の、圧倒的な男優位の社会で、職業婦人の悲哀をひしひしと感じ
させられている彼女に、そんな序列を超越したところにいる人から励ましの
言葉を掛けられるというのは、ある意味上司や先輩から上から目線で言葉がけ
されるより、ずっと心に響くと思います。

忘れられないシーンです。

さて人に褒められるというのは、誰にとっても嬉しいことで、私もしてもらって
嬉しいことは、こちらからも率先して人に示せたらと心掛けていますが、
ご褒美という点からいうと、概して自分へのご褒美という考え方は、自らを
甘やかす場合が多いと思い当たります。その点は自戒しなければと、そんな
ことも上記のことばから連想してしまいました。

2016年6月13日月曜日

井上達夫著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」を読んで

リベラル、リベラリズムという言葉を頻繁に耳にはしますが、それが具体的に
どのような理念、信条を意味するのかよく分からないとこらがあったので、
本書を手に取りました。

実際に開いてみると、著者は法哲学者ということで、かみ砕いて書いてある
はずなのに専門用語が頻出して、私には十分に理解することが出来ません
でした。それゆえ、本書から感触としておぼろげながら受け取ったものを、
以下に記してみます。

まずリベラリズムとは何かと考える時、その歴史的起源としては「啓蒙」と
「寛容」が挙げられるといいます。啓蒙は理性によって因習や迷信を打ち破り、
人間の精神を解放することを意味し、他方寛容は互いを許し合うことによって、
宗教的対立を緩和することを意味します。

しかし両者には長所、短所があり、それを再編強化するためには、「正義」と
いう概念が重要になると、著者は述べます。またその正義の基準としては、
当事者相互の立場における公正が求められます。

このように要約してみても、私にはなかなか具体的なイメージが浮かび
ませんが、次に語られた現代日本の政治的課題に対する著者の見解は、
リベラリズムとは何かということを理解するために、一定のヒントを与えて
くれるように感じました。

つまり学校現場での国歌斉唱、国旗掲揚の問題では、愛国心の強制に反対
することは、愛国心に反対することではなく、これを批判する人はそこを混同
しているということ。ドイツと日本の第二次世界大戦後の戦争責任の取り方に
ついては、ドイツの方が日本より誠実な対応をしているというイメージが定着
しているのに対して、必ずしもそうではない点についても留意すること。また
憲法九条の戦争放棄の条項が、非現実的ゆえに削除すべきであるということ、
他方政府による安全保障面の解釈改憲は、立憲主義の精神をないがしろに
しているゆえに非難されるべきであるということ、などです。

ここで著者が標榜するリベラリズムは、法というものを国家を介して、政治や
慣習、すべての既成事実に囚われることなく、万人に等しく自由と権利を
もたらすための規範として、厳正に規定、運用すべきものと捉える考え方で
あると、私には感じられました。

法律というものも、あくまで生身の人間が制定し、運用する以上、不完全な
部分や社会環境の変化によって時代に不整合な部分も生じて来るに違い
ありません。

殊に我が国では、経済の成熟化に伴って、新たな社会の枠組みを作り上げる
ことが緊急の課題となっている現在、その社会に相応しい法を作り上げる
ためには、リベラリズムのいう正義と公正という概念がより重要になって来ると、
思いました。

2016年6月10日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、ばつの悪い苦沙弥に可愛がられる吾輩

2016年6月7日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載42には、
迷亭に痛いところを突かれた苦沙弥先生が、膝の上に寝そべる吾輩を
我知らず撫でる様子を描写する、次の記述があります。

「「歌舞伎座で悪寒がする位の人間だから聞かれないという結論は出そうも
ないぜ」と例の如く軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人を顧みながら次の間へ
退く。主人は無言のまま吾輩の頭を撫でる。この時のみは非常に丁寧な撫で方
であった。」

猫の鋭い人間観察にかこつけた大変ユーモラスな表現です。こういう描写が
散見されるのが、「吾輩は猫である」の大きな魅力でしょう。

先般、苦沙弥の宅に迷亭、寒月が集まった時に、迷亭の松の木で首を括り
損なった話、寒月の橋から川に飛び込み損なった話、という自殺願望とも取れる
話題が出た時、主人もついつい変な対抗意識から、細君と歌舞伎座に出掛ける
時に突然悪寒に襲われたという、間の抜けた話を披露してしまいました。

迷亭はその話を暗にほのめかして先生をからかい、一方の当事者の奥さんは
呆れて苦笑しているの図、といったところでしょうか。

鈍感な先生も流石にばつが悪く、吾輩の頭を撫でることによって、その場を
やり過ごそうとしているのでしょう。

何だか人間にはそんな滑稽な部分があって、憎めないものだということを、
再認識させられた気がします。

2016年6月8日水曜日

龍池町つくり委員会 29

6月7日に、第47回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

本日のテーマは、7月15日の鷹山のお囃子を聞く「2016年たついけ浴衣
まちり」と、「たついけスタンプラリー」、学区の防災活動についてでした。

まず「浴衣まつり」については、告知ポスター、チラシが出来上がりました。
これらを学区内の各町内、地域の小学校、幼稚園等に貼り出したり、配布
して、周知を計る予定です。

「浴衣まつり」の中のイベントとしては、新たに和太鼓の演奏が加わることに
なりました。さらににぎやかな催しになると、思われます。

「鷹山」は復興に向けて、専門的な観点から調査を行う、鷹山調査委員会が
この度発足し、いよいよ復活も現実味を帯びて来ました。このイベントの
盛り上がりが期待されます。

次に「スタンプラリー」では、イベント案が京都外大の小林さんより提示され、
「たついけみどりマップをつくろう!」と、「たついけ減災マップをつくろう!」の
2案を中心に検討されることになりました。

「みどりマップ」は、昨年度能戸さんが実施したマップ作りを参考に、地域の
親子と一緒に学区内の緑を探索しながら、マップ作りをするというもので、
「減災マップ」は、災害が起きた時に備え、避難場所や地域の危険なところ、
便利なところを実際に確認しながら、マップを作るというものです。

検討の結果、「減災マップ」作りは地域の防災活動ともつながるので、私の
所属する龍池自主防災会とも連携しながら、この案を中心にさらに詳細を
つめて行くことになりました。

学区の防災活動については、6月9日に各町の自主防災部長を兼ねる
町内会長に集まって頂く龍池学区自主防災会の総会、11月13日に決定した
本年の防災訓練について、私が報告しました。

2016年6月5日日曜日

鷲田清一「折々のことば」419を読んで

2016年6月4日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」419には
建築家山本理顕の「住居論」から、次のことばが取り上げられています。

 ”共に”という視点を外した住み方を”住む”とは呼ばない。

学区内の町家を含む、主に一軒家に住む旧住民と、新しく建ったマンション
住まいの新住民の交流の活発化を願う、自治連合会の活動に携わる
私たちとすれば、心強いことばです。

同じ地域に住む住民同志が、例え生活に対する価値観やものの考え方が
違っていても、互いに交流を深め、意思疎通を計ることは、地域をより安全で
住みやすい環境にするためにも、必要なことです。

例えば、近頃頻発する地震に対する備えにしても、住民間の防災意識が
共有されていなければ、いざという時の円滑な避難や、救援物資の配布が
行われ難いことが考えられます。

また、新旧を問わぬ住民の核家族化、高齢化という傾向の中で、幼児を
抱えた母親や、高齢者を孤立させないように、それらの人々が地域との
連携を保つためにも、地域の自治活動に携わる者と、個々の住民との
コミニケーションを密にすることが必要でしょう。その点においても、
新住民の状況を把握することが課題となっているのです。

さらには、冒頭のことばに立ち返れば、新住民、旧住民の住環境や価値観が
違っているからこそ、もし互いに意見を交換することが出来れば、地域の
暮らしをより豊かにすることになるのではないでしょうか?

そんなことも、夢想しました。

2016年6月3日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、細君をけむに巻く迷亭の苦沙弥先生の人物評価

2016年6月3日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載41に、
苦沙弥先生の帰りを待つ、友人の迷亭の話し相手をしながら、思わず主人の
苦情を申し立てる先生の細君を、この友人が何とも不可思議な人物評で翻弄
する、おかしな描写があります。

「その次にねー出づるかと思えば忽ち消え、逝いては長えに帰るを忘るとあり
ましたよ」

「奥さん、月並みというのはね、先ず年は二八か二九からぬと言わず語らず
物思いの間に寐転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に
遊ぶ連中をいうんです」

何とも人を食った、迷亭らしい物言いです。思わずニヤリとしてしまいました。

始めの言葉は、ある文学雑誌の苦沙弥先生の文章評についてで、彼の文章は
雲をつかむように曖昧模糊で、その上何を言おうとしているのか分からず、流れ
去ってしまうといったところでしょうか?そのくせ、これは好意的な評価だと、
言っています。

次の言葉は、先生を月並みでないと誉めておいて、では月並みとはどういう
ことかと、例えでもって説明するための物言いです。苦し紛れに脈絡のない
常套的な表現を並べて、お茶を濁しています。

この当時は先生、迷亭らの知識人と先生の奥さんなどの普通の人々との文化的
ギャップが大きく、こんな笑い話が生まれるのでしょう。今を生きる私たちの
価値観からすると、嫌みがないのが素直に読める要件です。

2016年6月1日水曜日

鷲田清一「折々のことば」415を読んで

2016年5月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」415には
魯迅の短編「故郷」より、次のことばが取り上げられています。

 希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど
 地上の道のようなもの

このことばを読んで、私はすぐに高村光太郎の詩「道程」より、私の好きな
言葉ー僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る。ーを思い浮かべました。

というのは、光太郎の詩のなかのこの言葉から、私は希望を感じ取っていた
からです。

この表現は、取りようによってはエリート意識を含むとも、人生に対する傲慢な
態度を示しているとも思われなくはないですが、彼はそんな狭い料簡ではなく、
悩み抜いた末に見えて来る救いの道に、この言葉を重ねたと理解したのです。

同様に魯迅も上記のことばに託して、希望とはその存在を信じ、その信念の
下に歩むことを続けることによって、初めて開かれるものであると、述べようと
しているのではないでしょうか?

私たちはとかく思うように行かず、制約の多い人生の道行きの中で、ついつい
希望というものを見失い勝ちですが、道の先のはるか彼方に、見据えるべき
ものを持つことは、自らをもう一度奮い立たせる糧になると、今は信じています。

2016年5月29日日曜日

「京都国際写真祭」堀川御池ギャラリー会場2階の展示を観て

さて1階会場で新生児の生の息吹に触れ、高揚した気分で2階会場に赴くと、
そこでは、立命館大学国際平和ミュージアムとの共同企画、「WILL:意志、
遺言、そして未来ー報道写真家・福島菊次郎」が開催されていて、厳しい
現実の容赦ない提示の前に、粛然とさせられました。

福島は我が国を代表する報道写真家の一人で、広島の被爆被害、水俣病を
初めとする環境問題、全共闘運動、三里塚闘争、自衛隊と兵器産業など、
戦後日本の直面した諸問題を容赦なく告発し、歴史の負の側面に光を当てて
来ました。

その視線は常に被害に苦しむ弱い立場の人々に注がれ、為政者や加害企業
などの権力を有する側が、隠蔽を画する都合の悪い事実に深く切り込み、
広く社会に実情を提示することによって、弱者救済や、不正を正すことを
訴えました。

本展は、福島が生前に制作し、解説を加えたベニヤ製パネルを中心に構成し、
彼の活動の足跡を振り返る写真展となっています。

それらのパネルを順を追って観て行くと、戦後生まれの私が成長の途上で
報道あるいは実体験として接した、様々な暗く、重い現実が目の前に
よみがえり、暗澹とさせられます。またある事件などは一時の狂騒にも似て、
苦い現実として記憶されているものもあります。

しかし福島の原発事故や現政権の憲法の解釈改憲の実施に触れると、この
報道写真家が告発したものと地続きの問題が、今も切実な問題として私たちの
眼前に存在していることを、感じます。

そういうことを思い起こさせてくれる、重い展観でした。

2016年5月27日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、悪者扱いされる傷心の吾輩

2016年5月27日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載36に、
好意を寄せる三毛子が亡くなったことを知って、落ち込んでいるのにも
関わらず、彼女の死があたかも自分のせいであるかのように、彼女の
飼い主である二絃琴の御師匠さんとその下女に散々そしられて、傷つく
吾輩の様子を記する、次の文章があります。

「吾輩はその後野良が何百篇繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき
談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万
八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いをした。」

読んでいて、吾輩が不憫でなりません。猫の心人知らず、と言ったところ
でしょうか?

それにしても御師匠さんに象徴される人間は、自分の可愛がっている猫は
あたかも大切な人のように扱い、よその猫は風采が上がらないといって
かたき扱いする、はなはだ身勝手な存在です。

また三毛子が死んだからといってわざわざ坊さんにお経を挙げてもらったり、
戒名を付けてもらうなど、自分たちの価値観、宗教観で弔って、相手も
浮かばれると自己満足している、大変おめでたい存在でもあります。

その点吾輩には、結果として理解のある放任主義者の飼い主苦沙弥先生が
付いていて、伸び伸びと猫ライフを楽しめます。

彼にも、十分に恵まれたところがあるのです。

2016年5月25日水曜日

「京都国際写真祭」堀川御池ギャラリー会場1階の展示を観て

新聞でこの写真祭の告知を目にして興味を覚えたので、堀川御池ギャラリー
会場に足を向けてみました。

1階では、フランスの写真家ティエリー・ブェットによる「うまれて1時間のぼくたち」
が開催されています。

この展示では、純白の円筒状にしつらえられた展示スペースに入り口をくぐって
入ると、円筒の内壁に、大きな正方形のフォーマットをとった、生後1時間以内の
表情豊かな新生児のアップのポートレート写真が一面にぐるりと並び、一瞬
母体の子宮内に迷い込んでしまったような錯覚に襲われます。

生まれて1時間以内というのに驚くほど表情が多種多様で、何かその子が
大人になった後の性格や風貌が想像されるような、あるいは、世界の色々な
人間が色々な場面で作る表情が、これらの赤ちゃんの表情の内に出尽くして
いるような感慨を抱きました。

人間なんて所詮、生まれてから大人になるまでそんなに成長しないものなのだ、
とも思われますし、また新生児が母体から生まれ出て来るということは、一つの
衝撃的な出来事で、赤ちゃんもその子なりに試練を乗り越えて、ワンランク
成長したのだ、とも言えるのではないでしょうか?

またここに写し取られている新生児は、全て人工授精で命を授かったということで、
生命というものが人間によって操作される可能性が広がる時代にあって、やはり
生命の尊厳は一線を超えては侵しがたいものであること、しかし人が自らの幸福の
追求、つまりは自分の子供を持ちたいという基本的な欲求を、どこまで叶える
ことが出来るのかということとの折り合いを、どこでつけるべきかということなど、
複雑で、デリケートな問題について、この展示は多くを語り掛けているように感じ
ました。

2016年5月23日月曜日

京都高島屋グランドホール「第45回日本伝統工芸近畿展」を観て

今回の伝統工芸展も、仕事とつながりがあり、興味も持っている染織を中心に
観て来ました。

今展では人間国宝や看板作家の作品に、さすがの充実した技量を感じさせ
られました。

森口邦彦の友禅訪問着「こもれび」は、淡いグレー地に一面にあられを散らした
ような撒きのりと線の表現だけで、従来の幾何学的で硬質なイメージを超えた
微妙で柔らかな表情を醸し出し、華やぎのある作品になっていると、感じました。

福田喜重の駒塩瀬名古屋帯「繫」は、非常に細かい点のつながりで表現された
単色の刺繍の不規則な網目状の空間の要所要所が、これも微妙な色合いの
色糸の刺繍の点のつながりで埋められて、繊細な中にもリズミカルで、詩情の
あふれる作品になっています。

村上良子の紬織着物「若葉の斜景」は、肩の辺りが微妙にぼかされている、
全体としてはやや生成りがかったクリーム系の地色の裾に、派手に主張は
しないが、何とも言えず美しい緑色の模様が斜めに織り込まれて、平板に
なりがちな紬織の着物に、たおやかさと奥行きを生み出しています。また
草木染の色の豊饒さも、堪能させてくれる作品です。

これらの作家は、従来の仕事によってすでに高い評価を受けて来ていますが、
時代の状況も踏まえ、常により優れた作品を作り出そうとする姿勢に、強い
感銘を受けました。

2016年5月21日土曜日

鷲田清一「折々のことば」403を読んで

2016年5月19日朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」403では
批評家ロラン・バルトの次のことばが取り上げられています。

 愛する者たちを語るということは、彼らが生きたのは(そして・・・苦しんだ
 のは)<無駄>ではなかったことを証言することです。

自分がどれだけその人を愛したかということをいくら語っても、それは所詮
自己満足に過ぎないかも知れません。

愛する人を語るということは、相手の立場に立ったなら、結局その人の生が
どれだけ意味があったか、あるいは、その人が自分にどれだけのことを
してくれたか、ということを述懐することになるのではないでしょうか?

私のような市井の者でも、敬愛する今は亡き人を思う時、その人との
関わりを思い、その人から受けた恩恵を思います。また、その人がいかに
素晴らしい人であり、いかに価値ある人生を生きたかを想起したくなり
ます。

人生というものが多くの場合苦難に満ちたものであり、それぞれの生に
物語が隠されている以上、せめて愛するひとに対してはその生を肯定
したい。

そうすることが、自分の生にも意味を見出すことに、つながるのでは
ないでしょうか?はなはだ抽象的ながら、上記のことばに接して、思うままを
記しました。

2016年5月18日水曜日

長嶋有著「佐渡の三人」を読んで

佐渡の先祖伝来の墓に、親族の遺骨を次々に納めに行く珍道中を描く、連作短編
です。

長嶋有は芥川賞受賞作家ですが、私は今まで彼のことをほとんど知らなくて、今回、
朝日新聞の日曜読書面で、この本を同じく芥川賞作家羽田圭介が推薦している
のを見て、手に取りました。

それゆえ本連作の主人公が女性作家なので、最初てっきり作者は女性小説家だと
思い込んでいましたが、偶然Googleで検索して男性作家だと知り、この本を
読み進めることが俄然味わい深いものとなりました。

しかし本書は、一貫して親族の納骨と葬儀を描くのに、じめじめしたところは微塵も
なく、さばさば、からっとして独特の肌触りがあります。それでも全編に何か温かく、
ほのぼのとしたものが流れ、読後肩の力が抜けるようなさわやか気分を味わう
ことが出来ました。

その理由を考えてみると、佐渡の御殿医に端を発するこの一族の人間たちが
ことごとく個性的で、自分の生きたいように生きていること、互いに余り干渉せず
適度な距離を取っているが、それでいて親族としての緩い絆は確かに存在して、
親子の情、相手を思いやる心を持ち合わせていること、そして何より、男性作家が
女性に成りすまして、醒めた目線で語り部を務めていること、が挙げられると思い
ます。

主人公道子先生を初め、そのような親族の面々が、代わる代わる亡くなった
隣のおばちゃん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、隣のおじちゃん、それぞれの
思惑はともかく、遺骨を父祖の地に納めるべきだと、佐渡への珍道中を繰り返し
ます。

そこから浮かび上がって来るのは、家族にとってその一員の死とはどういうことで
あるか、祖父母世代の死によって残された家族が失うもの、受け継ぐもの、新たに
生まれるものは何か、ということであるように感じられました。

またこの作品は死を大きなテーマに据えていますが、高齢者介護についても
示唆を与えてくれると、高齢の母と生活を共にする私には感じられました。

すまわち道子先生の弟は、引きこもりになり定職に就かず、再婚した父親にも
反発して寝たきりの祖父母の家に居候し、ネットゲームに興じながら介護を担当
しているがその姿がきわめて自然体で、また祖父母の死を通して彼が社会との
つながりを取り戻して行く様子も見て取れて、介護においては、将来への展望の
なさに対する不安に必要以上に囚われることなく、彼のように肩の力を抜くことも
必要であると、感じさせられました。

私にとっては色々と考えさせてくれる、有用な小説でした。

2016年5月16日月曜日

スヴァンテ・ぺーボ著「ネアンデルタール人は私たちと交配した」を読んで

ネアンデルタール人のゲノムの解読に初めて成功した、分子古生物学者の自伝
です。

それにしても私のような一般の人間でも、私たちホモ・サピエンスとネアン
デルタール人の間に性的関係があったのかどうかということは、十分興味を
引かれる話題です。

そんな訳で本書を手にしましたが、ゲノム解明に至る過程は、難題の続出による
試行錯誤の繰り返しや、他の研究者との一刻を争うせめぎ合いなど、想像以上に
スリリングなものでした。

ゲノムといっても、生物の細胞に内蔵される遺伝子情報ぐらいの認識しかない
私にとって、現存生物のゲノム解読もなかなか実感のつかめない話で、ましてや
数万年前に死滅した古生物のゲノム解明など、途方もないことに思われます。

しかし遺伝子を巡る分子生物学の進歩は目を見張るものがあり、それに平行して
古生物の遺伝子研究も目覚ましい発展を遂げていることが、本書を読むと了解
出来ます。正にその最前線に位置するのが著者です。

ですが輝かしい研究成果を上げるに至った彼の研究者生活も、決して当初より
成功を約束されたものではありませんでした。一時は臨床医になることも考えた
医学生時代に、幼少の時分より興味のあったエジプト考古学と分子生物学の
融合を思いつき、分子古生物学の領域に進みます。

古代の化石から抽出されたDNAには必ず、劣化、異変そして現代のDNAの混入が
あり、その特定に苦慮しながら、ネアンデルタール人のゲノム解読という格好の
研究対象を見出しますが、最初は到底実現困難なことに思われます。

しかし自身と研究チームの卓抜なアイデアや血のにじむ努力、研究技術の
飛躍的な向上や研究に適した新たな化石の発見など幸運にも恵まれ、遂には
ゲノム解明に至り、結果として現生人類とネアンデルタール人の交配という
衝撃的事実を明らかにします・・・。

彼の研究者としてばかりではなく人間としても素晴らしいところは、初期の志を
首尾一貫して貫徹する情熱と強い意志を持ち続けたこと、研究成果を十分な検証を
経るまで発表しない誠実な人柄、そして折にふれて、スタッフや研究仲間に気遣いを
見せる優しさにあると、感じられました。

本書の中の心に残る言葉は、人間と類人猿の違いは、人間には類人猿にはない
他者をおもんばかり、真似る能力があるというもので、その能力ゆえに人間は今日の
文明を営々と築き上げることが出来たということです。

著者の優れた研究も彼一人によって成し遂げられたものではなく、その分野に
関連する様々な科学者、技術者、研究者の努力の総和として生み出されたものです。
その点において人類は互いに学び、協力し合うことによって、未来に向けてより良い
社会を作り出す可能性を秘めていることも示してくれる、啓蒙的な書でした。

2016年5月13日金曜日

鷲田清一「折々のことば」397を読んで

2016年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」397に
ある飲み屋の常連客の女性がもらした、次のことばが取り上げられています。

 きょうは私の日じゃない

一つの空間に人と人が居合わせたり、あるいはそこで互いのコミニケーションを
図る時、心地よい関係を保つためには、場の空気というものが大変重要で
あると、経験上も感じます。

例えば店でお客様のお相手をしている時、一対一なら個人的なコミニケーションの
良否の問題ともいえますが、一つのグループで複数のお客様がおられる場合、
あるいは互いには面識のない複数のお客様が同席しておられる場合には、
その場の雰囲気がとげとげしかったり、いらだちを含むものにならないように
腐心します。

もしそのような雰囲気になったら、商談もスムーズには進みにくいし、お客様に
私たちの店に対して好ましくない印象を残す恐れがあるからです。

それほど場の空気は大切なものだと、私は思います。でも他方、お気に入りの
飲み屋の常連客が、上記のことばのような達観の持ち主であるとしたら、十分に
その女性は人生の楽しみ方の達人であると感じます。私もそうありたいものですし、
これほど気に入っている行きつけの店を持ちたいものです。

一方場の空気というと、近頃は広く共有されにくくなって来ているようにも感じます。
例えばテレビの時代劇で、登場人物間のいわゆる腹芸が見られないのも、これが
原因ではないでしょうか?役者が昔に比べればおおげさな感情表現を伴う演技を
して、私のような古い人間は、かすかな違和感を感じることがよくあります。

2016年5月11日水曜日

龍池町つくり委員会 28

5月10日に、第46回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、龍池自治連合会総会に向けての、町つくり委員会の報告書、並びに
新年度の事業計画書について検討がなされました。

続いて7月15日(金)に開催予定の、マンガミュージアムで浴衣を着て鷹山の
お囃子を楽しむ催しの具体的な案が、担当の森さんより説明されました。

催しは「たついけ浴衣まつり」と名打ち、浴衣を着て祇園祭を楽しみ、鷹山の
お囃子を通して地域の交流を計るという目的で、17:00~20:30の予定で
実施します。

浴衣まつりでは、鷹山のお囃子を始め、子供たちのお囃子体験、絵描きの
やすさんによる「似顔絵コーナー」、マンガミュージアムによる飲食の屋台
コーナー、ゲームの夜店コーナーを設営、他にも龍池体育振興会による
かき氷のコーナーなど、さまざまに盛り上げる予定です。

次に秋に実施予定の京都外国語大学南ゼミとの共同企画、「たついけ
スタンプラリー」では、本年はカルタプロジェクトで作成したカルタを活用して、
従来とは違う、地域外部から見た「龍池の魅力」を見付けるという視点から、
子供だけではなく、大人の参加も促す催しにしたいという抱負が、担当の
小林さんと南先生より語られました。

最後に私事ながら、今年度より私が龍池学区自主防災会会長に就任した
ことにちなんで、防災という観点から地域の安全について話し合いました。

やはり町つくり委員会の課題と同じく、地域のコミュニケーションを活性化
させるということ、自分たちの地域は自分たちで守るという意識を高める
ということが肝心で、自治連の他の組織とも連携して、学区民に意識付け
出来る工夫をして行きたいと考えています。

2016年5月9日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、猫の人間に対するスタンス

2016年5月9日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載23に
主人苦沙弥先生を初めとする、周囲の人々のいかにも滑稽な言動に、猫の
吾輩が感慨を吐露する、次の記述があります。

「第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなもの
だろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。
主人はいよいよ柔かに頭を撫でてくれる。人を笑って可愛がられるのは
ありがたいが、聊か無気味な所もある。」

思わず微苦笑せずにはいられない物言いです。主人の立場になれば、
頭を撫でてやっているから、この猫はさも気持ち良さげに咽喉を鳴らしている
のだろうと解釈して、可愛いやつめと感じているでしょう。

ところがどっこい猫の方では、主人と客のやり取りに呆れて、人間とはまったく
愚かなものだなあと、笑っているのですから。虚仮にされながら悦に入っている
人間の方こそ、いいつらの皮です。

人間の愚行を、彼らが自分たちより劣る存在と考えているものの立場から笑う。
しかもその笑われていることを、自分のしてやったことによって、相手が喜んで
いるのだと、呑気に誤解する。

ここまで来ると、人間も救われません。しかし当の猫の目線にも、辛辣なだけ
ではない、養ってくれるものに対する親愛の情もある。何だか複雑です。

だから我々読者も、安心して楽しめるのかも知れませんが・・・

2016年5月6日金曜日

京都市美術館「琳派降臨 近世、近代、現代の「琳派コード」を巡って」を観て

琳派誕生400年を記念する、一連の展覧会の一つです。

本展は琳派により培われ、発現した日本人固有の美意識が、近代、現代へと
いかに継承され、また未来に展開する可能性を秘めているかを、琳派の美の
エッセンスを「琳派コード」と捉えて検証を試みる展覧会です。

つまり琳派の美意識が、いかに以降の我が国の芸術家に影響を与え、現代の
革新的な創作者にとっても重要なテーマであるかということを示す、展覧会とも
言えます。

本展でまず私の目を引いたのは、神坂雪佳の展示コーナーです。神坂は
近代の琳派継承者としてよく知られていますが、私は今まで版画くらいしか観た
ことがありませんでした。この展示では彼の作品の他に、工芸家との共同作品も
多く展観されています。私はそれらの作品の洒脱さや洗練に、琳派の匂いを強く
感じました。

また明治期以降西洋的な美術観が導入されて、次第に絵画と工芸を明確に
区別するようになりましたが、身の回りを美で彩るものとして珍重された、
江戸期の工芸品に対する価値観をも、近代において継承する芸術家として、
神坂の存在があったことを強く印象付けられました。

近代以降の日本画壇に琳派の美意識が受け継がれていることは、私も薄々
感づいて来ましたが、何と言っても興味を引かれたのは、現代の「RINPAコード」
のコーナーです。

このコーナーは、現代の芸術家の作品の中に琳派のエッセンスを探る試みで、
特に印象に残ったのは、まず細見美術館でも観た名和晃平「PixCell-Fallow
Deer#2」、鹿の剥製らしき造形物が全身透明な水玉状の物質をまとうことによって、
抒情的で幻想的雰囲気を出現させています。琳派にある儚さの美の要素を、
体現しているようにも思われます。

福田美蘭の3点の絵画はパロディー性も強いですが、視点の斬新さや外連味に
おいて、琳派を確かに継承しているように感じられます。

山田えい子の「曲紋の錦糸」「曲紋の舞」の2点のガラス造形作品は、硬質な
素材を用いながら、色の美しさ、模様の愛らしさ、形の絶妙のたわみがマッチして、
祝祭的な華やいだ気分を演出します。このような雰囲気も、琳派の忘れられない
要素の一つであると思います。

こうして観て来ると琳派の美意識は、私たちの心の奥深くにくっきりと刻印されて
いることに、今さらながら気付かされます。最早、日本人のアイデンティティーの
一つと見做してもよいのではないでしょうか。



2016年5月4日水曜日

春の「京都非公開文化財特別公開」で、伏見稲荷大社に行って来ました。

伏見稲荷大社へ行くのは、初詣以来です。何故今回の特別公開で訪れる
場所を伏見稲荷にしたかというと、お参りには行きつけているこの神社に、
非公開の文化財が存在するとはまったく知らなかったからで、それだけに
興味がわいた次第です。

さて本殿にお参りしてから、今回公開されている荷田春満旧宅(史跡)にまず
向かいます。これは、伏見稲荷大社の社家出身で、江戸中期の日本の四大
国学者の一人である、荷田春満の生家ということで、江戸期の社家造りを
今に留める貴重な建築物だそうです。

こじんまりとした瀟洒な造りで、座敷の欄間の装飾なども面白く、趣味の良い
建物だと感じました。また庭も広くはないが美しく整っていて、塀越しに
神社内の狐の像が望めるのは、一説にはその部屋に宿泊した人に雰囲気を
味わってもらうためということで、細部まで行き届いた目配りを感じさせられ
ました。

次に訪れたお茶屋(重文)は、後水尾天皇から拝領を受けた建物で、
書院造から数寄屋造への移行期の実例を残すものだそうで、障子の桟
などにその特徴が示されていると、説明の係員から教えられました。二階に
上がると一望の下に広がる、斜面にしつらえられた庭の景観が素晴らしく、
思わず見とれてしまいました。

隣接する松の下屋では、版画家棟方志功の揮ごうによる掛け軸「稲荷
大明神」が飾られていて、この作家らしいたけだけしく、雄渾な筆勢が、
稲荷神の霊験を体現しているかのように感じました。

同じく志功の水墨による襖絵では、私はこの公開の案内に記載されていた
「御鷹図」より、部屋の三方を囲むように描かれた「御牡丹図」が、剛毅さの
中にも温もりを感じさせて、好ましく思いました。