2019年9月28日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1584を読んで

2019年9月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1584では
生態学者・今西錦司の随想「曼珠沙華」から、次のことばが取り上げられています。

   生物は、つねに余裕をもった生活をしてい
   る。そしてその余裕を惜し気もなく利用した
   いものに利用さしている。

例えばヒガンバナは、繁殖は地下茎で行うので、本来花を咲かせ、受粉を助けて
もらう必然性はないのに、立派な花を咲かせ、蝶に花蜜を提供している、と生態
学者はいいます。

確かに、生物の中でも特に植物は、我々地球の大部分の生き物に恩恵を与えて
くれているように、感じられます。

地球に酸素を供給してくれているのは、植物の光合成だといいますし、また多くの
生物の食料となり、生活の場を提供し、人間に至っては、その太古の死骸を石炭
というエネルギーとして使用するのに始まり、様々に加工して、暮らしや産業の
色々な場面で利用しています。植物が存在しなければ、人間の生活は成り立た
ないと言っても、決して過言ではないでしょう。

しかるに人間は、自分の都合でどんどん森林を切り開き、自然環境を破壊してい
ます。つい先日も、世界最大のジャングル地帯であるアマゾン川流域の熱帯林が、
人為的な火災によって急速に失われて行っていることが、大きな問題となってい
ました。

この美しい地球環境全体を、その中に生きるあらゆるものへの恵みと考えて、私
たち人間もその富を奪い取るだけではなく、全ての生き物が共存でき環境を維持
するための、余裕を持った資源利用を心がけることが、今危急の課題として、求め
られているのでしょう。

2019年9月26日木曜日

友の死に触れて

先日、ある親しい友人のお宅に、彼とゆかりのある数名で弔問に行って来ました。

実は彼は5月に亡くなっていて、本来なら当然葬儀に赴いているはずなのですが、
晩年の彼は、高齢で介護の必要なお母さんと二人で実家で暮らしていて、そのお宅
での突然の死であったために、友人の顔を見ると余計に悲しみがこみあげて来ると
いうことで、お母さんの意向でその死は友人にも伏せられ、親族だけで葬儀が行わ
れて、私たち親しい友人は葬儀に参加出来なかった、という経緯があったのでした。

この友人は、私が彼と同じ中学、高校、大学まで併設するミッションスクールに、中学
から通っていた関係から、その頃からの知り合いで、高校時代から親しくなり、大学も
同じ学部だったので、更に親密に付き合うようになったという関係でした。

社会人になってからも、私が一時会社勤めをして京都を離れた時以外は、二人とも
自営業で地元在住だったので、親しく付き合って来ました。また、後年彼が商売を
止めてからは、若い時の経験を生かして、私たちの店の経理を見てもらっている会計
事務所に再就職したので、彼が担当になって店の業務を補佐してもらっていました。

このような親しい友人関係でありながら、彼の死はその会計事務所の所長さんより
初めて知らされ、葬儀にも参加出来なかったこともあって、私の心の中には喪失感と
同時に、わだかまりも残っていました。

ところが先日、彼の妹さんより、お母さんが介護施設に入られて、実家は日頃無人
ではあるが彼女が管理しているので、よければ弔問に訪れてください、というお誘い
を頂きました。そういう訳で、友人同士誘い合わせて、彼のお宅を訪問することになっ
たのでした。

当日妹さんの待つ彼の実家を訪れると、二階に遺影と共に祭壇が設けられて、遺骨
はお母さんが施設に持っていかれたということで、そこにはありませんでしたが、私
たちは、彼の冥福を祈り、焼香をしました。

その後、妹さんより彼の幼い頃から若い日までのエピソードを聞き、彼が青年期から
寝起きし、私も度々遊びに行った、そしてそこで息を引き取った、彼の居室に案内
されて、この弔問は終わりました。

親しい友人の死を知りながら、その時までその死亡の事実を実際に確認出来なかっ
たために、何か宙に浮いたような状態であった私の心は、もぬけの殻の彼の自室に
佇み、その懐かしい室内の空気を吸うことによって初めて、彼の死を受け入れたよう
に感じました。

その意味で遺骨はなくとも、今回の訪問には十分に意味があったと、感じられました。

2019年9月24日火曜日

美術館「えき」KYOTO 「ショーン・タンの世界展」を観て

ショーン・タンは、オーストラリア生まれのイラストレーター、絵本作家で、2006年に
移民をテーマにしたグラフィック・ノベル『アライバル』を発表、一躍国際的に知られ
るようになりました。

本展は、彼の大規模な個展で、私は今まで彼のことを知りませんでしたが、この
展覧会のポスターの絵柄に惹かれて、観ることにしました。

まず前述の『アライバル』、この作品は言葉は一切なしで、綿密に構成した絵を
配列することによって、一つの物語を作り上げている、ということです。

しかもその構成に際して、まず彼の作品の特徴である、物語の中で人間と共存す
る現実にはいないおかしな生き物の、キャラクターデザインの周到な造形は言う
に及ばず、下描きや習作、実際には作品には登場しないセリフや詞書き、絵ある
いは写真を用いたコンテなどが準備されて、その上に初めて作品が出来上がって
いるので、幻想的で不思議な物語に、リアリティーと話の奥行きが生み出されてい
ます。この点が彼の作品の最大の魅力であると、感じました。

後に映画化されて、2011年にアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞した、原作
の絵本『ロスト・シング』も、同様の綿密な制作準備を経て作品化されているので、
キャラクター造形や場面設定、ストーリーに説得力があり、映像化にも十分に耐え
る完成度を有していたのだと、思われます。

会場の最後のスペースでは、実際にこの映画化作品を全編観ることが出来ますが、
絵本のイメージを更に膨らませた、独特のファンタジーの世界を有する物語に、
仕上がっていました。

ファンタジーやSFの要素を前面に出しながら、環境問題など社会的なテーマにも
作者の関心が及んでいて、観る者は楽しみながら同時に、自分たちの未来につい
ても考える、展覧会になっています。

2019年9月20日金曜日

酒井順子「現代のことば 恥の感覚」を読んで

2019年9月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、エッセイスト・酒井順子
が「恥の感覚」と題して、携帯電話やパソコンを人前で使用する時の自身のこれ
までの抵抗感から、彼女の最新の機器を用いることに対する羞恥の感覚について、
分析しています。

それによると彼女は、初期の弁当箱型のかさ高い携帯電話を人前で使用する人に
対して、最新のものを持っているという自意識が見え隠れするようで、恥ずかしさを
感じ、しかし小型化した携帯電話が普及すると、自分もすんなり使用するように
なったと言います。

更に近頃盛んに宣伝されている、機械に話しかける音声アシストの人前での使用
に対する抵抗を語った後、自分が現在はパソコンで原稿を書いているにも関わらず、
原稿用紙で育った世代ゆえに、人前でパソコンを開いて仕事をすることことを、いま
だに恥ずかしく感じると、告白しています。

何かすごく日本人的なメンタリティーで、酒井順子と言えば、近年の女性の生態、
感じ方を当意即妙にすくい上げるエッセイストとして、つとに知られている存在なの
で、その彼女がこと最新機器に対しては、平均的日本人と羞恥心を共有していると
いうことが、新鮮に感じられました。

私なども、伝統を重んじる気風の、家の立て込んだ古い町で生まれ、隣近所の人々
との関係や、周囲の人の目を気にする環境で育ったこともあって、何に付けても
目立たず、中庸を重んじる羞恥心を身に付けている、と感じることがあります。

しかし現代は、国際化やIT機器の普及、核家族化の進展など、劇的な環境変化に
よって、人々のものの感じ方や価値観も大きく転換しています。そのような新しい
環境の中で生きて行くためには、目立たないことをよしとする羞恥心を、かなぐり捨て
なければならない場面もあるでしょう。しかし逆に、新しいものだけをいたずらに追う
破廉恥も、慎まなければならないということも、あるはずです。

彼女のこの文章は、自身の生き方への矜持と共に、そのことを教えてくれるようにも、
感じました。

2019年9月16日月曜日

国立国際美術館「ウィーン・モダン」展を観て

国立国際美術館で、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道」を観て来ま
した。

クリムトやシーレの魅力的な作品も展示されていますが、全体の構成としては、
19世紀末から20世紀初頭における絢爛たる総合的芸術の開花に至るまでの、18
世紀からのウィーン発展の歴史と経緯をたどる展覧会です。

それ故に絵画を初め、工芸、服飾、建築デザイン、印刷物と、多様なジャンルの
多数の作品が会場を彩り、さながら芸術の都ウィーンの見本市のような、華やいだ
気分を醸し出しています。

個別の作品で印象に残ったものを数点挙げてみると、まず「作曲家ヴォルフガング・
アマデウス・モーツァルト」の肖像並びに、「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」に描か
れている当人の姿です。ウィーンは音楽の都でもあり、彼以降の著名な作曲家、
シューベルト、ヨハン・シュトラウス、マーラーなどは、直ぐにこの都市と結び付きます
が、モーツァルは私にとって、最早伝説的存在のような先入観があり、彼がこの都市
で実際に暮らし、啓蒙的な空気の中で音楽活動をしたという事実には、彼との距離
が一気に近づくような親近感を覚えました。

次にナポレオン率いるフランスとの戦乱後、内向きな気分に支配されるようになった、
ビーターマイアー時代のウィーンの画家ヴァルトミュラーの絵画「バラの季節」。後の
印象派の時代の到来を予感させるような、戸外の光の輝きと共に自然に包まれる
ことの幸福を、全身に感じさせてくれるような、忘れがたい絵です。

最後にクリムトも点数は少なくとも良い作品がありましたが、シーレの「自画像」、
「美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像」に、強い感銘を受けました。彼の絵は
あまり目にする機会がなくて、実際に観ると、その独特の刻み付けたようでかすれた
彩色と、人体の痛切なほどにねじれた造形からは、彼の魂の叫びが直に伝わって
来るようです。絵を描くことの根源的な欲求を、感じさせてくれる作品でした。

全体を観終えて、18世紀からのウィーンが啓蒙思想の奨励や、城壁の撤去とリンク
通りの建設、万国博覧会の開催などを通して、自由で開放的な都市の特色を醸成し、
次第に芸術を花開かせて行った様子が伝わって来ました。ウィーンは正に、芸術の
都に相応しい都市であると、感じました。

2019年9月13日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1565を読んで

2019年8月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1565では
演劇家・作家、岡田利規が、京都国立近代美術館で開催されている「ドレス・コード?
ー着る人たちのゲーム」展によせた文章から、次のことばが取り上げられています。

   どんな服を着れば何も表明せず誰も刺激しな
   いで済むだろうか。 でもそんな服はない。

私もこの展覧会を観て、人が服を着るということについて、大いに考えさせられまし
た。地位や職業、帰属する組織であったり、あるいは好み、意思表示であったり、
人は意識的に、もしくは無意識的に自分の服装を選択し、逆にそれを選ぶことによっ
て、自分が自分であることを世間に表明しているらしいということを、知ったからです。

例えばファッションに無頓着な私なども、半ば無自覚に選んでいる洋服が、京都の
小さな自営業の店主らしい服装である、というように。

しかし服装の選択肢が、ここで取り上げられている、東日本大震災後の非常事態下
の首都圏のように、社会状況や世間の風潮によって圧力を受け、狭められるという
事態が、起こることがあります。それは決して好ましいことではないでしょう。

極端な例が、第二次世界大戦中の日本の市井の人々が、国防服の着用を義務付け
られたように。

ここまで考えて私は、本来自由であるべき服装の制限は、言論や表現の自由という
人権の侵害にも結び付きかねない、と感じました。

例え些細なこと、日常の習慣的なことにおいても、自分の考え方や立ち位置を認識
し、社会からの常ではない圧力や干渉に対しては敏感であること、私たちはこれから
益々そういうことが求められているのではないかと、このことばを読んで感じました。

2019年9月11日水曜日

花田清輝著「復興期の精神」を読んで

私が本書を手に取ったのは、この連作エッセーをまとめた作品が花田の代表作と
言われるのみならず、大部分が第二次世界大戦中に書き継がれたからです。

言論統制の厳しかった折に、『復興期の精神』という主題の下、主にルネッサンス
期を生きた改革者を描くことによって、いかに敗戦後の混迷からの脱却まで見据え
て筆を進めたか、それを知りたいと思ったのです。

しかし実際に読んでみると、恐らく検閲を逃れるためもあるのでしょう、著者の並
外れた博識に由来する衒学趣味や多彩なレトリックの駆使、牽強付会な物言いも
あって大変難解で、私には一体どれだけの部分が理解出来たか、甚だ心許なく
感じました。それで池内紀の解説も参考にしながら、分かる範囲で感想を記して
みたいと思います。

まず、本書の最初に置かれた「女の論理ーダンテ」で、一般に女性が感情的で非
論理的であると見なされる訳を探る参考として、ダンテ『神曲』とバルザック『人間
喜劇』を比較し、チェーホフ『熊』『伯父ワーニャ』を引き合いに出して、修辞的で
あることが女の論理であるという結論に達します。

これは一見女性蔑視に同調するような言い回しに見えますが、しかし最後に修辞
的存在であるイエスと女性の同質性を語り、その理由として両者が迫害に対抗
しうる者として、文章を結びます。この抵抗精神を活写するレトリックの切れ味に、
ある種カタルシスを感じました。

次に、「天体図ーコペルニクス」では、地動説を唱え天文学に画期をもたらした、
いわゆるコペルニクス的転回と、本書執筆中の大戦最中、耳目を集めた思想的
転向を比較し、コペルニクスの転向が決して闘争的ではなく、平和裏のものであり
ながら、その実後世に多大な影響をもたらした事実に触れ、彼にヒューマニストと
しての理想の姿を見出します。この論理の展開も、時宜に適い見事であると、感じ
ました。

最後に、「肖像画ールター」では、宗教改革の実践者ルターのクラーナハによる
肖像画の貧相さー実際に観て、私はそうは思いませんがーから説き起こして、
宗教改革という事件が単に宗教的理由から起こっただけではなく、それを支持
する人々の社会経済環境が深く影響していると、結論付けます。この記述には、
花田の冷静な分析的思考を感じました。

2019年9月9日月曜日

泉屋博古館「文化財よ、永遠に」を観て

泉屋博古館で、住友財団の修復助成30周年を記念した特別展、「文化財よ、永遠に」
を観て来ました。

住友財団は文化財維持・修復事業への助成を30年近く続け、修復事例も累計千件に
達するということです。本展では、絵画、仏像などの修復方法の解説と、合わせて実際
に修復された文化財を展示することによって、どのように修復活動が行われているか
を、分かりやすく明示しています。

まず私が興味を覚えたのは、絵画、屏風の修復のための基礎知識として、屏風の基本
構造を示したコーナーで、桐材で格子状の枠組みを作った上に、3種類の和紙を張り
重ねて、屏風の下地を作るということを説明した部分です。日頃屏風がどのような構造
になっているかなど、考えも及ばなかったので、新鮮な驚きでした。

また軸物の絵画、屏風、絵巻物の修復を担当するのが装こう師で、実は私たちの店は
特殊な広幅の白生地を扱っているので、装こう師の方とも取引があるにも関わらず、
その職業がどのようなものであるかを知らなかったので、仕事の面でも参考になりま
した。

さて実際に修復された文化財の展示室に移ると、まず藤原定家の明月記が目に止まり
ました。この巻物状の日記は、当時紙が大変貴重なものであったので、手紙などの裏を
再利用した上に継ぎ合わせて、書き付けてあるということで、表面だけではなく、裏面も
歴史的に貴重なものであるということです。実際に見ると裏面の文字も表面に浮き出て
いて、臨場感があります。修復によって、良好な状態が保たれているようです。

一方修復のために仏像を解体すると、胎蔵仏や内蔵品、内部の書き付けなどが発見
されて、新たな事実が判明することも多々あるようで、本展では修復された仏像と
胎蔵仏等を並べて、そのような事例を分かりやすく解説していました。知的な感興を
そそる展示でした。

一見地味な展覧会ですが、文化財保存の重要性を示してくれる、貴重な展観でした。

2019年9月6日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1561を読んで

2019年8月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1561では
お笑いコンビ「マシンガンズ」の芸人で、定収入を得るためにゴミ収集会社に勤めて
いる、滝沢秀一の『このゴミは収集出来ません』から、次のことばが取り上げられて
います。

   管理されなければできない恥ずかしい世代に
   なんてなりたくない。

ゴミの収集の現場の清掃作業に携わる中、彼が感じたことを記することばだそう
です。

人が文化的な社会生活を営むためには、ゴミ出しと収集は不可欠な作業です。
でも私たちはともすれば、ゴミの廃棄に手を抜こうとしがちです。

何もかもを一緒くたに出したり、時間を守らなかったり・・・。その結果、ゴミの処理に
必要以上の手間がかかり、またゴミの放置が周辺住民の迷惑になったり、してい
ます。

しかも最近は、人口増加と大量消費の社会慣習によるゴミの飛躍的な増加と、プラ
スチック等処理しきれない化学物質を含むゴミの大量発生によって、地球温暖化、
環境破壊の問題が益々深刻になって来ています。このような社会環境では、更に
ゴミの減量と適正な廃棄が、早急の課題となります。

やらされるからやるという意識ではなく、我々一人一人が自覚を持ってゴミ出しの
作業を行うこと、このような小さな行為の積み重ねが、未来の地球環境を守るという
想像力を持って日々の生活を営むこと、これらのことが今まで以上に、私たちに
求められているのでしょう。

2019年9月4日水曜日

龍池町つくり委員会 62

9月3日に、第83回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず中谷委員長より、中京区九十周年の記念誌用に区役所から依頼のあった、
学区の歴史というテーマの、委員長が作成された当学区の原稿について、説明
がありました。

龍池学区の所在場所の明記。命名の由来がこの地に存在した「二条御池殿」と、
洛中洛外図屏風に記された「龍躍池」から来ていること。江戸時代には、徳川
家康によって、金銀座が設置され京都の金融の中心になり、明治以降は、烏丸
通りが金融関係の会社、二条通りが薬品関係、室町、新町間は呉服繊維関係
の会社が多く存在し、栄えたという歴史。また現在も、「向こう三軒両隣」という
精神で、学区内の親睦を図ろうとしている、という内容だそうです。

次に、秋の恒例の京都外国語大学南ゼミとの共同企画の、今年度の活動の
概要について、担当の学生さんより説明がありました。

日時は、11月17日(日)午前中の約2時間。内容は昨年同様、地域の再発見と
いうテーマで、クイズラリー、スタンプラリーを行い、今年度は特に参加者個人
個人の交流を図ることを重視して、ゲームなどで打ち解けた雰囲気を生み出す
ことを目指す、ということです。詳細は、次回町つくり委員会当日までに決めて、
発表するということです。

その他に、龍池学区の大原郊外学舎で実施する「大原交流プログラム」は、
12月1日開催、「新春きもの茶話会」は、来年1月26日に開催することに、決定
しました。

2019年9月2日月曜日

清水寺「CONTACT つなぐ・むすぶ日本と世界のアート」を観て

ICOM京都大会2019の開催を記念して、小説家原田マハが総合プロデュースを
務め、1週間限定で開催される展覧会「CONTACT」を、早速清水寺に観に行き
ました。

早朝から発売の当日券が、午前10時30分に到着した時にはすでに売り切れて
いて、地元在住ということもあって、次回発売の30分前、午後1時にもう一度
行って、30分並んでようやく手に入れることが出来ました。

清水寺境内の会場は、日頃非公開の経堂と成就院、それぞれ安置されている
仏像、建物の造り、庭園が素晴らしく、その点では古刹の趣きを味わうことが出来
ました。

しかし肝心の展覧会は、私にとっては、期待が大きかっただけに何か物足りなく、
少し残念な思いで会場を後にしました。

その原因はまず、久しぶりに訪れた代表的な観光名所である、休日の清水寺
周辺が、多くの観光客でごった返してあまりに騒がしく、静かに美術を楽しむ環境
ではなかったことが第一に挙げられる、と思います。この点は、私の認識不足
でした。

次には、古い寺院建築故に観客を収容できるキャパシティが余りに小さく、おまけ
にネット等でこの企画を知った多くの鑑賞者が訪れたために、直ぐに収容限界を
超えたのだ、と感じられます。

展示されているのは、洋の東西を問わぬ、棟方志功、河井寛次郎、手塚治虫、
アンリ・マティス、オーギュスト・ロダンなど、著名26作家の作品。どれも原田マハ
が吟味しただけあって、じっくりと作品に向き合えばそれぞれに味わい深いもので
ある、と思われます。

しかし、会場の荘厳さに比べれば作品が小粒であるというか、印象が薄まっている
のは残念に感じられました。また、一番期待していた、宮沢賢治『雨ニモマケズ』
手帖が、会場内に設けられた展示スペース(茶室)の整理券が、すでに出尽くして
いるということで、観ることが出来なかったのも、大変残念でした。

その中で印象に残った作品は、まず川端康成の直筆原稿、端正な文字で推敲の
跡も生々しく、作家が小説を生み出す現場が見えるようでした。次に司馬江漢『
樹下騎馬人物図』掛け軸、黎明期の日本の西洋画が、薄暗い寺院の床の間によく
馴染んでいました。最後に飾り障子を配した棚に置かれた、小さなジャコメッティの
彫像、洋の東西を融合した美しさに感動しました。