2014年3月28日金曜日

連続テレビ「ごちそうさん」を見て 2

3月27日、「ごちそうさん」を見て、人をもてなすということについて、
考えさせられる場面がありました。

このドラマはご承知のように、美味しいものは人を幸せにするというのが
中心的な命題ですが、それに付随して、美味しい食事で人をもてなす
シーンがしばしば描かれます。

この日、ある事情でGHQの高官をご馳走でもてなさなければならなくなった
場面、次男を戦争で失っため以子は、わかっていても、アメリカ軍人に
料理を振舞うことに、抵抗を感じていたのですが、どうしても腕を
振るわなければならない。しかも、その直前の筋を見ていないので確信は
ないのですが、高官提供の、当時日本の庶民には到底口に入らない、
牛肉の塊を調理しなければならないのです。

さて、め以子はその肉の塊でローストビーフを作り、高官の目の前で切り分け、
炊き立てのご飯の上にもって、差し出します。

それを食べて感動した高官の口から、彼も息子をかの戦争で失ったこと、
これからは未来志向で、アメリカ人と日本人が手を携えて進んでいかなければ
ならない、という言葉をひきだすのです。

人をもてなすということは、相手の立場に立って、相手の求めるものを提供する
こと、場合によっては、相手の求める以上のものを用意することでしょう。
そのためには、時によって、目に見える形で誠意を示すことも必要でしょう。
相手に対して、割り切れぬ感情を持っていため以子にとっては、なおさら、
誠心誠意、相手を感服させる食事を提供する必要があったのです。

私も、学ぶべきところがあると、感じました。

2014年3月26日水曜日

神戸市立博物館「ターナー展」を観て

英国を代表する風景画の巨匠ターナーの回顧展を観ました。

彼の風景画にとって、{崇高}というキーワードは欠かせないもののようで、
彼は観る者に対して、畏怖と尊敬の念を抱かせる絵画を描くことを、目標と
したといいます。

それゆえターナーの風景画、特に大画面の油彩画は、力動感、無辺性、
崇高な意志の表象において、他の追随を許さないスケールに仕上がって
います。

他方彼の水彩画は、繊細なタッチで無駄を排した簡潔な表現、鋭敏な
色彩感覚による絶妙の配色によって、確固とした存在感を有しながら、
軽やかで詩情溢れるものに仕上がっています。

この二面性も、ターナーの芸術の掛け替えのない魅力でしょう。

彼の風景画のもう一つの特色は、物語性です。この特性を持つことに
よって、その風景画はより奥行きと広がりを獲得し、{崇高}の志向も
相まって、他の画家の風景画と一線を画する、独自の魅力的な作品に
仕上がっています。

また晩年の作品は、油彩においても、水彩においても、最早造形に
重きは置かれず、色彩の配置と階調を用いて、もっぱら雰囲気と
情趣を描き出すことに、腐心しているように感じられます。

風景を描き続けて大成した画家も、晩年には無我の境地を目指した
のでしょうか。

2014年3月23日日曜日

神戸 南京町 中華街でラーメンを食べる

ターナー展を観に、神戸まで行って来ました。

神戸でのもうひとつの楽しみは、南京町で中華料理を食べることです。

美味しさはもちろん、中華街の醸し出す雰囲気が好きです。

「千と千尋の神隠し」の八百万の神々が骨休めに来る、異界の飲食街と
比較するのもおおげさですが、私たちが日常生活を営む社会とは、何か
異質のたたずまいがあり、引き付けられるのです。

また、中華料理店の主人が、客には流暢な日本語を使い、仲間内では
声高の中国語で話す様子も、達観したたくましさのようなものを感じさせ
ます。

もし、私たちの国の考え方が何か
一色に染まって、熱狂的な空気に包まれる
ことがあるなら、私はここのとあるレストランに一人座って、ラーメンでも
すすりながら、頭を冷やしたい気もします。

2014年3月20日木曜日

三谷博著「愛国・革命・民主」を読んで

我が国の明治維新が、世界的に見ても人的被害が少なく、スムーズに
封建体制から近代的体制への転換を成し遂げた革命であることを
論述し、その成果の今日の国際社会への応用の可能性を探る、刺激的な
書です。

私には、論の進め方になれぬ部分もあって、果たして著者の示そうとする
全体像のどこまでを理解できたか、おぼつかないところもありますが、
部分部分においては、私が明治維新というものに対していだいていた
固定観念を大きく覆されるところがあって、蒙を開かれる思いがしました。

一番印象に残ったのは、明治維新が王政復古というキーワードによって、
外国から真の革命とみなされにくい、という現実への著者の反論を記した
部分で、今日の世界の常識では、復古、いわゆる過去にさかのぼるという
概念で使われる言葉が、維新の場合、何の資料も情報もない遠い過去を
目標としたために、抵抗感なく自由な改革が可能だったという指摘です。

江戸幕藩体制の頃の我が国には、より良い未来を目標にして時代を
変革するという考え方は、思いも及ばないものだった。それゆえ、想像
出来ない過去にさかのぼることが、すなわち革新的なことだったのです。

時代時代によって、現代の私たちでは想像も及ばない価値観や考え方が
存在する。そのような事実にも想像力を働かせることが、歴史的事象を
顧みるとき、私たちにも求められているのではないでしょうか。

2014年3月17日月曜日

ウィリアム・ケントリッジ「時間の抵抗」を体験して

ケントリッジの作品を観るのは、2009年ごろ、京都国立近代美術館で
開催された大規模な個展以来です。

今回の作品は、四角い会場の三方の壁面に、5面のスクリーンを配して
映像を投影し、様々な場所に取り付けられたスピーカーから音響を流し、
会場内やや後方に、規則的な作動音を発しながら、連続的だがトリッキー
な動きを示す木製の装置を設置し、観客は会場中央付近に、おのおの
ばらばらの方向に置かれた椅子に座って、視覚、聴覚を動員して観賞する
大規模な映像インスタレーション作品です。

この作品は解説によると、時間というものの意味を求める人間と、定義される
ことを拒む時間そのもの、また人間が定義した時間の規則や、拘束から
逃れようと抗う人間を表現しているということです。

難しいことは分かりませんが、作品を観終えて感じたのは、人間が時間に
縛られない牧歌的な時代から、文明の利便性の増進とともに時間に
拘束されるようになり、しかしそんな現代においても、何かに熱中し、
感動や充足感に包まれている時には、人間は時の支配から逃れている
という当たり前の事実でした。

時の経過を忘れられる体験を、少しでも多く持ちたいと思います。

2014年3月14日金曜日

誂え染めの黒喪服

久々に、まとまった誂え染めの喪服の注文をお受けしました。

喪服といえば黒色で、黒はすべて同じ色のようなイメージがありますが、
色は黒に始まり、黒に終わるとも言われるように、煮黒、紅下黒、藍下黒
泥染め、引き黒など、様々な染色技法があります。

それぞれ色が微妙に違って、着物に仕立て上がった時の雰囲気もかわります。
たいした違いはないんじゃないの、と思われそうですが、喪服を着る場では
皆が一斉に着用するので、意外と色の違いが際立つものなのです。

そのような理由で私は、誂え染めの喪服のご注文をお受けした時には、
藍下黒染めをお勧めしています。藍下黒は、白生地をまず藍色に染めて、
それから黒色に染める技法で、通常よりひと手間余分にかかりますが、
藍色と黒色が重なって、さえて深みのある黒になるからです。

わずかな色の違いを比較したり、楽しんだりするのも、私たち日本人
ならではの繊細な美意識なのかもしれません。

2014年3月12日水曜日

元・立誠小学校を訪れて

現代美術の国際展「PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015」の
プレイベント、ウィリアム・ケントリッジのインスタレーション作品
「時間の抵抗」を観に、元・京都市立立誠小学校に行きました。

実は私は、この立誠小学校の卒業生で、前回、同窓会の催しで
訪問してから、約20年が経っています。

この小学校跡地は、校舎を出来るだけ以前の状態で遺して、
京都の映画発祥の地ということで、映像関連のイベントを
中心に
利用されているようですが、久々に訪ねてみると、時が止まった
ような懐かしさがよみがえると同時に、日頃使用されていない
場所には、老朽化した部分も目につきました。

ちょうど今、私が住んでいる地域の小学校跡地、元・龍池小学校は、
京都国際マンガミュージアムとして、再整備して利用されているので、
おのずから両校跡地を比較して見てしまいます。

もちろん一長一短で、どちらが良いと言えることではないのですが、
立誠小学校跡は少なくとも、近い将来、校舎、設備の補修を
しなければならないのは、確かでしょう。

京都市内で、小学校の再統合が盛んに実施されてから年月が過ぎ、
そういう事も考えなければならない時期に来ているのだと、懐かしの
出身校跡地に立って感じました。

ケントリッジの作品の感想は、次回にゆずります。

2014年3月10日月曜日

滋賀県立近代美術館「幻想の画家ダリとフランス近代絵画の巨匠たち」展を観て

福島県裏磐梯にある、諸橋近代美術館所蔵のフランス近代絵画の
巨匠たちの作品と、特に同館の誇る、サルバドール・ダリの絵画、
版画、彫刻を展観する美術展。

今回の私のお目当ては、これまで単独の版画作品ぐらいしか観た
ことのなかった、ダリの作品のまとまった展示でした。

彼の作品の全体を観終えて、解かりやすい造形で、明確な色彩を
使い、それでいて、絵を構成する対象物の突拍子もない
組み合わせで、あり得ない世界を描き出す、そんなイメージを
持ちました。

しかもその作品は、観る者の心に荒唐無稽のストーリーを紡ぎ出し、
得も言われぬ余情を残します。

受け狙いのような俗っ化もたっぷりで、依頼を受けた女性の
肖像画の背景にも、何故か何の脈絡もなく、自分のトレードマークの
超現実的な風景を描き加えます。

結局ダリ作品の魅力は、奔放なイメージ喚起力と、それを見事に
造形化する力技、南欧らしいカラッとしてカラフルな色彩感覚で
あると感じました。

そしてそれらは、連綿と続くヨーロッパの芸術の歴史に、確かに
繋がっているのです。

2014年3月6日木曜日

千利休ゆかりのお菓子

昨日、お向かいの二条駿河屋さんから、麩の薄皮で包まれた粒あん入りの
お菓子を頂きました。

このお菓子は、千利休の存命の当時からあるお菓子で、利休も好んだそうです。
鎌倉で催される、千人規模のお茶会用に注文を受けられたということで、日頃は、
店頭でも販売していないけれども、特別に作ったのでおすそ分けを、とおっしゃって
いました。

私も初めて見るお菓子なので、まずはしげしげと眺めながら、先日観た、映画
「利休にたずねよ」の茶事の情景を思い浮かべました。

中心から半分に切ると、うす茶味がかった皮の中からきれいな粒あんが
のぞきます。口に含むと、ほんのり甘味のついた薄皮の、ふっくらとからみつく
ような歯ざわりの後に、はみ出してくる上質な餡子のしっかりとした甘味が
口中にぱっと広がって、満ち足りた気分になりました。

最近の生菓子は、美しく、技巧を凝らしたものが一般的ですが、このお菓子は、
原点回帰を思わせる素朴なたたずまいで、滋味あふれる味わいでした。

有難うございました。

2014年3月5日水曜日

龍池町つくり委員会 2

3月4日、第20回龍池町つくり委員会が開催されました。

今回の委員会は、新年度を迎えるにあたり、25年度の活動報告と
来たる26年度の活動方針を決めることが、中心議題でした。

結果としては、現状の活動を継続し、さらに茶話会の開催回数を
増やして、地域のコミュニケーションを活性化させようということに
なりましたが、そのための課題として、広報活動を充実させることの
必要性が、多くの委員から指摘されました。

つまり、せっかく活動をしても、それが地域住民に十分に伝わって
いないという指摘です。

同じ地域に暮らしながら、旧来の住民とマンション住民とは、ほとんど
交流がない。さらには、旧来の住民でも世代が変わったり、住居と
仕事場が別になって、意思疎通が十分図れなくなってきている。

社会のIT化が進んで、私たちは世間と広く繋がっている気分になりがち
ですが、現状は身近な人びととの関わりが希薄になってきています。

私たちの地域の課題も、実は社会全体が抱える問題の縮小版に過ぎない
のだと、改めて感じた次第です。