2022年3月29日火曜日

瀬戸内晴美著「夏の終り」を読んで

昨年の暮れに亡くなった作家で僧侶・瀬戸内寂聴師の小説は、ずっと以前から読みたいと思い ながら、機会を逃して来ました。彼女の訃報に触れて、ようやく手に取ることが出来ました。 さて本書を読む以前に、私が持っていた彼女に関する情報知識は、彼女が若い頃には性におい て奔放な女性であったこと、その自らの体験から着想した小説で文壇にデビューし、着実に 評価を高めながら僧侶となり、以降作家と宗教家の二足の草鞋で、幅広く活動したことです。 それ故これまで私が読んで来た彼女の文章は、新聞等に発表されたエッセー類で、それらは 僧侶になって以降の分別を踏まえた見識に基づく文章でした。 さて本書は、彼女が得度する以前の、夫子がありながら若い男の許に走り、その男と一度破局 した後妻子ある別の男と関係を持ちながら、元の男ともよりを戻し、関係を持つ男の妻共々 泥沼の四角関係に陥る、放縦な性体験に基づく連作短篇小説を収めたものです。 彼女の当時の行動は、今日でも確かに倫理的には許されないものでしょう。ましてや現在より 性的関係への規範意識が格段に強かったあの頃には、彼女の実際の行動のみならず、それを 描いた小説にも、相当厳しい批判を向ける人々もあったと思われますし、実際にそれを耳に したこともあります。 しかし今日これらの小説を読んでみると、特に創作の世界では性的倫理観は放縦なほど自由に なっているので、何らセンセーショナルなものは感じられません。それ故色眼鏡なしで、主人 公や登場人物の心の動きを追うことが出来ると感じられました。 さて本書を読んでの私の感想は、そこに描かれているのはほぼ彼女と思しき若い主人公の、 社会的に弱い立場にある、あるいは窮地に陥っている男へ向ける過剰な愛情が、あまりにも 一方的、自分勝手で、それにいいように翻弄される男たちの姿が、ある種滑稽でさえあること です。 ある意味精神的に自立した女性である彼女が、弱っている甘えたな男を助け励まそうとしなが ら、自分の愛情が過剰であるために、かえって相手の男を弄んでいる図、と言えるかも知れま せん。 そしてそのような構図が、これらの作品の発表当時、男中心の日本社会に拒否反応を生み出し たのでしょう。ただ著者が僧侶としても多大な功績を遺した今日読んでみると、彼女が弱い 立場の人々を溢れる愛情を持って救済するためには、自身が僧侶として精神を陶冶することが 必要であったのではないかと、思えて来ます。 このような創作時との差異を想像する読書も、また味があると感じました。

2022年3月25日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2308を読んで

2022年3月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2308では 詩人・思想家吉本隆明の語り下ろし『真贋』から、次のことばが取り上げられています。    人を見る上でもっとも大事なことを挙げるとす    れば…その人の生きることのモチーフがど    こにあるかということのほうだと言える 吉本は、人間にとって大切なものは、例えば「誠実」のような多くの人が大切と思うもの だろうけれど、実際にはそれになかなか近づくことが出来ない、でもどうして近づけない のかということを考え続けることが重要で、それを人生のテーマあるいはモチーフと呼ぶ、 と語っているそうです。 私たち人間は、なかなか理想に近づくことが出来ません。でもそれで諦めてしまって、 近づく努力を放棄するのでは、堕落に向かうだけで、自分を向上させることにはなりま せん。 だから、少しでも自分をあるべき姿に近づけたいと思ったら、なぜ近づけないのかを常に 考え続けることが必要でしょう。それが彼の言うところのテーマであり、モチーフで、 その人のそれを知ったら、どれほどの人物か分かる、ということなのでしょう。 私も勿論、理想やあるべき姿からは程遠い人間ですが、少なくとも、向上心や心を磨く 気概を持ち続けることが出来ればと、思っています。

2022年3月18日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2305を読んで

2022年2月27日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では マルセル・カルネ監督の映画『天井桟敷の人々』のジャック・プレヴェール(脚本)のセリフ から、次のことばが取り上げられています。   去るのは簡単よ 去れば思い出は美化される    戻れば思い出がよみがえる 夫と愛人の逢瀬を目撃した妻が、立ち去るこの女性に放ったことば、ということです。 まぁ、大概去って行くものが、かっこよく見えるものです。私がまず連想するなら、映画『 シェーン』で、馬に乗って立ち去る主人公に、少年が「シェーン、カムバック!」と叫ぶ シーン。 でも、残された者は、これからも現実と立ち向かい、地道に生きて行かなければなりません。 私の思いからいくと、商売を続けて行くために、店舗を上階に賃貸マンションを併設した建物 に建て替えることを決断した、という場面が思い浮かびます。 古い店舗のまま残して、将来は静かに消え去るか、それとも、先祖から受け継いだ京町家を 思い切って壊して、商売の可能性を追求するために、今どきの建物にすることを決断するか。 結局私は後者を選び、かっこ悪くても、店の継続の可能性にかけることにしました。今は覚悟 も決まり、新店舗の完成を期して、コロナ禍の中、泥臭く商売に邁進するのみです。

2022年3月15日火曜日

呉座勇一著「頼朝と義時 武家政権の誕生」を読んで

鎌倉時代における武家政権の誕生は、我が国の歴史上の一大転換点です。それ故、時代劇や歴史小説 でもよく取り上げられますが、私がこの時期の出来事を実相としてどれだけ把握しているかは、大い に心もとなく感じます。そこで折しも、今年のNHKの大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放映されている こともあり、綿密な資料の読み込みによる歴史解釈で定評のある、歴史学者の著者のこの本を読んで みることにしました。 本書によると、朝廷から武家へ権力が移行し、幕府という武家政権が確立するためには、源頼朝と 北条義時という二人の傑出した政治家が必要であった、ということです。頼朝は、周知のように源氏 嫡流の出自でありながら、父義朝の失脚によって流人の立場になり、それにもかかわらず源氏の再興 を期して立ち上がり、隆盛を極めた平家を亡ぼし、鎌倉幕府を打ち立て初代将軍になります。その 過程においては、まず東国で地盤を固めるために、協力者を集めながら敵対者と戦を繰り返し、また 源氏の棟梁という立場を確立し、兄弟の優れた武将の力を借りて、遂には平家を亡ぼすに至ります。 彼のカリスマ性、権謀術数に長けたところ、冷静沈着さや慎重さ、そして恐らく人を動かす人間的 魅力と運が、この偉業を成し遂げさせたと感じます。 しかし彼はその反面、若い頃に流人の辛酸をなめたために、なかなか人を信じることが出来ず、その 結果、一時は彼の手足となって働いた兄弟たちを粛清し、晩年は孤独を強いられ、血筋の後継者も 少ないことから、直系の将軍は早くに跡絶えることになります。 それに対して義時は、頼朝の妻政子の兄弟として生まれ、彼に引き立てられて有力な腹心の部下と なり、頼朝亡き後には、次第に影響力を増して、遂には後継将軍の決定にも力を及ぼすようになり、 承久の乱を経て武家政権を確立、更には、北条氏が永く執権として幕府内で権勢を振るう基盤を作り ます。 彼も、師頼朝に習い、冷静沈着で権謀術数に長け、その上自身が表舞台には立たず、陰で操るシス テムを作り上げたことが、一族での幕府内の影響力を永く維持する原動力となったと、推察されます。 本書を読んで行くと、正に謀略と武力抗争が時の権力を決定する、荒々しい社会の趨勢に驚かされ ますが、その陰に隠れて日常の庶民の生活があり、地道な経済活動も行われていたことも、忘れては ならないでしょう。頼朝も義時も、本来は自分たちの理想の社会の建設を目指して、行動していたと 信じたいと思います。

2022年3月12日土曜日

「隠岐さや香のまったりアカデミア 100年前はひと昔?」を読んで

2022年2月17日付け朝日新聞朝刊文化面、「隠岐さや香のまったりアカデミア」では、「100 年前はひと昔?」と題して、科学史家の筆者が、もし各国の政府が約100年前のスペイン風邪 の猛威を参考にして、今回のコロナ禍に対処することが出来たら、もっと被害を抑えることが 出来たかもしれない、と語っています。 それによると、先進国の政府は感染症の脅威が最早去ったかのように考え、医療を含めた公共 サービスのコスト削減に熱心であったために、コロナ禍での病院、保健所の対応が後手に回り、 研究者の側にも、基礎的な感染症研究を時代遅れのように捉える空気があり、市場のニーズに 合う応用研究に頭脳もカネも集まりがちであったために対策が遅れた、というのです。 確かに現代社会では、市場の要請という経済的な物差しが優先的に取り扱われ、その結果非常 に短い時間軸で物事が考えられて、長期的な視野が失われがちになるように感じられます。 例えば今回の事態の他にも、感染症研究だけではなく、様々な分野の学問研究において、目先 の研究成果や経済性が優先されるあまりに、基礎的な研究がおろそかにされて、その結果将来 的に重大な発見や革新的な発明が少なくなって、学問研究が先細りする恐れがあることが言わ れて来ました。 現代に生きる我々にとって、コスト優先ということは経済的な原則ではありますが、それだけ ではなく、短期的には無駄であるけれども、将来のために費やす努力、目先の損に目をつぶる ゆとり、というものが大切であることを、今回のコロナ禍は、我々に示してくれているのでは ないでしょうか。

2022年3月5日土曜日

「鷲田清一折々のことば」2282を読んで

2022年2月3日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2282では 前衛美術家で、かの太陽の塔の制作者、岡本太郎の『太郎に訊け!岡本太郎流爆発人生相談』 から、次のことばが取り上げられています。    人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま    誇らしくなければならないんだ。 私は彼の太陽の塔が好きで、彼こそは他の日本人には見られない、スケールの大きな芸術家で あると思っています。この言葉は、いかにも彼らしい言葉。彼の芸術の根本を貫く言葉(思想) だと感じます。 そして元来人間はそうあるべきであり、そうあることを理想とすべきであると思います。しかる に私たちは、どんどん各個人を差異化し、優劣の序列をつけて差別化して来たと感じます。 なるほど人間には競争心があって、互いが競うことによって、それぞれのスキルが向上して来た 側面があります。でもそれは、それぞれの分野や狭い部分でのことであるべきで、そのことに よってその人間の全体が評価されるべきではないですし、そのことによって人の優劣が決められ るべきではないと思います。 しかるに現代では、社会的地位や富裕の度合い、所属企業、出身大学、学業成績など、外面的な 評価基準で人の優劣を決めるということが、益々当たり前になっているように感じます。 そのようにして人物を評定すれば分かりやすいし、手っ取り早いということでしょう。でも、 人間の価値はそれだけで決められるものではない。その基準からは外れたところに、美点を有し ている人は、いくらでもいます。 増してや人間は、それぞれの固有の資質の中に他より優れたものを有しているはずで、周囲から もそれが認められ、本人もそのことを自覚して、自分を誇らしく思えることが、理想であると 思います。 現実にはなかなか難しいことですが、少なくとも、岡本太郎の芸術がその理想を指示してくれる ことこそ、掛け替えのないことだと感じます。

2022年3月1日火曜日

和田洋一著「新島襄」を読んで

同支社中学、高校、大学出身の私は、授業、礼拝等で、校祖新島の話を数多く聞かされて 来ましたし、その他にも彼の伝記を読み、ドラマを観て来ました。しかし本書は私にとって、 彼の生涯を辿る上で最も感銘を受けた書物であり、この本を読むことによって、新島が同志 社の学校教育に託したものの意味を、初めて理解したように感じました。 無論そのように感じられたのは、すでに私に、彼の経歴や言動に対するある程度以上の蓄積 があったからに違いありません。だが同時に、例えば同志社で語られる新島のエピソードや、 教えは半ば神格化されているところがあり、またその他に接した伝記やドラマは、彼を興味 本位に描いたり、俗物的に描いたりしていると、感じられるところがありました。 その点本書は、同志社の内部事情にも詳しい筆者が、新島という傑出した人物の生涯を、 資料に則して欠点も含め、公正に描いているところに価値があると思います。そしてその 視点が、私に彼の生き方への共感を呼び起こしたのだと感じます。 新島の鎖国の禁を破っての日本脱出や、日本最初のキリスト教教育に基づく、私立英学校の 設立の決意といった大きなエピソードは別にして、本書に記された彼の考え方や行動の中で、 私が共感を覚えたのは、彼が滞米中には日本新政府の資金援助を拒み、帰国後も役人になる ことを断って、一貫して在野の立場で学校設立を目指したことで、それは彼がキリスト教の 伝道者の資格を持ち、キリスト教団及びアメリカの篤志家の資金援助で、活動を行ったこと と深く関係しますが、まだキリスト教への反発が激しかった当時の日本で、公の力を借りず、 終始変わることのない教育方針を貫いたことに、彼の意志の強さ、宗教的信念を感じます。 そしてこのような経緯で設立された同支社が、現在でも多少ブルジョア的な気質と公の力に おもねらない独立心を有していると感じられるのは、新島の気質によるところが大きいで しょう。 そうして生涯を学校設立に賭して、志半ばで倒れた彼の遺言に、生徒を尊重し、形にはめず 伸びやかに教育し、教育機関として惰性に陥ることのないこととありますが、私の学生時代 にはこの自由な校風に甘え、とかく怠惰な学校生活を送ったという反省はあるものの、人生 も終盤に差し掛かって、新島精神は確かに、私の中に息づいていると感じられることに、 つながっているに違いありません。