2016年7月31日日曜日

鷲田清一「折々のことば」473を読んで

2016年7がつ30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」473では、
奄美群島・沖永良部島の唄から引いた、次のことばが取り上げられています。

 ひちゅはきもぐくる はぎしがたいらぬ かいこむしみより わたやにしき

文化人類学者の今福龍太によると、「人はこころである。外見は重要では
ない。蚕の幼虫を見てごらん。外見は醜いが、はらわたのなかに美しい
絹糸を生み出すすべてが詰まっている」という意味だそうです。

この言葉を読んで私はすぐに、「ぼろは着てても心のにしき・・・」という演歌の
歌詞を思い浮かべました。

心が美しいということは人格の本質に係わることで、私自身もそうでありたと
思いますが、白生地屋の店主としては、絹糸が心の美しさにたとえらている
ことに、感慨深いものを感じました。

というのは最近とみに、洋装にしても、和装にしても、一般の人々の絹離れが
進んでいるように感じるからです。

シルクというものは確かにデリケートで、取扱いに気遣いが必要な部分があり、
効率を優先する現代の生活にあっては、日用使いの品としてそぐわない面も
あるでしょう。

しかしその美しさ、肌触りの心地よさは、長い年月を通して日本人に愛され、
ずっと憧れられて来ました。その伝統としての絹への憧憬が、何らかの形で
残ってくれたらと、切に思います。

2016年7月28日木曜日

漱石「吾輩は猫である」における、ついに学問の価値の問題に至った迷亭の結婚反対論

2016年7月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載74には、
金田の意を汲んで苦沙弥先生宅を訪れた旧友鈴木に、ついに迷亭が学問の
値打ちという尺度を持ち出して、寒月と金田の令嬢との結婚に反対する論を
展開する、次の記述があります。

「しかし智識その物に至ってはどうである。もし智識に対する報酬として何物をか
与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識
以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがない。」

金田夫人の大きな鼻を持ち出して結婚反対論を唱えていた迷亭が、ついに
自身の本音を明らかにしたと、言えるでしょう。

ギリシャにおけるオリンピックの発祥から説き起こして、彼は学識の価値の
至高性を論じます。寒月のような学問に殉ずべき人間が、金にものを言わせる
金田のような成金の娘と結婚すべきではない、という論法です。

この迷亭の考え方は、とりもなおさず漱石の本心をも表しているでしょう。
漱石は学問に真摯に取り組むことの価値を強く信じていたでしょうし、博士号の
拒否事件が示すように、国や一部の権力機構が学問を権威付けることに
よって、学問の純粋さに歪みが生ずることを、懸念していたからです。

この漱石の内に秘めた潔癖さは、苦沙弥先生の不器用だが正義感や優しさ
も持ち合わせる好人物というキャラクターにも、反映されていると感じます。

2016年7月26日火曜日

細田守監督「バケモノの子」を観て

観たいと思っていた「バケモノの子」がテレビで放映されたので、早速観てみ
ました。

この作品は、バケモノと人間の子供の心の交流が物語の中心にすえられて
いて、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の影響なども、随所に見受けられ
ました。

でも私にとって面白かったのは、師匠であるバケモノ熊徹と、その弟子である
人間の子九太(蓮)の関係のユニークさで、粗暴な熊徹が弟子との交感に
よって、武道の技術や精神力を高められ、九太は師匠を教師、時によっては
反面教師として修行を積むことによって、たくましく成長します。

この二人の関係性は、ある意味現代のあるべき父子の姿の一つのようにも、
感じられました。

さて熊徹がこれほど横暴で自堕落なバケモノであるのに、どうして宗師は
彼が自らの後継候補の有力な一人と考えているのか。彼がただ単に強い
から?

これもこの作品を観ていて、私の気になった部分です。

熊徹に自分では表現することが出来ないけれども、強いだけではない
バケモノとしての器量があった。それは強くなる過程で磨かれたものなのか?

熊徹が九太に武術を教えている時、自分の思いをうまく伝えられなくて、
もどかしげに心に剣を持てと言う場面、最後には自らが神の剣となって
九太の心に宿り、この弟子が邪悪なものに立ち向かうための力を与える
場面、剣は人の心の強さや意志を暗示しているようで、熊徹に対する私の
疑問が解けたように感じました。

2016年7月22日金曜日

京都市美術館「モネ展」を観て

マルモッタン・モネ美術館の所蔵品によるモネ展です。同美術館は、医師として
個人的な親交があり、初期からのコレクターとして知られるド・ベリオの
コレクションと、モネの息子ミシェルより遺贈された画家のプライベートコレクション
によってなる、充実したモネ作品の収蔵で有名で、本展もそれらの中から選ば
れた作品によって構成されています。従って従来のモネ展より、会場全体に
親密な空気が流れ、モネの作品と画家自身の新たな一面を見せてくれるように
感じられます。

まず冒頭<家族の肖像>のコーナーでは、同じ印象派の画家として親交の
深かった、ルノワールによるモネとモネ夫人の肖像画が並び、次に画家自身に
よる子息のポートレートが続きます。私の記憶する限りでは彼の肖像画を観る
のはこれが初めてで、特にこれという特色があるわけではありませんが、愛する
息子に対する熱を帯びた眼差しが伝わって来ます。

<若き日のモネ>のカリカチュア作品を観るのも最初で、画家が十代の時に
そのような絵を描いていたとはついぞ知りませんでしたが、風刺画とはいえ
どこか上品で、確かなデッサン力も感じられるので、先達としてブータンが彼に
本格的な絵を描くよう勧めたことが、うなずける気がします。

<収集家としてのモネ>では、彼が手元に置き愛蔵した他の芸術家の作品、
影響を受けた画家、親交のあった美術家、気になる後進の作品が並んで
いますが、それらは概して水彩画、小さな彫刻作品、版画などの小品で、彼が
自室でこれらをめでる様子が想像出来る気がします。

<ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作>では、残念ながら私が訪れた
日にはもう、印象派の代名詞ともなった「印象・日の出」は展示されていません
でしたが、それに代わる「テュイルリー公園」は素晴らしい作品で、光の移ろい
というような色彩効果を中心に描く画家という印象のあるモネの、より写実的で
オーソドックスな風景画においても、優れた画家であるという一面を見せられる
思いがしました。

<睡蓮と花><最晩年の作品>に展示されるのは、晩年のモネが手塩に掛けて
作り上げたジヴェルニーの日本庭園で創作に没頭して産み出した作品群で、彼の
制作活動がより個人的親密さを増した時代の絵画です。気に入りの題材を、
後期の彼の興味の対象である光の移ろい、揺らめきを追い求めながら、飽くこと
なく描き続けた作品たちで、その絵画に賭ける情熱、それによって与えられる
至福の時間、しかしいかなる天才にも終焉の時が訪れるという厳然たる事実が
示されているようで、最後には粛然とした気分に囚われました。


2016年7月20日水曜日

鷲田清一「折々のことば」463を読んで

2016年7月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」463では、
先日亡くなった大阪の古書店の名物店主、坂本健一の次のことばが取り上げ
られています。

 どん底には明日があり 頂上には下りしかない

勇気を与えてくれる言葉です。どん底とは言えないにしても、かなり落ち込んで
いる時、悪い時もあれば必ずいい時もあると思えることは、随分心を奮い立た
せてくれますし、気持ちを前向きにもしてくれます。

頂上なんて経験もないけれど、何か思いもよらないチャンスが訪れそうな時が
あって、もしこの望みがかなったら、その先が恐ろしいんじゃないかと、ドキドキ
させられたこともありました。

悪い時も良い時も、この言葉が示してくれるように、絶望せず、調子に乗らず
という心の持ち方を保つことが出来れば、と感じます。

また同じくものを販売する職業に携わっている人間いう観点から考えると、
坂本のように終戦直後のものが欠乏した時代、本当に人々が必要とする本を
様々な困難に直面しながら提供し続けた商売人としての心意気を、ものが
有り余る時代に人々が必要とするものを提供する術を模索する私にとっても、
もう一度上記の言葉と共に、かみしめてみる意味があると、改めて思いました。

2016年7月18日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、自分の座るべき座蒲団に鎮座する、吾輩をもて余す鈴木

2016年7月15日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載67には、
金田の意を体して苦沙弥のもとを訪れた旧友鈴木藤十郎が、自分のために
用意されたはずの座蒲団に、こともあろうに一匹の猫が悠然とうずくまっている
のを目の当たりにして、戸惑っている様子を記する、次の文章があります。

「堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬという事はあろうはずがないのに、
なぜ早く吾輩を処分して自分の不平を洩らさないかというと、これは全く
鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自重心の故であると察せ
らるる。」

これは見ものの光景です。金田の威光を借り、英国仕込みの背広と金鎖で
身をやつした鈴木が、自分の落ち着くべき座蒲団に、みすぼらしい猫が
悠然と座っているのを眼前にして、追い払うのもこけんにかかわり、されども
この厚かましい猫がしゃくに触って、苦虫を噛み潰した表情で脇に控えている。

とかく底の浅い人物ほど、自分より上の立場の人間には腰をかがめ、下の者
には相手がへりくだることを求めるものでしょう。ましてや、自分が今相対して
いるのが、猫のぶんざいであったなら・・・。

漱石の成金やその取り巻きたちへのきつい風刺が、小気味よく響く文章です。

一方吾輩は、当の鈴木の滑稽な有り様を楽しむように、これ見よがしに件の
座蒲団を占領し続ける。やれやれ苦沙弥先生まで、彼のご立派な肩書きの
名刺を、厠という臭い所に忘れて来たようです。さすがの鈴木の面目も、地に
落ちたものです。

2016年7月16日土曜日

たついけ浴衣まつり開催

7月15日に、京都国際マンガミュージアムで「たついけ浴衣まつり」が開催
されました。

私は店の閉店後午後5時30分ごろ会場に到着しましたが、和太鼓演奏が
すでに始まっていて、沢山の入場者でにぎわっていました。

和太鼓は「祭りっこ」という若い女性のグループが演奏していて、若々しい
掛け声と小気味いいバチさばきで、盛大な喝采を受けていました。

マンガミュージアム恒例のヤッサン一座の紙芝居口演の後、いよいよ
本日第一回目の「鷹山」のお囃子披露が始まりました。

目の前の実演は力強く、迫力があり、臨場感がひしひしと伝わって来ました。
またお囃子披露が回を重ねるごとに、同じお囃子と言っても様々な曲、
奏法があり、曲ごとの情趣があることも、実感しました。

子供たちのお囃子の体験コーナーでは、参加したそれぞれの子供が
真剣な表情で取り組み、祇園祭というものをより身近に感じられるように
なったのではないかと、感じました。

絵描きのやすの似顔絵コーナーも好評で、描いてもらうために並ぶ人の
列が、開催時間中途絶えることがありませんでした。飲食屋台も盛況で、
やきとりなどは最初に準備された分が売り切れて、急いで追加が用意
されたそうです。

京都外大の学生さんたちに手伝ってもらった、鷹山授与品、グッズの
販売コーナーを覗くと、可愛い「犬まもり」「鷹まもり」があったので、思わず
購入しました。

「たついけ浴衣まつり」は多くの参加者を得て成功裏に閉幕し、学区の
初夏の恒例行事として定着しないものかと、感じさせられました。

2016年7月13日水曜日

吉村昭著「天に遊ぶ」を読んで

原稿用紙十枚以下の非常に短い短編小説を編んだ短編集です。吉村昭というと
優れた記録文学、歴史文学の長編で知られていて、私も一度読んでみたいと
思っているのですが、彼の小説の入門書としてはこの短編集が最適という記事を
新聞で見て、まず読んでみることにしました。

上述のようにそれぞれの一編はごく短いものですが、言葉にしにくい人の心理の
微妙なあやが掬い取られていて、彼の小説家としての技量のほどを彷彿とさせ
ます。

各々の作品が読む者の心をかすかに波立たせる余韻を残しますが、私は男女の
性の営みを扱った作品に、とりわけ強い感銘を受けました。

「鶴」は、小説家の桜本が若い頃に参加していた同人雑誌のかつての仲間で、
以降も小説家として芽が出ず、所詮は同人雑誌作家で終わった岸川の五十代
での死を知らされて、しばらく交流もなかったのに義理を感じて通夜に赴くが、
その席で初めて会った、噂には聞いていた、随分以前から岸川が妻子を捨てて
同棲していた二十五歳年上の女性の美しさに驚かされ、その上彼の死因が
腹上死であったことを知って、大きく動揺する話です。

桜本は以前、すでに同棲していた岸川がその女性に遠慮して、彼女との関係を
小説の題材に出来ないことを小説家として甘いと考えていました。つまり、岸川が
小説に向き合う姿勢が不十分なために、自分のように小説家として独り立ち
出来なかったと考えていたのです。しかし当の女性を目の当たりにして、彼の
価値観は反転します。

岸川には小説を書くことよりも、彼女との暮らしを守ることの方がずっと大切だった
のではないか?人生を何に賭けるかということ、はたまた男女の情愛の深淵を
感じさせてくれる作品です。さらには、小説家としての吉村昭自身の価値観をも
はぐらかすような、面白味もあります。

「紅葉」は、重度の肺結核に冒され肋骨切除の手術を受けた、旧制高校生の
野尻君が、山中のひなびた温泉宿に長期逗留する間のある日、襖を隔てた
隣室に泊まった男女が夜に悲愴な声を上げて交わる気配を聞き、翌日その男が
女を巡る痴情の縺れから殺人を犯したとして連行されるのを、目撃する話です。

結核によって若くして死を身近なものとした野尻君が、人を殺し、明日にも
引き裂かれる運命の男女の刹那的な性交を心に受け止めて、何を感じたか?
まるで映画の一場面のように、情景が思い浮かぶ作品です。

本書を読んで吉村が、人間の心理の深層に並々ならぬ興味を持つ作家である
ことを、知らされました。

2016年7月10日日曜日

鷲田清一「折々のことば」454を読んで

2016年7月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」454では、
民藝運動の主導者柳宗悦による、次のことばが取り上げられています。

 不完全を厭う美しさよりも、不完全をも容れる美しさの方が深い。

これは私の思うに、東洋的な美意識でしょう。例えば古い美術品の修復に
しても、西洋では描かれた、あるいは制作された当時の姿そのままに、復元
するという方針のもとに修復がなされる傾向があり、我が国では経年に
よって生じた古色を残しながら、修復する傾向があるように感じます。

更に具体的には陶器の修復に際して、割れた部分に金物をかませて
元の形に戻し、その割れ目の跡、金物を含む姿がその器の味や趣であると
考える美感が、我々の中には存在します。これなどは不完全さをさらに
積極的に評価する審美眼の現れでしょう。

また西洋では従来、庭園の造作において完璧な左右対称の美を指向し、
対して日本庭園では地形の起伏を利用したり、部分部分の美しさの
集合体としての全体を思い描いて、作庭されたように感じます。

つまり西洋の価値観では、自然を超克した美が求められ、日本ではより
自然に則した美が求められて来た、ということでしょう。

私たちが日常に用いる物にしても、今日の工業化社会では手作りの品物を
多く所有し、用いることは難しいにしても、手作りの品に工業製品にはない
温もりを感じさせられるのは、従来より培われて来たこのような美意識の
発露と言えるのではないでしょうか。

2016年7月8日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭の論旨をずらせた寒月と金田の令嬢の結婚反対論

2016年7月5日朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載59には、
迷亭が金田夫人の鼻の巨大さを根拠として、寒月と金田の令嬢の結婚に
反対する論理を展開する、次の記述があります。

「「それ故にこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によりますと、今の中御断念に
なった方が安全かと思われます、これには当家の御主人は無論の事、そこに
寐ておらるる猫又殿にも御異存はなかろうと存じます」」

いやはや、これは傑作です!迷亭はこの珍理論に対して、苦沙弥先生だけ
では飽きたらず、こともあろうに吾輩の賛同まで得ようとしています。

しかし金田夫人の権力や財力を鼻に掛けた傲慢さ、押し付けがましさへの
非難を、その顔に不釣り合いな鼻の存在感にすり替えて、手厳しくやり込める
というのは、諧謔の常套手段とでも言いましょうか、読者はニヤニヤしながら、
同時に胸のすく思いもします。

ちっぽけな猫の吾輩が自らの矜持を失わず人間どもの愚行を笑い、またその
人間の中の一介の教師たる、苦沙弥や珍友迷亭など恵まれない知識人は、
世間で幅を利かす成金の生態を茶化す。

また勿論、吾輩も、その主人一党も、自分たちが平気でやっていることは
傍から見れば十分に滑稽で、罪がない。こんな入れ子状態の話の展開が、
読む者を惹きつけてやまないのだと、感じさせられます。

2016年7月6日水曜日

龍池町つくり委員会 30

7月5日に、第48回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

いよいよ7月15日の、祇園祭鷹山復興支援の「たついけ浴衣まつり」が
近づいて来ました。学区内に催しを告知するカラーポスターも貼り出され、
御所南小学校ともえぎ幼稚園の子供たちに配布してもらうための、チラシも
準備出来ました。

今日は町つくり委員でこの催し担当の森さんより、最終のスケジュール説明、
手伝って頂く京都外大の学生さんたちと、町つくり委員各人の参加時間の
調整と役割分担について、話し合われました。私も店の営業日なので、
営業時間終了後、午後5時30分ごろから手伝う予定でいます。

なお晴天の場合は、京都国際マンガミュージアム・グラウンドで催しを行い、
雨天の時は、AVホールで開催されます。どれだけの反響があるか、楽しみ
です。

京都外大との共同企画スタンプラリーについては、本年は前回の当委員会で
提案された、「たついけ減災マップ作り」を中心に引き続き検討されることに
なって、学区の自主防災会で以前に作成した、災害時の各町の
避難集合場所や、防災をテーマにした学区内の通りの探索などが、ラリーの
キーワードとして挙げられています。

7月25日の恒例のラジオ体操初日には、今年も杉林さん提案のカルタ取りを
行うことになりました。

2016年7月3日日曜日

鷲田清一「折々のことば」446を読んで

2016年7月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」446では、
俳優岸部一徳の次のことばが取り上げられています。

 「あの俳優、知らないうちに見かけなくなったなあ」と言われるような
 消え方をしたい。

存在感のある俳優の、役者としての美学といったところかも知れません。

この言葉を私自身に引き付けて考えると、私も今年とうとう還暦を迎える
ので、店のこれからということに、思いを巡らせました。

業界の厳しい環境や、決まった後継者がいないという現状からも、店を
末永く存続させて行ける保証はなにもありませんが、もし続けることが
可能ならば、そういえばあの頃はあんな店主がいたと、何かの拍子に
思い返してもらえる程度に、静かに退場出来るのが理想だと感じます。

でももちろん現実には、まだまだ老け込む歳ではなく、お客さまの
ご要望に答えられる間は、現役として全力で頑張りたいと思っていますが、
あくまで店としての信用を優先的に考えたいという意味で、こんな想いが
去来したのだと感じます。

いずれにしても、そんなことを考えてしまう年齢になったということでしょう。

2016年7月1日金曜日

白井聡著「永続敗戦論」を読んで

我が国戦後政治体制の実相を抉り出す、気鋭の社会思想、政治学者の論稿
です。

第二次世界大戦の敗戦後、占領期の延長としての日米安全保障条約に基づく
米軍の国内駐留が今なお続く状態を、軍事面の敗北の継続と捉え、その反動
として内心では敗戦を受け入れず、周辺のアジア諸国に対する戦争責任を
面従腹背の姿勢で曖昧に処理しようとしているように感じさせる、日本の政治、
外交政策を形作る深層心理を明らかにします。

白井の論理は実は殊更目新しいものではなく、すでに加藤典洋らによって、
我が国を巡る戦後処理が当時のソ連の影響力の拡大を懸念する米国主導で、
軍部のみに責任を限定する不完全な形で遂行され、その結果国民全体に
敗戦の自覚が乏しいまま、戦前と地続きの天皇制が維持され、非戦を誓う
平和憲法を有しながら米国の軍事力に庇護される”ねじれ”た戦後体制が形成
された、と論じられて来ました。

しかしこの矛盾は、多くの国民が経済的繁栄を謳歌した高度成長期には顕在化
せず、今日まで一般にはあまり注視されることもなかったとも言えます。

ところがバブルの崩壊を経て、長期の経済低迷が続き、最早我々が更なる
豊かさの増大を実感出来なくなり、かつ、貧困が大きな社会問題となり始めた
今日、他方中国、韓国の国力の向上に伴って、我が国との間の歴史、領土を
巡る見解の相違が新たな外交問題として表面化し、沖縄では米軍基地の
県内移転の決定が県民の厳しい抵抗を受け、更に先般の東日本大震災では
安全と信じられていた原発が未曾有の被害をもたらした中で、国や社会の
指導的立場にある人々の責任感の欠如が顕在化し、そのそもそもの根幹を
なす戦後政治体制の矛盾が明らかになって来ました。著者はその現実を我々に
容赦なく突きつけたと言えるでしょう。

私自身は彼の論を読んで、国民の平和憲法受容の経緯や、経済発展に向けた
努力、これまでの豊かな経済力を用いての平和で友好的な外交姿勢を、そこまで
一方的に断罪すべきではないと考えますが、国際情勢や社会環境の急激な変化
に伴って、為政者が内政、外交の両面において国民本位の責任ある主体的な
立場で、政策決定や運営を行うべき要請は今まで以上に高まって来ていると、
ひしひしと感じます。

そのような政治体制を生み出すための指針は、本書には記されていませんが、
結局は国民一人一人がこの国のこれからのあるべき姿について考え、選挙
などの政治行動によって自らの意志を積極的に表明することに尽きるという、
当たり前のことに思い至ります。