2021年7月30日金曜日

「後藤正文の朝からロック 複雑さの側に立って」を読んで

2021年7月14日付け朝日新聞朝刊「後藤正文の朝からロック」では、「複雑さの側に立って」 と題して、ミュージシャンの筆者が、コロナ禍で日本最大のロックフェスが中止になった ことから語り起して、コンサートの大小によって経済効果と言う観点から、短絡的にその 価値の有無を決めることの誤りについて、語っています。 つまり、一概にコンサートの規模の大きさだけで、観客に音楽的感銘を与える度合いを、 計ることは出来ないということです。 確かに私も、その考えに同意します。先日も誰か指導的立場の人が、オリンピックに観客を 入れることと、普通の子供のピアノ発表会を同列に比較する質問を記者から受けて、逆ギレ 的な発言をして、撤回せざるを得ない事態に陥っていましたっけ。 経済効果を含め、物事を数値で比較することは、一見分かりやすく、明解に見えます。そし て事態の数値化ということは、昨今合理性という観点から、しばしば奨励されて来ました。 でも、数値だけでは測れないものが確かにあると、私たちもそろそろ気づいて来たはずで す。それが証拠に、合理化、経済的効果、有用性を優先した判断の尺度が、温もりのない、 殺伐とした、中身の薄い現実社会を醸成して来たと、感じられるからです。 少なくとも文化、礼節、創造的活動、人と人の絆に関わることは、経済的効果を始めと する数値的な尺度を超えた価値の判断基準を、私たちは持つべきであると思います。 そのためにも私たちは、自分自身の確固とした価値観を持つことが出来るように、日頃 から知的鍛錬を怠らないようにすべきではないでしょうか。

2021年7月27日火曜日

私の大腸がん闘病記⑱

まず点滴、それから2週間の薬服用という、抗がん剤治療を重ねて行くうちに、だんだん それぞれの治療による副作用のサイクルが、体で分かって来るようになって来ました。 つまり、点滴の副作用が1週間目ぐらいには薄れ、次に服薬による副作用が増して来ます。 そしてその後1週間の休薬期間には、しばしの息抜きという具合に、体が楽になります。 このようなサイクルが自覚されて来ると、3週間後に新たな点滴が始まることが、大変 苦痛に感じるようになって来ました。点滴という重い副作用を伴う治療がまずあり、それ から服薬の副作用がじわじわと体を蝕み、やっと休薬で解放されたと思ったら、目の前に は、新たな点滴が待ち構えています。 そこでまた点滴を受けるために病院へ行くことが、どれほど苦しみに満ちたものである ことか!しかも、各治療に伴う副作用は、体の慣れによって軽減されるものもあるものの、 相対的には、回を重ねるごとにきつくなって行くのです。 最初の頃は、この治療は私にとって、癌からの治癒のために不可欠のものであり、この 治療を受けてさえいれば、必ず回復するというポジティブな意識が、治療を忌避する考え を上回っていましたたが、次第に副作用が募って来ると、果たして本当にこの治療を受け て、私の癌は治癒するのかという、疑念が広がって来ました。 それでも、私を何とか治療の継続に向かわせたのは、このままではまだ人生を終わらせ たくない、やり残したことがあるという、癌克服後の生き甲斐を設定することが出来た ことで、それを目標に何が何でも治療を完遂しようという、覚悟が出来たことでした。 癌を患った経験のない方、回復が難しいと宣告を受けながら、一縷の望みを求めて抗がん 剤治療を続けておられる方には、私の考え方は、大げさ過ぎるとか、楽観的過ぎると思わ れるかもしれませんが、まさしく当事者としては、このように感じざるを得なかったの です。

2021年7月23日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2083を読んで

2021年7月13日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2083では 大阪釜ヶ崎で「こえとことばとこころの部屋」を主宰する詩人上田暇奈代の次のことばが 取り上げられています。    多様性って、やっぱ覚悟いりますよ。 この詩人は、多様性は「自分にとって居心地のいい人だけと一緒にいること」ではなく、 むしろ「招かざるお客さん」とどう「出会い直して」いくかが問題だ、と言います。 なるほど、同じか似た考え方を持つ人と、一緒にいることは心地いい。でも、考え方が 違ったり、立場が全然違う人と、お互いに相手を認め合った上で、共存を図ることは難し い。 でも確かに、多様性とはそういうことであるとは、理解出来ます。それゆえに、多様性を 有することは、柔軟であり、かつ強靭なのでしょう。例えば自然界における種の多様性の ように。 更には、この解釈に付け加えて、「折々のことば」の筆者自身が、多様性の実現の困難さ の筆頭が、自分自身についてではないか?なぜなら、認めたくない自分が自身の奥に居座 っているのだから、と述べています。 う~ん、正にそうなのでしょう。生い立ちや経験、自分の立場から導かれた自身の考え方 は、そう簡単には変えられない(曲げられない)ものです。しかもそれをやすやすと変え てしまったら、自分を見失ってしまうかも知れない、という不安もあります。 でもそれを、あえて客観的な視点から検証し、正すべきは正したり、考え方を変更する ことこそ、あるべき人間の姿であり、これから益々求められている、ことなのでしょう。 私自身にとっても、これはかなり困難なことではありますが、少しでもそのような姿に 近づきたいと、この文章を読んで、感じました。

2021年7月20日火曜日

私の大腸がん闘病記⑰

点滴の翌朝目覚めると、まだ体がだるいような、眠気が頭の芯から抜けないような、感覚が ありました。それに点滴の針を刺した血管の周辺に痛みがあり、これは後に知るのですが、 一度点滴の針を刺した血管にはしばらくダメージが残り、以降同じ腕でも血管を変えながら 点滴の針を刺すことになりました。 それ以外では食欲が少し落ちて、消化に良く喉を通りやすい食べ物を欲するようになりまし た。このことはあらかじめ、抗がん剤点滴の副作用として情報を得ていて、市販の病後の 介護食を通販で購入していたので、私が1日の食事の中で一番量を多く取る夕食には、介護 食の中の柔らか食を食べるようにしました。 また、水や牛乳など液体状のものを飲み込む時にも、常温より冷たいものは舌がひりひり するので、普段冷蔵庫に入っているものは常温に戻したり、温めたりして飲むようにしま した。このような食感に関する副作用は、前半では点滴の数を重ねるほどに強くなり、 後半に入ると体が馴染んで来たのか、比較的軽く感じられるようになって来ました。 他方、点滴の翌日以降はお腹が緩くなり、最初の頃は手術後の大腸の傷も癒えていないこと もあって、なかなか下痢が止まらず、1日の10回以上もトイレに駆け込むことになりました。 この下痢の症状は、点滴後1週間ほどすると、点滴自体による副作用が緩和されて来て、 下痢の症状は治まるのですが、今度は逆にきつい便秘に陥り、なかなか便が出ず、苦しむ ことになりました。 点滴をして、2週間の抗がん剤服用というサイクルで考えると、1週間ぐらいで点滴の副作用 が収まり、2週目からは服用した抗がん剤の副作用が強まって来るように感じられました。 これは、手足にしびれを感じたり、掌、足の裏が赤くはれ上がって感覚が薄れ、力が伝わり にくくなるという現象で、指は小さいものをつかみにくくなり、足裏は少し距離を歩くと 体重がかかる影響で痛くなり、そのような状態になると、あまり歩かないようにしなければ なりませんでした。また、足の裏の刺激が出来るだけ少ないように、足裏に当たる部分に クッションが入れてある靴を、新たに購入しました。

2021年7月16日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2078を読んで

2021年7月7日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」2078では、コラムニスト小田嶋隆 の「通販生活」夏号への寄稿から、次のことばが取り上げられています。    われわれの人生にとって本当に必要な仕事の    半ば以上は、さして急を要さない不急の動作    のうちに内在しているものなのだ。 近頃はコロナ禍もあって、「不要不急」のことは後に回す、という趣旨の表現がしきりに 用いられていますが、このような考え方は緊急避難の策でしかなく、これを行政においても 基本に据えたために、国の姿は「ひどく貧寒」になったと、このコラムニストは述べてい ます。 確かに「不要不急」のこと以外に集中するというと、さも効率的で、無駄がないように感じ られますが、私たち人間の生活は、緊急ではないけれど、決して不要ではないことの積み重 ねによって、成り立っている部分も多いように、感じられます。 例えば人と人が顔を合わせて挨拶をしたり、コミュニケーションを図ることや、慣例として の儀式を行うために集まること、季節に合わせた設えを施し、時候に即して生活を整える ことなど。 これらのことは、即効性があり、合理的であるという意味では、無駄なことかも知れません が、それらを抜きにしては、人生は味気のないものになると、思われます。 同様に行政施策においても、私たちが長年培って来た含みや遊びを排除しては、大切なもの が失われて行くと、感じられます。

2021年7月13日火曜日

私の大腸がん闘病記⑯

抗がん剤の点滴が終わり、病院を出ました。病院が自宅から近いので、通常は自転車で 通うのですが、この日は、予め自転車にも乗らないようにと言われていたので、徒歩で 自宅に向かいました。 何か気だるいような、歩いていても宙に浮いているような感覚があって、ゆっくりと 注意して歩きました。また皮膚が過敏になっているようで、外気が表皮をなでるような ひりひりとした感覚がありました。 家に着いた時には、あまり大したことはないように思われて、そのまま仕事に取り掛か りました。疲れたような、体が重いような感じはありましたが、もう夕暮れ前だった ので、終業時間まで仕事をこなしました。 帰宅後体の変化で気づいたことは、先ほど触れた皮膚感覚が過敏になったという部分で、 水で手を洗うと、静電気で痺れるような反応を指先に感じて、驚きました。以降水を 使う時には、十分注意して慎重に指を濡らしました。 また、皮膚の過敏さに関連していると思われますが、ある程度以上硬い食べ物を噛んだ 時に、歯茎が痺れるような感覚が口内に広がりました。それで食事中にものを噛む時も、 慎重に口を動かすようになりました。 点滴をした当日は、食欲もある程度あり、手術後ということもあって、脂っこくない 消化に良いもの、刺激の少ないものを主に食べていましたが、それらの食事も普段通り スムーズに喉を通りました。 ただ、今回の抗癌剤治療のメニュー通り、点滴を受けた後には直ぐに2週間の抗がん剤 服用が始まりますので、食後には抗がん剤5錠飲まなければならず、前回の点滴なしで 薬を服用する時よりも、さらに億劫に感じました。 夜にはいつもより早く眠気を感じ、すぐに床に就きました。この頃にはまだ夜中に何回 も尿意や便意を催してトイレに行っていましたが、不幸中の幸いというか、怪我の功名 とでも言うのか、この日は1回も夜中に起きることなく、朝まで眠ることが出来ました。

2021年7月9日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2073を読んで

2021年7月2日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」2073では、作家・クリエーター いとうせいこうの『「国境なき医師団」を見に行く」』から、次のことばを取り上げてい ます。    「たまたま彼らだった私」と「たまたま私で    あった彼ら」という観点こそが、人間という    集団をここまで生かしてきたのだ 異国からの難民を救援するギリシャの「国境なき医師団」の活動を取材した筆者は、難民 として祖国を追われた人々を見て、状況が少しずれれば自分がこの立場だったかもしれ ないと思い知らされます。 人は、ついつい自分の生きている社会状況や、置かれた立場を基準として、ものを考え がちです。国際的に恵まれた環境に暮らしている私たちは、人々が平和な状態で暮らして いることを、当たり前と考えがちです。 でも世界に目を向ければ、紛争によって生命を脅かされたり、政情不安によって経済的に 行き詰まり、やむを得ず祖国を脱出しなければならない人が、今なお多数存在します。 自分自身は例え恵まれた国に暮らしていても、それらの人々の窮状に目を向け、自分が その立場ならと想像力を働かせること。それこそが人類社会の倫理を担って来たのだと、 筆者は訴えます。 考えてみれば私たちが、ある意味人権意識や社会的平等という考え方に対して無頓着なの は、旧弊に縛られていたり、想像力の欠如によるところが大きいと、思われます。 国際的な視座に立ち、世界の中の一員として自分たちを見つめ直すことも、今必要とされ ることであると、この文章を読んで感じました。

2021年7月5日月曜日

私の大腸がん闘病記⑮

ブドウ糖の点滴での注入はスムーズに進み、20分ぐらい後にはそれに合わせて吐き気止めの 薬の注入が始まりました。そしてまた感覚的には20分ほど経過後、いよいよ抗がん剤の点滴 が始まりました。 この薬剤の入ったパックは、全身に物々しい防備を施した、担当の看護師によって大変慎重 に扱われ、取り違えがないように私の名前を確認して、腕につながれているチューブに装着 されました。引き続きブドウ糖の注入も継続されているので、最初はあまり体調の変化を 感じませんでしたが、徐々に何か不穏なものが体に入って来るような、気持ち悪さを感じる ようになって来ました。 点滴中にはブドウ糖が継続的に体に注入されているので、しきりに尿意を催し、またその第1 回目には手術後あまり時間が経っていないので、便意もコントロール出来なかったので、 頻繁に化学療法室内のトイレに通いました。 トイレに行く時には担当の看護師に申告して、抗がん剤の点滴を止めてもらって、しかし 点滴の針を抜くことは出来ないので、点滴用のポールを引きずりながら向かいます。用を足 すにもチューブに注意しながら便座に座らなければならず、大変窮屈でした。しかも点滴が 止めてあるとはいえ、抗がん剤のパックをポールにぶら下げているので、非常に気を使いま した。 また点滴中には、担当の看護師が薬剤のパックを交換する時以外にも、何度も私のところに 来て、様子を確認してくれました。抗がん剤を投与されている患者に、万一体調の急変が あったら、迅速に対処するという姿勢が、ありありとみえました。 最初のブドウ糖投与が始まってから約3時間ぐらいで、第1回目の点滴による抗癌剤治療が 終わりました。最後の方になって来ると、次第に悪寒がするという風で気分が悪くなって 来て、いつ終わるか待ち遠しい気持ちで、抗がん剤のパックの中の薬剤が次第に減って 行くのを眺めていました。 とにもかくにも、1回目の治療が終了しました。

2021年7月2日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2072を読んで

待望の再開第1回、「鷲田清一折々のことば」2072では、詩人佐々木幹朗の評論『中原中也 沈黙の音楽』から、次のことばが取り上げられています。    わたしはどう生きるか、これから、という切    実な、未来に対する畏怖の思いを抜きにし    て、言葉は力を持たない。 このことばを受けて、鷲田は「言葉のほんとうの力は、人がその存在の乏しさの極まるぎり ぎりのところで、次の一歩を踏みだすのを支えるところにある。」と受けます。 確かに日常の伝達や確認、また感情の表明とは別に、影響力や共感力のあることばとは何か、 と考えた時に、上記のことばが示す指標は、端的に力あることばのあるべき姿を、語って いるでしょう。 ことにこのコロナ禍では、政治によることばの空虚さ、説得力のなさ、後手に回る歯がゆさ を皆が感じているだけに、なおさらです。 でもこのようなことばの重要さは、何も公共の空間や芸術の世界に限らず、一般人の周囲の 人々との関係性や、個人的な自らの指針を作り出す場合にも、必要なことであると感じられ ます。 とにかく、他者にしても、自分自身にしても、いわゆる人間というものを共感させ、奮い 立たせるためには、自分の全存在を賭するような気概や覚悟がいるのではないか。そして そのためには、自分の与えられた命を精一杯生きることではないか。私はこの文章を読んで、 そのように感じました。