2023年6月23日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2683を読んで

2023年3月25日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2683では 米国の言語学者・批評家、ノーム・チョムスキーの『壊れゆく世界の標』から、次のことばが取り 上げられています。    選択の余地はない。……希望を持つしかない    のだよ。 これに付け加えて、チョムスキーは、希望を手放すのは「最悪の事態が起こるのに協力しよう」と 言うに等しい、と続けます。 そう、諦めたら全てが崩れ去るかもしれない。いかなる瀬戸際においても、私たちが取るべき、 いや取らざるを得ない、心構えでしょう。ウクライナの人々が、自らの領土を奪還することを、心 の支えにしているように。 私たちは困難に直面した時、前を向かざるを得ない。人間は弱い生き物だから、悲観的になったり、 消極的になった時には、直ぐに心の隙間に疑念や不安が入り込み、それがどんどん膨らんで、取り 返しのつかないことになってしまう。 それを阻止するためにも前を見据える。現実には先行きへの不安や、現状への納得のいかなさが 充満する世の中だけど、それを振り切り前を向く。そう志し、そうありたいと、常に思っています。

2023年6月13日火曜日

平野啓一郎著 「死刑について」を読んで

我が国が先進国の中で、死刑制度を維持している数少ない国であることは、かねてからよく話題に なることです。また世界全体を見渡しても、趨勢は死刑廃止に向かっているように思われます。 そのような中で、報道で死刑が取り上げられる状況を見ていると、その姿勢が大変いびつである ように感じられます。 つまり、凶悪な事件を扱う裁判で被告に死刑が宣告される時、それは当然の報いであるように告げ られ、遺族の無念や、彼らにシンパシーを抱く大衆も、幾分かは想いを晴らされるような論調で 報道されます。 他方、一般的に判決から長い期間を経て、法務大臣の認可によってある死刑囚に刑が執行される時、 それは簡潔にさりげなく、出来ることなら触れたくないような調子で、報道されるように思われ ます。 これは我々国民の大多数の死刑に対する想いを反映していて、すなわち、犯人が極悪非道の罪を 犯す時、我々は彼に死をもって罪を償うことを熱烈に支持し、他方死刑の執行においては、事件 から大抵の場合十分に時間が経過していることも重なって、我々は無関心であったり、どこか後ろ めたさを感じて目を背けようとしているように思われます。 前置きが長くなりましたが、このような日本の現状に対して作家平野啓一郎は、死刑制度の廃止を 訴えかけます。本書は、著者が大阪弁護士会主催の講演会で語ったものに、日弁連主催のシンポ ジウムでのコメント等を加えて再構成されたものです。 従って出来るだけ平易に語り掛けようとはしていますが、法律の専門家に訴求するために、硬い 表現になっている部分もあると感じられます。 また本書の論旨は、今まで死刑廃止について様々に語られて来たことを集約した趣がありますが、 私の特に印象に残ったのは、死刑制度は日本国憲法の規定する基本的人権に明らかに違反するもの であり、そのことを我々国民が厳粛に受け止めていないこと。また被害者の遺族感情は複雑であり、 加害者を厳罰に処する以前に、物心両面での手厚い遺族支援が求められることです。 最近のこの国の風潮は、他者の罪、過失を必要以上に厳しくあげつらい、糾弾し、一部にはそう することによって憂さを晴らすという状況が見受けられ、その結果社会が益々息苦しくなって来て いるように感にられます。 犯した罪は正しく裁かれなければなりませんが、憎しみの感情に支配されるのではなく、包容力や 優しさが尊ばれる社会に向かうことを、私も切に願っています。