2019年11月29日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1638を読んで

2019年11月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1638では
法学者・土屋恵一郎の『能』から、次のことばが取り上げられています。

  面をつけることは、視野のうちから自分自身
  の姿を消すことである。

自身も能に親しむ、この法学者の感慨です。

私も以前、能楽の謡と仕舞を習っていた時に、一度だけ装束と面を付けさせても
らったことが、あります。

いざ付けてみると、体の自由はかなり制限され、視界は極端に狭められます。体は
装束と紐で厳重に締め付けられ、視界は面に穿たれた小さな穴から、かろうじて
正面前方がのぞき見られるだけです。

能役者はその状態で、囃子や地謡に合わせて舞台上で舞を演じ、謡うのですから、
その能楽の全てを掌握、暗記していなければならず、舞台上の自身の体の位置取り
も、わずかに視線が捉える四隅の柱との距離から、いちいち推測しながら演じなけれ
ばならないのです。

初めてその出で立ちを体験した私は、途方に暮れるししかありませんでしたが、
実際の能演者にとっても、それが無防備な状態であることは、間違いないでしょう。

それ故に舞台上で観客の視線を集めて、かえってその役になりきり、演じることが
出来るのかも知れませんし、無防備さを逆手に取った気迫が、演技の迫真性を生み
出すのかも知れません。

我々素人には、奥深いことは分かりませんが、少なくとも、謡や仕舞を習うことに
よって自身の集中力や胆力を養うことが出来たとともに、優れた演者の舞台から、
能楽そのものの魅力だけではなく、それを現出させる演じ手の研鑽をくみ取ることが
出来るようになったことは、私にとっての収穫だと思います。

2019年11月27日水曜日

高台寺絵画特別展「マリオ・デル=モナコの世界、ルカ・ガリレオの世界」を観て

紅葉が盛りの高台寺で、上記の展覧会を観て来ました。

一見、高台寺とこの展覧会は、結び付かないように感じられますが、同寺は京都市
の姉妹都市であるフィレンツェ市と深い交流があり、同寺でクラッシックコンサートを
催して来た、ソプラノ歌手で日本イタリア協会理事長の中川くにこさんの協力で、
今回、フィレンツェ出身の高名なテノール歌手であったデル=モナコの油彩画5点の
展示と、中川さんの夫の著名なバイオリニストで、画家としても活躍するガリレオさん
が制作し、同寺に奉納した、襖絵12枚の公開が実現することになった、ということ
です。

デル=モナコの油彩画は、ナス、カボチャ、桃など、野菜や果物を描いた静物画で、
彼は音楽の傍ら美術学校で絵画や彫刻を学び、オペラ引退後は個展開催など
美術でも才能を発揮したということで、私は彼が絵も描いたことを全く知りませんで
したが、淡い彩色の背景から浮かび上がる静物たちは、あくまで柔らかく、繊細で、
観る者を落ち着かせる優しさに満ちています。どれも完成度の高い絵画だと、感じ
ました。

他方ガリレオさんの襖絵は、音楽と絵画の融合を図る前衛的な試みで、バイオリン
の名器ストラディバリウスの音から感受される、原始のエネルギーが渦巻き、変動
する姿を、全て黄金色の油彩絵具で写し取った、抽象的な作品です。

全体が眩いばかりの光彩を放つ作品ですが、黄金色の底に、えも言えない重厚さ
を湛えた落ち着きがあり、設置されている同寺の仏殿「方丈」の古い木造建築の
建物と、不思議な均衡を保って調和しています。その佇まいから、東西の文化の
融合ということを、感じさせられました。またこの寺が、豊臣秀吉の菩提を弔う目的
で建立されたこともあって、秀吉の黄金の茶室のイメージも想起されました。

境内の紅葉は正に見ごろで、久々に訪れてこの寺の美しさを改めて満喫しました。
秀吉とその正室北政所(ねね)を祀る霊屋の、有名な高台寺蒔絵も見ごたえがあり、
他にも見どころが色々あって、充実した時を過ごすことが出来ました。

2019年11月25日月曜日

白川方明著「中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年」を読んで

前日本銀行総裁による、自身の足跡を通して中央銀行とはいかなる機能を有し、
いかなる存在であるべきかを問う、渾身の回顧録です。

中央銀行の使命は、物価と金融システムの安定にあるという著者の信念は、実践
家としての彼の使命感と誠実さを示します。私自身大学で経済学を学び、理論と
現実の乖離をしばしば感じて来ましたが、実際の経済のダイナミズムが、絶え間な
く既存の金融理論を凌駕することを認識しながら、なおかつその時々の最適の解を
希求する、著者のセントラルバンカーとしての姿勢に、感銘を受けました。

彼の日本銀行在籍中の出来事の回顧で、まず印象に残ったのは、1980年代後半
に発生したバブル経済と、その後のバブル崩壊で、この現象が日本社会を大きく
揺るがし、後々まで深い爪痕を残したことは周知の事実ですが、著者はこの現象の
発生、拡大のメカニズムを、発生の初期要因と加速させた要因に分け、初期要因
としては、80年代後半の日本の対外的に見ても著しい、経済活動の好調さから来る
『期待の著しい積極化』と、国内の実体経済が高度成長から安定成長へ向かう中に
あって、将来の業績に対する焦りから来る、金融機関行動の積極化による『信用の
著しい増加』を挙げます。

更にバブルの加速要因として、長期にわたる金融緩和、不動産価格の上昇が、信用
供与をなお拡大させるという景気増幅的な作用、その現象を補強する税制、を挙げ
ています。つまり、戦後の日本の高度経済成長の転換点に色々な要因が重なって、
このバブルは発生したのであり、当時はそれを監視するチェック機能も乏しく、その
崩壊後の処理においても、世論を背景とした政治的思惑によって、対策は後手に回
り、傷跡を広げているのです。

著者のセントラルバンカーとしてのその後の思考のバックボーンには、この時の苦い
体験があると感じられます。

もう1点印象に残ったのは、リーマンショック以降、金利は0%近くに維持されている
現状でも、低い経済成長率を脱することが出来ず、国民がなかなか景気回復を実感
するに至らない中で、政府の執拗な更なる金融の量的緩和の要請にも関わらず、
その真の要因は、この国の少子高齢化と、企業のイノベーションの欠如にあり、小手
先の金融政策で改善するものではないと見抜くところに、著者の透徹した金融の番人
としての面目躍如たるところがあると、感じました。

2019年11月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1637を読んで

2019年11月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1637では
詩人長田弘の詩「ゆっくりと老いてゆく」(詩集『世界はうつくしいと』所収)から、次の
ことばが取り上げられています。

  砂漠で孤独なのは、人間だけだ。

これは、意表を突く視点。私たちはすぐに、砂漠というと、存在を拒まれるような過酷
な環境、そしてもしその場所に一人取り残されたとすれば、絶望と激しい孤独に見舞
われるという風に、砂漠を自分に引きつけたイメージで捉えがちです。

でも砂漠にも生き物がいて、彼らはそこで環境に適応しながら懸命に生きている。
そんな彼らにとって、砂漠は孤独を感じさせるような場所ではなくて、ある時は恩恵を
与えてくれる場であり、ある時は自らの命を守るために、試練に耐えなければならない
場なのでしょう。

上記のことばを目にして、そのことに思い至ることがまず最初の驚き。しかし、ここで
いう「砂漠」を比喩的なものだと考えたら、更にイメージは広がります。

つまりこの場合の「砂漠」を、単に地域や自然環境としての砂漠ではなく、人間が過酷
な条件や場所と感じる状況の比喩と捉えたら、我々が生きて行く上での多くの場面に、
当てはまることになるでしょう。

私たちが人生の中で、もし過酷な試練や逆境に直面した時、そこに自分が拒否される
孤独や絶望だけを一面的に感じ取るのではなく、もう少し自分を突き放して、冷静な
立場から自らの置かれた状況を見ることが出来れば、今までとは違う感じ方や、そこ
から抜け出す方法が、体得出来るかもしれません。

そう考えると上記のことばは、私たちを励ましてくれている、のかも知れません。

2019年11月20日水曜日

池澤夏樹「終わりと始まり」を読んで

2019年11月6日付け朝日新聞朝刊、池澤夏樹「終わりと始まり」では
「ハントケにノーベル賞 文学は政治に何ができるか」と題して、今年のノーベル文学
賞受賞者に決定した、ペーター・ハントケについて綴っています。

私は、この文章に少なからぬ感銘を受けました。というのは、過日受賞決定の新聞
報道に触れた時、ハントケについては何の予備知識もなかったこともあって、それに
関連して、昨年のノーベル文学賞を巡る醜聞から選考委員が大幅に代わり、その
影響として欧州出身のハントケが本年選ばれたことは、選考委員会の選択が、また
欧米偏重に退行したことを意味する、という主旨の記事を目にして、それを鵜呑みに
していたところがあったからです。

ところが池澤はこの論に反駁して、ハントケが旧ユーゴスラビア内戦時に、一方的な
セルビア攻撃に加担した欧米列強諸国に異を唱え、以降不遇をかこって来た事実
に触れ、彼の今年のノーベル文学賞受賞決定は、名誉回復であると語っているの
です。

私は、ユーゴスラビア内戦の経緯についても詳しくはありませんし、欧米諸国の武力
による干渉の是非を判断出来る知識も持ち合わせていませんが、少なくともハントケ
が、当時の国際社会における強者の主張に、自らの信じるところに従って、敢然と
反論する知識人であり、また今年のノーベル文学賞受賞決定は、彼の主張を評価
することも含まれる、と感じたのです。

更には、私は池澤のこの文章によって、ハントケがヴィム・ヴェンダース監督の映画
「ベルリン天使の詩」の脚本家であったことを知り、私の彼へのイメージは、好意的な
ものに変わりました。

「ベルリン天使の詩」は周知のように、悩める市井の人々に静かに寄り添う天使たち
を描いた名作で、公開当時私はこの映画を観て深い感銘を受け、随分勇気づけられ
ました。上述の社会的発言も含め、彼はこの時代において、顕彰されるのに相応しい
作家なのだろう、と感じたのです。

そういう訳で今回の池澤の論考は、私に先入観にとらわれない、多様なものの見方
を教えてくれたという意味で、有難く感じました。

2019年11月18日月曜日

「ぶらりまちなかスタンプラリー」開催

11月17日に、京都外国語大学南ゼミと龍池町つくり委員会との共同企画、「ぶらり
まちなかスタンプラリー」が開催されました。

当日は、京都国際マンガミュージアム自治連合会会議室を集合場所として、12時半
より受付開始、子供たちには、予め色分けした5組のチームに分かれて、着席して
もらいました。

もう恒例の行事ですが、今回特にうれしかったことには、子供たちだけで30名近い
参加があったこと。これは文句なしに過去最高の人数で、関係者一同大いに喜ぶ
とともに、今まで地道にやって来たことが、少しづつ実を結び始めたのかと、意を強く
しました。

午後1時開始で、南先生より父兄を含む参加者に開催趣旨と、子供たちがそれぞれ
受付でもらった地図とスタンプ帳の使い方を含めて、スタンプラリーの手順について
の説明があり、子供たちと付き添いの保護者は、各組ごとに大学生たちに引率され
て、スタンプを押してもらえるチェックポイントに徒歩で向かいました。


チェックポイントは、二条通に面する漢方薬を扱う東田商店さん、薬の神様である
薬祖神祠、今回のスタンプ帳も作成していただいた、御朱印帳などを取り扱う山田
保延堂さん、omo京都もりたもとこの楽しいきもの屋さん前、そしてマンガミュージアム
入口です。


子供たちは、それぞれのチェックポイントを見学、体験して、それからスタンプを押して
もらって、またマンガミュージアムに帰って来ました。日頃同じ地域に暮らしながら、今
まで気づかなかった場所を知り、またスタンプも集められるので、楽しい経験だった
ようです。

再び会議室に戻り、京料理堺萬さん差し入れの、自家製わらび餅と東田商店さんの
薬膳茶をいただき、南先生と南ゼミの学生代表の小川さんより、スタンプラリーの振り
返り、龍池学区と町つくり委員会の活動の説明があり、その後、午後3時に解散となり
ました。

私たち町つくり委員会のスタッフは、当日は子供たちが烏丸通を渡る時の、交通整理
などを担当。無事トラブルもなく行事が終了したことに、安堵しました。

2019年11月15日金曜日

ジュリアン・シュナーベル監督映画「パスキア」を観て

同監督の作品「永遠の門 ゴッホの見た未来」が、劇場公開されているのに合わせて、
1997年公開の映画「パスキア」の私の映画評で、キネマ旬報9月下旬号に掲載された
ものを、このブログに再録させていただきます。


絵画が一部の特権的な人々の興味の対象から、大衆のものへと移行した時、画家の
心の持ち方にどのような変化をもたらしたのか?

冒頭、パスキアの才能に対比するものとしてゴッホについて語られるナレーションは、
その時代の隔たりを、私に想起させずにはおかない。なぜなら、ゴッホは生活のため
に自らの絵が売れることや、あるいは、評価されることを渇望していたとしても、恐らく
人気者になることは意識していなかったからである。

パスキアは自己の才能に絶大な自信を持ち、表現への衝動に駆られて描いた。そこ
には芸術家としての純粋な姿を見ることが出来る。しかし同時に、有名になりたい、金
持ちになりたいという思いが前面に出る時、その輝きに暗い影が忍びより始める。

金儲けのために才能に群がる人々・・・、あるいは、パスキア自身の心の中にある後ろ
めたさに起因する、自分が周囲に利用されているのではないかという猜疑・・・。彼は
自らの養う魔のために、有名になればなるほど孤独になる。

芸術が大衆化することによって新たに創出された欲望は、作家を創造の上の苦しみ
だけではなく、世俗の塵埃にも埋没させかねない。また価値の多様化の中で、感覚と
新しさをことさら重視する美術作品の曖昧な評価基準は、その作品を商品化し、心あ
る愛好家を遠ざけかねない。

「パスキア」は一人の生き急いだ天才画家の生き様を描くことによって、現代美術が
抱える深刻な問題をも浮き彫りにしている。これはパスキアと同じ世界を同時に生きる
シュナーベルが監督することによって、自らの意志を越えて達成された成果であると
思う。

数多くの名優、個性派の演技は言うまでもなく素晴らしいが、そうそうたるメンバーに
食われないジェフリー・ライトのパスキアは出色であった。ゲイリー・オールドマンの
アルバート・マイロのキャラクターが少し弱いのは、マイロのモデルがシュナーベル監
督自身であるということで頷ける思いがする。

2019年11月13日水曜日

細見美術館「琳派展21 没後200年 中村芳忠」を観て

京都国立近代美術館にも近い細見美術館で、上記の展覧会を見て来ました。

先日感想を書いた、「円山応挙から近代京都画壇へ」前期を観たばかりなので、応挙
と同時代を生きた芳忠に親和感を覚えるとともに、両者の絵を比較して、芳忠の絵の
柔らかさ、自由さ、俳味に、新鮮なものを感じました。

会場に入ってすぐの、第1章「芳忠の琳派ーたっぷり、「たらし込み」ー」を観ると、芳忠
が琳派の影響を受けて、絵具や墨のにじみの効果を利用する「たらし込み」の技法を
用いて描いた画が展示されていますが、従来の琳派の作品と比べてもこの技法を
部分的ではなく、徹底していると思われるほどに多用して、作品を仕上げています。

その結果、全体がぼんやりしているような柔らかさや伸びやかさが滲み出て、えも言わ
れない、ほのぼのとした気分を観る者に喚起させる、画となっています。この雰囲気こそ、
彼の作品全体に通じる魅力であると、私は感じました。またこのパートの特色は、扇面
に描いて屏風等に貼り付けた作品が多いこと。小ぶりな扇面に描いて、それを組み
合わせて一つの作品に仕上げることによって、さらに作者の表現の自由度が増して
いるように、感じられます。

第2章「大阪と芳忠ー楽しみながら、おもしろくー」と第3章「芳忠と俳諧ーゆるくて、ほの
ぼのー」は、彼が京都で生まれ、主に大坂で文人、俳人と交わり活動する中で、生まれ
た作品で、正に彼の魅力を遺憾なく発揮する、真骨頂を思わせます。文人画的な素朴
で地味溢れる伸びやかな作品、俳句とコラボレートした俳味の横溢する作品は、当時の
文人、俳人たちの忌憚ない交友を彷彿とさせるとともに、江戸期の良き文化の香りを
感じさせてくれます。

ここで更に私が興味を惹かれたのは、第3章の俳画の描き手の名前に松村月渓が見
られ、俳句の作者の名前に与謝野蕪村が見い出されたこと。月渓は呉春であり、彼は
蕪村に絵を学んだ後応挙に師事したということで、一挙に芳忠と円山・四条派の地域的
にも浅からぬ関係が明らかになり、その頃の上方の文化の活況を見る思いがしました。

二つの展覧会を同時期に観ることによって、江戸後期の京都、大坂の文化状況を
重層的に学ぶことが出来たと、感じました。

2019年11月11日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1631を読んで

2019年11月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1631では
ブルガリア出身の日本文学者、ツベタナ・クリステワの『心づくしの日本語』から、
日本の和歌において、作者不詳の折に書き添えられる慣用語である、次のことばを
取り上げています。

   よみ人知らず

私は以前から、和歌の作者名に代わるこのことばが、何とはなしに気に入っていま
した。

勿論、名の通った歌人の秀歌はあまたあります。でもある歌に〈よみ人知らず〉と
添え書きがあると、それだけで、その歌が魅力的に感じられることがあるのです。

それは何故かというと、他の理由の場合もあったようですが、身分の高い、名の知れ
た歌人に抗して、無名の庶民の歌が公式の歌集に取り上げられているということが、
その歌の上手さも相まって、厳然とした身分制度が存在した時代に、稀有の尊いこと
であると、感じられたからです。

しかし今日の「折々のことば」を読むと、クリステワはこの添え書きを、『誰が作者か
わからないというより、人から人へ伝わるうちに変化し、誰が作者か特定できなく
なったということだ』と、解説しています。

これはこれで素晴らしいことで、この歌が多くの人に愛唱されるうちに、微妙に形を
変え、洗練されて行ったということは、和歌という文化の広がりや、成熟を象徴する
でしょうし、また彼女の言うように、この添え書きは、『歌の背景から表現そのものに
焦点を移す効果』もあったでしょう。

いずれにしても、やはり私は、〈よみ人知らず〉ということばに、その歌を味わう人を
和ませる、素朴さ、おおらかさを感じます。

2019年11月8日金曜日

京都国立近代美術館「円山応挙から近代京都画壇へ」前期を観て

上記展覧会の待望の京都展が始まり、早速行って来ました。

円山応挙から始まる、円山・四条派に連なる近代の京都画壇は、私たちの属する
京都の和装業界とも、深いつながりがあります。というのは、かつて京呉服の主力
商品であった友禅染の着物の図案、下絵などを、京都画壇の画家の卵や若手画家
たちが担って来たからです。

それで今展の会場に入り、展示されている作品を観て回った時にも、私はまず、親し
いものに出会ったような何とはなしの安心感と、懐かしさを感じました。

さて本展のメイン企画である、応挙と弟子たちによる大乗寺の重要文化財の襖絵の
立体展示が、会場に入ってすぐのところで、私たちを迎えてくれます。この展示は、
襖絵8面を寺院での実際の配置を再現して並べてあって、正に現地にいて作品を目
の当たりにするような臨場感を、私たちに与えます。

勿論、この襖絵は素晴らしいものですが、私は今回特に、立体展示によって強調され
た、《松に孔雀図》と《山水図》に顕著に見られる、襖面の90度の配置を有効に活用
した、画面全体に立体的な奥行きや広がりを持たせる巧みな表現に、注目しました。

このような表現方法は、私の知る限り、恐らくそれ以前の狩野派の障壁画などには
見られなかったもので、今回この展示方法によってそれを実感することが出来たことを、
嬉しく感じました。

また、応挙の生み出したであろうこのような立体的な表現方法が、後の京都画壇に
少なからぬ影響を与えた証が、岸竹堂《大津唐崎図》、木島櫻谷《山水図》、菊池芳文
《小雨ふる吉野》などの雄大な風景描写に端的に現れていて、絵画精神の継承という
ものを直に感じることが出来たことも、意義深く思いました。

2019年11月6日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1624を読んで

2019年10月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1624では
「語り声の現場」(河合隼雄ほか著『声の力』)から、詩人谷川俊太郎の次のことばが
取り上げられています。

  メールの文体というのは、相手に対する一種
  の甘えの形式みたいなところがすごくありま
  すね。

メールはパソコンにしても携帯電話にしても、手紙に比べて格段に手軽です。特に
携帯なら日常的に持ち運びしているのですから、会話の延長のようなところがあり
ます。

それでいて相手は目の前にいる訳ではなく、表情や口調は感知することが出来ない
上に、機械でつながっているだけなので何か心もとなく、おまけに相手の発信から
ワンテンポ置いて返信することになるので、タイムラグの生み出す微妙なずれも感じ
ます。

そのような条件では相手との距離がつかみにくく、よそよそしくなるか変に親しげに
なり過ぎるかの、リスクが大きいように感じます。

だからやり取りを繰り返しているうちに、実感もないままに親しみを出そうとして馴れ
馴れしさに陥ったり、相手の反応を勝手に推し量って、自分勝手な物言いになって
しまったりするのではないか、と思います。十分に注意しなければならないところです。

更には、SNSでの不特定多数をも含む他者とのコミュニケーションの場合には、特に
発信者が匿名性を帯びる場合、相手を傷つけることにもなる誹謗中傷を繰り返す
ことも、多々目撃されます。

私たちは、相手が目に見えない場合にこそ一層、相手の立場に立ってコミュニケーシ
ョンを図るよう心掛けなければならないのだと、感じます。

2019年11月4日月曜日

ラグビーワールドカップ日本大会が、終わって

ラグビーワールドカップ日本大会が、南アフリカの3度目の優勝で、幕を閉じました。

開催国日本も初めてベスト8に進み、台風19号の影響で1次リーグ3試合が中止の
なるというアクシデントもありましたが、大会は大変な盛り上がりをみせ、大きな成功
を収めました。

私も久しぶりに熱を込めて応援し、楽しい時間を過ごすことが出来ました。思い返せ
ば、母校同志社大学の、私の3年ほど後輩の学年の頃がラグビーの黄金時代で、
平尾、大八木のスター選手を擁して大学選手権で優勝し、勝つことはかないません
でしたが、日本選手権で社会人チームの新日鉄釜石と死闘を演じました。

それから長い年月が経って、ラグビー日本代表は、ディア1といわれる欧州、南半球
の強豪国には歯が立たず、母校も大学リーグで低迷して、ラグビー観戦から次第に
遠ざかって行きました。

しかしワールドカップが日本で開かれることになり、前回のイングランド大会では、
決勝トーナメントには進出出来なかったものの、1次リーグで3勝する健闘を見せ、
今回の日本大会での活躍の期待が膨らみました。

そして期待通りの成績となった訳ですが、日本代表のメンバーは、大会規定に則り
日本国籍の選手だけではなくて、多国籍の選手で構成されています。言うまでもなく
ラグビーチームは、ポジション別に役割に応じた体格、運動能力の異なる選手で編成
されていますが、日本が体格の優れた世界の強豪に伍するためには、他国出身の
選手の力を借りることが必要不可欠と、思われます。

日本ラグビーフットボール協会の強化担当者として、前述の今は亡き平尾さんが、
チームに多国籍での選手編成に道を開いたことは、大変に先見の明のあったことだ
と、思われます。

また今回の日本代表チームを見ていて、人望のある外国出身選手のリーチ・マイケル
が主将を務め、多国籍の選手が一丸となって目標に向かって突き進む姿は、これ
からの日本社会の一つのあるべき姿と、感じられました。

母国にアパルトヘイトの後遺症が残る南アフリカ代表チームが、初の黒人主将の下
で優勝を遂げたことも含めて、スポーツの素晴らしさを感じさせてくれる大会でした。

2019年11月2日土曜日

多和田葉子著「地球にちりばめられて」を読んで

ドイツに在住、日本語、ドイツ語で作品を発表し、近年評価の高い作家、詩人多和田
葉子の近刊小説を読みました。多言語社会であるヨーロッパを舞台にした、言語とは
如何なるものかを問う、作品です。

私のように日頃、極東の島国日本から離れないで暮らす者にとって、日本語という
母語は何の疑いもなく自明のものであり、空気のような存在です。

確かに近年は、インターネットの空間において多国籍の言語が飛び交い、私たちの
住む京都では外国人の観光客も飛躍的に増えて、他言語に接する機会も格段に増し
ました。

しかし依然として、日常の交友関係、生活環境を満たす言語が日本語であるために、
私たちはこの言語にすっかり馴らされて生きています。そのような社会環境において
は、言語とは如何なるものかというような疑問は、なかなか生まれて来ません。

従って本書の主題は、海外在住、日独両言語で文学活動を行い、コミュニケーション
も図る、彼女に相応しい題材です。

さて本書で展開される物語は、閉鎖的な環境で生きる私には、なかなか実感として
理解することの難しい類のものです。それ故私は物語の結末で、ストーリー展開を
あまり理解しているとは言えない私を包んだカタルシスから、本書の内容を読み解い
て行きたいと思います。

物語の末尾、現在ヨーロッパ圏内で暮らすということ以外、国籍も人種も、母語も、
はたまたジェンダーまで違う若者たちが、失われたらしい言語の探求という一点の
興味に惹かれ、南アルルに集います。そこでは当初の目的を果たすことは出来ません
が、その代わり新たな課題が見つかり、仲間を増やし、絆を深めて、言語探求の旅を
続けて行くことを確認し合います。

私が何故この結末において、解放感を味わったかというと、心の中に通じ合うものが
あれば、人は社会的な制約や差異を超えて、深いところでつながることが出来るので
はないかと、その大きな可能性を感じたことと、あるいは文化や言語を異にするもの
が、互いにコミュニケーションを結ぶべき手段(共通言語、自動翻訳機など)を持つこと
が出来れば、世界の可能性は飛躍的に広がることを示していると、感じたからでは
ないでしょうか?

言語というものを通して、現在閉塞感に苛まれている国際関係の打開の可能性まで
示唆する、国際感覚に溢れ、視野の大きな小説です。