2021年2月27日土曜日

中野信子著「ペルソナ 脳に潜む闇」を読んで

脳科学者・中野信子の初の自伝と帯に謳われていますが、彼女の著書を読むのは初めてなの で、正直そのずけずけ物申すとも感じられる、ざっくばらんな語り口に少々戸惑いました。 しかし現在から過去へ遡る形で描かれる、彼女の魂の軌跡を読み進めるうちに、彼女が自ら の精神的な苦しみの原因を突き止めるために脳科学者になったこと、そして同じように苦し みを抱える人の助けになるために相談を受け、著書を執筆していることが分かりました。 つまり彼女は、読者を一見突き放すような物言いで論を進めながら、その実、読者の一助と なることを希求しています。その底にある優しさが、悩める読者を惹きつけるのではないか と感じました。 さて、幼少期からの彼女を苦しめたのは、コミュニケーション不全でした。彼女は一般人 よりずば抜けて高い知能の持ち主で、私もかつて、高知能の子供が周囲から孤立してしまっ て、疎外感を感じることが多々あるということを、聞いたことがあります。多分に漏れず 彼女も、親や周りの人と思考法の違いから十分なコミュニケーションが取れず、生きづらさ を感じ大変苦しんだといいます。 しかしそれだけの記述なら、他とは違う特異な人物の単なる身の上話に過ぎませんが、脳 科学者でもある中野は、自らの体験の分析を通して、現代を生きる多くの人間が抱える、 自身の承認願望や他者との意思疎通を巡る悩み、社会進出を試みる女性が受ける抵抗への 処し方等の、問題解決のためのヒントを、提示しています。 その中で私の印象に残ったのは、人間の内面はその時々、場面によって常に移ろうもので あるから、生き方の規範を持ち続けるにしても、いたずらにそうあるべき自分に固執する 必要はないというくだりと、この頃はとかくポジティブな思考がもてはやされるが、逆に ネガティブな思考に人間を逆境から立ち直らせる力や、知性深い思慮につながる力が宿る 場合がある、というくだりでした。 また芸術が、ストレス解消や心を解き放つ役割を果たすという記述にも、我が意を得たる 思いがしました。

2021年2月23日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2068を読んで

2021年1月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2068では 絵本画家・甲斐信枝の『あしなが蜂と暮らした夏』から、次のことばが取り上げられてい ます。    蜂は最初の六角形の一辺の長さを決める時、    自分の触角を物指しにするのです 筆者は、郊外の山麓の納屋で見つけた、蜂の巣作りと子育てを毎日まぢかで観察して、蜂 と人の間に「生きもの同士の親愛」を感じたといいます。掌(てのひら)や両腕の端から 端の幅、そして歩幅と、人もまたそれらを頼りに、みずからが棲む世界を計り、整えてき た、と。 確かに、自分の中にこの世界を計る尺度を持ち、自身の位置を定め、生き方を方向づける ことは、必要なことに違いありません。 例えば、私の白生地屋という仕事の基本には、生地の種類を見分けることと共に、生地の 長さや生地幅を計るということがあります。後者の感覚を身に付けるために、鯨尺2尺 (約76cm)の物指しで繰り返し生地の長さを計り、体に覚え込ませて行きます。 そうすることによって、生地という専門分野の世界に自らを溶け込ませることが出来、 その品物を扱う専門家としての自負も生まれて来る、と思うのです。 同様にこの世に生きる者としての私たちも、暮らしの中の色々な場面で、関わり合うもの の大きさや感触を実感として身に付けることによって、生活を成り立たせているのでは ないでしょうか? ところが昨今のIT技術によって得る画像や情報には、この実感や身体感覚が欠落していて、 何かうわべだけの情報に振り回されているように感じられることがあります。これも時代 の流れかもしれませんが、我々はやはり、これからも実際に触れることによって得る実感 を大切にすべきだと、思います。

2021年2月21日日曜日

村上春樹著「猫を棄てる」を読んで

多くの著作を生み出した、日本を代表する作家の一人であるにも関わらず、親族について 触れることは極端に少ない著者の、恐らく初めて父親について語った書です。 しかし本書は、単なるエッセーや回想録とは違って、村上一流の韜晦に満ちた文章で、彼が 一体どうゆう理由でこの本を書こうと思い、読者に何を伝えようと思ったかを、容易に理解 することは難しいと感じます。 それで私は、著者も表題に採っている、本書の最初に登場する猫を棄てるエピソードと、 最後に登場する行方不明になった子猫のエピソードをヒントに、この書を読み解いてみたい と思います。 最初のエピソードは、父親と海岸に棄てに行った猫が、自分たちより先に家に帰っている話 です。ここでこの猫を棄てに行った理由は語られませんが、その猫が家に帰り着いていたと いう予期せぬ出来事に、父親が安堵する様子が描かれています。 それは後に語られる寺に生まれた父親が、まだ幼い頃に他の寺に養子に出され、体を壊して 傷心の内に実家に戻った体験と、深く結びついていると思われますが、その後の父親の人生 について書かれた記述を読み進めて行っても、自らが一度家族から棄てられたことが、父の その後の人生に濃い影を落としていることが、読み取れます。 また他方この父親の人生は、日中戦争、太平洋戦争と続いたかつてのあの戦争に翻弄され、 夢を諦めざるを得ない結果をもたらしたことが分かります。この時の無念が、後に父と息子 との確執の要因となるのですが、結果として父の人生が深い挫折感に彩られたものであった ことが理解出来ます。 さてそこで、最後の子猫のエピソードです。著者が同じ子供の頃、自宅の高い松の木を勇ん で登って行ったこの子猫は、高い所で足がすくんで自力で降りられなくなりました。必死に 助けを求め鳴き声を上げても、父と息子はなすすべもなく傍観するしかありませんでした。 そして翌日、姿は見えぬままに鳴き声も止みました。 この体験から著者は、「降りることは、上がることよりむずかしい」という教訓を得、結果 は起因をあっさりと飲み込み、無力化して行くと結論付けます。この最初と最後の二匹の猫 の生死を分けたものは何か?それは運命としか言いようがない、かも知れません。 しかしその運命も、条件が人為的なものであったなら、転換することも可能です。著者村上 春樹は、多かれ少なかれあの戦争の影響を受けた、彼の父親世代の名も無き代表の一人と して父の人生を描くことによって、市井に暮らす庶民の側からの戦争のむごさを描き出そう としたのではないか?私には、そう思われました。

2021年2月16日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2062を読んで

2021年1月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2062では 「WIRED」日本版の元編集者・若林恵のコラム集『さよなら未来』から、次のことばが取り 上げられています。    未来を考えるということは「いまとちがう時    間」ではなく「いまとちがう場所」を探すこ    となのかもしれない。 ここで若林が言いたいのは、未来を考えるとは、すでに足許(あしもと)に兆し、萌芽状態 で実現していながら、十分に気づかれていないつながりやしくみを育てること、ということ だそうです。 漠然としているようですが、私は、例えば今回のコロナ禍後の世界を考えることとも、つな がっているように感じました。 つまり、それ以前には全く予想されなかった事態であるコロナ後の世界は、それ以前の世界 と全く別次元の世界である訳ではなく、以前から社会問題として兆し始めていたもの、社会 環境としてその萌芽が垣間見えていたものが、コロナ禍をきっかけに顕在化して、私たちは それらへの明確な対応を求められるようになる、ということです。 例えば、この災厄を通して、我が国における行政の危機管理能力や、医療体制の不備が明ら かになって来ていますし、国民の側でも、パンデミックに対する一人一人の危機回避のため の心構えや、防災知識の不足が明らかになって来ています。 さらには、コロナ不況による経済格差や非正規雇用の問題、今年の東京オリンピック開催の 是非を巡っては、オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の失言、辞任に よって、女性差別問題の根深さが明らかになっています。 コロナ禍後には、これらの問題の改善、解決に、如何に迅速に取り組むかが、重要な課題に なることは間違いありません。

2021年2月13日土曜日

横山聡著「京都・六曜社三代記 喫茶の一族」を読んで

京都三条河原町の名物喫茶店、六曜社を担う家族の物語です。地元京都の喫茶文化を愛する 者として、また業種は違えど、私自身が三代目として家業を営む立場からしても、示唆に 富む書でした。 まず、客に愛される喫茶店とはいかなるものかという点から本書を辿ると、一番に、飽きの 来ない美味しいコーヒーとそれに合う食べ物を、客が適正と思える価格で提供することが 挙げられるでしょう。 六曜社では、初代オーナーが終戦後満州から引き揚げ喫茶店を開くに当たり、いち早くコー ヒー豆の供給先を確保し、他に先駆けて本格的なコーヒーを客に供したそうです。京都の 繁華街三条河原町という地の利も相まって、美味しいコーヒーと親しみやすい自家製ドー ナッツは、この店が客に愛される礎を築いたと思われます。 そして基本的なスタイルは守りながらも、時代に合わせたコーヒーの味を提供するという 部分では、二代目が自家焙煎を始めるなど、長く愛されるための工夫が行われています。 客が愛する喫茶店の条件の二つ目は、リラックス出来るなど、店の雰囲気が良いことです。 これは個人経営の小規模の店では、オーナーの人柄やポリシーによるところが大きいです が、六曜社の狭いながらも趣味の良い内装、調度は、それを生み出した初代の美意識を 物語り、スタッフの行き届いた接客は、従業員教育の確かさを示します。 それらが合わさって、また、そこに客たちが作り出す熱気や気の置けない雰囲気が重なって、 六曜社の魅力的な佇まいが出来上がったのでしょう。 しかし、ここまでを一つの喫茶店の成功物語として読んで来て、私が意外に思ったのは、 この経営が資産的蓄積をさほど多くは生み出していないことです。喫茶店経営の難しさを、 改めて感じさせられました。 次に六曜社の初代から三代目への経営の引き継がれ方を見ると、その自然な流れに、家族 それぞれの店への愛着が見て取れます。初代は、三人の息子に店の継承を強制していません が、三人はそれぞれに曲折を経ながらも、自然に一階喫茶、地下一階昼の喫茶、夜のバー を担い、その後は、息子の息子の一人が、三代目として経営を引き継いでいます。 個人経営の店が長く続くためには、その仕事自体が魅力的であることは勿論、親が次代を 担う者に自身が懸命に働く姿を見せ、その仕事への情熱を背中で語りかけることが必要で あると、感じました。 店が長く続くことの意味についても、改めて考えさせられました。

2021年2月9日火曜日

「古田徹也の言葉と生きる 「自粛を解禁」の奇妙さ」を読んで

2021年1月28日付け朝日新聞朝刊、「古田徹也の言葉と生きる」では、「「自粛の解禁」の 奇妙さ」と題して、昨年、一回目の緊急事態宣言が解除された頃、多くのマスメディアで 「自粛の解禁」という見出しや文言が躍ったことについて、本来は国民に自粛が自主的に 行われるように要請されたのであり、それならば「自粛の解禁」とは捻じ曲げられた、 奇妙な表現であると、指摘しています。 つまり、「要請」とは名ばかりで、実際には各県の知事などからは、「自粛を徹底させる」 、「自粛の要請に従ってもらう」、「要請を守らない場合には」といった言葉が平気で 発せられて来たので、「要請」が「禁止」や「命令」に捻じ曲げられて、自粛に対する 「解禁」という誤用が生まれた、というのです。 確かに、国民にお願いすべきことが「禁止」や「命令」にすり替えられるのは奇妙なこと で、その元には法律上の規定の問題もある訳ですが、その根本には、日本が今まで治安上 あらゆる点で安全な国で、このような危機的状態に対する対処の準備がなかったという ことでしょう。 お願いベースで、ここまで一定レベル「要請」が守られているということは、律儀な国民 性の現れだと推察されますが、法規定等はコロナ禍の最中には、最低限のことを決めて、 落ち着いた後により汎用性のある、落ち度や漏れのない法律を制定するとして、政府や 地方自治体の長は、国民に対して、現状についてのより正確な情報や、緊急事態発令の 根拠、その後の推移による運用の仕方、解除に向かうためのビジョンなどを、より分かり やすく、丁寧に発信して、このような事態に対する国民の理解を深めることが必要である と、感じます。

2021年2月5日金曜日

頭木弘樹著「食べること出すこと」を読んで

私は、本書をある種特別な想いを持って開きました。というのは、まず、日本の総理大臣 として最長の任期を務めた安倍首相が、つい先日突然の辞任を決めたのは、本書の著者と 同じ難病とされる潰瘍性大腸炎によってであり、それにも増して、私自身が大腸がんの 手術を受け、現在も再発防止のために抗がん剤治療を続けているという、大腸の病によっ て、健康であったこれまでの生活とはがらりと違う、日常を送ることを強いられている からです。 本書は、大学生の時に突然この難病を発症した著者の闘病記ですが、同じ部位に病を抱え る私が読んで、二層に分かれたとも言える感慨を覚えました。 一つは、著者の患う潰瘍性大腸炎が、炎症が治る「寛解」と炎症が再び起こる「再燃」を 繰り返す、一生付き合わなければならない不治の病で、また著者の場合は、同大腸炎の中 でも症状が重く、発症時にはかなり激しい症状を呈するからです。それゆえに著者は、 長期間に渡り社会から隔離された孤独な日常生活を送り、なおかつ出口の見えない闘病を 余儀なくされたのです。 この点に関して私の場合は、大腸がんは幸い早期発見で他の臓器への移転もなく、抗がん 剤治療を続けていると言っても治療の終わりが想定されていて、そのことが闘病のための 励みとなっています。 従って、著者の絶望や苦悩には私の思い及ばないところがあり、彼が社会から切り離され た存在として感じた、社会の特に食に関する同調圧力や、世間のこの病気に対する無理解 ゆえの無神経さには、彼に寄り添おうとしながらも実感出来ないところがありました。 しかし、著者がカフカを始めとする文学を通して、この精神的にも過酷な状況を乗り越え たことには、敬服せざるを得ませんでした。 二つ目は、著者と私に共通すると思われる、同じ部位の病によってもたらされた、突然の 肉体の変調ということです。食べることと排出することが、人間が生命活動を維持する上 で如何に重要であるか。健康であれば普段は決して感じない、これらの行為が支障なく 行われることの有難さ。また、それゆえこれらの行為に自覚的になることによって、食物 や飲み物の安全性や栄養バランスに注意を向けるようになり、社会的関心も広げるなど、 自身の肉体の変調を通して新たな世界が見えて来るという部分においては、著者に大いに 共感を覚える自分を感じました。

2021年2月2日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2063を読んで

2021年1月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2063では 「WIRED」日本版の元編集者・若林恵の、次のことばが取り上げられています。    人を動かす新しい体験をつくろうとすると    き、人は「動かされた自分」の体験を基準に    してしか、それをつくることはできない。 何につけても、人に感動を与えるためには、発信者自身の実感をともなうものでなければ ならないと、私も経験から感じます。 ところが昨今は、人々がバーチャルに慣らされているためか、統計のような数値的分析で 事足りると、安易に考えられがちであると、思います。 しかし例えば、デジタル的なコンテンツであっても、その発想の下には、実体験に基づく 確固とした核がなければならないと、感じるのです。 ましてや、それが受け取り手の肌身の感動や共感を呼ぶものであるためには、発信者の 感情を伝播させるような、強い動機やメッセージ性が必要であるのは、間違いありません。 そしてそれは、何も形のある創作物に限らず、人々の共感を得るためのある個人、グル ープの行為、言動においても、必要であることだと、思います。