2017年2月27日月曜日

鷲田清一「折々のことば」677を読んで

2017年2月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」677には、とある
京都の小学生の女の子の次のことばが取り上げられています。

 あんまりほんまのこと言うもんやないえ

京都の町中で生まれ育った私にとっては、何ともおもはゆいことばです。

私の子供の頃には確かに如実にあって、今も住民の心の底に流れているかも
しれないと言いましょうか、そんな、周囲との人間関係を形作るスタンスを端的に
示すことばだと感じます。

面と向かっては言いたいことは言わず、肯定するでも否定するでもない、ほどの
良い受け答えをして、陰ではあからさまな悪口やうわさ話をすることもある。

何だか随分人が悪いように聞こえますが、実はそれほど根っからの偏屈や意地の
悪い人間ではなく、本当は大半が気の良い、親切な人々なのです。

有為変転が繰り返される都という場所で、狭い土地に身を寄せ合って暮らすうちに、
自ずから周囲の人々と波風を立てないように過ごすためには、こんな処世訓が
必要だったのでしょう。

何やら弁解めいてしまいましたが、でも本当は自分たちが暮らす土地に愛着を持ち、
隣近所の人々とは日頃はほどよく付き合うように装いながら、実はお互いのことを
気に掛け、いざという時には地域単位の公共心を持って団結する。本来、そうした
気概を持つ人々だったと、思います。

このような一種独特の人間関係が醸成された地域も、時代の移り変わりとともに
御多分に漏れず、人と人のつながりが希薄になって来ているように感じられますが、
その結果が互いが言いたいことを言い合うのではなく、先人の知恵としての良い
意味での公共心や、節度を持ち続けることが出来たらと、自戒を込めて思いました。



 

2017年2月24日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月のヴァイオリン購入譚に対する迷亭の警句

2017年2月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載202には
なかなか先に進まない寒月のヴァイオリン購入に至るまでの話に、迷亭が例の如く
茶々を入れる、次の記述があります。

「「人が認めない事をすれば、どんないい事をしても罪人さ、だから世の中に罪人
ほどあてにならないものはない。耶蘇もあんな世に生まれれば罪人さ。好男子
寒月君もそんな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」」

「吾輩は猫である」の作中の会話には、ひょんなところに、何気ないようで深い含みが
あると感じさせる箇所があります。この迷亭の言いぐさなんて、丁度それに当てはまる
のではないでしょうか?

ここでは善悪の判断基準というものが、社会体制や状況によって変わることを述べて
いますが、例えに耶蘇を取り上げるなんて絶妙です。

周知のように我が国では、キリスト教信仰及び布教は、長い間厳しく禁じられていま
した。日本人キリスト教徒や外国人神父に、激しい迫害が加えられたことは、歴史が
物語っています。

その中で、この国に特徴的なキリスト教徒弾圧方法は、日本人信徒を棄教させるのは
言うに及ばず、彼らを拷問することによって、外国人の布教者の信仰を捨てさせる
ことであった、と聞きます。当時の我が国の封建社会ではそれ程までに、為政者が
被支配の庶民を同一の価値観や思考方法で縛り付けようとしたのでしょう。

文明開化の明治時代に入っても、日本で漸くキリスト教の信仰が許されたのは、
諸外国の抗議を受けてからだそうです。

迷亭先生の上述の警句は、その日本人の閉鎖性を踏まえた言葉ではないでしょうか?

2017年2月22日水曜日

アシフ・ハパディア監督映画「AMY エイミー」を観て

2008年に若くして第50回グラミー賞の五部門で受賞するなど、不世出の歌手と言われ
ながら、アルコールの過剰摂取で27歳で夭折したエイミー・ワインハウスの生涯を、
歌唱シーンは勿論、未公開やプライベート映像も交えて描く、ドキュメンタリー映画です。
第88回アカデミー賞「長編ドキュメンタリー賞」受賞作でもあります。

彼女が歌手として成功していく過程を描きながら、何とも切なく、悲しい映画でした。

やるせなさの通奏低音をなすのは、これで彼女も、ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンド
リックスに並び称せられる、音楽シーンを彩る伝説のミュージシャンの一員になるだろう
ということが、暗示されていることです。

エンターテインメントの世界が、才能あるほんの一握りの人だけが生き残ることが出来る
非情なさがを有しながら、その裏返しとして、人気絶頂期に夭折した人をことさら
もてはやすという、他人の不幸をも興行的に利用することを厭わない場所であることが
白日に晒され、人間存在の根本的な悲しみを感じさせます。

またエイミー自身も音楽を愛し、溢れるばかりの才能を有しながら、彼女の繊細な
性格はこの業界の体質と合わず、その不協和が彼女の精神や身体を次第に蝕んでいく
様子は、観る者にいたたまれない思いを感じさせずに置きません。

さらに彼女の歌の才能が、その不幸な生い立ちや充たされない人生と深く結びついて
いることも、悲劇を助長しています。幼くしての両親の離婚や過食症の経験、ドラッグ
中毒の男と結婚して、ドラッグやアルコールへの依存を深めていくことも彼女の音楽に
反映されて、名曲、名歌唱を生み出します。

このような下りを観ていくと、彼女の人生には一見救いがないように感じられますが、
彼女の歌唱シーンや、音楽への取り組みを映すシーンには、彼女が自身のストレートな
思いを歌にして表出することによって、自らの心を解放する喜びを味わったり、音作りに
妥協を許さず真摯に向き合う姿に、音楽への愛とそこで生きることの充実感を、感じさせ
ます。

そのようなシーンの中で特に印象に残ったのは、エイミーが尊敬する大御所トニー・ベ
ネットとデュエットのレコーディングをする場面で、彼女のトニーと音楽への敬意が直に
伝わって来て、好感を持ちました。

結局彼女にとって音楽こそが生きた証であり、彼女の歌が聴き継がれることが、不幸な
人生を生き急いだ意味であるという、当初の感慨とは矛盾するところに、私の心は落ち
着いたのでした。

2017年2月20日月曜日

鷲田清一「折々のことば」670を読んで

2017年2月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」670には
耕治人の小説「そうかもしれない」から、次のことばが取り上げられています。

 そんなことはない、その瞬間はわからなくてもいいじゃないですか

作中、認知症の妻をずっと介護して来た夫が、自分が入院した時に、今は施設にいる
妻がせっかく見舞いに来ても、彼女には事態を理解出来ないのではないかと、施設の
職員の彼女を連れて来てくれる計らいに躊躇を感じた折、彼の知人が語ったことば
だそうです。

私の経験から言っても、例え認知機能が低下して、こちらが掛ける言葉がどれだけ
理解されているか覚束なくても、実際に会って、相手の手を取り、目を見て語り掛ける
ことは、その相手の心のどこかに留まるものだと、感じます。

実際にその人を目の前にして言葉を掛けることが、何よりも大切なのではないで
しょうか?

それは何も介護に限ったことではないでしょう。育児にしても、その幼い子が周囲の
ことを認識出来る以前からの触れ合いが、その子の心に蓄積され、基礎的な感情や
情操の土台を形作るということも、何かで読んだ覚えがあります。

また多少の飛躍を許してもらえれば、人の気づきや、学び、覚醒において、「その
瞬間はわからなくてもいいじゃないですか」ということは沢山あると思う。そのことを
体験して、その時には分からなくて、自分で反芻してみて、あるいは次の体験で前に
経験したことの意味が理解出来る。

そのような気づきは、手取り足取り教えてもらったことより、きっと自分の血肉になる
に違いありません。そんなことも、このことばから連想しました。

2017年2月17日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月のヴァイオリン熱に対する東風の感慨

2017年2月14日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載197では
寒月が東京に出て来る以前の若い頃に、ヴァイオリンの弾き方を習得しようとした
経緯を聞きながら、東風が感想を述べる、次の記述があります。

「「ともかくも我々未婚の青年は芸術の霊気にふれて向上の一路を開拓しなければ
人生の意義が分からないですから、先ず手始めにヴァイオリンでも習おうと思って
寒月君にさっきから経験譚をきいているのです」

東風君は、かなりのロマンチストです。でも戯画化されているとはいえ、当時の
インテリ層の青年たちには、そんな西洋的教養主義の風潮があったのでしょう。

第一、恋、芸術などという観念が、この国にもたらされたのが明治以降でしょうし、
ましてやそれらを経験し、味わうことが、人間の精神の質の向上に資するなんて、
何か西洋の書物の受け売りに違いないのですから。

人間の心を彫琢するなら、明治以前ならさしずめ禅、武術、茶の湯、作法などを
習得することでしょうか?恋、芸術に比較して、道を究めるという趣きがあります。

他方今日では、より生きて行くために有用なのは、魂を磨くことではなくて、スキル
を向上させることのように、感じられます。それが証拠に、大学のカリキュラムから
教養課程をなくしたり、文科系の学部をより実践的なものに衣替えすることが、
盛んに論議されています。

この頃のせちがらい世の中では、それもある程度已むおえないのかも知れない
けれど、何か寒々しさを禁じ得ません。

ヴァイオリンやピアノのお稽古は、プロを目指す人などをのぞいては、子どもの
専売特許になっていますし、あるいは最近では、仕事が一段落した高齢の人々が
若い頃に出来なかった音楽に親しむという現象も、現れて来ているようです。

教養を積むことの低年齢化と高齢化は、私たちの社会の文化にとって、果たして
どんな影響を及ぼすのでしょうか?

2017年2月15日水曜日

福岡伸一著「芸術と科学のあいだ」を読んで

「生物と無生物のあいだ」、「動的平衡」で著名な、分子生物学者の日本経済新聞
連載コラムをまとめた本です。

まず本の体裁が極めてユニークで、コンパクトでありながら分厚く、持ち重りがし、
カバーの白地に配された手書き風のシンプルで、軽みのある黒一色の題字と
相まって、愛玩品を手にするような趣きがあります。どんなことが記されているのか、
思わず覗き込みたくなる本です。

さて著者福岡は、フェルメールの絵画の愛好家としても知られるように、科学と芸術
双方に造詣が深く、科学的な独自の視点から芸術を語り、あるいは、芸術を援用
して科学的なものの見方を分かりやすく語る文章に、定評があります。本書でもその
能力は遺憾なく発揮されて、また各コラムの冒頭に一つづつ配された絶妙のイラスト、
写真との相乗効果もあって、全体として魅力的なコラム集に仕上がっています。

それぞれのコラムは10に章分けして、タイトルを付けてまとめられていますが、その
中でも私は、「バベルの塔」と名付けられた章のコラムに、心惹かれました。この章で
扱われているのは、螺旋構造について語るコラムです。螺旋構造というものは、
生物学的にも重要な役割を担い、そしてそれ故か、人類の造形的思考においても、
私たちを強く突き動かすものであるのでしょう。

まず、生物の細胞内のDNAは、狭い空間に大量の情報を収納するために、螺旋構造
を持つと言います。その生物の根本的な部分の有する構造は、時として生物の体形や
器官の形に波及するのでしょうか。古代生物アンモナイトの殻の形、現在も普通に
生息する蝶の口吻は、螺旋状をなします。その合理的な美しさは、驚嘆に値します。

対して我々人類は、様々な螺旋形を構築し、螺旋模様を意匠して来ました。例えば
バベルの塔は、上方に伸びる螺旋構造によって、神の高みに近づこうとする人間の
傲慢さを示すとして、神に罰せられます。

他方栃木県で発見された縄文時代の遺構は、直径160メートル以上、高さ2メートル
もの円形の盛り土で、1000年にも及び絶え間なく渦巻き状に土が盛り続けられて来た
ことが分ると言います。この場合螺旋形は、終わりのない継続的な営為を示して
います。

またアイルランドの修道院で制作されたダロウの書の装飾、我が国の縄文土器に認め
られる螺旋模様は、自然界の絶え間ない循環のサイクル、エネルギーの発散を表すと
言います。

芸術と科学の関係を読み解きながら考えるなら、世界というものをもっと深く知ることが
出来るような気がして来ました。

2017年2月13日月曜日

鷲田清一「折々のことば」653を読んで

2017年1月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」653では
新約聖書(前田護郎訳)の「ローマ書」から、次のことばが取り上げられています。

 見える望みは望みではありません。・・・・・われらに見えぬものを望む以上、
 忍耐して待つのです。

このことばを読んだ時、何か心に残るものがあり、その後スコセッシ監督の
「沈黙 サイレンス」を観て、さらに感じるものが深まったように思います。

映画の中で神の沈黙は、あるいは主人公の神父を試しているのかもしれません。
しかし自らの肉体的な苦痛ではなく、自分の存在のために科せられた愛すべき
信徒の受苦であるならば、神のいつ訪れるとも知れない救済を待つよりも、自らが
背教という罪を被ることによって、信徒の苦しみを救うことの方が、本来の神の心に
適うことのようにも、感じられます。

しかし信徒を苛むという手段によって神父を転ばせるという刑罰の存在自体が、
当時のキリスト教徒の信仰の固さを表しているとも言えるでしょう。そしてそれほど
までに、宗教的忍耐というものは、情熱的で堅固なものであったのでしょう。

私たちの身の回りの社会では、信仰の形もだいぶ変わって来ているとは思います
が、不信心な私などは、物質的には目に見えないものを一途に信じる心という
ものに、ある種畏敬の念を覚えます。

あるいはまたそのように信じることが出来る人は、心のよりどころを持っている
ことによって、容易ではない苦しみにも耐えることが可能なのでしょう。

私自身は宗教的な雰囲気にはとても馴染めるとは思えませんが、何か自分の
心の中に確固とした信じることが出来るものを持って、心迷わず、忍耐強く、この
残りの人生を歩むことが出来たらと、常々考えます。

2017年2月10日金曜日

マーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 サイレンス」を観て

遠藤周作のこの映画の原作はかなり若い時に読んで、もう忘れた部分も多いの
ですが、苛烈な弾圧を受ける信者たちを目の当たりにして、神の沈黙の意味を問い
続ける主人公の神父の姿が、今も脳裏に残っています。

さてこの小説をなぜあの名匠スコセッシが映画化し、今の世に何を問いかけようと
しているのか?それを知りたいというのが、私がこの映画を観に行った理由でした。

映画ではキチジローと井上筑後守のキャラクターと存在感、信仰を棄てた後の
主人公ロドリゴ神父の生き様が、神が沈黙を続ける意味を、あくまでスコセッシの
理解を通してですが、原作より分かりやすく示してくれているように、感じました。

まず一つのキーワードとして、この国でキリスト教を布教することには意味がなく、
住民にとってはかえって迷惑なことであると、筑後守が語る部分があります。

その現実を思い知らせるために、彼はこの神父の前で一般の信者を痛めつけ、
ロドリゴに背教を迫るのですが、この言い分や仕打ちは為政者の独善的な思考に
基づくものであるのは言うまでもなく、しかし当時の日本の住民の性向や、それを
前提とする封建支配体制というものの特性を、図らずも焙り出すことになっている
のも事実でしょう。

つまり住民は自然に寄り添い、支配者や宗教とも情緒的な関係でつながりながら、
日々を営んでいたとでも言いましょうか、為政者にとってはそのような日常環境に、
理路整然とした一神教のキリスト教が広がることが、大きな脅威であったのでしょう。

またキチジローは、そんな日本人がキリスト教の信仰に帰依した時の、弱さや戸惑い
を象徴的に表しているように、感じました。

苦しむ信者のために表面上の信仰を棄てたロドリゴは、神の沈黙を通して普遍的な
信仰を心に抱く術を見出したのではないでしょうか?

そして宗教的な対立が激しさを増す現代社会において、スコセッシは人々が互いに
相手を尊重し合う生き方のヒントを、この映画で示しているように、私は感じるのです。

2017年2月8日水曜日

龍池町つくり委員会 37

2月7日に、第55回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回はまず、残念ながら私は参加出来なかったのですが、先日開催された「龍池
きものde茶話会」の結果報告が、担当の張田委員よりなされました。

参加総数は50名、その内一般の学区民の方は予約された方が9名、当日参加が
8名、告知活動がいくらかは成果を上げたと推測されます。また学区外からの
参加者は3名で、やはり着物を着るという催しは、他地域の人にも訴えかける力が
あると、感じられました。

着物をレンタルされた方は、女性12名男性7名で、会の進行は、前回時間が
長引いたことの反省を踏まえて、会場で着物を着用する人の集合時間を予め早く
設定したので、スムーズに運用出来て、参加者も50名というのが適当な人数では
ないかということでした。

着物を着て普段には味わえない堺萬のお雑煮を食し、お茶とお菓子を頂き、カルタ
遊びに興じ、京都のお正月についての話を聴くという体験は、参加者にもおおむね
好評で、恒例行事としてこれからも続けて行くことが確認されました。

地域のお正月行事についてのお話を担当された中谷委員長からは、例えばこの
学区の各家で行われて来た、自宅の前の路を掃く朝の掃除が、周りを思いやる
気配りや、近所の人々の無事を確認する意味を持っていたというように、それぞれの
行事のかたちだけではなく、その中に含まれる心を伝えて行きたいという思いで
お話をした、という説明がありました。

京都外国語大学からは9名の学生さんに参加して頂き、運営を手伝って頂くと共に
彼らにとっても着物を着るという体験が貴重だったようで、南先生も、着物に興味は
持っていても知らない若者が多く、大学で自ら関わられている学芸員資格課程でも、
着物を含む和文化を取り上げて行きたいと話されました。

なお京都外大の次年度の当町つくり委員会との関わりにおいては、スタンプラリーの
参加者が少なかったことの反省も踏まえて、対象に老人も含めるなど、新たな企画を
考えて行こうということで、これから案を練って行くことになりました。

これまで京都外大の学生で町つくり委員会に中心になって係わって頂いた、
小林美香さんが一区切りで担当を外れられることになり、彼女より挨拶がありました
。小林さんご苦労様でした。

2017年2月5日日曜日

鷲田清一「折々のことば」652を読んで

2017年1月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」652では
政治学者宇野重規の「保守主義とは何か」より、次のことばが取り上げられて
います。

 探していたものは、前からずっとここにあったのではないか。

最近の若い者は・・・。何時の時代にもよく聞く言葉です。また社会環境の変化が
急激で、目まぐるしい昨今では、私たち以上の年配者にっとて、若い人の生態や
言動は、ますます理解し難い部分が増えて来ているようにも、感じられます。

例えば、もちろん私が最新の世の流れや、広く行き渡っている通信手段に疎い
ということの告白に過ぎませんが、ラインでの交流やツイッターでのつぶやきなど、
若い人たちが周りの人との関係を結んでいる様子や、ネット言論に影響されて
いる実態などは、さしずめスマートフォンを肌身離さず持って何かやっているぐらい
しか分かりません。

でも東日本大震災の時に、多くの若者が自発的にボランティアとして駆け付けた
様子などを報道で見ていると、また混み合った電車やバスで、お年寄りに自主的に
席を譲る若い人を目の当たりにしたり、実際に話をすると、礼儀正しい受け答えを
する若者が多いと実感することからも、彼らの多くが公共心を持ち合わせた分別の
ある人々と感じさせられることが、しばしばあります。

また若者が、伝統的な行事や習俗に興味を持つ場面も以前より増えて来ているよう
にも、感じます。これは社会から急激にそういうものが失われて行くなかで、逆に
彼らがそれらの中に含まれていた大切なものに気づき始めた、ということではない
でしょうか?

上記のことばはそういう意味でも、私たち伝統産業に携わる者にも、希望を与えて
くれることばです。

2017年2月4日土曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月の心意気

2017年2月2日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載191には
いたずらで金田の令嬢に艶書を送りつけたことを後悔して、担当教師の苦沙弥に
相談に訪れた中学生を弁護するために、寒月が語る次の記述があります。

「 「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧どもがそれどころじゃない、
わるいたずらをして知らん面をしていますよ。あんな子を退校させる位なら、そんな
奴らを片っ端から放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」」

この「吾輩は猫である」連載を読み続けて来て、私が最もカタルシスを感じた場面
です。

他愛のないいたずらをやってしまって、退学処分という重大な結果を招くのでは
ないかと怯える、青臭い中学生。それを、苦沙弥先生は、日頃、金田が糸を引く
近所の学生たちの嫌がらせに悩まされていることもあり、また相談に来た生徒の
授業態度が芳しくないことも重なり、さらには持って生まれた頑固さや料簡の狭さも
輪を掛けて、窮状の生徒にわれ関せずを決め込もうとする。

そこで当の金田の令嬢との結婚の噂もある寒月が、筋を立ててこの可哀想な
中学生をかばうための言葉を発するのです。それは何か超然として、巨悪に目を
つむりながら、ささいな過失に目くじらを立てる世間の暗愚を告発しているようでも
あり、社会の堅苦しさ、余裕の無さをいさめているようでもあります。

この場面には漱石の正義感や、近代の日本社会の余裕の無さ、一面的な価値観の
横行への危惧が凝縮されているように、私は感じました。

2017年2月2日木曜日

京都国立近代美術館「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観て

私が本展に興味を持ったのは、一番には伝統の継承という部分においてです。周知の
ように、作陶の名家で千家十職に数えられる樂家は、初代長次郎が千利休の好みを
体現する樂茶碗を創造し、以降十五代に及ぶ現代に至るまで、秘伝や奥義を代を継ぐ
一人の子に伝えるいわゆる一子相伝によって、樂焼の伝統を継承しています。

思い起こすと私がまだ若い頃、取り引き銀行の青年部会の企画で樂美術館を訪れた
時、見学後何代か前の当主が創作した実際の樂茶碗でお茶を振舞って頂き、当代
自らが樂焼について解説して下さったことが、印象に残っています。その言動は初代
からの伝統を受け継ぐ重責を感じさせ、末代までのことをもおもんばかる、遥かな
温かい眼差しに満ちていました。

その記憶からも、樂歴代の茶碗が一堂に展観される本展で、樂家のひいては伝統を
継承するということの、普遍的なエッセンスといったものを感じ取ることが出来ないかと
思ったのです。

まず最初のコーナーには創始者長次郎の茶碗が、400年以上も前の桃山時代に創作
された茶碗を一度にこれだけ多数目にする機会には、滅多に恵まれないという程に
展示されていますが、彼の茶碗は茶道の大成者利休の精神に初めて形を与えたと
いう意味において革新的であり、創造的であったのでしょう。

じっと観ているとその茶碗は、枯れてはいますが滑らかで古びず、軽やかではあります
がどっしりとした存在感があり、中をのぞき込むと無限の広がりがあるようでいて、掌で
包み込みたくなるようなちょんもりとした形と大きさをしています。作為と無作為の間に
均衡を保って存在する茶碗と、私には感じられました。この屹立する造形を旗印として、
以降の諸代は自らの茶碗を作り出して行くことになります。

その苦心を推し量るヒントを得るために、私は展示されている三代道入と本阿弥光悦の
茶碗を比較してみました。道入は長次郎を継ぐ者として斬新さやモダンさを求めたそう
ですが、その茶碗は光彩を放つといえども、長次郎を踏み外さない。対して、琳派の
創始者といわれる光悦の茶碗は、同じく樂焼でありながら自由さ、奔放さに溢れている。
家の伝統を受け継ぐ者の、家風を守ることと、新たな創造を折り合わせることの難しさ。
またその重責の中には、以降の代のことまで目配りする周到さも含まれていることを、
感じさせられました。

さらに当代の茶碗の約束事を踏み超えるような前衛的な作品は、現代という時代に、
茶道はいかにその命脈を保って行くかという問題までも視野に入れて、創作されている
ことを感じさせられました。