2023年12月31日日曜日

「鷲田清一折々のことば」2906を読んで

2023年11月9日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2906では 作家サン=テグジュペリの『人間の土地』から、次の言葉が取り上げられています。    郷愁、それは知られざるものへの憧れだ 『星の王子さま』の作者らしい、何とスケールが大きく、詩的な解釈でしょう! 私たちなら通常「郷愁」は、郷土のような自らの原体験に基づく事象に対して抱く、甘酸っぱい 感情ということになります。 ところがテグジュペリは、自身の幼少体験を突き抜けて、もっと根源に遡って、「郷愁」を定義 しているのです。 このような解釈によるとこの言葉は、人間のあるべき姿を映し出す、鏡のような役割を果たすと 思われます。 その鏡に照らして、果たして自分は誰にも恥じない行為を行うことが出来ているのか? 彼自身が、戦時に勇敢な偵察飛行の任務に就いて、消息を絶ったと言われています。「郷愁」に 対するこのような捉え方は、彼の矜持であったのでしょう。 ヨーロッパ、中東で新たな戦端が開かれた現在、私たち東アジアに住む人間も、グローバル化の 進展を鑑みても、決してよそ事として座視することは出来ないでしょう。 私たち一人一人が、この作家のように、人類の未来に思いを馳せることも、必要であるように 思われます。

2023年12月21日木曜日

「鷲田清一折々のことば」2900を読んで

2023年11月4日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2900では エッセイスト稲垣えみ子の『家事か地獄か』から、次の言葉が取り上げられています。    便利なものっていうのは「自分」を見え    なくするわけですね。 稲垣は、掃除機や洗濯機、冷蔵庫などの家事をラクにする家電製品は、できることが増える歓びを、 ーしなければならないーというプレッシャーに変えてしまう。そして何より怖いのは、家事を「 めんどくさくてつまらないもの」と思わせてしまうことだ、と言うのです。 う~ん、難しいところですね。家電製品によって、家事は画期的にラクになりました。女性が家事 を担うという従来の価値観では、彼女らにそれに費やす時間を他のことに当てる余裕を生み出した、 とも言えるでしょう。それはそれで、女性の地位向上につながった部分もあるのではないでしょう か。 でもここで言われるのは、便利になったために、かえって家事をしなければならないという重圧が 増した、ということでしょう。だけどそれは、家庭環境にもよると思われます。つまり夫婦、家族 で分担して家事を行う家庭なら、家電製品が出来たことによって、それぞれの家事の専門性が薄れ、 皆が分担しやすくなった、とも言えるのではないでしょうか? あるいは上記のことばの語り手は、家電製品の登場によって、家事は自ら工夫したり、時間の合間 に手軽にするものではなくなた。そのために退屈で、苦痛を伴うものになったと、言いたいのかも しれません。 でも残念ながら現代社会では、大部分の人が時間が足りなくて、なんとか空き時間を生み出そうと、 四苦八苦しているのではないでしょうか?そういう意味では、家電製品は確実に、そんな人たちの 要望に応えていると思われます。 私もリタイアして時間が出来たら、掃除などは箒や雑巾を使った手作業でやって、満足感や達成感 を味わえたらいいな、とも思います。

2023年12月15日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2870を読んで

2023年10月14日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2870では 17世紀フランスの侯爵で思想家、ラ・ロシュフコオの『箴言と考察』から、次の言葉が取り上げられています。    欠点のうちには、それが巧みに運用され    ると、美徳そのものよりも光るのがあ    る。 例えば移り気やその逆のしつこさが、偉大な発明につながったり、優柔不断やぐずぐずが、沈着な情勢判断と なったり、引っ込み思案が、人を深い内省へと誘ったり。「人間のよくない性質が、大きな才能をなす場合が ある」と、この思想家は言います。 そう、人間の欠点と長所は性質の表裏、そこまで言い切れなくても、すぐ近くに隣り合っているものだと、感 じられます。だから、卑下し過ぎることも、自信過剰になることもないのではないか? 大切なことは、自分を客観的に観ること。そうすれば、どのように振る舞うべきか、逆にどういうことに注意 すべきかも、見えてくるように思います。 またあるいは、ある人を指導する立場になったり、その人と一緒に何かを行うことになった時には、相手の中 のそのような特徴や性質を見抜き、どのようにアプローチすれば能力を引き出すことが出来るかを見極める ためにも、この法則は役立つと思われます。 いずれにしても、完璧な人間などはいなくて、誰でも欠点を持っているのが当たり前と、認識すべきでしょう。

2023年12月6日水曜日

川上未映子著「黄色い家」を読んで

まず率直な感想から述べると、これほど心優しく、生真面目な少女を主人公にした、ピカレスク小説を読んだ ことがないということです。そしてこの小説が描く世界が私たちの生活のすぐ近く、いやほんの足下に存在し ながら、私たちが気づかずにいる、あるいは目を背けている世界であるということです。 例えば、闇バイトで集められた若者たちを実行犯とする、組織的なグループの振り込め詐欺の犯罪が明らかに なった時、私たちは真っ先に、同様の被害に遭わないために警戒感を強め、他方犯人については、自分とは 全く縁のない特異な人間たちとして関心を示しません。 しかしこの社会には、貧富の格差の拡大によって、生活に困窮する多くの人々がいて、彼らが高額の報酬を 当て込んで詐欺グループに加わるということが、現実に起こっています。そしてこの小説の主人公花は、正に そのような少女なのです。 彼女は、スナック勤めの身持ちの悪い母親の元、私生児として育ち、中学生の時に母の愛人に、アルバイトで 必死に貯めた金を盗まれて、家を飛び出します。絵に描いたような薄幸の少女ですが、彼女を受け入れるのが 母親の友人という、謎に満ちた女性黄美子です。正に黄美子は、この小説の鍵となる人物です。 花は家事能力のない実の母に対して、黄美子がとりあえず冷蔵庫を食べ物で満たしてくれ、部屋を整理整頓し てくれることに、自身の価値観との親近感や、今まで味わったことのない母性を、感じ取ったのではないで しょうか? 以降花は、黄美子という存在を象徴する「黄色い家」での、黄美子、花、他の二人の少女との共同生活を維持 するために、カード詐欺に加担する泥沼にはまって行きます。カード詐欺という行為に至る花の心理、また 犯罪がエスカレートして行く場面での彼女の心の高揚、焦り、そして次第に精神的に追い詰められて行く様子 は、現実の振り込め詐欺事件の末端の犯罪行為者である、若者たちと見事にシンクロします。 つまり、経済的困窮から、その詐欺行為自体がシステム化されているために、あまり罪悪感なしに犯罪に手を 染め、次第に抜けられなくなって行く様子のように・・・。 私たちは、花を責めることが出来るでしょうか?彼女こそ被害者ではないでしょうか?シンプルだけれど、 真面目に努力する人が、報われる社会であってほしいと思いますし、著者は決して声高にはならず、私たちの 社会の矛盾を告発しているのではないかと考えます。