2024年4月24日水曜日

「鷲田清一折々のことば」2953を読んで

2023年12月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2953では 朝日新聞学芸部編『余白を語る』から、日本への永住を決めた米国の映画評論家ドナルド・リチーの次の 言葉が取り上げられています。    そうなるはずのものはいいのです。 リチーは、日本人は芸術を愛する民と言われるのに「自然をバラバラに」し、カネにも凄く執着してきた。 それに「新発売」も好き。でも本当は、髪が薄くなっても抗わずに「自分の自然さと外の自然さをうまく 会わせ」てゆくそのシゼンタイがいいのにと語ります。 日本人は一体いつからこのようになったのか?かつては、身なりを飾らないことや清貧に、価値を見出して いたというのに! 日本人はよく周りの目を気にします。だから、一般的な日本人の尺度が変質してきたということでしょう。 上述のような特徴が現れてきたということは、日本人の西洋化、資本主義的価値観の浸透、そして経済的に 豊かになったことが挙げられるに違いありません。 このような価値観の変容は、日本の国に著しい経済発展をもたらしました。それは一時期、大多数の人々を 飢えや貧困から救ったかも知れません。しかし現在、経済は停滞し、それと同時進行する少子高齢化と共に、 新たな格差問題も生まれています。 右肩上がりする経済状況ではない社会で、我々は如何に充実した生を過ごしていくか?そのためには、最早 過去の生活には戻れないにしても、その頃の価値観を見直してみることは必要かも知れません。

2024年4月17日水曜日

アンヌ・デルベ著「カミーユ・クローデル」を読んで

「巨匠ロダンの弟子であり、悲劇の美貌の天才女彫刻家」。本書の著者で、当のカミーユの復権に一役買った 演出家でもある、デルベらの尽力もあって、今日ではすっかり上記のイメージが定着している、約30年も前に 刊行された彼女の伝記小説を、私が今読む意味を改めて考えてみると、読後に私が得たプラスの部分としては、 すでに持っていた固定観念が解体され、深められたこと。逆に惜しむらくは、私に彼女の弟、外交官で著名な 詩人、劇作家のポールに対する知識があれば、この読書は更に意義あるものになっただろうということです。 まずカミーユに対するイメージが更新された点から述べてみますと、本書のカバーにも採用されている、20歳 の頃の彼女の写真は、既に広く知られたものとなっていて、私も目にしたことがあり、彼女の人となりを想像 する有力な判断材料となっていました。つまり、色あせたモノクロ写真に浮かび上がる彼女は、美貌でしかも 聡明、勝ち気そうですが反面、痩せ細り、はかなげで、未来の悲劇を予告するようです。 このイメージがこびりついていたために、私は彼女が絶対的な権力を持つロダンに、才能も愛も吸い尽くされ たか弱い女性と思い込んでいました。しかし本書を読むと、彼女のこのような部分は一面に過ぎず、他面男性 の専売特許であった彫刻界に、20歳にも満たぬ年齢で単身飛び込む、男勝りで情熱的、芯の強い女性で、力 仕事も辞さず、また弟ポールに対しては、高飛車で強権的、嘲笑的な態度を取っていたことも分かりました。 師ロダンに対しても、彼が身勝手で、優柔不断であったこともありますが、最後は彼女が主体的に決別した ように想像されます。結局彼女は、時代に先駆けて生を受けた女性彫刻家で、溢れる才能はあるにも関わらず 評価が追いつかず、その結果経済的にも追い詰められ、反面男に対する情熱を有する女性であったために、 ロダンと内縁の妻との間の三角関係にも苦しみ、自らの身を滅ぼすに至ったのでしょう。 カミーユは言わば、時代の犠牲にもなった芸術家であったので、彼女が著者らの努力によって復権し、展覧会 が開催されたり、ロダン美術館に展示室が設けられていることは、せめても彼女への報いであると思われます。 ポールについても、私に彼の作品への知識があれば、カミーユと彼の関係を通して、理解が深まったものと 思われます。

2024年4月12日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2931を読んで

2023年12月6日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2931では 女優倍賞千恵子の連載「あの時のわたし」(「暮らしの手帖」27号)から、次の言葉が取り上げられて います。    風が吹くと葉っぱの裏側が見える。これ    が好きです。 映画「寅さん」シリーズに出演するなど、その国民的女優がこのような言葉を発すると、心に響くもの があります。 女優業は常に脚光を浴びる華やかなもの。でも反面いつも多くの人の視線に晒されて、プライバシーを 犠牲にしなければならない、一般の人より遙かに不自由を感じなければならない職業でしょう。 そのようなプレッシャーをやり過ごすために、傲慢な態度に出たり、飲酒に逃避したり、海外に住居を 移したりする人も見受けられるようです。 でもこの女優は、普段の自分を出来るだけ目立たなくさせることで、平静を保って来たように推察され ます。 そして、出たのがこの言葉。周りに生かされているという自覚や、目配りが行き届いた姿勢、普段の 倍賞さんを実際には知りませんが、そうした謙虚さを、私はこの言葉から感じ取りました。 また、自然の些細な変化、物事の裏側やはかなさに想いを向けることは、私たち普通の人間にとっても、 大切なことだと思われます。さっと吹き抜ける涼風のような、爽やかさを感じさせる言葉でした。

2024年4月3日水曜日

平野啓一郎著「ある男」を読んで

不幸な出来事のため離婚し、故郷に帰った女性が、再婚して幸せな家庭を築きますが、夫が事故で急死して 彼の親族に確認すると、全くの別人であることが判明します。一体その男は、どこの誰であるのか?この ショッキングな事件から始まる物語は、取り残された妻が亡き夫の素性調査を、弁護士に依頼することに よって展開して行きます。 まず心に残るのは、難病の次男の治療方針を巡り前夫と対立し、その子供の死後離婚し、長男を連れて故郷 に帰ったくだんの女性が、老舗温泉旅館の次男として生まれながら、父親への骨髄移植を巡り家族と対立し、 縁を切って家を飛び出した自称{谷口大祐」と出会い、結婚する場面です。 最近の医学の目覚ましい進歩の中で、重症の治療の選択肢は格段に増えながら、それでも結局は救えない命 がある、という厳然たる事実が突きつけられます。生死を分かつ紙一重の差の理不尽!その悲哀を存分に味 わった二人の人間が、人間不信に固く心を閉ざした状態から手探りで互いの真心を見出し、心を通わせる 様子に、読んでいて心が高鳴りました。それだけに、亡き夫が本物の「谷口大祐」ではなかったことが明ら かになった時、心がざわめきました。 他方この不幸な妻が、前回の離婚調停に続いて夫の捜索を依頼した弁護士もまた、自らの出自が在日朝鮮人 であるという負い目を持ち、日本人である妻との関係に軋轢を抱えています。そして自らのこの負の感情が、 彼が余り報酬を期待出来ないにも関わらず、不幸なこの事件の依頼人の望みを叶えるべく奔走する、原動力 になっているように感じられます。 この弁護士の苦悩に寄り添う予備知識や経験を、私は持ち合わせていませんが、本書の中で懸命に真実を 探求する彼の姿を通して、人間の生い立ちとその彼の人生の関係、ある一人の人物がその名前を背負って生 きることの意味、過去、現在そして未来と、他者を愛することの関係などについて、大いに考えさせられま した。 また著者は、日本における死刑制度廃止を広く世間に訴えかける作家でもあり、本書は被害者家族は言うに 及ばず、加害者家族のケアの必要性をも暗に示しているように感じられました。