2014年5月30日金曜日

庭木の手入れ

まだ5月というのに、真夏のような暑さが二日目に入った今日、
時を計ったように、例年より少し早く植木屋さんからのお伺いがあり、
庭木をさっぱりと刈り込んでもらいました。

気温の上昇と、日差しの強さが増すにつれて、若葉がしげり、
知らず知らずのうちに鬱蒼とした、むせかえるような、暑苦しいさを
あらわにしていた小さな庭が、見違えるほどすっきりして、涼しげな
風情になりなした。

自営業の日々の雑務に追われ、庭木の剪定、施肥、薬散布という
庭の手入れの重要なところは、少々贅沢ですが植木屋さんに任せ、
自分ではもっぱら、草引きと、落ち葉掃除のみを行っていますが、
プロの仕事の確かさのお陰で、庭の樹木は年中健やかに保たれ、
季節季節の花や、葉の色づきを楽しむことが出来ます。

ことに今日のような、剪定後の庭の整った、すがすがしい
たたずまいは、庭師の信頼に耐える技を示してくれます。

2014年5月28日水曜日

ジャック・ケルアック著「オン・ザ・ロード」を読んで

アメリカ、ビート・ジェネレーションの代表的作家の一人、ケルアックの
伝説的ロード小説です。

出版当時、多くの若者に多大な影響を与えたそうですが、50年以上の
時を経ての映画化を機に、再び脚光を浴びているということで、手に
取りました。

ケルアックがこの小説を上梓した1950年代は、経済的には米国が
名実ともに世界一位の国として繁栄を極め、他方国際関係においては、
ソ連との、冷戦と呼ばれる一触即発の軍事的対立が深まって、
国内では物質的豊かさを謳歌しながらも、思想的にはアメリカ的価値観を
一方的に強制するような、閉塞感が充満していたといいます。

そこに反逆児としてのビート・ジェネレーションが登場する訳ですが、
本作品では、怒れる反逆の体現者、ディーン・モリアーティが何より
魅力的です。

その魅力の秘密を探ると、まず彼の驚異的なタフネス、時を惜しむ
ように不眠不休で、時速150km近いスピードで車を操り、
アメリカ大陸を縦横無尽に駆け巡ります。

彼は無軌道、破天荒、節操もないが女性にもてます。底抜けの
優しさを持ち、面倒見も良いからです。

浮浪者、黒人、ヒスパニックら虐げられた人々に共感を持ち、
彼らの産み出す芸術を好み、アメリカという豊かで権威主義的社会で、
その恩恵を逆手にとって、道徳に抗い、秩序をもてあそびます。

最後に残るのは、狂騒の宴の後の寂しさではありますが、彼の人生の
軌跡は、現代人が生きる方便として飼いならしてしまった野性を解き放ち、
青春の炎を最大限に燃焼させた潔いまでのすがすがしさを残します。

また本書を読んで、反逆するものが存在するということが、正に社会の
活力を示すのではないか、ということにも思い至りました。

2014年5月23日金曜日

映画「リトル・ダンサー」スティーブン・ダルドリー監督を観て

1980年代イギリス北部の炭鉱町、ボクシング教室に通う11歳の
ビリーは、たまたま同じ会場で隣り合わせて練習をすることになった、
ダンス教室のレッスンに魅了されます。

炭鉱労働者の次男で、兄も炭鉱で働いています。男は強く、
たくましいが気風の家庭にあって、彼はめめしい女の習い事と
見なされがちなダンスを習いたいとは、とても切り出せません。

しかしボクシングの練習をしていても、体は勝手にダンスのリズムに
合わせて動き出し、最早、彼の意思ではどうすることも出来ません。

この場面の描写が秀逸です!この映画はきっと、この部分を
表現するために作られたのだ、とさえ思わせます。

主演ビリー役のジェイミー・ベルは、北部なまりが話せて、ダンスに
優れる、2000人余りの中から選ばれたといいます。

キャスティングが見事で、炭坑町の素朴な少年が、止むに止まれぬ
衝動に駆られてダンスにのめりこんで行く姿を、違和感なく
演じ切っています。

人生の中で人には誰でも、ことの重大さ、些細さは別にしても、
何かに魅了され、突き動かされる瞬間が必ずあるはずです。

しかし、その多くの場面において私たちは、様々な事情や制約、
あるいは諦観によって、その衝動に身を任せることを断念するのでは
ないでしょうか。

そのような一瞬に立ちはだかる障害を乗り越えて、ためらわず前に
進む意志こそ、純粋さであり、情熱であり、時によっては才能である
のかもしれません。

2014年5月19日月曜日

若狭小浜へドライブに

この日曜日、陽気に誘われて、若狭小浜までドライブに行って
来ました。

コースは鯖街道、八瀬、大原から途中を越えて、葛川、朽木、
保坂を過ぎて小浜に至る道です。

この街道は往時、鯖に代表される若狭の海産物を、京の都に
運ぶ重要な輸送路でした。

その名残として、道々に、名産の鯖寿司を生産販売する店が
見られます。

さて、山中を縫うように続く道の周囲は、文字通り新緑に溢れ、
様々な階調の緑が重なって、俳句の季語にもある「山笑う」
という表現がピッタリときます。所々に色をそえる、藤を初めと
する季節の山の花々も、私の心を和ませてくれます。

いっぱいに開けた車の窓から吹き込む、心地よい薫風ともども、
心浮き立つ、晴れやかなドライブでした。

さて、小浜でのお目当ては、新鮮で美味しい魚料理。この地に
行った時には必ず訪れる、いづみ町の大谷食堂で、
鰻と造りの
定食を堪能しました。

満ち足りた一日でした。

2014年5月16日金曜日

竹田武史写真展「ヘルマン・ヘッセに捧ぐ シッダールタの旅」を観て

去る5月6日、京都文化博物館で、竹田武史写真展を観ました。

この写真展は、ヘッセの「シッダールタ」を熱愛する竹田が、作品の
舞台であるインド各地をオートバイで回って、撮影した写真を
展観する催しです。

まず本展では、「シッダールタ」に導かれた写真家が実際にその地に立って、
ヘッセが感得したものの上に自らの思いを重ねるように、丹念に被写体に
向き合っている姿勢が印象的でした。

では、ヘッセというフィルターを通して、竹田はどのようなインドを写し取った
のでしょうか?

私にはそれはまるで、白日夢のように感じられました。

そこには有無を言わさぬ圧倒的な存在感の自然が写し取られ、その中で
繰り返されている、けし粒のような人間、動物の神聖な営みが描き出されて
います。

聖なる河での人々の祈り、沐浴、火葬、あるいは、鳥についばまれる牛の
亡がら・・・

しかしそのすべてがあまりにも美しく、生々しさがなくて、まるで夢の世界の
ようです。

表面的にいやされたという部分は別にしても、その真実の姿を一体どのように
受け止めたらいいのか、正直戸惑いました。

このもやもやを解消するには、実際に「シッダールタ」を読んでみるしか、
仕方がないのかもしれません。


2014年5月13日火曜日

芳澤勝弘著「白隠ー禅画の世界」を読んで

私は白隠の禅画の力強く飄逸なたたずまいが好きで、これまで
数回、展覧会に行っています。

禅画という性格上、白隠がそれらの絵を描いた時代背景、
それぞれに込められた禅的な意味合いを知ることが出来たなら、
より深くその芸術を賞味することが出来るのではないかと考えて、
本書を手に取りました。

この本を読み始めてまず驚かされたのは、一見飄逸の相を見せる
こともある彼の禅画が、時に時代に鋭く切り込む批評精神を示す
ものでもあるということです。

例えば、「富士大名行列図」は、富士山の聖性と大名行列の華美を
対比して、大名の奢侈を容赦なく批判しています。

白隠はこの絵によって、大名の行いを戒めているということです。

この批判行為が当時の世にあって、なみなみならぬ覚悟を必要と
するものであったことは、十分に推測がつきます。

なお、禅画を読み解くためには、画中の賛と呼ばれる詞書も重要で、
この「富士大名行列図」でも、賛が巧みな判じ言葉として画意を
示しているということです。

また、白隠の墨跡「南無地獄大菩薩」、禅画「十界図」の解説も、
私には忘れえぬものです。

彼のの考えでは、極楽と地獄は表裏一体で、心を磨き、修行を
積んで、極楽へと至る境地を見出さなければならない。この墨跡、
禅画はその教えを表しているのです。

白隠の禅画が発する烈しさ、強さ、伸びやかさ、そしてユーモア
さえも、彼自身の己を律する厳しさ、たゆまぬ研鑽の結果が、
自ずと滲み出たものなのでしょう。

2014年5月11日日曜日

龍池町つくり委員会 4

5月6日、第22回龍池町つくり委員会が開催されました。

今回は、新年度の具体的活動計画案として、中高年を対象とした
ピアノ講座の開講、そして、委員会活動に協力していただいている
京都外国語大学の学生さんによる、龍池学区の子供たちを対象とした
学区内探索、町歩きイベント開催の提案がなされました。

この子供の町歩きイベントは、学区内のマンション住民の子供たちに、
この地域の通りの様子や、そこにはどんな店があるかを知ってもらう
ことによって、この地域にもっと、愛着を持てるようにすることを目的と
するものです。

このように、現状の問題に即した具体的な活動案も出てきましたが、
次なる課題は、これらの活動をいかにして地域住民に、あまねく
行き渡るように知らせるか、ということです。

特に、マンション住民に対しては、プライバシーの問題もあって、
地域の催しや活動案内がおろそかになってきました。

町つくり委員会の中でも、広報活動の必要性を、多くの委員が
認識するようになってきています。



2014年5月9日金曜日

季節の花をめでる

ゴールデンウイークに上賀茂、大田神社のカキツバタと、雲ケ畑、
志明院のシャクナゲを見てきました。

大田神社は、境内に入ったところにある大田の沢に、2万株以上の
カキツバタが群生していて、訪れた日にはまだちらほらと咲いている
程度でしたが、五月にふさわしいのびやかな葉と茎のみずみずしい
緑色と、あざやかな花の青味を帯びた紫色のコントラストが美しく、
晴れ晴れとした気分にひたれました。

一方志明院を訪ねると、山深い風景の中に突然、薄ピンク色に
咲きほこるシャクナゲの花の絢爛たる景色が広がって、その
あでやかさに驚かされました。

見終えた後、どちらの花の美しさも、実は京都の、豊かな水の恵みの
たまものであると、思い至りました。

大田の沢は市街北郊の加茂川沿いの沼沢地にあり、志明院は
この川の源流の一つに位置するからです。

京都の文化は、市街を南北に貫く鴨川や、豊富に存在する地下水
という、潤沢な水の恩恵を受けて来ました。

そのことに改めて気付かされる、時候の花をめでる日となりました。



2014年5月7日水曜日

伝来の五月人形

端午の節句に、久しぶりに我が家の五月人形を飾りました。

この人形は父の兄が生まれた時に、お祝いとして祖母の実家から頂いた
もので、およそ百年ぐらい前に作られたものだそうです。

私が幼い時には、毎年飾るのが恒例だったのですが、近年は多忙に
かまけて、ついついしまい込んだままになっていました。

今年は母の提案で、久しぶりのお目見えとなりました。

一番立派な人形が神功皇后、横にひかえる従臣が大切そうに抱いて
いるのが御子の応神天皇です。

記紀によると、朝鮮遠征から凱旋した神功皇后が筑紫で後の応神天皇を
出産、後世この二人は、全国の八幡神社の祭神として祀られることに
なったそうです。

五月人形というと、兜や甲冑がまず思い浮かびますが、母によると、
祖母の両親が、大切な娘を嫁がせ、無事長子が生まれたことをことのほか
喜んで、母子一対の人形を贈られたと聞いている、ということです。

さらには、神功皇后と応神天皇の対の大将人形が、当時の流行だったのかも
しれません。

久しぶりにこの人形を目の前にして、大切なものを通しての人の心のつながり
ということに、思いを馳せました。

2014年5月4日日曜日

FUTURE BEAUTY「日本ファッション:不連続の連続」を観て 3

どちらかというと、前近代的なイメージがある、平面性を特色とする
衣服を発展させて、このような未来志向のファッションを創造した、
日本人デザイナーのイマジネーションの飛躍に感動しました。

「伝統と革新」、彼らは、それまで西洋ファッションに存在しなかった
美の探究を、新たな素材の開発にも求め、京都の伝統的なもの作り
技術の応用にも、積極的に取り組みます。

西陣の織物素材をドレスの一部分として使用し、伝統的な染色技術を
用いて染め上げた生地で洋服をデザインするのです。

このパートは、とかく業界内に閉じこもりがちな、私たち和装業界の
人間にとっても、刺激的な内容でした。

「物語を紡ぐ」、長い不況の後のファッションデザイナーは、個人の
ささやかな幸福感を体現する小さな物語の表現にも、目を向けて
いるように思われます。

自らの人生の中で着用してきた衣服の断片ををつなぎ合わせて、
新たな一枚の服を作り上げたり、自分が好きなもの、なってみたい
ものをイメージさせる洋服をを創作したり、あるいは、愛用している
洋服の傷んだ部分にお気に入りの刺繍を施し、ニットの小さな
アクセサリーを縫い付けてドレスアップするというものです。

このパートは、私たちの店が承っている、一枚づつからの帯揚げの
誂え染めとも、通じ合うものがあると感じました。

2014年5月3日土曜日

FUTURE BEAUTY 「日本ファッション:不連続の連続」を観て 2

「陰影礼賛」のコーナーに展示された黒い服は、ファッションの本場
ヨーロッパで、衝撃をもって受け入れられたということです。

しかしこの黒い色調は、あまたある色の洪水の中での特殊な黒、
果敢にチャレンジした日本人デザイナーの勇気に敬意を払いつつも、
やはり、新奇なものがもてはやされたという印象も、作品を観ていて
受けました。

そして「平面性」、日本人デザイナーはこうして華々しくデビューを
飾りましたが、平面性という特性を追求した作品を発表するに至り、
服飾という分野に初めて、芸術という概念を導入したように見えます。

立体を志向して裁断、縫製する西洋のファッションに対して、平面的な
構造を持つ着物の文化に慣れ親しんだ彼らは、平面から立体を形作る
折り紙の思考方法も加味して、平面性を追求したファッションを欧米に
もたらすのです。

特に、三宅一生の「プリーツ・プリーズ」の作品には、特筆すべ
造形的な美しさからも、感動させられました。

ファッション界の事情に詳しくない私にも、日本のファッションが
ヨーロッパで確かな市民権を得たように感じられました。

2014年5月1日木曜日

京都国立近代美術館 FUTURE BEAUTY「日本ファッション:不連続の連続」を観て 1

この展覧会は、20世紀後期以降世界に注目された「日本ファッション」を、
日本人デザイナーの作品と映像や写真を通して顕彰する展覧会です。

私はファッションには明るくないので、果たして観に行く意味があるのか、
少々躊躇しましたが、その心配は全くの杞憂に終わりました。

とても内容の濃い、素晴らしい展覧会でした。私の感じたことを、数回に
渡ってお話しします。

この展覧会は四つのパートに分かれています。「陰影礼賛」「平面性」
「伝統と革新」「物語を紡ぐ」です。

まず、「陰影礼賛」からお話しします。

’80年代、川久保玲、山本耀司がパリ・ファッション界にデビュー、一躍
注目されますが、彼らが好んで使った色は黒でした。このパートには、
黒い服がずらっと並びます。

従来の欧米ファッションには、黒い服という概念がなかったそうです。
ところが、日本では、谷崎の「陰影礼賛」や水墨画というような、黒い
色彩に対する豊かな感受性がありました。また和装でいうと、黒留袖
が慶事に着用されるなど、黒い服への違和感も少なかったのでしょう。

我が国ではすんなり受け入れられるものが、ヨーロッパでは衝撃的である。
その事実がとても面白く感じられました。この時代日本人は、経済の
発展とともに、ファッションという文化領域においても、自信を深めたのでは
ないでしょうか。