2019年12月27日金曜日

佐々木閑「現代のことば 自己をみつめる」を読んで

2019年12月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、「自己をみつめる」と
題して、インド仏教学専攻の佐々木閑花園大学教授が、なかなか寝付けない夜
などに、過去の恥ずかしい体験などが突如よみがえって来て冷や汗をかく、自ら
の経験から語り起して、「おのれと向き合う」とは本来どういうことであるかについ
て、語っています。

佐々木教授は翌朝目覚めると、そういうことはコロリと忘れていると述懐して、
人間の精神的安寧を得るための、自己防衛本能にも言及していますが、私も
こういった経験はしばしばあると頷きながら、自分の場合は更にたちが悪いこと
に、朝起き掛けのまだ完全に覚醒していない時に、こういう恥ずかしい体験が
不意に思い起こされて、そういう時には決まって寝覚めが良くないので、出来る
だけそこから注意をそらそうとしている、という事情があります。

いずれにしても、自らが反省すべき恥辱に満ちた体験は、普段は心の奥深くに
息をひそめながらもわだかまっていて、何かの拍子に顔をのぞかせる、という
ことなのでしょう。

また佐々木教授は、「真実を正しく見た時に、私たちは本当の安楽を得ることが
できる」という釈迦の教えを紹介して、「自己防衛のフィルターがなにかのきっか
けではずれた時に突如として浮かび上がる真の自己と、正面から向き合って
初めて、自分自身の未熟さ、愚かさ、至らなさをしみじみと感じることができる」と
語っています。

私は若い頃にはなかなか自分に自信が持てず、自らの存在や言動に常に恥ず
かしさを感じていました。そこから歳を重ねるうちに、だんだんあるがままの自分
で良いと肯定できるようになって、やっとその恥辱の感覚から解放されました。

しかしその解放感は、自己防衛のフィルターに閉じこもることによって、得られた
ものに過ぎないのかも知れず、私の寝起き掛けの恥ずかしい体験の回想は、
更に自分自身と向き合えと語りかけているのかも知れないと、このコラムを読んで
改めて感じました。

2019年12月25日水曜日

改組新第6回「日展」京都展を観て

恒例の「日展」京都展を観て来ました。

来年には、京都市京セラ美術館がリニューアルオープンして、この歴史ある公募展
も本来の会場の同美術館に戻るので、京都市美術館別館で日本画、みやこめっせ
地下1階で工芸美術・書・彫刻、日図デザイン博物館で洋画、の分散開催は、今回が
最後になります。

まず今回は、日本画部門の会場から訪れました。会場に入って気づいたのは、営利
目的でなければ大部分の作品の写真撮影が可能になり、その画像をSNSにアップ
して、拡散することも認められるようになったことです。

更には、チラシや案内冊子を見ると、日展作家によるイベントとして、従来から行われ
ていた作品解説のみならず、それぞれの部門のワークショップも企画されていて、
従来の権威主義的なこの公募展のまとう性格を脱して、より広く一般の人々に、親し
みを持ってもらおうとする意図が、見えるように感じました。

さて実際に日本画の会場を巡ると、作品の大きさの割には会場が狭く、作品が観に
くい欠点は来年には改善されるので、目をつむるとして、全体的に出品作に作家が
従来の枠を破ろうとする意図はくみ取れるものの、その意欲が空回りしているきらい
がある作品がところどころに見受けられ、また審査する側も、その選考基準において
新しい感覚の作品をどのように評価したらいいか迷いがあるように感じられて、その
結果、展覧会の統一感が損なわれているように、見えました。まだまだ、改組後の
試行錯誤が続いている、ということでしょうか。

次に工芸美術部門の染色に目を向けると、こちらも日本画と同様の傾向は認められ
ますが、染色という加工工程上の制約もあって、あるいは日本画よりマイナーという
部分で、従来から比較的表現の自由度が高いように感じられるところもあって、その
雰囲気がより生かされて、多様性のある作品が見られるようになり、面白くなったよう
に感じました。

いずれにしても、かつての「日展」の看板作家、日本画では東山魁夷、高山辰雄、奥田
元宗、染色では佐野猛雄、皆川泰蔵、三浦景生は今は亡く、新しくこの団体をけん引
する人気作家が生まれることも、この公募展の盛り上がりのためには必要であると、
感じました。

2019年12月23日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1663を読んで

2019年12月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1663では
科学哲学者・戸田山和久の『哲学入門』から、次のことばが取り上げられています。

   人生に意味があるのか、という問いは人生の
   外部から発せられるという点で子どもっぽい

確かに私たちが、一体自分の人生に意味があるのか、という問いを自分自身に
向けて発するのは、往々に自分を突き放して、やけ気味に自問している場合が
多いと感じます。

でも自分では客観的なつもりでも、そういう時は直面する問題に囚われ、気分に
左右されている場合がほとんどなので、後ろ向きな答えしか得られないことが、
大半です。

その結果ますます自信を失い、落ち込み、ふさぎ込んでしまうのが関の山です。

だから私は、そんな無意味な問いを、出来るだけ自分に向かって発さないように
しようと、心掛けているつもりですが、悲しいかな、物事がうまくいかなくて悲観
した時などには、ついつい問いかけてしまって、暗い気分に陥ることになります。

その私なりの処方箋としては、その日その日の目先の問題に、出来るだけ意識を
集中して、一日のやらなければならないことを完結するように心がけ、その一日
の繰り返しの中に一か月があり、一年があり、十年があることを、積み重ねて
行ければ、自ずと人生の意味も見いだせるのではないかと、考えています。

しかし現実は、その日一日のことだけに集中している訳にはいかず、長期の
ビジョンや計画が必要であったり、見通しの立たない問題への決断が必要な場合
もあるので、結局そちらにも頭を煩わせて、その日の充実感や達成感が得られない
ことが日常茶飯です。

つくずく、心の迷いが多いと、呆れてしまいます。



2019年12月19日木曜日

藤井光「現代のことば 2019年ノーベル文学賞の余波」を読んで

2019年12月5日付け京都新聞夕刊の「現代のことば」では、現代アメリカ文学専攻
の同志社大学教授・藤井光が、「2019年ノーベル文学賞の余波」と題して、オースト
リアの作家ペーター・ハントケの受賞が、各方面からの批判を呼んでいることについ
て、語っています。

その批判は、ハントケがかつて、旧ユーゴスラビアの内戦におけるセルビアが関係
した大量虐殺を、擁護する論陣を張ったことに対するもので、この選考結果によって
選考委員の1人が抗議のために辞任、授賞式当日も、アルバニア、ボスニア・ヘル
ツェゴビナ、クロアチア、コソボ、北マケドニア、トルコの関係国の大使が欠席した
そうです。

私は先日、朝日新聞で池澤夏樹の「終わりと始まり」というコラムを読んで、ハントケ
がユーゴスラビア内戦における欧米大国の干渉に、1人敢然と異議を申し立てたと
いう印象を受けました。しかし実際にはその内戦の実情を知っていた訳ではなく、
関係国のこの反応から見ても状況は想像以上に複雑で、限られた情報だけで、物事
を判断することの危うさを、改めて感じました。

しかし同時に、立場が変わればものの見方も変わるという意味において、関係国の
この反応が全ての真実を物語っているという確証はなく、やはりこの内戦に対しても
今後は利害関係を越えて、更に冷静で客観的な検証が必要であると、感じました。

もう一点、藤井はこのコラムで、SNSやメディアの発達によって、文学者が創作以外
の発信の場を持つことが容易になり、その結果作品だけではなく、本人がどのような
価値観を持っているかということが、支持を集めるための評価基準となり易く、出版社
や書店は、本人の価値観を前面に出した文学作品の売り込みも可能になった、と
述べています。

そういう傾向は逆に、作品をベースにした本来の多義的な文学理解の可能性を狭め、
価値観の違いによって作家を色分けし、作家間の分断を生み出し易いことにもなる
ので、結果として文学の多様性を損なう恐れがあります。

今回のノーベル文学賞を巡る騒動も、そのような側面があるようにも感じられますし、
またSNSやメディアの発達そのものが、人々の心を一つにする働きを持つと同時に、
分断を煽る働きをも持つことを、現代に生きる私たちは、改めて肝に銘じなければ
ならない、と感じました。

2019年12月16日月曜日

書店・誠光社「大﨑真理子作品展」を観て

先日、京都市上京区の書店・誠光社で、大﨑真理子という23歳で急逝した画家の
作品展を観て来ました。

彼女は、高知県出身で京都市立芸術大学に入学、美術学部美術学科油画専攻
の卒業制作で市長賞を受賞、首席で同大学院に進学し、1年後同タイトルの2つの
作品を制作し、1点は京都の企業が買い上げ、もう1点を芸大の作品展に出品した
直後に、不慮の死を遂げたそうです。

私は新聞で彼女の作品展を紹介する記事を読んで、早速その書店を訪れました。
あまり広くはない店のカウンター前の奥まったスペースに、上記の彼女の遺作の
「あの日のユンボ」というタイトルの絵画が1点、その他にはその作品のための習作
が数点展示してあるだけの、ささやかな展覧会でした。

その絵画は、鮮やかな黄色が印象的な、菜の花の向こうに佇むユンボ(建設用の
パワーシャベル)を中心として、周囲を取り囲む草の緑、白い雲と溶け合う青い空、
地面の灰色が一体となって、一つのハーモニーを奏でるような美しい絵で、作者が
夭折したという事前の知識もあって、私には、何とはなしに寂しさが漂う風にも見え
ました。

作品展では、彼女の芸大での絵画の指導者であった法貴信也教授が、彼女が
この絵画を完成させるまでの工程を見守った記録を事細かにに記した、小冊子が
販売されていて、私はそれを買って帰って、読みました。

その小冊子には、彼女が大学院に進学後しばらく絵筆をとることが出来なかった
こと、ある日河原で、同系の黄色の菜の花とユンボの取り合わせを見かけて、この
情景を描きたくなったこと、その想いを表現するために、絵筆やキャンバス、絵具や
描法の選択に試行錯誤を重ね、習作も多数制作して、8か月の歳月を費やしてやっ
と、2点の作品を完成させたこと、が記されていました。

将来を嘱望される新進画家であった彼女が、才能を育むための指導者にも恵まれ
ながら、突如としてその人生が断ち切られた運命の非情について、改めて考えさせ
られました。

2019年12月14日土曜日

片岡義男著「珈琲が呼ぶ」を読んで

私は、彼の小説を読んだことがありませんが、片岡義男といえば一昔前、アメリカ
文化を一般読者に伝授して、絶大な人気を誇る作家でした。だから、私の中にも
そういうイメージが定着していて、本書を目にした時即座に、片岡と珈琲の取り合
わせの妙を感じて、早速この本を手に取りました。

読み進めて行くと、彼自身の人生とコーヒーの関わり、アメリカの映画、音楽の中
に出て来るコーヒーのことなど、コーヒーを巡って取り扱われるテーマは多岐に渡
りますが、一般にコーヒーが個人の日常の嗜好品であると同時に、喫茶店など人
と人が会話を交わす場でその媒介をなす存在でもあるだけに、単なる飲料という
位置づけを越えて、一種特別な価値を持つものであることが見えて来ます。

またコーヒーが大人の飲み物であると共に、特に我が国では一昔前までは、舶来
の飲料として非日常のイメージをまとっていただけに、その時代を共有する私たち
ある年齢以上の者には、少し気取った、お洒落な存在という固定観念も残ってい
ます。そういう部分でも、我々にとってアメリカ文化の体現者である片岡のコーヒー
ライフは、私たちを郷愁に誘うのではないか、と感じました。

登場するエピソードの中で私の印象に残ったのは、まず「去年の夏にもお見かけ
したわね」で、京都寺町姉小路下るに今も営業するスマート珈琲を、幼い日の片岡
が母と訪れて初めてコーヒーを飲んだ思い出から語り起して、同じ珈琲店で同じ
時代に、撮影のために母親と京都に来た十代の美空ひばりが、しばしばホットケー
キを食べていた事実からイメージを膨らませて、在りし日の自身とひばりの邂逅を
夢想するシーンで、私が慣れ親しんだ地で展開されるコーヒーを巡る甘酸っぱい
幻想に、郷愁を掻き立てられました。

その他にも、小説家として出発する若き日の片岡が、東京の喫茶店で原稿を書き、
編集者と待ち合わせをし、仕事仲間と語り合う様々なエピソードは、コーヒーを介し
て彼の仕事が進展して行った様子を垣間見せてくれます。コーヒーを通して、作家
片岡義男の創作の核といっていいものの一部が浮かび上がるようで、大変興味深
い読み物でした。

2019年12月12日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1655を読んで

2019年11月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1655では
作家・金子光晴の随想集『人よ、寛かなれ』から、次のことばが取り上げられてい
ます。

   どんな歴史でも、あとから、あとから押して
   くる現実に、追いたてられるようにしてすぎ
   ていくものらしい。

一日の生活時間を振り返ってみると、その瞬間、瞬間には緩急があって、あれよ
あれよという間に過ぎ去る時間から手持無沙汰で所在ない時間まで、色々なバリ
エーションがあると感じられますが、結局終わってみると、今日もあわただしい一日
だった、ということになります。

そう考えると、そのような個人の時間の集合体である歴史も、急き立てられるように
過ぎ去って行くことに、なるに違いありません。

でも、そんな歴史の中の小さな歯車としての自分が、巨大なうねりに流されないで、
独自の緩やかな時間を紡ぐには、よほどの諦念か覚悟を持つことが、必要である
でしょう。

私など、伝統産業的な職業に従事して、もとより社会の先端の動きに比べて、周回
遅れのような生活時間を送っていますが、それはそれで時折世の中の動きを垣間
見て、焦燥感や無力感を味わうものです。

ただ、置かれた現実は今更変えようがないので、開き直ってこの環境を基調としな
がら、可能な範囲で最新の動きも受け入れながら、世の中と折り合いをつけて生き
ることが出来ればと、考えています。

2019年12月9日月曜日

京都文化博物館「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへー線の魔術」を観て

上記の展覧会を観て来ましたが、予想以上に充実した展観であると、感じました。

まず従来の価値観では、ミュシャの作品が主にグラフィックで流通しているために、
知識のない私などは安直な作品作りをイメージしがちでした。しかし実は彼の作品
が周到に鍛錬された卓越した線やデッサン力、ち密な構成によって成り立っている
ことを、本展で初めて実証的に知ることが出来ました。つまり、アールヌーボーの
先駆者であるミュシャは、作品制作に妥協を許さずその美を洗練させ、またリトグ
ラフの版画技術も格段に進歩したことも重なって、この美術潮流は多くの人々に
支持されることになった、ということなのでしょう。

もう一つ本展で、私が初めてミュシャについて知ったことは、チェコ出身の彼が
故国の独立とスラヴ民族の自立を願う、高い志を持った愛国者で、20点の絵画
から成る『スラヴ叙事詩』を完成させるなど、その芸術活動が彼の思想と強く結び
付いていたということです。その結果後に彼は、祖国に侵攻したナチスドイツに
その点を厳しく問い詰められ、命を落とすことにもなります。この事実は、私の知る
ミュシャの一見流麗で口当たりの良い作品のイメージからは、想像も出来ないこと
でした。

後年彼の作品は、その卓越した技術に裏打ちされた独自性や、優れたデザイン
性により、更には反骨的な精神性にもよって、アールヌーボーの再評価と共に
再び脚光を浴び、特に欧米のカウンターカルチャーとしての音楽、SFシーンに
多大な影響を与えます。私も本展で、ミュシャの影響による例として展示されて
いる、懐かしいロックバンドのレコードジャケットに再会して、感慨深いものがあり
ました。

日本にはまず、明治時代にヨーロッパに留学した美術家たちによって彼の様式
がもたらされますが、特筆すべきは、現在につながるマンガやビジュアルノベル
ゲームなどに、ミュシャの影響が色濃く表れていることです。彼の芸術が今なお
生気を保ち続けていることに、改めて驚かされました。

2019年12月6日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1643を読んで

2019年11月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1643では
翻訳家・都甲幸治の『今を生きる人のための世界文学案内』から、次のことばが取り
上げられています。

   自分で気づいているかどうかにかかわらず、
   人のやることはどれも命懸けなんだ

人生このように悟ことが出来れば、吹っ切れるのかも知れません。

確かに、こんなことをしていて意味があるのか?一体自分に生きる価値があるのか?
と考え込んでてしまうから、自己嫌悪に陥ったり、自信を無くして落ち込んだりするの
でしょう。

でもちょっと視点をずらして考えてみれば、どんな状態でも生きている限り、生理的に
も寿命を削り、身を削りながら命をつないでいる、ということなのでしょう。

だからどんな状況でも、堂々と必死に生きたらいいという論理も、成り立つような気が
します。

しかし私としては、そこに極力人に迷惑を掛けないようにする、という前提条件を付け
たいと思います。

勿論、生きているだけで、何らかの迷惑を他人に及ぼしているのですから、人に全く
迷惑を掛けないなんて、不可能なことです。むしろ少々の迷惑を掛け合って、人間関係
が醸成されて行く場合もあるのかも知れません。

でも自分の命懸けと他人に犠牲を強いることは別問題ですから、そこのところは分けて
身を処したいと、私は思っています。

2019年12月4日水曜日

龍池町つくり委員会 64

12月3日に、第86回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、11月17日に開催された、京都外国語大学南ゼミとの共同企画「ぶらりまちなか
スタンプラリー」の結果報告が、担当の学生小川さんより行われました。

参加人数は、小学生30名、保護者12名、未就学児5名、外大スタッフ13名、外部から
の見学者5名、町つくり委員7名でした。

先日の当日の様子をレポートした記事でも書いたように、この企画が始まって以来の
多数の参加者がありました。その点では満足いくものでしたが、今後への改善点、
反省点としては、ラリー中にトイレ休憩が必要、回る箇所が少ない、訪れたお店が
営業中で説明してくれる人がいなっかた、当日参加者も受け付けたので参加者の
記入漏れがあった、などが挙げられたということです。

なお参加者アンケートでは、通学路で新しい発見が出来た、勉強になった、スタンプ
ラリーは初めてで楽しかった、等好意的な意見が寄せられたそうです。

次に一昨日の12月1日に実施した、「龍池町つくり委員会大原茶会、交換会」の結果
報告が、寺村副委員長より行われました。

参加者は、一般の龍池学区民9名、財団役員4名(重複2名)、町つくり委員5名(外大
1名含む)でした。

実施プログラムは、開会オリエンテーション、みんなでうたを歌う、カレーライスの野外
ランチ、野外茶会、グランドゴルフで、京都バス大原線チャーター便を往復利用しま
した。

反省点としては、12月ということで、事前の確認不足もあって大原のみなさんに参加
していただけなかった、良かった点としては、好天にも恵まれ、参加者に大原学舎の
環境と紅葉を楽しんでもらえた、が挙げられました。

報告後、大原学舎の活用の推進についてディスカッションが行われ、大原住民との
コミュニケーションを深め、外部利用を促すために、ハード、ソフト面の充実を図る、
有効利用の方法としては、京都外大に活用を依頼し、また京都市の野外活動事業
との提携を図る、更には龍池小学校卒業生の同窓会、学区関係の法人による利用
を促す、などが提案されました。

令和2年1月26日(日)の、新春たついけ茶話会の概要が、担当の張田委員より説明
され、おおよそ例年通りの内容で委員会で承認されました。

京都国際マンガミュージアム龍池自治連合会会議室、和室で、午前10時から12時
ごろまで開催、希望者には着物レンタルも行います。告知方法としては、学区回覧
と同時に、マンション住民への戸別配布も行います。会費500円、申し込みは先着
30名ということです。

2019年12月2日月曜日

京都国立近代美術館「円山応挙から近代京都画壇へ」後期を観て

上記の展覧会を前期に続いて、観て来ました。

応挙の大乗寺襖絵は、引き続き展示されていて、また前期と展示替えされた作品
も多数あったので、十分に満足のいく展観でした。

展示品を観ていて、まず円山・四条派お得意の孔雀の画が目に留まりました。孔雀
を描いた作品は、襖絵以外に応挙、呉春、岸駒の画があり、前期には長沢芦雪の
画もありました。

決まった画題だけに描き手の特徴が端的に現れ、つまり他の絵師は応挙の画を
手本としているだろうにも関わらず、それでもそれぞれの特徴が滲み出て、大変面白
く感じられました。

後期の呉春の作品は水墨画ですが、厳密に写実するよりも、孔雀の質感を重視する
ような姿勢が感じられ、岸駒の作品は、流動感を現わそうとしているように感じられ
ました。

その中でも応挙の作品は、写実に徹しながら、その底から匂い立つような気品が
自然とにじみ出て、さすがの出来栄えと感じました。応挙の傑出した才能を観る思い
がしました。

応挙と上村松園の美人画が並べられたコーナーも、興味深く観ました。こちらでも
松園が応挙の画題に習った画を描いているのですが、今度は応挙の作品が少し
古びて感じられ、逆に松園が応挙の画を前提としながら、時代に即した洗練された
作品を描いているように感じられました。

主題の違いにもよるのだと思いますが、ここでは、応挙からの近代京都画壇への
継承、発展を、強く感じさせられました。

2019年11月29日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1638を読んで

2019年11月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1638では
法学者・土屋恵一郎の『能』から、次のことばが取り上げられています。

  面をつけることは、視野のうちから自分自身
  の姿を消すことである。

自身も能に親しむ、この法学者の感慨です。

私も以前、能楽の謡と仕舞を習っていた時に、一度だけ装束と面を付けさせても
らったことが、あります。

いざ付けてみると、体の自由はかなり制限され、視界は極端に狭められます。体は
装束と紐で厳重に締め付けられ、視界は面に穿たれた小さな穴から、かろうじて
正面前方がのぞき見られるだけです。

能役者はその状態で、囃子や地謡に合わせて舞台上で舞を演じ、謡うのですから、
その能楽の全てを掌握、暗記していなければならず、舞台上の自身の体の位置取り
も、わずかに視線が捉える四隅の柱との距離から、いちいち推測しながら演じなけれ
ばならないのです。

初めてその出で立ちを体験した私は、途方に暮れるししかありませんでしたが、
実際の能演者にとっても、それが無防備な状態であることは、間違いないでしょう。

それ故に舞台上で観客の視線を集めて、かえってその役になりきり、演じることが
出来るのかも知れませんし、無防備さを逆手に取った気迫が、演技の迫真性を生み
出すのかも知れません。

我々素人には、奥深いことは分かりませんが、少なくとも、謡や仕舞を習うことに
よって自身の集中力や胆力を養うことが出来たとともに、優れた演者の舞台から、
能楽そのものの魅力だけではなく、それを現出させる演じ手の研鑽をくみ取ることが
出来るようになったことは、私にとっての収穫だと思います。

2019年11月27日水曜日

高台寺絵画特別展「マリオ・デル=モナコの世界、ルカ・ガリレオの世界」を観て

紅葉が盛りの高台寺で、上記の展覧会を観て来ました。

一見、高台寺とこの展覧会は、結び付かないように感じられますが、同寺は京都市
の姉妹都市であるフィレンツェ市と深い交流があり、同寺でクラッシックコンサートを
催して来た、ソプラノ歌手で日本イタリア協会理事長の中川くにこさんの協力で、
今回、フィレンツェ出身の高名なテノール歌手であったデル=モナコの油彩画5点の
展示と、中川さんの夫の著名なバイオリニストで、画家としても活躍するガリレオさん
が制作し、同寺に奉納した、襖絵12枚の公開が実現することになった、ということ
です。

デル=モナコの油彩画は、ナス、カボチャ、桃など、野菜や果物を描いた静物画で、
彼は音楽の傍ら美術学校で絵画や彫刻を学び、オペラ引退後は個展開催など
美術でも才能を発揮したということで、私は彼が絵も描いたことを全く知りませんで
したが、淡い彩色の背景から浮かび上がる静物たちは、あくまで柔らかく、繊細で、
観る者を落ち着かせる優しさに満ちています。どれも完成度の高い絵画だと、感じ
ました。

他方ガリレオさんの襖絵は、音楽と絵画の融合を図る前衛的な試みで、バイオリン
の名器ストラディバリウスの音から感受される、原始のエネルギーが渦巻き、変動
する姿を、全て黄金色の油彩絵具で写し取った、抽象的な作品です。

全体が眩いばかりの光彩を放つ作品ですが、黄金色の底に、えも言えない重厚さ
を湛えた落ち着きがあり、設置されている同寺の仏殿「方丈」の古い木造建築の
建物と、不思議な均衡を保って調和しています。その佇まいから、東西の文化の
融合ということを、感じさせられました。またこの寺が、豊臣秀吉の菩提を弔う目的
で建立されたこともあって、秀吉の黄金の茶室のイメージも想起されました。

境内の紅葉は正に見ごろで、久々に訪れてこの寺の美しさを改めて満喫しました。
秀吉とその正室北政所(ねね)を祀る霊屋の、有名な高台寺蒔絵も見ごたえがあり、
他にも見どころが色々あって、充実した時を過ごすことが出来ました。

2019年11月25日月曜日

白川方明著「中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年」を読んで

前日本銀行総裁による、自身の足跡を通して中央銀行とはいかなる機能を有し、
いかなる存在であるべきかを問う、渾身の回顧録です。

中央銀行の使命は、物価と金融システムの安定にあるという著者の信念は、実践
家としての彼の使命感と誠実さを示します。私自身大学で経済学を学び、理論と
現実の乖離をしばしば感じて来ましたが、実際の経済のダイナミズムが、絶え間な
く既存の金融理論を凌駕することを認識しながら、なおかつその時々の最適の解を
希求する、著者のセントラルバンカーとしての姿勢に、感銘を受けました。

彼の日本銀行在籍中の出来事の回顧で、まず印象に残ったのは、1980年代後半
に発生したバブル経済と、その後のバブル崩壊で、この現象が日本社会を大きく
揺るがし、後々まで深い爪痕を残したことは周知の事実ですが、著者はこの現象の
発生、拡大のメカニズムを、発生の初期要因と加速させた要因に分け、初期要因
としては、80年代後半の日本の対外的に見ても著しい、経済活動の好調さから来る
『期待の著しい積極化』と、国内の実体経済が高度成長から安定成長へ向かう中に
あって、将来の業績に対する焦りから来る、金融機関行動の積極化による『信用の
著しい増加』を挙げます。

更にバブルの加速要因として、長期にわたる金融緩和、不動産価格の上昇が、信用
供与をなお拡大させるという景気増幅的な作用、その現象を補強する税制、を挙げ
ています。つまり、戦後の日本の高度経済成長の転換点に色々な要因が重なって、
このバブルは発生したのであり、当時はそれを監視するチェック機能も乏しく、その
崩壊後の処理においても、世論を背景とした政治的思惑によって、対策は後手に回
り、傷跡を広げているのです。

著者のセントラルバンカーとしてのその後の思考のバックボーンには、この時の苦い
体験があると感じられます。

もう1点印象に残ったのは、リーマンショック以降、金利は0%近くに維持されている
現状でも、低い経済成長率を脱することが出来ず、国民がなかなか景気回復を実感
するに至らない中で、政府の執拗な更なる金融の量的緩和の要請にも関わらず、
その真の要因は、この国の少子高齢化と、企業のイノベーションの欠如にあり、小手
先の金融政策で改善するものではないと見抜くところに、著者の透徹した金融の番人
としての面目躍如たるところがあると、感じました。

2019年11月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1637を読んで

2019年11月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1637では
詩人長田弘の詩「ゆっくりと老いてゆく」(詩集『世界はうつくしいと』所収)から、次の
ことばが取り上げられています。

  砂漠で孤独なのは、人間だけだ。

これは、意表を突く視点。私たちはすぐに、砂漠というと、存在を拒まれるような過酷
な環境、そしてもしその場所に一人取り残されたとすれば、絶望と激しい孤独に見舞
われるという風に、砂漠を自分に引きつけたイメージで捉えがちです。

でも砂漠にも生き物がいて、彼らはそこで環境に適応しながら懸命に生きている。
そんな彼らにとって、砂漠は孤独を感じさせるような場所ではなくて、ある時は恩恵を
与えてくれる場であり、ある時は自らの命を守るために、試練に耐えなければならない
場なのでしょう。

上記のことばを目にして、そのことに思い至ることがまず最初の驚き。しかし、ここで
いう「砂漠」を比喩的なものだと考えたら、更にイメージは広がります。

つまりこの場合の「砂漠」を、単に地域や自然環境としての砂漠ではなく、人間が過酷
な条件や場所と感じる状況の比喩と捉えたら、我々が生きて行く上での多くの場面に、
当てはまることになるでしょう。

私たちが人生の中で、もし過酷な試練や逆境に直面した時、そこに自分が拒否される
孤独や絶望だけを一面的に感じ取るのではなく、もう少し自分を突き放して、冷静な
立場から自らの置かれた状況を見ることが出来れば、今までとは違う感じ方や、そこ
から抜け出す方法が、体得出来るかもしれません。

そう考えると上記のことばは、私たちを励ましてくれている、のかも知れません。

2019年11月20日水曜日

池澤夏樹「終わりと始まり」を読んで

2019年11月6日付け朝日新聞朝刊、池澤夏樹「終わりと始まり」では
「ハントケにノーベル賞 文学は政治に何ができるか」と題して、今年のノーベル文学
賞受賞者に決定した、ペーター・ハントケについて綴っています。

私は、この文章に少なからぬ感銘を受けました。というのは、過日受賞決定の新聞
報道に触れた時、ハントケについては何の予備知識もなかったこともあって、それに
関連して、昨年のノーベル文学賞を巡る醜聞から選考委員が大幅に代わり、その
影響として欧州出身のハントケが本年選ばれたことは、選考委員会の選択が、また
欧米偏重に退行したことを意味する、という主旨の記事を目にして、それを鵜呑みに
していたところがあったからです。

ところが池澤はこの論に反駁して、ハントケが旧ユーゴスラビア内戦時に、一方的な
セルビア攻撃に加担した欧米列強諸国に異を唱え、以降不遇をかこって来た事実
に触れ、彼の今年のノーベル文学賞受賞決定は、名誉回復であると語っているの
です。

私は、ユーゴスラビア内戦の経緯についても詳しくはありませんし、欧米諸国の武力
による干渉の是非を判断出来る知識も持ち合わせていませんが、少なくともハントケ
が、当時の国際社会における強者の主張に、自らの信じるところに従って、敢然と
反論する知識人であり、また今年のノーベル文学賞受賞決定は、彼の主張を評価
することも含まれる、と感じたのです。

更には、私は池澤のこの文章によって、ハントケがヴィム・ヴェンダース監督の映画
「ベルリン天使の詩」の脚本家であったことを知り、私の彼へのイメージは、好意的な
ものに変わりました。

「ベルリン天使の詩」は周知のように、悩める市井の人々に静かに寄り添う天使たち
を描いた名作で、公開当時私はこの映画を観て深い感銘を受け、随分勇気づけられ
ました。上述の社会的発言も含め、彼はこの時代において、顕彰されるのに相応しい
作家なのだろう、と感じたのです。

そういう訳で今回の池澤の論考は、私に先入観にとらわれない、多様なものの見方
を教えてくれたという意味で、有難く感じました。

2019年11月18日月曜日

「ぶらりまちなかスタンプラリー」開催

11月17日に、京都外国語大学南ゼミと龍池町つくり委員会との共同企画、「ぶらり
まちなかスタンプラリー」が開催されました。

当日は、京都国際マンガミュージアム自治連合会会議室を集合場所として、12時半
より受付開始、子供たちには、予め色分けした5組のチームに分かれて、着席して
もらいました。

もう恒例の行事ですが、今回特にうれしかったことには、子供たちだけで30名近い
参加があったこと。これは文句なしに過去最高の人数で、関係者一同大いに喜ぶ
とともに、今まで地道にやって来たことが、少しづつ実を結び始めたのかと、意を強く
しました。

午後1時開始で、南先生より父兄を含む参加者に開催趣旨と、子供たちがそれぞれ
受付でもらった地図とスタンプ帳の使い方を含めて、スタンプラリーの手順について
の説明があり、子供たちと付き添いの保護者は、各組ごとに大学生たちに引率され
て、スタンプを押してもらえるチェックポイントに徒歩で向かいました。


チェックポイントは、二条通に面する漢方薬を扱う東田商店さん、薬の神様である
薬祖神祠、今回のスタンプ帳も作成していただいた、御朱印帳などを取り扱う山田
保延堂さん、omo京都もりたもとこの楽しいきもの屋さん前、そしてマンガミュージアム
入口です。


子供たちは、それぞれのチェックポイントを見学、体験して、それからスタンプを押して
もらって、またマンガミュージアムに帰って来ました。日頃同じ地域に暮らしながら、今
まで気づかなかった場所を知り、またスタンプも集められるので、楽しい経験だった
ようです。

再び会議室に戻り、京料理堺萬さん差し入れの、自家製わらび餅と東田商店さんの
薬膳茶をいただき、南先生と南ゼミの学生代表の小川さんより、スタンプラリーの振り
返り、龍池学区と町つくり委員会の活動の説明があり、その後、午後3時に解散となり
ました。

私たち町つくり委員会のスタッフは、当日は子供たちが烏丸通を渡る時の、交通整理
などを担当。無事トラブルもなく行事が終了したことに、安堵しました。

2019年11月15日金曜日

ジュリアン・シュナーベル監督映画「パスキア」を観て

同監督の作品「永遠の門 ゴッホの見た未来」が、劇場公開されているのに合わせて、
1997年公開の映画「パスキア」の私の映画評で、キネマ旬報9月下旬号に掲載された
ものを、このブログに再録させていただきます。


絵画が一部の特権的な人々の興味の対象から、大衆のものへと移行した時、画家の
心の持ち方にどのような変化をもたらしたのか?

冒頭、パスキアの才能に対比するものとしてゴッホについて語られるナレーションは、
その時代の隔たりを、私に想起させずにはおかない。なぜなら、ゴッホは生活のため
に自らの絵が売れることや、あるいは、評価されることを渇望していたとしても、恐らく
人気者になることは意識していなかったからである。

パスキアは自己の才能に絶大な自信を持ち、表現への衝動に駆られて描いた。そこ
には芸術家としての純粋な姿を見ることが出来る。しかし同時に、有名になりたい、金
持ちになりたいという思いが前面に出る時、その輝きに暗い影が忍びより始める。

金儲けのために才能に群がる人々・・・、あるいは、パスキア自身の心の中にある後ろ
めたさに起因する、自分が周囲に利用されているのではないかという猜疑・・・。彼は
自らの養う魔のために、有名になればなるほど孤独になる。

芸術が大衆化することによって新たに創出された欲望は、作家を創造の上の苦しみ
だけではなく、世俗の塵埃にも埋没させかねない。また価値の多様化の中で、感覚と
新しさをことさら重視する美術作品の曖昧な評価基準は、その作品を商品化し、心あ
る愛好家を遠ざけかねない。

「パスキア」は一人の生き急いだ天才画家の生き様を描くことによって、現代美術が
抱える深刻な問題をも浮き彫りにしている。これはパスキアと同じ世界を同時に生きる
シュナーベルが監督することによって、自らの意志を越えて達成された成果であると
思う。

数多くの名優、個性派の演技は言うまでもなく素晴らしいが、そうそうたるメンバーに
食われないジェフリー・ライトのパスキアは出色であった。ゲイリー・オールドマンの
アルバート・マイロのキャラクターが少し弱いのは、マイロのモデルがシュナーベル監
督自身であるということで頷ける思いがする。

2019年11月13日水曜日

細見美術館「琳派展21 没後200年 中村芳忠」を観て

京都国立近代美術館にも近い細見美術館で、上記の展覧会を見て来ました。

先日感想を書いた、「円山応挙から近代京都画壇へ」前期を観たばかりなので、応挙
と同時代を生きた芳忠に親和感を覚えるとともに、両者の絵を比較して、芳忠の絵の
柔らかさ、自由さ、俳味に、新鮮なものを感じました。

会場に入ってすぐの、第1章「芳忠の琳派ーたっぷり、「たらし込み」ー」を観ると、芳忠
が琳派の影響を受けて、絵具や墨のにじみの効果を利用する「たらし込み」の技法を
用いて描いた画が展示されていますが、従来の琳派の作品と比べてもこの技法を
部分的ではなく、徹底していると思われるほどに多用して、作品を仕上げています。

その結果、全体がぼんやりしているような柔らかさや伸びやかさが滲み出て、えも言わ
れない、ほのぼのとした気分を観る者に喚起させる、画となっています。この雰囲気こそ、
彼の作品全体に通じる魅力であると、私は感じました。またこのパートの特色は、扇面
に描いて屏風等に貼り付けた作品が多いこと。小ぶりな扇面に描いて、それを組み
合わせて一つの作品に仕上げることによって、さらに作者の表現の自由度が増して
いるように、感じられます。

第2章「大阪と芳忠ー楽しみながら、おもしろくー」と第3章「芳忠と俳諧ーゆるくて、ほの
ぼのー」は、彼が京都で生まれ、主に大坂で文人、俳人と交わり活動する中で、生まれ
た作品で、正に彼の魅力を遺憾なく発揮する、真骨頂を思わせます。文人画的な素朴
で地味溢れる伸びやかな作品、俳句とコラボレートした俳味の横溢する作品は、当時の
文人、俳人たちの忌憚ない交友を彷彿とさせるとともに、江戸期の良き文化の香りを
感じさせてくれます。

ここで更に私が興味を惹かれたのは、第3章の俳画の描き手の名前に松村月渓が見
られ、俳句の作者の名前に与謝野蕪村が見い出されたこと。月渓は呉春であり、彼は
蕪村に絵を学んだ後応挙に師事したということで、一挙に芳忠と円山・四条派の地域的
にも浅からぬ関係が明らかになり、その頃の上方の文化の活況を見る思いがしました。

二つの展覧会を同時期に観ることによって、江戸後期の京都、大坂の文化状況を
重層的に学ぶことが出来たと、感じました。

2019年11月11日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1631を読んで

2019年11月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1631では
ブルガリア出身の日本文学者、ツベタナ・クリステワの『心づくしの日本語』から、
日本の和歌において、作者不詳の折に書き添えられる慣用語である、次のことばを
取り上げています。

   よみ人知らず

私は以前から、和歌の作者名に代わるこのことばが、何とはなしに気に入っていま
した。

勿論、名の通った歌人の秀歌はあまたあります。でもある歌に〈よみ人知らず〉と
添え書きがあると、それだけで、その歌が魅力的に感じられることがあるのです。

それは何故かというと、他の理由の場合もあったようですが、身分の高い、名の知れ
た歌人に抗して、無名の庶民の歌が公式の歌集に取り上げられているということが、
その歌の上手さも相まって、厳然とした身分制度が存在した時代に、稀有の尊いこと
であると、感じられたからです。

しかし今日の「折々のことば」を読むと、クリステワはこの添え書きを、『誰が作者か
わからないというより、人から人へ伝わるうちに変化し、誰が作者か特定できなく
なったということだ』と、解説しています。

これはこれで素晴らしいことで、この歌が多くの人に愛唱されるうちに、微妙に形を
変え、洗練されて行ったということは、和歌という文化の広がりや、成熟を象徴する
でしょうし、また彼女の言うように、この添え書きは、『歌の背景から表現そのものに
焦点を移す効果』もあったでしょう。

いずれにしても、やはり私は、〈よみ人知らず〉ということばに、その歌を味わう人を
和ませる、素朴さ、おおらかさを感じます。

2019年11月8日金曜日

京都国立近代美術館「円山応挙から近代京都画壇へ」前期を観て

上記展覧会の待望の京都展が始まり、早速行って来ました。

円山応挙から始まる、円山・四条派に連なる近代の京都画壇は、私たちの属する
京都の和装業界とも、深いつながりがあります。というのは、かつて京呉服の主力
商品であった友禅染の着物の図案、下絵などを、京都画壇の画家の卵や若手画家
たちが担って来たからです。

それで今展の会場に入り、展示されている作品を観て回った時にも、私はまず、親し
いものに出会ったような何とはなしの安心感と、懐かしさを感じました。

さて本展のメイン企画である、応挙と弟子たちによる大乗寺の重要文化財の襖絵の
立体展示が、会場に入ってすぐのところで、私たちを迎えてくれます。この展示は、
襖絵8面を寺院での実際の配置を再現して並べてあって、正に現地にいて作品を目
の当たりにするような臨場感を、私たちに与えます。

勿論、この襖絵は素晴らしいものですが、私は今回特に、立体展示によって強調され
た、《松に孔雀図》と《山水図》に顕著に見られる、襖面の90度の配置を有効に活用
した、画面全体に立体的な奥行きや広がりを持たせる巧みな表現に、注目しました。

このような表現方法は、私の知る限り、恐らくそれ以前の狩野派の障壁画などには
見られなかったもので、今回この展示方法によってそれを実感することが出来たことを、
嬉しく感じました。

また、応挙の生み出したであろうこのような立体的な表現方法が、後の京都画壇に
少なからぬ影響を与えた証が、岸竹堂《大津唐崎図》、木島櫻谷《山水図》、菊池芳文
《小雨ふる吉野》などの雄大な風景描写に端的に現れていて、絵画精神の継承という
ものを直に感じることが出来たことも、意義深く思いました。

2019年11月6日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1624を読んで

2019年10月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1624では
「語り声の現場」(河合隼雄ほか著『声の力』)から、詩人谷川俊太郎の次のことばが
取り上げられています。

  メールの文体というのは、相手に対する一種
  の甘えの形式みたいなところがすごくありま
  すね。

メールはパソコンにしても携帯電話にしても、手紙に比べて格段に手軽です。特に
携帯なら日常的に持ち運びしているのですから、会話の延長のようなところがあり
ます。

それでいて相手は目の前にいる訳ではなく、表情や口調は感知することが出来ない
上に、機械でつながっているだけなので何か心もとなく、おまけに相手の発信から
ワンテンポ置いて返信することになるので、タイムラグの生み出す微妙なずれも感じ
ます。

そのような条件では相手との距離がつかみにくく、よそよそしくなるか変に親しげに
なり過ぎるかの、リスクが大きいように感じます。

だからやり取りを繰り返しているうちに、実感もないままに親しみを出そうとして馴れ
馴れしさに陥ったり、相手の反応を勝手に推し量って、自分勝手な物言いになって
しまったりするのではないか、と思います。十分に注意しなければならないところです。

更には、SNSでの不特定多数をも含む他者とのコミュニケーションの場合には、特に
発信者が匿名性を帯びる場合、相手を傷つけることにもなる誹謗中傷を繰り返す
ことも、多々目撃されます。

私たちは、相手が目に見えない場合にこそ一層、相手の立場に立ってコミュニケーシ
ョンを図るよう心掛けなければならないのだと、感じます。

2019年11月4日月曜日

ラグビーワールドカップ日本大会が、終わって

ラグビーワールドカップ日本大会が、南アフリカの3度目の優勝で、幕を閉じました。

開催国日本も初めてベスト8に進み、台風19号の影響で1次リーグ3試合が中止の
なるというアクシデントもありましたが、大会は大変な盛り上がりをみせ、大きな成功
を収めました。

私も久しぶりに熱を込めて応援し、楽しい時間を過ごすことが出来ました。思い返せ
ば、母校同志社大学の、私の3年ほど後輩の学年の頃がラグビーの黄金時代で、
平尾、大八木のスター選手を擁して大学選手権で優勝し、勝つことはかないません
でしたが、日本選手権で社会人チームの新日鉄釜石と死闘を演じました。

それから長い年月が経って、ラグビー日本代表は、ディア1といわれる欧州、南半球
の強豪国には歯が立たず、母校も大学リーグで低迷して、ラグビー観戦から次第に
遠ざかって行きました。

しかしワールドカップが日本で開かれることになり、前回のイングランド大会では、
決勝トーナメントには進出出来なかったものの、1次リーグで3勝する健闘を見せ、
今回の日本大会での活躍の期待が膨らみました。

そして期待通りの成績となった訳ですが、日本代表のメンバーは、大会規定に則り
日本国籍の選手だけではなくて、多国籍の選手で構成されています。言うまでもなく
ラグビーチームは、ポジション別に役割に応じた体格、運動能力の異なる選手で編成
されていますが、日本が体格の優れた世界の強豪に伍するためには、他国出身の
選手の力を借りることが必要不可欠と、思われます。

日本ラグビーフットボール協会の強化担当者として、前述の今は亡き平尾さんが、
チームに多国籍での選手編成に道を開いたことは、大変に先見の明のあったことだ
と、思われます。

また今回の日本代表チームを見ていて、人望のある外国出身選手のリーチ・マイケル
が主将を務め、多国籍の選手が一丸となって目標に向かって突き進む姿は、これ
からの日本社会の一つのあるべき姿と、感じられました。

母国にアパルトヘイトの後遺症が残る南アフリカ代表チームが、初の黒人主将の下
で優勝を遂げたことも含めて、スポーツの素晴らしさを感じさせてくれる大会でした。

2019年11月2日土曜日

多和田葉子著「地球にちりばめられて」を読んで

ドイツに在住、日本語、ドイツ語で作品を発表し、近年評価の高い作家、詩人多和田
葉子の近刊小説を読みました。多言語社会であるヨーロッパを舞台にした、言語とは
如何なるものかを問う、作品です。

私のように日頃、極東の島国日本から離れないで暮らす者にとって、日本語という
母語は何の疑いもなく自明のものであり、空気のような存在です。

確かに近年は、インターネットの空間において多国籍の言語が飛び交い、私たちの
住む京都では外国人の観光客も飛躍的に増えて、他言語に接する機会も格段に増し
ました。

しかし依然として、日常の交友関係、生活環境を満たす言語が日本語であるために、
私たちはこの言語にすっかり馴らされて生きています。そのような社会環境において
は、言語とは如何なるものかというような疑問は、なかなか生まれて来ません。

従って本書の主題は、海外在住、日独両言語で文学活動を行い、コミュニケーション
も図る、彼女に相応しい題材です。

さて本書で展開される物語は、閉鎖的な環境で生きる私には、なかなか実感として
理解することの難しい類のものです。それ故私は物語の結末で、ストーリー展開を
あまり理解しているとは言えない私を包んだカタルシスから、本書の内容を読み解い
て行きたいと思います。

物語の末尾、現在ヨーロッパ圏内で暮らすということ以外、国籍も人種も、母語も、
はたまたジェンダーまで違う若者たちが、失われたらしい言語の探求という一点の
興味に惹かれ、南アルルに集います。そこでは当初の目的を果たすことは出来ません
が、その代わり新たな課題が見つかり、仲間を増やし、絆を深めて、言語探求の旅を
続けて行くことを確認し合います。

私が何故この結末において、解放感を味わったかというと、心の中に通じ合うものが
あれば、人は社会的な制約や差異を超えて、深いところでつながることが出来るので
はないかと、その大きな可能性を感じたことと、あるいは文化や言語を異にするもの
が、互いにコミュニケーションを結ぶべき手段(共通言語、自動翻訳機など)を持つこと
が出来れば、世界の可能性は飛躍的に広がることを示していると、感じたからでは
ないでしょうか?

言語というものを通して、現在閉塞感に苛まれている国際関係の打開の可能性まで
示唆する、国際感覚に溢れ、視野の大きな小説です。

2019年10月30日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1619を読んで

2019年10月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1619では
20世紀フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの『存在するとは別の仕方で ある
いは本質としての存在の彼方へ』から、次のことばが取り上げられています。

  〈自己に反して〉ということが、生きること
  そのものとしての生には印されている。

この言葉が意味するのは、要するに人生はままならぬ、ということではないでしょうか?

人生は順調に行っているように思われる時に限って、意外なところから、つまずきが
生まれるものです。それも、突然、唐突に。

また、自分という存在は、得てして自分自身が想定したり、思い込んでいる姿とは、
多分にずれているものですし、ましてや、これから自分がどんな人生を歩んで行くか
を予想しようとしても、実際にはその通りにならないことが、大半でしょう。

それは私たちが、自分の全てを把握しようとしても、到底かなわないのと同様に、いや
それにも増して、我々を含む人間という存在が、広大な自然現象のほんのちっぽけな
芥子粒のようなものであるということを、意味しているのに違いありません。

それゆえ私たちは、人生の中で様々な出来事に翻弄され、自分に期待をしては裏切ら
れ、喜怒哀楽を繰り返しながら、長いようで短い一生を駆け抜けるのに違いありません。

従って、自分の不運を嘆くこともあるでしょうし、能力のなさに絶望することもあるでしょ
う。

でも結局、それに耐えるしか生きる方法はないのですし、最悪の事態も永遠に続く訳
ではなく、ものの見方、心の持ち方を変えれば、新たな希望が発見出来る場合もあり
ます。

私は少なくともそう信じて、終盤に差し掛かる人生を、前向きに進んで行きたいと、考え
ています。

2019年10月28日月曜日

美術館「えき」KYOTO 「西洋近代美術にみる 神話の世界」展を観て

美術館「えき」で、上記の展覧会を観て来ました。

本展では、18世紀半ばから20世紀にかけてのギリシャ、ローマ神話や古典古代を
題材にした、美術作品が展観されています。ヨーロッパでは18世紀に至り、遺跡
発掘の成果などから改めて、古代ギリシャ、ローマ文化が脚光を浴び、同神話を
主題とする絵画などが、盛んに制作されるようになった、ということです。その流れ
は、芸術の革新運動が興隆した19世紀半ば以降も引き継がれ、20世紀の前衛的
美術にも見られる、そうです。

さてこの展覧会では、上記の文脈に沿って、近代西洋美術の代表的な画家、彫刻
家たちの作品が展示されていますが、出展作品は主に国内の美術館から集められ
ていて、それぞれの作家の代表的な作品は見受けられません。しかし、じっくりと
観て行くと、派手さはなくとも、良質で味わい深い作品が多く存在し、好ましく思う
と共に、日本の各地の美術館関係者の、各種制約の中での作品の蒐集に対する
確かな目を感じました。

特に印象に残った作品は、まずこれは英国の美術館からの出品ですが、ラファエル
前派の夢見るような甘美な気分を発散する絵画、フレデリック・レイトン《月桂冠を
編む》、その流れをくむ、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス《フローラ》郡山市立
美術館蔵、私にとっては、この画家の絵としては珍しい題材と思われた、ジャン=
フランソワ・ミレー《眠れるニンフとサテュロス》ユニマットグループ蔵、同じく私の
持っているイメージからは新鮮に感じられた、オディロン・ルドン《アポロンの二輪
馬車》《ペガサスにのるミューズ》それぞれポーラ美術館、群馬県立近代美術館蔵、
などです。


それから絵画以外では、あまり大きな作品ではありませんが、この彫刻家に特徴的
な力感的で、うねるような造形感覚が発揮されている、オーギュスト・ロダン《彫刻家
とミューズ》群馬県立近代美術館蔵、絵画だけではなく、版画の表現も素晴らしい
ことを、改めて感じさせてくれる、パブロ・ピカソ『オルガス伯の埋葬』高知県立美術
館蔵、などがありました。

全展示作品数が65点で、質的にもまとまっていて、余裕を持ってゆっくりと鑑賞する
ことが出来る、好企画の展覧会であると感じました。

2019年10月25日金曜日

大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」を読んで

広島平和記念資料館がリニューアルされたのと時を同じくして、名高い大江のヒロシマ
・ノートを読みました。そして、広島の原爆の惨禍、被爆者の窮状に、全身全霊の生真
面目さで向き合う、若き日のノーベル文学賞受賞作家の熱情に、感銘を受けました。

著者が初めて被災後の広島を訪れたのは、原爆投下から18年後の第九回原水爆禁止
世界大会開催の直前でした。そして正にその時の体験こそが、本書に綴られるように、
以降大江が広島の被爆者に関わり続ける、強い端緒となったと推察されます。

それは彼が取材のために訪れたくだんの原水禁世界大会が、被爆地で開催され、全て
の核兵器を廃絶するという、人類共通の崇高な理念を帯びているにも関わらず、実際の
大会は国際的な力関係や政治の利害によって開催を危ぶまれ、正当な主張さえ歪め
られかねない、その体たらくを目撃したからです。

この訪問によって大江は、被爆者や被爆者二世に今なお続く苦患を目にする一方で、
エゴイズムが渦巻く核兵器反対運動の現状を体験して、大きな憤りを覚えるのです。
以降彼の広島への関心は、被爆者その人たちの生き方の直接の考察へと傾斜して
行きます。

著者が見た被爆者たちは、長年の原爆症に苦しみ、あるいはその発症に怯えながらも、
自分の使命を感じ、毎日を真摯に生き、核兵器反対の意志を明確にし、一人一人は
微力でも世間に切実に訴えかけようとする人々でした。大江はその姿にモラリストとして
の生き方や人間の威厳、正統的な人間としての誇りを感じます。

辛酸をなめ尽くした後の人間の底力に彼は感銘を受け、未来への希望を見出したのだ
と思います。

それぞれの被爆者のエピソードの、熱を込めた記述のほとんどを、私は共感を持って
読みましたが、唯一被爆が原因の白血病を発症し、2年の小康状態の後亡くなった青年
の、後追い自殺をしたフィアンセの若い女性のエピソードは、いかなる理由であれ健康
な肉体が失われることに対して、いたたまれないものを感じました。

本書のエピローグに紹介されていますが、原爆の悲惨を描いた名画『原爆の図』の作者
丸木位里、俊子による絵本『ピカドン』から採られた絵と付された短い文章が、この本の
カットに用いられています。これらも本書に綴られた記述と共に、強い説得力を持って、
核爆発の恐ろしさを訴えかけて来ます。

2019年10月22日火曜日

鷲田清一「折々のことば」1614を読んで

2019年10月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1614では
詩人最果タヒの随想集『きみの言い訳は最高の芸術』から、次のことばが取り上げ
られています。

  うまく話せないときほど、言葉の近くにいる
  感じがする。

そういえば私自身の話す様子を振り返ってみても、すらすらと話せた時に得てして、
自分の真意が本当に伝えられたのか自身が持てなかったり、もどかしく感じること
があります。

また逆に、相手が立て板に水のごとくスラスラと話すと、その説明が信用できない
ように感じたり、かえって内容がこちらの頭に入って来ないこともあります。それに
比べてむしろ、とつとつとした拙い話し方や、こちらが助け舟を出したくなるような
もどかしい説明が、説得力があるように感じられたりします。

つまり、文章に書くならいざ知らず、相手の目の前で、その場の状況や相手の反応
に合わせ、こちらの思いを伝えようと言葉を紡ぐ会話の場合、むしろスラスラと話せ
ないのが当たり前で、そのような場面でよどみなく出て来る言葉は、ある意味独善性
を疑わせたり、薄っぺらく感じられるのではないか?

勿論、話者がその言葉を発している時の表情や挙動、語り方が、話の内容に対する
相手の受け取り方に大きく作用することは言うまでもありませんが、それでも私は
少なくとも、程度の差はあれ、うまく話せないけれども懸命に伝えようとする人に、
ある種の誠実さを感じます。

仕事上では無論、話術を磨くことの大切さも感じますが、想いを伝えることの根本に
あるべき誠実さは、失わないようにしなければと、常々思っています。

2019年10月19日土曜日

堂本印象美術館「川端龍子がやってくる」を観て

堂本印象美術館で、特別企画展「川端龍子がやってくる」を観て来ました。

まず、浅草寺の本堂の天井画の共作などを通して、印象と龍子に交友があったこと
を、本展で初めて知りました。龍子から印象への年賀状も展示されていて、龍子の
展覧会がこの会場で開催される、浅からぬ縁を感じました。

美術館に入り、上階にあるメイン展示室に向かう途中の、この会場特有の螺旋スロ
ープ状の回廊壁面の展示スペースに展示されていた、龍子の長尺の軸装画「逆説・
生々流転」は、当初から予定されていたのかは分かりませんが、全くタイムリーな
作品で、少々驚きました。

それというのもこの絵は、つい先日首都圏を直撃して、信州、関東から東北にかけて
大きな被害をもたらした大型台風19号が、上陸以前から例えられていた、昭和33年
の狩野川台風の襲来に触発された当時の龍子が、横山大観「生々流転」のオマー
ジュとして描いた作品だったからです。

水墨表現中心の淡彩で、南洋の素朴な人々の暮らしが営まれている島々の海域で
生まれた台風が、次第に成長しながら日本本土に上陸して、凄まじい猛威を振るう
有様が、スケールが大きく、繊細さも兼ね備えた、力強い筆勢で表現されています。
現実の台風の脅威を体験した直後だけに、自然の抗えない力をひしひしと感じさせ
られました。

京都のしかも、この地に展示されるのに相応しい龍子作「金閣炎上」は、昭和25年
7月2日に放火され炎上した金閣寺を題材としていて、この絵画の前に佇み、じっと
凝視していると、あたかもメラメラと金閣を焼く炎が現前に踊るようで、思わず息を
呑みます。

ちょうど先ほどの回廊の展示スペースの一角に、堂本印象が放火事件直後に焼け
焦げた金閣を写生したデッサンが展示されていて、この作品からは、画家の消失の
無念の思いがにじむ情緒的な雰囲気が感じ取れますが、「金閣炎上」には、感情を
排してあくまで冷静に、事件そのものを描き上げようとするジャーナリスティックな目
が感じられます。

この川端龍子の展覧会は、点数はさほど多くはありませんでしたが、場所と時宜
に適い、充実した展観であると感じました。

2019年10月17日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1610を読んで

2019年10月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1610では
LivedoorNEWS/スポニチアネックス4月2日配信の将棋棋士・永瀬拓矢のインタビュー
から、次のことばが取り上げられています。

   努力とは息をするように続けられること、無
   理をしないこと。息をすることです。

我々凡人は努力というと、つい短期間に必死で頑張って、何かをすることを思い浮か
べます。

でも実際はどんなに頑張っても、短い時間で出来ることや、身に付くことは、たかが知
れていますし、所詮は自己満足に過ぎないのでしょう。

本当に地力や地頭を付けるためには、理に適った持続的な努力が必須であるのは、
間違いありまん。しかし我々にとっては、これが至難の業。ついつい短期間での成果
を求めてしまい、結果が見えなければすぐ諦めるか、興味が失せてしまい勝ちです。

一方、何かの分野で大きな成功を収める、いわゆる天才肌と呼ばれる人々は、私たち
からすると、余り努力をせずに、生まれつきの天分で直ちに結果を出しているように
見えるものですが、実は才能だけではなく、その上に尋常ではない努力を重ねて、
その成果を生み出しているということが、多々あります。

努力を苦にせず続けられることが一つの才能である、という言葉をかつて聞いたことが
あります。凡人である私も、せめて継続は力なりと自らを励まし、変化の激しい世の中
でも、ぶれずこつこつと、出来る範囲の努力を続けて行きたいと思います。

   

2019年10月14日月曜日

京都高島屋グランドホール「第66回日本伝統工芸展京都店」を観て

本日最終日に、恒例の伝統工芸展を観て来ました。台風の襲来、その他の事情に
より、ようやく滑り込みで観ることができました。最終日は終了時間も早いので、
残念ながら駆け足で観ることになり、いつもよりより絞って、もっぱら染織作品を観ま
した。以下、その感想を記します。

染織部門は、さらに研ぎ澄まされた作品が、展観されているような趣きがあります。
これは昨今の着物離れ、高額な商品の販売不振が、色濃く反映されているように、
感じます。

各作家は、そのような困難な状況の中で、現代の伝統工芸品とは如何なるもので
あるべきかということを、懸命に模索しているように思われます。

そしてその答えとして、華美ではないけれども洗練されていて、より技術的に手の
込んだものが追求されているように、感じました。その傾向は、決して今年に限った
ものではありませんが、今回私が染織部門だけに絞って観たので、さらにその思い
を強くしました。

勿論、ここ数回では、観客に工芸品をより身近に感じてもらうために、出口近くの
販売コーナーで、出品作家の手ごろな小品を紹介する試みも、行われています。

その試行を否定するものではありませんが、展示品においては、ある意味どれだけ
手間を掛けた作品を制作するかということが競われているので、そのギャップを
強く感じました。

最後に染織部門の入賞作について、記します。朝日新聞社賞 神谷あかね作 生
絹着物「海の中のできごと」、藍の模様と余白の白、その境界に覗く淡い黄色の
コントラストが、涼しげで、洗練された効果を生み出しています。

日本工芸会奨励賞 岩井香楠子作 型絵染着物「春のはじまり」、白地に裾を中心
として全体を埋めるように染められた、規則正しい淡いブルーの花と、ところどころに
配された浅黄色の花が織りなすハーモニーが絶妙で、近くから見ると、細い横じま
が、軽やかなリズムを生み出しています。

同じく日本工芸会奨励賞 武部由紀子作 刺繍着物「あはいの空」、作家が長年
追求して来た幾何学的な刺繍表現の一つの完成形と言ってもいいような作品。
着物柄における、しなやかさを備えたミニマル・アートを彷彿とさせる作品、と感じま
した。

2019年10月11日金曜日

イサク・ディネセン「アフリカの日々」を読んで

第一次世界大戦前後、植民地東アフリカで、コーヒー農園経営に携わった、北欧貴族
の女性の体験に基づく物語です。

従ってアフリカを巡る国際情勢や、現地の人々の生活習慣など、現在とは大きく隔たり
があり、いわゆる過ぎ去った時代の物語ではありますが、それでも、それを差し引いて
も余りある、魅力的な物語です。

何故かというと、主人公の女性農園経営者が、アフリカの土地とそこに暮らす人々を
心から愛し、偏見なく慈愛を持って接する故に、その懐に深く入り込んで、当時のアフ
リカの豊かな自然や現地人の習俗を、体験し記述しているからです。

無論女性主人公がいくら慈悲深い人ではあっても、植民者と土着民の関係には、自ず
と支配、被支配の力が働きます。しかしそのような人間関係が示す限界も、現代に生き
る私たちに、多くの示唆を与えてくれるように思われます。

その点は後ほど記するとして、まず当時のアフリカの豊かな自然環境があります。雨期
と乾期で全く表情を変える、風光明媚で広大で、荒々しい高原地帯。農作物の収穫量は
天候に大きく左右され、膨大な数のイナゴの来襲にも見舞われます。正に運を天に任せ
るしかない趣きがあります。人間が農業に携わる長い歴史の中で、リスク管理に取り組
むようになった原点を、見る思いがします。

厳しい気候の一方で、野生動物も豊富です。主人公たちは動物を狩るサファリを、スポ
ーツのように楽しみます。野生動物が厳重に保護される現在では、考えられないこと
ですが、それほどかつての自然は豊穣であった、と感じられました。

野生動物との関係でもう一つ印象に残ったのは、親のいないガゼルの子を主人公が家
に連れ帰り、そのガゼルが成長後、野生に帰ってからも子供を連れてしばしば主人公を
訪れる場面。その詩情豊かな表現は、人と野生動物の愛情による絆を感じさせます。

当時の現地人の生活、習俗も大変興味深く、まず印象的だったのは、彼らの中では家畜
等大切な所有物のやり取りによって、主な経済活動が行われること。例えば、誰か若者
が相手を殺した場合、殺した側の親が殺された側の親に、その死に見合う家畜を譲ると
いうように。

しかしこの物語の時代には、宗主国の西洋的な犯罪観が裁判を通して導入されて、現地
の人々の考え方との間に、齟齬が生じて来ていました。同様に最後に主人公が農場経営
に失敗して、現地を去ることになった時も、借地人である現地人は、彼らにとっては言われ
ない立ち退きを命じられるなど、後々の独立後のアフリカ諸国の政情不安の兆しを、見る
思いがしました。

色々な意味で内容豊富な、満足出来る読書を楽しみました。

2019年10月9日水曜日

佐々木閑「現代のことば 宿命との闘い」を読んで

2019年10月9日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、花園大学教授でインド
仏教学が専門の佐々木閑が「宿命との闘い」と題して、集団生活の中に身を置く
ようになった子供が、友達と協力して物事を成し遂げる協調性を身に付けるよう
ように求められ、その一方、勉強や運動で他者より優位に立つために競争力を
養えと言われて育った結果、大人になってからこの相反する二つの規範の矛盾
に引き裂かれ、苦しむことがあることを例に挙げて、このような矛盾を「人間の
宿命」として解説しています。

確かに私たちはこの例にたがわず、様々な矛盾と折り合いを付けて日々の生活
を送っている、と感じられます。まずその端的な例は、欲望と理性でしょう。欲望を
充足させるだけでは、健全な社会生活は営めませんし、そのためには理性を働か
せることも、必要です。でも理性でもって欲望を抑え込み過ぎれば、精神的な健康
を損なうことになる、かも知れません。

同様に、様々な事柄について、人間は片方に偏り過ぎることを避けながら、バラ
ンスを取って考え、行動し、生活を送ることを求められているのではないかと、私は
感じます。勿論そのような中庸を重んじる消極的な思考からは、革新や発展は生ま
れないという、考え方もあるでしょう。しかしあくまで均衡の中から、幾分どちらかに
突出するという形でなければ、健全な改革は生まれない、と私は思います。

この「人間の宿命」を語る文章でも、釈迦の教えとして、一元化した理想を求めるの
ではなく、本来そういうものとして自己矛盾を受け入れ、その姿のままで、いらぬ
欲望を起こさないで生きることが、精神的安定を得る方法と、説いています。

私はこの文章を読んで、この釈迦の教えが、私自身が考える、均衡を持って人生を
生きるということに通じるのではないか、と感じました。

2019年10月7日月曜日

あべのハルカス美術館「ラファエル前派の軌跡展」を観て

ラファエル前派の芸術運動は、19世紀半ばにイギリスで起こった運動で、美術史的
にはフランスの印象派と双璧をなすもののようですが、現在の日本の美術愛好家
にとっては、印象派があまりにも有名であるのに対して、ラファエル前派は認知度が
やや低いように思われます。

私も今まであまり、まとまった数のラファエル前派の絵画を観たことがなく、今回の
展覧会では、これまで体験したことのないジャンルの作品に触れられるという期待を
持って、会場に向かいました。

まず会場で目にしたのは、これは良い意味で期待を裏切られたといってもよい、ター
ナーの作品、この画家は以前にも展覧会に行ったことがあって、私の気に入りの
画家の一人なので、ラファエル前派が、その前世代の画家ターナーの絵画創作活動
を擁護する、気鋭の美術評論家ラスキンの思想に共鳴して始められた運動であること
を知り、一気に時代背景を知ることが出来たように感じました。

またこのコーナーでは、ターナーの秀作は無論、優れた素描家でもあったラスキンの
作品も多く展示されていて、その普通の画家とは趣が違う、科学的思考力や観察眼
を兼ね備えた、それでいて詩情溢れる作品たちに、新鮮な感銘を受けました。

今回のメインのラファエル前派の画家の絵画の展示コーナーでは、アカデミズムを
脱して、ラファエロ以前の自由な表現手法の絵画に帰るという、この運動の理念にも
関わらず、最早産業革命や近代化の洗礼を受けた人々の心が、素朴で単純な時代
に帰れないという事実からも推察されるように、その絵画は、対象のあるがままの姿
を捉えようとしながら、何故か表現過剰で、刹那で、官能的、退廃の雰囲気も漂わせ
て、来るべき象徴主義やウィーン分離派の絵画運動を予感させるものと、感じられま
した。しかしその絵画は充分に魅力的で、時間を忘れて、作品に見入りました。

ラファエル前派の第二世代に、ウィリアム・モリスが席を占めていたことも、私には
驚きで、というのは、アーツ&クラフツの工芸運動で、以前から彼をよく知っていた
ので、今展で近代のイギリスの美術史の大まかな流れを、把握することが出来たと
感じられて、その点でも、有意義な美術鑑賞になりました。

2019年10月5日土曜日

後藤正治著「拗ね者たらん 本田靖春人と作品」を読んで

本田靖春の作品では、かつて『誘拐』を読んで、被害者家族、犯人、警察捜査陣と、
全てに目を行き届かせて事件の全容を明らかにし、しかも事件のショッキングな性格
にも関わらず、曇りない公平な目で、そこに至る社会的背景までもを解き明かす、鮮
やかな筆さばきに、感銘を受けたものでした。

また筆者の後藤作品では、『天人』で感じた、優れた新聞人への愛情の籠る敬意と
同質のものを、本作でも嗅ぎ取ることが出来る気がして、迷わず本書を手に取りま
した。

本書を読んで、フリーのノンフィクション作家となり、数々の名作を物しながらも、本田
靖春の執筆者としての立脚点が、新聞の社会部記者にあったことが分かります。更に
は、彼の生き方の原点は、旧朝鮮、京城からの引き揚げ体験にあり、戦後の窮状と
混乱の中で、大陸からの幼い帰還者として、彼が受けなければならなかった言われな
い差別が、常に社会的弱者に寄り添う姿勢を形作ります。その上如何なる権力にも
おもねらず屈しない執筆態度を生み出します。そしてそれらの視点こそが、彼の作品
に厳正さと奥行き、読後の余韻を、賦与しているのです。

また彼が『天人』の深代惇郎と同様、海外特派員を経験したことも、忘れてはならない
でしょう。その後の作品の対象を見る目には、国際的な視座も織り込まれているので
す。

本書で、本田の各作品の成立の経緯を巡る、関係者の述懐を読んでいて気付かされ
るのは、彼が恩義のある先輩記者や編集者には礼を尽くし、若手出版人には、温かく
厳しい態度で接した姿が見えて来ます。そこには、真摯に報道と出版に携わる者への
敬意と、その未来を担う者への心からの激励が読み取れます。彼のこのような側面は、
筆者後藤とも感応する部分であり、それゆえに後藤は本田を描きたくなったのでしょう。

本田の絶筆となった『我、拗ね者として生涯を閉ず』は、正にその表題が彼の生き方を
端的に現わしているのであり、活字離れが叫ばれている現在にあって、新聞記者は
如何なる報道姿勢で取材し、記事に向き合わなければならないか、ノンフィクションライ
ターは表現者として、如何なる誠実さと良心を持って作品を執筆しなければならないか
を、身をもって具現した人物が、本書から立ち上がって来ると、感じました。

2019年10月3日木曜日

龍池町つくり委員会 63

10月1日に、第84回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回の中心議題は、11月17日(日)13時から15時まで開催予定の、京都外国語大学
南ゼミとの共同企画、「ぶらりたついけスタンプラリー」の計画案発表で、担当の京都
外大生小川さんより、説明がありました。

内容は、4名ぐらいの参加者の小学生とその保護者、学生さん、当委員会のメンバー
で1つのチームを組んで、龍池学区内のチェックポイントを回ってお話を聞き、更に
クイズに答えてスタンプをもらいながらゴールを目指す、というものです。チェックポイ
ントとしては、薬を扱う東田商店さん、薬祖神詞、御朱印帳を制作する山田保延堂さん、
omo京都もりたもとこの楽しいきもの屋さん、に決定しました。

東田商店さんは、かつて和漢薬を扱う店が軒を連ねた、二条通り界隈に今も店を構え
る薬屋さん、山田保延堂さんは、何代も続く御朱印帳制作のお店で、omoさんは、若い
人にも手軽に着られる着物を提案する着物専門店です。

チェックポイントのお店については、今回学生さんより委員会に提案されて、委員から
山田保延堂さんでは、スタンプラリー用の台紙を参加した子供たちが自分で作る、ワー
クショップを開催出来ないかという提案があり、omoさんについては、呉服業界に携わる
人が多いこの地域で、まだ新しいお店ではありますが、今日の着物離れが進む時代
状況の中で、このような新しい取り組みを進める経営者にお話を聞くことも、意味がある
のではないか、ということで、最終的にお願いすることになりました。

また、今回のスタンプラリーでは、終了後マンガミュージアムの自治連会議室で、出題
クイズの答え合わせをして、ラリーの振り返りを行い、参加者に印象を残すための取り組
みもしたい、ということです。昨年同様、お花で淹れたお茶の飲み比べも行う、ということ
です。

今後の準備として、各町回覧用のモノクロチラシ作成、また御所南小学校配布用の両面
カラーチラシを約1000部作成するということです。

2019年10月1日火曜日

鷲田清一「折々のことば」1586を読んで

2019年9月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1586では
米国の建築家ルイス・カーンの『ルイス・カーン建築論集』から、次のことばが取り上げ
られています。

   ひとりの人間のもっとも優れた価値は、その
   人が所有権を要求できない領域にある

ここでは、自分の発想、作品とこだわるところには真の創造性はなく、先に自分の中に
あってつねに蠢いているもっと古いもの、そこにこそ創造性の原点はある、という意味
を語っているそうです。

確かに、何かを始める時に、その原点を大切にするということは、必要でしょう。しかし
私はこのことばを、人という存在の、人間としての価値を指し示す言葉として受け取り、
感銘を受けました。

つまり人の本当の価値は、社会的地位やどれだけ財産を持っているか、ということで
決まるのではなく、その人の内面に宿る人間性によって判断されるべきだと語ってい
ると、解釈したのです。

こういう尺度で人間を評価することの重要性は、かねてからよく語られて来たことでは
ありますが、言うは易く行うは難しというか、現実には世間の評価ということも相まって、
私たちはついつい、社会的成功者を称賛する傾向にあります。

しかし必ずしも、社会的に成功した人の人間性が優れている訳ではなく、逆に市井に
埋もれてつつましく暮らしている人の中に、得てして高潔な人はいるものだと、思い
ます。

大切なことは、世俗的な評価に惑わされず、人間性が優れた人を見極められる目を
持つこと。そして出来れば、そのような人にあやかれる人間に成るべく、研鑽を積む
こと、だと感じます。

2019年9月28日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1584を読んで

2019年9月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1584では
生態学者・今西錦司の随想「曼珠沙華」から、次のことばが取り上げられています。

   生物は、つねに余裕をもった生活をしてい
   る。そしてその余裕を惜し気もなく利用した
   いものに利用さしている。

例えばヒガンバナは、繁殖は地下茎で行うので、本来花を咲かせ、受粉を助けて
もらう必然性はないのに、立派な花を咲かせ、蝶に花蜜を提供している、と生態
学者はいいます。

確かに、生物の中でも特に植物は、我々地球の大部分の生き物に恩恵を与えて
くれているように、感じられます。

地球に酸素を供給してくれているのは、植物の光合成だといいますし、また多くの
生物の食料となり、生活の場を提供し、人間に至っては、その太古の死骸を石炭
というエネルギーとして使用するのに始まり、様々に加工して、暮らしや産業の
色々な場面で利用しています。植物が存在しなければ、人間の生活は成り立た
ないと言っても、決して過言ではないでしょう。

しかるに人間は、自分の都合でどんどん森林を切り開き、自然環境を破壊してい
ます。つい先日も、世界最大のジャングル地帯であるアマゾン川流域の熱帯林が、
人為的な火災によって急速に失われて行っていることが、大きな問題となってい
ました。

この美しい地球環境全体を、その中に生きるあらゆるものへの恵みと考えて、私
たち人間もその富を奪い取るだけではなく、全ての生き物が共存でき環境を維持
するための、余裕を持った資源利用を心がけることが、今危急の課題として、求め
られているのでしょう。

2019年9月26日木曜日

友の死に触れて

先日、ある親しい友人のお宅に、彼とゆかりのある数名で弔問に行って来ました。

実は彼は5月に亡くなっていて、本来なら当然葬儀に赴いているはずなのですが、
晩年の彼は、高齢で介護の必要なお母さんと二人で実家で暮らしていて、そのお宅
での突然の死であったために、友人の顔を見ると余計に悲しみがこみあげて来ると
いうことで、お母さんの意向でその死は友人にも伏せられ、親族だけで葬儀が行わ
れて、私たち親しい友人は葬儀に参加出来なかった、という経緯があったのでした。

この友人は、私が彼と同じ中学、高校、大学まで併設するミッションスクールに、中学
から通っていた関係から、その頃からの知り合いで、高校時代から親しくなり、大学も
同じ学部だったので、更に親密に付き合うようになったという関係でした。

社会人になってからも、私が一時会社勤めをして京都を離れた時以外は、二人とも
自営業で地元在住だったので、親しく付き合って来ました。また、後年彼が商売を
止めてからは、若い時の経験を生かして、私たちの店の経理を見てもらっている会計
事務所に再就職したので、彼が担当になって店の業務を補佐してもらっていました。

このような親しい友人関係でありながら、彼の死はその会計事務所の所長さんより
初めて知らされ、葬儀にも参加出来なかったこともあって、私の心の中には喪失感と
同時に、わだかまりも残っていました。

ところが先日、彼の妹さんより、お母さんが介護施設に入られて、実家は日頃無人
ではあるが彼女が管理しているので、よければ弔問に訪れてください、というお誘い
を頂きました。そういう訳で、友人同士誘い合わせて、彼のお宅を訪問することになっ
たのでした。

当日妹さんの待つ彼の実家を訪れると、二階に遺影と共に祭壇が設けられて、遺骨
はお母さんが施設に持っていかれたということで、そこにはありませんでしたが、私
たちは、彼の冥福を祈り、焼香をしました。

その後、妹さんより彼の幼い頃から若い日までのエピソードを聞き、彼が青年期から
寝起きし、私も度々遊びに行った、そしてそこで息を引き取った、彼の居室に案内
されて、この弔問は終わりました。

親しい友人の死を知りながら、その時までその死亡の事実を実際に確認出来なかっ
たために、何か宙に浮いたような状態であった私の心は、もぬけの殻の彼の自室に
佇み、その懐かしい室内の空気を吸うことによって初めて、彼の死を受け入れたよう
に感じました。

その意味で遺骨はなくとも、今回の訪問には十分に意味があったと、感じられました。

2019年9月24日火曜日

美術館「えき」KYOTO 「ショーン・タンの世界展」を観て

ショーン・タンは、オーストラリア生まれのイラストレーター、絵本作家で、2006年に
移民をテーマにしたグラフィック・ノベル『アライバル』を発表、一躍国際的に知られ
るようになりました。

本展は、彼の大規模な個展で、私は今まで彼のことを知りませんでしたが、この
展覧会のポスターの絵柄に惹かれて、観ることにしました。

まず前述の『アライバル』、この作品は言葉は一切なしで、綿密に構成した絵を
配列することによって、一つの物語を作り上げている、ということです。

しかもその構成に際して、まず彼の作品の特徴である、物語の中で人間と共存す
る現実にはいないおかしな生き物の、キャラクターデザインの周到な造形は言う
に及ばず、下描きや習作、実際には作品には登場しないセリフや詞書き、絵ある
いは写真を用いたコンテなどが準備されて、その上に初めて作品が出来上がって
いるので、幻想的で不思議な物語に、リアリティーと話の奥行きが生み出されてい
ます。この点が彼の作品の最大の魅力であると、感じました。

後に映画化されて、2011年にアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞した、原作
の絵本『ロスト・シング』も、同様の綿密な制作準備を経て作品化されているので、
キャラクター造形や場面設定、ストーリーに説得力があり、映像化にも十分に耐え
る完成度を有していたのだと、思われます。

会場の最後のスペースでは、実際にこの映画化作品を全編観ることが出来ますが、
絵本のイメージを更に膨らませた、独特のファンタジーの世界を有する物語に、
仕上がっていました。

ファンタジーやSFの要素を前面に出しながら、環境問題など社会的なテーマにも
作者の関心が及んでいて、観る者は楽しみながら同時に、自分たちの未来につい
ても考える、展覧会になっています。

2019年9月20日金曜日

酒井順子「現代のことば 恥の感覚」を読んで

2019年9月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、エッセイスト・酒井順子
が「恥の感覚」と題して、携帯電話やパソコンを人前で使用する時の自身のこれ
までの抵抗感から、彼女の最新の機器を用いることに対する羞恥の感覚について、
分析しています。

それによると彼女は、初期の弁当箱型のかさ高い携帯電話を人前で使用する人に
対して、最新のものを持っているという自意識が見え隠れするようで、恥ずかしさを
感じ、しかし小型化した携帯電話が普及すると、自分もすんなり使用するように
なったと言います。

更に近頃盛んに宣伝されている、機械に話しかける音声アシストの人前での使用
に対する抵抗を語った後、自分が現在はパソコンで原稿を書いているにも関わらず、
原稿用紙で育った世代ゆえに、人前でパソコンを開いて仕事をすることことを、いま
だに恥ずかしく感じると、告白しています。

何かすごく日本人的なメンタリティーで、酒井順子と言えば、近年の女性の生態、
感じ方を当意即妙にすくい上げるエッセイストとして、つとに知られている存在なの
で、その彼女がこと最新機器に対しては、平均的日本人と羞恥心を共有していると
いうことが、新鮮に感じられました。

私なども、伝統を重んじる気風の、家の立て込んだ古い町で生まれ、隣近所の人々
との関係や、周囲の人の目を気にする環境で育ったこともあって、何に付けても
目立たず、中庸を重んじる羞恥心を身に付けている、と感じることがあります。

しかし現代は、国際化やIT機器の普及、核家族化の進展など、劇的な環境変化に
よって、人々のものの感じ方や価値観も大きく転換しています。そのような新しい
環境の中で生きて行くためには、目立たないことをよしとする羞恥心を、かなぐり捨て
なければならない場面もあるでしょう。しかし逆に、新しいものだけをいたずらに追う
破廉恥も、慎まなければならないということも、あるはずです。

彼女のこの文章は、自身の生き方への矜持と共に、そのことを教えてくれるようにも、
感じました。

2019年9月16日月曜日

国立国際美術館「ウィーン・モダン」展を観て

国立国際美術館で、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道」を観て来ま
した。

クリムトやシーレの魅力的な作品も展示されていますが、全体の構成としては、
19世紀末から20世紀初頭における絢爛たる総合的芸術の開花に至るまでの、18
世紀からのウィーン発展の歴史と経緯をたどる展覧会です。

それ故に絵画を初め、工芸、服飾、建築デザイン、印刷物と、多様なジャンルの
多数の作品が会場を彩り、さながら芸術の都ウィーンの見本市のような、華やいだ
気分を醸し出しています。

個別の作品で印象に残ったものを数点挙げてみると、まず「作曲家ヴォルフガング・
アマデウス・モーツァルト」の肖像並びに、「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」に描か
れている当人の姿です。ウィーンは音楽の都でもあり、彼以降の著名な作曲家、
シューベルト、ヨハン・シュトラウス、マーラーなどは、直ぐにこの都市と結び付きます
が、モーツァルは私にとって、最早伝説的存在のような先入観があり、彼がこの都市
で実際に暮らし、啓蒙的な空気の中で音楽活動をしたという事実には、彼との距離
が一気に近づくような親近感を覚えました。

次にナポレオン率いるフランスとの戦乱後、内向きな気分に支配されるようになった、
ビーターマイアー時代のウィーンの画家ヴァルトミュラーの絵画「バラの季節」。後の
印象派の時代の到来を予感させるような、戸外の光の輝きと共に自然に包まれる
ことの幸福を、全身に感じさせてくれるような、忘れがたい絵です。

最後にクリムトも点数は少なくとも良い作品がありましたが、シーレの「自画像」、
「美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像」に、強い感銘を受けました。彼の絵は
あまり目にする機会がなくて、実際に観ると、その独特の刻み付けたようでかすれた
彩色と、人体の痛切なほどにねじれた造形からは、彼の魂の叫びが直に伝わって
来るようです。絵を描くことの根源的な欲求を、感じさせてくれる作品でした。

全体を観終えて、18世紀からのウィーンが啓蒙思想の奨励や、城壁の撤去とリンク
通りの建設、万国博覧会の開催などを通して、自由で開放的な都市の特色を醸成し、
次第に芸術を花開かせて行った様子が伝わって来ました。ウィーンは正に、芸術の
都に相応しい都市であると、感じました。

2019年9月13日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1565を読んで

2019年8月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1565では
演劇家・作家、岡田利規が、京都国立近代美術館で開催されている「ドレス・コード?
ー着る人たちのゲーム」展によせた文章から、次のことばが取り上げられています。

   どんな服を着れば何も表明せず誰も刺激しな
   いで済むだろうか。 でもそんな服はない。

私もこの展覧会を観て、人が服を着るということについて、大いに考えさせられまし
た。地位や職業、帰属する組織であったり、あるいは好み、意思表示であったり、
人は意識的に、もしくは無意識的に自分の服装を選択し、逆にそれを選ぶことによっ
て、自分が自分であることを世間に表明しているらしいということを、知ったからです。

例えばファッションに無頓着な私なども、半ば無自覚に選んでいる洋服が、京都の
小さな自営業の店主らしい服装である、というように。

しかし服装の選択肢が、ここで取り上げられている、東日本大震災後の非常事態下
の首都圏のように、社会状況や世間の風潮によって圧力を受け、狭められるという
事態が、起こることがあります。それは決して好ましいことではないでしょう。

極端な例が、第二次世界大戦中の日本の市井の人々が、国防服の着用を義務付け
られたように。

ここまで考えて私は、本来自由であるべき服装の制限は、言論や表現の自由という
人権の侵害にも結び付きかねない、と感じました。

例え些細なこと、日常の習慣的なことにおいても、自分の考え方や立ち位置を認識
し、社会からの常ではない圧力や干渉に対しては敏感であること、私たちはこれから
益々そういうことが求められているのではないかと、このことばを読んで感じました。

2019年9月11日水曜日

花田清輝著「復興期の精神」を読んで

私が本書を手に取ったのは、この連作エッセーをまとめた作品が花田の代表作と
言われるのみならず、大部分が第二次世界大戦中に書き継がれたからです。

言論統制の厳しかった折に、『復興期の精神』という主題の下、主にルネッサンス
期を生きた改革者を描くことによって、いかに敗戦後の混迷からの脱却まで見据え
て筆を進めたか、それを知りたいと思ったのです。

しかし実際に読んでみると、恐らく検閲を逃れるためもあるのでしょう、著者の並
外れた博識に由来する衒学趣味や多彩なレトリックの駆使、牽強付会な物言いも
あって大変難解で、私には一体どれだけの部分が理解出来たか、甚だ心許なく
感じました。それで池内紀の解説も参考にしながら、分かる範囲で感想を記して
みたいと思います。

まず、本書の最初に置かれた「女の論理ーダンテ」で、一般に女性が感情的で非
論理的であると見なされる訳を探る参考として、ダンテ『神曲』とバルザック『人間
喜劇』を比較し、チェーホフ『熊』『伯父ワーニャ』を引き合いに出して、修辞的で
あることが女の論理であるという結論に達します。

これは一見女性蔑視に同調するような言い回しに見えますが、しかし最後に修辞
的存在であるイエスと女性の同質性を語り、その理由として両者が迫害に対抗
しうる者として、文章を結びます。この抵抗精神を活写するレトリックの切れ味に、
ある種カタルシスを感じました。

次に、「天体図ーコペルニクス」では、地動説を唱え天文学に画期をもたらした、
いわゆるコペルニクス的転回と、本書執筆中の大戦最中、耳目を集めた思想的
転向を比較し、コペルニクスの転向が決して闘争的ではなく、平和裏のものであり
ながら、その実後世に多大な影響をもたらした事実に触れ、彼にヒューマニストと
しての理想の姿を見出します。この論理の展開も、時宜に適い見事であると、感じ
ました。

最後に、「肖像画ールター」では、宗教改革の実践者ルターのクラーナハによる
肖像画の貧相さー実際に観て、私はそうは思いませんがーから説き起こして、
宗教改革という事件が単に宗教的理由から起こっただけではなく、それを支持
する人々の社会経済環境が深く影響していると、結論付けます。この記述には、
花田の冷静な分析的思考を感じました。

2019年9月9日月曜日

泉屋博古館「文化財よ、永遠に」を観て

泉屋博古館で、住友財団の修復助成30周年を記念した特別展、「文化財よ、永遠に」
を観て来ました。

住友財団は文化財維持・修復事業への助成を30年近く続け、修復事例も累計千件に
達するということです。本展では、絵画、仏像などの修復方法の解説と、合わせて実際
に修復された文化財を展示することによって、どのように修復活動が行われているか
を、分かりやすく明示しています。

まず私が興味を覚えたのは、絵画、屏風の修復のための基礎知識として、屏風の基本
構造を示したコーナーで、桐材で格子状の枠組みを作った上に、3種類の和紙を張り
重ねて、屏風の下地を作るということを説明した部分です。日頃屏風がどのような構造
になっているかなど、考えも及ばなかったので、新鮮な驚きでした。

また軸物の絵画、屏風、絵巻物の修復を担当するのが装こう師で、実は私たちの店は
特殊な広幅の白生地を扱っているので、装こう師の方とも取引があるにも関わらず、
その職業がどのようなものであるかを知らなかったので、仕事の面でも参考になりま
した。

さて実際に修復された文化財の展示室に移ると、まず藤原定家の明月記が目に止まり
ました。この巻物状の日記は、当時紙が大変貴重なものであったので、手紙などの裏を
再利用した上に継ぎ合わせて、書き付けてあるということで、表面だけではなく、裏面も
歴史的に貴重なものであるということです。実際に見ると裏面の文字も表面に浮き出て
いて、臨場感があります。修復によって、良好な状態が保たれているようです。

一方修復のために仏像を解体すると、胎蔵仏や内蔵品、内部の書き付けなどが発見
されて、新たな事実が判明することも多々あるようで、本展では修復された仏像と
胎蔵仏等を並べて、そのような事例を分かりやすく解説していました。知的な感興を
そそる展示でした。

一見地味な展覧会ですが、文化財保存の重要性を示してくれる、貴重な展観でした。

2019年9月6日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1561を読んで

2019年8月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1561では
お笑いコンビ「マシンガンズ」の芸人で、定収入を得るためにゴミ収集会社に勤めて
いる、滝沢秀一の『このゴミは収集出来ません』から、次のことばが取り上げられて
います。

   管理されなければできない恥ずかしい世代に
   なんてなりたくない。

ゴミの収集の現場の清掃作業に携わる中、彼が感じたことを記することばだそう
です。

人が文化的な社会生活を営むためには、ゴミ出しと収集は不可欠な作業です。
でも私たちはともすれば、ゴミの廃棄に手を抜こうとしがちです。

何もかもを一緒くたに出したり、時間を守らなかったり・・・。その結果、ゴミの処理に
必要以上の手間がかかり、またゴミの放置が周辺住民の迷惑になったり、してい
ます。

しかも最近は、人口増加と大量消費の社会慣習によるゴミの飛躍的な増加と、プラ
スチック等処理しきれない化学物質を含むゴミの大量発生によって、地球温暖化、
環境破壊の問題が益々深刻になって来ています。このような社会環境では、更に
ゴミの減量と適正な廃棄が、早急の課題となります。

やらされるからやるという意識ではなく、我々一人一人が自覚を持ってゴミ出しの
作業を行うこと、このような小さな行為の積み重ねが、未来の地球環境を守るという
想像力を持って日々の生活を営むこと、これらのことが今まで以上に、私たちに
求められているのでしょう。

2019年9月4日水曜日

龍池町つくり委員会 62

9月3日に、第83回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず中谷委員長より、中京区九十周年の記念誌用に区役所から依頼のあった、
学区の歴史というテーマの、委員長が作成された当学区の原稿について、説明
がありました。

龍池学区の所在場所の明記。命名の由来がこの地に存在した「二条御池殿」と、
洛中洛外図屏風に記された「龍躍池」から来ていること。江戸時代には、徳川
家康によって、金銀座が設置され京都の金融の中心になり、明治以降は、烏丸
通りが金融関係の会社、二条通りが薬品関係、室町、新町間は呉服繊維関係
の会社が多く存在し、栄えたという歴史。また現在も、「向こう三軒両隣」という
精神で、学区内の親睦を図ろうとしている、という内容だそうです。

次に、秋の恒例の京都外国語大学南ゼミとの共同企画の、今年度の活動の
概要について、担当の学生さんより説明がありました。

日時は、11月17日(日)午前中の約2時間。内容は昨年同様、地域の再発見と
いうテーマで、クイズラリー、スタンプラリーを行い、今年度は特に参加者個人
個人の交流を図ることを重視して、ゲームなどで打ち解けた雰囲気を生み出す
ことを目指す、ということです。詳細は、次回町つくり委員会当日までに決めて、
発表するということです。

その他に、龍池学区の大原郊外学舎で実施する「大原交流プログラム」は、
12月1日開催、「新春きもの茶話会」は、来年1月26日に開催することに、決定
しました。

2019年9月2日月曜日

清水寺「CONTACT つなぐ・むすぶ日本と世界のアート」を観て

ICOM京都大会2019の開催を記念して、小説家原田マハが総合プロデュースを
務め、1週間限定で開催される展覧会「CONTACT」を、早速清水寺に観に行き
ました。

早朝から発売の当日券が、午前10時30分に到着した時にはすでに売り切れて
いて、地元在住ということもあって、次回発売の30分前、午後1時にもう一度
行って、30分並んでようやく手に入れることが出来ました。

清水寺境内の会場は、日頃非公開の経堂と成就院、それぞれ安置されている
仏像、建物の造り、庭園が素晴らしく、その点では古刹の趣きを味わうことが出来
ました。

しかし肝心の展覧会は、私にとっては、期待が大きかっただけに何か物足りなく、
少し残念な思いで会場を後にしました。

その原因はまず、久しぶりに訪れた代表的な観光名所である、休日の清水寺
周辺が、多くの観光客でごった返してあまりに騒がしく、静かに美術を楽しむ環境
ではなかったことが第一に挙げられる、と思います。この点は、私の認識不足
でした。

次には、古い寺院建築故に観客を収容できるキャパシティが余りに小さく、おまけ
にネット等でこの企画を知った多くの鑑賞者が訪れたために、直ぐに収容限界を
超えたのだ、と感じられます。

展示されているのは、洋の東西を問わぬ、棟方志功、河井寛次郎、手塚治虫、
アンリ・マティス、オーギュスト・ロダンなど、著名26作家の作品。どれも原田マハ
が吟味しただけあって、じっくりと作品に向き合えばそれぞれに味わい深いもので
ある、と思われます。

しかし、会場の荘厳さに比べれば作品が小粒であるというか、印象が薄まっている
のは残念に感じられました。また、一番期待していた、宮沢賢治『雨ニモマケズ』
手帖が、会場内に設けられた展示スペース(茶室)の整理券が、すでに出尽くして
いるということで、観ることが出来なかったのも、大変残念でした。

その中で印象に残った作品は、まず川端康成の直筆原稿、端正な文字で推敲の
跡も生々しく、作家が小説を生み出す現場が見えるようでした。次に司馬江漢『
樹下騎馬人物図』掛け軸、黎明期の日本の西洋画が、薄暗い寺院の床の間によく
馴染んでいました。最後に飾り障子を配した棚に置かれた、小さなジャコメッティの
彫像、洋の東西を融合した美しさに感動しました。

2019年8月30日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1560を読んで

2019年8月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1560では
歌舞伎囃子方、田中佐太郎の『鼓にに生きる』(聞き書き・氷川まりこ)から、次の
ことばが取り上げられています。

   それは目の前の人が体得し、これから自分自
   身が向き合おうとする 「芸」 そのものに対し
   ての礼なのです。

この歌舞伎囃子方は、弟子に稽古をつける時、まず挨拶が一番重要であると説き
ます。そして敬意を込めて挨拶をするのは、師匠に対してではなく、これまでずっと
先人たちが向き合ってきた「芸」そのものに対してだ、と言うのです。

この教えは、熟練の師匠その人が、「芸」に対して謙虚に向き合っていることを示
していますし、恐らくこの言葉には、「芸」に向き合うべき真摯な心の持ちようには、
師匠と弟子の区別もない、という含意もあるのでしょう。

「芸」を極めるためには、「芸」そのものに敬意を払い、どれほど習熟しても常に現状
に満足せず、更なる高みを目指す姿勢が必要なのでしょう。

この教えは一見、伝統芸能の特殊な世界でのみ有効なもののように感じられます
が、恐らくそうではなくて、私たちの日常の仕事に対する取組み方や、生き方にも
つながって来るものだと思われます。

それというのも、仕事にしても、生活にしても、常に今日という日は、過去の連なり
の上に築かれているので、私たちは過去から学び、それを基礎として未来を思い
描いて行かなければならないと、思うからです。そしてそのためには、過去と謙虚
に向き合うことが不可欠でしょう。

伝統的な芸能の熟練の「芸」が、私たちに大きな感動を与えてくれる要素の一つ
には、演者の高い人間性も、あるいは寄与しているのかも、知れません。

2019年8月28日水曜日

大阪市立美術館「フェルメール展」を観て

現存作品が35点といわれる、あの希少なフェルメールの絵画が、6点も出品されて
いる今回の「フェルメール展」に、行って来ました。フェルメールの作品だけでなく、
黄金期のオランダ絵画の秀作を含む、45点が展示されています。

会場に入るとまず、第1章オランダ人との出会い:肖像画が、私を出迎えます。
肖像画の華麗さ、精緻さは目を見張るばかりで、我々の見慣れた肖像写真と比較
しても、装飾性は言うに及ばず、対象の人物の細部に至るまで、更には容易には
目に見えない分部まで、描き切ろうととする画家の意志が感じ取れます。その飽く
なき探求の姿勢は、フェルメールにも通じると感じました。

会場を巡って、第5章日々の生活:風俗画も、フェルメールとの関連性において、
内容が豊富であると感じました。この時期のオランダ絵画の特色として、庶民の
日常生活を、場合によっては戒めの意味を込めて、生き生きと活写した風俗画が
多く描かれたようですが、それらの画面からは、宗教的桎梏を脱して、自由を謳歌
する人々の姿が、伸びやかに描き出されていると感じました。当時の社会に満ちた
雰囲気までくみ取れるようで、私もくつろいだ気分になりました。

さて、そしてお目当てのフェルメール作品です。「マルタとマリアの家のキリスト」と
「取り持ち女」は初期の作品で、私にはフェルメールらしさは、あまり感じられません
でした。ただ両作品とも、当時のオランダ絵画のモチーフの傾向を色濃く感じさせ、
彼がこの国の黄金期の画家の一員であったことを、再認識させてくれると共に、
円熟期に至る過程を知る意味でも、興味深く観ました。殊に後者は、同じ題材を
扱った他の画家の作品より一層ミステリアスで、この画家の内省的な資質を、現して
いるのかも知れません。

「手紙を書く婦人と召使い」「手紙を書く女」「リュートを調弦する女」「恋文」は、正に
フェルメールらしい円熟期の作品。美しく穏やかで、柔らかな光が浮き上がらせる
一瞬の心理劇が、画面に定着されています。儚く優美で、それでいて普遍的な人間
という存在や、森羅万象の摂理まで描き込まれているようで、画面の中に吸い込ま
れそうです。

第5章のパートの、ハブリエル・メツー「手紙を読む女」「手紙を書く男」と比較して、
同様の主題を扱いながら、フェルメールの絵画の精神的な到達点の高さに、驚か
されました。フェルメールの魅力を、堪能出来る展覧会でした。

2019年8月26日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1554を読んで

2019年8月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1554では
浜田廣介の童話『ないた赤おに』から、次のことばが取り上げられています。

   なにか 一つの 目ぼしい ことを やりと
   げるには、 きっと どこかで いたい おも
   いか、 そんを しなくちゃ ならないさ。

ご存知名作童話の一節、赤鬼が村人に信用されるように、友だちの青鬼は自分が
悪者になってわざと暴れ、赤鬼に叱られることによって彼の村人への評判を上げ、
それと悟られないように去って行く。上記はそんな青鬼の語る言葉です。

私も子供の頃、青鬼が去る場面を読んで、ジーンと来ました。

最近は大切な人のため、あるいは何かを成し遂げるために、自分が犠牲になると
いうことは奨励されないし、あまり話題にも上りませんが、かつては主要な美徳の
一つだったと、思います。

ではどうして昨今はあまり取り上げられないかというと、民主主義教育により自分
の主義主張をはっきりと持ち、人権を守ることが尊重され、更には個人主義の浸透
によって、まず自分の損得を真っ先に考える風潮にあることことが、挙げられるで
しょう。

あるいは私たち日本人は、自己犠牲をことさら称揚すると、その規範に縛られて
しまって、周りの空気も含めて、ついつい無理にそのような行為をしようとする傾向が
あるので、うがった見方をすれば、そのような息苦しさに陥らないように、そうした行い
の奨励が、控えられているのかも知れません。

いずれにしても、自己犠牲の行為は、絶対周囲から強要されるべきものではありま
せんし、自分自身を無理にそのような立場に追い込むべきものでもありませんが、
もし本人が納得の上でそれを成すならば、相手を思いやるという意味で、あるいは、
大きな目標の達成のために我欲を捨てるという意味で、尊い行いである場合が多い
に違いありません。

2019年8月22日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1552を読んで

2019年8月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1552では
水木しげるの漫画『総員玉砕せよ!』のあとがきから、次のことばが取り上げられて
います。
                
   ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒り
   がこみ上げてきて仕方がない。

私が少年の頃、漫画誌に連載されていた、水木の妖怪漫画を読んでいると、何か
心がざわつくような不穏なものを感じましたが、彼の戦記物の漫画を読んでも、
それが主に熱帯のジャングルが舞台であることもあって、得体の知れない恐ろしさ
を感じました。

その作品は、当時の少年向けの戦記物の漫画の中でも異色の存在で、例えば
記憶をたどると、他の大多数の漫画は戦闘機のパイロットなどが主人公で、戦争の
悲惨さを描く部分はあっても、その描写のウエイトは華々しい戦闘場面や、死も恐れ
ぬ主人公のかっこよさに置かれていて、ある種主人公を英雄視するものになって
いたと思います。

それに対して水木の戦記物は、もっと暗く、おぞましく、ドロドロして、不器用で気の
いい主人公の兵士が、有無を言わせず、悲惨な戦闘に巻き込まれて行くような哀れ
さ、悲しさがあったように記憶します。

恐らく大部分の戦争漫画は、敗戦後の心の傷のまだ癒えぬ人々の、やり切れぬ
思いを主人公に託した作品であり、他方水木の漫画は、彼が実際に目の当たりに
した戦争の愚かさを、読者に訴えかけようとする作品だったのでしょう。

そういう意味でも私には、戦争について多くを語らない周りの大人に代わって、水木
の漫画から、戦争のおぞましさの気配をくみ取ったように、思い出されます。

2019年8月20日火曜日

大阪文化館・天保山「THEドラえもん展」を観て

本展は、国内外で活躍する28組のアーティストに、「あなたのドラえもんをつくって
ください。」と依頼して、出来上がった作品を展観する展覧会です。会場の大阪
文化館は旧サントリーミュージアムで、久しぶりに訪れて、このような形で今も活用
されていることを、懐かしく感じました。

さて、全体を観終えて感じたのは、ドラえもんが誕生してから約50年、その間幅広い
世代の多くの人々に親しまれ続けているということで、出品作家も展覧会の鑑賞者
も、ことごとくドラえもんを愛しているということが、実感を伴って伝わって来ました。

個別に観ると、まず会場入り口近くで我々を迎える、大きな画面全体がカラフルな
花やドラえもんのキャラクター、アイテムで埋め尽くされた中央部にどこでもドアが
開かれ、その上方には藤子F不二雄氏のキャラクターも佇む、村上隆のにぎやかな
作品。正にオープニングに相応しく感じられます。

次に目に止まったのは、色々な楽しい場所で、ドラえもんと女の子がデートする場面
を活写した、カラフルな蜷川実花の写真作品。ドラえもんが夢と現実のはざまの存在
であることを、示してくれます。

その次は、劣化防止スプレーを題材にした、しりあがり寿の映像作品。彼によると
現代社会はどんどん劣化していて、劣化防止スプレーを噴霧しないと、ドラえもん
さえ形が崩れて行くそうです。その崩壊するドラえもんの、しりあがり独特の描写が
秀逸!彼らしい社会風刺の作品になっています。

最後に作者の名前は忘れましたが、ライトが点灯する模型機関車が展示室の
レール上を走る作品。レールの周囲に日用品を利用したオブジェが配置してあって、
暗くした室内をその機関車が走ると、オブジェの影が壁面に投影されます。その影
の流れがとても幻想的で、この作品も銀河鉄道の夜を彷彿とさせるようで、日常の
すぐ隣にあるファンタジーの世界を暗示していると、感じました。

とても楽しい展覧会でした。

2019年8月17日土曜日

森見登美彦著「熱帯」を読んで

誰も最後まで読み通した者のいない、謎の書物『熱帯』を巡る冒険譚です。

主題が謎に包まれた複雑怪奇なものだけあって、物語の筋も入り組んだ入れ子状に
なっていて、簡単に要約することが出来ませんが、大まかに分けると、前半が登場
人物たちが『熱帯』の謎に挑むミステリー、後半が『熱帯』の中に入り込んで冒険に
巻き込まれるファンタジーと言えます。

私は著者が最も実力を発揮すると思われる前半のミステリーの部分が好きで、元々
接点のない人物たちが、一つの謎に引き寄せられるように複雑に絡み合い、小出し
にされるヒントを巡って牽制、駆け引きを繰り返し、それでいて益々謎が深まる展開が、
わくわくさせられて楽しかったです。

そのミステリアスなストーリーを進める上での、小物や情景などの設定も魅力的で、
『千一夜物語』の書籍に始まり、「沈黙読書会」、「学団」、「池内氏のノート」、「飴色
のカードボックス」、古本屋台「暴夜書房」、「部屋の中の部屋」、「満月の魔女」の
絵画と、響きに謎を含んだ言葉が次々に飛び出して来ます。

また著者が京都に縁が深いだけあって、私自身が良く知っている場所が、私の記憶や
実感とは違う陰翳をもって描き出されていて、その点にもたとえようのない魅力を感じ
ました。

後半部分は一転、『熱帯』の中に放り込まれた前半の登場人物の冒険物語になります
が、僕と語る一人称の主人公は、夢ともうつつともつかぬ話の展開に連れて、人物
設定が入り乱れ、最早本来の誰であったか特定出来なくなります。

そのような流れの中で、創造神話を彷彿とさせる雄大なスケールの物語は空しく空転
し、拡散して行きます。あたかも『熱帯』そのものが果てしのない、決して集約されない
物語であるのに似て。

このように本書は、一口には要約出来ない不思議な物語ですが、著者が『千一夜物語
』から着想を得たと語ることから、語り手が自らの死を賭して、毎夜語り続けた物語と
いうその由来が示すように、物語を創造する力を一種の魔法と捉え、読者がその物語
の世界に入り込むことを魔法にかけられると解釈して、本というものの謎めいた楽しさ、
読書の喜びを、一つの物語に集約しようとしたのではないかと、私には感じられました。

2019年8月15日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1533を読んで

2019年7月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1533では
彫刻家・詩人、飯田善國の『ピカソ』から、次のことばが取り上げられています。

   十歳で どんな大人より上手に 描けた
   子供の ように描けるまで一生 かかった

ピカソの展覧会を観に行くと、彼の代表的な作品はキュビスムを初め、写実的な
絵画ではありませんが、その少年期の見たものをありのままに描いた絵は、余り
に完成度が高いので、しばしば驚かされます。

つまりピカソは早熟にして、年若くで人並以上の絵画の技術を習得して、それでは
飽き足りず、その絵画のスタイルを終生変革して行った、ということでしょう。

その次々に編み出す様式に、記念碑的な名作が生まれ、後世の絵画に多大な
影響を及ぼしたのですから、正に天才と言って過言ではありません。

しかし上記のことばにも記されているように、彼を絵画の革新へと突き動かした
ものは、アフリカの仮面彫刻やギリシャ神話など、プリミティブな力であったことは、
周知の事実です。

原始時代の洞窟壁画が示すように、もともと絵を描くという行為は、人間が原初
から持っていた自身の内面を表現したいという欲求であり、生きた痕跡を残す
ことへの希求なのでしょう。

そのような絵を描く行為が、時代が下るに連れて洗練され、色々な理由をまとわり
つかせて、ついには職業としての画家を生み出して行きますが、その近代における
一人の大成者であるピカソが、創作の原点としての欲求に忠実であったということ
は、図らずして芸術の本質を、私たちに示してくれているのではないでしょうか?

2019年8月13日火曜日

京都国立近代美術館「ドレス・コード?〔着る人たちのゲーム〕」を観て

京都国立近代美術館が京都服飾文化研究財団とコラボレーションして、美術という
視点からファッションを取り上げる、企画展の一つです。今展では、ドレス・コードと
いう切り口から、ファッションの歴史、現代のアクティブな状況までを、展観しています。

私自身、自分の服装には無頓着で、ドレス・コードといっても、たまにホテルでの食事
の時に気にするぐらいで、あまり実感が湧きませんでしたが、本展はドレス・コードを
服装における規範や帰属意識、自己主張といったもっと広い範疇で捉えて、そもそも
ファッションとは何か、ということを観る者に問いかけて来ます。

上記のように盛沢山の展観で、全てを伝えることは出来ませんが、私の印象に残った
ところを拾って行くと、まず最初は、西洋の歴史マンガのイラストの前に並べられた、
18世紀貴族が着用したと思われる男女の豪華な衣装の展示。この頃の王侯貴族は、
自らの地位を大衆にアピールするために、このような華美な衣装を身に付ける必要
があったと、解説されます。つまり、これらの衣装は、貴族であるためのドレス・コード
であった、ということです。

次は一転、学ラン、セーラー服等中高生の制服です。学生服は着用する人間の社会
的位置付けを明らかにすると同時に、それを着崩したり、好みの加工を施すことに
よって、個性を主張することにもつながります。ドレス・コードという画一性に、抵抗を
試みるともいえるのでしょう。

その他、トレンチコート、迷彩柄といった、本来軍服として開発された服装、デザイン
や、労働着として広まったジーンズなど、実用服がファッションに取り入れられる様子
も興味深かったですし、美術品の図柄を取り込んで、服飾に高級感を生み出そうと
する試みには、ファッションの包容力とバイタリティーを感じました。

もう一つ強く印象に残ったのは、#MeToo運動で映画界のセクハラを訴えた女優たち
が、その時には普段の見られる立場を拒否して、全員黒い衣装に身を包んで、自分
たちの意志を表明したという事実で、ファッションがまだ意見を主張するための武器に
なり得る、ということを知ったことです。

ファッションから社会が見えるということ、その多様さ、幅広さを改めて知らされた、
展覧会でした。

2019年8月11日日曜日

俵万智著「牧水の恋」を読んで

若山牧水の歌は、私も「白鳥は哀しからずや・・・」や「白玉の歯にしみとほる・・・」を
時々口ずさみますが、彼が旅と酒の歌人であるというイメージは持っていても、これ
らの名歌が恋愛の過程で生まれたことは知りませんでした。

また著者の俵万智は、歌集『サラダ記念日』で一世を風靡した歌人として、私も読ん
で好感を持ち、よく記憶していますが、それ以降の歌集、著作は読んだことがありま
せんでした。

その二人の取り合わせも興味深く、本書を手に取りました。

この本を読んでまず、若き日の牧水の小枝子との恋愛は、彼のロマン的性格も相
まって、苦渋に満ちたものであったと言わざるを得ません。また彼が後年酒に溺れ、
早世する切っ掛けを作ったのも事実です。

しかしまた、この恋愛の修羅から、絞り出すように生まれた数々の秀歌が、国民的
歌人若山牧水を作り上げたことも、厳然たる事実でしょう。

恋愛が成就するか否かは、たとえ一時は両当事者に熱烈な愛情があったとしても、
それぞれの置かれた環境や条件、タイミングなどにもよって、大きく左右されます。
牧水と小枝子の恋愛は、微妙なすれ違いを繰り返したとも見えますし、彼の若気の
至りであったとも、言えるのではないでしょうか。

また女流歌人への片思いを経て、彼がついに結婚した喜志子は、歌人としての夫
を良く支え、彼の没後は夫の歌の顕彰に勤めました。牧水は終生、小枝子の面影
を追い続けたといいますが、彼にとってこの結婚こそが、運命に適うそれであったよう
に思われます。

それにしても、小枝子との恋愛の渦中で紡ぎ出された幾多の歌は、本当に魅力的
です。恋愛を駆動力とする歌こそが、正に短歌の王道と思わせます。

しかし同時に、この恋の過程の時々に生まれた歌と、その時の彼の心の動きを併記
して、丹念に著者が解説する本書を読むと、歌は現実を契機としても、あくまで
文学的創造の産物であることにも、気づかされます。

その端的な例は、小枝子との恋愛の絶頂期に、千葉県根本海岸を訪れたことを読ん
だ彼の高揚した歌の中から、実は二人きりで行ったのではなく、同行した彼女の若い
従弟の影が完全に消されていることです。この事実には、驚かされました。

著者俵万智は、牧水への敬愛を込めて、丁寧にこの恋の一部始終と歌の関係性を
読み解きます。そのお陰で私は、まるで彼の生きた時代にタイムスリップして、彼の
実際に活動する姿を目の前にしているように感じられましたし、他方、著者の女性的
な感性での読み解き方が、牧水という人間の陰翳を際立たせるようにも、感じられ
ました。満足のいく読書でした。

2019年8月7日水曜日

是枝裕和監督映画「万引き家族」を観て

是枝監督の昨年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作「万引き家族」が、テレビ
地上波で初放映されるということで、早速録画して観ました。

本当の血のつながった家族ではない家族の、束の間の共同生活を描いたドラマです
が、家族、親子、兄弟の絆とは何か、深く問いかけて来る映画です。

私としては、家族をテーマにした数々の是枝作品の中でも、「誰も知らない」に一番
近いものを感じました。

それというのも、疑似家族間の関係を描く中で、それぞれの関係に味わい深く、印象
に残るところはありますが、祥太、ゆりという二人の幼い子供に関わる部分が、最も
強く訴えかけて来るものがあると、感じられたからです。やはり家族の幸不幸という
ものは、その家の子供の様子を見れば分かる、ということでしょうか。

この疑似家庭が崩壊した後、世間の常識的な目で見れば、この似非家族は悪意に
満ちた前科者の男と内縁の妻が、自分たちの都合で作り上げた家族で、老婆や
子供たちは犠牲者ですが、実際にこの映画を観て来た者にとっては、この家族は
肉親によって構成された本物の家族の中でも、幸福な家族です。

そしてそのことが端的に表れているのは、上記の子供たちが万引きという犯罪に
加担させられているにも関わらず、愛情を持って家族の大人に接してもらっている
からであり、一人の人間として尊重されているからです。

更には、途中で亡くなり、年金詐取のために家の床下に埋められることになる老婆
は、生前も血のつながらない他のメンバーを自宅に無償で住まわせ、なけなしの
年金も生活費の当てにされる気の毒な存在ですが、実は彼女もこの家族の中で
年長者として尊重され、結果として孤独死を免れたことになります。

この映画は、色々入り組んだ逆説的な設定で特異な家族を描き、一言でことの善悪
の結論を導き出すことはできませんが、その淡々とした描写、作中の人物たちが
時折見せる幸福そうな表情は、確実に、今の日本の家族にとって本当に必要なもの
は何かということを示してくれていると、感じました。

2019年8月5日月曜日

あべのハルカス美術館「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女」を観て

ようやく念願のモロー展に行って来ました。日曜日というのに比較的空いていて、
じっくりと作品に向き合うことが出来たので、観る者としては有難く感じました。

モローはフランスの象徴派を代表する画家で、本展は代表作の一つ、サロメの
物語にちなむ「出現」をメインに据えて、ファム・ファタル(宿命の女)をキーワード
に展示が構成されています。

まずモローは、最愛の母と生活を共にし続けて、生涯を独身で通したということ
です。ただ結婚はしなかったけれども、その死に至るまで心を許した恋人がいて、
母親とその恋人が、彼の実生活に色濃い影響を与えた女性であったということ
です。

本展の第1章ーモローが愛した女たちーでは、この2人の女性の素描等、肖像画
が出展されていますが、彼のファム・ファタルという主題は、この2人の存在抜きに
は生まれ得なかったと、感じさせられます。

さて代表作「出現」ですが、薄闇に包まれた異国風の荘厳な宮殿で、踊り終えて
洗礼者ヨハネの生首を所望した妖艶なサロメと、当の燦然と光り輝き、血を滴ら
せ中空に浮かぶ生首が、今正に対峙する光景が、劇的に描き出されています。

演劇のクライマックスシーンのような劇的な構成に、観る者はしばし圧倒されて、
この絵の細部の技巧を見落としがちですが、よく観ると宮殿の柱等構造物を
縁取る細い輪郭線が、アクセントと神秘的な効果を生み出し、更には合わせて
展示されているこの絵のための多くの習作、素描類からも明らかなように、
綿密な準備の上にこの名作が生み出されたことが、分かります。優れた絵は、
一見技巧を感じさせない、ということなのでしょう。

モローにとってのファム・ファタルは、女性の魅力の本質を体現する、永遠の
憧れの対象であったようにも、感じられます。しかしその女性のイメージを、ここ
まで妖艶で、洗練された普遍性を持つ美にまで昇華させたところに、彼のずば
抜けた才能があったのでしょう。

2019年8月2日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1532を読んで

2019年7月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1532では
19世紀デンマークの哲学者・キェルケゴールの『死に至る病』から、次のことばが
取り上げられています。

  世間ではいつもどうでもいいことが一番問題
  にされる

哲学者は、人は常に自分と他人との差異に執着し、世間からどんな賞讃を得るか、
社会でどう重きをなすか、どの地位につくか、というような、世間の「符牒」で自らを
意識する。それは他の人々に自分が「騙りとられる」ことであり、自分を失うことで
ある、と述べたといいます。

確かに、私たちは社会的存在であるだけに、どうしても周囲や他者を意識してしま
いがちです。

例えば、あることに関して、自分なりの問題意識を抱いていたり、価値観を持って
いるつもりでも、周りで語られることや、社会で喧伝されることに、知らず知らずの
うちに影響されて、後で気が付けば自らの意見や気持ちが、一般的な考え方に
近づくいている、ということがあると感じます。

また上述のように、自分がいかなる存在であるかということを認識しようとする時
に、世間からどう見えるかということを、ついつい評価基準に選んでしまうという
ことも、よくあることです。

ではどうすれば、この呪縛から逃れることが出来るのか?周りの評価など意識
しない孤高の存在になる。しかし私たち凡人にはとても難しいでしょう。まだ私に
可能性があるのは、目の前の問題に目標を定めて、周りを見回す余裕がない
ほどに、その解決に最善を尽くすことのように、思われます。でもでもつい、よそ見
をしてしまいますが。

2019年7月30日火曜日

何必館・京都現代美術館「中野弘彦展ー無常ー」を観て

祇園にある何必館・京都現代美術館で、日本画家、中野弘彦の展覧会を観て来
ました。

中野は京都市立美術工芸学校で日本画を学び、その後大学で哲学を専攻した
異色の経歴を持つ日本画家で、2004年に76歳で逝去していますが、本展では
回顧展という形で、藤原定家、鴨長明、松尾芭蕉、種田山頭火の文学に触発され
て、日本人の根本的な美意識である「無常」を主題に、思想の絵画化を試みた
作品を展観しています。

私が本展に興味を持ったのは、この展覧会の副題でもある、「これからの日本画
を考える」というフレーズに惹きつけられたからで、昨今は日展などを観ていても、
日本画の展示室と洋画の展示室が隣接している場合などに、ふとどちらの部屋が
日本画で、一体どちらが洋画であるか分からなくなることがあるぐらいに、両者の
区別が曖昧になり、単に画材の違いだけが二つを分けるような状態となって来て
いるように感じられて、それでは両者を分けるものは何かという疑問が、湧いて来
たからです。

勿論、日本画も洋画も、明治時代以降に生まれた絵画を区別する呼称で、日本人
が描く絵画という点では、どちらにも日本的な要素が含まれるのは間違いないの
ですが、元来日本画にはその根本に、伝統的な美意識を継承するという意味が
あったはずで、逆に洋画には、西洋から導入した美意識を日本的に消化すると
いう意味があったと思われます。

しかし今日、両者の区別が曖昧になって来ているということは、近代化の進行に
伴って、日本人の感性が巷に溢れる表層的で、無思想的な大衆消費文化の
価値観に浸されているからではないかと、私には感じられます。

さてそのような思いを抱いて中野の作品を観ると、その絵画は決して声高には訴え
掛けはしませんが、またその表現方法は、伝統的な日本画の技法を単に踏襲して
いる訳ではありませんが、じっと観ていると何か根源的な部分で、私を郷愁に誘う
ような懐かしさを感じました。

このような日本人が本来持つ美意識を再認識させ、我々は一体何ものかということ
を問い直して来るような思索的な日本画が、このような時代にこそ、多く生まれる
環境が整えられればいいと、本展を観て切に思いました。

そのようなことを色々考えながら、エレベーターで最後の展示スペースである5階に
到着すると、扉が開いた途端に目に飛び込んで来た、この美術館の名物の天井を
円形にくり抜いた明り取りから日の光が降り注ぐ、坪庭が余りに美しく、思わず写真
を撮りました。







2019年7月27日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1521を読んで

2019年7月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1521では
『中勘助詩集』(谷川俊太郎編)から、次のことばが取り上げられています。

   かわいい子よ おおかわいい子よ
   おでんのつゆに きものよごすな
   手のひらに 串のとげたてるな

名作「銀の匙」の作者は、詩においても、その慈愛に満ちた世界を彷彿とさせる
ことばを、紡ぎ出しています。

しかし現代においては、社会の中の人と人の絆が希薄になって、あるいは他者
との関わりを避けようとする個人主義的な考え方が蔓延して、一般の人々の間
の、社会全体で地域の子供を育てようという意識が、希薄になって来ているよう
に感じられます。

そのために公共の場で、幼い子供連れの母親の存在を不快に感じたり、更には
地域に保育園が出来ることに反対運動が行われるような事態が、生じているの
でしょう。そのような社会環境は、若い人々が子供を作らないという選択を、助長
しているようにも、感じられます。

その社会の生きやすさ、暮らしやすの基準は、一人一人の心のありようにおいて
は、精神的な余裕があるかどうかによって決まって来ると、思います。そしてその
精神的なゆとりは、子供を含む社会的に弱い立場にある人々への思いやりや、
対等の関係の存在の中でも、互を尊重し、譲り合う心などに、現れて来るのでは
ないでしょうか?

そのような心の余裕が、どんどん失われて行くような風潮を危惧しながら、私自身
としては、出来ることなら平常心を保ちたいと、念じています。

2019年7月25日木曜日

京都国立近代美術館「世紀末ウィーンのグラフィック」を観て

本展は、アパレルメーカー創業者が蒐集し、京都国立近代美術館が一括で所蔵する
ことになった、ウィーン分離派のグラフィック作品約300点を展観する展覧会です。

ウィーン分離派は、19世紀末ウィーンでグスタフ・クリムト、ヨーゼフ・ホフマンを中心
とする、既存の美術機構に飽き足りない幅広い美術家、芸術家が結集して、分離派
会館での展示会開催、機関紙「ヴェル・サクルム」の発行を両輪に活動した、芸術
運動のグループの呼称です。

分離派では、新しい時代にふさわしい芸術、デザインの模索が行われ、折しも印刷
技術や雑誌メディアの発達に伴って、多くの独創的で優れたグラフィック作品が創造
されました。その成果を一望出来るのが本展です。

さて会場に入ると、この展覧会にふさわしい斬新な会場レイアウトが、まず目を惹き
ます。会場を展覧会の各パートごとに独立的に区切るのではなく、各パートを観て
回りながら一巡出来るように仕切りを少なく、大まかに配置し、しかも各パートにくの
字形の衝立状の展示壁面を設けて展示方法に変化を付け、なおかつ多数の作品
を展示するスペースを確保しています。

また、冊子状のもの、書籍などの作品の表裏を一度に鑑賞することが出来るように、
その作品を半分開いたり、傾けたり、鏡を添えたりの見せる工夫が施されています。

会場で鑑賞者が自由に取ることが出来る、展示作品リストも通常のものより遥かに
大判の表裏印刷された1枚ものの紙で、鑑賞者自らが好きなように折りたたんで、
利用することが可能です。

このような随所に見られる見せる工夫によって、鑑賞者はウィーン分離派の運動の
持つ、革新性、浩瀚さ、熱気を体感することが出来ると、感じられました。

実際に作品を観て行くと、その作品は、絵画、蔵書票、絵葉書、招待状、ポスター、
書籍、日用品、装飾デザイン、建築まで、多岐に渡り、生活に根差した総合芸術の
様相を呈しています。

また、運動の実践者を養成するための工芸学校や、工房も設けられたことが示され
ます。これらの展示を観ていると、現代社会を生きる私たちがイメージする一般的な
芸術観念の根底が、この運動によって醸成されたことが、分かります。

その意味においてこのコレクションが、近代以降の芸術史上大変貴重なものである
ことが十分理解出来ました。

本展と同時開催されている、常設展示の企画も今回は大変充実して見応えがり、私
は今まで知らなかった没後30年であるという、村山槐多と交友のあった洋画家、
水木伸一の館蔵品で構成された小特集の絵の、何とも言えぬたおやかさに感銘を
受けました。このような企画も、美術館にとっては大変重要な活動であると、感じま
した。

2019年7月22日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1516を読んで

2019年7月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1516では
ファッションデザイナー・堀畑裕之の『言葉の服』から、次のことばが取り上げられて
います。

   「始末」とは、文字通り「始まり」と「終わ
  り」のことである。それは物の始まりと終わ
  りに、自分が生活の中で責任をもつことだ。

子供の頃には、よく親から「始末」という言い回しを使って、節約することを奨励された
ものです。

確かに今と比べて、食べ物にしても、衣料品にしても、日用品にしても、はるかにもの
が乏しく、何にしても慈しみながら、食べかつ使用していたと記憶します。

大切にすることから、節約の思想がうまれる。そして上記の「始末」ということばの解説
のように、ものを慈しむことが「始まり」と「終わり」に責任を持つことにつながるので
しょう。

そう考えるとかつては、私たち町暮らしの者でも、食事は素材を購入して、家庭で調理
するものでしたが、現在はスーパーなどで調理済みの食物を買って来て食べる割合
が増えていますし、衣類なども親のお古を更生して子供に着せることが行われていた
のに、今では使い捨てが当たり前です。日用品も、手入れをして長持ちさせる習慣が、
だんだん薄れて来ているように感じられます。

私などは、子供の頃に叩き込まれた習慣が抜けず、自分の持ち物は何でも出来るだけ
長く使わないと気が済まない方ですが、周囲を見ていると、かなり時代遅れの考え方の
ようにも、感じて来ました。

しかしここに至って、古いものを大切にするという習慣は、少しずつ息を吹き返して来て
いるようにも、思われます。例えばリサイクルという考え方は、その最たるものではない
でしょうか?

私たち和装業界のものとしては、その潮流が、伝統衣装である着物の再評価につなが
れば有難いのですが。

2019年7月19日金曜日

祇園祭前祭り宵々山に、杉本家住宅の「屏風飾り展」を訪れて

本年の祇園祭は、私が新しくFacebookの「アート倶楽部(美術館めぐり)」に参加した
こともあり、記事で紹介すべく、近くに住みながらまだ訪れていない重要文化財・
杉本家住宅の「祇園会 屏風飾り展」を観に行きまました。

祇園祭では、山鉾巡行に先立つ各山鉾町での山鉾の披露に合わせて、旧家が所蔵
する屏風や絵画など、美術工芸品を展示する「屏風祭り」が行われますが、杉本家
住宅でも「伯牙山」の山鉾町にあって祭りの中心的な役割を担うと共に、この時期に
合わせて所蔵の美術工芸品の公開が、実施されます。

さて、美しい細目格子の並ぶ、どっしりとした構えの京町家・杉本家住宅に入り、母屋
に上がると、畳敷きの薄暗い室内に、いかにも質の高い絨毯が敷かれて、床の間の
掛け軸、背の低い屏風が、行灯の仄かな光の中に浮かび上がります。まさに全体が
一幅のの絵のようで、美術館で観るのとはまた違う、日本の美術品の本来のあり方で
ある、調度品としての美術工芸品の美を、味わうことが出来ました。

続いて格調高い作りの座敷に移ると、こちらでは3点の屏風が私を迎えてくれて、特に
奥まった光の届きにくいところに設えられた、俵屋宗達「秋草図屏風」は、金地に色味
を抑えたように見えながら、繊細かつ縦横に伸びる秋草が優雅な姿で描き上げられ、
往時の華やかさがしのばれると共に、じっと観ていると吸い込まれそうな感覚に囚わ
れました。

座敷から眺められる庭も広くはありませんが、塀に囲まれ、緑の苔に彩られた、庭木
や蹲、飛び石の配置が見事で、心を落ち着かせてくれます。また夏ということで、
さりげなく置かれた氷柱や、縁側に掛けられた簾の下から覗く金魚鉢が、涼を感じさせ
てくれました。

正に古き良き京都を、堪能することが出来ました。

2019年7月17日水曜日

「龍池ゆかた祭り2019」に参加して

7月15日午後6時30分より、京都国際マンガミュージアム・グラウンドで、「龍池ゆかた
祭り」が開催されました。梅雨のさなかで前日は雨模様、天気が心配されましたが、
当日は曇りがちながら雨は降らず、夕方からは青空も見えて、祇園祭宵々山の祝日
ということもあって、結果昨年より参加者も多く、盛況な催しとなりました。

今回はまず、京都外国語大学南ゼミが制作して下さった、祇園祭の赤い提灯を烏丸
通り側の会場入り口に吊るし、祭り気分を盛り上げると共に、参加者の呼び込みに
活用することにしました。この提灯は宵闇が迫ると仄かに輝いて、結果お囃子の音
に惹きつけられた通りがかりの人々を、会場に誘う役割を十分に果たしてくれたと、
思います。

祭りのアトラクションは和太鼓の演奏と、メインプログラムの鷹山のお囃子で、それ
ぞれ2回づつプログラムが組まれましたが、鷹山囃子方は子供たちに人気の高い
お囃子の体験時間をたっぷりと設け、多くの子供たちが鉦の演奏に挑戦して、楽し
い時間を過ごしました。

このような催しは、祇園祭の地元の子供たちに、小さいうちから祭りやお囃子に親し
んでもらうという効果があると思われますが、他方鷹山の授与品の販売は低調で、
祭りの伝統を若い世代に伝えていくことは容易ではないと、感じました。

同様に門川京都市長が、開会にあたっての挨拶で述べられたように、「ゆかた祭り」
と名うちながら、子供の浴衣姿は多く見られましたが、大人の浴衣着用者は少なく、
着物産業の中心地の地域住民が、まず率先して和装を着用する意識を持つことの
大切さを、痛感しました。

昨年不評だった飲食物の販売コーナーは、今年から業者も代わって味、対応ともに
好評で、これなら安心して任せられると、安堵しました。

今回の盛況を、祇園祭を中心とした地域住民の連帯感の向上に、どのようにつなげ
て行くかが、これからの課題です。

2019年7月14日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1510を読んで

2019年7月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1510では
歌人・川野里子の歌集『歓待』から、次のことばが取り上げられています。

  わが母は襁褓とりかえられながら梟のやうに
  尊き目する

襁褓(むつき)は、おしめのことだそうです。私はこの歌で初めて知りました。

作者は老母を看取る過程で、担当の介護職の人々の献身的な世話を目の当たりに
して、感謝の念を持ってこの歌を詠んだそうです。

私もこの歌を読んで、亡き母の介護の日々を思い出しました。母は出来るだけ自宅
で過ごしたいと希望したので、何度も繰り返された入院の後は、リハビリを経て自宅
に帰れるようにしました。

勿論母にそれだけの体力、回復力があり、また最晩年でも自力でベットから起き上が
って排泄をしたり、自分で食事をとることが出来たので、私たちも自営業を営みながら
母の世話をすることが可能でした。その点では十分なことが出来たとは言えません
が、私もある程度母の希望に沿うことがかなって、安堵しています。

しかしその介護を通して、介護職の方々には本当にお世話になったと、感じました。
まだ外出出来た頃は、送り迎えから向こうでの世話もしていただいた、デイケア施設
のスタッフの人々、自宅でのリハビリや訪問整体の担当者の方、訪問入浴の職員の
人々。

それらの方々に介護を受けた後には、母は本当に満足したような様子をしていまし
た。それは静かに衰えゆく単調な日常に、しばしの安らぎを与えてくれる時間であった
ように、今は思います。看取っていただいた医師、看護師も含めて、人は死にゆく瞬間
まで、他者との関わりの中で生かされるものだと感じたことを、思い出しました。

2019年7月12日金曜日

角幡唯介著「極夜行」を読んで

探検家・角幡唯介のノンフィクション作品は、以前にも『空白の五マイル』を読んだこと
がありますが、交通手段、情報網、科学技術が著しく発達した現代の地球環境にあっ
て、わずかに残された秘境や人間の進入を拒む厳しい自然条件の地に、少ない装備
で、しかも単独で果敢に挑み、読む者を心躍らせるところがあります。

今回の探検は、極夜と呼ばれる太陽が昇らない冬の北極を犬一頭と旅する単独行と
いうことで、いやが上にも期待が膨らみました。

さて読み進めて行くと、眼前に広がるのは薄闇に覆われた一面白一色の世界です。
その中でも気象条件は激しく変転し、探検家を翻弄します。また、寒さと共に容易に
は手に入らない食料の確保も切実な問題で、一つ間違えれば凍死、餓死に直結しま
す。

正に死と背中合わせの危険な旅ですが、もし単に行動の記述だけなら、悲しいかな
読者にとっては、延々と続く氷上の道行きという単調な印象を拭えないかも知れませ
ん。そこで本書の最大の魅力であり、著者がこの旅の本質を読者に正確に伝える助
けとなっているのは、彼の行動と思索を並行して記述した部分です。

彼は極夜の中の月の光によって自分が進むべき方向や、行動の決断を誤らせられた
ことから、この時の月光を自らがかつて騙された飲み屋の女に例えます。その比喩
は、彼我の根本的な落差から一見荒唐無稽に思われますが、人工的なものに塗り固
められた現代社会に生きる人間が、むき出しの自然に直面して戸惑う様子を、実にう
まく表現しているのではないかと感じられます。

同様に常に行動を共にしながら、酷寒と食料不足の状況で、飼い主である探検家の
人糞をうまそうに食う犬ーその想い余って主人の肛門をなめようとする描写には、思わ
ず噴き出してしまいましたがーあるいはいよいよ食料が尽きそうになって、彼が餓死
した犬の死肉を食べて自分が生き延びることを想定する部分では、人間と犬の原初的
な出合いの姿が彷彿とされて、同時に冬の北極圏の自然環境の厳しさが、浮かび上が
って来ました。

更には、著者が極夜の終わりに太陽が初めて顔を出す様子を見ることを、今回の旅の
最終目的とした理由を自問して、新生児が正に生まれ出る瞬間に見る光に答えを見出
した記述には、地球における太陽の無限の恩恵を活写していると感じました。

本書は、常人が一生経験することのない冒険を扱いながら、全ての何かに挑戦しようと
する人に勇気を与えてくれる書であると、私は思います。

2019年7月10日水曜日

6月25日付け「天声人語」を読んで

2019年6月25日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、筆者が東京の弥生美術館
で開催された「ニッポン制服百年史」展を見て学んだ、女子学生の制服の変遷に
ついて記していて、興味を覚えました。

それによると、明治の初めは女子の通学服は着物が一般的でしたが、官立学校
はその上に袴着用を勧めたが不評、その後欧化を急いだ時代には一転してドレス
を推奨したが、浸透しなかったということです。

1919年夏、紺色のワンピースに白いエリという画期的な制服が、私立の女学校長
によって考案され、以降洋装が広がったといいます。昭和になるとセーラー服が
主流に、戦時中はもんぺ姿を強いられるも、戦後はブレザーも人気に、そして、
男女平等、性的少数者への配慮などを考慮して、近年では性別を超えて制服の
選択を認める自治体も出て来たということです。

記述を追って行くと、制服は時代とともに日本女性の服装が変化して行く様子を
端的に示す、象徴的存在であるように感じられます。

明治時代から女子の公教育が徐々に浸透して行き、学びの場に相応しいカッコ
よさ、先進性、機能性が求められて行ったのだと、推察されます。また上から強制
された袴やドレス、もんぺなどが、着用する女学生から必ずしも好感されず、本人
たちが気に入った服装が長続きしたということも、制服が風俗の象徴的存在で
あることを、示しているのでしょう。

翻って、私のような和装業に携わる者の立場から見ると、着物が洋装に比べて
機能性という部分では明らかに引け目を持つことは自明で、現代のような合理性
重視の世の中では、着用までのハードルが高いことは、この制服の変遷を見て
いても十分理解できます。

しかし服装というものが単に機能性だけではなく、その国の文化をもまとうもので
あるという観点に立つと、一般人の日常から和装が全く消えてしまうことは、大きな
損失であると、私は思います。

2019年7月8日月曜日

京都文化博物館「横山華山展」を観て

横山華山は江戸時代後期の京都の絵師で、幼少期より曽我蕭白の影響を受け
絵を学び、岸駒に入門、呉春に私淑するなど多彩な画法を身に付け、特定の流派
には属さず多様な画題の絵を描いて人気があり、夏目漱石、岡倉天心に高く評価
されるなど、明治、大正期までよく知られた存在であったようです。

また海外の蒐集家にも評価され、欧米の美術館に名品が多数所蔵されているそう
で、今展でもボストン美術館、大英博物館の収蔵品が数点出品されていました。

しかしそれ以降、我が国では忘れ去られた存在になり、私もこの展覧会の開催に
よって初めてその名を知りましたが、今日に至っているということでした。

さて実際に作品を観ると、画法や画題の多様さとそれぞれの完成度の高さに、
改めて驚かされました。また全体として形にとらわれない自由さ伸びやかさがあり、
その結果と思われる近代性も感じ取れました。

その中でも私の目を惹いた作品は、まず『唐子図屏風』、この屏風は金箔を敷き
詰めた華やかで豪華な下地の上に、鮮やかな色の衣装をまとった唐子たちが無心
に遊ぶ様子が描かれ、何とも言えない上品でたおやかな気分を現出しています。
大丸の初代オーナーが一時所蔵していたことも、うなずけます。

次に明治天皇の御遺物として泉涌寺に下賜された『桃錦雉・蕣花猫図』、一対の
掛け軸の右側には、左下方に枝垂れるピンクの花をつけた桃の枝の上方に、
鮮やかな色彩の錦雉鳥を配し、左側には左下方の二匹の猫にかぶさるように
右上方に伸びる、鮮やかな青い花を咲かせた朝顔の葉と蔓を配して、色彩と構図
の対比の妙を見事に作り出しています。洗練された美を紡ぎ出した名品です。

最後に本展の一つの呼び物でもある、上下巻合わせて約30メートルの大作、『祇園
祭礼図巻』は圧巻でした。この絵巻は、華山存命の時代の祇園祭の様子を、綿密な
取材に基づいて細部に至るまで描写し、当時の祭りの一部始終を生き生きと蘇ら
せています。また縦に長い形状で、本来横に長い絵巻物に描き込むには不向きな
山鉾という題材を、華山は山鉾の上下を大胆にトリミングすることによって、見事に
均整の取れた作品として描き出しています。このあたりにも、彼の近代的な感覚が
感じ取れます。

私たちが「町つくり委員会」で復活を応援する、鷹山のけんそう品の再現のためにも、
この絵巻物の鷹山の描写は大変役に立ったということで、綿密に描かれた絵画は、
時代によっては記録としても有用であることが、改めて認識されたということです。

2019年7月5日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1497を読んで

2019年6月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1497では
作家・片岡義男の短編小説「この珈琲は小説になるか」から、次のことばが取り上げ
られています。

  きっとね。俺たちは呑気なんだよ。人を呑気
  にはさせない世のなかに逆らって生きている

確かに、やれ効率化、利益第一主義、グローバル化、スピードアップと、世の中は
ますます私たちを急き立てます。そのような掛け声に振り回されていると、つい愚痴
の一つもこぼしたくなって来るでしょう。

片岡は若くエネルギッシュなアメリカ文化の紹介者として、ダンディーであり、タフで
なければならず、また同時に作家として、喧騒に満ちた世間を冷めた目で眺める、
傍観者であらねばならなかったのでしょう。

上記のことばは彼のそんな生き方を、含羞や照れを含みながら、端的に表している
と感じられます。

翻って私も、彼とは立場が違いますし、比較して論じるのはおこがましいと承知の上
で敢えて述べると、ますます加速度を増すこの国の生活習慣の変化から、取り残され
つつある産業に従事して、四苦八苦しているところが、世間から見ると、随分呑気に
見えるかもしれません。

こちらは傍観者などではなく、自分では呑気と決して考えていませんが、和装という
扱う商品の性格上からも、先端技術や情報化社会などとある意味一線を画し、旧態
依然の方法で商売をしているので、それこそ忘れ去られつつある業界かも知れま
せん。

しかし、この国の伝統文化を決して廃れさせたくないという想いは、しっかりと持って
いるので、逆境にひるむことなく、ある部分呑気で図太くありたいと考えています。

2019年7月3日水曜日

龍池町つくり委員会 62

7月2日に、第82回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回はまず、間近に迫った「たついけ浴衣まつり」の詳細について、報告及び確認
が行われました。

開催日時は、令和元年7月15日 午後6時30分~午後8時30分、場所は晴天の場合
京都国際マンガミュージアムグラウンド、雨天の場合同AVホールとなります。

既に告知ポスター、チラシは、学区内各町に配布済で、現在掲示、回覧されていると
思われます。

昨年まで何かと問題のあった、会場での飲食物の販売は、今年より食堂の運営業者
が前田コーヒーに代わり、焼きそば等を提供、更に関連業者による鉄板焼き、から
揚げの販売が行われ、学区の体育振興会による恒例のかき氷の配布も予定して
います。

催しとしては、本年より「唐櫃巡行」で祇園祭復帰の第一歩をしるすことになった、
鷹山囃子方の演奏と子供のためのお囃子の体験が行われ、本年は予定が重なって
残念ながら篠笛倶楽部の演奏は実施されませんが、その代わりに鷹山復活の道程
を示す、プロジェクションマッピングが予定されています。

例年ご協力いただく京都外国語大学南ゼミには、南先生による司会進行、学生さん
たちは浴衣での手伝い、また今年は、「京都和文化交流会」という文字の入った
提灯を制作していただき、会場入り口に飾ることになりました。

我々町つくり委員会のメンバーは、午後4時に集合して、学区の消防分団の協力を
得て、テント建て等の準備を行います。

さて今年はどのような「浴衣まつり」になるのか、楽しみです。

2019年7月1日月曜日

細見美術館「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」を観て

インドの独立系の小さな出版社で、独創的な美しい本を制作することで世界的に
注目されているタラブックスにについては、私は今までまったく知りませんでしたが、
紹介記事で見たその活動に興味を感じ、本展に足を運ぶことにしました。

会場に入ってすぐ目に飛び込んで来る絵本の原画は、色彩も美しく、伸びやかで
創造性に満ち、思わず引き込まれてしまいました。

これらの原画は、伝承や民話をもとに、インドの少数民族の世俗画家とタラブックス
の担当者とが検討を重ねることによって生み出されるということで、それらの原画を
使って、手すき和紙にシルクスクリーンの技法で摺り上げられた上質な絵本が、
制作されているということです。

つまり、そうして出来上がった絵本は、絵本としての品質が優れているだけでは
なく、少数民族の中の伝統的な手仕事に携わる人々に新たな仕事を提供し、その
出版物によってインドの民衆のアイデンティティーをも育むと共に、広く世界に
この国の文化を発信することにもつながる、ということです。

タラブックスの創業者の一人、ギータ・ウォルフ代表は、ドイツで文学を研究し、
帰国後この出版社を立ち上げたということで、グローバル化の中で、いかにして
インドという地域の文化的魅力を世界に伝えていくか、ということに腐心している
ように感じられました。

そのほかにもタラブックスでは、児童教育や社会問題をテーマとする良質な本が
出版され、それぞれのテーマに相応しい、斬新な書籍の形状や装幀が試みられて
いるようです。

また、この出版社の斬新で先駆的な出版方針を堅持すべく、少数精鋭のスタッフ
が、互いに話し合い、また生活のアフターケアまでも考慮した、民主的な運営が
行われたいるようです。

二十一世紀に相応しい、芸術的企業経営であると、感じました。

2019年6月28日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1494を読んで

2019年6月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1494では
漫画家・西原理恵子の『洗えば使える泥名言』の「解説」から、タレント・壇蜜の次の
ことばが取り上げられています。

  一見眉間にシワが寄ったりムッとするような
  言葉こそ、実は自分を助けるフレーズになる
  かもしれない

確かに、誉めことばや口当たりの良いことばは、その場では気分を良くしてくれる
けれど、後々には何も内容が残らなかった、ということもあるかもしれません。

まず誉めことばから考えると、よく人は褒めて育てるものだ、と言われます。なる
ほど、厳しすぎたり、いちいち欠点をあげつらうのはダメでしょう。相手が委縮して
しまいかねません。

でも自分の経験に照らすと、褒められてやる気が出たことよりも、叱られた反発心
から一念発起したことの方が多いと感じます。勿論その人の性格や、時代の影響も
あるに違いありませんが、少なくとも叱られたことの方が、後々まで心に残るのは
確かでしょう。

次に口当たりの良いことばについて考えると、こちらの問いかけに対して可でもなく
不可でもない、相手を傷つけないだけのほどの良い返答は、結局後には何も結果を
残しませんし、あるいは、単に心地よい雰囲気を作るだけのことばも、心に訴えかけ
て来るものがない場合がほとんどです。

ちょっとざらついた、聞く方に抵抗感を催させることばが、後にはじわじわその人の
心に働き掛けることがある、というのもよくあることだと思います。

このようなことばは、要はその人の受け取り方次第、かもしれません。