2015年8月31日月曜日

漱石「それから」における、平岡に謝罪しながら開き直る代助

2015年8月31日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第百五回)に、平岡に三千代との関係を明かし、友人としての裏切りを
侘びながら、それでも自分には譲歩出来ない立場が有ることを語る、
代助の次の言葉があります。

「「矛盾かも知れない。しかしそれは世間の掟と定めてある夫婦関係と、
自然の事実として成り上がった夫婦関係とが一致しなかったという矛盾
なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫たる君に
詫まる。しかし僕の行為その物に対しては矛盾も何も犯していないつもり
だ。」」

平岡にとっては、大変な屈辱でしょう。何故なら、お前は三千代の夫に
相応しくないと、宣言されたのですから。さて彼はどんな反応を示す
のやら・・・

他方代助は、三千代の法律上の夫に対して、随分押し強く出たものです。
愛情という面で、自分の方が夫に相応しいと高唱しているのですから。

世間知らずで純情な代助の一途さが、直に伝わって来るセリフです。
もし平岡から三千代を譲り受けたいのなら、もっと相手に対して下でに出る、
他のものの言い方が有るはずです。しかし彼の愛情とプライドがそれを
許さない。はたで聞いている者はハラハラさせられます。

代助が、三千代との関係を自然と言っていることも、心に引っかかりました。
何故なら、とかく世間という場では、往々に自然さというものが、すんなりと
はまり込まないように感じるからです。

代助はやはり、突飛な行動に出てしまったのでしょう。

2015年8月27日木曜日

漱石「それから」における、平岡宅へ使いに遣った門野の返事を聞く代助

2015年8月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第百二回)に、手紙を送ったにも拘わらずなかなか返事をよこさない平岡に、
とうとうしびれを切らした代助が、その催促に遣わした門野の報告を聞いて、
感じた心の内を記する、次の文章があります。

 「代助は少し安心した。
  「何だい。病気は」
  「つい聞き落しましたがな」
 二人の問答はそれで絶えた。門野は暗い廊下を引き返して、自分の部屋へ
這入った。静かに聞いていると、しばらくして、洋燈の蓋をホヤに打つける
音がした。門野は灯火を点けたと見えた。
 代助は夜の中になお凝としていた。凝としていながら、胸がわくわくした。
握っている肱掛に、手から膏が出た。」

代助はどうして、わくわくしたのでしょうか?この記述だけでは、推測し兼ね
ます。

あえて想像を巡らせると、前途の困難さが増して、武者震いしたのか?
あるいは、三千代が平岡との関係を清算しやすいように、病気を装っている
と考えたのか?もしそうであるなら、彼女が自分の勇敢な行動を後押しして
くれていると、代助は感じたのかもしれません。

あくまで私の手前勝手な憶測ですが、はたせるかな、この時点での情報が
乏しいだけに、クライマックスへと向けた緊張感は、益々高まります。

2015年8月24日月曜日

辻惟雄著「日本美術の歴史」を読んで

著名な美術史家である辻惟雄の、縄文時代からマンガ、アニメを含む広義の
現代美術に至るまでを概観する、言わば日本美術史の入門書です。

本書を私が読むにあたり特に期待したのは、日本美術全体を通しての固有の
特質を知ることであり、もち論少し重なり合う部分もありますが、かつて我が国
美術史の中で忘れ去られていた、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪といった
奇想の画家に再び日の光を浴びせさせた仕掛人の一人である著者が、
いかなる視点を持って日本美術史を指し示してくれるのか、ということでした。

さて縄文時代から本書を読み進めて行くと、最近の歴史研究でも次第に明らか
になり始めていることですが、従来からイメージされて来たように日本民族と
いう独自の民族が日本列島に太古より存在し続けているのではなく、往古の
それぞれの時代に文化的特色を持つ民族が大陸より流入し、この島で個々の
文化を発展させたことが分かります。

それが大別すると、縄文美術を擁する縄文文化であり、弥生美術を有する
弥生文化なのです。以降両者の文化的特色が混ざり合い、干渉し合うという
形で日本文化が形成されて来たように読み取れます。

以後、辺境地である日本の美術は、先進地である大陸から新たな美術が
もたらされる度にその影響を受け、それを我が国特有のものに彫琢するという
ことを繰り返して来ました。明治以降も、移入先が中国から西洋に入れ
替わっただけで、その基本的パターンは変わらないのです。

辻は日本美術の固有の特質を探るヒントとして、「かざり」「あそび」「アミニズム」
の三つのキーワードを上げます。

「かざり」は、対象を美しく見せる趣向として、江戸期以降町人文化の発達と共に、
より洗練され繊細さを増し、庶民の美意識の中にも確立されて行ったと思われ
ます。

「あそび」は、あどけなさ、純粋さへの日本人の憧れと、私には感じられます。

「アミニズム」は、神道、修験道に代表される自然への畏敬、親和感を示す
でしょう。

江戸時代後期、日本美術が一つの到達点を迎えた爛熟期において出現した、
伊藤若冲を始めとする奇想の画家たちの作品も、これら三つの傾向を極端な
形で表わすものに他ならないと、著者は説くのです。

本書は日本美術史の教科書の役割を担う概説書として企図されたものであり、
それだけに著者の嗜好を優先するよりも、全体を万遍なく取り上げようという
意識が感じられますが、現代美術の分野において、マンガ、アニメを大きく
取り扱っているところなど、既存の価値観に囚われない、辻の面目躍如たる
ところがあると、感じました。

2015年8月21日金曜日

漱石「それから」の中の、告白後再び、三千代の訪問を受ける代助

2015年8月21日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第九十九回)に、三千代に自分の思いを告白し、その帰結として父に強く
勧められていた結婚話を断ったために、将来への大きな不安を抱えることに
なった代助が、自分の呼んだ三千代の再度の訪問を受ける様子を描く、
次の記述があります。

「代助はすぐ団扇を出した。照り付けられた所為で三千代の頬が心持よく
輝やいた。何時もの疲れた色はどこにも見えなかった。眼の中にも若い沢が
宿っていた。代助は生生したこの美くしさに、自己の感覚を溺らして、
しばらくは何事も忘れてしまった。が、やがて、この美くしさを冥々の裡に打ち
崩しつつあるものは自分であると考え出したら悲しくなった。彼は今日もこの
美くしさの一部分を曇らすために三千代を呼んだに違いなかった。」

女性は、一旦信じ込めば強いものです。最早後戻りすることなど考えず、
一途に信じる道を追い求める傾向があるように、感じられます。

そして愛し、信じる女性はこの上なく美しいことでしょう。もしもその女性を
憎からず思っているなら、どんな男にとっても、その佇まいは限りなく愛しい
ことでしょう。

代助は、しばし三千代に見とれます。しかし彼には、父の意に背いたことに
よる、経済的な苦境が待ち受けています。ただでさえ、親の庇護のもとに
何の苦労もなく生きて来たお坊ちゃん育ちです。

甘美の瞬間と、迫りくる懊悩、彼の心の揺らぎが、前後の庭や空の情景描写
も含めて、心憎いほど巧みに表現されています。

2015年8月19日水曜日

漱石「それから」における、父に結婚話の断りを告げる代助

2015年8月19日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第九十七回)に、実家を訪れて父に結婚話への断りを述べるに際しての、
代助の並々ならぬ決意を記する、次の文章があります。

「けれども、今の彼は、不断の彼とは趣を異にしていた。再び半身を埒外に
挺でて、余人と握手するのは既に遅かった。彼は三千代に対する自己の
責任をそれほど深く重いものと信じていた。彼の信念は半ば頭の判断から
来た。半ば心の憧憬から来た。二つのものが大きな濤の如くに彼を支配
した。彼は平生の自分から生れ変ったように父の前に立った。」

今まで父に面と向かっては、はぐらかすのが精いっぱいで、はっきりと
自分の意志を述べることが出来なかった代助が、今日は父の意に背く
ことをきっぱりと言おうとしています。

上記の文章の直前には、これまでの代助なら、三千代との関係を曖昧に
して、父からの結婚話を承諾することも考えられたと記しています。しかし
今回の代助は違います。

彼には、目覚めた三千代への愛情がある。父に真っ向から背けば、今だ
経済的に依存する自分の立場が、どのような不都合に見舞われるのかは、
目に見えています。しかし彼は、決然とした態度を示す覚悟をしました。

それは頭で判断した、三千代への責任の取り方であり、心の中から
湧き起る、どうしようもない恋情のなせる技なのでしょう。

2015年8月17日月曜日

細見美術館「琳派四百年古今展 細見コレクションと京の現代美術作家」を観て

琳派四百年に因み、京都縁の3人の現代美術作家、名和晃平、山本太郎、
近藤高広が、美術館コレクションから自ら選んだ作品をモチーフとして
それぞれの作品を制作、コレクション作品の「古」と現代美術作品の「今」の
競演を楽しむ趣向の展覧会です。

まず細見美術館は岡崎の文化ゾーンに位置し、大阪の実業家細見家の
個人コレクションの保存、展示という目的から出発した、瀟洒な佇まいの
こじんまりした美術館で、私が実際に中に入るのは今回が初めてでした。

入館料を払うと小さなシール状のチケットが手渡され、洋服の胸の部分
など見えるところに貼り付けて入場するという手順が、堅苦しくなくて、
何とも微笑ましく感じられました。

展示室は地下に設けられ、それぞれが個別のスペースとして独立していて、
第1展示室を出ると下方に向かう階段を降りて第2展示室に入り、またそこを
出ると階段を下って第3展示室に至るというふうに、最下部にある吹き抜けの
地下のカフェの側面を下降しながら辿るように配置されています。何か
秘密のスペースに潜り込むような、あるいは色々な趣向の茶席を巡るような、
独特の趣があります。

さて展示作品について触れると、第1展示室、名和晃平の担当コーナーでは、
細見コレクション「金銅春日神鹿御正体」(重文)と、名和作品「PixCell・Bam
bi#14」との比較が味わいがありました。南北朝時代に制作され、古色を
まとったどっしりとした鹿の姿の銅製の神像と、全身に泡のような透明の
球体をまとわりつかせた生身に近い小鹿の像。時の流れや、時代、時代の
空気、人びとの感性の相違まで示してくれるようで、深い余韻が残りました。

第3展示室、近藤高広のコーナーでは、細見コレクションの織部、志野の
名物茶碗と、近藤作「銀滴碗」の並立が目を引きました。交互の比較が、
それぞれの茶器の名品としての存在感を際立たせ、今だかつてなかった
時代を超えた取り合わせの妙に、美術品を観ることの新たな幸福感を
味わいました。

2015年8月13日木曜日

漱石「それから」の中の、代助の三千代への告白

2015年8月10日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第九十一回)に、遂に代助が三千代に思いを告白する、次の記述が
あります。

「「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を
貴方に話したいためにわざわざ貴方を呼んだのです」
 
 「僕はそれを貴方に承知してもらいたいのです。承知して下さい」」

代助らしい随分と理屈っぽい告白です。通常ならば、自分の思いのたけを
ストレートに相手にぶつけるのでしょうが、彼は自分の感情を至極客観的に
相手に伝えて、彼女の方からの判断を求めている。もしその女性が、世間
一般の価値観の持ち主ならば、この告白に対した時、戸惑いを覚えたに
違いありません。

しかし流石に三千代は、代助という存在をよく理解した上で、彼に好意を
抱く女性です。代助の持って回った告白は、彼女の心を揺さぶったようです。

ところで、代助の告白を受けて、平岡に嫁ぐ前にどうして打ち明けてくれな
かったのかとなじる三千代に、代助がその代わり自分は貴方に復讐を
受けていると答える台詞は、彼の屈折した心情を表していて、随分興味
深く読みました。

というのは、自分が犯した罪のために自身が苦しめられる事を、返って
慰みにしているような、心の働きを感じたからです。それでは自己満足
に過ぎないと私は思うのですが、そういえば「こころ」にも、そういう心情が
描かれています。漱石の嗜好でしょうか?


2015年8月10日月曜日

パトリック・モディアノ著「暗いブティック通り」を読んで

2014年ノーベル文学賞受賞作家の代表作の一つです。ゴングール賞受賞作
でもあります。

最初は単なる記憶喪失の男の自分探しの話と思いましたが、主人公が微かな
手掛かりの断片から試行錯誤を続けながら、ミステリアスな霧に包まれた
自分の過去に分け入って行く展開が、次第に濃密な愛の物語、第二次世界大戦
中のナチス占領下、抑圧されたフランス社会の状況を眼前に浮かび上がらせる、
忌まわしい物語へと移行して行くに連れて、主人公個人の行状を離れて、
普遍的な戦争の時代の市井の人間を描く物語へと昇華して行く。その鮮やかな
手並みにすっかり魅了されました。

まず愛の物語という点から触れると、主人公がその存在を追い求める彼の恋人、
あるいは妻ドニーズは、彼の記憶が戻って来る物語の最終盤に至るまで、その
佇まい、容姿が明らかになりません。しかしそのような中にも、主人公と彼女の
愛情のかたちは濃密な気体となって間違いなく偏在し、実は主人公は物語の
冒頭より、記憶はなくともこの追憶の痕跡に突き動かされていたように感じます。

その思慕の感情描写に、私はパトリス・ルコント監督の映画「髪結いの亭主」の
主人公の憧憬と通じるものを感じました。そういえばルコントは、モディアノ
原作の「イヴォンヌの香り」という映画も撮っています。現代フランス文芸に
特徴的な、一つの愛の表現とも感じられます。

主人公とドニーズを破滅に導いた事件は、作中には一言も触れられませんが、
ナチスのフランス進攻によってもたらされたものでした。しかし事件の顛末も含め、
全ては霧の中。ドニーズの以降の消息も判明せず、主人公の本名でさえ明らかに
なりません。さらには、あの狂気の時代の行く末も、明確には記されていません。

だがカオスのような記憶の断片がうねり、渦巻きながら、やがておぼろげな
かたちとなって立ち現われて来るものがあります。それは公式の記録では語られる
ことのない、個々の人間の生活の記憶が織りなす、集合体としての時代の気分
であり、そのようなかたちで掬い上げられたものこそが、その時代の社会の真実を
的確に指し示しているに違いない。モディアノはこのようなゆるぎない信念を持って、
本書を上梓したと、感じました。

2015年8月7日金曜日

漱石「それから」における、三千代に告白した時の魂の浄化を夢想する代助

2015年8月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第八十八回)に、呼び出した三千代の到着を待つ間に、代助が思いを
告白した瞬間を想像して満ち足りた気分になる、次の記述があります。

 「彼はしばらくして、
 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中でいった。こういい得た時、
彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もっと早く帰る事が出来な
かったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は
雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を
見出した。その生命の裏にも表にも、欲得はなかった、利害はなかった、
自己を圧迫する道徳はなかった。雲のような自由と、水の如き自然とが
あった。そうして凡てが幸であった。だから凡てが美しかった。」

代助は自らの三千代への愛情を確信し、それを解き放った瞬間の幸福を
夢想します。それは彼の人生における、最も輝かしい空想の一つかも
しれません。

人は人生の中に、人間関係や経済的な制約、あるいは健康問題など、
様々な葛藤を抱え、とかくままならぬ思いをいだいて生きています。

もしその悩みを一気に解消することが出来たら、それは誰しも折々に
感じることです。しかしそれは、往々にして叶わぬこと。

でも代助は想像の力の助けによって、今その葛藤を振り払おうと
しています。その決断のための夢想は、飛び切り美しいものでなければ
ならないのは、言うまでもありません。

2015年8月5日水曜日

龍池町つくり委員会 19

8月4日に、第三十七回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

学区のラジオ体操最終日の8月1日に、会場にカルタのサンプルを持参して、
「京都上ル下ル廻ルカルタ」のデモンストレーションが予定通り行われ、
その報告が杉林さんよりありました。

いよいよ「カルタ」の企画も始まり、京都外国語大学の学生さんとの共同企画
「ぶらり龍池スタンプラリー」ともジョイントして、進められるということです。

昨年好評だった「スタンプラリー」も引き続き実施することが確定し、これから
新たな子供たちの訪問先を選んで行くことになりましたが、学区内の老舗、
京都独特の伝統産業に携わる方ということで、各委員の話を聞いていくと、
この地域には有名な、あるいは一般には知られていない魅力的な職種の
店が、随分あることが分かります。

例えば、江戸時代より続く茶道の世界では有名な和菓子店、風呂敷を
製造販売する店、京漆器に係わる店、扇子を製造販売する店、京唐紙を
扱う店など・・・

「スタンプラリー」を実施してくれる学生さんたちも、本日の話を参考にして
訪問先を選定されるそうですが、私のようなこの地域に住んでいる人間でも
知らないことがかなりあるので、このような企画によって、地域住民や
子供たちに、歴史を含めた地域のことをより深く知ってもらうことは、意義深い
ことであると、改めて感じました。

しかし伝統があるだけに、新たに入って来た人たちが地域になじみにくいのも
また事実で、歴史を踏まえながらも、旧来の住民も新住民に対して、より心を
開いて接するよう心がけることが大切であると、話を聞いていて同時に、感じ
ました。

2015年8月3日月曜日

漱石「それから」における、ついに兄嫁に思いのたけを語った代助

2015年8月3日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第八十六回)に、佐川の令嬢との縁談を断るために、自らの思いを兄嫁に
打ち明けた代助の、心の有り様を投影した次の情景描写があります。

「練兵場の横を通るとき、重い雲が西で切れて、梅雨には珍らしい夕陽が、
真赤になって広い原一面を照らしていた。それが向を行く車の輪に中って、
輪が回る度に鋼鉄の如く光った。車は遠い原の中に小さく見えた。原は
車の小さく見えるほど、広かった。日は血のように毒々しく照った。代助は
この光景を斜めに見ながら、風を切って電車に持って行かれた。」

代助は遂に、父に抗う自身の意志を、実家の人たちにぶつける決意を
固めたのです。それまでの彼は自らの気楽で、恵まれた境遇を守るために、
彼が早急にしかるべき結婚をすることを望む実父に対して、はぐらかす
ような曖昧な返答を繰り返して来ました。

しかし、自分が現実に愛する女性を見出した時、彼は一転保身のための
態度を振り払って、あえて不利な立場に身を置くことに決めたのです。

彼の退路を断った高揚した気分は、ちょうど前記の情景描写の中の
真っ赤な夕日を浴びた小さく見える車の輪として、表現されているのでは
ないでしょうか?

漱石の情景描写には、時としてハッとさせられるような詩的で、美しい
表現がひそんでいることが有ります。