2024年5月16日木曜日

2024年5月度「龍池町つくり委員会」開催

5月14日(火)に京都マンガミュージアム自治連合会会議室において、「町つくり委員会」が開催されました。 コロナ禍もあり、しばらく委員会は休止していましたが、この度副委員長に就任した私が議事進行を行うと いう形で、毎月第二火曜日に開催することになりました。それに伴ってまた、当日の委員会の内容をこの ブログに記録して行きたいと思います。 今回は、「新年度の活動方針及び計画試案」というテーマで、これからの活動の方向性について話し合いまし た。 まず「短期的視点に立った活動計画」と「長期的視点に立った活動計画」に分けて、短期的視点では、自治連 各委員会における後継者の発掘育成、各委員会活動の検証、マンガミュージアム・オープンハウス、マンガ ミュージアム仮装パレードへの当委員会からの参加について話し合いました。 これはコロナ禍の自治連活動の自粛期間もあって、各委員会を担う委員の高齢化、不足が明らかになり、この ままに放置すれば将来的に深刻な担い手不足になることが避けられず、現在の各委員会のメンバー全体で、新人 のスカウト活動をしてはどうかということで、具体的な方法は本日は決まりませんでしたが、当委員会の委員 全員でこの危機感を共有して、方策を考えていくことになりました。 また各委員会活動において、現在の問題点を改善していくこと、具体的には町つくり委員会では、当会が各委 員会のつなぎ役として機能するために、各委員会の意見をくまなく反映できるように、それぞれの委員会から メンバーを出してもらうこと、また、防災委員会においては、防災総会に今年1月の能登半島地震の救援活動に 参加した消防署員に体験談を語ってもらう場を設けて、総会を充実させること、体育振興会の人手不足を解消 するために、各町役員から応援派遣をしてもらうこと、などです。 マンガミュージアムについては、オープンハウスを実施することによって、学区民にミュージアムへの認知を 深めてもらい、またミュージアムが主催する仮装パレードに当学区からも参加することによって、積極的な 交流を図ろうということです。 長期的視点では、京都外国語大学南先生のご協力を仰いで、住民のコミュニケーションを深める企画を、これ から考えていくことになりました。

2024年5月10日金曜日

色川武大著「狂人日記」を読んで

色川武大の本を初めて読みました。私にはこの作家の別ペンネームである、阿佐田哲也での著作「麻雀放浪記」 などのイメージの方が、強くあります。 それで、大衆的作品を描く無頼派小説家の先入観を拭えないで読み始めましたが、直ぐにこの作品は、人間存在 の本質を捉えようとする、本格的な純文学小説であることに気づかされました。 署名からして、「狂人日記」とセンセーショナルですが、主人公は自分が狂人であると信じて精神病院に自主的 に入院した、50歳代の独身の男です。 無論彼には、異常と思われる自覚症状があり、また周囲から見れば、奇行や度を超した精神の昂ぶりが観察され ますが、読者である私には、辛い生い立ちや不幸な人生体験から鑑みて、彼が一般の人間より少し感受性が強く、 神経過敏であるだけで、もし我々も彼と同じ立場に置かれたら、このように尋常ならざる精神状態に陥ることも 十分にあり得ることだ、と感じました。つまり私は、彼の思考や一挙手一投足に感情移入して、本書を読み進めた のです。 そのような観点から、彼が同じ病院の入院患者である、若い女性圭子に導かれて退院、同棲を経て死を迎える経緯 を見ると、彼を苦しめているのは、自分が社会生活に順応出来ないことや、夫又は長男として、家族を扶養出来 ない劣等感、後ろめたさであることが分かります。 彼は退院後、圭子の労働と献身的な介護、そして実の弟の経済的援助によって、生活を維持することが出来ますが、 その状態は一見恵まれているように見えて、彼にとって、申し訳なさに身を切られるような酷薄なものでした。 ただ病院内とは違って、彼の圭子や弟に対する負い目が増していくに連れて、彼の内面の妄想は減退して行きます。 これは彼が、他者の想いに意識を集中する余りに、自分自身を狂わせる余裕を失っているように思われます。 結局彼は、圭子への愛と優しさ故に、自らの生を終わらせることになりますが、最後まで彼が、男らしさの桎梏の 価値観から抜け出せなかったことが、大変哀れに感じられました。 かく言う私も、もし自分がこのような立場に置かれたら、泰然と状況を受容する余裕があるとはとても思えません が、本書は、一般の社会生活から逸脱した狂人に託して、男らしさを求められる日本の男性の生き辛さ、またそれ に対する女性のたくましさ、更には、精神病者など社会的弱者の置かれた厳しい状況を訴えかける、深い問題意識 を含む書であると感じました。

2024年5月4日土曜日

沢木耕太郎著「深夜特急2 マレー半島、シンガポール」を読んで

文庫本では2ですが、単行本では「深夜特急」三部作の第一部後半部分に当たり、前半で“インドのデリー からイギリスのロンドンまで、乗り合いバスで行ってみたいと思い立ち・・・”と語っていたこの長い旅の 出発の理由が、後半の最後の部分でもっと掘り下げて述べられています。 それは沢木が大学卒業後、規則正しく出退社を繰り返す普通のサラリーマンの仕事に馴染めず、何となく フリーのライターになり、更にはライターの仕事の依頼が増えて自分の拘束される時間が多くなると、何の ためにこの仕事をしているのか分からなくなって、長期外国旅行という理由を付けて逃げ出したくなる。 つまり、現実逃避から脱却するための、これから自分は何を生業として、何のために生きるべきかを問う、 根源的な旅だったのでしょう。この旅行記の魅力の原点として、この著者の問いかけが通奏低音となって、 絶えず鳴り響いていたことを忘れてはならないと思います。 さて、深夜特急1の香港、マカオに対して、2でのマレー半島、シンガポールは、沢木にとって当初印象が 悪かったようです。これは香港、マカオが開放的でバイタリティーに溢れているのに対して、タイ、マレー シアが内向きで後進的、シンガポールもこの当時まだ現在の繁栄に至っていないという事情があったかも 知れません。しかし彼もシンガポールでの滞在を終える頃には、バンコク以降の町に香港の幻影を求め、 失望した自分の過ちを反省しています。若い彼はルポルタージュにおいて、先入観を持って取材をすること の弊害に気づいたようにも思われます。 とはいえ、本書の最大の魅力は、沢木が現地の言葉が話せないにも関わらず、その土地の安宿に潜り込み、 娼婦やそのヒモなど最底辺の人々と体当たりで交流するところにあり、その結果一般の旅行者ではなかなか 体験することの出来ない、彼の地の社会の生の姿や庶民気質を知ることが出来ることです。彼のその貴重な 体験が、時を隔てても、私のようななかなか日本から足を踏み出さない人間にとっては、新鮮であるのは 言うまでも無く、逆に年月の経過という観点からは、東南アジアの国々への日本の経済的立場の変化も感じ させられました。 本書で著者のアジアでの旅は終わり、深夜特急3ではいよいよインドに向かうといいます。本書の最後では 沢木もこの旅を通して、自身の内面に真剣に向き合う目を獲得したように思われます。この長い旅の記録は、 彼の成長物語でもあるのでしょう。