2024年5月4日土曜日
沢木耕太郎著「深夜特急2 マレー半島、シンガポール」を読んで
文庫本では2ですが、単行本では「深夜特急」三部作の第一部後半部分に当たり、前半で“インドのデリー
からイギリスのロンドンまで、乗り合いバスで行ってみたいと思い立ち・・・”と語っていたこの長い旅の
出発の理由が、後半の最後の部分でもっと掘り下げて述べられています。
それは沢木が大学卒業後、規則正しく出退社を繰り返す普通のサラリーマンの仕事に馴染めず、何となく
フリーのライターになり、更にはライターの仕事の依頼が増えて自分の拘束される時間が多くなると、何の
ためにこの仕事をしているのか分からなくなって、長期外国旅行という理由を付けて逃げ出したくなる。
つまり、現実逃避から脱却するための、これから自分は何を生業として、何のために生きるべきかを問う、
根源的な旅だったのでしょう。この旅行記の魅力の原点として、この著者の問いかけが通奏低音となって、
絶えず鳴り響いていたことを忘れてはならないと思います。
さて、深夜特急1の香港、マカオに対して、2でのマレー半島、シンガポールは、沢木にとって当初印象が
悪かったようです。これは香港、マカオが開放的でバイタリティーに溢れているのに対して、タイ、マレー
シアが内向きで後進的、シンガポールもこの当時まだ現在の繁栄に至っていないという事情があったかも
知れません。しかし彼もシンガポールでの滞在を終える頃には、バンコク以降の町に香港の幻影を求め、
失望した自分の過ちを反省しています。若い彼はルポルタージュにおいて、先入観を持って取材をすること
の弊害に気づいたようにも思われます。
とはいえ、本書の最大の魅力は、沢木が現地の言葉が話せないにも関わらず、その土地の安宿に潜り込み、
娼婦やそのヒモなど最底辺の人々と体当たりで交流するところにあり、その結果一般の旅行者ではなかなか
体験することの出来ない、彼の地の社会の生の姿や庶民気質を知ることが出来ることです。彼のその貴重な
体験が、時を隔てても、私のようななかなか日本から足を踏み出さない人間にとっては、新鮮であるのは
言うまでも無く、逆に年月の経過という観点からは、東南アジアの国々への日本の経済的立場の変化も感じ
させられました。
本書で著者のアジアでの旅は終わり、深夜特急3ではいよいよインドに向かうといいます。本書の最後では
沢木もこの旅を通して、自身の内面に真剣に向き合う目を獲得したように思われます。この長い旅の記録は、
彼の成長物語でもあるのでしょう。
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