2024年1月11日木曜日

柄谷行人著「トランスクリティーク カントとマルクス」を読んで

最近また注目を浴びる、評論家柄谷行人の主著で、カントとマルクスを通し「資本論」の意味を解明し、来る べき社会のあり方を構想する、スケールの大きな著作です。 正直私には、この本の語るところのどこまでが理解出来ているか、全く自信がありませんが、自分なりに受け 止めた部分について、述べてみたいと思います。 まず私が本書を読もうと志したのは、マルクス、エンゲルスの提唱を元に実現した、社会主義実験国家ソ連が 崩壊し、もう一つの陣営である資本主義は、一時普遍的な価値であるような繁栄を納めながらも、最近は貧富 の格差の増大など、様々な矛盾を露呈する中で、来るべき社会は資本主義の進化形か、はたまた社会主義に ヒントを求めるべきなのか、本書が思考の方向付けを与えてくれるかも知れないと、思ったからです。 さて実際に読んでみると、私は上述のように、どこまで理解出来たのか定かでありませんが、マルクスを語る ためにカントが持ち出されたのは、物事を批評する視点として定点2点の差違を比較するのではなく、対象と 移動を続ける比較物との視差に、目を向けるべきであるということを、カントの哲学を通して提示し、その 移動と視差による批評を、マルクスの「資本論」に応用して、彼の社会主義理論を解明するものであると、 解釈しました。 この解釈によると、社会主義の経済活動の肝は、生産活動にあるのではなく労働活動にあり、また企業の労働 者は、消費者となる時に企業経営者に対して優位な立場となり、従って、これからの来るべき社会は、労働 組合と消費組合が融合したような共同体が上位に立ち、個別の国家を解体して、主体となるべきである、と いうものです。 これだけでは漠然としているように思われますが、確かに最近のニュースを見ていると、女性や性的マイノリ ティーなど、社会的弱者の地位向上運動や、環境保護活動、あるいは被災地での有志のボランティア活動など に、自発的な共同体による社会活動の萌芽を、見る思いがします。 これらの活動が、本当に社会全体を動かすようなムーブメントに発展するのか、今はまだ雲をつかむような 思いですが、少なくとも、これらの活動の報道に触れる時、最近感じることの少なくなった、将来への希望を 感じさせられるように思います。

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