2017年12月30日土曜日

高野秀行著「謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>」を読んで

納豆というとあの粘り気といい、独特の臭いといい、日本独自の食品と思って来ま
した。だからアジアの諸国でも食べられていることが、まず衝撃でした。

しかし高野秀行は、十数年前ミャンマーの辺境の村で出会った納豆と思しきものを
切っ掛けとして、持ち前の好奇心と行動力で、各地の納豆を辿って行きます。
本書では、彼の飽くなき冒険心が歯切れ良い語り口も相まって、読者を納豆の
ルーツを探る壮大な旅へと誘います。

タイ、ミャンマー、ブータン、ネパール、そして中国南部と、各国の納豆事情を調べる
旅のルポを通してまず感じたのは、それらの地域でのこの食品の食べ方が、現在の
私たち日本人の食べ方とは随分違っていることです。

つまりこれらの地域の人々は概ね納豆を調味料として使用し、出来立てを食べる
こともありますが、発酵させた大豆に香辛料を加えてすりつぶし、薄くのばして乾燥
させるなど保存性に留意し、それを他の食材と混ぜて料理を作るなり、水分で戻して
納豆汁を作るという食べ方をします。従って彼の地の納豆にも特有の臭いはあります
が、粘り気はあまりないようです。

それに対して私たち日本人は、関東では納豆にたれと辛子を合わせ、関西では生卵
と醬油を合わせるというような地方による違いはあるにしても、概ねそのまま一品と
して食べるか、ご飯にのせて食べます。それ故臭いはともかく、粘り気のある方が
納豆として好まれます。

このように現在における納豆の食べ方は、アジア、日本で違いはありますが、著者ら
が日本の納豆の歴史を調べてみると、我が国の納豆の発祥地と思しき東北地方では
今なお納豆汁を食べる習慣が残り、当初は両地域の食べ方にあまり違いはなかった
ものの、日本での食べ方に変化が起こったようです。

こうしてアジアと日本の納豆が単一ではないにしても、同時発生的な起源を持つ
だろうことが次第に明らかになって来ましたが、そのような前提の下で次に気づかさ
れるのは、アジア、日本の納豆食の残る地域が、歴史的に見て中国を中心とする
東アジア文化圏の辺境地に位置するということです。

つまり東アジアで隆盛を誇る漢民族は、過去は不明ですが長きに渡り納豆を食べる
習慣がなく、彼らから押しやられた、あるいは影響力の及びにくい辺境、島嶼の人々
に納豆食が残ったと推察されるのです。

身近にある何気ない食品から、このような冒険譚を生み出し、食文化の奥の深さを
明らかにした著者の手練はたいしたもので、同時に私も、実際にアジアの辺境地を
旅したような遥かな気分を、味わうことが出来ました。

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