2017年12月20日水曜日

「後藤正文の朝からロック いつかこの落ち葉のように」を読んで

2017年12月6日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「いつかこの
落ち葉のように」と題して、筆者が歳を重ねるほどに紅葉の魅力に気づくようになった
ことにかけて、老いの効用について語っています。

確かに、春の桜の一斉の開花や花弁が風に舞う情景には、美しさとはかなさが微妙な
ニュアンスを伴って同居するような趣きがありますが、春の時期のこの樹木に私たちが
抱くイメージは、圧倒的に若さだと思います。

それに対して秋の紅葉の時期のこの木の装いは、同じく美しいとはいっても、ずっと
控えめで落ち着いていて、それでいて重厚な感じを受けます。

春が相対的に生命活動が活発になる夏へと向かう萌えいずる季節で、それに対して
秋は多くの生命が休息する冬へと向かうその兆しを示す季節ということも、秋に抱く
私たちのイメージが老いというものに結び付く切っ掛けとなっているのでしょう。

私自身は昔から、春の浮き立つような華やぎや生命感の横溢は、自分の性格から
して晴れがまし過ぎて、他方しみじみと落ち着いた気分に浸れる秋が性に合っている
と感じて来ました。

若い頃にはそんな自分の性分に、周囲から取り残されるような一抹の寂しさを感じる
こともありましたが、人生も終盤を迎えつつある最近では、秋が休息前の平穏や
下降線をイメージさせるだけでなく、次代につながるような繁栄や再生を準備する
ために気づきを与えてくれる季節と感じられて、益々秋に対する親和感が強まって
来ました。

本日の筆者のこの文章を読んで、そんな思いを再確認した次第です。

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