2017年12月14日木曜日

鷲田清一「折々のことば」953を読んで

2017年12月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」953では
探検家、ノンフィクション作家の角谷唯介の『探検家の憂鬱』から、次のことばが
取り上げられています。

 冒険の現場というのは概ね退屈で、冒険に行くだけでは面白い文章が書けない
 ことが多い

私は自分では生涯体験できないような、秘境、危険地帯に果敢に足を踏み入れる
冒険家のノンフィクション作品を読むのが好きで、角谷の『空白の五マイル チベット、
世界最大のツアンポー峡谷に挑む』も読んで、胸躍らされたものです。

その件の冒険家が上記のようなことばを語るなんて、正直意外でした。

でも考えてみれば、冒険の現場でも映画や小説のように次々と特別な出来事が
起こる訳ではなく、徒歩、登攀というような地道な肉体的苦行の末に、幸運に恵ま
れれば目的地にたどり着く、或いは踏破することが出来る、ということなのでしょう。

では冒険家が素晴らしいノンフィクション作品をものにするためには、読者を惹き
つけるに足る、どのような目新しい発想で、話題性のある冒険を敢行することが
出来るか、またその冒険で自身が実際に経験した事柄を、自らの豊富な体験に
裏打ちされた知識や、鋭敏な感性をもって、いかに読者の心を打つようように表現
することが出来るか、ということが大切なのでしょう。

さて上記のことばについて、鷲田清一がコメントしているように、私たちの日常も
特別な事件は滅多に起こらず、ただ淡々と経過して行くだけです。でもその日々の
営みの中に、小さな喜びや感動を見出すことが出来れば、どれ程人生が満ち足りる
か・・・。私がこのブログを続けているのも、そんな想いがあるからなのでしょう。

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