2015年7月5日日曜日

中沢新一著「日本文学の大地」を読んで

中沢新一の著作には、たとえどのような対象を扱うにしても、読者の期待を
裏切らない雄大な構想力とビジョンがあります。この本で彼は、日本の
古典文学に立ち向かっています。

中沢は本書の「まえがき」で、我が国の近代以前の文学生成の背景として、
自然と文化が密接に結びついていたことを挙げています。明治以降、
近代化の名の下での西洋文化の導入によって自然と文化は分離され、また
記述文においても口語が用いられることになって、私たちにとって古典文学は
次第に敷居の高いものとなって来ました。

しかし我が国固有の思想の源流は古典文学にあり、現代社会に生きる我々が
もう一度足下を見つめ直すことの必要性が増している今日、古典に親しむ
ことは意義深いことであるでしょう。その意味においても本書は、平易では
ないが私たちの興味を絶妙にそそってくれるものとして、格好の古典文学の
手引書となっていると感じさせます。

この本を読んで私が一番心惹かれたのは「万葉集」の章で、万葉集が編纂
された時代は、日本語の表記法が確立された時期で、従来から初々しい
文字を用いて、ありのままの心からほとばしる言葉を筆記した趣があると
感じて来ました。

本書の中で中沢は「ことだま」という言葉を例に取って、万葉集の歌の言葉は、
直截的に霊的な力を帯びていると記します。また歌としてのリズム(定式)を
用いることによって「ことだま」の霊力を流動化させ、人の世界を豊かにする
ことが歌を作る目的であったとも記します。この呪術的な力が、今を生きる
私たちにも伝わって、理由の説明はつかなくとも、万葉集の独特の魅力を
感受させるのかもしれません。さらに、日本の詩歌が本来持つ霊的な力が、
平安時代以降洗練化されて行くにしても、この文芸が宮廷文化の中心であり
続けた理由ではなかったかと、感じさせられました。

このように、一つ一つの言葉に霊力が宿っていた時代から一環して、我々
日本人の心象には自然と文化が深く結びつきながら存在して来たのです。私が
古典を読む時、理解力はおぼつかないながらも、何とはなしに親近感を
感じるのは、根底に流れるこの思想によるところが大きいのではないかと、
思われます。本書に記された中沢の指摘を踏まえて、また古典文学を読んで
みたくなりました。

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