2015年7月15日水曜日

三浦しおん著「舟を編む」を読んで

私たちにとって一見親近感もあるが、実は縁遠い存在の辞書編纂の現場を
追体験出来る小説です。また、一冊の辞書が完成するまでの長い時間の
間に、各々の辞書編集部員が職能的にも個人的にも、成長する姿を描く
教養小説でもあります。 2012年度の本屋大賞受賞作です。

私にとっても辞書は、日常生活に欠かせない存在です。しかし何か書物と
いう認識はなくて、自分の拙い頭脳の不足分を補ってくれる便利な道具と
いう位置づけです。

さて、小型、中型の辞書でお目当ての言葉を引くと、必要最低限の意味が
簡潔に記され、その辞書の容量に合わせて、用例も過不足なく記載されて
いる印象です。その一見無機的で素っ気ない部分が、逆に親近感を与えて
くれるとも言えるでしょう。従って私には辞書の編集作業というものは、失礼
ながらただ慣例に従って機械的に進められる、あまり知的労力を要しない
営為というイメージがありました。

しかし本書を読むと、用例採集カードを作って日夜生きものであることばの
動向をチェックし、その辞書が出版される時点での、容量が許す限りの
最適の膨大なことば、語意、用例を統一感のある計算し尽くされた文章、
レイアウトで記載し、誤植がないようにぎりぎりまで校正を繰り返す、
辞書編集部員の過酷ともいえる知的労働の作業の様子が見えて来ます。

また辞書を編むという行為が、国家機関によってではなく、私企業である
出版社の編集部員によって行われることが、言論の自由にとっていかに
大切なことかということも感じられて来るのです。つまり優れた辞書は、
辞書編集部員の熱意とプライドによって初めて、生まれることを知るのです。

もう一点、本書における辞書作りを通しての編集部員の成長という部分では、
営業部員としてくすぶっていた馬締が、辞書作りの適性を見出されて自信を
深め、辞書編集の意義に無自覚であった西岡が、他の部署への移動が
決定して辞書作りの素晴らしさに目覚め、ファッション誌編集部のきらびやかな
部署から、地味な辞書のそれへと移動させられた岸辺が、周りの情熱に感化
されて辞書作りの喜びに気づくというように、人は人生において、自身の
存在意義を見出すことによって輝くということを、分かりやすく示してくれます。

現代社会において、生きることへの困難に直面しがちな私たちに対して、
勇気を与えてくれる好著です。





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