2015年7月6日月曜日

漱石「それから」の中の、贈った指輪をはめていない三千代を見る代助

2015年7月6日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第六十七回)に、三千代が自分の窮状を示すために、代助に彼が平岡との
結婚に際して送った指輪さえ質草にしたことをにおわせるふうに、黙って
何もはめていない指を見せる、次の記述があります。

 「「貴方には、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に
持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に
広げて見せた。その指には代助の贈った指環も、他の指環も穿めて
いなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の
意味がよく分った。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。
 「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」といった。代助は憐れな心持がした。」

代助にとっては、切ない瞬間です。これまでの文脈から推察すると、彼が指輪を
贈ったこと自体に、特別な意味が込められているでしょう。指輪のような、相手が
肌身離さず着用する可能性のあるものを贈るということは、その相手に贈り主の
ことを忘れないでほしいという意味が潜められていると、思われるからです。

また三千代にとってもその指輪は、代助との交情を思い起こし、彼との記憶を
つなぎとめる大切な品に違いありません。いや私には、少し意地の悪い見方
ですが、彼女が自分の窮状を打開するために、例の指輪のことをわざと彼に
ちらつかせて、相手の気を引こうとしているようにも感じられます。

いずれにせよ、代助は三千代の置かれた状態を憐れに感じ、物語は新たな
局面へと向かって行くのでしょう。

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