2015年5月15日金曜日

漱石「それから」に見る、当時の社会状況

2015年5月13日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第三十回)に、失業している平岡が東京で見つけた借家の様子について、
代助が印象を語る次の記述があります。

「平岡の家は、この十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に
切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表した、尤も粗悪な見苦しき
構えであった。とくに代助にはそう見えた。
 門と玄関の間が一間位しかない。勝手口もその通りである。そうして裏にも、
横にも同じような窮屈な家が建てられていた。」
「今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点して
いる、のみならず、梅雨に入った蚤の如く、日ごとに、格外の増加律を以て
殖えつつある。代助はかつて、これを敗亡の発展と名づけた。そうして、
これを目下の日本を代表する最好の象徴とした。」

代助の感想は、漱石の思いでもあるでしょう。1900年代初頭の日本は、
日清、日露と続いた戦争の結果対外債務が膨張し、深刻な不況に陥って
いたそうです。また急激な工業化のひずみも生じて来ていたようです。
貧富の格差は広がり、中間所得層も次第に苦境に立つ人が増えていったと
いいます。

翻って私たちの暮らす今日の我が国を見てみると、長引く不況の中、中間
所得層の没落と貧富の格差の増大が言われて久しい状態です。時代は
違い経済条件も違えど、私たちは不況に直面し、平岡と同じような苦境に
直面する人も多く存在する。

人間の社会とはそういうものだ、とも言えるでしょうし、漱石が「それから」を
通して私たちに訴えかけて来るものは、100年を隔ててなお色あせない
とも言えるのではないでしょうか?

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