2015年5月2日土曜日

漱石「それから」における、代助の色彩感覚と青木繁

2015年4月30日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第二十二回)に、代助の色彩の好みを記する次の文章があります。

「代助は何故ダヌンチオのような刺激を受けやすい人に、奮興色とも
見做し得べきほど強烈な赤の必要があるだろうと不思議に感じた。
大助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来得るならば、
自分の頭だけでもいいから、緑のなかに漂わして安らかに眠りたい位で
ある。いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている脊の高い
女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持ちに出来て
いると思った。つまり、自分もああいう沈んだ落ち付いた情調におりたかった
からである。」

漱石が、作品発表当時の芳しくない世評に反して、青木繁の絵画の
理解者であったことは、青木の回顧展の解説で目にしたことがあります。
早熟の天才画家青木繁は、その短い絶頂期には、それまでの日本の
西洋画とは一線を画する独自の光輝を放つ作品を生み出したと、
その展覧会を観て改めて感じさせられました。

しかし上述のように、早く生まれ過ぎた天才は世間の理解を得られず、
その不遇が彼を死へと駆り立てることにもなります。彼の絵画が、今日の
評価を確定させるのは、死後時を経てからのことでした。

漱石は独自の慧眼で、発表当初の青木の作品に、まったく新しい日本的な
西洋画を見出したのではないでしょうか?そして、自身西洋的な価値観と
日本的なそれとの間で苦悩していた彼は、青木の絵画に共通の問題意識を
感じて、共感を覚えたのではないかと、私は想像します。

また、イタリア人で激情家のダヌンツィオが赤と青を好むのに対して、代助が
自分は緑を好むと告白する作中の場面は、彼の日本人的な情緒を表している
とも感じました。

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