私は本書を、東日本大震災を題材とした文学という位置付けで、手に取りました。
しかし読み始めるとあに図らんや、老母と実家で二人暮らしの認知症を患う心臓病
の老父を、一度家から飛び出した過去がありながら介護する羽目になった、末息子
夫婦の物語ということになります。
つまり最初は、震災の生々しい描写や悲惨さを受け止める覚悟でこの本に臨んだ
にも拘わらず、ふたを開けてみると、家族の絆や認知症をじっくりと扱う小説で、少し
戸惑ったというのが偽らざる心情でした。
しかし次第に、両親、特に世間体に異常に囚われる人一倍勝気な母との間に、幼少
の頃より葛藤のあった、佐伯の分身とも思われる、多感で傷つきやすい作家の
末息子が、もう還れぬと決めた実家に、父親の介護のために引き寄せられて行く
過程に、私は知らず知らずのうちに引き込まれていきました。
まず、現役時代は公務員として相応の地位に昇った父が、老いて心臓病の悪化に
伴って発症した認知症の、症状の進行の描写が的確で、長年連れ添って来た母が、
介護のために疲弊して行く様子も克明に描かれ、説得力があります。
認知症の人は、私の経験からも子供に帰るというか、その人の理性や分別がはぎ
取られたあられもない欲望があらわになり、介護する人間を振り回すことになります。
本来、感情的なわだかまりのある末息子に頼りたくない母親も、背に腹は代えら
れず、息子夫婦を呼び寄せることになります。
他方息子は、実家には彼が家を飛び出すまでのいやしがたい心の傷の痕跡が残り、
彼自身もかつて三人の子供を設けながら最初の妻と離婚したことによる、両親への
後ろめたさもあって、精神的に実家と距離を置いていましたが、父の介護の必要
から、頻繁に通うことになります。
この両親と末息子夫婦の信頼関係の復活に、介護が果たした役割は大変大きいと
感じました。介護がこれほど肯定的に描かれた小説を、私は今まで読んだことが
ないような気がします。
そして最後に、現実には父親の死から二年後に、大震災が発生します。父の病状を
後追いする形でこの小説を執筆していた佐伯は、その時点で作中に流れる時間を
中断し、あえて震災の直接の描写を控えて、回想という形式で物語を進めます。
震災前、震災後を際立たせる、その空白の重さ!本書が人々の日常生活の中に
刻印された、大震災の影響を見事に描き出している小説である所以は、正にそこに
あります。
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