2019年2月27日水曜日

2月15日付け「天声人語」を読んで

2019年2月15日付け朝日新聞朝刊「天声人語」では、日本の各地で見られる道具供養
の習慣から語り起こし、つい先日、米国の火星探査機オポチュニティーが約15年にも
及ぶ火星表面の観測を終えたことに因んで、人間がいつか友人のようにロボットの死を
悼む日が来るのかと、コラムを結んでいます。

まず、各種の使い古した身近な道具を供養する、道具供養の習慣は、日本らしいもの
だと感じます。私たち和装業界に携わる者としては、裁縫に使う縫い針を供養する
針供養に親近感を抱きますし、昔から日本人は、使い古した道具には魂が宿るという
感覚を持って来たのだと思います。

私も生地を切るハサミには特に愛着があって、随分古いものを幾度も刃物屋に研ぎに
出して、長く使っています。手に馴染んだハサミは、あたかも体の一部のように感じられ
て、私の仕事にはなくてはならない心強い相棒です。

他方、人間のために良く働いてくれたロボット(機械)の死を悼むことが出来るのかと
いう命題は、正に現代的な感覚に関わって来る問題ですが、私は今はいかなるロボット
とも個人的に接触を持っていないので実感はないものの、近い将来ロボットの作業
(行為)する姿に我々が何らかの感情を掻き立てられるようになれば、私たちに彼らの
死を悼む感情が芽生えて来るのではないかと、感じます。

私がそのように思う根拠としては、例えば宮崎駿監督の映画「天空の城ラピュタ」で、
ラピュタを防衛するために敵を迎撃する戦闘ロボットが配置されている一方、この城の
表面を彩る美しい緑の草木や小鳥たちを世話する役割のロボットもいて、彼らがその
使命を果たす姿に、私は思わず感情を動かされたからです。

この世話係のロボットはおそらく、単にそういう作業(行為)をするようにプログラミング
されているに過ぎず、その行動は彼の自発性によるものではないはずですが、私は
彼のあくまでも命令に忠実な行為から、健気さや優しさをくみ取ったに違いありません。

もしも現実のロボットからも、我々がこのような感情を呼び起こされるようになったなら、
私たちはきっと、彼らの死を悼むようになると、思います。

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