2019年2月25日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1376を読んで

2019年2月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1376では
『100万回生きたねこ』の絵本作家・佐野洋子の友人の、次のことばが取り上げられて
います。

  私だって、そうしたいわよ。だけどね。あの
  人といないと、生きているばかばかしいはず
  みってものがなくなっちゃって寂しいのよ。

佐野のこの友人は絵描きの卵で、同じ志の友人とミラノでルームシェアをしていて、
しまりがなくいいかげんなその子のボーイハントの後始末ばかりさせられているのに、
なぜ別々に住まないのと聞かれたら、上のように答えたそうです。

何か絶妙で、いい関係ですね。迷惑をかける方も、かけられる方も、納得ずくなら問題
はないのでしょう。かける方は相棒の存在のお陰で思い切り羽を伸ばせるし、他方
かけられる方は相手の後始末をすることが、生きるための心の張りになっている。

少し突き放した見方をすると、迷惑をかけられる方が一方的に被害を被っているようで
すが、人間関係とは時に複雑怪奇なもので、お互いの存在が互いの生き方を補完し
合っているなら、言うことはないのでしょう。

また、上記のことばの背景説明の末尾、この友人関係の持ち方を「自分にないものを
抱えることで自分を閉じないでおく素敵な生き方」とコメントする、鷲田の一言もふるって
います。

似たもの同士と交わるだけではなく、違う性格、価値観を持つ人と、相手の良いところ
を認めた上で、あるいは尊重した上で関係を結ぶことは、交友に更なる広がりを生み
出すことにつながるでしょう。あるいは、社交性や忍耐力を養うことになるかも知れま
せん。

私も人と交わるに際して、そのような柔軟性を持つことが出来ればと、思います。

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