2017年11月30日木曜日

「本谷有希子の間違う日々 何事もない光景の異様」を読んで

2017年11月27日付け朝日新聞朝刊、「本谷有希子の間違う日々」では「何事もない
光景の異様」と題して、筆者が乗った電車の車両で確かに異臭が感じられるのに、
乗り合わせた他の客は周りを気にして、誰も何食わぬ顔をしている光景の異様さ
について、記しています。

この光景を想像する時、直ぐに地下鉄に有毒ガスが撒かれた事件が思い浮かんで、
慄然とさせられます。もしその異臭が毒性のあるものであれば、その後悲惨な事態が
現出することになってしまいます。

やはり私たちが、匿名性の高い現代社会の中で、自分の身を守るためには、周囲の
状況に対する自身の感覚に敏感にならなければならない、のでしょう。

同時に車両内のこの光景は、極めて日本的とも感じられます。私たちはともすれば、
例えば自分の乗っているその車両の内部を、乗り合わせた他の客も含めて一つの
私的共有空間と把握し、空間内のお互いが相手の思いを忖度し、牽制し合って、
うかつに一人だけ行動を起こせない、あるいは自分だけ目立ちたくないという考えに、
囚われがちなのではないでしょうか?

これは村社会的な環境の中で長く生活して来た、私たちの陥りがちな心情の弊害と
思われます。

しかし一方現代の私たちの社会が、個人主義的で他者に対して無関心、自分本位な
考え方に流されやすい風潮にあるのですから、そろそろ昔ながらの心情に囚われる
のは、最早時代にそぐわないのでは、とも感じられます。

その齟齬に筆者は、ぞーっとするものを感じたのではないでしょうか?

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