2017年11月26日日曜日

何必館・京都現代美術館「近藤高広展ー手の思想ー」を観て

器に限らず現代美術作品も制作し、幅広く活動する陶芸家の展覧会です。

近藤の作品は、現代美術の展覧会で数点を観たことがあって、興味を覚えました。
祖父は染付の人間国宝近藤悠三で、実は私が店に入ってすぐの頃、白生地を
注文頂いて、お宅を訪れたことがあります。

もう30年以上前のことですが、お宅は門から奥まったところにあって、入り口まで
一羽のアヒルが迎えに出て、通路をお尻を振りながら先導して案内してくれたことが、
今でも鮮明に思い出されます。そのお孫さんの作品に惹かれることも、何かの縁かと
感じました。

さて展覧会場に入ると、「Reduction」という坐像の陶芸作品のシリーズが出迎えて
くれます。おそらく同一の形に、素材を変えるなどして造形された人型の座像が、
釉薬や焼成方法も変えて制作されていますが、それぞれの作品の表情がまったく
違っていて、驚かされました。陶芸では同じフォルムでも、制作方法を変えることに
よって、これほど作品が醸す雰囲気が一変するものなのかと、改めて感じさせられ
ました。

私は個人的には、その中でも釉薬を用いず素焼きされた、白の地肌に焦げ色が
表情を作る坐像が、人間の普遍的な業を一身に体現しているようで、印象に残り
ました。

今回の展覧会のメインの白磁大壺は、私には技術上のことが分からないので、
その個々の地肌の微妙な表情と、形の微かな歪みが醸す存在感ぐらいしか感じ
取れませんでしたが、焼成で自然に裂け目が出来た大壺をそのまま作品とした
「創」という作品に、強い感銘を受けました。

その作品は、もはや壺としての役割は果たさないけれど、この裂け目が創り出す
造形の美しさ!それは現代美術作品として、傷のない壺より完成されている
ように思われました。発想の転換の妙。現代美術も手掛ける近藤の面目躍如と、
感じました。

オブジェ、茶碗では、私が最初に興味を持った銀滴彩を用いた作品が、やはり
魅力的でした。

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