2017年11月15日水曜日

鷲田清一「折々のことば」928を読んで

2017年11月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」928では
自ら設計した郊外のニュータウン近くで、自然に寄り添う暮らしを続けた建築家
津端修一と妻との共著『ききがたり ときをためる暮らし』から、次のことばが
取り上げられています。

 僕はね、何でもまず百回を目標にしています。ときをためる暮らしの目標
 ですね。

津端夫妻の丁寧な生活を描いた映画『人生フルーツ』は、残念ながらまだ観て
いないけれど、百回繰り返すという言葉は、心に響きました。

私たちは往々に、日常の繰り返しを新鮮味のないものや停滞と考えて軽視し
がちですが、その部分にこそ人生の滋味があるのではないか?最近はそんな
ことも感じます。

なるほど人生の中のトピックや特別な出来事は、後から振り返った時強く印象に
残りますし、その人の人生の岐路にもなることがありますが、そのような非日常の
ことが特殊な機能を発揮するのは、淡々と過ぎて行く日常があればこそと、思う
ことがあるのです。

考えてみれば、私たちの生活の大部分が日常の繰り返し、私ならば朝起きて、
仕事をして、夜眠りに就く。更に仕事の内訳を見ても、お客さまと応対して、注文
をお受けし、ご要望にお応えすべく商品を準備してお納めする。しかしその日常
の繰り返しが、実感をともなって私という人間を少しづつ成長させ、私たちの店の
信用を生み出して行くのではないか?

上記のことばを読んで、日々の何気ない暮らしの大切さについて、改めて考え
ました。

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