2017年11月10日金曜日

ダニエル・トンプソン監督映画「セザンヌと過ごした時間」を観て

私はこの映画を観るまで、セザンヌとゾラが竹馬の友であることを知りませんでした。

幼少の頃には裕福な家庭で育ったセザンヌが、異国から移り住んだ貧しい家庭の子
ゾラを助けることになりますが、成長し二人が画家、小説家という芸術の違うジャンル
を志すようになるにつれて、両者の立場は逆転します。

ゾラは苦労しながらも早くに頭角を現し、対するセザンヌは本人の非社交的で、妥協を
許さぬ性格も災いして、なかなか世に認められません。ゾラはセザンヌの才能を信じ、
経済的にも援助を惜しみませんが、そのことがセザンヌをより一層卑屈にさせ、ゾラが
画家を取り上げたある小説を執筆したことが契機となって、二人は決定的に決裂する
ことになります。

才能があっても、芸術家はいつ世に認められるかは分かりませんし、それどころか、
生前には全く評価されないかも知れません。二人の友情は、当初はこのそれぞれに
過酷な職業を生業に選んだお互いの人生を励まし、癒しをもたらすものでしたが、
二人が社会的に成功する時期がずれるという運命のいたずらが、二人の絆を修復
不可能なものにしてしまうのです。

ただしこの映画は、結果としての二人の関係の悲劇を描きながら、彼らの芸術は、
この友情が有ればこそ熟成して行ったに違いないことを雄弁に語り、その意味で
後世二人の芸術に触れて、それぞれの素晴らしい成果を十分に味わうことの出来る
私たちは、彼らの苦渋に満ちた友情に感謝しなければならないということを、示して
いるのではないかと、私は感じました。

この映画のストーリーの中で、もう一点私の気に掛かったことは、かつてはセザンヌの
恋人でありモデルでもあった女性を、ゾラがセザンヌの許しを得て妻に迎えたという
箇所で、セザンヌは生涯ゾラの妻を愛し続け、結果として結婚しなかったのではないか、
と想像させるところです。この入り組んだ事情は、二人の関係をより陰影の濃いものに
したのではないでしょうか?

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