2016年7月1日金曜日

白井聡著「永続敗戦論」を読んで

我が国戦後政治体制の実相を抉り出す、気鋭の社会思想、政治学者の論稿
です。

第二次世界大戦の敗戦後、占領期の延長としての日米安全保障条約に基づく
米軍の国内駐留が今なお続く状態を、軍事面の敗北の継続と捉え、その反動
として内心では敗戦を受け入れず、周辺のアジア諸国に対する戦争責任を
面従腹背の姿勢で曖昧に処理しようとしているように感じさせる、日本の政治、
外交政策を形作る深層心理を明らかにします。

白井の論理は実は殊更目新しいものではなく、すでに加藤典洋らによって、
我が国を巡る戦後処理が当時のソ連の影響力の拡大を懸念する米国主導で、
軍部のみに責任を限定する不完全な形で遂行され、その結果国民全体に
敗戦の自覚が乏しいまま、戦前と地続きの天皇制が維持され、非戦を誓う
平和憲法を有しながら米国の軍事力に庇護される”ねじれ”た戦後体制が形成
された、と論じられて来ました。

しかしこの矛盾は、多くの国民が経済的繁栄を謳歌した高度成長期には顕在化
せず、今日まで一般にはあまり注視されることもなかったとも言えます。

ところがバブルの崩壊を経て、長期の経済低迷が続き、最早我々が更なる
豊かさの増大を実感出来なくなり、かつ、貧困が大きな社会問題となり始めた
今日、他方中国、韓国の国力の向上に伴って、我が国との間の歴史、領土を
巡る見解の相違が新たな外交問題として表面化し、沖縄では米軍基地の
県内移転の決定が県民の厳しい抵抗を受け、更に先般の東日本大震災では
安全と信じられていた原発が未曾有の被害をもたらした中で、国や社会の
指導的立場にある人々の責任感の欠如が顕在化し、そのそもそもの根幹を
なす戦後政治体制の矛盾が明らかになって来ました。著者はその現実を我々に
容赦なく突きつけたと言えるでしょう。

私自身は彼の論を読んで、国民の平和憲法受容の経緯や、経済発展に向けた
努力、これまでの豊かな経済力を用いての平和で友好的な外交姿勢を、そこまで
一方的に断罪すべきではないと考えますが、国際情勢や社会環境の急激な変化
に伴って、為政者が内政、外交の両面において国民本位の責任ある主体的な
立場で、政策決定や運営を行うべき要請は今まで以上に高まって来ていると、
ひしひしと感じます。

そのような政治体制を生み出すための指針は、本書には記されていませんが、
結局は国民一人一人がこの国のこれからのあるべき姿について考え、選挙
などの政治行動によって自らの意志を積極的に表明することに尽きるという、
当たり前のことに思い至ります。

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