2016年7月10日日曜日

鷲田清一「折々のことば」454を読んで

2016年7月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」454では、
民藝運動の主導者柳宗悦による、次のことばが取り上げられています。

 不完全を厭う美しさよりも、不完全をも容れる美しさの方が深い。

これは私の思うに、東洋的な美意識でしょう。例えば古い美術品の修復に
しても、西洋では描かれた、あるいは制作された当時の姿そのままに、復元
するという方針のもとに修復がなされる傾向があり、我が国では経年に
よって生じた古色を残しながら、修復する傾向があるように感じます。

更に具体的には陶器の修復に際して、割れた部分に金物をかませて
元の形に戻し、その割れ目の跡、金物を含む姿がその器の味や趣であると
考える美感が、我々の中には存在します。これなどは不完全さをさらに
積極的に評価する審美眼の現れでしょう。

また西洋では従来、庭園の造作において完璧な左右対称の美を指向し、
対して日本庭園では地形の起伏を利用したり、部分部分の美しさの
集合体としての全体を思い描いて、作庭されたように感じます。

つまり西洋の価値観では、自然を超克した美が求められ、日本ではより
自然に則した美が求められて来た、ということでしょう。

私たちが日常に用いる物にしても、今日の工業化社会では手作りの品物を
多く所有し、用いることは難しいにしても、手作りの品に工業製品にはない
温もりを感じさせられるのは、従来より培われて来たこのような美意識の
発露と言えるのではないでしょうか。

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