2016年7月8日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭の論旨をずらせた寒月と金田の令嬢の結婚反対論

2016年7月5日朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載59には、
迷亭が金田夫人の鼻の巨大さを根拠として、寒月と金田の令嬢の結婚に
反対する論理を展開する、次の記述があります。

「「それ故にこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によりますと、今の中御断念に
なった方が安全かと思われます、これには当家の御主人は無論の事、そこに
寐ておらるる猫又殿にも御異存はなかろうと存じます」」

いやはや、これは傑作です!迷亭はこの珍理論に対して、苦沙弥先生だけ
では飽きたらず、こともあろうに吾輩の賛同まで得ようとしています。

しかし金田夫人の権力や財力を鼻に掛けた傲慢さ、押し付けがましさへの
非難を、その顔に不釣り合いな鼻の存在感にすり替えて、手厳しくやり込める
というのは、諧謔の常套手段とでも言いましょうか、読者はニヤニヤしながら、
同時に胸のすく思いもします。

ちっぽけな猫の吾輩が自らの矜持を失わず人間どもの愚行を笑い、またその
人間の中の一介の教師たる、苦沙弥や珍友迷亭など恵まれない知識人は、
世間で幅を利かす成金の生態を茶化す。

また勿論、吾輩も、その主人一党も、自分たちが平気でやっていることは
傍から見れば十分に滑稽で、罪がない。こんな入れ子状態の話の展開が、
読む者を惹きつけてやまないのだと、感じさせられます。

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