2016年7月13日水曜日

吉村昭著「天に遊ぶ」を読んで

原稿用紙十枚以下の非常に短い短編小説を編んだ短編集です。吉村昭というと
優れた記録文学、歴史文学の長編で知られていて、私も一度読んでみたいと
思っているのですが、彼の小説の入門書としてはこの短編集が最適という記事を
新聞で見て、まず読んでみることにしました。

上述のようにそれぞれの一編はごく短いものですが、言葉にしにくい人の心理の
微妙なあやが掬い取られていて、彼の小説家としての技量のほどを彷彿とさせ
ます。

各々の作品が読む者の心をかすかに波立たせる余韻を残しますが、私は男女の
性の営みを扱った作品に、とりわけ強い感銘を受けました。

「鶴」は、小説家の桜本が若い頃に参加していた同人雑誌のかつての仲間で、
以降も小説家として芽が出ず、所詮は同人雑誌作家で終わった岸川の五十代
での死を知らされて、しばらく交流もなかったのに義理を感じて通夜に赴くが、
その席で初めて会った、噂には聞いていた、随分以前から岸川が妻子を捨てて
同棲していた二十五歳年上の女性の美しさに驚かされ、その上彼の死因が
腹上死であったことを知って、大きく動揺する話です。

桜本は以前、すでに同棲していた岸川がその女性に遠慮して、彼女との関係を
小説の題材に出来ないことを小説家として甘いと考えていました。つまり、岸川が
小説に向き合う姿勢が不十分なために、自分のように小説家として独り立ち
出来なかったと考えていたのです。しかし当の女性を目の当たりにして、彼の
価値観は反転します。

岸川には小説を書くことよりも、彼女との暮らしを守ることの方がずっと大切だった
のではないか?人生を何に賭けるかということ、はたまた男女の情愛の深淵を
感じさせてくれる作品です。さらには、小説家としての吉村昭自身の価値観をも
はぐらかすような、面白味もあります。

「紅葉」は、重度の肺結核に冒され肋骨切除の手術を受けた、旧制高校生の
野尻君が、山中のひなびた温泉宿に長期逗留する間のある日、襖を隔てた
隣室に泊まった男女が夜に悲愴な声を上げて交わる気配を聞き、翌日その男が
女を巡る痴情の縺れから殺人を犯したとして連行されるのを、目撃する話です。

結核によって若くして死を身近なものとした野尻君が、人を殺し、明日にも
引き裂かれる運命の男女の刹那的な性交を心に受け止めて、何を感じたか?
まるで映画の一場面のように、情景が思い浮かぶ作品です。

本書を読んで吉村が、人間の心理の深層に並々ならぬ興味を持つ作家である
ことを、知らされました。

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