2016年7月28日木曜日

漱石「吾輩は猫である」における、ついに学問の価値の問題に至った迷亭の結婚反対論

2016年7月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載74には、
金田の意を汲んで苦沙弥先生宅を訪れた旧友鈴木に、ついに迷亭が学問の
値打ちという尺度を持ち出して、寒月と金田の令嬢との結婚に反対する論を
展開する、次の記述があります。

「しかし智識その物に至ってはどうである。もし智識に対する報酬として何物をか
与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識
以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがない。」

金田夫人の大きな鼻を持ち出して結婚反対論を唱えていた迷亭が、ついに
自身の本音を明らかにしたと、言えるでしょう。

ギリシャにおけるオリンピックの発祥から説き起こして、彼は学識の価値の
至高性を論じます。寒月のような学問に殉ずべき人間が、金にものを言わせる
金田のような成金の娘と結婚すべきではない、という論法です。

この迷亭の考え方は、とりもなおさず漱石の本心をも表しているでしょう。
漱石は学問に真摯に取り組むことの価値を強く信じていたでしょうし、博士号の
拒否事件が示すように、国や一部の権力機構が学問を権威付けることに
よって、学問の純粋さに歪みが生ずることを、懸念していたからです。

この漱石の内に秘めた潔癖さは、苦沙弥先生の不器用だが正義感や優しさ
も持ち合わせる好人物というキャラクターにも、反映されていると感じます。

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