2016年7月18日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、自分の座るべき座蒲団に鎮座する、吾輩をもて余す鈴木

2016年7月15日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載67には、
金田の意を体して苦沙弥のもとを訪れた旧友鈴木藤十郎が、自分のために
用意されたはずの座蒲団に、こともあろうに一匹の猫が悠然とうずくまっている
のを目の当たりにして、戸惑っている様子を記する、次の文章があります。

「堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬという事はあろうはずがないのに、
なぜ早く吾輩を処分して自分の不平を洩らさないかというと、これは全く
鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自重心の故であると察せ
らるる。」

これは見ものの光景です。金田の威光を借り、英国仕込みの背広と金鎖で
身をやつした鈴木が、自分の落ち着くべき座蒲団に、みすぼらしい猫が
悠然と座っているのを眼前にして、追い払うのもこけんにかかわり、されども
この厚かましい猫がしゃくに触って、苦虫を噛み潰した表情で脇に控えている。

とかく底の浅い人物ほど、自分より上の立場の人間には腰をかがめ、下の者
には相手がへりくだることを求めるものでしょう。ましてや、自分が今相対して
いるのが、猫のぶんざいであったなら・・・。

漱石の成金やその取り巻きたちへのきつい風刺が、小気味よく響く文章です。

一方吾輩は、当の鈴木の滑稽な有り様を楽しむように、これ見よがしに件の
座蒲団を占領し続ける。やれやれ苦沙弥先生まで、彼のご立派な肩書きの
名刺を、厠という臭い所に忘れて来たようです。さすがの鈴木の面目も、地に
落ちたものです。

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